第3章 グローバル化が進む中での日本経済の課題 第3節

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第3節 グローバル化が進展する中での日本経済の課題

本節では、グローバル化が日本経済にもたらす変化について、主に貿易や対外直接投資が国内の生産性や雇用、賃金に与える影響に焦点を当てて分析する。具体的には、企業レベルのデータを用いて、輸出や対外直接投資を行う企業と国内中心に事業を行う企業とを比較することにより、海外との取引を行う企業の方が生産性、雇用、賃金が高くなっている可能性があることを示すとともに、直接的にグローバル化の経済効果が及びにくい企業や労働者が存在することも踏まえた上で、グローバル化に対応するための日本経済の課題について考察する。

1 グローバル化が国内の生産性等に与える影響

貿易はどのような利益や損失をもたらすのか

国際貿易が経済的な利益をもたらすメカニズムについては、伝統的な貿易理論(リカードの比較優位論、及び、ヘクシャー=オリーンの貿易理論)によると、国・地域によって生産技術や生産に用いる資本・労働の賦存量が異なるため、それぞれが比較優位を持つ財の生産に特化し、それらを互いに貿易することにより、消費できる財の組合せがより望ましいものとなる「交換の利益」が生じるとともに、生産効率が相対的に高い産業に特化することにより一国の生産性が高まる「特化の利益」が生じるとされてきた。ただし、既に第1節でみたように、現在の国際貿易は、必ずしも各国が異なる産業に特化している訳ではなく、同じ産業内において互いに貿易が行われている状況となっている。こうした現状を踏まえて、近年発展してきた新たな貿易理論(メリッツ・モデル)では、貿易にかかる固定費用を賄うことができる生産性の高い企業が輸出を行う傾向があり、そうした高生産性企業に労働や資本などの経営資源がシフトしていくことで、産業全体としても生産性が高まる効果を持つことが示されている35。他方で、貿易の拡大や対外直接投資などグローバル化の進展により、一部の産業では雇用が失われたり、賃金格差が生じるのではないかといった懸念があることも指摘されている。

以下では、こうした観点を念頭に置きながら、日本企業の企業レベルのデータを用いて、貿易が国内の生産性・雇用・賃金等に与える影響について、実証的に検証する。

輸出企業は少数だが、輸出依存度は低く、生産性などは高い

まず、ここでは、新たな貿易理論(メリッツ・モデル)に基づき、企業レベルでみて、輸出を行っている企業は、そうでない企業と比べて、生産性、雇用、賃金などにどのような相違があるのかについて、先行研究の成果を整理する。

先行研究36によれば、日本、アメリカ、ドイツ、フランス、英国において、輸出額の多い上位10%の企業は、各国の輸出額全体の8割から9割を占めている一方、売上高の半分以上を輸出で得ている企業の数が全体に占める割合は、いずれも1割ないしそれ以下と低い水準となっており、主要先進国に共通する特徴として、輸出をする企業は全体のごく一部だが、そうした企業は、輸出に依存して売上高を維持しているわけではないことが分かる(付図3-8(1)(2))。

また、輸出企業と非輸出企業のパフォーマンスの違いを比較するため、生産性(TFP:Total Factor Productivity37、付加価値、雇用者数、賃金の4つの変数について、輸出企業の平均値を非輸出企業の平均値で割った「輸出プレミアム」と呼ばれる指標をみると38、主要国の全ての変数が1を上回っており、輸出企業の平均値が非輸出企業の平均値を上回っている(付図3-8(3))。生産性については、日本、フランスの輸出プレミアムが高く、輸出企業の方が、約30%程度、生産性が高い。また、付加価値についても、日本の輸出プレミアムは5.22、フランスは2.68という高い値が報告されている。雇用者数では、英国を除いて、輸出企業は非輸出企業よりも、約2~3倍となっている。賃金については、日本、アメリカ、英国などでは、輸出企業の方が、約10%~20%程度高い。

このように、先行研究では、主要先進国に共通する特徴として、輸出をする企業は全体のごく一部だが、そうした企業は、輸出に依存して売上高を維持しているわけではないこと、また、非輸出企業と比較した場合の輸出企業の平均的な特徴として、生産性が高いほか、雇用者数などの企業規模が大きく賃金も高いことが示されている。

経済学解説<7>:企業活動からみた貿易立地論

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各国のデータが示すように、なぜ輸出をする企業は全体のごく一部にすぎないのでしょうか。こうした事実は、企業レベルのデータを使った研究が行われるようになって観察されたことですが、この疑問に対して、従来の貿易理論では答えを見出すことは難しかったため、21世紀に入ってからこの事実を説明するための新たな貿易理論が発展しました39

そもそも、19世紀から研究されていた産業間の貿易に関する伝統的な貿易理論(リカード・モデルやヘクシャー=オリーン・モデルと呼ばれています)では、一国内の全ての企業が同質であるという仮定を置いているため、比較優位を持つ産業の企業は全て輸出を行うことが想定されています。また、1980年代に発展した産業内の貿易に関する新しい貿易理論(新貿易理論、または、クルーグマン・モデルなどと呼ばれています)においては、ブランド戦略によって他社との差別化に成功した企業は国内販売も輸出も行うことが想定されており、なぜ同じ産業内に輸出をする企業としない企業が存在するのかということについてまで説明することはできませんでした。

1990年代以降、各国の統計やデータが整備され、企業レベルのデータが利用可能になったことで、輸出を行う企業は同じ産業の一部の企業に過ぎないことや、輸出を行う企業の生産性が他の企業と比べて高いことなどの事実が蓄積されてきました。こうした事実を整理する理論的枠組みとして、企業ごとに異なる属性(主には生産性の違い)を有することを考慮した貿易モデル、メリッツ・モデルが提示されました40

メリッツ・モデルは、生産性が異なる企業が存在する現実を踏まえ、生産性の高い少数の企業のみが輸出を行うモデルを構築しました。この理論の基本的な発想は、生産性の高い企業のみが、輸出に要する大きな固定費用をまかなうほどの利潤を得ることができるというものです。そして、この理論から、新しい貿易利益の存在が示されました。関税をはじめとする貿易障壁の低下によって、世界規模での競争が活発になると、それまで貿易障壁に守られていた生産性の低い企業は市場からの退出を余儀なくされる一方で、生産性の高い企業の生産量は拡大し、それによって、国全体の平均的な生産性が上昇するというものです。

国全体の平均的な生産性の上昇は、人々の実質所得の上昇を意味するため、国内産業に厚い保護を与えると企業の新陳代謝がうまく機能せず、生産性の上昇が阻害され、国全体にとって不利益となる可能性があることが示唆されます。ただし、輸出や海外進出などで国際化した企業とそうでない企業との間で、そこで働く人々の賃金格差が拡大するなどといった経済的な格差が存在するような場合には、政策的な対応が必要となる可能性もあることに注意が必要です。

国際化企業は全体的に生産性が高いが、生産性が高くても国際化していない企業も存在する

前述の先行研究の結果も踏まえ、ここでは、日本企業について、経済産業省「企業活動基本調査」の調査票情報を用いて、利用可能な最新時点である2016年度について、詳細に確認する。

まず、輸出額上位の企業が輸出額全体のどれくらいの割合を占めるかをみると、上位1%の企業で  61%と半分強を占めており、上位10%までの累計では全体の91%を占めていることから、最新時点においても、輸出総額の大部分は輸出企業のうち少数の上位企業によって占められていることが分かる(第3-3-1図(1))。

次に、最新時点において、輸出企業の平均値を非輸出企業の平均値と比較した「輸出プレミアム」をみると、輸出企業の方が、生産性では約16%、雇用者数では約2倍、賃金では約21%程度高いことが分かる(第3-3-1図(2))。

最後に、輸出企業にも非輸出企業にも様々な企業が存在することを勘案し、輸出企業と非輸出企業の生産性の分布を比較しても、両者の間に違いがあるといえるかを確認する。ここでは、若杉(2011)を参考に、輸出だけでなく、対外直接投資(FDI:Foreign Direct Investment)も考慮して、<1>輸出もFDIもしていない「非国際化企業」、<2>輸出はしているがFDIはしていない「輸出企業」、<3>FDIはしているが輸出はしていない「FDI企業」、<4>輸出もFDIもしている「輸出・FDI企業」の4つの属性に企業を分類し、2016年度のデータを用いて、各企業の生産性(TFP)の分布をみてみよう(第3-3-1図(3))。非国際化企業の分布と比べて、輸出またはFDIの少なくともいずれかに従事している「国際化企業」の分布は全体的に右に寄っており、全体的に生産性が高いことが分かる。ただし、非国際化企業と国際化企業の分布の重なりが大きいことから、生産性が高いにもかかわらず国際化していない企業や、逆に生産性が低いのに国際化している企業も存在することが分かる。このようなタイプの企業の存在は、メリッツ・モデルが示すように、生産性の違いだけでは日本企業の国際化行動を説明することはできないことを示唆している。このことから、生産性以外に、日本企業の国際化にとって観察できない企業特性が重要な役割を担っていることや、非市場的なメカニズムが働いていることがうかがえる41

輸出を開始することで生産性が高くなる可能性がある

これまでは、輸出企業の方が非輸出企業よりも平均的に生産性が高いことをみてきたが、因果関係はどうであろうか。すなわち、生産性の高い企業が輸出をするようになるという可能性が考えられる一方で、逆に輸出を行うと生産性が高くなるという可能性も考えられる42

ここでは、後者の輸出を開始することで生産性が高くなる、という因果関係を把握するために、経済産業省「企業活動基本調査」の調査票情報を用いて、傾向スコアマッチング法を用いた差の差の分析を行った43。具体的には、まず、従業員規模といった各企業の属性情報を用いて、輸出を開始する確率(傾向スコア)を推計した。その後、推計された傾向スコアが同程度で、実際に輸出を開始した企業(輸出開始企業)と開始しなかった企業(輸出非開始企業)を対応(マッチング)させ、それらの企業について、輸出開始後の生産性(TFP)の変化の差を推計した。

第3-3-2図(1)は、輸出を開始する確率(傾向スコア)の推計結果である。これをみると、企業の生産性が同一産業内で相対的に高く、企業の規模(雇用者数)が大きいほど、また負債比率が低く財務の健全性が高いほど、輸出を開始する確率が高まる傾向があることが分かる。

この傾向スコアを用いて、輸出を開始した企業とそうでない企業について、輸出開始の有無以外は企業属性が似通っている企業同士を対応させ、輸出開始前後の生産性(TFP)の変化を両者で比較したものが、第3-3-2図(2)である。これをみると、輸出開始企業の生産性は、輸出開始年から緩やかに上昇していく傾向がみられる。一方、非開始企業の生産性は、振れを伴いながらも低下傾向となっており、標準誤差を考慮すると、生産性の変化率はほぼゼロに近くなっている。

以上をまとめると、輸出を開始した企業は、非開始企業よりも有意に生産性が向上する傾向があることが分かる。この背景としては、国内外の分業体制の強化や海外市場における潜在需要の獲得など、輸出を行ったことによる様々な面での学習の効果として、生産性が向上した可能性が示唆される44

海外企業との共同研究・人材交流等を行うことで、生産性が向上する可能性

以上の分析では、輸出を行うことによって生産性が高まるという因果関係がある可能性が示唆されたが、生産性が高まる経路としては、グローバル化に伴って国際的に知識や技術が伝播するという可能性も考えられる。以下ではこの点について考察する。

ここでは、海外企業との共同研究・人材交流等とともに、海外展開を積極化したり新規に行うことで生産性が向上する、という因果関係を把握するために、内閣府の委託調査「多様化する働き手に関する企業の意識調査」の調査票情報を用いて、基本的な事実を確認した上で、傾向スコアマッチング法を用いた差の差の分析を行った。

まず、委託調査の単純集計を用いて、グローバル化に対応するための取組の状況に関する回答の集計結果をみると、「特に取組は行っていない」と回答した企業の割合が54.1%と全体の半数以上を占めているものの、取組を行っている企業においては、「海外出張の強化」(12.6%)に次いで、「海外の他企業との共同研究や共同事業」(9.5%)や「海外の他企業との人材交流」(6.6%)などを挙げる企業が多いことが分かる(第3-3-3図(1))。

次に、各企業の海外展開(対外直接投資や海外支店、輸出等)の現状に関する回答の集計結果をみると、「海外展開を行うつもりはない」と回答した企業の割合が49.8%と全体の半数程度を占めているものの、「積極的に海外展開を行っている」(23.6%)や「今後、海外展開を行う予定である」(7.5%)と回答する企業も一定程度存在することが分かる(第3-3-3図(2))。

最後に、こうした取組によって生産性が向上するという因果関係があるかを実証的に分析した結果をみてみよう。ここでは、企業の属性情報を用いて、<1>海外企業との共同研究や人材交流等を行う確率と、<2>海外企業との共同研究や人材交流等に加えて、海外展開を積極化したり新たに行う確率の2種類の確率(傾向スコア)を推計し、推計された傾向スコアが同程度で、実際にこのような取組を行っている企業とそうでない企業を対応(マッチング)させ、それらの企業について、生産性(TFP)の変化幅の差を推計した45。推計結果をみると、まず、<1>海外企業との共同研究や人材交流等の取組の有無だけで生じる生産性への押上げ効果は統計的に有意とならなかった。しかし、<2>海外企業との共同研究や人材交流等に加えて、海外展開を積極化したり新たに行うという取組の有無で生じる生産性への押上げ効果については、統計的に有意となっており、生産性に対して+7.3%ポイントの押上げがある可能性が示された(第3-3-3図(3))。

以上をまとめると、グローバル化への対応や取組の状況として、海外企業との共同研究・人材交流や、海外展開の積極化または新規の開始を行っている企業の割合は相対的に低いものの、そうした取組を行っている企業は、そうでない企業と比べて、生産性が向上している可能性が示唆される。

2 グローバル化が国内の雇用・賃金に与える影響

国内の雇用は、貿易相手国の需要に一定程度支えられており、企業の輸出で増加する可能性

グローバル化は、国内の雇用にどのような影響を与えるのだろうか。ここでは、国全体のマクロレベルのデータを用いて基本的な事実を確認した後、日本企業のミクロレベルのデータを用いて、輸出を開始することで国内の雇用が増加するかについて、実証的に検証する。

まず、マクロレベルのデータとして、OECDが国際産業連関表の雇用に関する計数表を用いて作成した雇用関連指標である「TiM(Trade in employment)」を用いて、主要国について、2015年時点における他国の最終需要による雇用者数の割合を確認してみよう(第3-3-4図(1))。顕著な特徴として、ドイツ、フランス、英国などの欧州各国は、他国の最終需要によって支えられている雇用者数の割合が約3~4割と高く、その内訳としては他の欧州の国の寄与が最も大きくなっている。一方、日本(17.0%)やアメリカ(12.7%)は、他国の最終需要によって支えられている雇用者数の割合は低くなっている。ただし、内訳をみると、日本についてはアメリカや中国の寄与が大きく、アメリカについては欧州や中国、日本の寄与が大きいなど、これらの国同士がグローバル・バリュー・チェーンにおいて、雇用面でも密接に関連している状況がうかがえる。

次に、上述の雇用関連指標(TiM)を用いて、主要国について、2015年時点における雇用者数に占める輸出企業とその関連産業における雇用者数の割合をみてみよう(第3-3-4図(2))。両者の割合の合計について、その内訳をみると、中国を除いて各国とも、輸出企業の雇用者数の割合が6割程度と大きいものの、直接輸出を行っていない関連企業における雇用者数の割合も4割程度と一定の大きさを占めていることが分かる。

最後に、日本企業のミクロデータを用いて、輸出を開始することで雇用が増加する、という因果関係を把握するために、経済産業省「企業活動基本調査」の調査票情報を用いて、傾向スコアマッチング法を用いた差の差の分析を行った結果を確認しよう46第3-3-4図(3)をみると、輸出開始企業における雇用者数は、輸出開始年から緩やかな上昇幅で推移していく傾向がみられる一方、非開始企業における雇用者数は低下傾向となっている。

以上をまとめると、貿易によって生じる他国の最終需要が国内雇用に与える影響は、国によってばらつきはあるものの、グローバル・バリュー・チェーンなどにおいて密接に関連している貿易相手国の最終需要によって支えられている国内雇用の割合が一定程度存在すること、また、日本企業においては、輸出を開始した企業は、非開始企業よりも有意に雇用が増加する傾向があることが分かる。こうしたことから、グローバル化は、輸出企業において国内雇用を創出する効果があることが示唆される。なお、グローバル化が国内雇用全体に対してプラスの影響があるかどうかは、貿易や対外直接投資によって代替された雇用がどの程度あるかによるが、以下のコラムで整理したとおり、雇用へのマイナスの影響は限定的であると考えられる。

コラム3-3 企業の海外進出の国内雇用への影響

企業の海外進出が進むことで、国内の雇用が失われることはないのでしょうか。例えば、製造業が生産工場を国内から海外へと移転し、国内の工場を閉鎖した結果、それが国内の雇用の削減につながる、といったことはないのでしょうか。

こうした点について、これまで多くの研究がなされてきました。主要な研究の結果をコラム3-3図にまとめていますので、順番にみていきましょう。

まず、海外に進出している企業が国内にとどまる企業よりも雇用を削減しているという事実は、(少なくとも平均的には)確認されていません。これは、国内の親会社と海外の子会社との関係についてだけではなく、取引先企業との間でも同様です。

また、相対的に低いスキルの労働者の需要には影響がありそうですが、スキル別にみた労働需要への影響は、高いスキルの労働者の需要にはプラスですが、相対的に中程度ないし低いスキルの労働者の需要には影響しないことが確認されています。

それでは、なぜ国内雇用へのマイナスの影響が確認されないのでしょうか。その理由の1つとしては、海外子会社数を増やしている企業が、製造部門を海外に移転し、国内では本社部門を拡大させていることが確認されています47

ただし、企業の海外進出と国内雇用の創出・喪失に着目した研究の中には、マイナスの効果を確認しているものもあります。一部の研究では、海外子会社数が増加していない企業については、国内雇用が減少していることを確認しています。

海外に進出している企業が国内にとどまる企業よりも雇用を削減しているという事実が確認されない一方、一部の研究では、国内の未熟練労働者については、国内の資本(例えば、機械化の進展)によって代替されている可能性があることが指摘されています。

企業の海外進出と国内雇用の関係については、現在も様々な研究が進められており、今後も多様な観点に基づく知見が蓄積されていくことが期待されます。

貿易によって生じる産業内での技能労働への需要シフトが賃金格差につながる可能性も

これまではグローバル化がもたらす利益として、貿易による生産性の向上や国内雇用の増加の可能性について検証してきたが、グローバル化は必ずしも望ましい効果だけを生むとは限らない。また、経済全体としては利益があっても、個別にみれば利益を得る主体と、逆に損失を受ける主体が存在するかもしれない。こうした観点から、貿易と国内の賃金について、特に学歴や職種等の違いによって生じる労働者間の賃金格差について、先行研究を参照しながら、考察してみよう48

アメリカをはじめ多くの先進国で、1980年代から2000年頃にかけて、技能労働者(skilled workers)と単純労働者(unskilled workers)(または、大卒労働者と高卒労働者)の間の賃金格差が拡大した一方で、同じ時期に単純労働者に対する技能労働者の雇用比率が上昇する傾向があった49

このような賃金格差の拡大要因について、産業間の労働移動を前提とした貿易理論を基に考察した研究がいくつか存在する。すなわち、この時期に、技能労働者が相対的に豊富な先進国と、単純労働者が相対的に豊富である発展途上国との間に貿易が拡大したことに着目し、先進国では技能集約的な産業に特化し、労働集約的な財の価格が下落するというメカニズム(いわゆる、ストルパー=サミュエルソン効果)が働いたことをうかがわせる分析結果が報告されている50。しかし、こうした効果によって賃金格差が拡大したのであれば、同時に先進国では技能集約的な産業の生産が拡大し、労働集約的な産業の生産が縮小したはずであり、その結果、技能労働への需要が、労働集約的な産業から技能集約的な産業へと産業間でシフトしていたはずである。ところが、どの国でもそうした産業間の労働需要シフトは相対的に小さく、大部分は産業内で技能労働への需要シフトが生じたことが報告されている51。すなわち、産業間の労働移動を前提としたストルパー=サミュエルソン効果は、賃金格差拡大の主要な要因であるとは考えにくい。

産業内で技能労働へ需要がシフトした原因として、最近の研究では、以下の2つの要因が注目されてきた。1つは技能偏向的技術進歩(SBTC:Skill-Biased Technical Change)と呼ばれるもので、技能労働者に偏った形で生産性を伸ばすような技術進歩を指す52。SBTCによって各産業における技能集約度が上昇すると、産業内で技能労働者に対する相対需要が高まり、技能労働者の相対賃金の上昇と技能労働者の雇用比率の上昇を同時に引き起こすと考えられる。このように、SBTCが技能労働者と単純労働者の間の賃金格差の拡大に寄与したことは、多くの実証研究によって示されている。

産業内で技能労働へ需要をシフトさせたもう1つの要因として注目されるのは、オフショアリング(offshoring)である。これは、生産工程の一部を外国に移転するものを指し、移転の手段としては、対外直接投資を行って海外現地法人で生産を行う場合と、資本関係のない外国企業にアウトソーシング(outsourcing)を行う場合が考えられる。最終消費財を生産する過程で技能集約度が異なる中間財を複数投入するとき、技能集約度の低い中間財の生産を単純労働が豊富な途上国ヘオフショアリングすると、先進国内で行われる生産工程の技能集約度が上がり、先進国では産業内の技能労働者に対する相対需要が高まり、技能労働者の相対賃金も上昇すると考えられる。

このような産業内で技能労働へ需要がシフトするメカニズムについて、日本に関する実証研究はあまり多くない。その理由の1つとして、日本ではアメリカほどには賃金格差が拡大しなかったことが考えられる。実際、1995年~2017年の期間で、大卒と高卒の労働者の相対賃金をみると、日本はアメリカほどには上昇しておらず、賃金格差が必ずしも拡大していない。これは、日本ではアメリカを上回るスピードで大卒労働者の相対供給が増加したことが主因と考えられる53第3-3-5図(1))。

しかし、日本に関する先行研究54によれば、1985年~2003年の期間で、日本でも産業内で大卒労働者向け賃金支払い比率の増加がみられており、緩やかではあるものの、賃金格差の拡大を指摘するものもある。その背景として、オフショアリングは技能偏向的技術進歩とほぼ同等か、それ以上の影響を与えたとの推計結果が示されている。

以上が先行研究に関する概要であるが、最後に、日本企業の最近の賃金の分布を、国際化企業とそうでない企業とに分けて比較してみよう。第3-3-5図(2)は、前掲第3-3-1図と同様に、経済産業省「企業活動基本調査」の調査票情報を用いて、日本企業を<1>非国際化企業、<2>輸出企業、<3>FDI企業、<4>輸出・FDI企業の4つに分類し、最新時点(2016年度)の賃金の分布をプロットしたものである。これをみると、非国際化企業の分布と比べて、輸出またはFDIの少なくともいずれかに従事している国際化企業の分布は全体的に右に寄っており、全体的に賃金が高いことが分かる。ただし、非国際化企業と国際化企業の分布の重なりが大きいことから、日本企業のグローバル化の有無による賃金格差はそこまで大きくない可能性が示唆される。

3 グローバル化に対応するための課題

これまでみてきたように、企業が海外との取引を行うことで、生産性が向上する可能性があるほか、国内の雇用についても、他国の需要によって維持されている部分が一定程度あり、輸出を開始することで雇用が増加する可能性がある。このように、グローバル化は全体的には恩恵があるとみられる一方で、貿易によって生じる産業内での技能労働への需要シフトが賃金格差につながる可能性も示されている。本項では、全体のまとめとして、日本経済がグローバル化に対応するための課題を考察する55

まず、グローバル化した経済で競争力を保つ必要がある。グローバル化は、財やサービス、資本の国境を越えた取引を拡大させてきたとともに、国同士のレベルだけでなく、企業や個人のレベルでも相互連結性を高めるとともに、人の移動やアイデアの交換の拡大にも深く関わってきた。こうしたグローバル化の進展が、一国全体の経済成長や雇用創出の原動力となってきたことは、これまでの豊富な実証研究が示してきたところであり、グローバル化の恩恵を引き続き享受するためには、企業の生産性や人的資本の質をより一層高め、日本経済の競争力を維持・向上させる必要がある。そのためには、人々が生涯にわたって質の高い教育訓練へアクセスできるよう、企業の人的資本投資や海外との共同研究・人材交流等を促進することが必要である。また、世界市場が適切に機能することを確保するために、貿易円滑化や国際協力等を通じて、各種の基準やルールの国際化を進めることが重要である。

他方で、グローバル化が全ての人々には恩恵を与えてこなかったことも認識する必要がある。多くのOECD加盟国にみられる現象として、所得階層が高い人々の所得や資産、雇用機会、社会的流動性が改善する一方で、事業の海外移転や外国企業との競争などのために、円滑な労働移動が困難な低スキル労働者の雇用や所得に影響が生じることが懸念されている。こうした格差の拡大は、グローバル化だけの結果ではなく、労働市場の流動性の低さや、技術革新、その他の要因の結果でもあることがこれまでの研究によって明らかにされてきたが、格差拡大への対処として、生産性の向上と人的資本への投資を根幹に据えた成長戦略の推進、雇用の流動性の確保、税制及び社会保障を通じた所得再分配、セーフティネットの整備・拡充などの取組の重要性が改めて示唆される。


(35)国際貿易に関する研究の概要については、経済学解説<7>を参照。
(36)日本は若杉ほか(2008)、アメリカはBernard et al.(2007, 2011)、ドイツ、フランス、英国はMayer and Ottaviano(2007)を参考とした。
(37)TFP(全要素生産性)は、技術水準や効率性を表す生産性の指標であり、資本、労働、その他の全ての生産要素の投入の組合せ1単位当たりの付加価値として計算される。
(38)この指標が1を上回っている場合、その変数について、輸出企業の方が非輸出企業よりも平均値が大きいことを意味する。
(39)ここで紹介している貿易理論について、より詳細に知りたい方は、経済産業省(2017)なども参照してみてください。
(40)この論文の原典については、Melitz(2003)を参照してください。
(41)こうした点について、戸堂(2011)は、特に中小企業において、海外市場の需要や輸出・対外直接投資の手続きに関する情報の不足のほか、経営者がリスク回避的であるという傾向がみられており、生産性が高い企業でも海外展開に慎重になっている可能性があることを指摘している。
(42)前者は自己選別仮説(self-selection hypothesis)、後者は輸出による学習仮説(learning-by-exporting hypothesis)と呼ばれ、どちらが支持されるのかについてこれまでに多くの研究が行われている。これらの詳細については、木村・椋(2016)や清田・神事(2017)を参照。
(43)推計方法及び結果の詳細は、付注3-4を参照。
(44)なお、輸出以外のグローバル化による影響として、内閣府(2017)では、対外直接投資の開始が生産性等に与える因果関係を分析している。
(45)推計方法及び結果の詳細は、付注3-5を参照。
(46)推計方法の基本的な考え方は、第3-3-2図の分析と同様である。また、推計方法及び結果の詳細は、付注3-4を参照。
(47)ただし、この点について研究したAndo and Kimura(2015)は、企業レベルのデータを用いており、労働者レベルのデータを用いて分析した訳ではないため、同じ労働者が製造部門から本社部門に移っているかは厳密には分からない点には注意が必要です。
(48)以下の記述は、清田・神事(2017)に基づく。
(49)例えば、Bound and Johnson(1992)を参照。
(50)例えば、Sachs and Shatz(1994)やWood(1998)を参照。
(51)例えば、Bernard and Jensen(1997)を参照。
(52)例えば、コンピュータ等の情報通信技術の進歩や高度な技能を必要とするような生産設備の開発等を指す。
(53)Kawaguchi and Mori(2016)でも、日米の1985年~2005年のデータを用いて、同様の指摘を行っている。
(54)佐々木・桜(2004)を参照。
(55)以下の記述はOECD(2017)に基づく。
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