一、經濟安定計画一カ年の概觀 (四)


[目次]  [戻る]  [次へ]

(四)昭和二四年度の意義

 以後明瞭さまざまな要因を含んで推移した昭和二四年度経済を通観するに、速やかなインフレの收束と共に年間の生産の伸びは多少頭うちの傾向を呈したとはいえ、なお対前年比二五%の增加をみせ、輸出においては五六%の增大を示し、中小企業、農業等、日本経済において最も弱いとみられる部門も、雇用、労働等社会面においても、一應致命的な打撃を蒙ることなく経過するを得た。元來激しいインフレーションを收束するときには、経済各分野に亘つてその衝撃が波及することは当然であつて、昭和二四年の当初においてはこの意味からあまり急速なインフレの停止を危惧する声が存在したのであるが、この程度の経済的、社会的影響をもつて、久しきに亘つてインフレーションを収束し、かつ自由経済への移行をはじめ経済の正常化にかなりの成果を收めたことは安定計画の成功ということができるであろう。

 その成功の基礎が戰後経済の回復に注がれた過去三年の努力の上に築かれたことはいうまでもないが、なお安定計画を大過なく進行せしめた裏面に、完全失業者の顕在化が少なく、その反面潛在的失業が增加傾向を示している事実にみられるように、インフレの收束と自由経済への移行に伴う諸影響がわが国の経済および社会制度の特殊性のうちに包みこまれていることも忘れてはならない。

 またディスインフレを支えた柱としては、前述した財政の面からのデフレ要因の金融によるカバー、特に滞貨金融による生産低落の防止を挙げなければならない。この支柱の働きもその限界に近づきつつあることは前述の如くであるが、もし昨年度において金融が積極的でなかつたならば経済、社会面における影響はより深刻であつたであろう。いずれにせよ、昭和二四年はインフレの收束と経済の正常化の年であり、経済諸体制の整備の年であつた。それは敗戰と戰後インフレによつて混乱の淵に投げ込まれたわが国経済がどうしても一度は辿らねばならない過程でもあつた。われわれはかかる昭和二四年度の意義を謙虚に反省しつつ、更めて安定計画の究極の目標たる経済自立の展望に思をいたさねばならない。そしてこの見地からすれば、この計画によつて経済諸体制の正常化にある程度の成果を收め得た現在、われわれ日本国民は進んで経済の水準と構造の問題に目を注ぐべき段階に立つているのである。

[目次]  [戻る]  [次へ]