昭和59年

年次世界経済報告

拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第3章 高金利下でのヨーロッパ経済の調整

第2節 再活性化政策の展開と産業調整

アメリカ経済の再活性化には前章でみたようにレーガン政権の経済政策が一定の効果をあげたことが寄与している。西ヨーロッパでも,第2次石油危機後,主要国では相次いて経済再活性化を目指した一連の政策が採られた。

これらの政策は西ヨーロッパでも徐々に効果をあげ始めているものの,アメリカの場合のようには作動していない。これは,再活性化計画のパッケージの内容やタイミングが異なっているのに加えて,産業構造の調整が西ヨーロッパに特有の理由もあって遅れていることによるとみられる。本節ではこうした点をみてみよう。

1. 西ヨーロッパ主要国における再活性化政策の展開

二度の石油危機により大きな打撃を受けた先進国経済は,70年代末から80年代にかけて,政策面でも大きな転換を迫られた。従来の,景気循環に則した総需要管理重視の政策から,より中長期的観点に立った供給面ないし構造面を重視する政策への移行である。

西ヨーロッパでも,イギリスでサッチャー政権が79年6月以来,インフレ抑制を最優先とする経済再活性化政策を一貫して進めているのを始め,西ドイツでは,82年10月のコール政権成立後,財政再建を中心とする構造改革政策が強力に採られている。フランスの経済政策は,81年5月のミッテラン政権発足当初は,雇用増を主目的とする需要拡大策であった。しかし,その後,インフレの高進,経常収支悪化によるフラン危機から82年6月には引締路線への修正を余儀なくされ,特に,83年3月以降は本格的緊縮政策路線にとって代わられた。さらに84年7月以降のファビウス内閣は産業構造再編のための政策路線を一段と鮮明にしている。

このように,西ヨーロッパ主要国の経済政策も,アメリカのように経済の再活性化を目的として,需要面よりも供給面を重視している。しかし,この目的を実現するための政策の具体的組み合わせ,タイミングなどは,それぞれの経済条件や政府の考え方の差を反映してかなり大きく異なっており,その差が政策の有効性の差ともなって現れているとみられる。

(1)財政引締めの継続

西ヨーロッパ主要国の経済再活性化政策パッケージの中で,財政政策の基本的な方針は,歳出の伸びの抑制,供給面の強化につながる税制改革,財政赤字幅の縮小の3つが主内容とされている。各国がこのために導入した個別の政策措置は異なっているが,その中で主な点について,計画と実績を対比しながら検討する。

(財政赤字幅の削減)

西ヨーロッパ主要国では,再活性化政策の中心の一つとして中期的赤字幅削減目標が掲げられている。イギリスでは,80年度予算以降,「中期財政金融戦略」の主要目標として財政赤字額(公共部門借入所要額,PSBR)とGDP比が,3~5年間にわたって示されている。西ドイツでも,82年度予算と同時に決定された財政再建計画(Operation’82)は,財政構造の改善及び政府純借入れの削減を主目的としており,中期的にも財政赤字額縮小目標を掲げている。フランスでも,ミッテラン政権の初めての予算である82年度から,財政赤字額と対GDP比の目標が示されるようになった(第3-2-1表)。

これは,①インフレを抑制し,経済パフォーマンスを継続的に改善するためには,財政金融政策の節度ある運営が必要であるという共通の認識,②70年代に入って顕著になった財政赤字の継続による巨額の累積赤字額(第3-2-1図),それに伴う利払費の歳出に占めるシェアの上昇に歯止めをかける必要性,③財政赤字を賄うための政府の資金調達が大きくなれば,金融市場における資金の取り合い(クラウディング・アウト)が生じやすくなり,その結果,資本形成が阻害されること,④財政健全化により,金融政策に過度の負担がかかることを避け,金利の低下をより容易にすることなどをねらいとするものであった。

例えば,イギリスでは,インフレ抑制のために一貫して厳しい財政金融政策を基本としてきたが,特に,財政赤字幅を中期的に縮小していくことが,金利の低下をもたらす上で重要であるとされている(83年度予算案など)。西ドイツでも,財政赤字幅の中期的縮小は,利払費の増大を抑制するためばかりでなく,通貨価値の安定に資して,国際競争力向上,金利低下をもたらすとしている(85年度予算案)。もっとも,急激な赤字幅縮小は,景気に過大な抑制効果を与えかねないため,両国とも3~5年の中期的目標を掲げて,徐々に縮小していく方式を採っている。このことは,一方で,財政のスタビライザーの作動に任せず,あらかじめ決められた経路で財政政策を運営するということを含意しているとみられる。

一方,レーガン政権は,財政赤字幅の縮小を重視しないわけではないとしながらも,当初掲げられていた84年度までに均衡財政を達成するという目標はその後の赤字幅拡大過程で姿を消した。しかし,85年度予算では3年間に約1,000億ドルの赤字幅削減のためのダウン・ペイメント計画を盛り込んでいる。

西ヨーロッパでも,財政赤字幅の縮小は必ずしも計画どおりには進んでおらず,計画は上方改訂されることが多かった。これは,この間に景気停滞が予想以上に長引いたことにより失業給付などの支出がかさむ一方で,税収入が景気停滞やインフレ率の急速な低下もあって伸び脳んだことが主因である。しかし,最近年次については,イギリス,西ドイツとも景気回復及び財政支出抑制措置により赤字幅はかなり縮小しており,減税措置を採る余裕も生ずるようになっており,アメリカとは著しい違いをみせている。

(政府支出規模拡大の抑制)

政府支出規模の拡大を抑制することは,財政赤字幅の削減にとって不可欠であるばかりでなく,民間部門の活力強化のために,それ自体として重要であることがコンセンサスとなっている。

レーガン政権が81年以降,一連の支出削減計画を導入したのと同様に,西ヨーロッパ主要国も各種の措置を導入してきた。特に,70年代を通ずる政府支出規模の拡大が(第3-2-2表),利払費の急増のほか,国防費や社会保障費のような従来聖域とみなされていた部門で目立って大幅だったことから,これらを含めた全支出項目について必要度の見直しが行われている。また,歳出規模の上限を明示するためには,例えばイギリスで,従来は実質ベースで作成されていた予算案が,82年度以降,名目ベースに改められるなどの措置が採られるようになった。

当初は成果があがらなかった支出抑制も,景気の回復やインフレ鎮静化もあって,次第に目標に近い伸びに収まるようになり,政府支出のGDPに占めるシェアの拡大にも歯止めがかかり出している。歳出節減の一環として採られた公務員の削減も,イギリスなどでは計画を上回る実績をあげている。

(税制改革と減税)

アメリカの財政赤字幅が拡大した最大の要因は,貯蓄・投資促進のための大幅減税である。「81年度経済再生租税法」によって導入された多年度にわたる減税は,その後の税制改正のため,減税幅は若干縮小したものの,レーガン政権以前の税制と比較すれば大幅な減税となっている(前出第2-2-1表参照)。

これに対して西ヨーロッパでは,財蓄・投資促進のための減税措置が各種導入されたものの,それによる当面の財政赤字増を避けるために,ほぼ見合いの増税や歳出削減措置を採ることが多かった。例えば,西ドイツでコール政権発足後導入された緊急プログラム第1段階の営業税減税,及び第2段階の企業減税(資産税控除額引上げ,中小企業に対する加速償却制度など)などは,付加価値税引上げ(83年7月,13%→14%)を財源としている。イギリスでも,81年を除いて,年々個人税減税が導入されているが,これは主としてインフレによる実質的な増税を相殺するとともに,所得に対する課税から支出に対する課税へのシフトを図るという税体系の改革の一環として行われたものであった。ファビウス内閣による初の85年度フランス予算案も,所得税及び職業税減税(各々100億フラン)を目玉としているが,その穴埋めにガソリン税,電話基本料金の引上げのほか歳出の実質削減により財政赤字幅の圧縮(財政赤字の対GNP比は84年度見込み3.3%,85年度目標3%以内)を目指すとしている。

(投資減税対法人税減税)

経済再活性化の中核は設備投資の拡大であり,これをどんな方法で促進するかが主要国政府の重大関心事である。政府支出規模の拡大を抑制することについてはコンセンサスがあるため,政府支出増につながる投資補助金方式を避ける方向にあるばかりでなく,減税措置についても厳しく選別して実施するようになっている(第3-2-3表)。

レーガン政権が81年8月より導入した早期投下資本回収制度(ACRS)による減収額は,82年度106億ドルから86年度には483億ドルに上り,投資水準を押し上げる効果を持つものとアメリカ大統領経済諮問委員会(CEA)は主張している。

イギリスでは,初年度全額償却を含む税制面での優遇措置が早くから採られており,サッチャー政権もこの方式を強化・拡充して実施して来た。しかし,初年度全額償却の制度は84年度からは,段階的に廃止されることとされた一方,法人税率の段階的引下げ(82年度52%-86年度35%)が導入されることとなった。従来の方式では,利益についてかかる法人税率が高く,努力して収益をあげた企業にペナルティを課すことになり,また,初年度全額償却制により収益の見込みが低いにもかかわらず投資するという安易な投資決定を許すことになったことなどが,制度変更の主因と説明されている。

イギリスの民間設備投資の伸びは,成長率が鈍化した70年代にも年率2.9%であり,60年代の同5.3%と比較してそれほど低下せず,このため対GDP比は景気後退期を除いて,むしろ上昇傾向を続けてきた。こうした設備投資比率の高まりが,必ずしも,競争力の改善につながらず,むしろ資本コスト増をもたらし,産業構造調整を遅れさせたことに対する反省とみられる。

(2)慎重な金融政策

(マネーサプライの抑制)

インフレの抑制と整合的な水準にマネーサプライの伸びをコントロールすることが,主要国の再活性化計画に占める金融政策の基本的役割である。このため,主要国ではマネーサプライの主要指標についてそれぞれ目標値を設定して調整している(第3-2-4表)。目標値は複数の指標について,上限,下限を決める方式をとるものが多く,多年度にわたる目標をローリング・プランとして提示するイギリスのような場合もある。

主要国のこれまでの実績をみると,西ドイツではほぼ目標圏内の伸びとなっているが,イギリスでは83年上期までは目標をほとんど上回っていた。これは,主として,指標とされたポンド建てMBが,不況による財政赤字の拡大,個人・企業の資金借入パターンの変化,金融市場の構造変化などから急増し,その他の指標ともかけ離れた動きをしたためである。例えば,より狭義のM0でみると79年以降の伸びは4分の1程度にすぎず,金融市場は全体として目標通りの引締め基調を続けたと政府は判断している。このため,イギリスの中間目標は,83年度以降は複数とされ,よりきめ細かくコントロールされるようになっている。

(為替レートの考慮)

アメリカの高金利とドル高が持続するに伴って,西ヨーロッパの金融政策は為替レート(主として対ドル・レート)への配慮を重視するようになった。83年9月の西ドイツのロンバート・レートの引上げ,84年6月の公定歩合引上げは,国内的必要性もあるが,主として,アメリカとの金利格差拡大による資本流出,マルクの対ドル・レート急落を緩和することを目的としたものとみられる。そのほかのEMS参加国でも,対外的考慮が金融政策の大きな部分を占めている。また,イギリスでは,81年以降,金融指標としてマネーサプライのほか,為替レート,金利などの指標も同時に考慮することとされ,為替レートがイングランド銀行の市場金利誘導に影響を与えている。

(3)ディレギュレーション(規制緩和)

労働及び資本のより効率的利用を可能とするような条件を整えることが再活性化計画の主要目的の一つであり,その観点からディレギュレーションが行われている。

西ヨーロッパでは,これまでのところアメリカで実施されているような規制緩和(前出第2-2-1表参照)そのものは,イギリスを除きあまり多くない。

イギリスにおいては,物価・配当規制の廃止(79年),為替管理の自由化(79年),バス輸送業における参入規制の緩和(80年)など各種の規制緩和が進められている。また,労働組合の独占力を制限するための立法(80年,82年,84年)及び国有企業の民営移管が重視されている。特に,民営化については既にかなりの実績があり(昭和58年度年次世界経済報告参照),ブリテッシュ・テレコム(イギリス電気通信公社,BT)の株式売却(51%,84年11月)を始めとして,今後も積極的に実施していく方針である。

西ドイツでも国有企業や公共サービスの民営化を推進する方針であり,(連邦政府83年年次経済報告書),84年1月,フェーバ社(VEBA)の株式売却により政府持ち株比率を引下げた(44-30%)。これに続いて,84年11月蔵相は,ルフトハンザ航空やフォルクスワーゲンなどを含む国有企業8社の株式売却計画を発表した。

2. 再活性化政策の評価

上でみたように,西ヨーロッパの再活性化政策の具体的パッケージは国によってかなり差があり,また,アメリカの再活性化計画とも異なっている。

こうした政策パッケージの内容と組合せの差,及びタイミングの差は,それが導入された時点における経済情勢の差ともあいまって,それらから引き出される政策効果にも違いをもたらしているとみられる。以下では,その成果がどの程度あがっているかをインフレ鎮静,労働市場の弾力化,経済パフォーマンスの改善などについてみることにする。

(1)インフレの鎮静化

主要国の経済再活性化政策は,主として,中長期的な供給条件の改善を目指すものであるが,その過程で,短期的な経済パフォーマンスがどのように変化したかということも,再活性化政策の評価に影響を与えている。しかし,この点を強調し過ぎることは,本来の再活性化政策の効果を正当に評価しないことになることに留意すべきであろう。

(財政金融政策が景気に及ぼす影響)

西ヨーロッパにおける景気回復の遅れ,回復力の弱さの一因は,再活性化政策の中で採られた引締め的な財政金融政策にあるとみられる。景気要因を調整した財政赤字(対GDP比)の変化によって財政政策スタンスをみると,第3-2-5表で明らかなように,アメリカでは79年を除いて景気刺激的スタンスとなっており,特に83年には,景気に対してかなり刺激的となっている。これに対して,西ヨーロッパでは,83年のイギリスを除いて,概して,景気抑制的方向に作用していることを示している。

一方,金融政策のスタンスも,マネーサプライの伸びなどで判断すると,西ヨーロッパの方がアメリカよりも引締め的であった。これは,財政政策がアメリカよりも引締め的で,金融政策にかかる負担は相対的に軽度であったにもかかわらず,アメリカの高金利に影響されて,金融政策の自由度が狭められ,国内的に妥当とされる水準以上に金利を高く維持せざるを得ない場合が少なくなかったことによる。また,インフレの鎮静も,西ドイツ,イギリスの場合を除けば,必ずしも満足できるものではなかった。

このように,財政金融政策は全体としてヨーロッパの方がより慎重であったとみられる(第3-2-2図)。アメリカでは,個人所得税減税による個人消費増や設備投資の回復期にあった82年下期から83年上期までは,インフレが急速に鎮静してきたため金融政策のスタンスもかなり容認的にすることができ,マネーサプライは極めて高い伸びを続けた。これがその後のアメリ力経済の極めて力強い拡大の端緒となったものと思われる。

(インフレ鎮静とコスト)

インフレ抑制を最優先とする引締め的な財政金融政策は,西ヨーロッパ主要国のインフレ鎮静化に効果を持ったとみられる。こうした基本路線の重要性は,発足当初のミッテラン政権が,雇用拡大に重点を置いた独自の財政金融政策をとったものの,結局インフレの高進を招き,失業はむしろ増加し,貿易収支赤字幅の急拡大からフラン危機に見舞われて,一年もたたないうちに政策の転換を余儀なくされたことに如実に示されている。

第2次石油危機後,再び急上昇した西ヨーロッパ主要国の消費者物価も,イギリス21.9%(80年5月),イタリア21.6%(80年7,8月),西ドイツ6.7%(81年10月),フランス14.3%(81年11月)をピークに鈍化に転じた。このうち,イギリス,西ドイツの鈍化テンポは急速で,83年央までに前者が4%弱,後者が3%弱に低下した。これに対して,フランスは82年秋以降一桁となったものの84年9月現在なお7%台となっており,イタリアでは84年9月以来初めて一桁に低下するなど鈍化テンポは極めて緩やかである。

フランス・フランが上記の政策の結果,82月6月に急落し,ポンドが石油価格の値下りから反落するという特殊要因があるものの,この間,海外からの物価上昇圧力は,石油価格や一次産品価格の低下などの形で各国とも概して圧力を徐々に弱めていたとみられる。したがって,このインフレ鎮静度合の差は,主として国内要因の差によって生じたものである。このうち,政策的要因によるものがどの程度かを国際比較することは本格的な計量分析が必要なので,ここでは,イギリスについての英大蔵省モデルによる分析結果を代表的なものとして示すにとどめる。

このモデルによって,79年以降導入されたイギリスの財政政策の物価に与えた影響をみると,付加価値税の引き上げ(8.5%-15.0%)もあって79年には一時的に物価水準を高めた。しかし,その効果は80年以後打ち消され,結局,付加価値税引き上げを含めて財政政策全体としても中期的にはインフレ鎮静要因として働いたことがわかる。こうした政策の累積効果は,79~81年では1.26%,79~82年では1.86%と推計されている。同モデルによる金融政策のインフレ抑制効果は,79~81年0.78%,79~82年0.91%と推計され,財政政策の効果が,かなり大きいものとなっている。同じく,財政金融政策を全体としてみた効果(為替レートを内生化した場合)は,79~81年4.0%,79~82年3.62%となっている。

一方,景気については,財政政策が79~81年に△3.35%,79~82年△2.22%とマイナスの効果があり,財政金融政策全体では79~81年△6.39%,79~82年△3.07%のマイナスと推計されている。

このように,インフレ抑制を主目的とする財政金融政策は,景気抑制・失業増という大きなコストを支払いながら,徐々にインフレの鎮静を実現してきた。イギリス,フランスの経験は,マネタリストが主張するような,インフレ抑制政策に対する信頼性の確立だけではインフレ鎮静化は難しく,また,インフレ抑制のためには極めて大幅な景気悪化による失業増が不可避であるとするケインジアンの立場も,以下にみるようにやや誇張され過ぎているようにみえる。

(2)労働市場の弾力化

上でみてきたように,西ヨーロッパでも,失業者の増加とインフレの高進という,いわゆるスタグフレーションの進行は80年代に入ってようやく歯止めがかかり,インフレ率が低下する一方で失業率は上昇を続けている。この物価と失業のトレード・オフの回復は,基本的には記録的な失業の高水準を背景とした労働市場の調整力の改善によるものである。加えて,主要国で採られた再活性化政策による労働市場の弾力化も大きく寄与しているとみられる。

(賃金上昇率鈍化の要因)

西ヨーロッパ主要国のインフレ鎮静化には,賃金上昇率の鈍化が寄与しており,賃金上昇率の鈍化にはインフレないしインフレ心理の鎮静化が影響するという相互関係がみられる。この相互関係は,景気や構造的要因を反映している失業率の水準を別とすれば,人々の景気や物価安定に対する信頼度や,賃金協約の改訂に影響する労使関係,特に労働組合の組織力,交渉力などを反映して変化するものとみられる。

いま,主要国について,推計期間を80年前後を境に前期,後期の2つに分けて,それぞれの賃金関数を推計して,各国の賃金と物価,失業率との関係の変化にいかなる変化が生じているかみてみよう(第3-2-6表)。

これによると,イギリス及び西ドイツでは,期待物価上昇率の係数は後期に低下をみせた。これは,両国の物価抑制的な政策運営もあって,高賃上げ要求が減ったことを反映したものとみられる。これに対し,フランスの場合には,係数はむしろ上昇しており,期待物価上昇率により強く影響されるようになっている。これは,ミッテラン政権の当初の拡大政策によってインフレの加速が生じたことも一つの要因となっているとみられる。

一方,失業率の係数については,イギリスで低下を示しているのに対して,西ドイツではほぼ横ばいとなっている。フランスではこの係数は相対的に小さいが,後期にはかなりの高まりがみられ,賃金上昇に労働需給要因がより重要度を増したことを示している。

(レジームの変更)

このようにイギリスや西ドイツにおける最近の賃金上昇率の鈍化は,インフレ心理の鎮静化に加え,期待物価上昇率が賃金上昇率に反映する度合もまた小さくなっていることによる。これは一つには,インフレ抑制を最優先とする政策スタンスに対する一般の信頼が高まっていることを反映したものとみられる。イギリスにしても西ドイツにしても,従来なら放置することのなかった高失業下にあり,インフレ鎮静化が持続しているにもかかわらず,政策スタンスを変更していない。フランスでも,ファビウス内閣は同様の立場をより鮮明にしており,国際的にも安定化政策に対する信頼度は高まりを示しているとみられる。

第2は,失業率の上昇ともあいまって,労働組合の賃上げ交渉は従来のような硬直したものではなくなっており,要求額が小幅となっているだけでなく,賃上げを目的とするストも少なくなっていることである。これには,イギリスで特に顕著な,労働組合の組織率の低下(69年54%→83年48%)やクローズド・ショップ制の後退(78年520万人→84年約400万人)なども影響しているとみられる。また業種によっては職種の複合化など就業パターンにも変化がみられる。

第3は,インデクセーションのような制度的に物価一賃金のスパイラルを固定化する措置の撤廃ないし緩和が続いていることも弾力化を促進したとみられる。全国画一の賃上げ慣行も減少している。

こうした労働市場弾力化の動きは,すべてが活性化政策に結びつくものではないが,この政策の継続を背景として,経済の主要グループ間の行動のルールが徐々に,合理的な方向に変貌を遂げつつあることを示唆している。

(3)長期的なパフォーマンスの改善

(生産性の上昇)

西ヨーロッパ主要国では,景気回復は緩やかなものにとどまっていたにもかかわらず,製造業を中心に80年以降,生産性の改善がみられるようになった(第3-2-3図)。

この改善は,主として,景気停滞が長引く中で積極的な人員整理が行われたことによるものであり,景気が回復に向かった83年以降も,製造業の雇用者減が続いている国が多い。

製造業を中心とするこのような減量経営の進行は,製造業生産のシェアが低下を続ける中で,賃金の相対的に大きな上昇が,労働力を資本(機械)におきかえる傾向を強めているという,いわば自律的な要因に加えて,サプライ・サイドの強化を目指す各国の政策が企業行動にかなり影響したものとみられる。すなわち,こうした政策スタンスの下では,従来のような財政による景気支持策は望み薄であるとみて,企業は余剰人員の整理を従来にも増して本格化しており,合理化を進めるとともに,生産の回復に対しては超勤やパート・タイマーの増加で対処するという方式がイギリスなどでは増えている。

しかし,再活性化政策の真価が問われるのは,こうした後向きの調整が終了し,景気回復初期に特有の生産性改善も終了した後,雇用が増加する段階で生産性の上昇が維持できるかどうかであろう。これが可能となるためには,失業者がもとの職場に復帰するタイプの雇用増とともに,より生産性の高い産業ないし業種に転ずるタイプの雇用増が必要となる。これは,既存産業,既存設備の稼働率を高めるだけでなく,より生産性の高い技術を持つ新規投資が重要であることを示している。

(資本収益率の改善)

今回の景気回復過程では,西ヨーロッパ主要国の設備投資が前回よりもより早い時期に,より早いスピードで増加したことは1節で示したとおりである。これがどの程度,主要国の再活性化政策の結果であるかは必ずしも明白ではない。しかし,この政策の下で労働分配率の低下が進み,資本分配率が上昇して資本収益率も上昇するなど,投資環境の改善が進んでいることは指摘できよう(第3-2-4図)。

3. 産業調整の遅れ

西ヨーロッパの景気回復力がアメリカに比ベカ強さに欠けているのは,産業構造にも原因があるとみられる。第3-2-5図は1975年から82年の間にOECD諸国の輸出が年率でどの程度の伸びをみせたかを主要工業品及び石炭について示したものである。石炭,船舶,鉄鋼,繊維などの輸出は,工業製品(S.I.T.C.5~8)の増加率(年率10.3%)を大きく下回っている。西ヨーロッパにおいても,これらの業種は,石油危機後の世界経済の停滞や,中進国の追い上げ,エネルギー源の変化などに伴い,50年代までは西ヨーロッパの基幹産業だったが,現在では構造不況業種となっている。また,衣類,一般機械,電気機械の輸出はほぼ工業製品平均と同じ安定した伸びをみせ,プラスチック,自動車,医薬品,精密・光学機器,航空機の輸出は工業製品平均を大きく上回る伸びを示している。これらの業種においては,一方ではNICs(新興工業国)が追い上げており,もう一方では,日・米が先端技術を導入した高付加価値商品を生み出している。このような状況下で西ヨーロッパの産業調整はどのように進捗しているのであろうか。

(1)構造不況業種の調整の遅れと成熟産業の競争力の低下

(構造不況業種の調整の遅れ)

西ドイツの実質付加価値増加率をみると(第3-2-6図),経済全体では1970年から80年の間に年率2.9%の伸びであったが,うち鉱業(主に石炭)はマイナス3.2%と落ち込み,製造業は2.2%の伸びにとどまった。製造業31業種(GNPベース)のうち,平均以下の低い伸びであったのは,22業種,80年の製造業の付加価値ウェイトの58%を占めていた(第3-2-6図)。一方,70年から80年にかけての就業者数(GNPベース)の変化をみると,製造業平均が年率1.9%減であるのに対し,平均以上の減少をみせたのは,12業種,80年の製造業のウェイトの20%にすぎなかった(第3-2-7図)。特に製鉄,圧延・冷延といった構造不況業種の就業者の減少幅が小さい。

イギリスの鉱工業生産をみると(第3-2-8図),70年から80年の間に年率1.1%増と極めて低い伸びであった。しかも,これさえ北海油田開発に伴う石油生産の大幅増(年率57.9%増)の寄与が大きく,製造業は年率0.3%の減少であった。うち,鉄鋼や造船,繊維等構造不況業種の減少幅が特に大きかった。この間に,製造業の雇用者数は年率2.6%減少したが(第3-2-9図),造船業の雇用者の減少幅は,生産が大幅に減少したにもかかわらず,製造業平均以下にとどまった。また,石炭も,生産の減少に比べ雇用者の減少幅は小さい。

フランスにおいても,石炭部門では,石炭公社が83年に12億フランの赤字を計上した。このため,今後5年間で2,9万人の雇用を削減する必要があるとしている。鉄鋼部門では,83年現在で約4割の設備過剰が生じており,2大国有企業(サンロール,ユジノーン)の赤字は,81年の68億フランから82年には87億フランへ拡大した。雇用者数も鉄鋼部門全体の9.5万人のうち,2万人の削減が必要であるとされている。造船部門でも,83年の生産は生産能力の3分の1しかなく,過去10年間に生産は3分の1に減少したが,雇用者はほぼ横ばいのままであった。

このように,各国とも構造不況業種の調整は遅れており,今後大幅な調整が必要である。

(成熟産業の競争力の低下)

構造不況業種の調整が遅れていると同時に成熟産業の競争力が低下していることも,西ヨーロッパの景気回復力を弱いものにとどめている原因となっているとみられる。

例えば,西ドイツの伝統的な主要産業である機械の実質付加価値増加率は,70年から80年の間に年率わずか0.8%増にとどまり,実質付加価値構成比も製造業中一番減少幅が大きい(前出第3-2-5図,第3-2-10図)。にもかかわらず,この間の就業者数は年率1%減であり,製造業平均の同1.9%減を下回っている。

イギリスにおいても,機械や車両などの成熟産業の生産は製造業平均を上回る減少を示しており(前出第3-2-8図),一方で車両の就業者数の減少幅は製造業平均以下にとどまっている(前出第3-2-9図)。

フランスにおいても,自動車部門では88年末までに総数23万人の就業者のうち,7万人の削減が業界再建にとり不可欠であるとされている。

第3-2-5図にみるように,成熟産業の製品には安定した需要や,需要の力強い伸びがみられるにもかかわらず,このように西ヨーロッパ諸国の成熟産業では生産の鈍化と,過剰な雇用(こうした状況は後で述べるように熟練工への依存という面もあるが)に直面している。これは国際競争力の低下によるものである。

そこで,国際競争力の変化をみるためにOECD貿易に占める成熟産業の商品の各国のシェアをみてみよう(第3-2-7表)。自動車の場合,71年から82年までの間西ドイツのシェアはほとんど変わっていないが,フランスは70年代半ばに拡大したシェアが80年代に再び縮小し,イギリス,イタリアは漸減傾向にある。また,アメリカのシェアも低下しており,日本やその他のOECD諸国が輸出シェアを拡大したことがわかる。

一般機械の輸出シェアについてみると,イタリアのシェアがほとんど変わっていないほかは,西ヨーロッパ諸国のシェアは低下しており,特に西ドイツのシェアの縮小が大きい。他方,アメリカ,日本のシェアは拡大し,特に日本の拡大幅が大きい。

光学・精密機械の輸出シェアについても,やはり西ヨーロッパ諸国,特に西ドイツのシェアが縮小している一方で,アメリカ,日本のシェアは拡大している。このように,西ヨーロッパの成熟産業の輸出競争力は総じて低下しており,日本やNICs(新興工業国)その他の追い上げを受けていることがわかる。

(2)先端技術及び先端技術産業の遅れ

西ヨーロッパにおいて構造不況業種の調整が遅れ,成熟産業の競争力が低下する一方で,航空機や医薬品等化学製品の一部を除いて先端技術産業の発達が遅れている。先端技術産業の遅れは,成熟産業における先端技術導入の遅れをもたらし,後に述べるように同産業の競争力低下の主因ともなっている。

第3-2-11図は,日・米・ECの全工業製品輸出に占める先端技術製品のシェアを示したものである。1963年から82年の間に日本は16%から39%へ拡大,アメリカも29%の高水準から更に35%へと拡大したのに対し,ECは23%から25%へとほぼ横ばい状態になっている。また,日・米・EC間での先端技術製品の貿易についても(第3-2-12図),ECは日・米いずれからも輸入超過が続き,しかも赤字幅が拡大している。

西ヨーロッパの中では先端技術分野で強い競争基盤を有している西ドイツでさえ,先端技術製品のOECD輸出に占めるシェアは,60年代と70年代の間で航空機を除いてほとんどが低下した点は日本と対照的である(第3-2-8表)。

西ヨーロッパは,原子力分野(高速増殖炉再処理)や宇宙・航空機の分野などでは世界的水準にあるものの,先端技術の中心である電子産業の分野では日米に大きく遅れをとっている。半導体では,日米が超LSIとされる64KD・RAMを量産しており,さらに256K,IMの量産体制確立をめぐり競合しているが,欧州系企業で64Kの商品化をしているのは極めて限られているとみられる。

第3-2-13図はICの自由世界における地域別生産動向を示したものであるが,これをみてもヨーロッパの生産は日米に比して伸び悩みが目立っている。しかも,ヨーロッパにおけるメーカー別IC生産の内訳をみると欧州系メーカーのシェアは3分の1にすぎない。

また,コンピューターの分野でも,欧州市場はアメリカ系企業に圧倒され,欧州系3大企業(CII-HB,シーメンス,ICL)は金額ベースで4分の1のシェア(81年)を有しているにすぎない(第3-2-14図)。一方,台数別ではこれら欧州系3社は35.8%のシェアに拡大していることから,欧州系メーカーの設置コンピューターは比較的小型のものであるといえる。

このように,先端技術及び先端技術産業においては,西ヨーロッパ諸国は早急に開発体制の強化を図らざるを得ない現状にある。

(3)産業構造調整が遅れた原因

(労働市場の硬直性)

西ヨーロッパの産業調整が遅れている原因の一つに,賃金体系が硬直的で,業種間の収益格差を反映した賃金の変化が生じず,労働力の流動性が損なわれていることが挙げられる。第3-2-9表は,業種別の就業者1人当たりの賃金・俸給の上昇率を示したものである。これをみると,イギリス,イタリアでは,不況業種の鉄鋼の賃金上昇率が製造業平均をやや上回っており,さらにイギリスでは不況業種の造船と,製造業の中では比較的生産が堅調な精密機械の賃金上昇率がほぼ同じである。

また,西ヨーロッパの各国内で,不況業種と好況業種の地域的な偏在がみられるが,他地域への労働者の移動は,宗教や生活風習の違いなどもあって,国外への移住同様行われにくいようである。このため,各国では,不況業種を抱える地域に,税や融資面で優遇措置を講じるなどして先端技術産業の育成を図っている。例えばイギリスでは11の企業地区が81年中に設立され,さらに第2期として14の企業地区の設立が発表されている。またフランスでも不況産業地区を中心に雇用創出のため14の優先地区を指定し,企業に対する税制の面での特別措置を採っている。しかし,こうした措置の効果は短期間には期待しにくい。

(不況業種に対する補助政策)

構造不況業種の調整が遅れたのは,前述のように地域的に単一な産業構造を有している国が多く,造船や鉄鋼業などがその地域の基幹産業となっている場合には,政府が保護政策を採らざるを得なかったことも原因となっているとみられる。例えば西ドイツにおける造船業への補助金は74年から81年までの間に年率18.3%増加,石炭産業への補助金は年率12.5%増加しており,この間の連邦歳出の伸び(年率8.2%)を上回った。

政府がこのように不況業種への補助金を付与し続け,また好況業種の収益を税金として徴収することにより,間接的に好況業種と不況業種の間の賃金の平準化を支持し,産業構造の調整を遅らせてきたといえよう。

こうした反省に立って,西ヨーロッパ各国は最近では不況業種への補助金を削減する政策へと転換している。

(エレクトロニクス化などの遅れ)

西ドイツの機械産業は,伝統的なマイスター制度に立脚した高い技術水準を有し,在来型機械では強い競争力を保持してきた。しかし,工作機械のN C化に遅れをとり,82年現在のNC化率は生産金額ベースで34%と,81年の21%からは増加したものの,日本の54%を大きく下回っている。イギリスにおいても,売上金額に占める割合は81年が27%,82年が33%と低く,フランスでも生産金額に占める割合は81年32%,82年39%と日本に水をあけられている。こうしたことが,アメリカ市場での日本製品との競争に遅れをとった原因といえる。アメリカにおける83年の工作機械輸入のうち,日本からの輸入は47.4%,これに対し西ドイツからは12.8%,イギリス7.9%,イタリア3.0%,フランス0.9%であった。

(先端技術産業の遅れの原因)

西ヨーロッパ主要国の研究開発支出の対GNP比率は,西ドイツ2.79%(82年),イギリス2.42%(81年),日本2.20%(82年)であり,また,対国民所得比でみると,西ドイツ3.18%(82年),イギリス2.76%(81年),フランス2.07%(80年)となっており,日本2.78%(82年)と比べて劣らない。このうち政府負担割合(82年)についてみると,租税負担率の違い等により単純な比較は困難であるが,西ドイツ41.4%,フランス47.6%に比べ,アメリカ30.1%,日本23.1%となっている(第3-2-15図)。

こうしたことから,研究開発に対する国家支援の大小が西ヨーロッパの先端技術産業の遅れの原因とはみられない。むしろフランスの国有企業では,政府が先端技術製品の自給自足という非現実的な目標を追求し,競争相手の比較優位や市場シェアを軽視したことが,先端技術産業の商業的成功を阻んでいると指摘されている。

またEC委員会が自認しているように,EC内の各国ごとに法的規制,基準・規格が細分化され,各国の研究開発投資もEC全体としてみれば重複しており,効率的な成果をあげられなかったという要因もある。つまり,共通戦略の不在である。81年のEC全体の研究開発費は日本の2倍強であるが,ECが世界のマイクロプロセッサー市場に占めるシェアは,日本の40%に対し,10%にとどまっている(トルンEC委員長)。

先端技術産業への企業金融の面でも西ヨーロッパは後進的であることが,先端技術の企業化を阻んでいるとされる。西ドイツでは銀行が証券業務も兼ねるユニバーサル・バンキング・システムをとっており,企業の資金調達は銀行の直接融資が中心であるが,貸付け態度は慎重であり,先端技術への投資には消極的であるといわれている。

以上のように,西ヨーロッパでは衰退産業が温存され,成熟産業の競争力は低下し,一方で先端技術産業が立ち遅れるなど産業構造調整がスムーズに進んでいない。調整を促進するには,企業の自覚と労働者のメンタリティの改善が必要となっている。