一、經濟安定計画一カ年の概觀 (一)


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(一)安定計畫の進展

 昭和二四年度を通じて最も特徴的な動きは、次に見る如きインフレーションの收束と自由経済への移行であり、またこれらによつて促進された企業合理化及び国際収支改善等経済正常化への足取りである。

(1)インフレーションの收束

(イ)均衡財政と金融の動向

 インフレーション收束の挺子となる役割を担つた昭和二四年度予算は總合的收支均衡化の原則によって編成された。即ち、一般特別両会計、公団、復金等の政府関係機関及び地方財政を通じて嚴格な收支の均衡がはかられた上に、インフレの大きな窓口であつた復金の新規貸出の停止と、回收の強化が行われることになつた。またさらに、長期債務はもちろん日銀からの短期借入金の增加にも嚴重な制限が附されたばかりでなく、国際、復金債、借入金を合わせて一、三〇〇億円に上る償還が計上された。

 かくて一般会計歳出総額は、主として債務償還費の增大と輸入補給金の設定のため、各費目ついては極力節約に努めたにも拘わらず、当初予算で七、○四六億円、補正予算(一二月一日成立)を含めると七、四一〇億円(二三年度最終予算四、七三一億円)に膨張したが、然しこれは経済安定のための過渡的な動きであつて、二五年度予算(六、六一四億円)にみられる如く、今後の財政規模は漸次縮小に向う傾向にある。

 このような均衡予算が現実にインフレ收束に如何なる役割を果したかは、財政の対民間收支に集中的に表現される。財政の対民間收支(日銀を除く)は二三年度七二四億円の撒布超過であつたのに対し、二四年度予算では主として政府の対日銀債務償還のために約八五〇億円の引揚超過となる見込であつた。しかるに二五年三月末現在における財政資金の対民間收支をみると、次表の如く六五二億円の引揚超過となつている。

第一表 財政資金対民間收支状況(単位 百万円)

 財政資金の対民間引揚超過が当初見込超過より少なかつたのは、主として貿易特別会計(二五〇億円)外国為替特別会計(五四億円)アルコール専売事業特別会計(九億円)において日銀からの一時借入金が新たに行われたからである。六五二億円の引揚超過の主な原因は、見返資金余裕金一五三億円と日銀手持復金債の現金償還四七〇億円(交付公債一四一億円を除く)とであつた。見返資金の積立運用状況は次表の如くであるが、第三・四半期までは積立資金の多くの部分が日銀保有復金債の償還と日銀からの食糧証券購入に向けられていた。

第二表 見返資金運用状況 (単位百万円)

 なお預金部及び閉鎖機関整理委員会の余裕資金のうち、日銀手持糧券の買入れに向けられたものだけで年度間六一億円に上り、これも上記財政資金に加えて通貨の收縮要因となつている。

 財政資金の引揚超過が予算より少くなつた他の一因として徴税成績の低下があげられる。インフレ收束に伴う金詰りと徴税額增大のために、昭和二五年三月末現在の徴税成績は、予算の九五・四%に止まり、前年同期の一〇一・五%に比べて約六%低下している。その主な原因は申告所得税の徴税率の低さ(七四・七%)にあるのであるが、他面において次表の如く、徴税の時間的平均化の点では、前年度に比べてからなりの改善の跡を示している。

第三表 税收入予算に対する四半期別徴税率

 上述の如き財政資金の引揚超過によるデフレ的影響を、金融部面における信用供与によつて中和して、デイス・インフレを維持することが、昭和二四年度の金融政策を貫く基調となつた。年度初めにおいて経済政策の転換に基く先行見透し難により、市中金融機関は極度の融資引締を行い金詰りが甚だしくなつたので、政府並び日銀は融資幹旋の積極化、日銀賃出の積極化(貿易手形再割引の実施、高率適用の緩和、興銀債及び優良社債担保貸付利率の引下げ、スタンプ手帳制度の拡張、漁業手形の創設、中小企業別枠融資限度の拡張)復金債及び国債買入オペレーション、融資規制の緩和、市中金利の引下(日歩一厘)、興銀增資等の金融緩和策を講じた。このためポンド切下げに伴う円貨切下げの思惑輸出增進の期待もあつて、市中金融機関の融資態度は漸次積極的となり、相当量の滯貨融資も行われた。また貨幣価値の安定とヤミ流通圏の縮小による投機資金や退藏資金の証券市場への流入は、市中手持復金債償還金の乘換えや諸種の起債市場育成策とともに、增資や社債の発行を活溌にする要因となつた。

 然しながら秋口に入つて、円レート切下期待の消滅と國内購買力停滯に基づく商況の低迷は、金融緩和策の効果一巡と相俟って、市中金融機関を再び融資嚴選化に転ぜしめ、一方大口增資の盛行と証券処理調整協議会による解放証券の放出のため、株価は低落し增資は不振に陥つた。かくて年末決済期に入り、再び政府及び日銀は国債の無條件買入オペレーションの実施、預金部余裕金の市中預託などを行つて金融逼迫を打開した。

 さらに第四・四半期における徴税強行により金詰りに対処するためには、高率適用の一層の緩和(適用利率の引下げと商業手形再割引の適用免除)、市中金利引下(賃出金額五百万円以上二厘、未満一厘)、国債の無條件買入オペレーションの継続、政府指定預金と復金余裕金の市中預託、見返資金私企業投資の促進と中小企業別枠融資の限度拡張など、金融緩和のための積極策が講じられた。

 かかる金融政策によつて、政府及び日銀の市中金融機関に対する信用供与は、年度間九二一億円以上に上り、財政資金の引揚超過をカバーしたのである。

第四表 金融機関に対する信用供与 (単位 百万円)

 このような信用供与と市中手持復金債償還(年度中四八〇億円)を基礎として、昭和二四年度の産業資金供給は次表の如く前年度に較べて著しく增加した。

第五表 産業資金供給実績 (単位 百万円)

 まず、金融機関貸出(復金は除く)は六月以降急速に伸びて年度中四、一八七億円の巨額に上り、昭和二三年度に比べて約六〇%增加した。これ等の賃出增加には、生産と輸入の增大、公団廃止及び物価の上昇に伴う增加運転資金、設備の補修、合理化及び拡張のための資金のほか、相当量の滯貨金融の性質をもつものもあつたことは前述の通りである。またこれらの融資については産業合理化の進展に伴い、業種別、企業規模別に不均衡を生じていることも否定し得ない。復興金融金庫は、昭和二四年四月以降は、従前の保証融資の履行以外新規貸出を行わず回収に努めた結果、年度間一一九億円余の回收超過となつた。復金融資の停止は特に設備資金と中小企業金融に大きな影響を及ぼしたのである。

 一方見返資金の私企業投資は、一一月まで累計四億円にみたなかつたが、一二月に入つて電力と海運を中心に、石炭、鉄鋼、化学等に計五〇億が融資され、第四四半期特に三月の大量放出によつて年度末までには産業投資の総計は二四六億円(四月に二四年度分として許可されたものを加えると二四九億円)に上つた。

 增資及び社債発行は先に述べた様な要因によつて概して好成績を收め、前述の如く停止された復金融資に代つて、設備資金供給の有力なルートとなつた。然し元來資本蓄積力の貧弱なところに增資が盛に行われたことは、解放証券の放出と重り合つて株式市場を圧迫し、秋口から年度末にかけて株価崩落を齎らし、以後增資は停滯的となつた。即ち、東京証券取引所調の昭和二一年八月を基準とする株価総指数は昭和二四年五月の七〇〇から二五年四月の二六六にまで暴落している。

 かくて企業の社内留保を除く産業資金供給実績は、前表に見る如く総計五、三六八億円に上り、前年度に対して約四〇%(物価高騰を考慮しても一五%)の增加を示したのである。

 次に預金についてみると、年度当初二、五〇〇億円(通貨安定対策本部の貯蓄目標)程度とみられていた昭和二四年度の一般預貯金增加高は、次表の如く目標を五五%上廻る三、八七二億円に逹した。

第六表 金融機関一般預金增減(△) (単位 百万円)

 預金增加の内容をみると要求拂預貯金(当座、普通、通知)は昭和二三年度より增加傾向が鈍化してをり、定期性預貯金がそれ以上の增加率を示したことが特徴的である。即ち全国銀行預金において、預金残高中に占める定期性預金の比率は昭和二四年三月末の一八%が二五年三月末には二六%に增加しており、市街地信用組合、無盡会社、郵便局、農業協同組合等大衆的金融機関の定期性預貯金は、概ね前年度の增加率を超えているのである。要求拂預貯金增加の大部分は前述の如き、賃出、增資、社債発行の增大に伴つて、それらの一部が預金化されたからであるが、これに対して定期性預貯金の增加は確かに通貨価値の安定に基く貯蓄性向の向上によるものであろう。しかし定期性預貯金の中には、インフレ期間中の退藏資金、ヤミ流通資金の無記名預金へ転換したもの、あるいは商業不振により運転資金の遊休化したものなど、この年度中の所得からの貯蓄とみられない部分、及び銀行、信用組合、農業協同組合の定期預貯金にみられる如く、要求拂預貯金の場合と同じく賃出と両建になつている部分が相当に多いことを見逃してはならない。

 以上述べた如く、財政資金の引揚超過と一般預金の增加は日銀の追加信用と産業資金供給增加によつて相殺され、ほぼデイス・インフレの線が維持されて通貨量の安定となつて現れている。即ち次表の如く、日銀券発行高は年度間を通じてほとんど增加を示さず、預金通貨を含めて通貨流動量をみても、昭和二三年度中に四〇%增加したのに対して、二四年度中には僅かに五・六%の增加に止まつているのである。生産と輸入の增大を考えればこの程度の通貨量の増加はこれをインフレ的傾向の潜在と見るに及ばないであろう。

第七表 通貨流通量の推移 (単位 百万円)

 然し乍ら、上述のようにデイス・インフレ政策がほぼ逹成された裏にはかかる政策の限界を示す事態もあらわれている。

 昭和二四年度中の復金債償還、国債復金債買上操作、日銀賃出の增大などの金融緩和策は、銀行保有の有価証券の減少と、日銀賃出への依存度の增加を結果し、銀行資産に占める賃出比率の增加をもたらした。即ち全国銀行資産総計に対する賃出残高の比率は昭和二四年三月末の五二%から二五年三月末の六七%へと增加し、また預金残高に対する賃出残高の比率も七三%から八五%へ增大している。

 この賃出比率の增加は資産の流動性を減少させるものであり、しかもこの賃出の中には相当の滯貨融資があると認められ、且つ貸付回収高に対して手形証明書を書換えて貸付を続ける金額の比率が漸增していることにみられるが如く、回收状況も必ずしもよくない。

 以上のべた如く金融政策によつて財政のデフレ的影響を緩和することは転換期を乗り切るためにやむを得ず行つたものであるとはいえ、昭和二五年度予算においても前年度と殆ど同額の一、二八五億円の債務償還が計上されており、それは、前年度の償還政策によつて上の如き事態を生じている上に実施されるのであるから、債務償還に伴う金融操作の限界は前年以上に狭められているとみるべきだろう。

(ロ)物価と賃金の安定

 通貨の安定と相俟つて、物価の動向にも次表の如く顕著な安定傾向がみられる。

第八表 最近における物価の推移

 また年間の変動率をこれに先立つ二ヶ年のそれと対照すると下表の通りである。

第九表 過去三ケ年の物価騰貴率 (△下落率)

 まず公定物価とヤミ物価とを総合した実効物価についてみると、昭和二四年度一ケ年間において生産財は一八%騰貴し、消費財は一〇%下落しており、両者を総合した物価水準全体としては、あまり変化がなかつたといえる。従つて昭和二二年以來漸次鈍つて來た物価騰貴が、二四年度に入つて少なくとも総合的には終止符を打たれたわけである。

 かかる実効物価の安定は、公定物価の若干の騰貴がヤミ及び自由物価の顕著な下落によつて相殺された結果もたらされたものである。公定物価の騰貴の原因は、主として單一為替レートの設定及び補給金の減廃に伴う調整に基くもので、これも経済の正常化を促進する上に止むを得ざるものであつたと云えるが、ただ補給金減廃による影響の強い生産財は実効物価としてもある程度の騰勢を残すことになつた。

 一方ヤミ物価の動きをみると、生産財は昭和二四年二月をピークとして、消費財は同四月をピークとして一路下落に転じ、ともに一ケ年間に三割強の下落率を記録しており、少くとも昭和二五年五月まではこの下落趨勢を持続している。この一ケ年間の足取りをうかがうと、年度当初における投資活動の停滯の影響を受けてまず生産財の下落に始まり、これが次第に消費財へ波及し、殊に昭和二五年に入つてからは食糧及び繊維を中心に消費財ヤミ物価の急速な下落がみられた。また最近商品の品質がかなり向上している点を考慮に入れると、実質的物価下落はさらに顕著であるといえよう。

 次に賃金の動きも下表に見る如く 従來にくらべて著しく安定しており、インフレーション期の一つの中心的課題であつた物価と賃金の悪循環も一應解消するに至つた。

第一〇表 名目賃金の動向

 工業平均賃金は終戰以來昭和二三年後半までの間は殆んど一貫して毎月一割弱のテンポで上昇を続けて來たが、昭和二四年度においては下表の如く約一ケ年間で一四%の增加に止まつている。

第一一表 名目賃金の增加率

第一図 日本銀行券発行高

第二図 消費財実効物価

(2)自由経済への移行

 次にインフレーションの收束と並んで、安定計画の重要なねらいの一つである自由経済への移行がどの様に進んだかを、その前提となるか価格系列の正常化と直接の指標となる統制整理状況の面からうかがつてみよう。

 單一為替レートの設定は輸出入商品について国内価格と国際価格とのさやよせを促進した。昭和二三年末当時においては個々の輸出入品の円ドル比率は一ドル当り一〇〇円以下のものから六〇〇円以降のものに至るまで極めて広範圍に分散していたが、二月一五日からは四五〇円以上のプライス・レーショは許可されぬこととなり、ついで四月一日からはこの最高が四二五円に抑えられ、四月二五日には遂に一ドル三六〇円の單一レートが実施され、輸出入価格が国際価格と正常な連携をとりもどすこととなつた。

 一方補給金について見ると二四年度当初予算の補給金総額は輸入給金八三三億円を含めて二、〇二二億円で、一般会計歳出総額のなお二九%を占めていた。然るにその後、石炭、銅の価格統制撤廃、生産又は輸入数量の減少、輸入品ドル価格の値下り等、各種事情の変化があり、一面減税のため財政面からの要請もあつて、補正予算においては二三〇億円の節約が行われた。さらに昭和二五年度予算においては補給金額は九〇〇億円と前年度の約二分の一に縮減され、一般会計に占める比率も一四%弱に減少している。物資別に見た補給金節減の推移は次表の如くである。

第一二表 補給金節減の推移 (単位 億円)

 このような補給金の削減は当然安定帶物資にあつては生産者価格と消費者価格のさやよせ、輸入物資にあつては輸入価格と拂下価格とのさやよせを結果するわけであり、例えば主要安定帶物資について両価格の推移を見れば次の如くなつている。

第一三表 補給金減廃による公価の推移

 自由経済への移行に関して最も直接的な指標として挙げねばならないのは統制の緩和である。物資統制及び価格統制縮小の経過を、一表に纏めれば次の通りである。

第一四表 統制項目及び公団数の推移

 統制縮小の因となり果となつて進行したものはヤミ値と公価のさやよせである。即ち公価が種々の要因から未だ上昇傾向を残しているのに対して、ヤミ値は先の述べた如く急速な下落を続けているので、両者の開きは次第に縮小して価格統制の意義を少くすると同時に、その結果行われた価格統制の縮小によつて、統制を外された物資についてはヤミ値と公価の開きが完全に消滅したため、ヤミ物価と公定物価の全体的な水準は一層接近することになつた。

第一五表 ヤミ及び自由物価の公価に対する倍率の動き

 インフレの收束とこのようなヤミ経済圏の縮小によつて国民の所得構成も健全化の方向に向つている。即ち後述のするように国民所得中に占める個人事業主所得の比率は昭和二三年の五八%から二四年には四九%に縮小し、これに伴つて勤労所得の比率が增加して、戰前の構成に戻ろうとする傾向を見せている。

 自由経済復位の一環として輸送統制、建築統制等の解除乃至緩和も行われたが、さらに昭和二四年末から二五年にかけて貿易管理方式にも大幅な転換が見られた。即ち「外国為替及び外国貿易管理法」によつて、輸出に関しては昨年一二月一日から若干の例外を除いて自由取引が原則となつた。また輸入に関する新方式は本年一月一日から実施され、ガリオナ及びイロア資金によるもの以外の輸入は外国為替予算の枠内において民間輸入に委ねられることとなつたのであつて、輸出の面に比すればなおかなりの制限を伴うとはいえ自由輸入へ一歩の前進を遂げたとものといえよう。

(3)企業合理化の進捗

 インフレーションの收束其他による物資需給の緩和、自由経済基盤の拡大、及び海外市況の変化等に伴つて企業間の競爭は次第に激しくなり、ここに各企業は品質の向上とコストの切下乃至コスト上昇要因の吸收を図るべく生産及び経営の合理化に向つて眞劍な努力を傾注しつつある。

 経営合理化、コスト切下げの手段としてまず選ばれたのは過剩雇用の整理であつた。昭和二四年、七、八月を山としてかなり大規模な人員整理が行われ、特に政府需要削減によつて大きな打撃をうけた鉄道車輛工業では総人員の約三割、有線機器工業では約二割五分の整理が行われた。

 企業合理化のもう一つの有力な挺子は操業度の維持向上である。原価中の固定費部分を出來る限り切詰めてコストの切下げを可能にするために、或は企業内部において非能率工場を休止して能率工場に生産を集中し、或は同一業種内の激しい自由競爭に生きのこるための強行生産を行う等の方法によつて、操業度の向上がはかられた。これが有効需要の停滯にもかかわらず生産水準がかなり上昇した大きな要因であることは後述する如くである。

 操業度の上昇と過剩雇用の整理は当然從業員一人当りの生産量即ち労働生産性を向上せしめた。

第一六表 産業別労働生産性の推移(労働者一人一ヶ月当生産量 昭和二二年=一〇〇)

 これによつてみれば、昭和二四年における労働生産性の向上は一般的にかなり顕著で、特に窯業、金属は二三年に比し六割以上、化学、紡織、食料品工業は約四割の向上となつている。具体的な例を挙げれば、石炭鉱業において、鉱夫一人一月当出炭量は二三年平均の六・一トンから二四年平均では七・四トンに增加している。

 次に品質の向上について見ると、原料の嚴選や檢査工程の整備によつて次表の如くかなり見るべき成果が挙げられている。しかしながら米国・印度等の石炭は平均七、〇〇〇カロリー以上に逹している例に見られる如く、一般にわが国商品の品質は未だ低位にあることを忘れてはならない。

第十七表 品質向上の事例

 原材料の品質向上は、前述の操業度の上昇、更には操業上の諸管理の改善等と相俟つて、次表に見る如く製品單位当りの原材料使用量の減少即ち原單位効率の改善を可能ならしめた。

第一八表 原単位改善の事例

 かくして労働生産性の向上による労務費部分の節減、原單位改善による原材料費の切下げはその他の諸経費の節約と相まつて、総体としてコストの切下げをかなり進捗せしめたものと推定される。例えば昭和二三年一〇―一二月間の出炭原価は平均二八六四円であつたのに対して二四年同期では平均二、七二七円に約五%の低下をして示している。ここで留意せねばならないのはこの間において、補給金の減廃その他により原材料の消費者価格がかなり上昇し、電力料金、運賃等も引上げられていることであつて、この点を考慮すればコスト自体が目立つた低下を見せていない企業においても、コスト上昇要因の企業合理化による吸收はかなり行われて來たと見てよいであろう。

 結局現在までのところ、企業の合理化は主として昨年末から秋にかけて行われた人員の整理とその後も継続している操業度の引上とによつて支えられているのであるが、前者は労働面、社会面に問題を残してきており、後者は購買力の停滯によつて制約されつつあつて、これらの方式による企業合理化には今後多きを期待し得ない。労働生産性は向上しているとはいうものの、尚戰前に比しても外国に比してもかなり低位にあり、將來益々激化を予想される国際競爭に耐えて行くためには設備技術の近代化による労働生産性の向上に俟つ外はないのであるが、現在までのところではこの様な本格的な合理化は未だその例に乏しい。比較的大きいものとしては綿紡におけるスーパーハイドラフト、人絹工業におけるコーン巻、炭鉱用のコールカツター及び積込機、鉄鋼業における酸素製鋼法等の採用挙げられる位で、その他の多くは簡單な工夫に基く原材料使用上の合理化程度のものにすぎない。これも資本蓄積力の貧弱さからくる資金面の制約によるものではあるが、現在の技術水準の低位に鑑みるとき、今後の企業合理化の重点をあくまでこの面に指向すべく合理化資金の活溌な投入が望まれるのである。

(4)国際收支の改善

 また、インフレーションの收束は、国内購買力を抑制することにより、輸出圧力を醸出するとともに輸入の節約をもたらして、国際收支の改善にも寄与している。

 昭和二四年における輸出の推移は、後述が如く海外市場の変動などによつて必ずしも順調であつたとは云えないが、それでも年間輸出実績(ドル建)を二三年のそれに較べれば約倍增しており、この間における鉱工業生産の增加(三三%)をかなり上廻つている。從つて、生産增加の割合に海外需要の伴わなかつた生糸、綿糸及び人絹糸を除いて、生産量に対する輸出量の比率は全般的に增大し、殊に海外需要の比較的旺盛な綿織物、鋼材およびセメントなどは次表の如くこの比率が顕著に增加している。

第一九表 生産量に対する輸出量の比率

 他方、昭和二四年の輸入実績(ドル建)は二三年に較べて三三%增加しているが、国内購買力の頭打ちなどの影響を受けて、輸出の增加率と較べてかなり緩漫である。

 かかる輸出入の動向を反映して昭和二四年の貿易收支は次表の如くかなり改善され、貿易額の增加にもかかわらず、入超額の三九七百万ドルは前年の四二五百万ドルに較べて六%減少しており、また輸出額に対する輸出額の比率としても前年の三八%から二四年では二四年では五六%へ增加している。さらに昭和二四年下期から二五年にかけて、傾向は一層顕著である。

第二〇表 貿易收支状況 (単位百万ドル)

 貿易の入超尻は米国の対日援助費によつて賄われているのであるが、輸入総額に占める援助費輸入の割合は、昭和二三年における六八%から二四年には五九%へ縮小している。これは、輸出の伸長を反映して昭和二四年における商業勘定による輸入が增大(対前年一六%増)しなかつたためであり、それだけ援助費の膨張が節約されたわけである。ただ通貨の非転換性が原因して、輸出によつて得た資金の全部を直ちに輸入に振向けることが出來ないために、昭和二四年の入超額が前年より六%減少したにかかわらず、援助費輸入は却つて一六%增加する事になつた。そしてまた、昭和二四年の援助費輸入額五三七百万ドルは同年の入超額三九七百万ドルをかなり上廻る結果となつている。しかし昭和二五年一―四月においては、貿易収支の一層の改善により、また輸出と商業勘定輸入がかなり見合つたため、援助費輸入は年率としても二四年の七六%に減少している。

  なお貿易外收入は、戰後対外活動の制約や船舶喪失による海運收入の激減などによつて著しく小規模になつている。それでも現在のところ把握し得る最新の時期(昭和二四年一―六月)についてみると、CPO(中央購買局)などにおける日本品の販売及びサービス、海運、外国人に対する円ドル交換等を中心とする収入は二五百万ドルとなつている。他方借入金利子を主とする支出二百万ドルを差引いても二三百万ドルの収入超過となつており、多少ながら国際收支の改善に資している。

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