第1部 第2章 第1節 グローバル化に適応する地域の製造業 2. [事例2-1]
[2] 地場産業から転換を図っている地域・企業
[事例2-1]
大田ブランドを世界に発信~日本の産業を支える工場群~
[グローバル化への対応]
- 行政が区内の企業をまとめて海外の展示会に共同出展
- 海外進出によりマーケットを開拓、研究開発に特化して競争力を向上
- 高付加価値化により、国際分業体制の構築を目指す
大田区工業の現状
東京都大田区は、全国有数の工業集積地であり、なかでも高度な機械金属加工への特化が顕著で、その技術の高さは日本の産業の屋台骨とも言える。しかし、ピーク時の83年に約9,000あった工場が、2000年には2/3まで落ち込み、2001年度からは2年連続で従業員規模4人以上の工場が10%ずつ減少するなど、取引先の海外移転や海外調達、バブル経済崩壊後の長期にわたる低迷やITバブル崩壊の影響からは免れ得ず、現在は厳しい状況に置かれている。
大田区の特徴は、小規模工場が多いことである。従業員3人以下の企業が全体の5割、従業員9人以下では全体の8割となっており、経営形態は職住一致又は近接の小回りの利く家族的企業が多い。また、特定の大企業の系列下にある企業は少数で、従来から「横請け」という地域の仲間同士のネットワークにより、自社が持たない技術であっても、連携して顧客の要求にこたえてきた(11)。様々な固有の技術を持った町工場が集積しており、特定製品の大量生産ではなく、試作などの製品を生み出す基礎となる基盤技術に特化した企業群となっている。企業が集積していることで激しい技術競争が行われ、また発注企業の求める厳しい要求にこたえるべく各社とも技術を向上させてきた。特定分野に特化した高度な技術を柔軟なネットワークで組織化することによりレベルの高い製品を生み出す。こうして大田区のものづくりは高い評価を得てきたのである。
区が国際化を支援
(財)大田区産業振興協会(以下、協会)では、アジアに仕事が流れるばかりでなく、逆に日本へ新たな仕事を引き込むこと、海外の現地メーカーあるいは進出した外資系企業とのマッチングにより、国内のみならず海外市場を新たに開拓していくことを目指した取組を行っている。台湾とは、対日経済貿易発展基金会を通じて、大田区での商談会を開催するなど交流を深めてきた。2004年3月には上海市の外郭団体である「上海市小企業生産力促進服務中心」を訪問し、業務提携で合意した。協会では、中国進出した区の企業との情報連絡や、JETRO等関係機関との提携を密にとりつつ、展示会や商談会、市場開拓などを進めていくとしている。 また、中小企業が積極的に国際展開できるよう支援するため、94年から海外、特にアジアで開催される国際見本市に区内の企業をまとめて共同で出展する事業を実施している。2004年は上海とタイの見本市へ出展する予定である。その場で商談が成立することは少ないが、これまで自らPR活動や営業を行った経験が少なく、単独での出展は難しい中小企業にとって、PRやネットワーク作り、あるいは海外を直接体験できる機会となり、国際的なビジネスを展開するための重要なきっかけとなっている。展示会後に、専属の現地代理店と契約した企業や、現地に直接進出した企業も現れるなどの成果もみられる。
開発部門を中心とする技術力を国内に残し、成熟した技術部門を海外に移転させるという方法で、国内基盤を固めながら積極的に海外へ展開する企業には、新たな得意先を獲得するなど、大きなチャンスが生まれている。一方で、研究開発に特化し、常に先を行く開発により競争力を発揮している企業も、地域で大きな存在感を示している。以下では、そういった企業を2社紹介する。
海外進出によりさらなる成長
油圧シリンダーの専門メーカーのH社は、独自の技術を活かして特注品を中心に生産している。多くの特許を持ち、区の新製品コンクールでも最優秀賞を受賞するなどその高度な技術は高い評価を得ており、特殊油圧シリンダー業界では世界でシェア7割を占める。
2001年には、納入した製品をメンテナンスするため、アメリカの企業と技術供与契約を締結し、拡販を図っている。また、区の海外出展事業への協力の一環として、94年にシンガポールで開催された展示会「メタルアジア」で海外マーケティングを実施した。96年には協会主催の「タイ・マレーシア」ミッションに参加したことを契機に現地法人をもつ日系商社との提携を深め、2002年にタイに現地法人を設立し、本格的な海外進出を果たした。当初は部品生産とメンテナンスや修理のみであったが、現在は顧客である日米欧系自動車メーカーなどの現地調達の要望にこたえ、設備を増強してシリンダーの生産も行うようになった。タイ工場で標準品を生産してコストダウンを図りつつ、国内では高度な技術を駆使した特注品を短納期で納入する。将来的にはタイでの特注品の生産も行いたいと考えている。
国内で試作開発専門を目指す
電気めっき及び無電解めっき加工を中心としためっき加工を行うI社では、開発・研究に力を入れており、常に業界に先駆けて新素材や難素材のめっき法の開発を行っている。
開発型企業へ転換するきっかけとなったのは86年の社長のアメリカ視察であった。当時アメリカではパソコン産業が急成長しており、ペースメーカーなどに悪影響を及ぼす危険性がある電磁波の漏えいを防止する技術が注目されていた。国内でも規制が検討され始めており、アメリカやドイツへのパソコン輸出には電磁波シールドが不可欠となる見通しであった。同年、同社では電磁波を遮断する無電解めっきを開発、日本の企業に「電磁波シールドめっき」を提案し、その結果パソコンのめっき加工を見事受注した。今では日本のほとんどの携帯電話に同社のめっき部品が使われている。2002年には技術開発拠点を区内に建設し、これまでの町工場にないR&D(12)先導型の経営を行っている。同社の人員構成は、研究員が30%に達しており、将来的には50%にすることを考えている。同社では、市場が形成されてからでは遅く、中小企業に大事なのは「常に一歩先を行くこと」であるとする。
ものづくりが海外移転しても、最後に残るのは試作開発であるとの考えに基づき、今後も試作開発型を展開していく。そのためには、ニーズとシーズを結び付けていくことが不可欠であり、海外視察を積極的に行い、関東学院大学の研究室との交流を継続するなど、常に広くアンテナを張っている。グローバルな視点を持って国内で競争力を発揮する同社の目標は、海外先進国とコラボレートできる会社になることである。
今後の展開
大田区では、事業所数の減少など厳しい状況にあるが、取引先の海外移転やバブル、ITバブルの崩壊を経てなお成長し続けている元気な企業も多い。これらには、積極的に海外に進出して新しい市場を切り拓いた企業や、開発型や試作に特化した企業が多い。大田区では、こうした地域のリーディングカンパニーの成長を支援し、また「大田ブランド」を国内外へ広く発信していくことにより、地域産業全体が活性化していくことを目指している。
現在、産産連携・産学連携の一環として、協会が窓口になって出会いの場を設けている。新たな取組として詳細な企業データベースの作成を進めており、全国の研究機関にPRし、受注案件を開拓するシステムを開発している。また、区内にはデュアルシステム(13)を導入した都立高校が誕生し、区内企業が受け入れを行うなど、地域ぐるみのものづくり人材育成への取組も行われつつある。
区では、今後はアジア全体の中で、それぞれの得意技術でのすみ分けをすること、つまり国際分業体制の構築が必要と考えている。地価が高いなどの問題点はあるが、企業や大学が多い、一大消費地に立地しており、情報がいち早く集まるといった大都市のポテンシャルと、産業集積によるネットワーク、これまでに培った高度な技術を最大限に活かし、アジアとすみ分けをしつつ、引き続き日本の産業の屋台骨を担っていくことが期待される。