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第 I 部 海外経済の動向・政策分析

第2章 地球温暖化に取り組む各国の対応

第2節 温暖化への取組における経済的インセンティブの活用

2.排出権取引による効率的な排出削減:アメリカのSO排出権取引制度等から

 以上、各国に広まりつつある排出権取引の動向を中心に経済的メカニズムの活用状況をみてきた。次に、主として国内(地域内)の排出権取引を念頭において、排出権取引の眼目である排出削減費用の最小化・効率化の効果について考察したい。

●排出権取引による排出削減費用の最小化・効率化の効果
 排出権取引制度は、違反や検証漏れ等がない限りは、対象事業者の排出量の合計を配分された排出権の総枠の範囲内に確実に抑制することを可能とすると考えられる。しかし、排出権取引制度のねらいは、単に排出量を削減することにとどまらず、同等の排出削減を行う場合に、価格メカニズムを通じて経済社会全体で排出量削減に要する費用を最小化することである。
 こうした効果については、これまでみてきた排出権取引制度についても指摘されてきている。たとえば、EU−ETSについては、各種シミュレーションのサーベイに基づき、規制により排出削減を行う場合と比べてEU−ETSの方が効率的に排出削減を行うことが可能となり、したがって、産業別には差異があるものの経済全体としてみれば、競争力の面からもEU−ETSに優位性があるとの指摘がなされている(50)

●アメリカのSO排出権取引制度:排出削減費用の効率化には肯定的な指摘が多い
 ただし、EU−ETSを含め、これまでみてきた制度はいずれも導入されてから日が浅く、こうした費用削減効果(効率化)の事後的な検証は容易ではない。そこで、参考事例として、90年代からアメリカで酸性雨対策として実施されている二酸化硫黄(SO)を対象とした制度に係る実証研究の例をみてみよう(「コラム3:アメリカの二酸化硫黄(SO)及び窒素酸化物(NOx)に係る排出権取引制度」も適宜参照)。
 第2-2-17表にみるように、SO排出権取引制度の下では、一定の規制により同等の効果を実現しようとする場合に比べて相当程度の費用削減効果(効率化。表の(3)及び(4)の列を参照。)があったとする見解が多く、最新のもの(表中の(C)の行)では、20%程度の費用削減効果(効率化)が指摘されている。一方で、これらの研究は、政策的には非現実的としつつも、同様の排出削減を対象施設全体で実現するために各施設が最も適切な方法を取ればさらに少ない費用で同等の排出効果を実現する余地があったとも指摘している(例えば、第2-2-17表の備考6.を参照。)。言い換えれば、理論的に期待される「費用最小化」まではなおかなり隔たりがあったことになる。ただし、これらの研究は制度導入後数年程度の期間を対象にしたものであり、より成熟した効率的な市場が成立していけば、こうした問題は相当程度改善していくと考えるべきとの指摘(51)もある。排出権という人工的な権利を導入し取引するという試みの新規性を考慮すれば、現段階では、こうした評価が妥当ではないかと考えられる(52)

コラム3:アメリカの二酸化硫黄(SO)及び窒素酸化物(NOx)に係る排出権取引制度

 排出権取引制度の先行事例としては、特定の施設からの汚染物質の排出について排出権取引を導入したアメリカの以下の制度がある。

●SO排出権取引制度
 SO排出権取引制度は、発電所から排出されるSOを2000年までに80年の水準から1,000万トン削減することを目標とする酸性雨対策(Acid Rain Program, ARP)の中の対策の一つとして、電力産業の石炭火力発電施設を対象として95年から開始された。この制度は、各発電施設に、取引可能な排出権を基準年(85〜87年)の実績に基づいて毎年無償で割り当てる仕組み(グランドファザリング)となっている。ただし、排出権の一部はオークションにより有償で配分される。この制度については、本文で述べたように、相当の排出費用削減の効果があったとする報告が多い。また、厳格な罰則が設定されたことや排出量が正確に測定されたこと等、制度の確実な実施を担保する仕組みが整備されたことも成功要因の一つであることなども指摘されている。

SO2排出権取引制度概要

●NOx排出権取引制度
 NOx排出権取引制度は、アメリカ北東部・大西洋中部で導入されている制度であり、夏季(5月1日〜9月30日)のオゾンシーズンのNOx排出権を州ごとに基準年(90年)の実績に基づいて割り当てた後、各州が各々の方法でこれを対象企業に割り当て、企業間で排出権取引が行われるようにしている。NOx対策は95年から開始されたが、排出権取引制度は第II期の99年から導入され、03年以降はより広範な地域を対象とするNOx SIP Call制度に引き継がれた。
 なお、この制度については、SO排出権取引制度と異なり、オークション制度が存在しないことや、バンキングに制限がある(53)ことに留意が必要である。

NOx排出権取引制度概要

 オゾンシーズンの各州のNOx排出量の削減状況をみると、OTC地域の排出量は90年に比べ2000年には半減し、また、NOx SIP Call制度に参加して取引制度を導入した非OTC地域では03年に半減した後も引き続き排出量が減少している(図)。また、取引制度導入後は、NOx排出量はおおむね排出枠を下回っており(54)、対象地域全体の06年の排出量をみても、90年比で74%減、2000年比で60%減となっている。
 排出量削減に要する費用についても削減効果があったという指摘がなされているが(55)、この制度は夏季のオゾンシーズンのみを対象としているため、費用削減効果が限定的なものとなっているという指摘もある(56)

オゾンシーズンのNOx排出量の推移

●バンキングによる効果
 また、このSO排出権取引制度では、バンキング(余った排出権の次期への持ち越し)が認められている。バンキングの効果としては、この制度の第I期は排出枠が相対的に緩かったため、排出削減を超過達成し、余った排出権を排出枠が厳しくなった第II期に持ち越すことにより、異時点間を合計した費用削減が実現されたことも指摘されている(57)。ただし、第II期に入ってからは、第I期に蓄積された排出権を活用して、本来の排出枠を上回る排出が06年までで既に6年間に渡り続けられている(第2-2-18図)ことにも留意すべきであろう。こうした経験からは、バンキングにより効率化された面はあるとしても、継続的に排出削減効果を発揮していくためには、排出枠を定期的に見直して、技術進歩に合わせて、あるいは、技術進歩を促進するように排出枠を縮小していくことが重要であると考えられる。


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