第二部 各論 ―動乱ブームより調整過程へ 一 物価 1 動乱後の急騰

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 動乱後、わが国の物価は著しく高騰した。例えば、日本銀行調「東京卸売物価指数」は昭和二六年四月までに五二%騰貴し、当本部調「週間卸売物価指数」も四月半ばですでに六六%騰つている。一方この間における国際物価の上昇率は二割足らずであるから、それにくらべても甚だしい懸隔であつた。

第一二表 卸売物価指数 (昭和二五年六月=一〇〇)

 しからば国際物価との間に、なぜかかる顕著な騰貴率の相違を生じたのか。それはわが国に対して、動乱を間近に控えた局地的な需要や、欧米諸国の輸出余力の減退に伴う海外需要が増大したため、国内物価が動後急騰した海外グレイマーケツト相場に結びついたことも原因している。しかまた、わが国の物価がもともと低い水準から出発していたという事情も看過しえない。すなわち、動乱直前におけるわが国の物価は国際価格をかなり下回つていて、その開きは一五ないし二〇%と推定され、それが動乱後は、海外需要の増大にもとづく輸出の好況に伴つて、国際物価へ急速にさや寄せすることとなつた。しかも前記のごとく国際物価は動乱後二割ほど騰貴しているので、この二つの要素がかさなつて、わが国物価の急騰を招いたものとみられる。従つて、動乱後における騰貴率の相違がそのまま国際物価に対しる乖離を意味するわけではなく、少くとも昭和二六年初め頃までは国際物価へさや寄せする過程であつたと推定される。

 もつとも昭和二六年に入つてから、わが国の物価にいくつかの新たな要素が加わつてきた。第一は、日銀ユーザンスなどによる信用の増加がようやく目立つてきたことであり、第二は海上運賃の急騰によつて鉄鉱石、粘結炭、塩など重量品の輸入価格が著しく値上りしたことであり、第三は、三月末から四月初めにかけて実施された銑鉄、塩、パルプなど重量物資の公価ないし補給金廃止に伴い、それらの商品が急騰したことである。その結果物価の騰勢がいよいよ強まり、他方海外市況は米国を中心に二月頃からはやくも軟化の兆をみせているので、三月から四月にかけて国際物価を若干上回るに至つた。

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