第1章 世界金融危機の発生と拡大 |
第1節 世界金融危機の発生と政策対応
3.金融危機対応により圧迫される各国財政と通貨の信認
●政策対応により膨らむ財政コスト
2.で述べたような欧米諸国における一連の金融危機対応策は、金融不安の広がりを抑え、混乱を最小限に抑えるために必要不可欠なものであった。しかしながら、その実施にかかる財政負担は巨額に上っており、さらには、金融危機の実体経済への波及を抑えるために行われている景気刺激策による財政負担も増大することが想定される。このため、今後、各国の財政状況は著しく悪化する可能性がある。ただし、1990年代の我が国の例にかんがみると、資本注入や不良資産の買取りに要したコストは、購入した優先株や不良資産の売却により、後にある程度回収することが可能であり、投入した金額すべてが財政コストになるわけではないことには留意する必要がある(コラム1-2参照)。
●悪化が見込まれるアメリカの財政収支
アメリカでは、金融危機対応策や景気刺激策の実施により、財政収支は急速に悪化している。08年度(07年10月〜08年9月)の財政赤字は、08年3月の見通しの▲3,750億ドルから膨らんで、▲4,548億ドル(GDP比▲3.2%)と、07年度の▲1,615億ドル(GDP比▲1.2%)から大幅に悪化した。また、09年度についても、金融機関への資金注入等により財政収支は大幅に悪化することが見込まれている。具体的には、緊急経済安定化法に基づく資本注入、緊急経済安定化法と同時に成立した各種税制優遇措置に加え、シティ・グループの保有資産に対する保証や議会民主党で検討されている財政刺激策等が今後の潜在的負担として考えられる(第1-1-24表)。
アメリカでは、08年2月の大統領予算教書において、12年度の財政収支均衡が目標として掲げられた。しかしながら、上記の金融危機対応策をまだ織り込んでいない08年9月時点での議会予算局(CBO)の見通しにおいても、既に12年度は▲1,260億ドル(同▲0.7%)の赤字となる見通しとなっていた(第1-1-25図)。
また、OECDの見通し(08年11月)においても、アメリカの一般政府の財政収支(14) は、07年のGDP比▲2.9%から、08年▲5.3%、09年▲6.7%と大幅に赤字が拡大する見通しとなっている(15) 。
●ヨーロッパでも、フランス、英国の財政収支は悪化
ヨーロッパにおいては、97年の「安定成長協定」に基づき、各国は単年度の財政収支赤字をGDP比3%以内に抑えるという基準が設定されており、超過した場合には是正手続きをとることが定められている。しかしながら、05年の見直しにより、「例外的かつ一時的」な場合には、財政赤字がGDP比3%を超えても許容されることとされた。08年10月の欧州理事会においては、今回の危機については、まさに、このルールに基づき、現下の状況を「例外的な状況」(exceptional circumstances)として扱うことで合意がなされた。このため、一部の国においては、景気刺激策等の実施により、財政赤字が3%を上回る水準に拡大していくことが見込まれる。
OECDの見通しでも、一般政府の財政収支赤字は、ドイツについては、現在の財政状況が比較的良好であったことから、10年の財政収支赤字のGDP比は▲1.0%にとどまると見込まれているものの、フランスでは、2010年にGDP比▲3.9%に、英国でも10年には同▲6.5%に赤字が拡大する見通しとなっている(第1-1-26図)。
また、中期的な財政再建目標についても、07年4月のユーロ圏財務相非公式会合において、10年をメドに財政均衡を目指すことで合意がなされたが、08年11月のEU財務相会合において、10年の財政均衡目標を先送りするとの議論が行われるなど、見直しの議論が行われつつある(16) 。
こうした動きを反映して、財政収支赤字拡大懸念から、各国のソブリンCDSプレミアムは、徐々に上昇しており、とりわけ、英国、スペイン、イタリアの国債については、他の主要国に比べ上昇幅が大きくなっており、今後もその動きに注意する必要がある(第1-1-27図)。
●更なる財政負担のリスク
上記の金融安定化策や財政刺激策に加え、更に財政負担が増加するリスクもある。
まず、アメリカについては、住宅価格の下落は現在も継続している。住宅市場の調整が終わるまでは、住宅ローン関連の証券化商品の最終的な損失も確定せず、最終的には現在想定される以上に損失が大きくなる可能性もある。この場合、金融機関への資本注入や破綻処理に伴うコストが更に増大することが考えられる。また、住宅ローン貸出が資産の大半を占めている地域金融機関では、不良資産がまだ十分に顕在化していない可能性もあり、今後のバランスシート調整の過程で追加的な資本注入等により財政負担が生じる懸念がある。
ヨーロッパでも、英国において住宅価格の下落が続いているなど、今後も住宅ローン関連の損失の影響が見込まれるほか、一部のヨーロッパ諸国では金融機関のディスクロージャーが十分でないという指摘もあり、今後、新たな不良資産が顕在化する可能性もある。
さらに、アメリカ、ヨーロッパとも、景気後退の進展により、事業会社向け貸出や住宅ローン以外の消費者向けローンに係る不良資産も増大する可能性がある。この場合、金融危機と景気悪化のスパイラルを止めるため、更なる財政刺激も含め大規模な対策を講ぜざるを得ない。
過去50年間の金融システム危機について78のケースを調べると、危機に対応するための財政コストのGDP比は中位値で15.5%であった(17) 。
こうしたことも考慮すると、今回の金融危機が長期化、深刻化した場合、各国の財政状況が急激に悪化する可能性も否定できない。
●中央銀行のバランスシートの拡大
今回の金融危機対応において、各国中央銀行は流動性の供給や金融機関の債務の保証等において大きな役割を果たしており、その結果として、中央銀行のバランスシートが急速に拡大している。
FRB、ECB及びイングランド銀行のバランスシートをみると、各中央銀行のバランスシートは、07年来大きく拡大しており、とりわけ08年9月以降急拡大している。特に、FRB及びイングランド銀行のバランスシートの拡大のスピードは著しく、わずか1か月の間に2倍以上に拡大している。ECBについても、FRBやイングランド銀行ほどではないものの、バランスシートの大幅な拡大がみられる。また、保有している資産の内容も、国債の比率が急速に減少する一方で、流動性供給策において適格担保として認められた資産の割合が飛躍的に高まっている。また、アメリカにおいては、08年10月からのCP買取制度の実施により、CPがウェイトを高めてきている(第1-1-28図)。
中央銀行のバランスシートについては、仮に、資産の劣化に対する疑念が生じると、中央銀行、ひいては、通貨そのものに対する信認の問題へとつながりかねないという問題がある。また、中央銀行が今後も機動的な金融政策のツールを保持するという観点からは、保有資産の流動性が十分に確保されていることが不可欠である。各国中央銀行が受け入れている担保は高格付けのものに限定されていることもあり、これまでのところ、資産劣化に対するリスクは小さいものと考えられるが、今後も、バランスシートの健全性については、引き続き注意を払う必要がある。
●通貨の信認は揺らぐのか
こうした財政赤字拡大懸念や中央銀行のバランスシートの拡大は、それが過度に進んだ場合には、通貨の信認の問題に直結するおそれがある。仮に、現在、基軸通貨として重要な役割を果たしているドルの信認の問題に発展した場合には、国際金融システム全体にわたる混乱が発生する可能性がある。
中長期的な通貨の信認確保のためには、各国政府は、現在の金融市場の混乱に収束の見通しが立った時点においては、速やかに財政については健全化路線へと回帰するとともに、中央銀行による緊急的な対応措置についても解除していくことが必要である。また、そこに至る前においても、こうした財政健全化に向けた道筋、すなわち「出口戦略」を示していくことが重要であると考える。