第一部 總説……独立日本の経済力 三 動乱ブームの調整過程 2 最近の経済動向とその特色
(一)景気動向に対する若干の見解
以上述べてきた経済動向を概観すれば、その経過には種々の起伏があつたものの、昨年春以降の推移は、これを一貫したブーム後の調整過程の流れとしてみることができるであろう。試みに昭和二七年三月の主要経済指標の前年同月に対する増減を、過去のそれとくらべてみれば次のごとくであつて、二六年度中の経済活動が伸び悩みを呈した様子がうかがわれる。
前節の経過の説明と併せて考えれば、上の表から次のような傾向を看取できるであろう。すなわち、まず生産活動、貿易などは前年に比して一般に上昇傾向がゆるんでいるが、経済安定計画の一年間に比べてみても生産が伸びたほど輸出量は伸びていない。また物価は卸売において停滞的であつたにもかかわらず、おくれていた消費者物価は上昇を続け、名目賃金も騰つたこと、そして他の指標にくらべれば、通貨量の増加比率が割合大きかつたことなどである。この点は二六年の経済過程に関連があるので以下に少しく説明を加えよう。
二六年中の物価は原料価格の騰貴に伴うコスト高という上昇原因があつたにもかかわらず、市況からしては下押し傾向がかなり強く、またその下落が通過融資に支えられる等の事情もあつてさきに述べたような推移を辿つた。この間にあつて現金通貨、預金通貨を併せた通貨量が増大した理由としては、物価騰貴を別とすれば滞貨融資の存在とともに二六年度中における外貨保有高五億七千万ドルの増加を挙げなければならない。すなわち広義の出超二千余億円に見合うインフレ要因のうち、インベントリー・フアイナンスは八百億円でカバーされなかつた部分は何らかの形で通貨量の増加を促した。なお卸売物価にくらべておくれていた賃金が消費者物価の上昇とともに増大を示したことは、現金通貨の増加と密接な関係をもつていると思われる。このような事情によつてわが国物価は、国際物価をすでに上回つていた昨年春いらいの水準をそのまま持越し、ドル地域の物価に対してはかなり割高となつた。ただしポンド貨の実勢低落により、スターリング圏物価に対してわが国物価がなお割安であることは事態をさらに複雑にしている。
さて本年春以降は、前述したごとく本格的調整の段階に入り、景気後退の気配が散見され、その兆しは、在庫の増大、操業の短縮、あるいは売掛、未払の漸増などに部分的にうかがわれるが、景気波及のタイム・ラグもあつてまだ生産指数その他主要指標のさしたる低落をみるには至つていない。
このような事情を背景にして、現在の景気動向をあまり取越苦労するにはおよばないという立場から、次のような見解が行われている。すなわちまず第一に現在の傾向は、動乱ブームの行きすぎに対し、世界的に行われている修正過程の一環にすぎない。第二に世界景気の動向としても、再軍備は当初の計画よりある程度延引したものの、今後なお支出が増加するのであるから一九三〇年代のような恐慌の到来をおそれる必要はない。第三にしかも日本の場合にあつては、経済安定計画によつて辿りつつあつた合理化、正常化の過程が動乱によつて繰延べられたのであるから、現在は当然その時し残した合理化、正常化の仕上げを急ぐべき時期に相当している。そして第四に、動乱ブームが非常に跛行的にあらわれたために、その訂正過程も部分的に生じた。従つてブームによつて著しく膨張した綿業が、世界的な過剰生産傾向によつて最も甚しい景気減退に誘われている事実をもつて直ちに不況の全面化を憂えるに当らない。
このような見解に対して、現在の景気動向が直ちに異状に悪化することはないとしても、景気の停滞が長引きそうな気配があり、現状は必ずしも軽視を許さぬとする立場からの批判は概ね次のごとくである。第一に単に行きすぎの訂正あるいは合理化、正常化の過程と称するけれども、経済安定計画の当時、すでに問題とされた生産と内外の有効需要の矛盾に対し、当時より生産水準が五割増加した現状において、直面しなければならぬという事実は無視できない。第二に安定計画当時より国際競争が一層激化する気配が濃厚であるにもかかわらず、日本商品、特に重化学品価格はブームに甘やかされ、またこの間補給金撤廃という事情も手伝つて、国際的にみれば当時より遙かに割高になつていることも、事態を困難にしている。第三に、安定計画においては財政が超均衡でデフレ要因をつくりだしていたから、例えば見返り資金の支出を加減するなど国内施策によつて景気動向を多少うごかす手がかりを残していた。しかるに現在はその余地に乏しい。しかも無理に購買力を刺戟する国内対策によつて物価水準をさらに吊上げるような結果を招くならば、これはわが国商品の国際競争力をますます低下させるであろう。第四に前にも触れたごとく、二六年度中の物価のうごきには金融面のテコ入れにより人為的に支えた傾きも存在しているのであるが、いわゆるオーバーローンの激化とも相まつてこの面からのテコ入れが一応の限界に到達しつつあることを考慮に入れなければならない。
(二)景気動向を決定する諸要因
以上のように種々異つた見方が行われている現下の経済動向が景気の波動においてどんな位置を占め、今後どう推進するであろうかを判定することは、内外の諸情勢が予断を許さぬだけに極めて困難である。以下まず景気動向を決定する諸要因について検討を加えてみよう。
国際市況についてみれば、最近の景気後退は前にも述べたように主として次の三つの事情、すなわち欧米各国における軍拡の引延ばし、基礎物資農産力の増大、および世界各国の輸入制限措置によつてもたらされた。しかもこれらの因子が世界景気停滞の原因として単なる一時的なものでなく、やや長期的傾向をもつているところに問題がある。まず米国の軍拡の引延ばしはやむを得ぬ遅延(スローダウン)でなくて政策的引延ばし(ストレツチアウト)であり、西欧諸国でも自由経済に対する再軍備の衝撃を緩和するために軍拡の速度が緩められている。第二に動乱直後、米国において樹てられた基礎的物資の生産力拡充計画はすでにその半ばを達成し、軍拡の引延ばしと相まつて物資需給も好転し、統制も次第に緩和している。西欧諸国でも同様な事情が進行し、かつ国債原料会議(IMC)の成果の進捗とともに需要物資の国際市況は著しく引きゆるんだ。なお米国の戦略物資著増に基く錫、ゴムなどの買付けが停頓したことは東南アジア諸国の景気沈滞の主因になつている。第三にポンド地地をはじめ世界各国は国際収支を改善し、自国通貨の価値を維持するために相当思いきつた輸入制限措置をとりつつあり、しかもその主な狙いは消費財の輸入抑制に置かれている。従つて今まで自国の再軍備によつて重工業製品の輸出余力に乏しかつた西欧諸国も今後は再軍備を二の次にしてもいわゆる硬質材の輸出に拍車をかけようとしており、日本は今後消費財はもちろん、生産財においても激しい国際競争に直面することを覚悟せねばならない。以上のような情勢は輸出物価の低落および輸出の停滞の二面を通じてわが国における景気後退の主因となつている。たゞし輸出実績はまだ著しい低落を示していないが、最近の輸出契約の減退傾向には軽視を許さぬものがあり、国際面に関する限りわが国が近く市況の好転に恵まれる見透しは少ない。次に国内市場を探つてみれば、二六年中の消費購買力は比較的安定した推移を示しており、景気動向を主導する力はつねに投資の方が強かつた。企業収益の低下、市況の先行き見透し難に基き、一時盛行した産業投資活動も昨年四―六月をピークの後頭打ちに転じ、それが景気下押しに一層の拍車をかけた。しかしその後の産業投資は、軽工業関係の投資の減退が、昨年一〇月以降において電源開発、造船における投資の活発化ならびに一部産業における合理化投資の増加によつて補われ、投資総量としては、設備資金の新規貸付、機械工業の受注残高、鋼材の出荷量などどの指標からみてもほぼ横ばいの勢いを保つている。なお本年下半期に向つて、電源開発が本格的発足をする上に国際経済協力ならびに自衛力漸増などに基く支出が増加し、この三項目についていえば昨年にくらべて相当額の国内需要の増加がみこまれている。
上のように海外市場の停滞は幾分国内市場対策のいかんによつて相殺されるわけであるが、その国内市場増大の方向を決定するためには、現下の経済動向を単に短期的な景気の観点からみるばかりでは充分でない。これを経済的自立達成のという長期的見地に照して、ブームによつておおわれていた経済構造上の諸矛盾を直視する契機として把えねばならない。従つていわゆる景気振興策の方向も、単なる一時的な需要の刺戟だけでなく、露呈された矛盾の是正、例えば国際競争力の脆弱性を補うための設備の近代化などに資しつつ、同時に有効需要を経済循環の中から生み出すことのできる施策に重点を指向すべきであろう。わが国の景気動向が主として国際情勢に依存することは事実であるが、主体的には上のごとき国内施策を有効に実施しうるか否かによつて現下景気後退の意義も大きく異なるというべきである。
この意味において次章では最近の動向から看取られる経済構造上の諸問題を検討するとしよう。