第I部 世界に学ぶ-日本経済が直面する課題への教訓 |
第1章 活力を高める税制改革 -アメリカ、イギリス、スウェーデン
前節では、各国の税制改革においては、税制の中立化を図りつつ、誘因を重視して経済の活性化をねらって導入された税制も多くあることを確認した。税制の中立化による中長期的な経済活力の高まりについては、その因果関係を明らかにすることは容易ではない。しかしながら、税負担の軽減による経済活性化の効果については、多くの研究がなされている。
個別税制の経済活性化の効果をみるためには、経済成長の決定要因である、①労働供給、②国内資本形成、③技術進歩、さらには④海外からの対内投資に対して税制が与えた影響を分析することが有益である。
本節では、実証分析の蓄積があるアメリカの事例を中心に、税制が上記①~④の要因に与えた影響に関する研究結果を紹介することによって、経済活性化の効果を明らかにしたい。
●労働所得税の軽減による労働供給促進効果
労働所得への課税は、余暇の相対的な価値を高めて労働意欲を阻害するため、労働供給を抑制する誘因となる。したがって、労働所得に関する減税は労働供給を促進する効果が期待される。
労働供給を測る指標としては、労働時間、労働力率が一般的である。労働所得税減税がこれらの指標に与える効果については、男性よりも女性について大きかったとする実証分析が多い(39)。税制改革によって中・高所得層の限界税率が引下げられた80年代のアメリカでは、女性の労働時間が高所得層ほど増加したとする分析(40)がある(第I-1-8図)。また、86年の税制改革の前後で、高所得既婚女性は税引後所得の増加に応じて労働供給を増加させており、少なくともその半分が労働力率の高まりによるものであるとする分析がある(41)。
労働供給を測る上では、その質についても考慮する必要があるとされる(42)。労働力の質が労働生産性に反映されるとすると、税制改革によって労働意欲が高まり、質の高い労働が供給されるようになれば、労働生産性が高まり、実質賃金が上昇すると考えられる。アメリカでは81年、86年の税制改革によって高所得層の税負担が大幅に軽減されたが、81年、86年の税制改革で実施された労働所得税減税に対する所得の弾性値は、いずれも高所得層ほど高かったとの分析結果がある(43)。
これらの分析は減税による労働供給の促進の効果を示している。
●誘因を重視する勤労所得税額控除
アメリカで75年に初めて導入された勤労所得税額控除(EITC)は、86年の税制改革の後も、90年、93年に拡充され、その予算規模は拡大を続けている。また近年イギリスを含む他のOECD諸国で採用の動きが広がるなど、注目を集めている(前掲コラム1-1を参照)。
勤労所得税額控除は、社会的扶助が必要な低所得勤労世帯に対して税額控除を認める制度である。稼得所得に応じて控除額が定率で増加することから、その拡充には、労働力率・労働時間の高まりを通じて労働供給を促進する効果があると考えられている。
86年の税制改革における子育て世帯に対する勤労所得税額控除の控除額拡大措置が労働供給に与えた影響について、子育て単身女性の労働力率を2.8%高めたとの分析結果がある(44)。また、イギリスで99年に導入された勤労家族税額控除についても、子育て単身女性や、配偶者が失業中の婚姻女性の労働力率をそれぞれ1.85~2.20%、1.32~1.75%高める効果があったとの分析結果(45)がある。
●税制と国内民間貯蓄
経済成長の決定要因の一つである資本形成には、国内民間貯蓄の蓄積が必要である。国内民間貯蓄は家計貯蓄と企業貯蓄(内部留保)の二つの形態をとるが、企業の最終的な保有者は家計であるため(46)、家計貯蓄が資本形成の源泉として重要である。
労働所得税や資本所得税の減税は、家計貯蓄の税引後収益率を上昇させ、家計貯蓄を増やす誘因を与える。しかし、減税による所得の高まりは、消費を増やす誘因ともなるので、最終的な効果は理論的にも明らかではない。実証的にもその効果について定説は必ずしも存在しない。アメリカについては、81年の税制改革による所得税減税、キャピタル・ゲイン減税によって、家計貯蓄率はそれほど高まらなかったとする研究も多い(47)。
また、個別の貯蓄優遇税制が家計貯蓄全体に与える影響についても見解は分かれる。81年の税制改革で貯蓄奨励策として盛り込まれた個人退職勘定掛金の控除限度額の拡大措置は、個人退職勘定掛金による貯蓄を大幅に増加させており、その増加分の大半が新規貯蓄だったとの分析(48)がある。しかし、個人退職勘定への優遇的税制が貯蓄全体に与える影響については必ずしも合意は得られていないのが現状である(49)。
他方、税制が家計貯蓄の構成(資産選択)に影響を与えることは実証的にはおおむね明らかになっている。アメリカに関しては多くの実証分析が存在し、例えば83~95年のパネルデータを用いて、税負担の大きい家計ほど、税制上優遇されている資産を保有する傾向にあること等が示されている(50)。また、スウェーデンにおける91年の税制改革が、家計の資産保有構成に実物資産から金融資産へのシフトをもたらしたことを示した分析もある(51)。
●投資活動を刺激する税制
税制が企業の投資活動に与える影響は、資本費用アプローチに基づいて明らかにするのが標準的である。この考え方では、投資は、追加的資本の取得費用と投資収益の現在価値とが等しくなる水準に決定される。このとき、課税によってできる「税のくさび」(投資の税引前収益率(社会的収益率)と税引後収益率(私的収益率)との差)を社会的収益率で除したものが投資に対する限界実効税率であり、税制が投資活動に与える影響をみる上で最も有効な指標とされている。投資収益の計算にあたっては、一般に、個人所得税、法人税、資本所得税、税法上の減価償却率、投資税額控除等が考慮され、限界実効税率はこれらを含んだ概念となっている。例えば、税法上の減価償却率が引き上げられた場合、収益における法人税負担がその分軽減され、限界実効税率の低下となって現れる。これは投資を促進する誘因の一つとなる。
70~96年のアメリカの限界実効税率(52)をみると、81年の税制改革によって大幅に低下しているが、86年の税制改革後はむしろ上昇していることがわかる。これは、81年の税制改革では加速度費用回収制度を導入したほか、投資税額控除を拡充するなど、投資優遇的な税制の導入による経済活性化が図られていた、それに対して、86年の税制改革では加速度償却を緩和し、また投資税額控除を廃止するなど、投資を過度に優遇することになる歪みが除かれたため、と考えられる。民間設備投資は81年の税制改革後に大幅に増加しているが、86年税制改革の後はほとんど目立った反応を示していない(第I-1-9図)。
81年税制改革後の投資の拡大がその効果のみによるものかどうかについては必ずしも合意は得られていない(53)ものの、投資優遇的な税制が限界実効税率の低下をもたらし、投資への誘因の一つとなったと考えられる(54)。
一方、86年の税制改革によって設備投資における資産間の限界実効税率格差は大幅に縮小していることがわかる。86年の税制改革では、短期償却資産に対して優遇的であった投資税額控除が廃止されたため、短期償却資産に対する限界実効税率は大幅に上昇して、長期償却資産との格差がほとんどなくなった。資産間の限界実効税率の格差は投資活動に歪みをもたらすため、86年の税制改革はこうした歪みを取り除き、税制の中立化に資したと考えられる。因果関係は明らかではないが、その後の民間設備投資は比較的小幅な変動にとどまっている。また、86年の税制改革が投資への限界実効税率を高めたにもかかわらず、中立化の効果によって、経済厚生は高まったとする分析(55)もある。
技術進歩は経済成長の重要な決定要因の一つであり、研究開発(R&D)支出の増加は技術進歩を促進して経済成長率を高めると考えられる(56)。
R&D支出(投資)に対する税制上の優遇措置は、R&D支出の資本費用の低下となって現れる。アメリカにおけるR&D支出資本費用の税制(税及び控除)部分は79年~97年にかけておおむね一貫して低下したとの分析結果(57)がある。これによると、特に81年には税制改革でR&D支出の増分に25%の税額控除を認めたことから、大幅に低下(58)したという。この期間のR&D支出の推移をみると、R&D支出資本費用の税制部分が低下した80年代以降、大幅に増加していることがわかる(第I-1-10図)。
また、主要先進諸国のR&D支出資本費用がR&D支出に与える影響について行われた回帰分析(59)によると、R&D支出資本費用を10%削減すると、R&D支出は短(当該)期には1%、長(収束)期には10%増加するとの結果が得られている。
経済成長は、国内要因に加え、海外からの資本流入によっても大きな影響を受ける。現在は、資本が国境を越えて自由に移動するため、投資資金を海外から賄うことも可能である。このため、税制が自国への対内投資に対して誘因を与えることができるか否かは、経済活性化の観点からは重要な点の一つといえる。しかしながら、税制が資本移動に与える影響については、投資国と投資受入国の国際課税制度などに大きく依存するものであり、一般化は容易ではない。
国際課税の原則については、源泉地主義と居住地主義の二つの考え方があり、前者は収益の源泉地である投資受入国(源泉地)が、後者は投資主体が居住する投資国(居住地)が、それぞれ課税権を持つとするものである(60)。源泉地主義の場合は、投資受入国の税率が対内投資に対して一律に適用されるため、投資受入国は法人税・資本所得税を軽減することによって対内投資(資本流入)の促進を図ることができるが、居住地主義の場合は、投資国(居住地)が行う対外投資には一律に投資国の税率が適用されることとなるため、投資受入国は税制によって対内投資に影響を与えることができない、というのが基本的な考え方となる(61)。
この基本的な考え方に基づく場合、居住地主義をとるアメリカ等では自国の税制によって対内投資に影響を与えることができないことになるが、実際には対米直接投資に影響を与えているとする実証分析がいくつか存在する。これは、直接投資では国際課税の原則と無関係な再投資が行われることがあるためである。例えば、現地子会社が内部留保等の手段によって現地(投資受入国)で資金を調達して再投資を行う場合、内部留保に対しては投資受入国の法人税制が適用されるため、源泉地主義・居住地主義の別によらず、投資受入国の税制が対内直接投資に影響を与える可能性が出てくる。80年代のアメリカの税制改革が対米直接投資に与えた影響については、56~84年のデータを用いた回帰分析によって、内部留保によって資金調達された再投資部分が税引後収益率に対して相当弾力的であり、また81年の税制改革のウェイトが高い期間では弾性値がさらに高まることを示した実証分析(62)があり、81年の税制改革における法人税負担の軽減が対米直接投資を促進した可能性がある。
同様の結論は、OECD諸国の比較分析(63)にもみることができ、少なくとも法人税負担の軽減による資金調達コストの軽減は、海外からの直接投資に対しても誘因効果をもっているとみられる。