第一部 二 講和を迎えた日本経済の水準 2 經済回復水準の評価

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(一)昭和二六年度の経済水準

 戦後このような速かさを以て復興の途を辿つてきた日本経済は、昭和二六年度までにどの程度の回復水準に到達したであろうか。主要指標について対戦前(昭和九―一一年基準)比較を試みれば次のごとくであり、すでに戦前水準に達し、あるいはこれを超えているものは、人口、生産、投資関係のみであつて、他の指標はいまだ戦前水準を下回つている。

第四図 日本経済の回復水準

 二五年からに六年にかけ、諸指標が概ね上昇を示している中にあつて、農業生産のみは米の減産によつて前年よりいささか低下しているが、これは一面において、農業生産がすでに一応の限界に近づいていることをあらわすものである。これに対して鉱工業生産は、戦前水準に戻つた前年度から、さらにその水準を三割超えてかなり顕著な上昇を示した。ただし、対戦前一二二%の人口膨張を考慮すれば、一人当り生産量は戦前の僅かに上回る程度である。同様に国民所得も、物価の騰貴を考慮した実質所得総額では戦前を一割余り超えているものの、人口一人当りの実質国民所得については、なお戦前の九三%にすぎない。国民消費水準は生前の八六%と、この一人当り所得を若干下回つているが、これは主として戦後復興の必要に基き、国民所得中資本蓄積に向けられる割合が増加したためであつて、産業資金供給総額によつて投資水準を一応はかつてみることにすると、二五、六年度ともに戦前を二割近く上回つている。貿易数量のうち二六年度の輸出は前年度とほとんど同一水準に止まるが特需商品を加算すれば約一割の上昇を示し、一方輸入は前年度よりも四割余の増加となつた。しかし戦前と比較すれば、輸出(特需商品を含む)は三六%、輸入は四九%と、いまだ著しく低位にある。

 ここで日本経済の回復水準を海外主要諸国のそれと彼我対照してみよう。戦前基準年次として国際的に用いられている一九三七年(昭和一二年)をベースとした各国の経済水準は次図のごとくである。第二次大戦を通じて経済活動諸量の躍増した米国は別としても、各国とも戦争による疲弊からほとんど立直りを示しているのがうかがわれる。まず鉱工業生産につき比較すれば、わが国の回復は戦前水準への復帰を完了した年次において、英国、フランスよりは約二年、西独、イタリーよりは約一年の遅れを示したものの、現在ではようやく各国なみの対戦前比率を示しているといえよう。しかし貿易の面では各国の輸出入ともおおよそ鉱工業生産と併行した回復を遂げ、戦前水準を二、三割方凌駕しているのに比して、著しい遜色がある。

第五図 回復水準の国際比較

 日本経済の回復水準の低さは一人当り国民所得の国際水準においてみた場合により明らかにあらわれている。いま一九五一年における各国のそれをドル換算額の概数を以て示せば次のごとくであつて、戦前すでにかなり低位にあつたわが国の一人当り国民所得は、現在では米国の一二分の一、英国の約二割、西独の約四割と彼我の経済力の懸隔はかなり拡大している。

第六図 1951年各国一人当国民所得

 さきに述べたように戦後の日本経済が回復テンポにおいてはこれら諸国以上の速さを示したにもかかわらず、しかもその到達した水準が諸国よりもなお相当な低位にあるという事実は、わが国経済の敗戦によつて落込んだ谷底が極めて深かつたことに物語るものにほかならない。

(二)回復水準の跛行性

 また以上の説明によつて気付かれるごとく、日本経済の回復はその水準相互間に少なからぬアンバランスを残している。殊に貿易水準が鉱工業生産に比し、また国民消費水準に対してさえも均衡を失して低いことが指摘されるであろう。

 この点に関してはすでに前回の経済報告においてふれたように、戦後の生産が輸入依存度の相対的に低い重化学部面において著しく伸びたこと、しかも工業製品は過少生産の回復段階においては相対的に拡大した国内市場に向けられ、特に重化学工業製品に対する旺盛な復興需要によつて吸収されたこと、繊維工業関係は原材料輸入も生産も戦前の五、六割の低水準にあり、生産全体に対する比重が少くなつているにもかかわらず、依然貿易においてはその大宗を占めていること、そして国民消費水準も綿製品および副食関係(砂糖、大豆等)のごとく輸入依存する以外の部面における回復によつて比較的高く保たれている等々、いわばわが国産業構造の迂回化および自給度の向上がその主要原因としてあげられるであろう。かくのごとき構造上の変化は戦後の回復過程において促進されたものではなく、それは戦争経済に突入以降、正常貿易の途絶によつてやむをえず進められた封鎖経済への適応の結果というべきものである。しかし戦後の貿易も構成内部における原料輸入、製品輸出の比重の増大にみられるように、縮小した規模において稠密的に営まれてきたのであつて、生産は貿易、特に援助を含む輸入量の増大によつて回復の拠点を与えられてきた傾きがみられる。なお従来の原料輸入のいかんが生産増大の鍵であつたのに対して、国内復興需要が次第に充足されてきた現在は、輸出市場の動向が今後の鉱工業生産の動きを決定する要因としてあらわれつつある点も見逃しえない。

 回復過程における跛行性は、これら諸水準相互間のみならず、その内部構成においても顕著である。生産、貿易の内部構成における変化については後述するので、ここでは物の面に対するカネの面について、インフレを伴つた回復過程がいかなる構成変化をもたらしたか検討してみよう。まず第七図に示すごとく戦後インフレの影響は、国債、社債、予金など国民貨幣的蓄積において最も著しく、国民貯蓄の現在高は戦前の一四%に低落している。また各金融諸量の対戦前倍率をみれば、インフレは各指標間にかなり不均衡な傷痕を残しており、日銀貸出残高のみが物価倍率をも上廻る勢を示していることが注目される。また物価構成について戦前倍率をその高低の順に示せば次のごとく著しい跛行性がみられる。最も高倍率を示しているのは海外に原料を仰ぐ繊維関係であつて、以下割高な重化学工業原料、建築材料、比較的安い食料、生活必需品、および最も低い、電力サービス料金関係等、グループ毎にその格性格が異つているものけだし偶然でなく、戦後の物価政策の反映ともみられよう。

第七図 主要金融諸量に対する戦後インフレの影響得

第八図 主要商品価格の対戦前倍率

(三)所得と資産

 以上検詩してきたようにところは主として日本経済の年々の循環をあらわす諸量についてであつた。しかし企業の経済活動を診断するためには、売上と費用の関係をあらわす損益計画書をみるだけでは不十分であつて、資本の状態をあらわすバランス・シートを検討しなければならないように、国民経済を総合的に考察するには、生産物の流れのみでなく過去から蓄積部分をも含めて総体的に分析する必要がある。すなわち国民所得統計のみでなく国富統計を併せ用いなければならない。資料上の制約のために、いまわが国の国富の状態を全体的に把握することは不可能であるが、国民所得は戦前の規模を若干上回るに至つたものの、国富は戦争の被害と戦後の食いつぶしによつて著しく減少しており、この両者の関係は戦前と戦後とではかなり異つていることは疑いを容れない。また同様に、いわゆる生活水準を検討する場合においては、食糧などのごとき年々月々の消費量だけでなく、各人のもつ財産、例えば家屋や家具などの耐久消費財の提供するサービスまでを、総合的に考慮せねばならない。経常的な家計支出から測つた消費水準は戦前の八六%になつたにしても、住宅、家財の消耗はかなり大きかつた筈であるし、また材料の手持量も戦前よりは少いから、国民の生活水準としての回復は、恐らくこの数字を下回るであろう。本報告においてはこの意味において消費水準と生活水準とを区別して用いている。

 国の資産の物的な食いつぶしは国土の面において最も甚だしい。公共建造物、港湾施設、河川林野の未復旧災害は昭和二六年末現在で約二千数百億円に上つているが、その他形状にはあらわれない国土の荒廃等を考慮すれば、国富の損耗はかなりの額に達するものと認められる。現在の国民所得はかかる国富の食いこみの上に立つ経済循環によつて生み出されているのであることを忘れてはならない。

 先述のような戦後の再建過程を経て、この程度の回復水準に到達した日本経済は、朝鮮動乱後、生産活動の飛躍的増大の一時期に戦後立直りの段階を一応終了したものと思われる。立直りの時期に特有の著しい伸びを示した経済諸指標もようやくその伸び方が鈍化し、むしろ国際市況の変化を起点とする景気の変動が目立つてきた。次章においては、動乱ブームの収まつたあとの昭和二六年度の経済の推移と、最近における景気動向の特色を検討してみよう。

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