昭和59年

年次世界経済報告

拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済

経済企画庁


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第3章 高金利下でのヨーロッパ経済の調整

第3節 挑戦するヨーロッパ

ヨーロッパ経済の再活性化は遅れている。しかし,ヨーロッパは手をこまねいているわけではない。本節では,これまでの再活性化政策の継続,強化とともに,新たな挑戦としての,先端技術産業への取り組み,ECの活性化,東西貿易の拡大のための試みを概観し,それらの課題を探ることとする。

1. ヨーロッパ経済の再活性化実現へ

(1)構造政策

ヨーロッパがアメリカの再活性化に対応するためには,高金利や新興工業国の追い上げに耐えて,その工業力の強化を図らなければならない。それには労働市場の硬直性を一層打破し,資本収益率を高めつつ雇用も確保する必要がある。現在の再活性化政策を継続,強化する以外に,ヨーロッパの選択の道は見い出せない。

ヨーロッパ経済の再活性化にとり,まず必要なのは鉄鋼,造船,石炭,自動車等の伝統的産業分野で過剰な人員,設備の整理を進め,新技術導入による生産性向上を図ることである。前述したように最近では各国とも,従来の産業政策の反省から,より競争志向的な構造調整策が採られるようになっており,その意味では前進していると評価できよう。

(2)先端技術産業の育成

次に,エレクトロニクス,情報技術,バイオテクノロジーなどの先端技術分野をいかにして育成していくかが,ヨーロッパの活性化にかかっているといえよう。先端技術製品はマーケットの拡大速度が早く,他産業への応用が広いうえ,その生産性をも左右するからである。例えば世界の情報技術市場は1980年の2,370億ドルから90年には5,000億ドルに達し,年8~10%の成長をする最大の産業部門の一つになるものとEC委員会は指摘している。

(各国の対応)

この認識に立って欧州主要国はいずれも先端技術分野での開発体制強化を重要視し,その育成を行っている(第3-3-1表)。

まずイギリスではサッチャー政権下での再活性化政策の一環として,同分野での政府支援を積極化している。この部門での政策はディレギュレーションの例外措置と考えられ,従来の民間主体の研究開発から,国家プロジェクトによる官民共同開発が計画されている。例えば,アルベィ委員会(情報技術の研究について勧告する公式の政府委員会)の報告に基づく「AIT(高度情報技術)計画」がそうである。これは,我が国の第5世代コンピューターのプロジェクトを参考にした,超LSI・知識ベースシステムなどに関する5か年計画(1984年~88年)で,総額3.5億ポンド(約1,200億円)をかけた,官民共同開発研究としては同国最大規模のものである。

また,西ドイツでも現在研究技術省を中心に,郵政,経済,国防,教育科学省の施策をも包含する総合的なマイクロエレクトロニクス,情報技術,通信技術の振興策が実施されている。88年までの5か年計画(84年3月閣議決定)では,半導体や第5世代コンピューターに関する民間研究開発に総額30億マルク(約2,500億円)という政府資金の大型助成を行い,民間の技術開発意欲高揚を図っている。前節で述べたように,西ドイツでは研究開発費の政府負担額,割合ともに日本を上回っているが,その割に先端技術分野での成果はあがっていない。またベンチャー・キャピタルの資金提供に問題があり,技術開発型企業を設立し技術的知識を市場で製品化することがアメリカのようにうまくいっていないとの指摘もある。このため民間の技術開発意欲を高め日米に追いつくためには,アメリカを模範としたベンチャー・キャピタル等の体制作りを進めるべきであると経済省は主張している。

フランスでは国防面やエネルギー開発面等に重点を置いた国家主導の研究開発が行われている。フランスは従来から国家プロジェクトとして原子力,航空宇宙,海洋開発等で先端技術優位の確立を図ってきた。最近では,エレクトロニクス分野の立ち遅れが目立つことから,同分野での研究開発を最優先政策の一つとし,ミッテラン政権下でも積極的な政府主導の強化策が採られている。82年からの「エレクトロニクス5か年計画」は第9次5か年計画(84~88年)にも盛り込まれ,一層整備されている。第9次5か年計画では研究開発支出の対GDP比率を2.5%に高めることを目標としている。また,研究開発関連予算は緊縮財政の中でも特に手厚い措置が採られている〔83年度予算案(軍事費関連等を除く)で前年比28.0%増,84年度予算案(同)同15.5%増〕。

EC各国共通の対応は様々であるが,その内容をみれば,(1)研究開発への補助金支給や促進税制の実施,(2)特別償却措置による投資促進,(3)地域における先端技術開発への取り組み,(4)先端分野での企業の国有化,政府投資,あるいはベンチャー・ビジネスの設立などが挙げられる。

また,最近では日米に対抗するためにECレベルでの取り組みについていくつかの提案も登場している。

(ECの戦略提案)

① 「ESPRIT(エスプリ)計画=欧州情報産業研究開発計画」

1983年11月EC委員会が,それまでの試験段階から本格的段階への移行期として84~93年の10か年を規定し,うち前半の5年間について総額15億ECU(約2,900億円,うち半分がEC負担)の開発計画を理事会に提出し,84年2月28日に承認されたものである。これはECレベルでの官産学協力による技術研究開発を促進し,研究の重複の回避,成果などの情報を広く適切に普及することが目的とされており,欧州経済の活性化にとって画期的な方向づけがなされたものといえる。本計画は次の5つの重点分野から成っている。

② テレコミュニケーション(電気通信)の整備

この分野は情報化を推進する上で特に重要なものである。そのためEC規模での組織化されたテレマティーク(通信情報)のネットワークを導入すべきであるとして,現在ECはその基礎準備を行っている。フランスや西ドイツなどでは,文字多重放送や電話回線を利用した端末機を通じての情報化が実用段階に入っており,これを共同体レベルに拡大しようとするものである。

③ バイオテクノロジー計画

ECはこの分野における基礎科学面では世界の最高水準にあるといわれているが,研究開発支出はアメリカの半分にすぎず,アメリカへの頭脳流出などもあって同分野での製品や特許の輸入依存が増えているとEC委は報告している。同報告によるとこの分野の世界市場は2000年には1,000億ドルに達するものとみられることから,既にECは総額2億ECU(約380億円)の財源措置を予定した5か年計画を打ち出している。その内容は基礎バイオの研究開発計画を中心に次の五つの分野から成っている。

(ECの先端産業育成策に対する各国の姿勢)

ECレベルでの先端産業育成策や産業通商政策については,国により基本的な対応の考え方に相違が見られる。

83年9月EC理事会にフランスが提案した「欧州のための新たな段階一産業及び研究に関する共同領域」(対ECメモランダム)は,「一つのヨーロッパ」を想定した先端技術の研究開発を目指している。すなわちECレベルでの財政・金融面の支援による産業協力,各国別の基準規格・政府調達政策の統一,域内における独禁法緩和等を提案している。さらに,EC産業保護のため関税を引き上げるべきだとし,例えば最近のDAD(デジタル・オーディオ・ディスク)関税引上げ(ECは84年1月よりDADの輸入関税を9.5%から19%に引き上げることを決定している。)等は理論的にも正当化されるとしている。

このような提案は高度エレクトロニクスの出遅れをキャッチ・アップするため,保護貿易主義的措置を採ることを主張したものである。これに対しては域内各国でも批判的な見解が示されている。ヨーロッパの一部では開放的な通商政策が先端産業育成に必要であり,ヨーロッパを保護主義の壁で固めることは欧州の再活性化には中長期的にみてマイナスであるという指摘もなされている。西ドイツは従来から,市場経済重視による競争力強化を一貫した政策としているし,イギリスもフランス・メモに対し疑問を投げかけている。

現在ECでは,フランスの提案についての統一見解がいまだ形成されていないが,技術革新が急速に行われている先端技術分野では,保護的な措置よりは,むしろ国際競争が重要な刺激を与えるものといえよう。したがって政府・民間レベルでの国際的な産業協力,相互乗り入れなどの技術交流の進展が,貿易摩擦や保護主義の高まりを抑える上で重要な要素となる。ヨーロッパが技術的,商業的に日米からの遅れを取り戻すことがヨーロッパ経済の再活性化の実現と,ひいては世界の健全な貿易の進展にもつながるものとみられる。

(3)民間レベルの動向

現在,ヨーロッパ経済の危機意識は広く正面から認識され,民間レベルにおいても従来以上に汎ヨーロッパ的,さらには国際的な規模での協力体制の整備,競争力推進への取り組みがなされている。政府の産業構造調整策は民間企業の活力,創造性を生かすことをねらいとしたものである。先端技術分野においても民間レベルの動向は,我が国との交流とも深く係わり合うだけに,今後とも注視していかねばならないものである。

ヨーロッパの民生電子業界をみると,オランダのフィリップスとフランスのトムソンの2大資本が支配的勢力を有している。そして,この2大企業を中心に再編成の動きが高まるとともに,両勢力の競合,あるいは協力関係といった戦略的な動きが展開されている。最近の企業協力の事例としては,1982年11月トムソンと西ドイツ電子企業グルンディヒの合併・買収の動きがあった。ただし,世界的な巨大民生電子メーカー連合体の誕生につながるこの計画も,結局は西ドイツ・カルテル庁が認可せず実現はしなかった(2大企業の競争インセンティブが損なわれるとの判断による)。

一方,先端技術部門に限らず民間レベルでの産業協力の動きもいくつか見られる。例えば「G16」と呼ばれる作業グループは,ヨーロッパ・レベルで,ジョイント・ベンチャーのための資金調達,共同研究開発等を促進する計画の下に形成されたもので,フィリップス,オリベッティ(伊),ネッスル(スイス),ボルボ(スウェーデン)等16の主要欧州企業が参加している。また「オデット」計画は,EC9か国の自動車及び部品メーカーがコンピューターを直接接続しデータ交換をする情報システムを創設する計画である。部品の効率的な発注などを取り扱い経費節減が可能となり,これにはフィアット,フォルクスワーゲン,プジョーを始めフォード,GMなども参加していると伝えられている。

また欧州企業は,先端技術を有する企業の直接投資や技術移転を受け入れるばかりでなく,逆に対米を中心とした直接投資も盛んに行って先端技術の取り入れを図っている。例えばフランスでは国有企業を中核に民間企業も加わり,アメリカの先端企業の買収・合弁,業務提携など積極的な動きがみられている(CGE-ゼロックスとの業務提携,ローヌ・プーランと種苗バイオ企業との合弁会社設立等)。

我が国との先端技術分野での協力機運も強まっており,我が国企業との間でVTR,自動車,工作機械などを中心とした投資交流,技術交流,さらに業務提携などが行われ,今後とも日欧間の産業協力の一層の進展が望まれる。先端技術産業において,日米にキャッチ・アップをめざすヨーロッパの日本に対する期待は大きい。

2. ECの活性化

(1) ECの理念

第2次大戦直後のヨーロッパの世界的地位は,大戦による物質的,精神的な疲弊によって,大きく後退していた。このため,米・ソに匹敵する勢力を取り戻し,平和と繁栄を確保するには,ヨーロッパが結束して再建を目指す以外にはないという考えが欧州各国民の間に生まれたのは当然といえよう。このような統一機運の高まりの中から,まず経済力の統合による復興と発展を図る動きが具体化した。すなわち1950年5月のシューマン・プランと呼ばれるものがそれであり,西ドイツ,フランスの石炭・鉄鋼生産の統一市場の形成を図ろうというものであった。これを受けて,既に関税同盟が結ばれていたベネルクス3国と西ドイツ,フランス,イタリア6国がECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)を結成した。その後,特定部門のみならず,広く共同経済市場の設立を通じて欧州各国の経済を実質的に統合しようとするローマ条約が締結され,EEC(欧州経済共同体)が設立されたのである。これと同時にEURATOM(欧州原子力共同体)も設立された。これら3共同体の委員会,理事会は67年に単一のものに統一され,ECに発展統合するに至った(第3-3-2表)。ローマ条約前文には「欧州諸国民の一層緊密化を続ける連合の基礎を確立することを決意」しており,経済統合から究極的には政治統合をも含めた欧州の統合を目指す高漠な理念が示されている。68年に共通関税同盟や共通農業政策が体制として完成し,また79年にはEMS(欧州通貨制度)も設立されるなど,着実な統合への政策が具体化されてきた。また加盟国の増大により財,人,資本面での自由移動を伴った単一市場の基礎も拡大されている。

(2) EC統合の推移

(関税同盟の貢献)

EC経済は戦後目ざましい経済復興を遂げ,再び世界における一大経済勢力圏を形成した。1961年~73年の実質GNPは年平均4.7%(米国は4.1%,日本10.4%)の成長を遂げた。また,ECの世界に占めるGDPのシェアは増大しており,アメリカとほぼ並ぶ規模に達している(第3-3-3表)。

ECの設立,特に関税同盟の完成(68年)はEC域内貿易の増加に大きく貢献した。これはECが人口2億7,000万人という規模の経済のメリットを生かし,域内では関税や数量制限の撤廃,域外には共通関税を設けた効果によるものである。世界貿易に占めるECの総貿易額のシェアは1970年の39.6%から83年に34.1%へと低下しているが,域内貿易依存度はEC結成以来石油危機が発生するまで順調に上昇し,約50%の水準にまで達している。また,GDPに占める域内貿易のウェイトは80年に4分の1を占めるまで増大している(前出第3-3-3表参照)。これは,ECの総貿易額自体の世界的シェアが縮小しているものの,域内相互の経済依存は高まりつつあることを意味し,その点においてはECの経済統合の進展を示すものといえよう。

拡大ECに新規加盟した3か国の域内貿易依存度の推移を見ると,イギリス,デンマークについてはEC加盟が貿易構造に変化を与えたことが読み取れる。すなわち域内貿易依存度は,イギリスが加盟前後を境に著しく高まり続けており,デンマークも加盟前の減少傾向から加盟後は下げ止まりないし緩やかな増加傾向へと変化している(第3-3-1図)。一方,アイルランドについては,従来からイギリスとの貿易が全体の半分あり,EC加盟後の変化は見られない。

しかしながら,石油危機を境にECの成長力が日米に比しても低下するなど,最近はECの地位の低落現象が目立つようになっている(74~81年の実質GNP成長率は平均1.9%,米国2.7%,日本4.4%)。また,共通市場形成の効果てい減により域内貿易依存度の上昇も頭打ちとなり,ひいては世界に占めるECの総貿易のシェアを低下させている。

(困難を伴う共通産業政策)

前節で述べたように,景気回復力のぜい弱さ,失業の増大,先端技術の遅れなど,EC経済パフォーマンスの劣勢に対処する上からも,ECレベルで様々な共通産業政策が採られている。しかし,上記のようなEC経済の推移を見ると,これら共通政策にはEC創立当初の理念が生かされた面もあるが,なお努力の必要なものも多いといえる。

共通関税などの通商政策は当初の目的に沿った効果はあったといえるし,EMSも極めて遅々としながらもより拡充方向にある。83年3月には通貨調整を通じた各国間におけるインフレ抑制政策の協調促進という動きもみられ,実際その後の域内インフレ格差は縮小している。一方,共通農業政策は農産物の域内市場の安定や,自給率の高まりなどは評価できる反面,財政上の問題からEC予算作成時ごとに紛糾の要因ともなっている。また,漁業,運輸,競争政策などの多くの共通政策において,国益の対立,各国毎の法律の差異などの関係から,その調整はなかなか進んでいない現状にある。

(3)ECの活性化へ向けて

ECがヨーロッパの現在の困難を乗り越え世界の指導的地位を維持するためには,共同体としての結束を更に強化していく必要があるという点については,加盟国間で確固としたコンセンサスが得られている。

しかし,上述したように諸政策の具体的実施にはECレベルと各国レベル間の相違が存在している。また,加盟国の拡大問題にしても,過剰生産にある農産物,鉄鋼の割り当てを始め財政配分など加盟国間の利害が錯綜し,内的な対立要因が更に増大する懸念も持たれている。国家主権の制限と各国の主権保持意識をどう調和させていくかという困難な問題は,ECの真の統合が達成されるまで常に直面することになろう。

したがってECレベルでヨーロッパの活性化を図ろうとする場合,現段階では共同体全体の利益につながる戦略,各国利害の調整,一国だけでは人的,資金的に取り組みが困難な分野に限られたものにならざるを得ないのはやむを得ないといえよう。ヨーロッパ産業の国際競争力の低下や先端技術の遅れがもし今後も継続していくならば,各国レベルでの保護主義的な動きが強まる危険があり,ECの前向きな共通戦略の確立が急がれなければならない。

共同体レベルでの各国政策の調整,及び個々の共同体の政策は,産業構造調整促進に寄与するものでなければならない。それには,各国民の意識の変化や,労働面,制度面等の硬直性の打破が不可欠である。

84年6月開催されたフォンテンブロー欧州理事会では,欧州市民及び世界に対してECの一体性,存在感を強化促進する措置の必要性と,そのための特別委員会の設置を決定している。また,欧州旅券の制定,商品流通のための書類の単一化,人の往来に関しEC国境における警察及び税関に係わるすべての手続きの廃止を85年上期中に実現するため検討を急ぐことにしている。さらに,スペイン,ボルトガルの加盟も86年1月1日に実現することを目指して交渉が進められることになっている。

このようにECの活性化,拡大への意思が強まっている機運を更に盛り上げ,EC統合へ向けて前進することはヨーロッパにとって有益なことといえよう。

3. ECにおける東西貿易の意義

(70年代の拡大)

第2次世界大戦以前,ヨーロッパ市場という概念は,ソ連・東欧諸国を含むものであっ,た。第2次世界大戦後,ヨーロッパは政治的理由から東西に分断されたのであるが,東西間における交流は,70年代前半のデタントの幕開けに伴って人的交流は活発化し,東西貿易も拡大に向かっていたのである。

また,東欧諸国において70年代に入って工業の近代化が図られたこともあって,西側の各種プラント輸出,資金提供等,東西貿易の拡大はより増幅されたのであった。

第3-3-2図は,ECの対ソ連・東欧貿易総額の伸びと対世界貿易総額の伸びを比較したものである。対ソ連・東欧貿易の伸びは72年~75年においてデタントの進行に伴い対世界貿易の伸びを大きく上回っていた。また,この間のEC貿易総額に対するソ連・東欧諸国のウェイトも,65年の5.8%から70年6.8%,75年8.4%へと上昇を示しており,このことからも70年代の東西貿易の着実な拡大がうかがえる(第3-3-3図)。

(デタントの後退と累積債務問題)

70年代前半のデタントに伴う東西貿易の拡大も,79年12月ソ連のアフガニスタン侵攻と,それに対するアメリカを中心とする対ソ経済制裁により影響を受け縮小に向かった。

81年にはECの対ソ連・東欧貿易の伸びはマイナスとなったが,これは累積債務問題による貿易縮小に加え,上述の対ソ連経済制裁の面も現れているとみられる。

東欧の累積債務問題も東西貿易縮小の大きな要因となった。ボーランドに端を発した金融不安は経済不振にあった東欧全般に広がりをみせたのであった。東欧諸国が累積債務問題軽減のために採った措置は,輸入の抑制と輸出の促進であったが,西欧諸国が不況であったこともあって輸出も落ち込み,81年にはECの東欧諸国への輸出は前年比15.8%減,輸入同21.2%減と大幅な落ち込みをみせた(第3-3-4図)。

(エネルギー貿易の増大)

西ヨーロッパにとって東西貿易は,他のOECD諸国とは異なった要因がある。それはソ連からのエネルギー受給国としての一面である。ECの対ソ連原油輸入量のウェイトは最近高まっており,77年の11.1%から83年には20.6%にも達している。また,原油輸入のほかにもソ連産天然ガスが西ヨーロッパ向けパイプラインの完成によりソ連から現在大量に供給されている。

一方,ソ連にとっても西側の外貨獲得のためには重要な貿易となっているのである。

(東西ヨーロッパにとっての東西貿易の意味)

ヨーロッパが東西に分断されてから38年が経過したが,この間,東西貿易は経済的側面よりむしろ政治的側面によってしばしば大きな転換を余儀なくされてきた。東西貿易の内容も米・ソ両超大国の駆け引きの材料として使われており,近年ココム(Co-ordinating Committee forExport Control)の対ソ・東欧輸出規制の強化がなされているのもこの一例といえる。なお,ECは標準化しているとみられる技術(先端技術を含む)についてはココムの規制枠の拡大を求めている。

また,84年に入って東西両ドイツの接近が話題となったが,東西貿易とは別に両ドイツ間の域内貿易はこれまで着実に増大を示している(第3-3-5図)。この傾向は東西両ドイツの歴史的背景は別にして,東西緊張緩和に良い影響をもたらす可能性がある。

さらに,東西ヨーロッパにおける東西貿易の拡大は,EC設立時の原点にある「規模の経済」の拡大版として,市場の拡大に伴いヨーロッパに活力を与える可能性がある。また,東西貿易の拡大は,ヨーロッパにおける経済的結合を強めることにより,政治的安定度の高まりをもたらすともみられ,今後とも東西貿易の着実な拡大が望まれる。

以上見てきたように,アメリカ経済の活性化はヨーロッパ経済にも大きな影響を与えている。しかし,アメリカの経済の再活性化に立ち向かうには,ヨーロッパもまた自らの経済を活性化するしかないであろう。ヨーロッパがアメリカの再活性化に挑戦していくには,社会全体が生産性向上に取り組んでいく必要がある。それには賃金硬直性の改善やインフレ抑制政策の堅持などの経済環境の改善など,現在の再活性化政策を一層進めていくことである。苦しい調整を迫られている伝統的産業では,過剰設備の整理,補助金の削減,企業活力の重視といった競争志向的な構造調整を更に推進せざるを得ないだろう。また,日米に立ち遅れた先端技術産業分野においては,効率的な研究開発を促進させることが必要である。ヨーロッパの一部の国でみられるような保護主義的な幼稚産業保護論では経済合理性を欠いた研究開発を誘発しがちである。この分野での技術革新は急速で,国際的な技術発展の流れを無視した研究開発は無意味だからであり,研究開発促進政策は国際協力の下に行われるものでなければならない。