第二部 各論 ―動乱ブームより調整過程へ 一 物価 4 変動の大きかつた内的要因

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 以上のごとき推移を通じて目につくことは、日本の物価が国際景気の変動に対して敏感に反応し、しかもその触れ方がしばしば海外物価の動きより大きかつたことである。もつとも前述したように、動乱後わが国の物価がとびぬけて高い騰貴率を示した要因の一つとして、動乱直前において国際物価よりかなり割安であつたためという事情を考慮しなければならない。従つて動乱後の騰貴率だけをみて、そこに生じた彼我の懸隔がそのままわが国物価の国際物価を逸脱した程度であると判断することはできないが、それにしても昭和二六年三、四月頃には国際物価を若干上回つていたものとみられ、それだけにその後の反動も強くあらわれることになつた。

 このように変動の巾が大きいことは、一般に日本経済の底が浅いためであるといわれているが、その原因の一つは海外に対する依存度が高い点にある。これは動乱後の景気変動に大きな役割を果たしてきた綿紡と鉄鋼について著しい。殊に綿紡はその原料のほとんど全部を海外から輸入し、その製品の約半分を輸出している。また鉄鋼についても、重量のかかる原料の半ばを遠隔地から輸入し、その製品の四分の一は輸出される。かかる海外依存度の高い産業があること、しかもこれらがわが国の代表的な産業――この部門で総取引額の約二割を占める―――であることは、海外から受けた波紋が国内へ伝わりやすいことを意味している。

 次に、海外から受けた波が国内でさらにうねりを高くするのは、個々の企業あるいは経済機構全体に弾力性が乏しくなつたためである。その一つとしてまず企業の在庫量、殊に原料ストツク量の減少があげられる。すなわち、生産がすでに戦前水準を上回つたのにもかかわらず、企業の棚卸資産は実質的に戦前の八割であつて、その回転率は戦前の年四回から六回程度に増加している。また企業が生産実稼働能力を限度一杯に稼働させていたことも、弾力性を少くする原因であつた。そしてストツクにおいても設備においても企業が余裕のない生産を行つているのは、結局自己資本の低下あるいは資本調達力の弱体化に基いている。その結果、好況期にはすぐストツクを使いつくして高値買あさりを余儀なくされ、しかもそれに必要な運転資本の増加を自ら賄えないで銀行に依存し、銀行もまたその貸出を預金で賄えずに日銀貸出を頼ることになる。昭和二五年末輸入促進をする際、日銀ユーザンス制度によつて輸入金融の途をつけたが、仮にこれの制度を実施しなくてもおそらく別の形態による信用膨張を必要としたであろう。かくて生じた通貨の増発は、国際的波動の日本経済への伝導に拍車をかける。他面市況後退に向うと、企業は手持商品を投げ売りして物価の低落を助長するが、その場合資本力が弱いためすぐ倒産の危険にさらされるので、止むをえず滞貨融資を通ずる金融面のテコ入れが行われ、人爲的な相場を造り出す結果かえつて、国際物価との乖離を生じてその後のうねりを大きくさせている。

 日本経済の弾力性が乏しくなつた他の要因として、流通面の機能低下がある。殊に国際経済との接触点にある貿易商社は、自己資本の乏しさから平均してその六倍――戦前は一、五倍――に達する取扱量をかかえて、生産企業と同様ゆとりのない取引を行つている。また戦前強固な信用を持つて多角的な経営を誇つていた大貿易商社は、財閥解体および集中排除によつて細分され、いまでは群小商社として相互に競争し、海外から高値で買込んだり、あるいは買たたかれている憂目をみている。それに存外店舗を開設する能力が少くなつたことも、貿易活動における機能低下の有力な要素である。なほ国内商業部面においても、いわゆる問屋の機能が弱体化している事は、物価変動に対するクツションの作用を鈍らせている。

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