昭和57年
年次世界経済報告
回復への道を求める世界経済
昭和57年12月24日
経済企画庁
第2章 長期化する欧米先進国経済の調整過程
今回の先進国の景気停滞が長びいているのは,これまでにみてきたように,基本的には石油危機とそれに対応して各国が実施した財政金融政策が景気よりもインフレ抑制を最優先としてきたことの結果である。そこで本節では,この第2次石油危機後の調整過程で生じた石油消費節約の進展,インフレの鎮静化,賃金上昇率の鈍化,経常収支の改善などの実態と要因(失業問題については第3章で詳述)を検討するとともに,そうした結果をもたらした要因をみる。
まず第1に,今回の調整過程もそこから生じた,欧米先進国のエネルギー面での石油依存体質,OPEC依存度等は,どのように改善をみたであろうか。これについては,第1章第5節ですでにみたところである。すなわち価格上昇の消費節約効果の増大をはじめとして,先進国の経済活動の停滞,政策も含めての各国の石油消費節約努力,石油代替エネルギー利用の進展等により,これらの国の石油輸入量,石油消費は80年,81年と減少し,82年もこの傾向が続いている。ここでは,この結果,先進主要国の第1次エネルギー消費構造がどう変化したかをみると,一次石油危機後も石油消費ウェイトがほぼ変らずに推移したアメリカ,西ドイツを含めて,各国とも今回は80年,81年とかなりウエイトが落ちている(第2-5-1図)。他方,各国とも総じて石炭,原子力等のウエイトが増大している。このように各国とも今回あらためて,石油エネルギーの消費節約・エネルギー構造の転換を示し始めている。さらに,OPEC諸国からの輸入ウエイトも80年,81年と減少した。以上のように,景気の回復後の予断はなお許さないが,省石油,脱OPEC依存が徐々に進みつつある。これは,産油国の石油輸出収入の急激な減少による経済困難を同時に産んでいるが,現在までのところ今回調整過程の一つの成果と考えられよう。
今回の長びいた調整過程において,主要国が経済政策の最大の目標としたインフレ抑制は,一部になお二桁の物価上昇にとどまっている国や,賃金・物価の凍結ないし抑制措置をとっている国もあるが,概して,その成果をあげている。その最大の要因は政策の引締めスタンス持続が総需要を抑制するとともに,直接的,間接的に賃金コストの上昇を抑制でぎたことである。
第2次石油危機後の先進主要国のインフレ率の推移をOECD加盟24か国の消費者物価(前年同月比上昇率)でみると,79年初から再び上昇テンポを高め80年4月に13.7%のピークに達した後鈍化傾向に転じた。その後,81年下期に一時反騰したものの,80年末12.1%,81年末9.9%,82年9月現在7.4%へと低下を続けている。このインフレ率鈍化の足どりは,OEICD全体としてみると,第1次石油危機後のインフレ収束過程とほぼ同じであった(第2-5-2図)。前回はピーク時(74年11月)の水準が14.7%と今回のそれを若干上回ったが,その後かなり急速に鈍化して危機発生後約2年半たった76年央には8%台に低下した。
グループ別ないし国別にみると,今回のインフレ収束過程ではより大きな格差を示しているのが特徴である。前回と比べて最も顕著な騰勢鈍化を示した日本を別とすると,今回,ピークからの鈍化が急だったのはアメリカおよびイギリスであり,アメリカは80年3月のピーク14.7%から,イギリスは80年5月の21.9%から急速に鈍化して,82年9月現在それぞれ5.0%,7.3%まで低下している。
前回のインフレ収束過程では最も順調だった西ドイツ,オランダなどでは,今回はピークの水準は前回を下回ったものの,その後の低下は緩やかで,はっきりした騰勢鈍化を示すようになったのはようやく82年に入ってからである(西ドイツのピーク,81年10月6.7%→2年9月4.9%)。
これに対して,大幅な改善の遅れを示したのが,フランス,カナダ,イタリアなどであり,騰勢鈍化に転じた時期が遅いばかりでなく,鈍化テンポも小幅であった(82年9月の水準は,それぞれ10.1%,10.6%,17.2%)。
インフレ率の鈍化に国別格差がみられるように,鈍化要因もそれぞれ異なっているが,ここでは,第2次石油危機後のインフレ収束に共通して影響したとみられる要因をとりあげて検討ずる。
第1の要因は,今回のインフレ再燃の直接の契機となったOPEC原油価格引上げが,81年1月のバーレル当り34ドルへの引上げを最後に事実上停止していることである。このためOPEC諸国の原油輸出単価の上昇も81年以降は大幅に鈍化した。石油需給をより敏感に反映するスポット価格では価格の低下傾向がみられた。
もっとも,今回の原油価格の引上げは,前回のように一挙に引上げられたのではなく,約2年にわたって段階的に引上げられたために,当初の急騰ぱみられなかったものの,上昇圧力が長期間持続した。加えて,今回の調整過程では米ドルがしり上りに回復したため,各国通貨建ての原油輸入単価は81,82年にも引続き上昇傾向を維持したとみられる。このため,エネルギー関連品目は,卸売物価および消費者物価のいずれについても多くの国で総合を上回る上昇を続けた(前出第2-4-7図参照)。為替要因が逆にプラスに作用したアメリカでは,当初は統制撤廃の影響もあって急騰したものの,その影響が一巡した後は石油関連価格の上昇は急速に小幅化した。また,イギリスも81年には石油純輸出国となったことから,ポンド相場の低下の影響は小幅にとどまった。
第2に,石油以外の国際商品相場の低落もインフレ率鈍化に役立っている。
非石油工業用原材料・食糧についてのエコノミスト指数(SDR建て)によると,78年7月~80年11月に54%上昇したが,その後は低下傾向に転じ,81年末までに約17%低下,さらに82年1~10月間でも約7.2%低下した。今回の調整過程でとくに食料価格が小幅上昇にとどまったのは,この海外原料安とともに,好天による季節性食品の低下なども影響した。
輸入等デフレーター(国民所得ベース)によってこれらの輸入インフレ要因のうごきを総括的にみてみよう。第2-5-3図のように,各国とも輸入等デフレーターは国内需要デフレーターにくらべて大幅な変動を示しているが,第2次石油危機後では前回と異なって国別の差が顕著となっている。①イギリスでは,主として80年末頃まではポンド相場の上昇,その後は石油自給化により,輸入等デフレーターは国内需要デフレーターの上昇率を下回っており,この傾向は81年以降とくに強まった。②西ドイツ,フランスでは今回はピーク時の水準は低いものの輸入等デフレーターの相対的高水準が持続している。これは主として,マルクおよびフランの対ドル相場が低下したためとみられる。③カナダの場合は,カナダ・ドルの低下ばかりでなく,国内産油価格決定のトラブルから産油がー時中断し,原油輸入が急増したことなどもあって,輸入等デフレーターは大幅な上昇を続けている。④アメリカの場合には,前回に比べて輸入等デフレーターの上昇は小幅で,しかも上昇期間も短く80年央以降鈍化に転じており,81年には国内需要デフレーターの伸びを下回った。これには省エネ,代替エネルギー利用などによる原油輸入の減少もあるが,ドルの堅調の影響も大きかったものとみられる。
このように今回の調整過程では,輸入インフレの影響度が国によって大幅に異なっており,国内需要デフレーターの上昇に対する81年7~9月における寄与率は,イギリス△2.8%(44.3%,74年10~12月期),アメリカ△0.0%(30.2%)に対して,西ドイツ59.4%(35.4%),フランス47.6%(39.7%),カナダ38.0%(43.8%)となっている(第2-5-3図)。
第3は,原燃料コストの上昇率鈍化ないし低下である。今回の調整過程では,こうした海外インフレ要因の原燃料コストへの転嫁は,景気停滞が長びいていることもあって,前回よりも抑制されたとみられる。たとえば,輸入インフレ度が相対的に高まった西ドイツ,フランスなどでも,原燃料卸売物価の上昇率は前回より小幅にとどまっている。より完成度の高い工業品卸売物価についてみても,マージン率の低下などを反映して,とくに82年に入って各国で上昇率は大幅に鈍化している(第2-5-2図(2))。
第4は,賃金コストの上昇テンポの鈍化である。今回は賃金上昇率が各国で前回を下回る一方で,生産性の低下も小幅にとどまるか,早目に改善を示すものが多かったことなどから,上昇テンポは緩やかとなっている。
雇用者所得(雇用者1人当たり,国民所得データ)の伸びについてみると(第2-5-4図),国別格差は大きいものの,今回のほうが総じてはるかに小幅となっている。たとえば,イギリスでは75年1~3月期のピーク時に36%強であったが,今回は80年7~9月期の約24%をピークに鈍化傾向を続けており,82年上期では10%前後に鈍化しているとみられる。
生産性の伸びを就業者1人当たりの実質国民総生産でみろと,前回はマイナスの時期が1年以上も続いた国が多いが,今回は低下したものが少く,低下幅も小幅にとどまり,81年以降は改善を示すものが多くみられた。これは,主として,①生産の落込みが小幅であったこと,②それを上回る雇用面での調整が行なわれたことなどを反映したものである。
第5は,政策的要因の影響である。
インフレ率の鈍化が今回の調整期にも,概して比較的に順調であるのは,何よりも各国が第2節でみたようにインフレ抑制を最優先とする政策スタンスをほぼ共通してとったこと,そうして景気の悪化による失業者や倒産の急増などの困難にもかかわらず,政策転換に対しては極めて慎重な態度を維持していることが基本的な要因となっているとみられる。
引締政策は景気の悪化による労働需給の緩和を通じて,とくに賃金上昇率の鈍化に影響を与えているとみられる。主要国の政策スタンスのうごきをみると,インフレ抑制から雇用促進に重点を移したフランスで,インフレ率の高まり,経常収支赤字幅の拡大といった困難により再び政策の転換を迫られたことに典型的に示されるように,引締政策の持続はインフレ率鈍化の必要条件となっている。
こうした総需要管理政策のほかに,今回の調整期に主要国がとった物価調整の主な政策は以下のとおりである。
第1は,OPEC原油引上げに対して,国産原油価格を連動的に上昇させない政策をとっていたアメリカ,カナダが,今回は政策を転換し国際価格に連動するようにしたことの影響である。これにより,たとえばアメリカの81年1月の統制撤廃時に原油価格上昇率は約10%高まったと推計されている。
そのほかの国でも,今回は国内価格を人為的に規制せず,需給に応じた価格決定が行なわれている。
第2は,インフレ,経常収支悪化などから為替切下げを余儀なくされたフランス,フィンランド,スウェーデンなどで一時的な賃金・物価の凍結が実施され,フランスでは3か月間の凍結期間の終了後も何らかの規制を導入することが検討されている。
先進主要国の経済政策が今回の調整期にはインフレ抑制をより重視する方向で運営されたことは,2つの調整期における賃金上昇率の差となって現れている。OECD加盟国平均の賃金上昇率(製造業時間当たり収入)は前回ピーク時の75年3月には20%を上回った。その後,鈍化傾向を示したものの,その後の2年間は13~14%の高水準を維持した。これに対して,今回ピークは80年秋の13%強であり,81年末までに10%強に鈍化している(第2-5-5図)。物価上昇率の鈍化は2回ともほぼ同様であったから,実質賃金の水準についても今回の方が低下している。
賃金上昇率が今回調整過程で順調に低下した基本的な要因は,インフレ率の鈍化と労働市場の需給緩和である。
主要国の物価と賃金の間には,次章でも示されるようにかなり高い相関が認められる(付注2-2および3-2参照)。消費者物価の上昇テンポには前回との差があまりなかったことを考慮すると,労働需給緩和が今回の賃金上昇率の低下に大きく影響しているとみられる。すなわち個別的賃金交渉が高失業の下で,①賃上げ要求水準の引下げ,②物価スライド条項の適用緩和やその他付加給付条項の改廃,③中央交渉から事業所別交渉への移行,④賃金格差是正要求の弱まり,⑤賃上げよりも雇用確保を重視するなどの変化を示している。その結果,短期的にはマクロ的にみても賃金・失業間のトレド・オフが認められる。
今回の調整過程では,石油輸出途上諸国の経常収支黒字幅が79年,80年の各698億ドル,1,164億ドルから,81年には686億ドルへと急減し,82年にはさらに250億ドルの黒字に縮小すると見込まれている(IMF推計)。これは前回調整期には4年にわたって大幅黒字が続いたのと比較すると大きなちがいである。
この急速な石油輸出途上国経常収支黒字の解消は,主として,先進主要国の経常収支改善に反映されており,先進10か国計の経常収支赤字幅は80年の470億ドルから81年には40億ドルに縮小した。このグループでは,79,80年に原油価格が平均40%および60%上昇したため,石油収支赤字は合計1,200億ドル増加した(BIS推計)。しかし,省石油,不況などから石油輸入量が80年12%減,81年13%減と減少を続け,一方,OPEC向げ輸出も急増(OPECの81年輸入量は23%増)したため,このグループの貿易収支は80年の約420億ドルの赤字から81年には30億ドルの小幅黒字となり経常収支赤字幅も90億ドル縮小した。82年上期には,OPEC向げ輸出の減少などもあってこの改善傾向はやや足ぶみを示しているとみられる。
このように全体としてみると経常収支改善は前回よりも順調であるが,当初は前回より小さかったとされた国別格差はその後むしろ拡大している。(第2-5-6図)急速な改善を示したのは,イギリス,オランダなどの原油・ガス産出国や西ドイツ,純投資収益増によるアメリカである。これに対して,カナダや国際競争力の低下が目立つ小国の多くでは経常収支の改善は小幅にとどまっている。