第2章 財政赤字削減に取り組む欧米の最新事情 |
第3節 欧州の財政赤字削減の取組 〜単一通貨ユーロとしての財政規律〜
既にみたように過剰な財政赤字はマクロ経済運営上の問題を引き起こす傾向があり、各国の政策当局にとって財政赤字の削減は経済政策上の重要な目標となっている。欧州においてはユーロによる単一通貨圏に参加する条件として条約に基づく経済的な基準を設定し、その中に財政赤字の規模が含まれたことからユーロ参加国にとって財政赤字削減はさらに政治的な意味でも重要な目標として位置付けられている。
●ユーロ参加条件達成のための財政改革
92年にマーストリヒト条約(6)が調印され、経済通貨統合(Economic and Monetary Union:EMU、以下通貨統合)参加のための経済収斂基準が示された。
独仏両国は通貨統合を中心となって推し進めた重要メンバーであり、自らも財政赤字削減のための改革を進め、97年までにマーストリヒト条約で定められた基準を達成し、98年には通貨統合への参加が決定した。ここでは財政赤字削減に向けた両国の取組を紹介する。
(1)マーストリヒト条約による財政規律
マーストリヒト条約では、通貨統合への参加条件として、物価安定、財政状況、為替レートの安定、長期金利についての経済収斂基準が定められているが、財政状況については、原則として財政赤字はGDP比3%、政府債務残高はGDP比60%を超えないこととする基準が示されている。80年代後半は独仏ともに財政赤字は減少傾向にあり、財政赤字は2%程度で推移していたため、マーストリヒト条約が合意された91年当時は達成困難な基準とは考えられていなかった(第2-3-1表)。
しかし東西統合後のドイツは統合による財政負担等から財政状況が悪化し、フランスも91年から93年にかけての景気悪化の影響を受けて財政状況が悪化した。そのためマーストリヒト条約の経済収斂基準の判定時期である97年に向け、財政健全化努力が行われることとなった。なお、財政赤字の縮小には94年以降の景気回復が果たした役割も無視することはできない。
(2)ドイツにおける財政赤字削減に向けた取組
ドイツでは、82年に成立したコール内閣が歳出削減による財政再建を進め、80年代末には財政収支はGDP比0.1%の黒字となり財政再建を達成した(旧西ドイツ)。しかし、90年の東西ドイツ統合により経済状況が大きく変化し、景気の減速や旧東ドイツ支援のための財政支出増大から財政収支は再び赤字に転じた。このような状況で、マーストリヒト条約に定められた参加基準達成のために、財政赤字削減に向けて様々な取組が行われた。
まず、厳しい歳出抑制が継続された。ドイツでは、経済安定成長促進法(67年)に基づいて、5か年財政計画が作成されていたが、この実効性を確保するため、新規施策には同額の歳出削減を条件とする「モラトリアム原則」が強調されるなど財政規律が強化された。
また、雇用情勢の悪化により失業給付等が増加したことから、歳出削減と雇用の安定を両立させるための積極的な雇用政策がとられた。
さらに、歳入面の措置として、付加価値税率の引上げ、所得税・法人税に対する連帯付加税の導入、鉱油税などの増税が実施された。
このような財政健全化努力により97年には財政赤字はGDP比2.7%となり、98年に通貨統合への参加が決定した(7)(第2-3-2表)。
(3)フランスにおける財政赤字削減に向けた取組
フランスでは、80年代後半の景気回復と歳出抑制を基調とした財政運営、国営企業の民営化等による収入によって財政赤字は縮小傾向にあった。しかし、91年から93年には景気の悪化により歳入の減少と政府支出の増加から財政収支は急速に悪化した。
こうした状況のなかで、通貨統合に向けた参加基準達成のために93年に発足したバラデュール内閣は「経済・社会再建プログラム」を策定し、雇用対策を重視しつつ、歳出削減や石油製品税の増税等により財政赤字削減に取り組んだ。また、財政5か年計画法を成立させて財政再建目標を示すとともに、毎年の歳出の伸び率を物価上昇率以下に抑えることとした。
95年のシラク大統領就任を受けて発足したジュペ内閣も財政赤字の削減と雇用の拡大を目標としており、歳出抑制や付加価値税率の引上げなどにより財政改革が推進された。また、国営企業の民営化も実施された。
この結果、90年代後半には景気回復による税収の増加もあり、97年には財政赤字はGDP比3.0%となって98年に通貨統合への参加が決定した(第2-3-3表)。
●2001年以降の独仏における財政状況の悪化と是正に向けた動き
通貨統合後は、単一通貨安定のために財政規律を定めた「安定と成長の協定」(以下、安定・成長協定)によって、ユーロ参加国には過剰な財政赤字の回避が求められている。このためマーストリヒト条約で定める通貨統合への参加基準を達成した後も、ユーロ参加国では財政健全化努力が続けられ、財政赤字は減少傾向が続いた。しかし、アメリカのITバブル崩壊に伴う世界経済の減速を受けて2001年以降、財政赤字は再び増加に転じ、2002年の財政赤字は両国ともGDP比3%に達し、欧州委員会、経済財務相理事会は安定・成長協定に沿って過剰な財政赤字の是正に向けた手続を開始した(第2-3-4図)。
(1)安定・成長協定
通貨統合後は、参加各国は独自の金融政策を実施できなくなるため、ある参加国が財政赤字を拡大させた場合、高インフレや金利上昇といった影響が当該国だけでなく他の参加国にも波及することとなる。このため、通貨統合後は、財政規律を強化する必要が生じた。安定・成長協定は、ドイツの提案によって97年に締結されたもので、マーストリヒト条約で定められた財政規律遵守のための手続を明確化、強化することを目的として、過剰な財政赤字回避のための予防・是正の手続が定められている(8)。財政基準については、マーストリヒト条約で定める財政赤字のGDP比3%ルールや、政府債務残高のGDP比60%ルールを踏襲している。
ユーロ参加国の財政赤字がGDP比3%を上回り、経済財務相理事会によって過剰な赤字が存在すると判断される場合、同理事会は、当該国に対して最長4か月の期限を提示して有効な対策をとるよう「勧告(recommendation)」し、通常1年以内の赤字是正を求める。当該国が勧告に対して有効な対策をとっていないと判断される場合、理事会はその判断から1か月以内に必要な措置を講じるよう「警告(notice)」を行い、これに従わない場合、警告から2か月以内に当該国への「制裁(sanctions)」を決定する。
(2)基準を上回る財政赤字の発生に対する独仏政府と欧州委員会・経済財務相理事会の対応
独仏両国は、ユーロ参加決定後も安定・成長協定にしたがって財政赤字の削減を続けたが、世界経済の減速を受けて2000年をピークに景気が減速し、税収が減少するとともに社会保障費が増加したことから財政赤字も再び拡大した。2002年の財政赤字はドイツがGDP比3.5%、フランスが同3.2%となり、欧州委員会及び経済財務相理事会は安定・成長協定に基づく過剰な財政赤字是正のための手続を開始した。
経済財務相理事会は両国に対し、過剰な赤字の存在の認定に続き、2004年までの是正等を求める勧告を行った(ドイツ:2003年1月21日、フランス:2003年6月3日)。しかし、勧告に応じた効果的な行動がとられなかったとして、欧州委員会はフランスに対する赤字削減措置の警告を行うことを経済財務相理事会に求める委員会勧告を決定した(2003年10月21日)。一方、ドイツは、1月の理事会勧告を受けて社会保障制度改革などの中期的な財政収支改善への取組が勧告に沿った措置として評価された結果、与えられた期間が終わる5月にはドイツに対する新たな行動はとられなかったが、11月18日には、2003年にとられた措置が不適切であることが判明し結果として過剰財政赤字が2004年にも継続するとして、フランスに続き経済財務理事会による赤字削減措置の警告を求める欧州委員会勧告が決定された。
2003年11月25日に開催された経済財務相理事会では、理事会警告を求めた欧州委員会勧告は否決され、過剰な財政赤字是正の達成期限が2005年まで延長され、制裁手続を一時停止することが合意された。
その際に、ドイツは、構造的財政赤字を2004年にGDP比0.6%、2005年に同0.5%削減することにより、2005年に財政赤字を3%未満とし、フランスは構造的財政収支を2004年にGDP比0.8%、2005年に同0.5%削減することにより、2005年に財政赤字を3%未満とすることを約束した。また、赤字削減に向けた進捗状況を半年ごとに報告することも約束しており、経済財務相理事会はドイツとフランスの財政状況を厳しく監視することとした。
●独仏財政の今後の見通し
(1) 財政赤字削減に向けた動き
2003年12月に提出された最新の安定プログラム(2004〜2007年)(9)によると、独仏両国とも2005年には財政赤字が3%を下回る(ドイツ:2.5%、フランス:2.9%)と見込んでいるが、どちらもプログラム期間内(2007年まで)の財政均衡は達成できない見通しとなっている。また、政府債務残高も見通し期間を通じて60%を上回り、減少し始めるのは2006年以降となる見通しとなっている。
ドイツ政府は、2005年までに財政赤字が3%を下回るために必要な場合には追加的な施策を実施することを約束している一方、欧州委員会は目標の達成に対して、(i)2005年の経済成長が予測を下回ること、(ii)年金、医療、失業給付等が予測を上回ること、の二つのリスクを挙げている。
また欧州委員会は、長期的には年金、医療制度、労働市場改革は潜在成長率の引上げにはつながるものの、高齢化による財政コストを埋め合わせることはできない、と評価している。
b) フランス
フランス政府の安定プログラム(計画期間は2005〜2007年)によると、フランス政府は、財政赤字を削減するために、歳出の伸びを抑制するとともに、年金や医療保険制度の改革を推進する方針である。
このような政策により、財政赤字は2004年にはGDP比3.6%に減少し、2005年には同2.9%となって過剰な財政赤字が存在する状況が解消する見通しとなっている(第2-3-6表)。しかし、2007年にも同1.5%までの削減にとどまり、プログラムの期間内では財政均衡には至らない見通しとなっている。
さらに、政府債務残高のGDP比率は見通し期間を通じて60%超の状況が続き、減少を始めるのも2006年以降となると見込まれている。
欧州委員会は、2004年の経済成長率を1.7%、2005年以降を2.5%とするフランス政府のベースラインの成長シナリオについて、妥当であると評価しているが、マクロ経済や財政状況が予測よりも悪化した場合には、2005年にも引き続き過剰な財政赤字が存在する状況が続くリスクは大きいとみられている。フランス財政の深刻な状況から、見通し期間のより早い段階で、より多くの構造的財政赤字を削減したほうがよい、と指摘している。
また、フランスでは予算の効率化を通じて、財政赤字削減を図る観点から、2001年改正予算組織法により、2006年予算からは、予算は省ごとではなく行政目標ごとに構成されることとしている。そこでは、例えば、行政目標を具体化した「プログラム」内では、人件費の増加を除き予算の流用を原則自由とするなど、予算の弾力化を図っている。
(2) 安定・成長協定に関する今後の動向
経済財務相理事会が欧州委員会による勧告を否決して過剰な財政赤字是正のための手続を一時停止したことにより、今後のEUの財政規律の在り方に対する懸念が出始めている。
欧州委員会は、経済財務相理事会が独仏に対する過剰な財政赤字是正のための手続を一時停止した決定は安定・成長協定に違反しているとして、欧州司法裁判所に提訴することを決定した(2004年1月13日)。
ドイツ、フランス両国は、景気が減速するなかでの過度な緊縮財政によって景気回復の芽を摘むことを避け、財政規律の遵守よりも景気回復を優先させる政策をとった。各国の財政政策の余地を制限する安定・成長協定は厳しすぎるとの見方もあり、成長・安定協定見直し議論が高まっている。
ユーロ参加国から提出された安定プログラムによると、2005年には財政規律の回復が実現される見通しとなっているため、2004年までの規律違反の事実を厳密に取り上げて安定・成長協定を条文通りに適用すべきであるという考え方が強く支持される状況にはない。逆に2005年での規律回復が見込まれるのであれば現時点で敢えて財政規律の内容を緩和することの必要性・緊急性の説明も難しいと考えられる。しかし今後の景気動向によっては2005年について複数の加盟国で財政赤字がGDP比3%の上限を超える可能性もあり、その場合には、再度財政規律遵守の仕組みについて激しい議論が再燃するおそれがある。
イギリスは、マーストリヒト条約以外に、財政収支や債務残高に関する独自のルールを作成している。
●歳出削減による財政赤字削減
イギリスは90年代初めに景気後退に陥り、財政収支は89年にGDP比0.8%の黒字から93年には7.9%の赤字にまで急速に悪化した。90年に発足したメージャー保守党政権は、財政赤字削減のため、93年度(10)予算から歳出抑制策として「コントロール・トータル制度」を導入した。これは、景気循環に左右される失業手当や利払い費などを除いた歳出の実質伸び率を、実質経済成長率を下回る水準にすることを目標とするものであった。この歳出抑制策や公共事業費等の削減により94年から歳出のGDP比は低下し始め、景気回復や増税により税収も回復し、財政赤字は着実に減少した。
●「財政安定化規律」と「包括的歳出見直し」の導入
97年に発足したブレア労働党政権は、財政の安定化や効率化を目指すため、新たな財政政策の考え方を次々と打ち出した。それに沿って(1)単年ではなく複数年にわたる計画、(2)経常的歳出と投資目的の歳出の明確な区別、(3)効率性の適切な分析を踏まえた公共サービスへの経費投入、(4)各省別や断片的でなく公共サービスの調整・統合的な歳出アプローチ、が図られている。具体的には、98年には、「財政安定化規律(The Code for Fiscal Stability)」が制定され、また「包括的歳出見直し(Comprehensive Spending Review : CSR)」が発表された。
財政収支は、これらの財政政策がとられるなかで景気の回復が続いたことなどから、98年から2001年まで黒字となった。
●財政安定化規律に基づく財政健全化−数値目標の活用
「財政安定化規律」は、財政運営について、透明、安定性、責任、公平性、効率性という5つの原則を明示している。この規律をもとに(1)ゴールデン・ルールと(2)サスティナビリティ・ルールという2つのルールが設けられた。
(1)ゴールデン・ルール
景気の循環を通じて、政府の借入れは投資目的に限り行い、経常的歳出には充てない。
(2)サスティナビリティ・ルール
公的債務残高は、景気の循環を通じてGDP比で安定的かつ慎重なレベルに保つ(現在の目標は、公的債務残高のGDP比40%以下)。
このイギリスの財政安定化規律とマーストリヒト条約で定められた財政規律を比較してみると、相違点として、(1)マーストリヒト条約では、投資的歳出と経常的歳出の区別がなされていないのに対して、イギリスの規律ではそれらが区別されて組み立てられていること、(2)財政赤字について、マーストリヒト条約ではGDP比の3%を超過しない値に毎年保たなければならないことに対し、イギリスの規律では景気循環を考慮することにより自動安定化装置が十分機能するようになっていること、(3)公的債務残高の目標を、イギリスではGDP比40%とマーストリヒト条約の60%より厳しく設定していること、などが挙げられる。
●包括的歳出見直し(CSR)−予算制度まで含む歳出管理の効率化
「包括的歳出見直し」は、新たな予算策定方法として、次年度以降3年間を1タームとする複数年度の歳出枠組みを決定するもので、99年度予算から導入された。包括的歳出見直しでは、歳出は総管理支出(Total Managed Expenditure : TME)として公的部門における支出全体を対象としており、その内訳として(1)省庁別歳出限度額(Departmental Expenditure Limits:DEL)と(2)各年度管理歳出(Annually Managed Expenditure:AME)とに分かれている。
(1)省庁別歳出限度額(DEL)
DELは、3年度にわたる各省の支出額を定めている。各省は、包括的歳出見直しで定められた年度ごとの支出限度額を超える追加支出を行うことは認められないが、年度ごとの未消化分を次年度に繰り延べることができるなど、弾力的また効率的に歳出額を管理できるような仕組みになっている。
(2)各年度管理歳出(AME)
AMEは、主として外的要因から支出規模が決まるため、複数年にわたる歳出限度額を設けることが適当でないとされる経費である。具体的には、社会保障給付費、EU共通農業経費、債務利払い費等が含まれる。
また、包括的歳出見直しと同時に、各省が達成すべき施策目標である公的サービス合意(Public Service Agreement : PSA)が作成される。この公的サービス合意は、各省に効率的な予算執行や成果に重点を置いた行政活動を行わせること、また各省が目標を十分達成できているのかを国民に明らかにすることを目的としている。
●2002年以降の財政赤字の再拡大
2001年までイギリスの財政収支は黒字であったが、2002年には対GDP比1.5%の赤字に転換し、2003年には赤字は同3.1%に拡大した。赤字が再び拡大している要因としては、歳入面では2001年からの景気減速の影響により、法人税、所得税等の税収が減少したこと、歳出面では、公共投資が増加していることなどが挙げられる。ブレア労働党政権は、財政規律の安定を維持しつつ、教育、保健・社会保障、交通等の公共サービスの充実を目指し、全ての国民に対してより多くの機会の提供を図ることを公約としている。そのため、2002年に発表された「包括的歳出見直し」においても、公共部門への歳出額を、教育、保健・社会保障、交通、住宅、防衛等の分野を中心に、2002年度から2005年度までの3年間に年平均で実質5.2%と大幅に増加する計画を発表しており、この歳出の大幅増加が財政赤字拡大の要因の一つとなっている(第2-3-7図)。
今後の財政収支の見通しについては、2004年3月に発表された予算案によると、今後数年は財政赤字が続くが、景気の回復により税収の増加が見込まれるため、赤字幅は徐々に縮小する見通しとなっている(第2-3-8表)。また、2004年夏に発表される「包括的歳出見直し」では、公共サービスの効率性に重点を置き、歳出の伸びを抑制した計画が打ち出される予定である。