平成8年

年次世界経済報告

構造改革がもたらす活力ある経済

平成8年12月13日

経済企画庁


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第2章 公的部門の役割の見直し

第2節 高福祉・高負担の見直し

財政赤字の恒常化による政府債務の累積は,利払い費の増加による財政の硬直化だけでなく,民間投資の抑制(クラウディング・アウト)や財政の維持可能性に対する懸念を引き起こす。そこで,本節では,増加する社会保障支出を新規国債の発行ではなく,税・社会保障負担の引上げ(歳入増)によってファイナンスすることに問題がないかについて検討する。

1 社会保障制度の拡充に伴う公的負担の増加

(財政規模の国際比較)

政府歳出のGDP比は,国による違いが大きい。例えば,スウェーデンやデンマークでは,歳出のGDP比がともに60%を上回っているのに対し,日本,アメリカでは,歳出のGDP比は30%台とスウェーデンの約半分となっている(第2-2-1図)。歳出のGDP比が高い国では,社会保障支出のGDP比も高くなっている。

一方,歳入のGDP比も,国による違いが大きいが,歳出のGDP比が高い国では,歳出をまかなうため,歳入のGDP比も同時に高くなっている。歳入のGDP比は,スウェーデンやデンマークでは,60%前後であり,日本,アメリ力では30%程度となっている。このように,歳入規模は,国によって違うものの,中長期的な歳入のGDP比は,社会保障支出の増加から,先進国の多くで80年代以降上昇傾向にある。

(財政制度が引き起こす歪み)

90年代に入り,ヨーロッパ各国では失業問題が深刻であるが,失業の構造的要因の一つとして,後で述べるドイツのように「高福社・高負担」の財政制度が民間の経済活動を非効率にし,その結果,高失業が生じていることが挙げられる。具休的には,高い税・社会保障負担(以下公的負担という)による労働コストの引上げが,手厚い社会保障制度と結びつき,事業者・労働者双方の経済的インセンティブに犬きな影響を与え,労働・資本の効率的な配分を阻害する1つの要因となっている。そのため,高齢化の進展によって今後予想される歳出増を公的負担の引上げによってまかなうことは,さらなる資源配分の歪みをもたらし,経済の停滞・失業者の増加を引き起こす可能性がある。そこで,特に,大陸ヨーロッパでは,高齢化による歳出増をどのようにファイナンスするかという観点だけでなく,雇用拡大の観点からも,高率の公的負担の要因である現行の社会保障制度自体を見直そうという動きがみられる。以下では,①手厚い社会保障制度を維持するため,公的負担が高くなり,その結果として,労働コストが高まったことが労働需要に与えるマイナスの影響と,②手厚い社会保障給付と高い公的負担の組合わせ(「高福祉・高負担」)が労働需給に与えるマイナスの影響を検討し,さらに,これらの問題点を解決するための取組をみてみることにする。

2 高い公的負担による雇用の減少

(高い賃金外コストが招く雇用拡大意欲の低下)

労働コストは,労働生産性,賃金決定に係る労使間協約など様々な要因によって決定されるが,労働所得に対する公的負担の程度も労働コストを決定する要因の1つである。事業主が1人の労働者を雇用する時に支払う労働コストは,従業員が受け取る賃金コスト(所得税を含む)と,賃金外コストに分けられる。賃金外コストの大部分は,事業主と従業員の双方が支払う社会保障負担のことである。ヨーロッパでは,相対的に労働コストに占める賃金外コストが高い。高い賃金外コストは,労働コストを引き上げるだけでない。賃金外コストの労働コストに占める割合が高いと,不況期において,労使間の賃金協約で賃金コストが低い水準でまとまったとしても,労働コストが低下しにくくなる。

こうした賃金外コストが高いことによって引き起こされる労働コストの上昇・硬直化による事業者への影響を考えると,労働コストが資本コストに比べ相対的に高いとすれば,事業者は労働投入量を減らし資本投入量を増やそうとし,事業者の労働需要を阻害する要因となる。

(労働コストと手取り賃金の格差)

賃金外コストと従業員の所得税を合わせたコストを間接賃金コストとし,間接賃金コストの労働コストに占める割合を見てみよう。イタリア,ドイツ,フランスでは,平均的賃金を受け取る従業員のケースでは,この割合は,45%を上回っている(第2-2-2図)。言い換えると,事業主が,1人の労働者を雇うのに2単位の費用を負担するのに対し,その労働者の手取り賃金は,その半分の1単位しかないということである。また,90年から94年の賃金外コストの労働コストに対する割合を7諸国で比較すると,ドイツでは,3.5%ポイント増加し,G7の中で最も高い伸びとなっており,ドイツでは,95年に,連帯付加税

(所得税)が再導入され,介護保険も導入されたことから,間接賃金コストはさらに上昇していると考えられる。こうした間接賃金コストの増加は,東西ドイツ統一後,旧西独地域に比べ雇用情勢の悪い旧東独地域を取り込んだことがら,失業給付などの雇用関連経費が増加したことに加え,早期退職制度の利用者の増加による年金支払いの増加が生じたためでもある(第2-2-3図)。

(ドイツにおける深刻な構造的失業)

ドイツでは,東西ドイツ統一直後は,投資ブームから雇用情勢は改善をみせたが,92年初めから,雇用者数は,4年半にわたり,低下傾向となっている。

他のヨーロッパ諸国でも,雇用情勢は良いとは言えず,高い失業率に苦しんでいるが,雇用者数が数年にわたり低下しているのはドイツだけである。さらに,96年1月には,失業率(全ドイツ)は,10.1%と10%を上回り,戦後の混乱期以来,最も高い数値となり,96年9月10.4%と改善がみられない。

景気拡大と雇用拡大の関係を比較するため,これまでの景気拡大期(I:75年4~6月期から,II:82年10~12月期から)と93年1~3月期以降の景気拡大を比較してみよう (第2-2-4図)。これまでの景気拡大期においては,景気回復の開始時点から8~10四半期経過する前に,雇用の拡大がみられたのに対し,今回の景気拡大では景気回復の開始から10四半期を経過しても,雇用の減少が続いている。さらに,今回の景気拡大期においては,雇用減の程度が大きい。このように,ドイツでは,景気の拡大期においても雇用改善がみられないことから,高い失業率の大半は,構造的失業によるものと考えられ,高失業の解決のためには,労働市場における構造問題の解決が必要である。

(賃金外コストの削減に向けたドイツの取り組み)

ドイツ政府は,一段と深刻化した構造的失業の解決策として,2000年までに失業者を現在の約400万人から,200万人に半減することを目指し,「投資と雇用のためのアクション・プログラム」(96年1月)と,それに続く,「成長とさらなる雇用のためのプログラム」(96年4月)を発表した。これらのプログラムでは,労働コストの押し上げ要因として,高い賃金外コスト,労働市場の硬直性,新規事業の障害となる厳しい規制などを取り上げ,こうした構造的失業の要因を解消するための具体的政策を盛り込んでいる。

賃金外コストの削減は,税・社会保障負担の削減を意味するが,こうした歳入減を実現するためには,歳出面での抜本的見直しが必要である。そのため,一般政府歳出のGDP比を(95年約50%)を2000年までに,東西ドイツ統一前の水準である46%にまで引き下げることを目標としている。特に,社会保障支出の削減においては,統一後急増した社会保険料率(総賃金に対する社会保険料負担の割合)を40%以下に抑制することを目指している。今回の政府のプログラムに盛り込まれている政策の中で,賃金外コストを削減するための具体策としては,①女性の年金受給開始年齢の引上げ,②病気欠勤者に対する支払い賃金の減額(労働規則の緩和),③保養地での温泉治療(クア)に対する医療保険給付の削減などがある。特に,病気欠勤者に対する支払い賃金の減額については,野党・労働組合の反発が強かったが,96年9月に議会を通過した。

3 財政制度が及ぼす就労意欲の減退

(高い限界負担率と手厚い社会保障給付)

高い賃金外コストは,事業者の投資・雇用拡大意欲を低下させるだけでなく,労働者(失業者を含む)の就労意欲にもマイナスの影響を及ぼす。労働所得に対する公的負担が高いことが就労インセンティブに与える影響について,具体的なドイツの事例で見てみよう。

現在,生活扶助を受けている人(独身者)が,所得を高めたいと考え,新たな職に就いたとする。そのため,生活扶助受給の資格を失ってしまうとする。新しい職が,低賃金労働であるなら,限界税率が100%という可能性がある(第2-2-5表)。月収131マルク(9,500円程度)未満の給与・賃金については,税・社会保障負担は一切課せられない。しかし,月収131マルクを超えると,1マルク稼ぐごとに0.85マルク(85ペニッヒ)の生活扶助受給額が削減されることになる(限界負担率が0.85%)。すなわち,1マルク稼いだとしても,可処分所得は0.15マルクしか増えないわけである。さらに,月収589マルク(42,500円程度)~1,268マルク(91,300円程度)では,限界負担率は91%程度となる。月収1,268マルク~2,000マルク(144,000円程度)では,限界負担率は100%となり,月収が増加しても可処分所得は全く増加しないことになる。こうした税・社会保障制度の下では,生活扶助を受けている失業者が,低賃金労働に就くことは,ほとんど意味のないことになってしまう。特に,限界負担率が85~100%であるような人にとっては,労働インセンティブが阻害されてしまう。

次に,就労時の労働収入を収入源とする可処分所得と,失業時の失業給付などの社会保障給付を通じた可処分所得とを比較してみよう。以下では,失業時に生活扶助を受給して生計を立てる場合を中心にみてみることにする。

技能を持たない人が就労しようとする場合,特別な訓練を要しないでも出来るような仕事(おおむね低賃金労働)にしか就けない。そこで,ホテル業・飲食業,小売業,金属業という比較的低賃金労働が多い業種において,平均賃金ではなく,労働協約(95年のドイツ・ヘッセン州の労働協約)での最低賃金で,就労時と失業時の可処分所得を比較することにする(第2-2-6図)。

就労時と失業時の可処分所得の差は,3業種ともにおいて,家族が増えるにつれて縮小している。これは,所得税の最低課税限度額が,単身者の方が,子供のいる労働者よりも低いことや,子供のいる労働者には,児童手当や住宅手当が支給されるためである。

子供のいない単身者にとっては,3業種全てにおいて,就労時の可処分所得が失業時の可処分所得を上回る。しかし,子供のいる労働者の場合には状況は一変する。例えば,大人2人・子供2人の4人家族で夫妻の一方しか働かないケースでは,ホテル・飲食業と,小売業では,就労時の可処分所得が失業時の可処分所得に比較し,10~26%程度低く,金属業でもほぼ同額となっている。

最低賃金水準の労働者で,2人以上の子供がいるような場合には,就労時の可処分所得が失業時の可処分所得を下回ることがあり,就労することの意味がなくなる。

このように,労働所得に対する高い限界税率と,手厚い社会保障給付の組合せは,貧困の罠(Povertytrap)を生じさせることになる。貧困の罠を解消し,長期失業者の再就職を促進する観点などから,現在,ドイツなどでは,社会保障給付水準の引下げなどを通じた社会保障制度の改革(歳出面の改革)と,直接税・社会保険料の引下げなどを通じた税・社会保障制度改革(歳入面の改革)が並行して行われている。

また,労働所得に対する限界税率が高い時には,可処分所得を高めるため,闇の労働市場(税負担が免れる仕事)の魅力が増し,脱税といった問題を引き起こす可能性もある。

4 所得移転制度の改革

(効率性と公平性のバランス)

公的部門の所得再分配機能の1つとして,失業者が新たな職を探す一時的な期間の所得保障は公的部門に課せられた重要な役割である。一方,社会保障支出が増加すると,民間部門の公的負担が高まる。そのため,前述のように,手厚い社会保障制度と高い公的負担は,資源配分に歪みを生じさせ,経済の効率性を低下させているが,さらに,就労時の可処分所得が失業時の可処分所得を下回るといった不公平も生じさせており,効率性・公平性の両面で問題がある。

失業者に対する社会保障支出は,勤労者の税・社会保障負担によってまかなわれているわけだが,失業者が増加すれば,勤労者1人あたりの税・社会保障負担がさらに増加する。そのため,「高福祉・高負担」の所得移転制度の下,自らすすんで失業状態に甘んじている非就労者への社会保障支出の財源を勤労者が負担することは,同世代内の不公平の問題を生じさせる危険性がある。さらに,中期的な観点に立てば,こうした非就労者への社会保障支出の財源をまかなうため,企業や勤労者の公的負担が高まると,企業の投資・雇用意欲や労働者の就労インセンティブが抑制され,失業者の増加を招き,新たな失業者の社会保障給付をファイナンスするため,さらに公的負担が高まるという事態が生じ,経済全体の停滞を引き起こす恐れもある。

以上より,歳出増をまかなうために公的負担をさらに引き上げることは,ヨーロッパの構造的失業率の高さが示すように経済に非効率や不公平をもたらす危険性がある。

(「大きな政府」が引き起こす歪み)

本節では,公的部門を通じた所得移転の問題点として,ネットの所得移転に係る問題を中心にみてきたが,グロスの所得移転についてもみることにしよう。スウェーデンは,社会保障給付水準が他国に比べ高いことに加え,公的部門によって供給される財・サービスの範囲も広いことから,公的部門を通じたグロスの所得移転が大きい国である。

90年代に入って景気が後退すると,失業給付の受給者の増加と手厚い失業給付水準から,歳出は急速に増加し,歳出のGDP比は,ピーク時の93年には70%にも達した。一方,歳入は,雇用者の減少などから減少した。その結果,財政収支のGDP比は,87~90年には3~5%台の黒字を計上していたが,91年1.1%の赤字,92年7.7%の赤字,93年12.3%の赤字と急速に悪化した。政府債務のGDP比も,90年44.3%,93年76.3%となった。こうした財政状況の急激な悪化によって,財政制度の持続性に対する懸念が広がり,為替・金融市場の混乱が生じた (コラム2-1参照)。

これまで,スウェーデンでは,公的部門を通じた所得移転については,ネットの所得移転が注目され,グロスの所得移転が犬きい財政制度は,国民の意識や伝統を反映したものと見なされ,効率性の観点から評価されることはあまりなかった。しかし,90年代前半の財政危機を契機として,グロスの所得移転が大きいことによって引き起こされる非効率性が問題とされるようになってきており,社会保障制度改革や国営企業の民営化などの具体策が進められている。

96年4月には,97~99年度の歳出についてシーリング制度が導入され,各歳出項目が予定歳出額を超過した場合に,その超過額を,①同年度の類似歳出項目か,②翌年度~翌々年度の当該項目から削減しなければならないこととなった。アメリカのOBRAにおけるCap制度(第3項3を参照)が裁量的支出だけを対象としているのに対して,スウェーデンのシーリング制度は,社会保障支出など既定の義務的支出が予定以上に増加する場合にも発動されるため,歳出抑制に対する実効性は,より強力なものとなっている。


《コラム2-1》 市場が促したスウェーデンの財政再建

スウェーデンでは,91年から93年にかけてのマイナス成長と,金融機関救済のため支出(GDP比の3.5%)に伴い,91~93年に財政赤字が急増した。

94年7月には,同国最大手の生命保険会社スカンディアの社長が,「政治家が真剣に財政赤字削減に着手すると確信できない限り,スウェーデン国債を買わない」と発言したことを契機に国債利回りが約0.5%上昇,スウェーデンの自国通貨クローナが減価した。94年9月の総選挙を控えた8月にも,政権復帰が確実視されていた社会民主労働党の選挙公約における歳出削減策が十分でなかったことから,国債利回りがさらに上昇,クローナは対マルクで最安値を記録した。社会民主労働党は,9月に政権を奪回した後,公的年金スライド幅の縮小やいくつかの増税を含む財政再建計画を11月に発表したが,国債とクローナの売り圧力は止まず,95年1月に発表された96年度予算案では,児童手当や年金給付の切り下げなど,歳出削減が上積みされた。この間,クローナ防衛のために短期オペ金利が段階的に引き上げられたが,クローナの売り圧力が収まったのは,95年4月に,失業給付代替率の引下げなど,さらなる歳出削減を盛り込んだ補正予算案が発表された後であった。社会民主労働党は,第二次世界大戦後ほぼ一貫して政権を担当し,高福祉型社会を築き上げてきたが,その同党でさえも,財政健全化を求める市場の声を前に,高福祉・高負担システムの見直しを余儀なくされた。