第二 各論 一 貿易


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(一)昭和二五年度貿易の概觀

(1)前年との比較

 昭和二五年(暦年)貿易実績は第一表の如く、輸出が八二〇百万ドル、輸入が九七三百万ドルで、差引一五三百万ドルの入超を記録したが、昭和二四年の入超額三九五百万ドルに比べれば收支改善のあとが顕著である。しかも昭和二五年においては、別に特需商品の支払が約五九百万ドルに上つていると推定されるから、これを加えた実質的輸出入は一層均衡することになる。なお昭和二五年度(会計年度)としては、輸出九六四百万ドル、輸入一、二四六百万ドルで二八二百万ドルの入超となり、また特需商品の支払推定額は一二九百万ドルである。

第一表 貿易金額・単価及び数量指数

 昭和二五年の輸出金額は前年より六一%增加したが、この間に輸出単価が低落しているので、輸出数量としては九三%增大したことになる。他方輸入は輸出ほどの伸長を示さなかつたが、それでも金額で八%、数量で一八%上昇した。

 しかしこのような回復にもかかわらず、昭和二五年の貿易数量水準を戦前(昭和九―一一年)に比較すると、未だ輸出が二九%、輸入が三三%にすぎない(昭和二五年度としても輸出三一%、輸入三九%である)。

 なお主要諸国の貿易水準と対比すれば下表の通りで、わが国貿易の回復遅延が目立つている。

第二表 貿易水量水準の国際比較

(2)年末までの推移

 つぎに昭和二五年度中の貿易動向を概観すると、昭和二五年四―六月に一カ月平均六千万ドル程度であつた輸出実績は、朝鮮動乱後における海外需要の增大と物価の高騰によつて漸增し、一〇―一二月では九六百万ドルとなつて四―六月に比し六割增加した。もつとも輸出単価が昭和二五年六月を底として顕著な上昇に転じているので、輸出数量としてはこの間に三三%の增加となつている。

 一方輸入実績は、昭和二四年末における政府契約の增加を反映して二五年前半に增勢をたどり、四―六月には一ヶ月平均八二百万ドルとなつた。しかしその後米国の対日援助費減少に伴つて援助輸入が低下し、また商業勘定輸入も昭和二五年一月から実施した外貨予算制度が発足当初資金的に窮屈だつたことや、国際市況の売手市場への転換等によつて不振を示したため、輸入実績は停滯を示した。すなわち、七―九月平均七〇百万ドル、一〇―一二月平均九一百万ドルとなり、この間に輸入単価が騰貴しているので輸入数量としては四―六月に比しそれぞれ二〇%及び一〇%の減少となつている。かくて輸出入バランスも六―一二月間は僅かながらに出超に転じた。

第六図 貿易数量指数

第七図 貿易単価指数

(3)本年に入つてからの動向

 かかる貿易の動向にも本年に入つて顕著な変化が現れている。昭和二五年下期の出超及び特需支払によつて外貨手持高が增加し、これを活用して輸入貨物外貨予算は七―九月、一〇―一二月と毎期五億ドルに上る公表が行われ、また外貨予算制度運用方式の改善、日銀の外貨貸付制度の実施、スタンプ手形の適用拡大及びポンド・ユーザンスの開設など種々の輸入促進策が講ぜられた結果、輸入実績も年末頃から漸く增勢をみせ、昭和二六年一―三月平均では一七一百万ドルとなつた。この輸入金額は前年四―六月の約二倍に当るが、また数量としても五割近く增加したことになり、戦前の五三%の水準を示した。なお四月の輸入実績は二〇六百万ドルに增加している。

 反面輸出は、前期の原料輸入停滯に基く輸出余力の低下、輸出単価の高騰による海外需要の追随難などを反映して漸く頭打ちとなり、昭和二六年一―三月平均の実績は前年一〇―一二月の九六百万ドルを維持するにとどまつた。これは昭和二五年四―六月の約六割增に当るが、数量では僅か一割余りの增加にすぎず、戦前に対しては未だ三〇%の水準である。四月の輸出実績は一一二百万ドルとなつているが依然低調を脱せず、また輸出申告書認証額も三月の一七九百万ドルから、四、五月にはそれぞれ一二三百万ドル及び一三一百万ドルに減少し、さらに六月には九四百万ドルに急減している。

 かくして昭和二六年一―三月では二二四百万ドルの入超を記録し、一方同期には九億ドルに上る輸入貨物外貨予算が公表されたため、外貨ポジションは漸く逼迫して、四―六月の予算公表額は四〇三百万ドルに圧縮を余儀なくされた。また三月以降ポンド信用状の発行、自動証認󠄁制の受付及びポンドユーザンスの実施を相次いで制度ないし一時停止するの止むなきに至つた。

(二)輸出及び特需の動向

(1)輸出貿易の推移

 昭和二五年の輸出数量は前述の如く、二四年に比して九三%增加しているが、その内容を商品類別にみると、食糧及び化学品が約二・五倍、礦及び金属、窯業製品が二・一倍に急增した反面、輸出総額の半分を占める繊維は七〇%、機械は五五%增で相対的に低率であつた。

第三表 商品類別輸出数量指数

 もつとも繊維の輸出数量についても、生糸が九五千俵へ約倍增したにもかかわらずその他の衣類が低調であつたため、糸類は平均して前年の一七%增にとどまつたが、織物は八三%、衣類など二次製品になると一・四倍に著增している。また織物も、その中心である綿布の輸出は一、一〇三百万平方ヤードで前年の四八%增であるが、その内容を見ると生地綿布が前年とほとんど変らないのに対して、単価の高い加工綿布が倍增したので、実質的な価値としては単純なヤード数以上に增加したわけである。礦及び金属では、石炭が下期の著減で前年より三割減少したが、金属関係は前年の二・五倍となり、鉄鋼一次製品六六万屯、電気銅四四千屯の輸出を記録した。なお昭和二五年中の動きとしては、上期から下期にかけて機械・窯業製品・化学品及び食糧などの增加が目立つているが、輸出総額の七割を占める繊維・礦及金属は伸長率が相対的に低く、さらに昭和二六年一―三月では減少を示して輸出数量の平均水準を低下せしめるに至つた。

 つぎに輸出単価の推移をみると、朝鮮動乱後顕著な反騰に転じたが、それでも昭和二五年平均の単価水準は前年より一五%低くなつており、商品類別にもほぼ同様の低落率を示している。ただ礦及金属は昭和二五年下期の反騰がことに著しいため年平均で五%の下落にとどまり、反面窯業製品は上期までの低落が特に甚しく年平均として三九%の低下となつた。なお昭和二六年一―三月の輸出単価を二五年四―六月に比べると四二%の騰貴になつているが、これは主として礦及金属の六六%、繊維の五〇%高騰に基いている。

 以上の如き数量と単価の動向を反映して、昭和二五年における輸出金額の商品類別構成には前年に比して若干の変化が生じた。すなわち繊維が総額の五五%から五〇%へ減少し、機械及び窯業製品も縮小したのに対し、礦及金属はじめその他の商品の割合は拡大している。

第四表 輸出金額の商品類別構成

 また、輸出金額の地域別構成は、つぎの如く昭和二四年から二五年にかけて東南アジア向の割合が減少し、反面対米輸出の比率が增加した(もつとも昭和二六年一―三月には再び二四年の構成へ戻つている)。通貨地域別には、協定貿易の拡大に伴うオープン・アカウント地域向の割合が激增し、他面ドル及びスターリング地域向の構成比が縮小しており、ことにスターリング地域向は絶対額においてほとんど変わつていない。

第五表 輸出金額の地域別構成

 ここで昭和二五年の輸出数量を戦前に比較すると、総合して二九%であるが、これは輸出の五割を占める繊維が戦前の二九%へ低下したことに影響されるところが大きい。繊維の内容としては、生糸が戦前の一八%、綿布が三八%に低下しており、綿布の減少は後述の如く綿花輸入量が戦前の四一%になつたことと対応するものである。また機械の輸出は三四%になり、さらに化学品・食糧及びその他諸雑品は一層の減退を示した。これに対し礦及金属は比較的回復率が高く、ことに金属は戦前の七六%に逹し、窯業製品も五九%まで回復した。從つて輸出金額構成としても、戦前に比して礦及び金属、窯業製品の割合が增加している。

(2)特需の発注

 朝鮮動乱後新たに発生した特需契約は、昭和二六年六月一七日までに累計三一五百万ドル(商品二二二百万ドル、サーヴィス九三百万ドル)を記録した。その推移をみると、動乱発生直後七―九月には一ケ月平均三八百万ドルに上つたが、その後は戦況の変化・供給力の制約・及び価格高騰による発注手控などで漸減し、一〇―一二月平均二六百万ドル、本年一―三月平均二二百万ドルとなつた。もつとも四―六月中旬までの一カ月平均では幾分回復して二四百万ドルになつている。六月一七日現在の特需発注累計額の内訳は、商品が総額の七〇%を占めるが、このうち繊維・機械及び金属で約四分の三の割合を示した点は輸出の構成と近似している。またサーヴィス関係の内容は、資材施設の改善・加工が総額の三九%を占めて最も大きく、運輸・建設・荷役倉庫などの順である。

 つぎに上の特需契約に対する支払状況は、昭和二六年四月末現在で累計一八六百万ドルとなり、この間の契約額に対する進捗率は六九%に逹した。なおこのほか総司令経済科学局情報によれば、特別調逹庁を通じて発注せられ事後に特需分としてドルの支払のあつた金額が、昭和二五年度中に約二三百万ドルを記録している。

第六表 特需契約高の推移

第七表 特需契約高の構成

(三)輸入の動向

 昭和二五年の輸入数量は総合して前年より一八%增加したが、繊維原料は七三%增大して前述の繊維輸出七〇%增を原料面から裏付けている反面、食糧をはじめ金属・化学品が幾分減少している。

第八表 商品類別輸入数量指数

 繊維原料の輸入著增は、棉花が前年の八五%增に当る一六三万俵、羊毛が六三%增の二六・六万俵となつたことによる。またその他諸雑品でも皮及びコプラなどが急增した。一方食糧は、砂糖が七割近く增加したものの、米・大麦及び小麦が前年の二四八万屯から二五四万屯へ微增したにとどまり、大豆も前年水準を持ち越したにすぎず、さらに塩は四割強に急減した。礦及金属でも、燐礦石が三倍に增加したが、鉄鉱石は七%減少し、石炭は前年の四割強である。また化学品ないし原料では、生ゴムが四五%增加したが、硝安・パルプ・礦油などは前年と大差ない水準を示している。しかして昭和二五年中の推移としては、皮及びコプラの諸雑品並びに機械がかなり增勢をたどつたが、繊維・礦及び金属・化学品関係は余り伸びず、食糧は季節性もあつて下期に急減した。しかし本年一―三月には前期下期の輸入促進先が漸く效を奏し、また季節的買付時期に当る関係もあつて、繊維の著增、食糧の回復はじめ全般的に伸長した結果、総合水準も戦前の五三%となり、昭和二五年の平均六割上廻るに至つた。もつともその反面において、本年一―三月には二億ドル以上の入超が記録されている点を考慮する必要がある。

 なお主要物資の昭和二五年度における買付数量(推定)を買付計画に対比すると、強粘結炭・燐鉱石・米・小麦などを除き一般的に順調な達成率を記録しており、ことに從来到着実績の低かつた塩・鉄鉱石などの買付も顕著に進捗した。

第九表 昭和二五年度主要物資輸入状況

 つぎに輸入単価の動きをみると、昭和二五年平均水準は前年より九%低落しているが、これは主に礦及び金属が鉄鉱石及び粘結炭などの輸入先を近隣地域へ切換えたことによる運賃負担の軽減を反映して平均三二%に下落したためで、その他商品の単価水準はあまり変つていない。ところで朝鮮動乱後は当初若干おくれながらも輸出単価と同様顕著な反騰に転じ、本年一―三月には前年四―六月に比して四一%騰貴した。ことに化学製品ないし原料は生ゴム・パルプなどの著騰でこの間平均九割上昇し、また繊維原料も七割高となつたが、食糧・機械類は一割強の値上りにとどまつている。また礦及び金属は遠隔地への輸入先再転換と運賃の高騰で本年二月から漸く急激な騰勢をみせてきた。

 以上の如き数量と単価の推移を反映して輸入金額の商品類別構成は著しい変化を生じ、戦後輸入の過半を占めて来た食糧が昭和二五年には三七%、二六年一―三月では二六%とほぼ戦前比率へ戻り、一方繊維は三七%に增加して食糧と肩を並べ、さらに本年一―三月では若干季節性もあつて四九%を占めた。

第一〇表 輸入金額の商品類別構成

 また地域別構成では、アジア諸国からの輸入割合が增加した他方において対米依存度が減少しており、これを通貨地域別にわけると、輸出同様オープン・アカウント地域からの輸入比率が著增し、スターリング地域の割合も拡大した反面、ドル地域に対する依存度が著減した。

第一一表 輸入金額の地域別構成

 ここで商業勘定輸入の基調をなした外貨予算の実施状況をみるに、昭和二五年一―三月には二四年末の既契約增加による制約、スターリング地域向輸出不振などのため予算公表額は僅か七二百万ドルに抑制され、四―六月には輸出好転に伴つて予算も拡大されたが、それでも公表額は一六一百万ドルにすぎず、これらは援助輸入の減少と相まつて下期輸入停滯の原因となつた。しかし七―九月以降は輸入の緊急性を考慮し、手持外貨の增加に呼応して大巾な予算拡張が実施され、ことに本年一―三月の公表額は九億ドルに上つて前述の如き輸入回復の下地をつくつている。かくて予算拡大の結果外貨ポジションが漸く逼迫し、また物資によつては買付時期を過ぎたものもあつて四―六月の公表額は四〇三百万ドルに縮小された。

第一二表 外貨予算(輸入物資)の実施状況

 なお昭和二五年の輸入数量水準を戦前に比較すると総合して三三%であるが、食糧だけでは四二%の水準を示した。このうちでも穀類は戦前の五一%であり、しかも単価の高い米から安い麥類への輸入対象が移行したため、米麥合算重量では戦前の二三六万屯を八%上廻る二五四万屯を記録したが、大豆は二六%、砂糖は三九%、採油用種子は一八%へ低下している。また塩は昭和二四年で戦前を二割ほど超過したが、二五年ではストックにゆとりが出たため輸入数量は戦前の半分に減少した。食糧と並んで輸入総額の三分の一以上を占める繊維原料は三八%(棉花四一%、羊毛二三%など)の水準である。その他重要品目をみると、燐鉱石が戦前の三割上廻り、生ゴム・硫安(含硝安)なども七―八割に回復したが、皮が六割、礦油五割、鉄鉱石四割、石炭及びパルプが一五%前後、屑鉄に至つては僅か三%となつている。しかしこれらの重要原料の回復はまだ良好な方で、一次及び二次製品になると機械はじめその低下が著しい。

(四)交易條件

 昭和二四年で戦前より九%有利になつていた交易条件も、二五年には輸出単価が全般的に一五%程度下落したのに対し輸入単価が鉄鉱石・粘結炭の著落以外あまり変化しなかつたため、戦前とはほぼ同一條件へ戻つた。しかし昭和二五年中の推移としては戦前に比べて條件の惡化していた礦及び金属が下期における輸出単価の著騰で戦前の状態へ復し、反面戦前より有利になつていた化学品が下期における生ゴム及びパルプなどの輸入単価急騰でやはり戦前の條件へ還つているが、その他商品類別では輸出入単価の動きがほぼ呼応したため、年初において対戦前一〇〇%であつた総合貿易條件はほぼ年間を通じて維持され、本年一―三月にも持ち越された。

第一三表 商品類別輸出入単価の比較

(五)国際收支

(1)輸出入バランス

 昭和二五年の貿易額は前述の如く、二四年に比し輸出が六一%增加したのに対して輸入が八%增にとどまつたため、入超額は三九五百万ドルから一五三百万ドルに著減し、輸入に対する輸出の比率も五六%から八四%へ增加して輸出入バランスの改善が目立つている。

第一四表 貿易收支状況

 かかる貿易收支状況の均衡化はことに昭和二五年下期において著しく、七―一二月には輸出が輸入を二%上廻つたが、本年一―三月には再び顕著な入超に転じ、輸入に対する輸出の割合も二四年と同率の五六%へ戻つた。ただこの間援助輸入額は一貫して減少し、特に輸入総額に占める援助輸入の比率は昭和二四年の五九%から、二五年一―六月四四%、七―一二月三一%、本年一―三月になると僅か六%に著減しており、これは米国の対日援助費削減を反映したものである。また援助輸入に対する依存度が減少したのは、ドル地域以外の地域との貿易規模拡大に伴つて対ドル地域の輸入依存度が減少し、その輸出入バランスが改善されたことに基いている。なお終戦以来本年三月までの援助輸入総額は一九億八千四百万ドルで、これはこの間における輸入総額の五一%に当る。

第一五表 通貨地域別貿易收支

 なお輸出のほかにこれは準ずべき特需商品の決済が、前述の如く昭和二五年七―一二月で約五九百万ドル(注一)、本年三月までの合計で一二九百万ドル程度(注二)と推定されるから、これを加算した実質的な貿易收支は昭和二五年で約九四百万ドル(今年度では一五三百万ドル程度)の入超となる。

(注一)昭和二五年の特需支払題(商品及びサービス)九一百万ドルに、二五年一〇月末現在の特需納入計画累計額に占める特需商品納入計画累計額の比率六五%を乘じて推定した。なお上の納入計画額は総司令部経済科学局情報による。

(注二)二五年度の特需支払額(商品及びサービス)一八七百万ドルに、二六年一月末現在の前掲納入計画額の比率六九%を乘じて算出した。

(2)国際收支と外貨事情

 昭和二五年度の援助輸入額を含めた貿易收支は二八二百万ドルの支出超過であるが、一方貿易外收支(特需を含む)は二六四百万ドルの受取超過となるので、二五年度の国際收支としては次表の通り一八百万ドルの赤字を残すにすぎない。

第一六表 昭和二五年度の国際收支

 ここで外貨(ドル及びポンド)保有状況をうかがうに、昭和二四年一二月末現在で総司令部勘定を含めて二三〇百万ドルであつたが、前述の如き輸出の伸長と輸入の停滯により六月末には三二六百万ドルに增加し、さらに下期には特需の收入も加わつて一二月末では五一九百万ドルに逹した。かかる外貨事情の好転に呼応して昭和二五年七―九月以降外貨の予算の大巾拡張を実施し輸入促進に努めた結果、輸入実績は一二月頃から漸く增勢をたどり、反面輸出がこれに応じて伸びなかつたため、外貨保有高も漸減して本年三月末には四四七百万ドルになつた。しかも輸入承認額の残高(オープン・アカウント分を含まない推定額)は三月末で六六四百万ドルに增加し、信用状開設済の残高も四九四百万ドルに上つたので、新規信用状の開設は窮屈となり、四―六月の外貨予算は圧縮されることになつた。ことにポンド資金については三月上旬に至りかなり減少し、支払資金の円滑を欠くおそれを生じたので、三月上旬以降ポンド信用状の発行を制限し、またポンド・クレジットライン(当時五七百万ポンド)に余裕がなくなつたため、四月下旬以降ポンド・ユーザンスの一時停止を実施した。一方ポンド資金の不足に対処して、三、四月には合計一千万ポンドのドルとのスワップ(ドルの現売・先買)をはかり、また三月以来の受取增加もあつてポンド資金は二月末の一六百万ポンド弱から四月末三〇百万ポンド強、五月末四七百万ポンド弱に好転し、すでにポンド信用状の発行制限も緩和されている。

 ともかく昭和二五年度の国際收支は、戦後毎年四億ドル前後の入超を累積して来たのに比べ著しい改善をみせたが、貿易水準の回復は未だ低位にあり、また対外信用も不十分なため、貿易の動向には不安定性を免がれなかつた。

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