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第I部 海外経済の動向・政策分析

第1章 中国経済の持続的発展のための諸課題

第2節 人民元切上げ論の高まりと政策対応

 
1.人民元に対し強まる国際的切上げ圧力

 こうした中国経済のプレゼンスが高まるとともに、近年先進国との間の貿易不均衡が問題視される場面も増えてきた。例えば、アメリカの持続不可能な水準まで拡大した経常収支赤字の主要因として、中国からの大量の輸出を指摘する主張も出てきた。そして事実上ドルに固定した為替制度が、中国が輸出するにあたって価格競争面で有利な状況をつくり出しており、その為替水準は現在の中国の国際競争力を反映せず不当に割安に据え置かれているという批判がなされている。為替相場制度の選択は本来内政問題ではあるが、中国経済の世界経済に与える影響がここまで大きくなった以上、中国は世界的不均衡を招いていることに対して責任を負うべきとする考え方まで出ている。

(1)事実上ドルにペッグしている人民元

 中国では、公式には「管理変動相場制」を採用しているとされているが、その許容し得る変動幅は基準レート(前日の取引レートを取引金額で加重平均して算出したレート)に対して±0.3%と狭く、ここ数年の人民元はほぼ1ドル=8.28元程度を維持していることから、事実上の固定相場制をとっているといえる。為替レートを(取引上の)主要通貨に対して固定することは貿易取引を行うにあたって為替リスクを考慮する必要が軽減されることから、輸出主導型成長を促進する上では有効な政策であった。
 しかしながら、近年、世界経済における中国経済のプレゼンスが高まるにつれ、対外的な摩擦も高まってきている。中国は94年以降、今日に至るまで、おおむね貿易収支は黒字となっているが、このことが世界的な不均衡を拡大させているとの議論が先進国を中心になされるようになっている。アメリカにおいては、経済大国となった中国は貿易不均衡を放置することは許されず、世界経済の安定、発展に責任を負うべきという議論すら出ている。
 為替レートへの影響等を考える際には貿易収支は貿易相手国すべてを合算した対世界でその姿がとらえられるべきであり、二国間における不均衡のみに着目して議論するのは理論的には妥当ではない。中国の全世界に対する経常収支黒字はGDP比で4%程度にとどまり、アメリカの経常収支赤字がGDP比5.7%程度であるのと比較した場合、中国の対外貿易不均衡が単独でいわゆる「世界的な不均衡(Global Imbalances)」を引き起こしているとは言い難い。
 しかしながら、実際には、対米、対EUといった二国間でみた場合の中国の貿易黒字額が近年著しく拡大していることから、政治的に非難を受けやすい構造になっているといえよう(第1-2-1図)。

参考年表:中国の外国為替管理制度の変遷

〜1978年

政府による全面的な貿易統制時代。政治的な要因で決定される「公定レート」のみ。
兌換性なし。

1979〜84年:二重為替相場制度期I

79年
・改革・開放政策へ移行
・外貨留保制度(外貨を獲得した企業に対し一定の外貨保有を認める制度)導入
・国家外貨管理局の設立

80年
・中国銀行による外貨兌換券の発行開始
・国際通貨基金(IMF)加盟

81年
・二重為替相場制度導入
 ⇒(1)企業が外貨獲得を目的として自主貿易に用いる「内部決済レート」、
  (2)国家外為管理局が政策的に設定し、計画貿易の決済に用いる「公定レート」の二種類が存在。
 ※輸出促進のために前者は常に後者より割安に設定。

1985〜93年:二重為替相場制度期II

・「外貨調整センター」の設立(深セン)・・・外貨取引の需要が外貨留保取引
 の継続により高まったため、中国銀行以外において取り扱えるようにした 
 もの。その後北京、上海等を始め全国各地にも設立。
・二重為替相場制度廃止(内部決済レート廃止)
 ⇒以後、「調整センター取引レート」と「公定レート」の間で実質的に二重為替相場制度が継続

93年 
・ 社会主義市場経済建設を採択

1994年〜現在:管理変動為替相場制度

94年  
・公定レートと外貨調整センター取引レートを一本化、二重為替相場制度の廃止
(公定レートを廃止し、1ドル=8.7元)
・外貨調整センターを廃止し、上海に外貨取引センターを設立
・外国為替指定銀行による外貨売買制度の実施

96年  
・IMF8条国入り
・「外貨管理条例」公布・施行⇒経常取引における外貨取引自由化    

2001年
・ WTO加盟

2005年5月
・上海外貨取引センターにおいて新たに外貨同士8組(4)の外貨の交換が可能になる。 ※内外の銀行9行を値付け業者(マーケットメーカー)に指定。

(2)元切上げに対して高まる国際的政治圧力−中国は「脅威」か−

 人民元に関する議論としては、既にIMFにより、2000年の報告書(5)において為替制度に一層の柔軟性を導入することが望ましいとの提言がなされてはいたが、日本においては、2001年に日本銀行の松島理事(当時)が、人民元のレートは中国経済や中国企業の国際競争力に比べて割安であると言及した頃から頻繁に言われるようになり、日本の長期化するデフレの原因を中国からの安い輸入品に求める趣旨の発言が相次ぐようになった。具体例としては、塩川財務大臣(当時)や黒田財務官(当時)らによる人民元切上げを求める発言や論文等がある。黒田財務官(当時)は、人民元は94年以降おおむね1ドル=8.28元のレベルで固定されているが、その間におおむね年平均9%の成長を遂げており、現在の中国の国際競争力にかんがみると、元は30〜40%過小評価されている可能性があるとした。(6)また、同氏は、長期化するデフレの原因を「米ドルに事実上固定されているため、結果的にデフレが中国から周辺国に輸出されている」という趣旨の発言も行った。
 2003年に入ると、大統領選挙を控えたアメリカにおいて、安価な中国からの輸入品に押され業績の振るわない中小企業、製造業界等を慮り、人民元の切上げを明確に要求する発言がスノー米財務長官やブッシュ大統領等を始めとした政府要人からなされるようになった。またグリースパンFRB議長も人民元に弾力性を持たせることを支持する旨の発言を行っている。2004年の選挙後、一時期この類の主張はトーンダウンしていたが、2005年に入って再度、アメリカ政府要人による踏み込んだ発言が増えてきている(7)。この背景には膨張を続ける経常収支赤字の持続性に関し懸念が盛り上がってきたことや、アメリカの経済拡大のペースが2004年と比べれば減速することがほぼ確実であること等によるものとみられる。
 ユーロ圏においても2004年の後半、ユーロ高や原油高等により外需の伸びが大きく低迷し、全体として景気回復の遅れが鮮明になってきたこともあり、トリシェECB総裁等がしばしば人民元切上げについて言及した(詳細は付表1参照)

2.元の評価―過小評価の根拠とその度合―

 元切上げを要求する各国政府要人等の発言における人民元の評価(「国際競争力と比較して何%割安か?」)にはかなりのばらつきがみられる。
 実際、元の評価に関しては学者の間でも、用いる手法、前提等の違いにより、結果については必ずしも一致した見解は示されていない。それらのうち、「過大評価」とするものはほとんどないものの、為替制度変更を正当化し得る程度の大幅な過小評価かどうかについては、コンセンサスがない。本節では、経済理論的にどの程度過小評価されているとみられているのかについて幾つか代表的な研究事例を紹介する。
 一般に、為替レートが当該国の国際競争力に照らしてどの程度過小ないしは過大評価されているのかをみるにあたっては、対象期間を短期、中期、長期に分けて各々異なるアプローチで分析が行われる。
 ただし中国の場合、国内金利は基本的に中国人民銀行によって設定されており自由化が進んでいないことから、市場の需給を直接反映したものとは言い難い。したがって、金利裁定取引が行われにくい環境にあることから、短期的分析(アセットアプローチ)は困難であると考える。以下、中・長期的な観点からの分析を中心に紹介する。

(1)長期的な均衡為替レートからの評価

 長期的な観点から分析を行う場合、一般に購買力平価説(PPP: Purchasing Power Parity Theory)に基づいて行われる。購買力平価説とは、異なる二つの通貨の購買力が等しくなるように為替レートが決定されるとする考え方であり、「水準」でその関係が成り立っているとする絶対的購買力平価説と、一時点を均衡とし、そこからの変化率でみる相対的購買力平価説の二種類がある。基本的に、これらのアプローチは、長期的に成立する均衡為替レートから現在の為替レートがどの程度かい離しているかを検証するものである。為替レートの均衡水準等の議論をするためには最も標準的な手法ではあるものの、必ずしも一意の均衡水準に対して合意の形成を保証するものとはいえない。これは、推計に際してかなりの大胆な仮定を置くために、総じて均衡レートからのかい離幅が大きく出やすい上、そのレンジが広くなること等によると考えられる。
●絶対的PPPアプローチ(8)
(1)実質為替レートの変動でみる場合
 実質為替レートは自国の物価を同一通貨建てに換算した外国の物価で除した比率である(9)。もし、購買力平価説が成立していれば、実質為替レートは一定である。しかしながら、固定為替制度を採用する場合、もし物価水準の相対関係が変化しても、名目為替の変化で調節する手段がないために、通常は一定にはならない。そこでIMFが公表している実質為替レートの動向をみると人民元の切上げ論争が盛んとなったここ数年の間に大幅に減価しているとはいえない(第1-2-2図)

(2)最も単純な一物一価の法則に基づく評価
 単純に一物一価の法則を仮定したもので、代表的なものには英国経済誌のEconomist誌が定期的に公表している「ビッグ・マック指標」がある。中国に関しては、97年に本指標が公表されて以来、常に「大幅に過小評価」だとされてきている。直近に公表された2004年12月の値によれば、人民元は均衡レートより58%過小評価であるとされている。ただし、各国の経済構造の違いをあまりにも捨象し過ぎているきらいがあり、その数字自体の大きさは説得力に乏しく妥当性があるとは言い難い。

(3)所得水準を考慮したアプローチ 
 所得水準の低い発展途上国ほど自国通貨の過小評価の度合いが高まり、所得水準が高い先進国ほど自国通貨の過大評価の度合が高まるという経験的な現象を理論的に説明したものとして、バラッサ=サミュエルソン効果(10)がある。
 所得水準が高まるとともに実質為替レートが増価する傾向にあることを考慮した上で、改めて人民元の評価を行うと、例えばFrankel教授によれば実質為替レートの過小評価度合は2000年時点で36.1%過小評価されていたとしている(11)。彼はそのまま10年経過した場合、バラッサ=サミュエルソン効果を考慮した均衡値からのずれはおよそ半分しか修正されないという結果を得た(12)。したがって、残り半分の調整分については、インフレ率の上昇を通じてではなく、名目為替レートの増価により行われるのが望ましいとしている。
 また、Bosworthブルッキングス研究所上席研究員の研究では、世界銀行が公表しているWorld Development Indicators(WDI)のPPPを用い、同様にバラッサ=サミュエルソン効果を考慮して仮推計した値をみると、人民元は95〜2000年平均で40%程度過小評価されているという結果を得ている(13)。しかし、中国においてそもそもバラッサ=サミュエルソン効果が生じているかについては、様々な角度から否定的な見方も示されている(コラム参照)ことから、その効果を考慮した均衡値から人民元が割安な方向にかい離しているからといって人民元が大幅に過小評価されていると結論付けるのは難しい。

●相対的PPPアプローチ
 相対的PPPとはある時点を「基準年」として、その時の為替レート下で経済が均衡状態にあったと仮定した上で、それ以降、各国間の相対物価動向を踏まえ、毎年経常収支均衡が成立していたと仮定した場合に推計された為替レートをベンチマークとして、実際の為替レートと比較し、その関係をみるというものである。この方法の欠点は、基準年をいつに設定するかによって結果が大きく変わってしまうということと、資本取引については全く考慮されていない点である。
 この手法を用いた分析では、過小評価でも過大評価でもなかったと結論付けられている(14)。また、前掲したBosworthの分析(15)においても、過去10年間の実質為替レートの動向には特段顕著な傾向はみられなかったとしている。
 なお、中国は96年にIMF8条国に移行し、輸出入に必要な企業の経常取引については元と外貨の交換が自由化されている上、貿易取引額は年々極めて強い勢いで伸びていることから、資本取引に関しては部分的に自由化されているとみるべきで、今後の方向性としても、ますます資本取引は自由化される方向にあることを考慮すれば、経常収支が均衡していることをもって均衡状態にあるとする分析を当てはめるのは必ずしも妥当ではないと言えよう。

(2)中期的な均衡為替レートからの評価

 中期的な均衡レートからのかい離をみるにあたって幾つかの方法があるが、一般に、為替レートの「適正水準」からの中期的なかい離をみる場合、国際収支を均衡させる為替レート(理論値)を推計し、それと比較して実際のレートがどちらの方向にかい離しているかをみるという手法が使われることが多い。2005年3月の全国人民代表大会(以下全人代)に中国政府が提出した2005年の「政府活動報告」においても、「国内外の諸要素を総合的に考慮して(中略)国際収支の基本的なバランスを保つ」と述べられていることから、国際収支均衡を基準にする方法を中心に以下に紹介する。中国政府が国際収支均衡を目標に掲げた背景としては、当該為替レートの水準が経済の実態からみて適正な水準にあるならば、国際収支は基本的に均衡する(誤差脱漏を除いたベース)ということが挙げられる。
 国際収支自体はその構造上、収支尻としては必ず均衡するような仕組みとなっていることから、分析を行うにあたっては構成する収支ごとの段階に分け、(1)経常収支の中期的に適正なレベルを保つような為替レートの理論値を推計する(マクロ経済バランスアプローチ)、もしくは(2)総合収支(経常収支と資本収支の合計)が均衡するように理論値を推計するという手法が用いられる。

●経常収支を用いた(マクロ経済バランス)アプローチ 
 最近のIMFによる経常収支概念を用いた為替レート水準の分析では、元は「大幅には過小評価ではない」とされている(16)
 まず、持続可能な経常収支を推計するにあたり、(1)過去の発展途上国の国々の時系列データに基づくものと、(2)中国の対外純債務残高のGDP比を一定(2001年レベル)に保つものの二種類をそれぞれ「常態(Norm)」の経常収支として推計し、構造的経常収支(為替変動の影響を除去し、潜在成長率を実現したと仮定した場合の経常収支)と大きさの比較を行うことで、為替レートが過小評価傾向にあるのか、過大傾向にあるのかを判断するとともに、またそのかい離の大きさにより、大幅かどうかについて判断するというものである。
 しかし、構造的経常収支の値は二つの常態経常収支の間に位置しており、統計的に有意な過大評価傾向もしくは過小評価傾向を示す結果は得られなかった。したがって彼らは「大幅には過小評価されてはいない」、つまり明らかに一定の方向に偏っているわけではないと結論付けている(17)

●総合収支(経常収支+資本収支)バランスアプローチ
 総合収支が均衡するということは、外貨準備高の増減の定義式により、外貨準備高の変動がない、すなわち為替市場介入が行われないという均衡状態にあることを指す。よってその際の為替レートが均衡レートということができる。この方法による推計例としてはGoldstein と Lardyの分析があり、2003年においては15〜25%、その後景気拡大が加速した2004年前期においては15〜30%(18)程度、景気過熱懸念が低下した年末には15%程度、人民元は切り上げられるべきとしている。総合収支均衡を用いるにあたっての問題点としては、資本取引は多少の非合法な取引があるにせよ、依然自由化されている状態からは程遠い状況にあり、資本の流入と流出規制の非対称性から、推計された「適正」レートの妥当性には疑問が残るとの指摘もある(19)

(3)その他の手法による評価

 昨今の G7 における共同声明では「為替レートは経済ファンダメンタルズを反映すべき」ということが繰り返し述べられている。ここでいう「ファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件 ) 」とは、通常マネーサプライや産出量等を指し、貿易の動向を実質的に左右する実質為替レートを中・長期的に左右する要因を指す。
 Funke and Rahn (2004) で は、生産性の上昇率格差(バラッサ=サミュエルソン効果)、対外資産残高、貿易自由化度を「ファンダメンタルズ」と仮定して、これらの間に長期的な関係が成立すると仮定した上で、 VECM ( Vector Error Correction Model ) による分析を 1985 〜 2002 年までの四半期のデータに基づいて行っている(20)
 その結果、人民元は2002年末においておよそ12%程度過小評価されていた可能性があるという結果となり、決して大幅なものではないと結論付けている。

コラム 実質為替レートの中・長期的な変動要素とは

 IMF(2004)においては、実質為替レートを動かす要素(ショック)自体についても検討している。1980〜2002年のデータを用い、相対的GDP、実質為替レート、相対的物価水準を説明変数として、異なるショックが実質為替レートに与える長期的な影響を分析している。ここでショックとは、具体的には(1)実質供給ショック:短期的には通貨を増価させるが、長期的には実質為替レートの減価をもたらす、(2)実質需要ショック:長期的に実質為替レートの増価圧力となるもの、(3)名目需要ショック:短期的には減価圧力を生じるが、貨幣的要因のように長期的には実質的な影響を与えないもの、の三種類を仮定している。これらの長期的な実質為替レートへの影響を、説明変数間の長期的な関係を考慮した上で分析している。
 それによると、実質為替レートを(増価方向に)変動させている主要な要因をみると、短期的には実質需要ショックに基づくものであるが、長期的には実質供給ショックが影響力を強める傾向があるとしている。とりわけ2001年以降、実質供給ショックが影響する度合いがより高まっているという結果を得ている。
 なお、ここで実質需要ショックとは、例えばアジア通貨危機直前の景気過熱期の実質人民元レート増価局面や危機後の海外需要の落ち込み等を指す一方で、実質供給ショックとは、国有企業改革の効果や海外からの大量の直接投資の流入に伴う生産性の上昇等を指し、総じてこれらの実質供給ショックは、実質為替レートを増価させる方向に作用するため、今後ますます増価圧力が増す傾向が強まることが見込まれる(21)

コラム バラッサ=サミュエルソン効果は中国にあてはまるか

 バラッサ=サミュエルソン効果をもって元の大幅過小評価の根拠とし、人民元の切上げ要請の正当化はできるだろうか。
 これまでのところ中国経済におけるバラッサ=サミュエルソン効果の成立そのものについて否定的な見解を示す向きが多い。例えば、その論拠として、中国経済の最大のシェアを占める製造業部門に対し、労働供給が無制限(農村部には余剰労働力が1億5,000万人程度存在するとされている)に行われているということを筆頭に挙げられている(22)。しかしながら労働力の供給が賃金に対して非弾力的に無制限に行われているというよりもむしろ、中国の特殊な労働市場の構造という側面からバラッサ=サミュエルソン効果を否定する説明も可能であると考えられる。
 中国ではバラッサ=サミュエルソン効果を成立させるための重要な仮定の幾つかが成立していないが、そのなかで最も問題となってくるのが、各国における単一労働市場の仮定である。
 中国においては、地域(農村部と都市部)間、及び部門間における賃金格差が近年特に拡大していることから、中国一国内に単一労働市場を仮定することが困難な状況となっている。中国の人口はおよそ13億人、そのうち労働力人口はおよそ7.5億人いるといわれ、その数字だけをみれば、労働供給は無限のようにみえるが、実際は戸籍制度(23)等により都市部と農村の間で自由な人口の流出入が制限されていることもあり、労働市場の流動性が低く地域間で賃金裁定が起きにくい構造となっている(24)。一般に、都市部では貿易財部門の従業者が多く、農村部では非貿易財部門従業者が多いとみられることから、農村部に過剰労働力が存在することは当該地域の賃金を抑制する方向に作用しており、ますます地域間賃金格差は拡大する傾向にある。
 こうしたことに加えて、同一企業内においても賃金動向が二極化する傾向にあることがさらに問題を複雑にしている。公式統計では当該部門の正規雇用者の平均がとられているため、賃金の実勢を反映していない可能性がある。中国での同一企業内における賃金格差は相当程度大きく、少数の管理職と多数の一般従業員の間には実に数十倍の格差があるとされている。いわゆるホワイトカラーの賃金は、高等教育の普及が遅れていること(25)等もあり、既に労働供給の制約が強く効いてきており、上海等の沿海部における都市部において近年著しい上昇がみられている。その一方で、マニュアルワーカーの賃金については、近年の生産性の伸びにも関わらず、賃金上昇率は相対的に低水準にとどまっているといわれている。さらに、農村部等から多数受け入れている非正規従業者の受け取る賃金は正規従業者と比較して極端に低いとはされているものの、統計には反映されていない(26)。故に、マニュアルワーカーの水準の労働力であれば、目下のところは賃金に対して非弾力的に労働が供給されているということがいえるかもしれない。
 以上のような要因により、中国においては一元的な労働市場を仮定することが難しいことから、バラッサ=サミュエルソン効果を支える最も重要な要素となっている「製造業部門における生産性上昇を通じた賃金上昇が非製造業部門へ波及するという経路」が断たれてしまっているために、高成長にもかかわらず通貨の実質的な増価には結びついていないということができる。
 なお、「労働生産性の上昇に応じて賃金が上昇」していない理由として、よく挙げられるのが、中国の労働資源の潤沢さである。だが、もしそれだけに依拠するならば、目下のところは労働供給の制約がないようにみえるマニュアルワーカー相当の人材についても、今後、より産業構造が高度化していくにつれ、それに対応しうる労働力の供給は現状をかんがみると、早晩、制約的になってくる可能性が高く、楽観視できない。
 実際、すでにマニュアルワーカー相当の労働力でも、労働力不足が外資系企業を中心に2001年以降顕著となっているという報告もある。その背景として、(1)社会保障制度が未整備である等、労働条件の悪化、(2)低賃金そのものに対する不満、(3)労働環境の悪化を挙げ、当初の買い手市場から最近は売り手市場に移行しつつある状況を考慮すると、近い将来、こうした労働者の不満を反映して賃金上昇圧力が高まっていくだろうという指摘がなされている(27)

3.中国自身も必要とする為替制度の変更

 これまでみてきたように、中国との二国間では貿易不均衡が発生している国があるものの、経済理論的な評価として、経済実態からみて人民元が具体的にどの程度過小評価されているかについてコンセンサスが存在するとは言い難い状況にある。
 したがって人民元を望ましい水準に是正するという目的だけでは、海外の要人が中国に対して為替制度の変更を要請することが正当化され得ないと考えられる。現に、中国政府当局も海外政府要人の度重なる人民元切上げ要請発言に対しては、繰り返し一貫して「外圧による為替制度の変更は行わない」と発言してきている。
 しかし一方で、中国人民銀行は為替制度に弾力性を導入することについて検討中である旨、周小川総裁や温家宝総理等の政府要人が幾度となく発言している。
 本年3月に開催された全人代閉会後の記者会見において、温家宝総理は、(1)長期的に目指しているのは管理された変動為替制度であり、(2)現行制度へ弾力性を導入するにあたっては、マクロ経済の安定と発展の維持、及び金融システムの健全な運営を前提とし、中国経済のみならず関係する他国の経済への影響を十分に考慮した上で、タイミング及び手法を選択するとし、その実施は市場の意表をついたものとなるだろう、と述べ、以後の中国政府要人の発言は基本的にこの線に沿ったものとなっている。
 中国政府当局が自ら為替制度を見直す動きを示している背景としては、人民元の評価水準そのものよりむしろ、現行の事実上ドルにペッグした為替制度を維持する経済的合理性が徐々に消滅し、コストの方がむしろ大きくなってきたことが考えられる。開放経済が進展するなかで大国化しつつある中国は、いわゆる「開放経済下におけるトリレンマ」に直面しつつある。事実上の固定相場制を維持しながら国内の金融政策の独立性を維持するためには大きなコストがかかることが明らかになってきており、マンデル=フレミングモデルに示されるように、マクロ経済政策の有効性を将来的に担保しようとするならば、現行の事実上ドルにペッグした為替制度から離脱することが必要となる。この問題を解決するためには中国当局としても為替制度の在り方について検討する必要性が生じてきたと考えられる。
 現在の中国が直面している固定相場制の維持によるコストとしては(1)不胎化政策の限界、(2)外貨準備高の急速な積み上がり、(3)資金の非効率配分等の問題が存在する。

(1)「開放経済下におけるトリレンマ」と金融政策の独立性の確保

● 「開放経済下のトリレンマ」に直面する中国
 現在の中国経済がどのような状況に置かれているのかを理論的に説明するものとして、Mundellコロンビア大学教授が提唱した、いわゆる「マンデルの不可能な三角形(Mundell's incompatibility triangle)」もしくは、いわゆる「開放経済下のトリレンマ(Open-Economy Trilemma )(28)」がある。
 これの意味するところは、(1)国境を越えた自由な資本移動、(2)為替相場の安定、(3)国内均衡(完全雇用)を実現するための金融政策の独立性、という三つの金融政策の目標のうち、完全に両立しうるのは最大二つまでというものである。
 これを現在の中国に当てはめてみると、事実上ドルにペッグした為替制度をとっていることから、(2)と(3)を選択している形となっている。しかしながら、近年の貿易量の拡大、切上げ予想に基づく投機的な資本流入、WTO加盟の際のコミットメントの実施等により、事実上資本取引規制の実効性が失われつつある。
 そもそも、中国のように経済規模の大きい国にとって三つの政策目標は対等な関係になく、三つのうちから二つの政策目標を自由に選べるというものではない(29)。仮に資本移動が自由化された場合、現行の事実上ドルにペッグした為替制度を無制限な介入によって維持するのは非常に困難であるとみられる。
 これをMundellコロンビア大学教授が提唱し(30)、McKinnonスタンフォード大学教授(31)が更に拡張した「最適通貨圏の理論」に基づいて述べるならば、固定相場制を放棄するか否かの選択にあたっては、当該国の経済が、香港のように開放(32)された「小国」か、中国のように国内市場が十分に大きく、その動向が世界経済に影響を及ぼし得るほどの「大国」かによるところが大きい。したがって中国のように、13億人からなる巨大な国内市場を抱え、貿易量のGDP比も高い「大国」は、むしろ為替の変動を許し、(1)、(3)を実行するほうが望ましいものとみられる。
 また、今のところは落ち着いている物価動向ではあるが、原油高が継続するなか、エネルギー効率が世界的にみて極端に悪い中国は、燃料価格の高騰等直接的な影響が顕在化しやすい状況にあるものとみられ、また、中間投入財価格や賃金の上昇に伴う間接的な影響に関しても引き続き予断を許さない状況にある(33)。実際インフレになった場合に、人民元の増価圧力が一層高まることをおそれて金融引締めのタイミングを逃すようなことがあれば、インフレはますます加速するであろう。インフレの兆候がまだ差し迫ったものでないのは、価格転嫁が川下まで及ぶまでに相当のタイムラグが発生しているだけに過ぎない可能性もあり、物価動向については今後特に注意する必要がある。

(2)増加する固定相場制を維持するためのコスト

 中国にとって事実上ドルにペッグした為替相場制度を採用していることによる弊害は日に日に大きくなっているものとみられ、後述するような諸問題を解決するためには、為替制度の変更が有力な政策選択の候補の一つとなりつつあるといえよう。

●加速する外貨準備(34)の積み上がりに伴うコスト
 今や中国は日本に次いで二番目の外貨保有国となり、2005年3月末までに中国の外貨準備は6591.4億ドルとなり、前年同時期と比較して2192.8億ドル増加した。その額をGDP比でみると4割近くに上っており、経済規模に比して非常に高いことがわかる。
 中国の外貨準備は、90年後半以降、IMFが推奨している「輸入額の3か月分」の水準を大幅に超過してきた。とりわけ2000年代に入ってから急速に積み上がっており、資本流出が流入に転じた2002年以降、さらにその勢いを増している(第1-2-3図)。中国の場合、経常収支黒字は比較的小さいため、直接投資の流入が主な外貨準備増減の原因となっている点に特徴がある。しかもその大半をドル債で保有している。
 中国の金利は、発展途上国としては低めに設定されているものの、米国金利はより低水準となっているため、ドル債によって外貨準備のほとんどを運用することにより、相当の機会費用が発生しているものとみられる。ただしこの逆ざやのコストそれ自体については、金利差が数%ポイントに留まっていることに加え、2004年後半からは米国政策金利がそれまでの歴史的に低い水準から徐々に引き上げられる局面を迎えていることから、利ざやはますます縮小するとみられる。したがって、利ざやコストのみをもって当局が為替制度の見直しを検討しているとは考え難い。
 しかしながら、外貨準備は国の資産であり、さらに遡れば中国国民の貯蓄であるということを考えると、この資産が最適なポートフォリオが組まれず、ドル債に極端に偏って運用されているのは、特に最近ではアメリカの赤字の持続可能性に対する懸念が一段と取り沙汰されていることもあり、資源の効率的配分という観点から望ましくない。
 資金の効率的配分という観点からみるならば、第3節2でも述べるように、本来経済の効率化を促進するのに有用な多くの新興中小企業が資金調達難に陥っていること等もその一例であろう。また、2004年春頃には国内投資(固定資産投資)の50%近い高い伸びがみられ、一部業種において過熱懸念が生じた(35)。その後大半の過熱業種において投資の伸びの低下がみられるなか、不動産投資は一連の政府の投資抑制策にもかかわらず(詳細は付表2参照)、当時とほぼ同水準を保っている(36)。近年の不動産価格の高騰(約30%)が上海等の一部の地域においてみられることも、資金の偏在の一端である可能性がある(37)

●拡大する「誤差脱漏」と非対称な資本取引規制
 また2002年頃からは元切上げの期待予測から本来規制されているはずの投機的資金の非合法な流入が「誤差脱漏」として記録される例が目立つようになり(それ以前はむしろ資金流出)、国際的にみても高い水準となっている。2004年の誤差脱漏のGDP比は1.6%と、前年の1.3%からさらに上昇した(前掲第1-2-3図)
 中国の資本取引規制は、資本流入は比較的容易であるが流出は困難という特徴がある(第1-2-4図)。このような非対称な資本移動規制により、より多額の国際収支黒字が累積しやすくなっている。こうした資本移動規制の正当性を97年のアジア通貨・金融危機の影響を回避した実績に帰する論者も多いが、構造的に元高圧力を生じやすいという問題が指摘されている。

●限界が近づく不胎化介入
 以上のように、大規模な外為介入を続けているにもかかわらず、国内におけるインフレの兆候はあまり顕在化していない。しかしこうした対応も限界に近づきつつある。
 外貨準備高の急速な伸び(2004年3月末値で前年同月比で約50%増)にもかかわらず、マネーサプライ(M2)の伸びは比較的よく抑制されており、2004年後半以降はむしろマネーサプライの伸びは一定の水準(総じて13〜14%台、前年同月比)に落ち着いている。これは人民銀行が、為替市場においては人民元の増価圧力に抗して断続的に元売りドル買いを実施する一方で、国内市場においてはインフレを抑制するために市中の元を 吸収するために売りオペを行うという不胎化介入を積極的に実施しているためとみられる(第1-2-5図)

 確かにこれまでの実績をみる限り、当局の不胎化政策は、インフレ抑制にまずまず成功しているようにみえる。しかしながら、実際は人民銀行が介入を続行するための手段は失われつつある。大規模な不胎化政策を断続的に行った結果、人民銀行が保有する介入に必要な国債が、流通市場が未整備であることもあって不足している。それに代わって2003年後半以降、中国人民銀行自ら売出手形を発行して市中の人民元を吸収している。2005年3月末までに中央銀行手形の残高は1.56兆元となり2004年に比べて30%の伸びとなった。いまや中央銀行の発行する債券が、中国の債券市場において2番目のシェアを占めるまでになっている(38)
 だが、こうした形での人為的な方法による人民元の市中からの吸い上げに頼り続けることには大きな問題がある。インターバンク債券市場における中央銀行手形のシェアがあまりに高まってしまうと、その金利がそのまま債券市場の金利となってしまう等、債券市場にゆがみをもたらし、健全な市場の育成にとって負の効果を与えている。また、当該債券への需要が少ないために発行の条件を下げて発行せざるを得ないため、逆ざやがますます拡大する傾向にある。このようにして中央銀行のバランスシートがゆがむことは、ひいては金融システム全体の信認を損なうことになりかねない。                                                                 

コラム 中国の高成長を支えてきたドル・ペッグ制

 現行制度がこれまで果たしてきた役割について振り返ってみると、事実上ドルにペッグした為替制度はごく最近まで中国の高成長に相当程度貢献してきており、その維持には一定の合理性があったといえる。
 中国が94年に二重相場制度を解消し、実質的ドル・ペッグ制を導入した背景としては、当時、外貨不足だったため為替管理を政府に集中させる必要があったという事情のほかに、(1)輸出競争力の確保、(2)アジア通貨危機時の影響回避、(3)物価の安定、(4)脆弱な金融市場の国際競争からの保護、といったメリットが挙げられる。
 より詳細に述べると、まず(1)については、最適通貨論にのっとってある程度正当化できる。80年〜90年代初頭までは、中国は経済規模において小国であり、輸出品も労働集約的財(農産品、繊維製品、雑貨等)中心であったため、主要貿易相手国(アメリカ)との名目為替レートを安定的に保つことで信用を確保し、輸出にあたっての為替リスク軽減を図る上で最適であった(39)。また安定的に直接投資を呼びこむ上でも有効に機能し、90年代後半以降の輸出主導型の力強い景気拡大の実現があったものと思われる(40)
 (2)は、97〜98年に起きたアジア通貨・金融危機の際、唯一中国だけが通貨を切り下げることなく、景気への影響も比較的軽微にとどまったという実績を論拠に、国内金融市場に脆弱性を残したまま、固定相場制を放棄するのは、アジア通貨・金融危機の再来をもたらすという指摘がなされている。
 また、(3)に代表されるように、金融政策の有効性を高める上での意義があった。ドル・ペッグ制がノミナル・アンカーとして機能した側面もあり、それまで年20%台の高インフレに悩まされてきたところ、導入後はインフレ率が比較的長期にわたって安定して推移しており、98〜99年及び2002年にはデフレ傾向にさえなった。2005年に入っても、原油高が長期化するなか、インフレ圧力の高まりが懸念されはしているが、消費者物価にさほどその影響は明示的に現れていない。
 確かに、97年当時、アジア通貨・金融危機に陥った多くのアジア諸国は、ドル・ペッグ制をとりつつも、金融市場の脆弱性を抱えたまま資本取引を自由化したために、投機アタックの対象となってしまった。当時中国だけが比較的影響が軽微にとどまったのは、事実上ドルにペッグした為替制度を維持すると同時に資本取引の厳格な制限を行っていたためであるとされている。
 よって、元切上げ反対者の論拠は、このような固定相場制度のメリットを裏返す形で展開されている。具体的には、(イ)経済成長を牽引してきた輸出が落ち込んでデフレに陥る、(ロ)雇用の確保が困難になる(41)、(ハ)現状では金融システムがあまりにも脆弱なため、国際競争に耐えられずシステムそのものが崩壊する可能性が高いといったことが挙げられている。
 実は中国国内にとどまらず、海外においても一連の人民元切上げの圧力の高まりに対して懐疑的な意見を表明している識者は多い。例えば、コロンビア大学のMundell教授、スタンフォード大学のMcKinnon教授等は、とりわけ(3)の実績を前例とし、アジア全体の経済の安定に資するためにも、過度の経済の混乱を招きかねない現時点における為替制度の変更については懸念を表明している。日本においては、白井(2004)が、現在の元レートは必ずしも大幅に過小評価されているとはいえず、当面は現状維持に努めるべきとしている。

 


コラム 中国人民銀行の役割と政策手段

 中国において中央銀行に相当する、中国人民銀行(総裁:周小川)は「通貨政策(為替政策)」及び「貨幣政策(金融政策)」の双方を担っている。
 しかし、主要先進国の中央銀行が確保しているような完全な独立性はない。通貨政策に関しては、国務院の指導の下で通貨政策の策定及び実施を行い、通貨の価値を安定させることを通じ経済発展に貢献する旨定められている(人民銀行法2003年改定)。ただし、金利変更等の貨幣政策変更や通貨制度の変更等重要な案件の決定にあたっては、国務院の許可が必要とされている。
 なお、中国人民銀行が中央銀行として機能するようになってからはまだ日が浅い。1983年までは単一銀行制度をとり、中央銀行としての機能だけでなく企業や居住者を対象とした貸出業務も併せて行っていた。その後国務院により中央銀行機能に特化すると同時に、中国銀行、中国農業銀行、中国人民建設銀行、中国工商銀行(いわゆる四大国有銀行)へ商業銀行業務及び政策金融の一部を移管した。95年に「中華人民共和国中国人民銀行法」が施行され、同法により中国人民銀行は中央銀行として地位と権限を付与された。2003年には中国銀行業監督管理委員会が中国人民銀行から銀行監督機能を分離する形で設立される等、徐々にその体制を整えつつある。
 中国人民銀行が行使し得る金融政策手段としては、従来は専ら貸出総量枠規制であったが、98年にこの規制を撤廃して以降は、銀行間債券市場における公開市場において取引されるようになった。しかし、中国の債券市場は、銀行間市場と取引所市場、個人貯蓄債市場のそれぞれの市場が分断されていることもあり、市場の厚みがないものとなっている。その結果、金利が市場参加者のリスク観を反映したものとなっていないという問題がある。加えて、国内の金利は固定為替制度を維持するため、基本的に人民銀行によって設定されており、市場の受給で決まっていないことから、実際は貸出総量規制に依存する部分もかなり残っている。

 

4.より望ましい為替制度を目指して

 中国にとって完全変動相場制への移行も長期的な政策ゴールとしては選択肢の一つであると考えられる。しかしながら、当面の中間的経過措置として中国がとりうる為替制度については議論が分かれるところであり、「最善(the best)」といえるものを特定することは難しい。比較的よく提案されているものとしては、単一の方法を採用するのではなく、段階的に制度を切り替えていくもの、もしくは同時に複数の手法を組み合わせる等があるが、いずれも一長一短があることには変わりはない。
 一方で、既にみたように現在の固定為替制度のコストが高まってきた現状を踏まえると、仮に現在の為替レートが大幅に過小評価ではなかったとしても現状維持が中国経済にとって望ましいとは限らない。この点に関しては 2003年秋の段階で、周小川総裁自ら「狭い変動幅に収められた為替レートと一種類の外貨だけを参考にしている状況が最もよい選択肢とは考えていない」と認めていることでも明らかである。
 中国当局は、いつ、どのような方法で為替制度の変更を行うかについて決定するにあたっては、中国経済の実態を慎重かつ十分正確に把握した上で、内外経済に与えるリスクを最低限に抑えることが重要な課題と考えられる。

(1)中国が採用しうる為替制度の選択肢とは
 
 中国経済にとって必要とされる為替制度とは、金融政策の独立性を確保し、外的なショックに柔軟に対応できる制度である。また、輸出依存度が年々高まっていることから交易条件に与える影響も十分考慮されるべきであろう。
 既に様々な立場から複数の提案がなされてはいるが、用い得る手法として市場で議論されているものを整理すると、(1)為替レートの切上げ、(2)通貨バスケット・ペッグ制の採用、(3)変動幅(Band)の拡大、(4)管理フロート制へ移行のいずれか、もしくはそれらの組み合わせとなっている。
 以下、為替制度変更の具体的な提案を紹介しながら、それぞれのメリット及びデメリットについて整理する。

●切上げに伴う投機的行動の防止は困難
 単純に切上げだけを行うべきとする意見はもはや少数であると考えられる。実際に切上げを実行するにあたっては、大別して(1)一度きりの大幅切上げにより一気に「均衡レート」に調整する、(2)経済情勢に小刻みに切上げを繰り返す(42)、という二つの提案がなされている。人民元切上げ論の初期においては、スノー米財務長官の発言等にもみられるように、前者が主流だった。
 (1)の欠点としては、既にみたように、そもそも、どの程度割安なのかという点について市場での見解が大きく分散している場合、市場に対し、当局が固定した為替水準についてコミットするのはほぼ不可能といってよい(43)
 (2)についても、レート変更にあたっての頻度や根拠、手法等の決定の透明性を確保しつつ、「最適」に行うのは困難であることに加えて、頻繁にレートを変更することを通じて、市場に一方向に偏った期待形成を行う余地を与えてしまう可能性が高い。
 故に、切上げのみを行うという方法は、どのような方法をとるにせよ潜在的な投機圧力を回避する上で有用とは言い難い。

●中心レートの変動幅は縮小するものの運用が複雑なバスケット・ペッグ制
 バスケット・ペッグ制度とは、中国のように、単一通貨にペッグするのではなく、複数の主要通貨から構成される通貨バスケットに対して自国通貨を安定化させるものである。通常は上下1%内の変動幅を設けることが多い(44)。バスケットを構成するにあたっては、貿易量でウエイト付けをするのが最もポピュラーではあるが、このほか金融取引、その他地理的関係等の要素を考慮してウエイトを付けていく。
 この手法のメリットとしては、ドルだけに固定するよりも、変動幅が小さくなるため、ドルが売られる傾向にある昨今、人民元は名目のみならず実質実効レートの変動を幾分回避することができることであろう。加えて、通貨当局は介入するにあたって構成通貨に応じた複数の通貨を外貨準備として保有する必要があることから、現在のドル一辺倒の保有状態から、資産保有リスクを分散させることが可能になるものとみられる。
 この制度の問題点として、どの程度の頻度で相場を調整するか、その際の透明性をいかに確保するか、さらには、構成通貨国との物価上昇率の格差が急激に変化した場合、いかにこれを調整して貿易動向を実際に左右する実質実効レートの変動を抑制するかといった指摘がある(45)
 また、固定相場制であることには変わりはないので、依然として投機アタックの対象になる危険性は消滅していない。

●制度変更初期段階において利便性が高い変動幅の拡大
 ターゲットゾーン制とはIMFの基準でいえば、許容し得る変動幅が最低でも2%を超えるように設定するものを指す。通常は中心レートに対して上下対称に1%超の変動幅を設けることが多い。中心レートについては、単一通貨でもバスケット通貨でもよいが、いずれにせよ一定の水準に固定され、公表される。
 このようにして通貨当局がとることができる手段を制度的に拘束することを通じて、逆に当局に対する市場の信認を得やすくし、金融政策の節度を保つことができるというメリットがある。また、除々に変動幅を拡大することで、当局及び市場参加者双方が「慣れる」ために必要な経験を積むことができる。
 他方、一方向に対して通貨投機圧力が高まっている状況下では、為替が長期間にわたって天井に張り付いてしまい、事実上固定相場制を採用しているのと異ならない状況となるおそれがある。現在の中国はこうした状況下に置かれている可能性が高く、投機的アタックを招かないように適正な変動幅を設定するにあたっては慎重を期する必要がある。あまりにも変動幅を拡大し過ぎると投機を呼ぶ確率が高くなるからである。
 なお、周小川人民銀行総裁は、変動幅の拡大を行う前提として、(1)財の貿易部門への経営参入を大幅に開放し、サービス貿易についても一部開放すること、(2)資本取引規制を現行から緩和すること、(3)国有商業銀行改革を進め、不良債権問題を始めとした主要な問題が一応の解決をみること、を挙げている(46)

●金融市場の成熟と当局の力量を必要とする管理フロート制
 管理フロート制は変動相場制の一種であり、これまで述べた中で最も柔軟性の高い制度である。原則的には為替を市場の需給関係に任せて決定させるが、行き過ぎ等に関しては必要に応じて介入を行うというものである。
 メリットとしては特段中央レートや介入ルールを設定する必要がないことから投機にさらされるリスクは最も少ない上、金融政策の独立性は確保される。ただし当局の裁量に依存するところが大きいので通貨政策当局の力量が問われる制度でもある。
 その裏返しとして、当局が介入するにあたっての透明性が必然的に下がるというデメリットがある。また市場の信認が低い場合、当然ながら為替の変動が大きくなる危険性は最も高い。そのため、リスク・ヘッジの手段が充実している必要があり、金融・資本市場の発達はその前提条件である。中国はまだ国内金利の自由化が進んでおらず、資本市場の発達も遅れていることからその意味ではまだ採用の段階にないといえよう。

(2)政策オプションの組合わせの可能性 

 それぞれの政策オプションの性質を踏まえた上で現実的に導入を視野に置いた場合の具体例として、ここではバンド付クローリング・バスケット・ペッグ制と、二段階アプローチについて紹介する。

●バンド付調整の可能な通貨バスケット制
 事実上の固定相場制からの移行についてリスク管理の経験の蓄積の必要性を重視する立場からは、為替管理の維持及び人民元変動幅の拡大を組み合わせるという提案がある(47)
 そこで、(1)中心レートをドル、円、ユーロから成る3通貨バスケットレートとして、これらの通貨に対して過度に変動することがないようにし、(2)変動幅を上下対称に拡大した上で、(3)切上げ圧力が高く、中心レートを切り上げる必要が生じた場合は、その切上げ幅よりも必ずレンジ幅を大きく設定するようにルール化し、投機筋が損をするリスクが常に存在するようにすることで、仮に中心レートが明らかに示されていても、投機対象にはなりにくくすることはできる。また変動幅を徐々に拡大することで人民銀行がこれまでの為替管理の経験を生かしつつ、より弾力的な為替制度への移行をスムーズに行うことができるとしている。
 しかしこの方法にしても、変動幅を広めに設定しているが故に、もし、仮に市場全体が一方向に偏った期待形成を行って投機的アタックを行った場合は、当局が持ちこたえられる保証はない。そもそも、人民銀行が実際に市場をハンドリングできる力量の有無にかかわらず、「経験がない」事実だけをもってして、投機的アタックを受ける可能性は潜在的にかなり高いといえよう(48)
 このような問題に対応するためには、制度変更の導入の初期段階では変動幅を極めて狭い範囲にとどめて十分な経験を踏まえた上で、徐々に幅の拡大を図るという提案もなされている(49)

●二段階アプローチと政策オプション
 次に、これまでのところ提案された中では理論的にある程度割り切ったものとして、二段階アプローチ(コラム参照)がある。為替制度に弾力性を導入する過程を二つに分けることで、先述した各々の政策オプションの特徴を活かそうとしている。そこでこの提案を軸としてそれぞれの選択肢についての特徴をみていきたい。
 二段階アプローチでは、第一段階としてまず 15〜25%(2003年下院での証言当時の数字)の為替の切上げを一度だけ実施し(50)、為替レートを経済の実力に見合った適正水準に修正した上で、変動幅(Band)を当初の1%以内から5〜7%へ拡大させる。第二段階としては、ドル、ユーロ、円の主要3通貨によるバスケット制度を採用することを提案し、金融制度改革や不良債権問題、そして資本移動の自由化を実施した後に第二段階として管理フロート制に移行することを提案している。
 以上の段階的なアプローチは、世界経済が長期間にわたって人民元が均衡レートからかい離した状態による悪影響にさらされずにすむ上、中国にとっても、アジア通貨・金融危機を反面教師として学んだことを無駄にせずにすむということを利点として挙げている。
 これに対しては現在の程度の元の割安幅であれば、管理フロート制へ移行するにあたり二段階を踏む必要性はなく、直接的に管理フロート制へ移行してすぐにでも金融政策の独立性を確保(具体的にはインフレターゲット政策の採用)したほうがよいという反論がある(51)。また、総論としてはGoldsteinらの提案は妥当ではあるものの、第一段階においてバスケット・ペッグ制をとることについては、ほぼすべての決済がドル建てで行われていることから、中国からみた場合何ら経済的合理性はなく、アメリカの主観的な意見に過ぎないという批判もある(52)

コラム Goldstein-Lardyによる二段階アプローチ

 中国が目指すべき為替制度の姿はどのようなものだろうか。一つの具体的な提案として、アメリカを代表する国際経済研究所(IIE)のM. Goldsteinと N. Lardyは、2003年10月1日に行われた米下院金融サービス委員会「中国の旧態為替制度がアメリカ経済に与える影響」公聴会において、二段階からなる為替制度改革を提案した。
 彼らの提案する二段階アプローチとは、

●第一段階(ただちに実施)
(1)人民元を15%〜25%切上げ(53) 
(2)変動幅を1%未満から5〜7%へ拡大
(3)単一通貨(現行は米ドル)へのペッグから、ドル、円、ユーロの三大機軸通貨を貿易額ウエイト(54)で加重平均して構成するバスケット・ペッグ制へ移行する。

● 第二段階
(1)金融制度改革、不良債権処理、資本取引の自由化の実施を第二段階の前提条件とする。
(2)管理フロート(managed float)制へ移行(55)

 2003年当時、スノー米財務長官は、中国元は4割程度割安(これはいわゆるビッグ・マック指標等に基づいた数字とみられる)となっており、為替レートを切り上げて経済の実勢を反映した適正な水準にするとともに、現在の事実上ドルにペッグした制度から変動相場制に移行するべきと主張していた(56)。これに対し、Goldsteinらは、アメリカが抱える経常収支赤字の是正は中国の為替制度の変更だけで解決する問題ではなく、そもそも二国間の収支で貿易不均衡について議論すべきものではない(57)、と断りつつも、貿易規模が世界で4番目(当時)の大国となった現在、中国は世界経済に与えるインパクトについて責任ある立場にあり、為替制度の変更を通じてその役目を果たすべきと主張した。IIEはアメリカの政策決定に関して権威のあるシンクタンクであることから、二段階アプローチの提案はアメリカの政策方針決定において一定の影響力があったものとみられる。なお、その後も彼らは2004年秋の段階において再度推計をし、中国の過熱が一時よりもピークを打ち経常収支黒字額も一時に比べ縮小したことから、第一段階で切り上げるべき水準を15%程度としているが、依然基本的な主張に変更はない。

 


コラム 管理フロート制への移行には段階的措置は不要?
―Eichengreenカリフォルニア大学バークレー校教授の反論―

 Eichengreen教授は、Goldsteinらの提案に対し、完全変動相場制ではなく管理フロート制に移行するのであれば、資本取引規制の完全自由化を行う必要はない(58)ことから、二段階アプローチのように段階を分けて行わないほうがよいとし、早急にひずみが生じている金融・信用調整を十分に行えるように、金融政策の独立性(インフレターゲット政策の採用)を確保するために直接移行するべきである、と反論した。この主張は以下の二点においてそれなりの説得力を持っていると考えられる。
 まず、二段階アプローチのうちの第一段階において、15〜25%の切り上げを行うことが提案されているが、彼自身の推計によると5〜10%であり、過大推計になっているのではないかと指摘し、この程度ならば「大幅」とはいえないとした。確かに切上げにより一時的に中国の輸出競争力が落ちるためにアメリカの保護主義者を懐柔するには効果があるかもしれないが、事実上の固定相場制を維持することから生じる国内市場のゆがみや急速に拡大する国内投資により過熱気味な景気の是正にはなんら貢献しないだろう。切上げを行うことは、それが1回きりの大幅なものであれ、小幅で小刻みに行われるものであれ、いわゆる為替レートの「適正水準」に関して市場の確たるコンセンサス及び当局のコミットメントがない限り、次の切上げ期待の形成を完全に阻止することはできないと指摘している。
 既にみたように、中国の「実力に見合った」適正為替レートについてここまで様々な見解が示されている状況下においては、基本的に切上げ期待形成の余地を完全になくすことは不可能であるといえよう。また、当局が市場に対して完全にコミットしようとすれば、それは固定相場制の復活しかないのである。
 また、第二段階に管理フロート制を導入する前提として、国内金融市場の脆弱性の克服及び資本取引の自由化を行うこととなっているが、バスケット・ペッグ制に移行しても、ドルという単一通貨に対してペッグするのと比較すれば変動は小さくなるかもしれないが、(通貨投機の対象になりうる中心レートを明示するという意味合いにおいて)固定相場制の一種であることには変わりない。よって、バスケット・sペッグ制を維持しつつ資本取引の自由化を図るのは非常に危険であるとしている。Eichengreen教授は現在の中国の金融市場の実態を踏まえれば、到底完全に資本取引を行える段階にはないという認識のもと、むしろ、段階を踏まずに管理フロート制に移行することで、段階的に資本取引の自由度を上げるほうがスムーズに移行できる上、適正な切上げ幅を誤ったり、通貨投機の危機にさらされたりといった可能性が低下するとしている(詳細は付表3を参照)(59)
 確かに、資本移動を完全に自由化してから変動幅の大きい通貨制度を採用するというのは、見方によれば、アジア通貨危機に陥った国々の当時の状況と類似した状況を自ら作っているようなものである。確かに、中国はそれらのアジア諸国と異なり、目下のところ短期資金の流入は取引が規制されているがために比較的少額であるものの、もし為替レートをペッグしたまま資本取引を完全に自由化すれば、管理フロート制に移行するという以前に投機的な短期外国債券の大量流入を招きかねない。そうなってしまえば、中国もアジア通貨危機に陥ったタイ等と同様に投機アタックを被らないという保証はどこにもないであろう。

 

(3)事実上ドルにペッグした為替制度から移行する最適なタイミングとは

 Frankelハーバード大学教授は、為替制度変更のベストタイミングとして、「景気の拡大局面にあって、かつ通貨が十分に強い時」を推しており、今がまさにその時であると提案している。
 より精緻な議論としては、何帆、宝凌、張斌 (2004)らによるものがある。彼らは、長期的な経済への影響を十分考慮しつつ、移行時の為替変動を最低限に抑制することを最優先にするべきとし、そのための前提条件として、下記の5つを挙げている。(1)良好な財政状況:財政赤字のみならず対外債務残高を抑制することで政府の信任を維持、(2)成熟した金融市場:直接金融の投資手段を十分に確保してリスク・ヘッジを容易にし、為替変動に伴うコストを軽減、(3)安定的な金融システムと有効な監督・管理体制の構築:不良債権比率の低下、資本の流動性の確保と政府による的確な市場監督体制の構築、(4)国際収支の黒字:資本の流入圧力がある時のほうが、その逆のケースと比較すると市場の反応も理性的であるため、資本逃避が起きにくく投機圧力の高まりも回避可能、(5)中央銀行の(十分な)介入能力:経験のみならず調節手段の多様化が必要、といったことを挙げている。
 その上で、既にこれらの幾つかの条件は満たされつつあるものの、拙速に固定相場制からの離脱を決定するのは望ましくないとしているその一方で適切なタイミングを逃せば通貨の大幅な変動、金融システムの崩壊、景気後退等代償は大きく、過去の成功体験や近視眼的な考えにとらわれることなく、タイミングを慎重に見極めることが重要としている。

(4)日本の円切上げの経験は中国の為替制度変更の先例となりうるか

  Eichengreen教授は、資本移動を完全には自由化しなくても、管理変動相場制ならば実施可能であることを直接移行の論拠としている。日本を例にとると、ニクソンショックによる変動為替制度への移行は1971年であったが、資本取引の本格的な自由化は、約10年後の79年の外為法改正を待ってからであったことから、そういった経験に即して資本移動を部分的に自由化するだけでも管理フロート制を実施することが可能とするのは一理ある。
 ただし、当時の日本と中国を取り巻く環境はかなり異なっており、外貨準備が積み上がった根本的背景も、またその構成も全く異なることから、日本円の切上げケースをそのまま先行事例としてとらえるのは少々困難であると考えられる。
 ニクソンショック時の日本の場合、固定相場制採用時は資本の流出入が共に不活発であったため、外貨準備が増加した原因は、純粋に経済の実力からすれば割安に設定された円レートを背景に積み上がった貿易収支黒字によるものであった。また、中国の外貨準備はゆがんだ資本流出入規制等によりGDP比で既に4割近くにも上っており、IMFが推奨する水準の「輸入の3か月分相当」額をかなり大きく超過している点にも留意する必要があろう。
 加えてアジア通貨危機に陥った国々とも中国の置かれている状況が異なることは先にドル・ペッグ制のメリットのコラムでも述べたとおりである。以上を総合すれば、現在の中国経済が置かれている状況はむしろ「単純に当てはめることが出来るような先例がない」といってよく、故に為替制度の変更のタイミングについては相当慎重に見極める必要があるだろう。管理変動相場制を採用すれば、まず確実に国際競争に晒される機会が従来に比べ格段に増加することが見込まれ、国内の金融市場の脆弱性をある程度克服して体力を増強した上でない限り、為替制度変更とともに金融秩序そのものが崩壊してしまう可能性がある。国内金融システムの強化は一朝一夕では実現しないことにかんがみると、ある程度経過的な措置をとることは必要だと考えられる。
 中国政府は、今まさに中国経済の現状を的確に把握した上で、適切なタイミング及び手法を選択するという難局に直面している。実際に中国経済は高成長の影で持続的な成長を制約する可能性のある様々な問題を抱えている。次節ではこのような観点を踏まえながら、そうした成長制約問題について整理を行う。


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