第5節 市場の機能と政府の関与
(市場経済のリスク対応)
市場経済はリスクをヘッジしたり分散する機能を持っている。近年の金融技術の発達はこうした機能を潜在的には更に強化している。
近年,デリバティブ取引により多額の損失を被る企業が珍しくなく,98年には一部ヘッジファンドの破綻が大きな問題となった。このため,デリバティブはリスキーな金融取引である,との一般的な認識が強い。しかし,理論的には,デリバティブを利用することにより,貸出や債券などの伝統的な金融商品の全体としてのリスクをそれらを構成する個々のリスクに分解(unbundling)することが可能になり,金融機関や企業にとっても,各種のリスクをデリバティブを利用して軽減することが可能となる。リスクの高まりの中で,各経済主体のリスクヘッジのニーズは高まることが予想される。
我が国の金融機関は,デリバティブの取扱いで欧米の金融機関に比べ出遅れたといわれている(1)(第3-5-1図)。欧米の金融機関がデリバティブの扱いを強化した背景としては,①金融自由化に伴い中長期的に利鞘が縮小傾向にあり,新たな金融サービスに収益源を求めようとしたこと,②自己資本比率規制により,バランスシート上のアセットを膨らませずに,オフバランス取引での収益を目指したこと,③情報処理や通信技術,金融工学の発達により,新金融商品の開発やリスクを分析する技術が発達してきたこと,などが指摘されている。我が国の金融機関の場合,横並びの中で商品開発に遅れをとった。リスクを十分認識,分析するノウハウがなかったことも背景にある。
(分散可能なリスクと官民の役割)
経済的リスクには,病気や介護需要に伴う費用,長生きに伴う老後の生活費のように保険方式で対応することが可能なものと,対応が困難なものがある。
現在,前者については,医療,年金等について,国民の生活の安定を保証する観点から,社会保障制度においてリスクに公的に対応する仕組みがとられているが,公的な保険を補完する民間保険の市場が発達している分野もある。
一方,公的システムの将来像を更に予測し易いものにすることは,関連の民間保険の設計を容易にしその発達に寄与し,ひいては家計においてもこうしたリスクの分散が容易になり,安心して消費を増やすこととなろう。
(マクロ経済リスクと政府の役割)
一方,景気変動リスク,資産価値の変動リスク等のマクロ的リスクは,現在までのところ,金融技術の発展にもかかわらず,市場を通じて分散させることは基本的に困難であり,国がかなりの役割を果たしている。税の自動安定化機能や累次の景気対策などは,民間部門にとっての景気変動リスクを国が軽減しようとするものである。国は国民経済の中で最大のリスク負担能力を持っている。その負担の最終的な帰着については,各経済主体間で将来にわたってコンセンサスが成立していることが望ましいが,実際には,最終的な負担を,いつ,誰に求めるかについての不確実性が存在する。いわゆる中立命題(2)の完全な成立が確認できないのも,こうした要因が一因であると考えられる。しかし,国のリスク負担が余り大きくなると,その帰着が明らかでないことから,家計や企業が将来の負担に関して感じる不安が高まり,これが経済活動を萎縮させる可能性は否定できない。すなわち,不確実性の増大に伴うデメリットが国のリスク負担のメリットを上回る可能性が否定できない。このような観点から「国の最適なリスク負担の程度」が議論し得るが,我が国の財政は巨額の財政赤字に加え,将来の年金関連債務など目にみえない負担やリスクを相当抱え込んでおり,リスク負担の限度に近づいている可能性がある。