第1章 世界金融危機の発生と拡大 |
第2節 世界金融危機発生の背景
1.マクロ経済的な背景
今回の金融危機発生の根本的な原因は、2.でみていくように、金融機関におけるリスクの過小評価や不十分なリスク管理、レバレッジの拡大、金融規制・監督上の問題といった金融部門に起因する問題であったと考えられる。しかしながら、マクロ経済的にも、02年以降、アメリカの低貯蓄率や新興国・産油国における経常収支黒字の拡大を背景として、グローバル・インバランスが拡大しており、こうしたグローバル・インバランスの拡大が、国際的な資金フローの急速な拡大、特に、アメリカ、ヨーロッパへの資金流入をもたらし、実体経済を大幅に上回る金融部門の拡大を支えるとともに、世界的な低金利ともあいまって、金融機関による過剰なリスク・テイクによる投資行動を助長した面があることは否めない。
●グローバル・インバランスの拡大
今回の金融危機におけるマクロ経済的な背景としては、2000年代に入ってからのグローバル・インバランス(経常収支の不均衡)の拡大が挙げられる。2000年代に入ってからの主要国・地域の経常収支の推移をみると、アメリカにおいては、経常収支の赤字幅が、06年ごろまで拡大する一方で、これに対応する形で、中国やNIEs等の新興国や中東等の産油国を中心に、経常収支の黒字が拡大している。また、経常収支の黒字拡大は、広く新興国や産油国に分散されている一方で、経常収支の赤字拡大はアメリカ一国に集中してきている(第1-2-1図)。
2000年代のアメリカの経常収支赤字拡大の原因は、アメリカの家計部門における貯蓄率低下、言い換えれば、家計の過剰消費であったことから、2000年代のグローバル・インバランスの拡大は、アメリカの家計消費を、新興国等からの資金でファイナンスするという構図であったことが分かる (第1-2-2図) (18) 。
しかしながら、こうしたアメリカに集中した経常収支の赤字拡大は持続可能なものとはいえず、家計の債務残高が高水準となってきていたこともあり、いずれかの時点で調整が必要なものであったと考えられる(19) 。
●国際的な資金フローの拡大と金融部門の急拡大
こうしたグローバル・インバランスを背景として、2000年代に入り、国際的な資金フローは急速に拡大している。主要国・地域の対内純投資の推移をみると、2000年代には、新興国や産油国からの資金流出の拡大及びアメリカへの資金流入の増大がみられるが、さらに、05年以降はユーロ圏にも資金が流入していることが分かる(第1-2-3図)。
こうした欧米への資金フローの拡大を背景に、世界の金融資本市場は、2000年代に入りその規模が急速に拡大している。世界全体で民間及び政府により発行された債券の残高をみると、2000年以降増加ペースが拡大しており、07年末で約80兆ドルと、02年末時点の約43兆ドルから5年の間に、2倍近くに膨らんでいる。また、同様に、株式市場における時価総額をみると、2000年代初めはITバブル崩壊の影響により縮小したものの、その後は再び急速に増大しており、07年末には約63兆ドルと、02年末の約23兆ドルから、3倍近くに膨らんでいる(第1-2-4図)。この間の世界の名目GDPは1.65倍に、とりわけ、OECD加盟国の名目GDPについては、1.29倍にしかなっていないことから、金融部門が国際的な資金フローの拡大に支えられて、実体経済の伸びを大幅に上回る拡大を続けたことが分かる。
●世界的な低金利の持続と過剰流動性の発生
また、2000年代以降の金融部門の拡大の背景には、長期間にわたり世界的に低金利が持続したこともある。ITバブル崩壊後の景気減速を受けて、各国は政策金利を大幅に引き下げたが、その後、世界経済が回復に向かってからも、物価が極めて安定していたこともあり、アメリカ及びユーロ圏等においては長期にわたり緩和的な金融政策スタンスが続けられ、歴史的な低金利状態が持続することとなった。例えば、アメリカでは、ITバブル崩壊後の景気後退を受けて、段階的に政策金利が引き下げられ、FFレートは、01年12月から04年11月まで約3年近くにわたり1%台という低水準で推移している。また、ECBにおいても、03年6月に2%まで政策金利が引き下げられた後、05年12月まで2年半近くにわたりその水準で金利が維持された(前掲第1-1-23図)。
こうした世界的な低金利の持続については、グローバル・インバランスの拡大に伴う新興国等からの潤沢な資金フローとあいまって、世界的なカネ余り、いわゆる、「過剰流動性」をもたらす原因となったとの指摘がある。
世界におけるマネーサプライの推移を見ると、2000年代に入り、名目GDPの伸びを上回って推移しており、また、新興国等からの資金フローが、米国の債券投資に向かったため、金融政策を引き締めても長期金利が上昇しない状況が生じた(第1-2-5図) (20) 。
こうした長短ともに低金利の金融環境が、金融機関や投資家を過剰なリスク・テイクや「利回り追求(hunt for yield)」型の投資行動へと向かわせたことは否定できない。03年以降、株価や為替といった金融資産のボラティリティが低下するなど、良好な市場環境により、リスクのある投資を行いやすい環境となっていたが、他方で、これが金融機関や投資家のリスクに対する認識を麻痺させた側面もあると考えられる。例えば、投資適格(BBB以上のクラスの格付け)に満たない社債のスプレッドの推移をみると、スプレッドは2000年代に入り急速に縮小した後、金融市場の混乱期までは低水準で推移しており、金融機関のリスク資産に対するリスク認識が薄らいでいたことがうかがわれる(前掲第1-1-10図)。この結果、後述するリスク管理の問題もあいまって、金融機関の姿勢は、高レバレッジでの投資拡大や高リスク資産での運用へと傾斜することになったと考えられる。
●住宅バブルの発生と国際商品価格の上昇
新興国等からの潤沢な資金フローに支えられた投資資金は、欧米各国の金融資本市場だけでなく、各国の住宅市場や国際商品市場にも流入し、その価格に影響を与えた。
各国の住宅市場では、こうした資金の流入が、各国における住宅ブームとも重なって、住宅価格を経済のファンダメンタルズとかけ離れた水準へと上昇させた(第2章参照)。こうした住宅バブルの発生とその後の崩壊は、アメリカにおいては、サブプライム住宅ローン問題を契機とした金融資本市場の混乱の引き金となったとともに、ヨーロッパを始めとする各国において金融危機のインパクトを増幅する要因となっている。
また、こうした資金は、国際商品市場にも流入し、結果として原油価格等を乱高下させた。原油価格の推移をみると、08年2月頃から上昇を始めた原油価格(WTI先物)は08年7月には、一時1バレル147ドルまで上昇した後、急落し、08年12月初めには、1バレル40ドル台まで下落している(第1-2-6図)。