第1部 第2章 第1節 グローバル化に適応する地域の製造業 2. [事例2-2]

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[事例2-2]グローバル化への挑戦 諏訪・岡谷地域の試み

[グローバル化への対応]

  • フィールドは世界へ マーケットがある場所へ進出
  • 圏域一体となり諏訪ブランドをPR

時代に合わせて変革を進めた諏訪・岡谷地域

諏訪・岡谷地域工業の歴史

長野県諏訪湖のほとりに位置する諏訪・岡谷地域(諏訪市及び岡谷市等)は、江戸時代から養蚕業が盛んであり、明治以降、製糸工業で繁栄した。一方で製糸機械の修理や部品供給のための金属加工から一般機械工業も発展し、大都市の工場の戦時疎開による技術移転も加わり、戦後は、精密機械工業の一大集積地として、「東洋のスイス」と呼ばれた。

その後、70年代には大手メーカーの海外移転が開始され、系列の崩壊が始まる。海外移転は、85年のプラザ合意を契機として加速し、従来の大手企業を頂点とする企業城下町から、地域の企業は自立を促されることになった。

諏訪市では、72年を境にそれまでの固定資産税の優遇措置といった誘致策から、市内企業の育成へと方向転換を図り、工業振興審議会(14)を設置している。

地域の企業は積極的に外へ目を向け、中小企業の海外進出も先駆的に行われた。進出は、早くは70年代に始まり、80年代にも複数が進出するなど、既に地域として一定の経験を蓄積していると考えられる。

最近のグローバル化への取組

諏訪・岡谷地域では行政も海外を視野に入れた様々な取組を行っている。

諏訪市では、ITバブルの崩壊時に受注が平均で4割も減少するという大変な苦境を経験し、今後は海外市場を抜きには考えられないとの認識が高まる中、94年以来中断されていた海外視察を2002年に再開し、市長以下中小企業経営者が大連・上海等の中国視察を行った。2003年9月には大連経済技術開発区管理委員会展示センターに諏訪ブースを開設した。諏訪製品の売り込みとともに、単独で出先を構えることが難しい中小企業にとって、取引のきっかけづくりの機能が期待されている。2003年は3回の商談会を開催し、隣接ブースのイタリアを含む3か国の商談会も行われた。2004年にはヨーロッパ視察を予定するなど、ブースを窓口として世界との交流が生まれている。

岡谷市では、スマートデバイス(15)の世界的供給基地を目指した取組を進めており、中小企業が単独で進出することが難しい、フィンランド、イスラエル(いずれもハイテク産業が盛ん)などとの産業交流を模索している。ミッションの派遣や大使館への職員派遣などの人的交流をきっかけとして結び付きを深め、ビジネスマッチングの拡大を目指す。また、市内の多くを占める中小零細企業に対しても積極的な支援を行うために、充実した制度資金の融資や企業巡回による技術指導(16)を行っている。さらに、地域としての展示会出展など、市が先頭に立って地域企業の売り込みも行っている。これらの取組によって、国内に拠点を置きつつ競争力を高め、他地域や世界を相手にビジネス機会を拡大することを目指している。以下では、地域に軸足を置きつつも先駆けて海外進出を果たし、更なる成長を遂げながら地域をリードしている企業を紹介する。

顧客ニーズにこたえて海外進出

精密スプリングの専業メーカーのJ社は90年にマレーシアに工場を設立し、その後97年に上海工場、2002年に大連工場を稼動させている。国内工場の主要生産品であるボールペンのペン先に使われるチップ用スプリングは、国内で80%、海外でも30~40%のシェアを持つ。また、マレーシア工場で生産する家電製品用のリモート・コントローラーの電池ばねは、マレーシアで60~70%のシェアを占めている。

海外進出のきっかけは、市場がある所に出て行くとの方針のもと、適地生産により、顧客ニーズに即応したいと考えたためである。設備の大半を自社で開発し、24時間無人運転が可能な体制を確立している。そのため賃金格差の影響がほとんどなく、日本と海外の生産コストはほぼ同程度となっている。海外展開することにより、従前は取引のなかったメーカーと海外において新しい取引が始まり、製品が評価されて、国内企業とも取引が始まるといった、海外進出による国内市場の活性化も見られる。

長年の経験で培ったトップ水準の技術力を維持し、「超量産」能力を備え、顧客ニーズにこたえるスピード納品を提供することで、多様な用途市場で世界トップシェアを持つことを目指す。また、ITや医療関連など、他の用途市場への開拓にも取り組んでいる。

人材育成にも積極的で、「スプリング道場」(非製造ラインの新入社員なども入る研修機関との位置づけ)を作り、社内教育に力を入れている。国内工場に力量あるマレーシア工場の社員を迎えるなど、国籍を超えて、ものづくり技術を競い合う場が形成されつつある。

海外進出でいち早く情報収集

精密プレス加工を中核とした金属加工を行うK社は、87年のシンガポール進出以来、マレーシア、インドネシア、タイに7か所の工場と1か所の関連会社を展開している。

進出のきっかけは、大きなマーケットの中に進出した方が、より良い情報が得られる、大手メーカーがこのまま日本にとどまることはないだろうとの認識に至ったためである。現在は国内回帰と言われているが、回帰は一部にとどまり、世界をフィールドとして競争していかなければならないとする。国内、海外がともに成長し、現地にローカライズしていきながら、学びあいや相互活用によりグループ全体が発展することを目指している。

企業競争力は、いかにマーケットシェアを確保し、プライスリーダーとなって量産によるコストダウンを図るかにあるとする。進出先で取引を開始した企業と国内においても取引を開始したこともあり、国内事業の拡大にも寄与している。海外進出の最大のメリットは、情報がいち早く入手できることであり、事業展開に役立っている。

また、異業種交流グループにもリーダーとして参画、メンバー企業やメンバーが共同出資した海外拠点を活用し、アジア全域はもちろん、世界市場に向けたサポート体制を強力に推進している。

地域としてのブランドづくり

近隣の6市町村を包含した取組として2002年以来「諏訪圏工業メッセ(17)」を開催し、好評を博しており、諏訪ブランドの国内外への大きなアピールの場となっている。民間が主導する、官民・圏域一体となった試みとしても注目されている。2004年秋口現在、これをさらに発展させる形で「ものづくり推進機構(仮称)」の設立に向けた検討がなされている。

また、岡谷市に立地する県の精密工業試験場は、地域企業の協力も得て設立された経緯があり、開設時から依頼試験、技術指導、技術開発及び人材育成を重点に据えた支援を行い、地域の企業を技術面から強力にバックアップし、技術水準の向上に寄与している。

今後の飛躍を目指して

当地域が製糸業から精密、精密から電機・電子機械へと、それまでの技術を活かしながら新たな分野を開拓し、一大集積地を築いていったことの背景として、進取の気性に富む気質と、独立心旺盛なことから次々と創業が起こったことが指摘される。異業種交流グループが国内で最も早い時期に複数誕生し、ITを導入した「諏訪バーチャル工業団地(18)」といった新たな試みが当地域からいち早く発信されているのも、この気質によるものと言える。また、行政が長い時間をかけて企業との信頼関係を構築し、自らを営業の最前線と認識しながら出会いの場を提供し、きめ細やかなサポートを行っている点は特筆に値する。地場産業の生き残りと飛躍を目指し、グローバル化に挑戦する地域として、モデルとなることが期待される。

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