第1章 経済財政の動向と課題 第2節

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第2節 原材料価格の上昇とデフレ脱却に向けた展望

我が国の物価は、原油を含む原材料価格の高騰などを背景に、上昇を続けている。本節では、過去の石油価格上昇局面と比較しつつ、今回の物価上昇の特徴について考察する。また、デフレ脱却に向けて改善の動きがみられた2005年から2007年の局面と比較しつつ、デフレ脱却に向けた足下の進捗を点検する。さらに、持続的な物価上昇の実現にとって不可欠となる賃金上昇に向けた課題を整理する。

1 原材料価格の上昇と国内経済への影響

過去を振り返ると、原油価格等の上昇を通じて物価が高騰した主な局面として、2度にわたる石油危機や前回国際商品市況が高騰した2007~08年頃が挙げられる。そこで、当時の状況と比較しつつ、現在の物価動向の特徴を分析する。

原油価格は世界的な需要回復やウクライナ情勢等もあいまって大幅に上昇

原油価格は、2020年初から4月頃にかけて感染症の流行に伴う経済活動の停滞を背景として、急速に下落した。しかし、行動制限の緩和や解除、ワクチン接種の進展等を背景に、欧米を中心として世界経済が徐々に回復に向かう中で、2020年12月頃から価格上昇が鮮明となっていった。この間、世界的に脱炭素化の流れが進む中で、OPECプラスが減産体制を維持したことやアメリカのシェールオイル開発・生産が停滞したことなどを受け、原油等への投資が抑制されたことで供給力が伸び悩み、価格上昇に拍車をかけた(第1-2-1図)。2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵略以降は、ロシアからの供給停止や制裁発動などにより更に上昇し、高水準で不安定に推移している。原油価格の水準でみると、WTIは2022年3-6月平均で102ドル/バレルと、今回の原油高騰が始まった2020年終わりの43ドル/バレル水準と比べて150%程度高い水準に達している。

過去の価格上昇局面と比較すると、第1次石油危機時(1974年)の上昇率には及ばないものの、第2次石油危機時(1981年)と同程度の上昇率となっている。2007~08年頃の局面は、最近より上昇率は小さかったものの、2003年頃から長期間にわたり原油価格が上昇し、最終局面で急騰した後に急落した点が特徴的である。

先行きについて、世界銀行は「一次産品市場の見通し」(2022年4月)において、2022年のブレント原油価格は、ウクライナ情勢による貿易と生産の混乱により、前年比42.0%増の100.0ドル/バレルに到達する見通しとしている。その後は、2022年をピークに、2023年には同92.0ドルまで低下するものの、2016年~21年の平均水準(60ドル)を上回った状態が続く可能性があると指摘している。こうした原油価格の高止まりは、ロシアからの輸出の著しい減少に加え、価格上昇にもかかわらず先進国・地域での石油消費の増加が続いていることを反映している。ウクライナ情勢が長期化し、エネルギー輸出が更に減少することになれば、原油を含むエネルギー価格は更に上昇する可能性もある一方、世界的な成長の減速、特に中国での感染症の更なる発生などは、価格を押し下げる要因になり得るとしている。

原油価格は、ウクライナ情勢の長期化等に伴って更に高騰する可能性もあるなど、先行き不透明な状況が続いていくと考えられることから、引き続き価格動向や経済に与える影響について注視していく必要がある。

過去の石油価格上昇局面は下回るものの、企業物価や消費者物価の伸びは拡大

原油価格を含む国際的な資源価格の上昇は、輸入物価を通じて国内物価に影響する。そこで、輸入物価、国内企業物価と消費者物価(総合)の上昇率を確認する。

はじめに輸入物価の推移をみると、原油をはじめとする原材料価格が上昇する中で、2021年初から前年比でプラスとなっている(第1-2-2図(1))。内訳をみると、「石油・石炭・天然ガス」といったエネルギー関係の価格上昇(契約通貨ベース)が最も押上げに寄与している。「為替要因」については、2021年秋以降為替レートが円安方向に推移(第1-2-2図(2))する中で押上げに寄与しているが、2022年5月時点で輸入物価の前年同期比(43.4%)における寄与度はおおむね4割程度(17.0ポイント)となり、「石油・石炭・天然ガス」(21.8ポイント)を下回っている。

次に国内企業物価についてみると、輸入物価の上昇を受けて2021年3月に前年同月比がプラスに転じ、2022年5月は9.1%と大幅な上昇となった(第1-2-2図(3))。品目別にみると「石油・石炭製品」が最も押上げに寄与し、エネルギー以外にも「鉄鋼」や「非鉄金属」といった金属関連がプラスとなっている。金属関連については、感染拡大に伴う行動制限の緩和・解除等を通じた世界経済の需要回復に加え、デジタル化に伴う需要拡大や電気自動車、再生可能エネルギーといった脱炭素化の流れも価格を押し上げている。

消費者物価(総合)についてみると、2022年5月の前年同月比は2.5%となり、前月に続き消費税増税期間を除くと約30年ぶりの上昇幅となった(第1-2-2図(4))。内訳をみると、2021年は、携帯電話の低料金プランの提供開始による影響で「4月以降の携帯電話」がマイナス寄与となっていたが、2020年の押下げ要因となっていた「GoToトラベル事業等」や電気代やガス代等の「エネルギー」がプラス寄与に転じる中で緩やかな上昇に転じた。また、2021年秋以降、生産地での不作やウクライナ情勢等を受けて小麦をはじめとする穀物等の価格が高騰したことを受け、「食料」のプラス幅が拡大し、更に物価を押し上げている。その結果、2022年4月以降の消費者物価は、前年同月比2%を超える上昇が続いている。

一方、こうした企業物価や消費者物価の上昇率を過去の石油価格上昇局面と比較すると、第1次石油危機時(1974年)、第2次石油危機時(1981年)を下回っている(第1-2-2図(5))。デフレを脱却できていないことに加え、中小企業で価格転嫁が相対的に遅れていること、現時点では輸入インフレにとどまっていることなどが影響しているとみられる。

ただし、エネルギーに加え、食料品などの価格も上昇しており、引き続き食料品の値上げも予想されていることから、マインドの悪化や実質購買力の低下を通じて民間消費や企業活動を下押しするなど実体経済への影響が顕在化する可能性にも注意が必要である。

輸入価格の上昇が2021年のGDPデフレーターを押下げ

原油価格を含む原材料価格が高騰する中、企業間取引の段階で輸入物価にはある程度転嫁が進む一方で、最終消費段階で消費や投資価格、輸出価格への転嫁が進まないと、国内で生み出す名目付加価値の縮小につながる。

そこで、国内物価に加え、輸出入価格の動きも反映する生産量1単位当たりの付加価値であるGDPデフレーターの動きをみる。輸入価格上昇によるコスト増加が消費や設備投資といった国内需要に係る物価に転嫁されると、輸入価格上昇によるGDPデフレーターの押下げと輸入デフレーター以外のデフレーターによる押上げが相殺され、GDPデフレーターは不変となる。一方で、国内需要に関わる物価への転嫁が不十分な場合にはGDPデフレーターは下落する。こうしたことから、GDPデフレーターは国内要因による物価動向を反映するという意味でホームメイド・インフレの指標といわれている。

GDPデフレーターの動きをみると、第1次・第2次石油危機の局面では上昇していたのに対し、1990年代半ば以降、消費税率が引き上げられた時期を除いてゼロ近傍若しくはマイナス基調が続いており、この間、日本経済がデフレ基調にあったことを示している(第1-2-3図(1))。2021年については、輸入デフレーターの上昇が国内の投資財等の物価に徐々に波及してきたことで、設備投資を含む「民間投資」や公共投資を含む「公的需要」などが押上げに寄与し、国内需要デフレーターがプラスに転じた(第1-2-3図(2))。しかし、輸入デフレーターの上昇による押下げ幅が国内需要デフレーターによる押上げ幅を上回ったことから、2021年のGDPデフレーターの伸びは前年比マイナスとなっている。

原油を輸入に依存する我が国では、原油価格の上昇が国内価格に転嫁していくまでの間はGDPデフレーターの押下げにつながる。企業がコスト上昇を販売価格に転嫁することが難しいという課題の表れでもあり、今後の動向には注意が必要である。

2007~08年と比べて価格転嫁は進展しているが、中小企業で相対的に遅れ

輸入価格上昇の国内への価格転嫁の状況は企業規模や業種によって異なると考えられる。そこで、日銀短観の販売価格DIから仕入価格DIを差し引いた値(以下「疑似交易条件」という。)を用いて、産出価格と投入価格の上昇幅の違いを企業規模別に確認する。疑似交易条件は産出と投入の相対価格の動きを表しており、投入価格の上昇を産出価格にどの程度転嫁できているかを推し量ることができると考えられる。

2021年以降の企業規模別の疑似交易条件をみると、企業規模が小さいほどマイナス幅が大きくなっている(第1-2-4図(1))。これは、企業規模が縮小するにつれ、仕入価格を販売価格に転嫁しにくい傾向にあることを表している。製造業・非製造業別にみても同様の傾向がみられる(付図1-4)。

中小企業の原材料・エネルギーコスト上昇の価格転嫁状況について、経済産業省が行ったアンケート調査によれば、コスト上昇分のうち3割以下しか価格転嫁できていないと回答している企業の割合が半数程度(45.5%)となっている(第1-2-4図(2))。中小企業では下請け企業などで相対的に価格転嫁が難しいこともあって、販売価格の上昇が限定的となり、大企業よりも疑似交易条件が悪化しているとみられる。

次に前回の原油価格上昇局面(2007~08年頃)と今回の局面を比較すると、販売価格DIについては、前回が-10~+10ポイント程度となっていたのに対して、今回は-5~+30ポイント程度となり、全体として価格転嫁が進んでいることが確認できる。特に中小企業は前回局面で一度もプラスとなっていなかったが、今回は2022年1-3月期に+27ポイントまで改善し、仕入価格上昇に併せて販売価格を引き上げていることが分かる。ただし、仕入価格DIは、両局面ともにいずれの企業規模でも40~60ポイント程度まで上昇しており、疑似交易条件は引き続き悪化している。製造業・非製造業別にみても同様の傾向がみられる(付図1-4)。

2021年以降、仕入価格上昇分の価格転嫁は一定程度進展しているとみられるが、中小企業の業況改善には原材料・エネルギーコスト上昇を適切に販売価格に転嫁できる環境を作っていくことが重要である。

現時点ではスタグフレーションと呼ばれる状況にはない

一般に、インフレと不況が同時に生じる状況はスタグフレーションと呼ばれ、日本が経験したスタグフレーションと呼べる状況としては第1次石油危機後の例がある(コラム1-4)。最近の原油価格上昇を受けて我が国経済がスタグフレーションに陥るリスクを指摘する声もあるが、どのように考えればよいだろうか。

まず、我が国経済は企業収益が高水準にあり、個人消費や設備投資は上向くなど持ち直しの動きが続いている。また、現時点で物価上昇は主に原油価格等の上昇に起因する輸入インフレにとどまっており、消費者物価上昇率や期待物価上昇率も欧米と比較して著しく高い状況ではないことから、我が国経済はスタグフレーションと呼ばれる状況にはない。

むしろ、マクロ経済環境からみた日本の物価上昇圧力は欧米と比べて弱く、デフレ脱却に向けて十分とはいえない状況にある。物価は上昇基調にあり、価格が上昇する品目も着実に増加しているが、デフレ脱却には物価が持続的・安定的に上昇し再びデフレ状況に後戻りする見込みがない状況となることが必要である。このためには、<1>供給力と比べた需要の強さを表す需給ギャップ12、<2>供給面から物価との相関関係をもつ単位労働コスト(賃金)、<3>企業の価格設定行動や実質金利を通じて設備投資等に影響を与える中長期的な期待物価上昇率などが継続的な物価の下押し要因とならない状況が必要である。

物価の動向をみると、消費者物価・GDPデフレーターともに、アメリカやEUの物価上昇率を下回っている(第1-2-5図(1)、(2))。消費者物価については、日米欧ともにエネルギーや食料品の価格は上昇しているが、日本では特にそれ以外の財・サービスの伸びが弱いことが影響している(前掲第1-2-2図(2))。日本のGDPデフレーターは2021年以降、前年比マイナスが続いている。国内で原油を生産するアメリカでは原油価格の上昇がGDPデフレーターの上昇につながるのに対し、原油を輸入に依存する日本では、国内価格に転嫁していくまでの間は輸入デフレーターの上昇が国内需要デフレーターの伸びを上回り、GDPデフレーターを押し下げることが影響している。

経済全般の需給ギャップを表すGDPギャップの推移をみると、アメリカが経済活動の再開に伴ってマイナス幅が急速に縮小し、プラスに転じたのに対し、日本は依然として供給力に比べて需要が不足している状況が続いており、物価の押下げ要因となっている(第1-2-5図(3))。

2021年以降の単位労働コストをみると、アメリカやユーロ圏で上昇傾向にあるのに対し、日本では2021年後半以降、横ばい圏内にとどまっており、供給面からも物価上昇圧力は高まっていない(第1-2-5図(4))。これまでの賃金引上げに向けた努力もあって、2019年には日米の違いは同程度まで縮まってきたものの、2020年後半以降、再び差が広がっている。2022年の春季労使交渉では企業収益の改善を背景に賃上げ率が3年ぶりに2%を超える状況となっている13ことから、デフレ脱却に向けて、賃金上昇率が着実に高まっていくことが期待される(付図1-5)。

デフレ脱却に向かうには、企業の価格設定行動が変化することも重要である。需給が改善しているにもかかわらず企業が価格引上げに慎重となるのは、物価全般が上がりにくいとの予想の下、競合企業も価格を引き上げる可能性が低いとの見方が根強いことが考えられる。そこで、期待物価上昇率をみると、2020年12月以降上昇傾向にあるが、2022年6月時点で約1.0%にとどまり、アメリカの約2.4%を下回っている(第1-2-5図(5))。

物価上昇に対し、継続的・安定的な賃上げと需給ギャップの着実な縮小が重要

第1次石油危機では原油価格高騰を通じた輸入コスト上昇が物価と賃金のスパイラル的な上昇につながったことにより、物価上昇率が大きく上昇した。こうした中で1974年度に戦後初めてマイナス成長を記録したが、景気が悪化しているにもかかわらず、物価上昇率を抑制するために金融政策を引き締めざるを得ない状況となり、景気は更に下押しされた。また、第2次石油危機時と異なり、省エネルギー投資などの民需も十分に引き出すことができなかった。こうした経験を参考としつつ、我が国の物価動向を取り巻くマクロ経済環境を踏まえると、我が国経済がスタグフレーションに陥らないためにも、今後は以下の取組が重要であると考えられる。

第一に、継続的かつ安定的な賃金の引上げである。デフレ脱却には物価と賃金がともに安定的に上昇していくことが必要であるが、上でみたように我が国の賃金(単位労働コスト)は横ばい圏内にとどまっている。現時点では、輸入物価上昇による負担増を企業と家計の双方が負担しているが(前掲第1-1-17図)、これまで労働分配率が低下傾向で推移してきたことを踏まえれば(後掲第1-2-11図(3))、今こそ力強い賃金引上げに取り組み、家計が継続的・安定的な賃金上昇の下で安心して消費できる経済を実現することが重要である。

第二に、所得流出による景気の下押し圧力に適切に対応しつつ、需給ギャップを着実に縮小させていくことが必要である14。ウィズコロナの考え方の下、経済社会活動の正常化を着実に進めていく必要がある。同時に、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を一体的に進める経済財政運営の枠組みを堅持し、当面は国民生活の安定に向けた物価対策に万全を期すとともに、第2次石油危機の経験も参考にしつつ、新しい資本主義の下、官民連携による計画的な重点投資を推進し、長期にわたり低迷してきた民間投資を喚起していくことが求められる。

コラム1-4 過去の原油価格上昇局面の経済物価動向と政策対応

我が国経済は鉱物性燃料を輸入に依存している。このため、原油価格が上昇する場合、原油産出国への所得流出により経済が下押しされることは避けられない。同時に、原油価格の上昇は、少なくともガソリン価格や電気代等のエネルギー関連の財・サービスの価格上昇を通じて消費者物価を押し上げる。すなわち、原油価格が上昇する場合には景気の下押しと物価上昇が同時に生じることとなるが、こうした状況が直ちにインフレと不況が同時に生じる、いわゆるスタグフレーションにつながるわけではない。以下では、過去の石油危機と2007~08年頃の経済物価状況やそれに対する政策対応を振り返り、どのような場合にスタグフレーションに陥るリスクが高いのか、陥らないようにするためにはどのような政策対応が求められるのかを検討する。

第1次石油危機では物価と賃金がスパイラル的に上昇しスタグフレーションに

第1次石油危機は、第4次中東戦争をきっかけとして1973年秋に発生し、原油価格は1972年12月から1974年3月にかけて約4.7倍に上昇した(前掲第1-2-1図)。こうした原油価格高騰は輸入物価を押し上げ、1974年5月には前年同月比76.2%まで上昇した。その結果、国内物価も大きく押し上げられ、ピーク時の国内企業物価は前年同月比33.8%(1974年2月)、消費者物価は同24.9%(1974年2月)と大きく上昇した(前掲第1-2-2図(5))。既に1973年春頃から経済全般に物価上昇期待が高まっていた中で、企業・消費者にモノ不足感や物価の先高予想が広まったことが物価を大きく押し上げた。

こうした物価急騰を背景に労働者の賃上げ要求も強まり、1974年の春季賃上げ率は32.9%と、1973年の20.1%を上回る伸びとなり、労働分配率も大幅に上昇した(コラム1-4図(1)<3>)。その結果、GDPデフレーターの伸びも急上昇し、1974年4-6月期には前年同期比21.9%に達した(前掲第1-2-3図(1))。

このような状況の中で、景気は1973年11月をピークとして下降局面に入り、1974年1-3月期の実質GDP成長率は前期比3.4%減となった(コラム1-4図(1)<1>)。年度でみても、1970~73年度までにみられた5~9%程度の高成長から、1974年度は一気にマイナス0.5%まで落ち込み、年度としては戦後初めてのマイナス成長を記録した。賃金が上昇する一方で生産が低下し、単位労働コスト(1単位の生産に必要な労働費用)の伸びが大幅に高まったことで、物価を更に上昇させる圧力となった(コラム1-4図(1)<4>)。

これに対して政府は、物価安定を最優先の政策課題と位置付け、財政・金融両面から総需要抑制策を実施した。財政面では、1974年度の公共事業関係支出を前年度水準以下に抑えることとしたほか、国民生活に関係の深い物資についての標準価格設定等を行った。また金融面でも、1973年4月から12月にかけて公定歩合を4.25%から9%へ5回にわたって引き上げるなど、財政政策と歩調をあわせて抑制策が進められた。また、金融引締めをより効果的なものとするため、商社・建設・不動産等に対する選別的な融資規制措置、直接行政指導による民間設備投資抑制や建築規制といった補完的手段も講じられ、設備投資の抑制にもつながった。

こうした厳しい調整過程を経て「全治3年」(福田赳夫経済企画庁長官(当時))といわれた第1次石油危機は次第に収束していくことになった。収益が悪化する中で、企業も減量経営に努め、人員削減措置など厳しいコスト削減を実施したことで、労働生産性が高まり、単位労働コストの伸びは鈍化し、価格競争力の回復、企業収益の下支えにつながった(コラム1-4図(1)<4>)。こうした中で、GDPデフレーターの上昇率も1975年以降は収束に向かい、結果的に失業率も大きく悪化はしなかった(コラム1-4図(1)<5>)。

第2次石油危機では過度なインフレは回避され、景気への影響も軽微

第2次石油危機では、1978年末のイランの政情不安を契機として、1978年12月から1980年7月にかけて原油価格が13.66ドルから30.11ドルへと約2.2倍に急騰した(前掲第1-2-1図)。1978年終わりから1980年初にかけて進んだ円安の影響も加わり、円ベースの輸入物価の前年同月比は1980年2月に89.3%に達し、第1次石油危機を上回る伸びとなった。一方、第1次石油危機の経験を踏まえた企業や家計の冷静な対応に加え、政府による早期の物価対策の効果もあり、ピーク時の国内企業物価は前年同月比18.4%(1980年4月)、消費者物価は同8.7%(1980年9月)にとどまった(前掲第1-2-2図(3))。

こうした中で、1979年の春季賃上げ率は6.0%と1978年の5.9%とほぼ同程度の伸びにとどまった。第1次石油危機の経験を活かし、労使双方が適度な賃上げ交渉を行うことが可能な環境が醸成されていたことに加え、物価上昇も比較的穏やかであったことが影響した。また、経済が緩やかながら拡大を続けたことから単位労働コストの上昇も緩やかなものとなった。その結果、労働分配率は横ばい圏内で推移し、GDPデフレーターも1979年は2.8%の上昇にとどまるなど(前掲第1-2-3図)、第1次石油危機の際にみられた物価と賃金のスパイラル的な上昇にはつながらなかった。

政府は第1次石油危機の経験を踏まえ、早期に物価対策を講じた。1979年2月には、生活関連物資の価格監視・供給安定策の推進、抑制的な財政運営の維持などの8項目の物価対策からなる「物価対策の総合的推進について」を策定した。また、金融面においても、1979年4月から公定歩合引上げを含む金融引き締め政策に転換し、インフレ防止体制をとることで国民の間にインフレ期待が定着するのを未然に防止した。

その結果、第2次石油危機による景気への影響は第1次石油危機に比べれば軽微にとどまった。景気のピークからボトム(1980年1-3月期から1983年1-3月期)までの平均成長率は約0.7%と、第1次の同約マイナス0.4%(1973年10-12月期から1975年1-3月期)を上回り、失業率はむしろ低下した(コラム1-4図(1)<1>、<5>)。

景気への影響が軽微にとどまった要因として、設備投資が堅調に増加したことも挙げられる(コラム1-4図(1)<2>)。特に、原油価格の上昇を受けて省エネルギー関連投資の割合が大きく高まった(コラム1-4図(2)<1>)。こうした積極的な省エネルギー投資を通じてエネルギー消費効率(エネルギー消費単位当たりの実質GDP)が改善したことにより、エネルギー構成に占める石油比率も低下した(コラム1-4図(2)<2>、<3>)。

第1次石油危機では物価と賃金のスパイラル的な上昇につながったことで、その後のインフレ抑制過程でマクロ経済にも大きなマイナスの影響が生じた。それに対し、第2次石油危機ではこうした物価と賃金のスパイラル的な上昇は回避され、省エネルギー投資を中心に設備投資が堅調に増加したことで景気への影響も軽微にとどまり、エネルギー消費効率の改善も進んだ。

2007~2008年頃の原油価格高騰局面は、リーマンショック後、原油価格が急落

石油危機以外に原油価格が高騰した局面として、リーマンショック前の2007~08年頃もある。この時の特徴としては、世界的な金融緩和が続く中で原油取引への投機マネーの流入などを背景に原油価格が短期間で急騰したものの、リーマンショック後に急落し、原油価格の高騰が短期間にとどまるとともに、為替レートが円高方向に転じたことが挙げられる(コラム1-4図(1)<6>)。また、第1次、第2次石油危機と比べると、石油依存度が低下する中での価格上昇であったこともあり、物価全体への影響の広がりも小さかった。デフレ脱却に向けた途上にあり、基調的な物価上昇率が低かったこともあり、ピーク時の企業物価の前年同月比は7.5%(2008年7月)、消費者物価は同2.3%(2008年7月)と、いずれも過去の石油危機時を大きく下回った(前掲第1-2-2図(5))。GDPデフレーターは2008年度に一時的にプラスとなったものの、2009年度以降、景気が大幅に悪化する中でマイナスに転じ、インフレが懸念されるような状況にはならなかった(前掲第1-2-3図(2))。

リーマンショック前は、世界経済の成長鈍化と世界的な資源・食料価格の高騰を受けた物価上昇等に対応する観点から「安心実現のための緊急総合対策」(2008年8月29日)が策定された。リーマンショック後は、物価上昇への対応から世界的な景気後退や金融資本市場への対応に軸足が移り、「生活対策」(同年10月30日)が策定されたほか、2008年10月末と12月に政策金利の引下げが行われた。

2 物価動向とデフレ脱却に向けた課題

前項でみたとおり、我が国の消費者物価は、原材料価格の上昇等を背景として緩やかな上昇が続いている。現在の物価上昇は、デフレ脱却に向けた持続的なものと評価できるだろうか。過去、同じように物価の下落が止まり、デフレ脱却に向けて改善の動きがみられた2006年から2008年頃の局面やアメリカ、ユーロ圏と比較しつつ、物価を取り巻く環境を点検する。

日本はアメリカやユーロ圏と比べ、エネルギー・食料以外の価格上昇率が低い

原油をはじめとする原材料価格の上昇等を背景に、我が国の物価は上昇しているが、米欧と比べた上昇ペースに違いはみられるだろうか。生産者物価と消費者物価の推移、消費者物価の押上げ品目の違いなどを、米欧と比較する。

まず生産者物価の推移をみると、2021年以降、いずれの国・地域においても急上昇している(第1-2-6図(1))。特に米欧の伸びは2022年に入って更に高まっており、2022年5月の前年同月比はアメリカが10.8%、ユーロ圏が36.3%と高い伸びとなっている。2022年5月の日本の生産者物価15は前年同月比9.1%と欧米に比べると低め16となっているものの、高い伸びを記録した。

国際商品市況の高騰は、輸入物価の上昇を通じて企業間取引から最終消費財へと徐々に転嫁され、消費者物価にも影響を与え得る。そこで、消費者物価(総合)の推移をみると、2021年以降、いずれの国・地域においても上昇している(第1-2-6図(2))。ただし、2022年5月の伸びは、アメリカが前年同月比8.6%、ユーロ圏が同8.1%といずれも大きな伸びとなっている一方で、日本は2.5%と相対的に低い伸びにとどまっている。

消費者物価の伸びを品目別にみると、2021年以降、日米欧ともに石油や石油製品といったエネルギー関連財の価格高騰が押上げに寄与している(第1-2-6図(3))。また、食料品価格も2021年以降は上昇幅が拡大している点も共通している。一方で、石油製品や食料以外の財の動きをみると、感染症による景気の落ち込みからの回復が早かった米欧では上昇がみられる一方で、日本は低迷している。また、サービス価格の伸びも弱く、日本のコアの伸びが低い一因となっている。日本の場合、2021年4月以降、携帯電話料金の引下げの影響を受けて通信料が押下げに寄与していた中で、宿泊費や外壁塗装費などは押上げに寄与しているが、全体としてはわずかな上昇にとどまっている。この間、アメリカやユーロ圏のサービス価格は安定的に上昇が続いており、消費者物価が全体として下落した2021年においても、前年比で上昇していた。

このように感染症後の需要回復に加えて、ウクライナ情勢等を背景とした原油をはじめとする原材料価格の上昇等を背景として、日米欧の生産者物価・消費者物価はともに上昇しているが、日本の消費者物価の伸びはエネルギーや食料品以外の財やサービスの価格上昇が相対的に弱く、最終財への価格転嫁が抑制されている。

2006~2008年頃と比べて価格上昇品目に広がり

消費者物価の伸びは現時点で米欧に比べて弱いものの、過去と比べた価格上昇の広がり、価格転嫁の程度に違いはみられるだろうか。消費者物価の物価上昇品目数割合、輸入価格弾性値の変化について、デフレ脱却に向けて改善の動きがみられた2006年から2008年頃の局面(以下「前回局面」という。)と比較する。

まず、消費者物価(コア)について、価格上昇品目数割合と下落品目数割合の差(物価上昇品目数割合)をみると、2021年半ば以降は大きく上昇し、2022年5月には45%に達している(第1-2-7図(1))。品目別には、食料品が最も多く、次いで、教養娯楽、被服及び履物、家具・家事用品などとなっている。2021年初以降、原油だけではなく、食料品や鉄鋼・アルミなど幅広い品目で国際市況が高騰した影響を受け、食料品、家電、住宅設備費など幅広い生活関連財の価格が上昇している。前回局面と比べてみても、今回は食料品以外も含めた幅広い商品でプラスとなっており、価格上昇品目に広がりがみられる。

こうした中で、輸入物価上昇による消費者物価への転嫁状況に違いはみられるだろうか。消費者物価と輸入物価の平均上昇率から弾性値を求めると、前回局面の0.07(1.1%/15.7%)に対し、今回は0.05(0.9%/19.2%)とおおむね同水準となっている(第1-2-7図(2))。前回局面の輸入物価上昇は「石油・石炭・天然ガス」が中心であったことから、消費者物価の上昇もエネルギー中心となっていた。一方で、今回は「石油・石炭・天然ガス」に加えて「その他」の押上げ寄与の方が大きいことから、消費者物価にも同じ傾向がみられており、幅広い品目に価格転嫁が広がっている。同じ輸入物価の上昇であっても、原油など特定品目に価格上昇が集中した前回局面と、原油以外も含む原材料価格の高騰や為替レートの円安方向への推移がみられる今回との違いが、価格転嫁の程度にも影響している。

このように、消費者物価指数(コア)についてみると、今回は前回局面と比べて輸入価格の浸透度に大きな変化はみられないが、エネルギー・食料品だけではなく、それ以外の品目にも価格上昇の広がりがみられるという特徴がある。

財・サービスともに正規価格の価格改定頻度は横ばいで推移し、価格粘着性が高い

今回の価格上昇局面では、デフレ脱却に向けて改善の動きがみられた前回局面より価格上昇品目に広がりがみられるが、物価上昇率は米欧を下回った状態が続いている。こうした違いが生まれる背景には、感染症後の景気回復過程の違いに加えて、長引くデフレの下での価格据え置き慣行の定着など企業の価格設定行動を通じた価格粘着性が影響している可能性がある。そこで、才田他(2006)、倉知他(2016)などを参考に、小売物価統計から計測された消費者物価(総合)ベースの価格改定頻度の推移を確認する。価格改定頻度が高いほど価格粘着性は低く、価格改定頻度が低いほど価格粘着性が高いと考えられる。

我が国の2005年以降の価格改定頻度をみると、緩やかに上昇している(第1-2-8図(1)17。内訳をみると、財は緩やかに上昇する一方で、サービスは横ばい圏内の動きとなっている。2015~19年の5年平均の水準で比較すると、総合は31.7%/月、財は42.2%/月となっている一方で、サービスは4.3%/月と、相対的に低い水準となっている。

財がサービスに比べて高水準にあるのは、特売をはじめとする一時的な価格改定が押し上げているとの指摘がある。特売など一時的な価格改定による値下げと値戻しが商品間で相殺されることで、価格改定頻度が高まる一方で、マクロレベルの物価上昇率は大きく変動しないと考えられる。このことを確認するため、倉知他(2016)に基づき、特売などの「一時価格」のよる改定と定価に代表される「正規価格」の改定を分けて改定頻度をみる18と、2005年以降、財・サービスともに「正規価格」の改定頻度は横ばい圏内の動きとなっている(第1-2-8図(2))。一方で、特に財は特売等の「一時価格」の改定頻度が2015年頃まで上昇傾向にある。小売店・メーカー間の価格競争の高まり、収益改善策の一環として在庫削減が進められたこと、価格に敏感な消費者が増加したことなどが影響していると考えられる19

サービスについては、財よりも改定頻度の水準が低いことに加えて、全体の改定頻度と「正規価格」の改定頻度に大差がなく、一時的な改定が少ない。サービスは、財と比べて総費用に占める労働コストの割合が高く20総費用の変動が小さいため、価格改定を行う必要性も低かったと考えられる。また、企業が価格改定を行う際、一定の価格改定コストが存在するが、値上げに最低限必要な価格改定コストが、全体の物価上昇率より高い局面が続くと、価格改定を行うメリットがコストを下回り、価格改定が生じにくいと考えられる。

2005年以降、我が国の価格改定頻度は上昇しているが、財の一時的な価格改定頻度が高まっているものの、財・サービスの正規価格はおおむね横ばいで推移し、価格粘着性が高い状態が続いている。消費者が正規価格の据え置きを当然のことと受け止め、わずかな上昇も許容しない状況が続くと、企業は価格を少しでも上げれば顧客が大きく減ると恐れ、コストが多少上がっても価格を据え置くという行動につながる懸念もある。

サービスの質に見合った適正な価格設定が行われる環境整備が重要

今後、更に景気回復やコスト上昇が続くと、価格粘着性が低下し、日本のサービス価格はアメリカやユーロ圏のように上昇に向かうことが期待できるのだろうか。サービスの質と価格の関係を分析することで、我が国企業のサービス価格の在り方について考える。

まず、我が国のサービスの質について、日米を比較した結果をみる。日本生産性本部が2009年・2017年に実施した調査では、アメリカ滞在経験のある日本人及び日本滞在経験のあるアメリカ人を対象に、コンビニ、地下鉄、クリーニング、病院、タクシー、ホテル、外食など様々な分野で、日本とアメリカのサービス品質の違いに対し、どの程度の価格を追加で支払ってもよいかを尋ね、品質差を貨幣価値換算して定量化している21。これによれば、2009年調査においては、日本人は20分野中19分野、アメリカ人は同16分野、2017年調査においては、日本人は28分野中26分野、アメリカ人は同25分野で、日本の品質が相対的に高いと答えている。日本人にとってもアメリカ人にとっても、多くの分野のサービスで日本の方がアメリカよりも品質が高いと認識されている。

このようなサービスの品質の向上と価格上昇の関係を考えるため、日本とアメリカのサービスの品質差について、それぞれの国民による評価を2009年と2017年で比較する。これによると、日本のサービスについて、「日本人が、相対的に日本の質が高いと思うもの」、「アメリカ人が相対的に日本の質が高いと思うもの」で、「2017年にかけてこうした傾向が強まっているもの」として、理容・美容、旅行、クリーニング、ファミリーレストランが挙げられる(第1-2-9図(1)、(2))。

一方、こうしたサービスについて、両国で価格指数が比較可能なサービス価格の伸びを比較すると、多くの品目で日本はアメリカを下回る傾向にある(第1-2-9図(3))。日本では「良いものを安く」という姿勢の下で、品質の向上を価格に反映させず、実質的な値下げで顧客に還元する傾向があることなどが考えられる。サービスの質の向上を進める中で我が国のサービス価格が安定的に上昇し、価格転嫁されていく環境を、データやエビデンスを踏まえ、官民で整備していくことが必要であると考えられる。

3 賃金上昇に向けた課題

デフレ脱却には、原材料価格の上昇等の外的要因に起因する一時的な物価上昇ではなく、企業収益の改善が賃金上昇につながり、個人消費や設備投資が増加する下で経済全般の需給が持続的に改善していく経済の好循環を実現する必要がある。本項では、その好循環実現のカギとなる賃金上昇に向けた課題を整理する。

一般・パートの賃金はいずれも持ち直し

現金給与総額(労働者一人当たりの平均賃金)の前年比の推移をみると、感染拡大を受けて2020年春に大きくマイナスとなった後、2020年年末を除いてマイナス幅が徐々に縮小し、2021年春以降はプラス圏内で推移してきた(第1-2-10図(1))。2021年10月以降、全ての都道府県で緊急事態宣言等が解除される中で、前年比の伸びは緩やかに高まりつつある。現金給与総額の内訳をみると、一般労働者の変動がこの間の動きに大きく寄与してきた。

そこで一般労働者の現金給与総額の動きをみると、所定内給与は2020年の後半からマイナス幅の縮小が始まり、2021年にはプラスへと転じている(第1-2-10図(2))。残業時間に連動する所定外給与は、生産活動の持ち直しに合わせてマイナス寄与が縮小し、2021年春以降はプラス寄与で推移している。ボーナスを含む特別給与は大幅なマイナス寄与が2021年初まで続いてきたが、企業収益が改善する中で2021年秋以降プラス寄与に転じ、所定内給与とあわせて一般労働者の現金給与総額の持ち直しに寄与している。

一方、パートタイム労働者については、感染対策に伴う休業等の影響もあり、所定内給与は増減を繰り返してきた。休業等の影響により所定内労働時間が減少していることに加え、残業時間も低水準となっており、2021年に入ってからも所定外給与は横ばい圏内の動きが続いている。ただし、一般労働者とは異なり、ボーナスを含む特別給与は、プラス傾向で推移しており、2020年4月以降の同一労働同一賃金の導入による非正規雇用労働者の処遇改善が背景にあるものと考えられる。これらの動きによりパートタイム労働者の現金給与総額は、2020年後半以降、振れを伴いながら横ばい圏内で推移している。

賃金については、感染拡大以降、対面型のサービス業を中心に経済社会活動の制限が断続的に続いていたことから、勤務時間に連動する所定外給与やパートタイム労働者の所定内給与を中心に2021年半ばまで弱い動きが残っていたが、2021年秋以降、ウィズコロナの取組が進む中で持ち直しの動きがはっきりとしている。今後、経済社会活動の正常化が進む中で継続的・安定的な賃金の増加につながっていくことが期待される。

賃金の伸びは労働生産性の伸びを下回って推移

現下の物価基調の下で「デフレ脱却」といえる環境を実現するためには、時間当たり賃金が継続的・安定的に増加し、その増加が個人消費の増加につながることで、需給の引締まりを伴いつつ持続的・安定的な物価上昇に落ち着いていくという好循環を実現していくことが必要となる。こうした観点から、物価上昇率と賃金上昇率、賃金上昇を支える労働生産性の上昇率を比較する。

まず、賃金と物価に関係があるかどうかを確認する。これによると、1997年以前は名目賃金上昇率が物価上昇率を上回っていたのに対して、それ以降は同程度もしくは下回っており、名目賃金の伸びが物価の伸びに対して十分とはなっていない(第1-2-11図(1))。この背景には、これまでデフレが長期間継続してきたことにより、家計や企業にデフレマインドが残っていること、価格競争の激化もあり、企業が人件費上昇を価格に転嫁しにくくなっていることなどがあると考えられる。

持続的な賃金上昇を実現するためには労働生産性の向上が重要となる。このため、賃金と労働生産性の関係を確認する。なお、雇用者数と一人当たり労働時間を乗じた労働投入(マンアワーベース)当たりの労働生産性との関係をみるため、賃金は時間当たりの実質賃金を使用する。実質賃金の推移をみると、2000年代に緩やかに増加し、2010年代前半に横ばい圏内で推移した後、はっきりとした増加基調にある(第1-2-11図(2))。ただし、労働生産性と比べると、2000年以降、実質賃金の伸びは労働生産性の伸びを総じて下回っている。家計に分配されたのは労働生産性の増加の一部にとどまってきたことが確認できる22

実質賃金の伸びが労働生産性の伸びを総じて下回ってきた背景を確認するため、2000年以降の累積実質賃金上昇率について、労働生産性、労働分配率、交易条件等に要因分解してみよう。これによると、2000年以降においては、振れを伴いながらも労働生産性要因が押上げに寄与する一方、労働分配率が押下げに寄与している(第1-2-11図(3))。労働生産性の伸びに比べて実質賃金の伸びが低い要因として、2000年以降、労働分配率23が低下傾向で推移してきたことが指摘できる。加えて、2011年以降は交易条件等の要因も押下げに寄与している。東日本大震災以降、原子力発電所の停止に伴う火力発電への代替等により、鉱物性燃料の輸入が増加したことなどが背景にある。

まずは投資を喚起し、労働生産性をより高めていくとともに、労働生産性の上昇に見合った賃金上昇を実現していく必要がある。このためには、継続的・安定的な賃上げや人への投資を通じて労働分配率を高めていくとともに、省エネルギー等の取組を通じて交易条件の悪化に歯止めをかけていくことが求められる。

企業は賃金決定に当たって労働生産性や物価動向を重視していない

今後、労働生産性の伸びに見合った賃金上昇を実現していくためには、どのような取組が期待されるだろうか。企業の賃上げ状況をみると、「昇給・ベースアップともに実施」した企業は2014年から2019年まで5割超で推移してきたが、感染症の影響等もあって2020年以降、2年連続で減少している(第1-2-12図(1))。また、2021年の月例賃金の引上げ率(1.96%)の内訳をみると、大半が昇給となっている(第1-2-12図(2))。昇給は個々の労働者にとっては賃金上昇となるものの、企業や経済全体でみると、賃金が高い労働者が退職等により賃上げの対象から抜ける一方、賃金が低い新卒等の労働者が賃上げの対象に加わることになるため、一人当たり平均賃金の上昇にはつながらない。一人当たり賃金の持続的な上昇にはベアや賞与の増加が重要となるが、2020年以降、ベア分は2年連続して0.1%台となっている。

好循環実現のためには、実質賃金が労働生産性の伸びに見合って上昇し、それに物価上昇率を上乗せした伸びで名目賃金がおおむね上昇していくことが求められる。しかし、企業は賃金決定に当たって、必ずしも労働生産性や物価動向を重視していない。厚生労働省の調査により企業が賃金決定にあたって主に考慮した要素をみると、2000年以降、「企業業績」や「世間相場」の割合は低下する一方、「労働力の確保・定着」や「雇用の維持」の割合が上昇している(第1-2-12図(3))。こうした中で、これまで物価上昇率が低い状況が長期間続いてきたこともあり、「物価の動向」の割合は0~1%程度にとどまっている。また、日本経済団体連合会による調査をみても同様の傾向が確認されるほか、「生産性の向上」を重視する割合も3~4%程度の低い水準にとどまっている。

世界的な原材料価格や物価上昇を背景に、我が国の輸入物価は約41年ぶり、消費者物価も消費税増税期間を除くと約30年ぶりの上昇率となっている。こうした局面を乗り切り、スタグフレーションに陥らないためには、政府が実施する国民生活の安定に向けた物価対策に加え、賃金を着実に引き上げていくことが重要である。さらに、2%程度の持続的・安定的な物価上昇率とそれに見合った賃金上昇率という新たな価格体系に円滑に移行していくことが必要である。こうしたマクロ経済面での課題に対処していくためには、賃金引上げの社会的雰囲気を醸成していくとともに、経済や物価動向等に関するデータやエビデンスを踏まえ、適正な賃上げの在り方を官民で共有していくことが必要である24


(12)需給ギャップの大きさについては、前提となるデータや推計方法によって結果が大きく異なるため、相当の幅をもってみる必要がある。
(13)連合が公表した第7回(最終)集計結果では、「定昇相当込み賃上げ計」は6,004円・2.07%(前年同時期比824円増・0.29ポイント増)、うち「賃上げ分」は1,864円・0.63%(前年同時期比262円増・0.08ポイント増)となっている。
(14)水準については幅をもってみる必要があるが、2022年1-3月期のGDPギャップは-3.6%程度、-20兆円程度と試算される。
(15)消費税率引上げの影響を調整した国内企業物価。
(16)日本の生産者物価指数は、最終需要や中間需要といった需要段階の異なる品目の価格について、グロス取引額で加重平均した総平均指数として作成されており、川上の生産段階における価格変動の影響を過大評価し、相対的に上昇率が高めに出る傾向がある。一方で、例えばアメリカの生産者物価指数は、生産段階ごとの品目や取引額を用いて指数を作成しており、一般に参照されるのは最終需要向け財・サービスの価格指数である。実際に、アメリカの生産者物価(最終需要向け財・サービス:前年同月比10.8%(2022年5月))に相当する日本の「最終需要・中間需要物価指数」における最終需要財の伸びをみると、2022年5月は同3.0%と日本の生産者物価指数の伸び(同9.1%)を下回っている。
(17)2014年4月、2019年10月からの1年間は、消費税率の引上げに伴い、広範な品目で一時的に価格改定頻度が上昇した。
(18)倉知他(2016)では、一定の期間内における価格の最頻値を「正規価格」と定義し、実際の価格がこの「正規価格」と異なる場合は、一時的に変動するとみなし、両者を区分けしている。
(19)倉知他(2016)。
(20)内閣府(2022)によると、国内生産に占める雇用者所得の割合は財(18.1%)、サービス(34.2%)。
(21)2009年調査では、日本を100としたときの相対的なサービス品質(及び価格)を50~150で数値化(等品質を含めて11段階で評価)したものを公表しているため、2017年調査とはサービス品質の評価方法が異なる。このため、両調査の比較を定量的に行うことは厳密にはできないが、日本生産性本部によると、仮に両調査を便宜的に時系列比較しても、2009年からの8年間で大まかに品質差が縮小/拡大したのかといった方向感はある程度あらわしているとされる。
(22)労働生産性について、景気動向に対し雇用の調整が遅れる傾向があるため、景気後退局面に低下し、景気拡張局面に上昇する傾向がある。2020年は、感染拡大の影響を受けて国内総生産が急減した一方で、雇用の落ち込みが限定的であったことから、前年と比べて低下した。
(23)景気後退期(2008年~09年、2018年~20年)には、国内総生産と比べて雇用や賃金の減少が小幅にとどまるため、労働分配率は上昇する傾向がある。
(24)「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」(2022年6月7日閣議決定)では、「新しい資本主義実現会議において、価格転嫁や多様な働き方の在り方について合意づくりを進めるとともに、データ・エビデンスを基に、適正な賃金引上げの在り方について検討を行う。」とされている。
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