第1節 デフレの現状評価:緩やかなデフレの持続
本節では、最初に、物価動向や関連する指標の動きを振り返りながら物価の現状を確認する。その後、今回のデフレ状況の特徴を明らかにする。
1 最近の物価動向とその背景
月例経済報告では、2009年11月から物価動向の総合的な判断として「緩やかなデフレ状況にある」との表現を維持しているが、その間、物価の下落テンポは緩和してきた。もっとも、現状ではデフレ状況の改善に足踏みが見られている。以下では、こうした判断の背景について振り返っていく。
(消費者物価は小幅な下落が続く)
最近の物価動向を消費者物価指数の動きによって見ていこう。消費者物価指数のうち、連鎖系列の生鮮食品を除く総合(いわゆるコア)の前年比は、2009年以降、2011年7~9月と2012年2~4月の2期間を除いて下落が続いている。その間、需給ギャップの改善とともに下落テンポは緩和し、2011年半ば以降はゼロ近傍で推移してきた。2012年後半に入ってからは、前年比下落率が再び拡大して小幅な下落が続いている。内訳を見ると、下落は専ら財(一般商品)によって生じており、サービスの寄与は小さい(第2-1-1図(1))。
財価格は2009年に急落した後、緩やかに下落テンポを縮小させてきた。その変動を品目別に分解すると、石油製品や食料工業製品がリーマンショック前後で大きく寄与している。また、デフレが定着した2009年後半以降では、他の工業製品が継続的な下落要因となっている(第2-1-1図(2))。一方、サービス価格は全体として変動が小さく、リーマンショック後に弱めの動きとなっていたが、2011年以降はおおむねゼロ近傍で推移している。その変動を品目別に分解すると、2010年度に公立高校授業料が無償化されたことにより、公共サービスが大きく下落要因となっていたが、2011年度に入ってからは自動車保険料(自賠責)の引上げにより、上昇要因へと転じている(第2-1-1図(3))。
(コア指標は改善に足踏み)
物価動向の把握には様々な指標を確認するが、消費者物価指数の基調的な動きを捉えるための工夫として、連鎖基準方式による生鮮食品を除く総合(いわゆるコア)、コアからさらに石油製品やその他特殊要因を除く総合(いわゆるコアコア)といった系列を参照している。これら指標の動きからは、最近のデフレ状況をもたらす中心的な要因が引き続き耐久消費財であること、また、エネルギーの一時的な要因を取り除けば2011年以降も前年比はマイナスが続いていること、さらに、家賃や個人向けサービス等で構成される一般サービスのマイナス寄与が拡大するなど、最近はデフレの改善テンポに足踏みが見られることが分かる(第2-1-2図(1)及び(2))。
また、こうした指数以外にも、変動の大きな品目を除いて平均を求めた刈込平均系列や、採用品目の上下動に着目して上昇している品目の割合から下落している品目の割合を引いて求めた物価DI系列も、物価動向を把握する際には有用である。消費者物価指数の刈込平均は、2012年年央まで上昇してきたが、その後は下落に転じている。物価DIも同様の動きとなっているが、一度も上昇品目の割合が下落品目の割合を超過していない。こうしたことから、個別品目の下落幅は小さいものの、広範な財・サービスの価格に弱さが残るというマクロ的なデフレ現象の一端を垣間見ることができる(第2-1-2図(3))1。
(需給ギャップが一進一退の推移となるなか、内需デフレーターは下落が続く)
こうしたデフレ現象には、需給ギャップの動向が関係している。需給ギャップは2009年第1四半期に対潜在GDP比で-8%程度まで拡大したが、2010年末にかけて同比-2%程度まで縮小を続けた。2011年に入ると、東日本大震災やタイの水害被害の影響により、再び拡大したが、その後は同-2~-3%程度の水準で一進一退の推移となっている。
物価には需給ギャップの変化が遅れて影響を及ぼす。消費者物価指数よりも範囲の広い国内の物価動向を示す内需デフレーターは、2009年から2010年にかけて、平均で前年比-2%弱の下落を続けてきた。2011年以降、その下落テンポは需給ギャップの改善を背景に鈍化していたが、2012年に入ってからは足踏み状態となった(第2-1-3図(1))。こうした内需デフレーターの前年比変化率と需給ギャップを重ねて描くと、両者の間には右上がりの関係が確認される。つまり、需給ギャップが縮小すれば、内需デフレーターの変化率は高まることになる。需給ギャップがゼロの場合、内需デフレーター変化率はおおむね+0.9%となっている(第2-1-3図(2))。
2 期待物価上昇率の動向
デフレ状況の背景には、需給ギャップの他にも期待物価上昇率の低下があると指摘される。例えば、期待物価上昇率の低下やデフレ状況の持続という予想が消費や投資を控えさせ、需給バランスの緩和を通じて現実の物価にマイナスの影響を与えるという見方である。ここでは、家計や企業が抱く期待物価上昇率の動きを確認する。
(家計の期待物価上昇率はおおむね横ばい)
需給ギャップが横ばいとなる中で、家計の抱く期待物価上昇率も、このところ1.7%程度の水準でおおむね横ばいとなっており、過去の平均(2004年4月以降の平均は約1.4%)を若干上回った水準にある(第2-1-4図(1))。ただし、ここでの家計の期待物価上昇率は、購入頻度の高い品目の価格動向に関する家計の見通しをもとに算出しており、石油製品価格などの動向に影響されやすいことには注意が必要である2。
また、家計の期待物価上昇率には、実績値に対する先行性がある。時差相関をとってみると、生鮮食品を除く総合(いわゆるコア)の実績値に対して1ヶ月程度、また、生鮮食品、石油製品及びその他特殊要因を除く総合(いわゆるコアコア)の実績値に対して5ヶ月の後に、相関が最大になっている。このことは、物価が需給ギャップに遅れて動くことを踏まえると、家計が実体経済の動きに関連する様々な情報を組み合わせることにより、物価を予想していることを示唆している(第2-1-4図(2))。
(製造業の期待物価上昇率はこのところゼロ近傍で推移)
企業が抱く先行きの販売価格予想は、需給ギャップやマインドに加え、直面している競争状況によって影響され、実際の販売価格と連動すると考えられる。そこで、企業の価格設定行動を考える前提として、企業の期待物価上昇率を計測してみよう。
なお、企業の期待物価上昇率は、一般的には日本銀行の全国企業短期経済観測調査(短観)の販売価格判断DIの先行きと国内企業物価から求める3。今回は、従来の方法をやや拡張し、企業の物価変動に対する認識範囲が上昇と下落で非対称であり、その程度が回答を変化させる閾値に表れるという仮定を置いた上で期待物価上昇率を求めている4。
製造業の販売価格判断DIの先行きによると、企業の販売価格見込みは国内企業物価とおおむね連動しており、いわゆるバブル崩壊後の1990年代は下落回答が超過する時期が続いたものの、2000年代に入ると下落回答の超過幅が縮小し、2008年には上昇回答が超過した。その後はリーマンショックによって急落し、再び下落回答が超過している(第2-1-5図(1))。
こうした販売価格判断DIの先行きについての見方と国内企業物価の関係から期待物価上昇率を求めると、92年から2004年までの間はデフレ期待、つまり、期待物価上昇率がマイナスになっていた時期と見られる。最近では、製造業の期待物価上昇率はゼロ近傍で推移している(第2-1-5図(2))。
また、推計期間を99年までの前期と2000年以降の後期に分けると、わずかではあるが、前期から後期にかけて上方の閾値(δ1)が0.9から1.6へと大きくなっている。これは、物価上昇に対する販売価格判断DIの感応度が低下していることを意味している。すなわち、企業が販売価格の先行きを判断する際に、後期の方が前期よりも現実の物価上昇に対して反応しにくくなっており、デフレ期待が固定化していた可能性が示唆される。
(個別業種によって異なる期待物価上昇率)
製造業に含まれる個別業種の期待物価上昇率や閾値の動きを詳しく見ると、素材業種の場合は、2000年前後の期間で比較すると、化学や石油・石炭、鉄鋼等ほぼすべての業種で、前期には期待物価上昇率がマイナスだったが、資源価格が高騰した後期にはプラス圏内へと上昇している(第2-1-6図(1))。ただし、木材・木製品の期待物価上昇率は小幅なプラスのまま変化が見られない。
加工業種の場合、2000年の前後で期待物価上昇率を比較すると、全体としてはデフレ期待が一層下方へシフトしている。(第2-1-6図(2))。業種別に見ると、一般機械と電気機械ではデフレ期待が強まっており、特に電気機械の下落幅が大きい。輸送用機械でもデフレ期待が続いている。ただし、食料品やその他製造業ではほとんど変化がなく、期待物価上昇率もゼロ近傍か若干のプラスとなっている。また、原材料価格の高騰が影響する金属製品では、2000年代の期待物価上昇率が高まっている。
(デフレ期待が続く非製造業)
同様に非製造業の販売価格判断DIの先行きと企業向けサービス価格(国際運輸除く)の関係を見ると、両者はおおむね連動している(第2-1-7図(1))。製造業と同様の手法により販売価格判断DIの先行きから非製造業の期待物価上昇率を求めると、95年頃からマイナス圏内に転じ、96年末から97年にかけての一時的な上昇を除くと、2006年頃までデフレ期待が続いていた。その後は、リーマンショック後に再びデフレ期待へと転じている(第2-1-7図(2))。
他方、2000年の前後に分けて期待物価上昇率を求めると、製造業とは逆に2000年以降の期待物価上昇率がより大きなマイナスとなる。2006年から2008年に見られたプラス圏内での動きはなくなり、一貫してデフレ期待が続いていることが示されている。
なお、上限の閾値が大きく下落(1.4から0.2)し、併せて下限の閾値は若干上昇(-0.6から-0.4)していることから、物価変動に対する感応度が上昇しているとみられる。
3 物価の先行き
先の分析からは、加工型製造業や非製造業においてデフレ期待が根強く残っていることが明らかになった。デフレ期待の定着もあるなか、以下では、物価の先行きを考えるために物価動向と深い関係にある諸指標の動きを見ていこう。
(パート労働者の有効求人倍率や需給ギャップが物価の先行きを示唆)
物価の先行きを示す統計データについて調べてみると、コアコアに対しては、輸入物価が8カ月程度、また、国内企業物価(エネルギー除く)が4カ月程度先行することが分かる。また、パート労働者の時給は物価との一致性が高く、一般労働者の時給には5カ月程度の遅行性がある(第2-1-8図(1))。エネルギーを除く財価格という範囲で見ても、輸入物価や国内企業物価には5~8カ月の先行性があり、時給には0~5カ月の遅行性が確認される(第2-1-8図(2))。
賃金が物価に遅れて動くことは、労働が生産・販売の派生需要であることから想定される。時差相関からは、時給と物価の間に観察されるラグの背景に、財市場と労働市場それぞれの価格及び賃金の反応の違いが観察される。具体的には、物価は財市場の需給を示すGDPギャップから3四半期程度遅れて変化する(第2-1-8図(3))。
また、財市場の需給を示すGDPギャップは労働市場の需給を示す有効求人倍率を動かし、有効求人倍率の変化からパート労働者の時給は9ヶ月、一般労働者の時給は12ヶ月程度遅れて変化する(第2-1-8図(4))。こうした統計データの時系列的な変動の前後関係を踏まえると、需給ギャップや労働市場の緩和的な動きが見られた後、賃金や物価は弱い動きとなることが示唆される。
(外部環境の先行き懸念は引き続き高い)
最後に、物価に影響を与える外部環境について前回(2002年~)と今回(2009年~)の景気拡張局面を比較しておこう。第一に、実効為替レートの推移を見ると、景気の谷から最初の12四半期間は前回と今回で大差がない(第2-1-9図(1)及び(2))。しかし、前回は、後半12四半期に大幅な為替減価が生じていた。第二に、輸入物価は、前回の後半12四半期において大幅に上昇した。これは、為替レートの減価に加えて、商品市況の高騰が影響していたためである。今回は、前半12四半期において輸入物価の上昇テンポが速かったものの、商品市況が8四半期以降に下落へと転じており、結果として、輸入物価の上昇テンポを抑制する要因となっている(第2-1-9図(3)及び(4))。
商品市況の落ち着きによる輸入物価の安定は交易条件の悪化を防ぐことにつながり、景気の腰折れを防いでデフレ圧力を緩和することが期待される。しかしながら、商品市況に含まれる石油価格や穀物価格の急騰は収まっているものの、その水準は高止まりしている。また、世界的に緩和した金融環境が当面続くと見込まれることから、高い流動性を背景として価格が急変動するリスクも引き続き高い点に注意が必要である。
(需給ギャップとインフレ目標から得られる金利水準はいまだマイナス)
上述のように、需給バランスの動向からは賃金や物価が弱い動きとなる懸念もあるなか、政策金利はおおむねゼロとなっているが、金利の非負制約により、必ずしも経済実態に即した望ましい金利が成立しているわけではない。そこで、望ましい金利水準とはいわゆるテイラー・ルールから求められる金利であるとの前提を置いて試算してみよう5。テイラー・ルールによる金利を求めるには、望ましい物価上昇率(物価上昇率目標)を想定する必要がある。ここでは、試算上、消費者物価の前年比上昇率で1%と2%という目標を置いて望ましい金利水準を推計した。それによれば、インフレ率目標が1%の場合は2003年年央あたりまで、また、同目標が2%の場合は2006年年央あたりまでは望ましい金利水準がマイナス圏内で推移している(第2-1-10図)。また、リーマンショック以降は、望ましい金利が大幅なマイナスとなっており、2012年年央においてようやくゼロ近傍へと上昇している。なお、民間エコノミストの平均的な経済見通しを用いて延伸すると、2013年末から2014年年初頃に、プラスへと転じることが期待されている。ただし、テイラー・ルールがプラスの金利を示唆したことをもって、自動的に利上げすべきであると結論付けることができるわけでも、また、デフレ解消が確実なものとなっていくわけでもないことは言うまでもない6。
コラム2-1 マネーストックと物価の連動性
長期的な物価上昇率に影響を与える経済的な変数の例として知られているものの一つとしてマネーストックがある。OECD諸国における需給ギャップや輸入物価の影響を取り除いた長期的な消費者物価上昇率と広義のマネーストック(M3)や狭義のマネーストック(M1)の成長率から実質GDP成長率を引いた値との関係を描くと、87~96年には正の相関が見られるが、我が国は、マネーの成長率も物価上昇率も外れたところに位置している。ただし、傾向線から見ると、我が国の実現したマネーの成長率は、平均的な国であれば、2%程度の物価上昇率に相当することも指摘でき、物価が上がりにくい構造的特性が垣間見られる。
その後の97年から2011年の期間についても分析すると、M3と物価上昇率の間にはいまだ右上がりの関係が見られるが、M1と物価上昇率の間の関係は消失している。我が国では、依然として物価上昇率が低位にあるなか、M1とM3の伸び率に大きな差が生じている。M3の伸び率が低い背景には、98年以降の金融危機対応を含め、政策的にマネタリーベースの増加を通じてM1の伸び率を高めたものの、金融部門の不良債権処理やリストラにより、信用創造機能が大きく毀損したことがある。こうした事態は、程度の差こそあれ、リーマンショック以降の欧米諸国においても生じており、M1の伸び率が高めになったとしても、M3は反応しにくい状態が続いている。
(コラム2-1図)