第一部 總説……独立日本の経済力 二 昭和二七年の経済循 1 昭和二六―二七年の推移における特色
世界再軍備の引延ばしによる景気の停滞は、昨年下期以来世界の貿易量の減退に最も顕著に現われはじめた。一九五二年七――九月期の世界輸出額は、その前年にくらべ水準として一割の減少を示している。これとともに各国経済も停滞の色を濃くし、最近国際連合の発表した「世界経済報告」によれば、西欧および米国等先進一二ケ国平均の鉱工業生産は、一九五一年がその前年にくらべて七%上昇したのに反し、一九五二年はほぼ前年と同一の水準に停滞し、実質国民総生産もその前年には約六%上昇したのに、昨年は平均二%しか上昇していない。
わが国でも昭和二七年は、終戦後において産業活動諸指標が全面的に伸び悩みを示した最初の年とみることができるであろう。鉱工業生産指数が二六年には前年に比して三六%も増加したのに対し、二七年は七%の上昇に止まつている。貿易額は二六年がその前年に比して輸出六五%、輸入一一〇%と著しい増加を示したのと対蹠的に、二七年の輸出は前年より六%減少し、輸出も僅かながら減退している。(ただし貿易物価が前年にくらべて相当低下したので、貿易数量としてみるならば輸出量は前年並み、輸入量は前年よりも一二%増大している。)ところがこのような産業活動諸指標の全面的な伸び悩みにも拘らず、国民所得はその前年にくらべて名目で一六%、実質的にも一二%増加している。(実質国民総生産では九%)国民の消費水準も前年にくらべて一六%上昇した。生産や貿易の停滞にも拘らず、国民所得と国民消費がなぜこんなにも増大したのであろうか。
終戦以来の日本経済をかえりみると、二六年までに鉱工業生産は四倍になり、貿易額は十数倍に達し、それを背景にして実質国民所得も二倍に増大した。これを年率に直すならば、鉱工業生産が年平均三割、貿易が六割増加し、国民所得は実質的に一割づつ増大したことになる。このような経済発展の型ができていたにも拘らず、昨年にかぎつては鉱工業生産、貿易に比して国民所得がよけい増大したのはなぜであろうか。そういえば、国民は誰れしも最近の経済動向に関して若干の疑問を感じていたに違いない。「不景気、不景気」といいながら、会社もあまり潰れたという話は聞かないし、失業者がそれ程ふえた様子もない。料理店や娯楽機関はいつも満員だ。近所の商店もあらかた店構えを整えた。なにがこのような経済の推移を可能にしたのであろうか。