平成元年
年次経済報告
平成経済の門出と日本経済の新しい潮流
平成元年8月8日
経済企画庁
第4章 日本経済のストック化
資産価格の正常な姿は,一般に将来にわたる収益の流列を適当な割引率で資本還元した価値,すなわち将来収益の割引現在価値として捉えられるが,こうした資本還元価値は将来にわたる収益と割引率に関する人々の予想に決定的に依存している。人々の予想はうつろいやすく,しばしば実体から掛け離れることがあるから,資産の価格は本来的に変化の激しい性質をもっているといえる。しかし,資産価格が過度に変動した場合には,実体経済に悪影響を及ぼす場合がある。60年代に入っては,地価高騰と株価の変動がクローズアップされていることから,以下では土地と株式について資産価格の形成,変動のメカニズムを分析するとともに,それらを含めた資産価格の相互連関についても分析する。
(今回の地価高騰局面と過去との比較)
58年頃に東京都心の商業地から始まった地価上昇は,61年,62年と上昇率を高めたが,都心部では63年以降鎮静化した。しかし,東京周辺の住宅地の中には63年に入っても上昇が続いている地域があり,また大阪圏,名古屋圏,さらには地方中枢,中核都市へと地価上昇が波及していった。
今回の地価高騰は,戦後の歴史を振り返っても最も大規模かつ深刻なものの一つとなった。公示地価(全用途平均)の上昇振りをみると,東京圏では61年初と比較して2年後には2倍を超えた。47年から48年にかけて,今回に匹敵する規模の地価上昇がみられたが,この時には2年間で2倍近くになったものの,49年にはその反動で下落している。今回の場合も63年以降,東京圏の住宅地,商業地では地価の下落が始まっている地域があり,次第にその範囲が広がってきているが,63年中の下落率はたかだか数%程度で,全体としては高止まり傾向にあるといえる。
今回の地価高騰について,地価公示と都道府県地価調査でみると,上昇,波及のパターンにも47~48年のそれと比較して,以下のような特徴がみられる。第一に,都心の商業地が上昇し,それが住宅地に波及する形で地価が波紋状に上昇したことである。すなわち,東京都心3区(千代田区,中央区,港区)の商業地は58年頃から上昇をはじめ,61年前半をピークに上昇率は徐々に低下し,63年前半以降横ばいないしやや減少に転じた。また,区部都心部の商業地は同じ頃から上昇を始め,半年遅れの61年後半にピークアウトし,やはり63年前半には沈静化した。続いて,区部南西部の住宅地が60年頃から徐々に上昇をはじめ,61年後半から62年前半にピークアウトした。区部北東部や多摩地域の住宅地は61年頃から上昇を始め,さらに半年後の62年中にピークアウトした。さらに周辺の千葉県,埼玉県の住宅地では62年から上昇を始め,同年後半にピークアウトしている。このように,東京圏の地価は中心商業地から周辺住宅地へ1年以上のラグをもって波及していった。この点,前回の場合は,商業地,住宅地,工業地などほとんどの用途でほぼ同時に地価上昇がみられ,今回と対照的になっている (第4-2-1図①)。
第二に,地域別では,東京圏が先導し,その後他の大都市圏,地方圏へ上昇率が減衰しながら波及している。すなわち,商業地の地価上昇については東京圏のピークが62年前半であるのに対し,大阪圏はそのおよそ半年後と時差がある。名古屋圏や一部の地方都市ではさらに時差が大きい。このような時差は住宅地についてもほぼ同様にみられる。また,上昇率については,これまでのところ東京圏の商業地がピーク時で年率80%近い上昇だったのに対し,大阪圏ではその半分程度,名古屋圏その他ではそれ以下の上昇率になっている (第4-2-1図②)。
(地価高騰の要因,背景)
こうした地価高騰はなぜ生じたのであろうか。近年,我が国経済の国際化の進展に伴い,東京圏に経済機能等の集中が進んでいる。特に,東京は国際金融センターの一つとして急成長してきており,都心のオフィス需給は逼迫してきていた。これに関連して,東京の土地の生産性(限界価値生産性)やその期待値の上昇があると考えられる。これに対し,前回は列島改造ブームのあおりで全国的に地域開発熱が高まっていた。これに過剰流動性が重なって,全国ほぼ同時に,かつ同じような規模で地価上昇が生じたものと考えられている。それでは,次にこうした背景を定量的な分析によって確認しよう。
土地市場は,地域や用途によって細分化された小市場から成り,それらが相互に影響しあって地価を形成していると考えられる。ここでは,今回の地価高騰の端緒となった東京圏の商業地とその波及が懸念される全国の住宅地について,それぞれどのような要因が土地の需要・供給や価格形成に影響しているか,またそれがどう変わってきたかをみることにする。
まず,東京圏の商業地の地価上昇率について,需要要因,予想地価要因及び金融の緩和を表わす要因に回帰したうえで,要因分解を行った。需要要因としては,東京圏への経済機能の集中を表わす指標をとった。また,資産としての土地取引には,人々の将来地価に関する予想がどのように形成されるかが重要である。ここでは,予想地価は過去の地価の動きをベースに,これに過去のランダム要素の加重平均を加味して形成されると考え,ARIMA(自己回帰和分移動平均)過程に従うと定式化した(付注4-2参照)。
これにより,前回と今回の地価上昇要因を比較すると,今回のほうが需要要因の寄与度が大きいことが注目される。また,前回,今回とも,寄与度の違いはあるものの共通の要因として,金融緩和と予想地価上昇率があげられる。金融要因では,前回,今回ともマネーサプライ(M2+CD)の伸び率が高く,余剰資金が土地投機にまわったものと考えられる。また,予想地価要因については,いずれの場合も予想地価の上昇が実際の地価上昇率を押し上げるという形になっており,なんらかのきっかけでこうした自己実現的な予想が支配した場合,地価は一層上昇する可能性があるものと考えられる(第4-2-2図)。
以上をまとめていえば,前回と今回で異なる点は,主として需要要因の相違である。すなわち,前回は列島改造ブームがあり,今回は東京への経済機能の集中とそれに伴う事務所需要の増大という実体的な要因があったが,今回のほうが,需要要因の寄与度が大きくあらわれている。また共通の要因として金融の緩和と地価上昇予想により多かれ少なかれ地価上昇が増幅された点があげられる。
一方,住宅地の地価については,ストック価格としての地価が新規の宅地に対する需要と供給が一致するように決まるという考え方に立って,需要関数,供給関数を実際に推計し,これに基づき全国の住宅地の地価の動きをいくつかの要因に分解した。ここでは,単純化のため,供給は農地等から宅地への転用とし,供給側は,税引き後のキャピタルゲインの動向をみながら供給量を決めると仮定した。また,需要側は,現在の地価,将来の予想地価,土地と代替的な資産の収益率等によって需要量を決めると仮定した。この需要量にはすぐに宅地転用される分のほか,ディベロッパー等による開発待ちの在庫需要も含まれる。なお,地価の予想形成は,商業地と同じくARIMA過程に従うと仮定した(付注4-2参照)。
その結果をみると,前回と今回の両方とも予想地価の役割が大きく,商業地の地価上昇との共通点が見出せる。新規の宅地の需要関数において,現実の地価上昇は需要を減少させるように働き,逆に予想地価の上昇はそれを増加させる方向に働くのは,新規の宅地の需要者がキャピタルゲインの獲得を狙って土地を購入していることを示していると解釈できる。金融要因としては,一般には貸出金利の低下が新規の宅地需要を誘発し,地価を上昇させる面があると考えられるが,今回の場合はそれほど大きな押し上げ要因にはなっていない (第4-2-3図)。
また,宅地供給の主要部分を占める農地から住宅用地への転用は,48年をピークに年々減少しているが,これを新規の宅地の供給関数からみれば,農家の金融資産蓄積が進むなど,農地売却のインセンティブが弱くなってきたことも影響していると考えられる。この分析においては,新規の宅地市場が急速に縮小するとともに,地価の上昇によって新規の宅地の需給が保たれている様子がうかがえる。このことからも,大都市圏における宅地供給の増加が地価問題の解決にとって重要であると考えられる。
(株価の短期変動の分析,評価)
50年代後半以降の金融緩和の基調のもとで,株式市場は世界的な活況を呈し,我が国においても株価は強い上昇トレンドを持ってきた。例えば,55年から63年までの東証株価指数の年平均上昇率は21.5%にも達している。
62年10月の株価暴落,いわゆるブラックマンデー以降の各国株式市場をみると,日本(東京市場)では,落ち込みが比較的小さかったこともあるが,いち早く回復し,1988年4月には暴落前の最高値を回復した。これに対し,ニューヨーク,ロンドンなど海外主要市場では日本より回復が遅れ,暴落前の水準を回復したのはニューヨークで1989年1月,ロンドンでは未だ暴落前の水準を取り戻していない (図4-2-4図)。
ここで,我が国の株価(東証株価指数)を,ファンダメンタルズの代表としての収益要因(営業損益),金融の価格面を表す金利要因(国債利回り),金融の量的側面を表す貨幣数量要因(マーシャルのkのトレンドからの乖離),さらに投資家のキャピタルゲイン獲得の期待を表す予想要因に回帰して,どのような要因で株価が変動しているかをみた。これによって,60年代にはいってからの株価の変動を追ってみると,まず,60年から61年にかけては,金利低下を背景に金利要因が株価の上昇を支える主たる要因であったことがわかる。これに対し,62年頃からは,金利要因とならんでもう一つの金融要因である貨幣数量要因が株価上昇に対する寄与度を高めている。また,61年の後半から62年秋の株価暴落までは予想要因の寄与度が高い水準にある。これは,人々が過去の株価上昇の経験をもとに将来の株価上昇の継続を予想するという,いわば論理的根拠の乏しい自己実現的な予想形成のプロセスを表しており,この過程で一般に「バブル」とよばれるものが形成される場合がある。さらに,暴落後の株価上昇の過程をみると,予想要因は株価上昇を大きく抑制する方向に作用しており,投資家の間で一転弱気な予想が支配的になったことをうかがわせるが,他方,今回の景気上昇を背景に収益要因が大きくプラスに作用しており,加えて63年後半には金利要因が再び株価上昇を支える要因として登場している (第4-2-5図)。
以上をまとめると,日本市場における株価の回復が早かったのは,第一に日本経済のファンダメンタルズの強さがあげられ,次いで,金融緩和の継続が貨幣数量面と金利面の両方から株価回復に寄与し,弱気な予想を相殺したといえよう。
なお,この分析からも示唆されるとおり,株価にはファンダメンタルズから乖離して変動する可能性がある。これには,投資家が理論的根拠に乏しい予想をもって投資を行っている場合が考えられるが,一方,ファンダメンタルズから乖離した株価が急落する可能性があることを投資家が知っていても,十分なプレミアムが得られれば,その市場にとどまり,株価は上がり続けることがありうる。前者は不合理なバブル,後者は合理的バブルとよばれる。我が国の株式市場においても,暴落に至る過程などで,こうした合理的バブルが発生していた可能性を否定できない。
(株価水準の分析,評価)
このように,我が国においては暴落後の株価の上昇は急速であったが,我が国の株価水準はもともと高いとの見方がある。こうした株価水準の評価にあたって実務家の間ではしばしば株価収益率(PER),すなわち株価の1株当たり利益額に対する比率が使用されてきた。PERの実際の値をみると,1975年にアメリカで12.4倍であったのに対し,同時期の日本では27.0倍とすでに大きく上回っている。1988年になるとアメリカが11.1倍であるのに対して,日本では58.4倍と差がさらに拡大している。PERによる株価評価の背景にある理論的説明としては,株価の正常な姿は,毎期のフローの利益の将来にわたる流列の割引現在価値であるというものである。したがってPERの値は割引率を反映したものとなっているはずである。すなわち,PERは,割引率(リスクプレミアムが一定とすれば市場利子率と考えられる)が低いほど高くなると考えられる。こうした点を考慮して,日米の金利差を修正してみると格差はかなりの程度縮小するが,依然として格差は残る(第4-2-6図)。
我が国の株価やPERに影響を与えているもう一つの重要な要因として,企業間の株式の持ち合いがあげられることがある。株式の持ち合いは,株価をその分だけ高めると考えられる。その理由は,経済全体の利益額や一般投資家が欲する株式数等が変わらないならば,株式の持ち合いはその分だけ経済全体として必要な発行済株式数を増加させると考えられるからである。また,配当性向が100%でないかぎり,同様の理由によってPERも株式の持ち合いにより上昇すると考えられる。我が国の株価水準やPERの高さの幾分かはこうした構造的な特性を反映したものだと考えられる。株式の持ち合いがPERに与える影響を取り除いて国際比較するため,我が国で株式持ち合いがなかったとした場合のPERを試算すると,日本とアメリカのPERの差はさらに縮小する。このように,我が国のPERが高いのは,かなりの程度,金利差や株式の持ち合いの違いを反映したものであるといえる。
一方,我が国企業が土地や株式の形で膨大な含み資産を保有していることから,株価にもこうした含み資産の価値が反映されているとの考え方がある。第1節でみたとおり,我が国の法人企業部門に存在する含み資産は膨大なものであり,かつ60年代に入り,それがますます拡大している。企業の保有するストックの規模が拡大する時,投資家がこうした企業のストック面を積極的に評価するのは自然であると考えられる。
ある企業の株価はその企業の資産価値に対する市場の評価であると考えると,これらを経済全体で集計して,我が国企業の株式の時価発行総額は我が国の企業部門の価値に対する市場の評価と考えることができる。いま,国民経済計算ベースで,株価総額に対する民間企業部門の資産価値の比率(以下,株価・資産価値比率という)を計算してみると,50年代に入って一貫して0.5を下回っていたものが,57年を底に急上昇し,62年末にはほぼ1の近傍に達している。すなわち,株式市場での企業評価を表す株価は,おおむね企業の資産価値を評価した水準になっていると考えられる(第4-2-7図)。
しかしながら,以上のように推計された株価・資産価値比率をもって我が国の株価の水準が高すぎるとか妥当であるとか「評価する」ことには十分慎重でなければならない。その理由は分母の資産価値の市場価値の評価が妥当であるかという問題があるからである。特に,前項で述べたように土地の市場価値には地価形成における予想要因が相当反映されていると考えられることから,株価と地価の双方にバブル的要因が作用している可能性も否定できない。
前項の地価についての分析から考えると,60年代に入ってからの地価の動向は,地価上昇に関する予想要因などが実際の地価を押し上げている可能性が高い。もし地価が過大評価されていれば,それを含む企業価値が過大評価されていることになり,その場合には株価が資産価値に見合っていても,株価もまた過大評価されている可能性が高いということになる。いずれにしても株価,資産価値比率はあくまで一つの尺度にすぎず,これを用いた株価の評価には多くの留保条件がついており,相当の許容範囲をもって評価せざるをえないと考えられる。
債券,株式,土地など実物資産市場,金融資産市場は家計,企業,金融機関等の資産選択を通じて相互依存を強めていると考えられる。こうした相互連関のメカニズムを定量的に明らかにしよう。
一般に,投資家は保有資産を何種類かの実物資産と金融資産の組合せ(ポートフォリオ)で運用するが,各種資産への投資比率を決めるうえで決定的に重要なのは各資産の予想収益率である。すなわち,投資家はそれぞれの資産の予想収益率にリスクを加味して資産構成を決め,さらに各資産市場では,それぞれの資産の需給がバランスするように各資産の価格と収益率が決まると考えられる。こうした結果,異なった資産の収益率の動き,及びその裏側における資産価格の動きには相互連関が働くと考えられる。
そこで,公社債,株式,土地の3市場について,多変量自己回帰モデルをつくり,それぞれの価格変化が相互にどのように影響し合っているか,またそれがどのように変わってきたかをみよう。具体的には,株価,地価,公社債利回りの関係を,50年~56年(前期)と57年~63年(後期)についてみた。まず,地価については,前期では地価自身の過去の動きによって4分の3程度が,また長期金利の動向によって残りのほとんどが説明され,株価の影響はほとんど認められない。これに対して後期になると,長期金利の影響が12.0%に落ちて,株価の影響が16.5%と高まっている。一方,株価は,前期においては9割以上が株価自身の過去の動きによって説明され,長期金利及び地価の影響はほとんど認められない。これに対して後期になると,地価の影響を受けるようになり,長期金利の影響もやや大きくなっている(第4-2-8表)。
以上から,最近になるにつれて,株価,地価についてはそれぞれ他の資産の影響を受ける度合いが大きくなっているといえよう。
最近時点の方が相互依存関係が強まっているのは,第一に,50年代後半以降,金融緩和の影響が各資産市場に共通要因として大きく働いていると考えられる。第二に,株価に対する地価の影響が強まっている背景としては,すでに述べたような資産価格の大幅な上昇の結果,投資家が企業の含み資産を改めて評価する傾向がでてきていることが関係していよう。
このように,資産価格の相互依存性が近年高まっていることから,ある資産市場の価格の変動をみる場合にも,他の資産市場との関係がどうなっているか,また何らかの共通要因が働いていないかといった点に注意する必要があるといえる。