第2章 感染症の影響による雇用と家計の変化(第3節)
第3節 雇用確保に向けた取組と課題
第1節と第2節では、感染拡大の下で生じた雇用、賃金・所得の属性別の変化、また、より構造的な変化である人口減少や働き方改革の進展といった構造的な要因によってもたらされた雇用の新たな動きを分析した。本節では、企業の雇用維持の取組やその特徴について、過去の経済ショック時との比較も含めて分析するとともに、我が国の労働市場の特性について雇用調整の観点から国際比較も交えて考察する。その上で、雇用確保に向けた課題について考察する。
1 企業の雇用維持の取組とその持続性
(引き続き雇用保蔵は高水準。リーマンショック時と異なり、非製造業の増加が顕著)
2020年の前半は、国内外における感染拡大の影響と感染拡大を防止するために経済を人為的に抑制したことにより、総需要は大幅に減少したものの、失業の大量発生は生じなかった。2020年1月に2.4%であった完全失業率は、徐々に上昇したものの、最高でも10月の3.1%に止まり、2021年1月時点では2.9%となっており、大規模な雇用調整は行われなかった。雇用者数は4月に前月から108万人と大きく減少したものの、6月を底に増加へと転じ、2021年1月時点では5,989万人と3月対比で58万人減まで持ち直している。
需要変動に対して雇用変動が小幅に止まった背景には、企業による主体的な雇用維持や政府による雇用、事業を守るための支援策による下支えがある。そこで、どの程度の雇用が守られたのかという量感について、過去の労働生産性を基に活動に必要となる雇用者数と実際の雇用者数の差を一時的に企業内部に抱え込まれた雇用、雇用保蔵として定義し、推計しよう。内閣府(2020)でも全体及び製造業の雇用保蔵を推計しているが、今回は、感染症によって特に影響を受けた対面型サービス業の動向を詳細に把握するため、非製造業のうち、宿泊・飲食サービス業、生活関連サービス・娯楽業、卸売・小売業(以下、「飲食・宿泊サービス業等」という。)を抽出して推計した1。
その結果、2020年4-6月期(期中平均)は、労働生産性が低下する中で、製造業では210万人程度、非製造業では440万人程度の雇用保蔵が生じたと推計された。非製造業については、飲食・宿泊サービス業等が330万人程度と大半を占めている。景気が持ち直しの動きに転じた7-9月期には、製造業及び非製造業の雇用保蔵は、それぞれ140万人程度、240万人程度(うち、飲食・宿泊サービス業等は170万人程度)へと減少し、さらに10-12月期には、それぞれ80万人程度、160万人程度(うち、飲食・宿泊サービス業等は90万人程度)まで減少した。しかし、全体の雇用保蔵は完全失業者数を上回る高水準にあり、引き続き、企業が政府の支援策を活用しながら雇用維持を図っている様子がうかがえる(第2-3-1図)。
(宿泊業・飲食業を除き、生産活動の低下に比べ、労働投入量の減少は抑制的)
こうした企業による雇用維持の取組を別の角度から業種別にみていこう。今度は、鉱工業生産指数等の生産活動量の変動を労働時間、雇用者数及び労働生産性の変動に分解することで、労働投入量と生産性の動きに要因分解し(2020年2~12月)、これをリーマンショック時(2008年9月~2009年3月)における動き方と比較する2。
まず、製造業の動向をみると、これまでのところ、最大で20%程度減少した生産量に対して労働投入量の減少は9%程度にとどまったことから、結果として生産性は10%程度低下した。また、労働投入量の減少は、専ら労働時間の削減により行われたことがみてとれる。6月以降、生産活動が急速に回復したことに伴い、労働投入量の減少率も縮小し、同時に労働生産性も感染拡大前の水準に戻りつつある(第2-3-2図(1))。
非製造業については、全体としては製造業に比べて生産活動量の変動は大きくないが、業種別にみると一様ではない。運輸・郵便業では、生産活動量の減少に応じた労働投入量の削減を雇用者数ではなく、労働時間により実施する傾向がうかがえる。他方、宿泊・飲食業、生活関連サービス業・娯楽業では、リーマンショック時に比べて大きな需要ショックに見舞われ、生産活動量が大きく減少した。この減少に比べれば労働投入量の調整程度は小さい(生産性が低下)ものの、労働時間の減少(時短や休業)だけでは対応できず、雇用者数を削減せざるを得なかった状況がうかがえる(第2-3-2図(2)~(9))。
(雇用調整助成金等による失業抑制効果は、リーマンショック時を上回る)
今回の新型コロナウイルスの感染拡大に対し、政府は2020年4月に緊急事態宣言を発出し、外出自粛や休業要請を行うなど経済活動を人為的に抑制する一方で、事業、雇用、生活を守るため、様々な支援策が講じられた。中小企業・小規模事業者、フリーランスを含む個人事業主の事業継続のための持続化給付金、家賃支援給付金、政府系金融機関や民間金融機関による実質無利子・無担保融資、さらに、雇用については、雇用調整助成金等の制度を相次いで拡充3するなど、企業による雇用維持の取組を支援してきた。このうち、雇用調整助成金については、リーマンショック時を大きく上回るペースで支給されている(第2-3-3図)。厚生労働省によるサンプル調査を基に、業種ごとに雇用調整助成金の支給決定件数と事業所数の比率をみると、宿泊業・飲食サービス業では活用事業所割合が5割を超え、生活関連サービス業・娯楽業でも5割近くに達している4。また、製造業、運輸・郵便業でも4割近い水準となっている(第2-3-4図)。リーマンショック時は製造業が中心であった5雇用調整助成金の利用先は、今回は非製造業が中心となっている。
こうした雇用調整助成金等は、企業の雇用維持の取組を支援することで、失業を抑制している。サンプル調査データ等を基に推計すると、2020年4-6月期の失業率は、雇用調整助成金の特例措置等がない場合に比べて、3%ポイント程度抑制されたと見込まれる(第2-3-5図)6。なお、本試算は、雇用調整助成金等の利用人数を推計し、過去の経済ショック時の雇用調整に関するアンケート調査結果をもとに雇用調整助成金等がない場合の失業率を機械的に算出したものであるが、実際の雇用調整は、企業がショックによる経済の落ち込みがどの程度続くと想定するかなどにも依存するため、試算結果は相当の幅を持ってみるべきものである。いずれにせよ、リーマンショック時の雇用調整助成金による失業率の抑制効果が0.5~1.0%程度であった7ことを踏まえると、今回の効果はそれを大きく上回るものとみられる。
(雇用確保には売上高回復につながる政策対応、人財不足業種への移動支援が必要)
2020年は企業による雇用保蔵と雇用調整助成金等による政策支援によって大規模かつ急激な雇用調整を回避した。しかし、今後は、経済活動の回復や支援策の動向によっては、企業の雇用維持の持続性に影響が生じる。特に、今後の景気回復や我が国経済の成長に関する企業の見方が今後の雇用を大きく左右することから、感染拡大防止とともに、早期の需要回復や成長力強化に向けた取組が重要である。また、企業の雇用保蔵余力の程度は収益力、言い換えれば、どの程度の売上高で人件費を含めた費用を賄えるかという程度にも依存している。少ない売上高でも費用を賄える方が雇用保蔵力はあるということである。そこで、実際の売上高と損益が分岐する売上高の比率(損益分岐点比率)をみると、2019年の産業平均(全規模)の損益分岐点比率は73%であった。すなわち、売上高が27%以上減少すると、赤字になることを意味している。我が国企業は、産業平均では、相当程度の耐性を持っているように思われるが、感染症の影響を大きく受けている業種の比率をみると、飲食サービス業(92%)、宿泊業(92%)、生活関連サービス業(88%)と総じて高く、中小企業ほど高い。こうした業種では、売上高の減少が当該企業の雇用保蔵余力の喪失に直結しやすい(第2-3-6図)。
また、製造業や非製造業全体の売上高は、4-6月期に損益分岐点売上高の近傍まで減少したものの、7-9月期、10-12月期は増加し、損益分岐点売上高を上回っている。しかし、非製造業のうち、宿泊業や娯楽業の売上高は、4-6月期が損益分岐点売上高を大きく下回った後、10-12月期も下回る状態にある。(第2-3-7図)。
今後、売上高の回復が遅れて損益分岐点売上高を下回る状態が続くと、企業としては、損益分岐点売上高を引き下げる取組を一層加速させる必要が生じ、追加的な雇用調整圧力が高まるおそれもある。このため、ミクロ的な視点からは、当面は雇用調整助成金等による雇用維持への支援を行いつつも、特に感染症の影響による需要抑制、売上減少に直面している業種等には、感染防止を伴った代替的な販路開拓や売上高の回復につながる政策対応が求められる。また、マクロ的な視点からは、将来の経済社会の姿を見据えた上で、人財を必要としている成長産業への失業なき労働移動を促していくことが求められており、マッチング支援や新たな業種に適応するためのスキルアップ支援などの強化が求められる8。
2 国際比較からみたマクロ的な労働市場の特徴と雇用確保に向けた課題
(雇用調整速度は各国間で収れんする傾向にあるが、我が国は相対的に低め)
感染症による影響に限らず、何らかのショックが経済に生じれば、雇用は変動する。経済に生じたショックに呼応して、雇用者数が新たな需要水準に近づいていく速さは、労働市場の調整力や雇用調整速度と言われており、労働市場の特性を測る観点の1つである。この速度を決める要因は、企業内部、企業間、産業間での労働移動の容易さであり、それは雇用制度や雇用慣行に依存している9。
我が国を含め、OECDの主要国のデータを用いて長期的な雇用調整速度を部分調整モデルにより2期間(1980~99年、20002019年)に分けて推計すると、各国間の雇用調整速度は、ばらつきが縮小するという意味で、収れんする傾向がみられる。我が国の雇用調整速度は、1980~99年には他国と比べて低い水準にあったが、2000~2019年は上昇しており、他国との差も小さくなっている。定義的には、経済変動に対して雇用変動が大きくなったことを意味するが、この背後にある動きとしては、例えば、雇用面におけるサービス業のウェイトの基調的な上昇、有期雇用や短時間労働者の増加といった雇用の変化、あるいは、2000年代前半に3つの過剰(過剰雇用、過剰設備、過剰債務)の処理が求められる中で雇用調整が進んだこと等が挙げられる10。ただし、調整速度は高まったが、諸外国と比べれば低位にあり、我が国は相対的に経済ショックに対して雇用を減らすのではなく、当面は労働生産性の低下、賃金と利益を減らすことによって吸収する傾向がある(第2-3-8図)。
(今次の感染拡大に対し、各国でも企業の雇用維持の取組を支援)
今次の世界的な感染拡大に対し、各国においても感染拡大を防止するための経済活動の抑制策とともに雇用維持のための大胆な支援策が講じられてきた。このため、これまでの雇用調整速度を前提としたGDP成長率、雇用変動、労働生産性の関係性とは異なる動きもみられる。2020年4-6月期における実質GDPの大幅な減少に対し、雇用調整速度の高いアメリカ、カナダでは雇用削減率が大きく、結果として労働生産性の低下率は小さい傾向がみられる。他方、イタリア、ドイツ、フランスでは雇用調整速度が高い、あるいは中程度の割には雇用者数の減少率が小幅に止まっており、過去の経済変動に対する労働市場の反応とは異なった動きとなっている(第2-3-9図)。言い換えると、我が国のような雇用調整速度が低い国同様に、労働生産性を低下させて雇用を維持する姿となっている。それを可能にしたのは、各国で講じられた雇用維持のための大胆な支援策である。例えば、フランスでは、経済情勢等に起因する操業短縮あるいは一時停止を理由に労働時間の削減や事業所の一時閉鎖を行った場合に事業主から従業員に手当が支払われる一時帰休(部分的失業)制度について、雇用主に対する補てんを拡充した11。ドイツでは、感染症の影響により操業短縮を余儀なくされた企業や従業員を支援する従業員操業短縮手当(Kurzarbeitergeld)について、支給要件の緩和12や補てん割合の拡充13が行われた。また、英国では、休業中の従業員を対象に人件費の60~80%(上限月額1,875~2,500ポンド)を支給するコロナウイルス雇用維持スキーム(Coronavirus Job Retention Scheme)が講じられた。こうした雇用維持対策の効果もあり、これらの国でも急激な失業率の上昇は回避された。他方、GDP減少率との対比で雇用者数の削減率が抑制された結果、労働生産性の低下幅が比較的大きくなっており、我が国同様の姿となっている。なお、雇用調整速度が高いアメリカについては、従業員の給与等の支払いのために一事業者あたり人件費の2.5か月分(最大1,000万ドル)までの融資を提供する給与保護プログラム(PPP:Paycheck Protection Program)14が講じられた一方で、雇用者数は大きく減少した結果、見かけ上、労働生産性はむしろ感染拡大前より上昇している。
(産業間労働変動は近年低下し、転職者の割合も横ばい)
このように、今回の感染拡大防止では人為的に経済活動を抑制したことから、多くの国で雇用の維持が優先された。雇用の維持には生産性の低下を伴うが、感染症がそう遠くない時期に解決し、事業を再拡大していくという見通しの下であれば、改めて雇用するために必要となるコストを考えると一定の合理性がある。アメリカ等の場合であれば、生産性をあまり変動させずに雇用を増減することで影響を吸収しているが、何れのケースでも、公的な仕組み、例えば保険料負担を通じて失業給付や休業・時短への補助を行う仕組みがある下では、社会全体としての短期的なコストは同じであるとの指摘もある15。
ただし、既存企業、現在の雇用先における雇用維持に偏重しすぎると、変化が構造的な影響を持っており、次の局面での成長経路が変化していくような場合には、構造的な停滞に陥るおそれもある16。したがって、総体としての雇用は維持するとしても、個人が成長の期待される企業や業種へ円滑に移動していく仕組みや環境を整えることも必要である。
そこで、マクロ的には雇用の安定が重視される我が国の労働市場は、産業レベルでも同じ傾向にあるのか確認する。つまり、雇用者は産業間を移動しやすいのか否かということである。これは、個別産業の雇用変動と産業全体の雇用変動のかい離を集計し、値が大きいほど産業全体の雇用変動に比べて産業間の労働移動が活発であることを示すというリリエン指標により検証できる。これまでの労働移動動向を振り返ると、過剰雇用、過剰設備、過剰債務の3つの過剰の処理を迫られた2000年代前半やリーマンショックを含む2000年代後半では、産業間の労働移動が高まっていたことが分かる。ただし、2016年から2020年の平均値は、2000年代前半に比べて低下している。これは個別産業の雇用変動が低下していることに加えて、総雇用者数の増加により、産業全体の雇用変動が高まったことも影響している(第2-3-10図(1))。また、労働移動の実勢について、労働者に占める転職者の割合を示す転職入職率の推移をみると、一般労働者では、2010年代前半にやや高まったものの、その後はおおむね横ばいで推移しており、近年、離転職が活発になっているわけではない(第2-3-10図(2))。
また、我が国の企業では、経済的なショックに対して雇用調整を行う場合でも、既存雇用者の増減ではなく、新規採用、新卒採用者の増減によって調整する傾向が強い。内閣府政策統括官(2020a)によると、新卒者数の変化は転職者数の変化よりも景気変動に感応的であり、経済活動が1%低下すると、転職者数が0.33%程度減少する一方、新卒者数は0.74%程度低下するという17。
しかし、既に少子化が進展して新卒人口の減少が続いており18、ダイナミックな産業や業種間の需要変動やイノベーションへの対応を図っていくためには、既存雇用者の企業間、産業間の労働移動が不可欠となる。既存雇用者の離転職が必要に応じて円滑に実現できるよう、企業や個人の人的資本形成の仕組みでの工夫、中途採用市場のマッチング力向上に向けた仲介事業の改善、社会全体としては、離転職が不利にならないように、賃金制度や雇用制度、それらの背景にある社会保障・税制度の改善を図っていくことが求められよう。
(労働者のスキルアップやその支援・環境整備の充実が必要)
既存雇用者が職を変えること、勤め先を変える際には、本人のスキルと就業先の求めるスキルのマッチングが課題となる。AIの普及、自動化の急速な進展などにより生産活動・生産形態が転換する中、雇用者に求められる技能や能力も急速に変化している。これに対応するためには、仕事を通じた技能の取得、いわゆるOJTのみならず、リカレント教育を通じた、勤務外でも継続的なスキルアップの取組が求められる。内閣府政策統括官(2021)によると、リカレント、とりわけ、Off-JT19や自己啓発20の実施が転職を伴う収入増加の確率や正社員以外の者の正社員化の確率を高める効果があることが示されており21、成長分野への円滑な労働移動を促す観点からもリカレント教育のすそ野を広げていくことが重要である。
しかし、我が国ではこうしたリカレント教育の普及が進んでいない。アジア太平洋地域の14か国・地域を対象にした調査によると、勤務外での学習や自己啓発を行っていない就業者の割合は、他国・地域に比べて著しく高い(第2-3-11図)。また、内閣府(2018)によると、学び直しを行っている者の割合は、OECD諸国平均を大きく下回っており22、学び直しを行わない理由としては、費用が高すぎる(37.7%)ことに続いて、勤務時間が長くて十分な時間がない(22.5%)ことが挙げられている。
このため、ワークライフバランスの推進のみならず、労働者の能力開発・スキルアップの観点からも、働き方の見直しによって一層効率的に働き、労働時間の短縮を図ることが求められる。また、労働者の自己啓発の取組に対しては、労働者に対する企業の教育訓練支出額が低迷する中、教育訓練休暇制度の導入(導入予定も含む)も2割程度にとどまっており23、学び直しや能力開発への支援の強化や環境整備が求められよう(第2-3-12図)。