昭和57年
年次世界経済報告
回復への道を求める世界経済
昭和57年12月24日
経済企画庁
第2章 長期化する欧米先進国経済の調整過程
第1節でみたように,石油価格引上げは,その直接的効果や政策対応等を通じて先進主要国の経済に大きな影響を与えてきた。ここでは,その影響が①家計の消費行動や企業の投資行動等にどのような反応を生じさせたか,②石油価格の上昇が各国のマクロ的生産能力にどのような変化を与えたかについてみることとする。
最初に石油価格引上げによる経済的負担の,家計と企業への配分の実態を比較しよう。ここでは,OPEC諸国に所得が移転したあとの国内所得が,雇用者所得(家計),企業所得(企業)にどのような割合で配分されたかをみる。両者の分配率が,OPECへの所得移転前のそれと同じならば,負担は均等であったといえる。この分配率をどのように変えたかをみる指標を「実質賃金ギャップ」という。これが不変のときは負担均等,プラスならば,企業の負担が大きく,マイナスなら雇用者(=家計)の負担が大きいと考えられている。主要国の「実質賃金ギャップ」の推移は,第2-4-1図のとおりである。前回は,73年,74年に,イギリス,フランス,西ドイツで大幅なプラスで,アメリカも小幅ながらプラスが続いた。この事実から,前回は企業が石油価格引上げの負担をより多く担い,また,それが設備投資の落ちこみ等の一因どなったとみられている。今回の場合,実質賃金ギャップが,79年は,これらの国々で4四半期を通じてみればほぼマイナスないしゼロで推移したが,その後アメリカは,80年,81年を通じてみてマイナスで推移し,西ドイツ,フランス,イギリスは,80年にプラスとなったが,81年には再び低下してきている。また,プラスとなった場合も,前回の水準と比較してより低いものとなっている。このため,今回の石油価格の上昇が続いた79年から81年までの約3年間の石油価格上昇がもたらした負担は家計と企業ではほぼ均等であったといえよう。
このように,前回が企業の負担が大きかったとされたのに対し,今回は前回に比して家計の負担が相対的により大きくなったかたちで推移したということができよう。
前回に比べ雇用者ないし家計の負担が相対的により大きくなったことに加え,景気停滞の長期化,失業の大幅増をみているため,家計の消費行動は前回に比較して慎重なものとなった。この結果,個人消費は景気回復を主導するような強い動きなみせなかった(第2-4-2図)。これには,①前回は実質個人可処分所得が,74年に低迷したものの,75年以降力強い増大を続けた国が多かったのに対し,今回は,79年には増加しているものの,80年以降実質個人可処分所得は減少ないし小幅な増加に留まる国が多くなったことによる(第2-4-3図)。②貯蓄率の動きからみると,前回は74年に,石油危機という初めての経験に対する不安による買控えから,貯蓄が増加したが,その後75年から77年頃まで,積極的な消費態度を反映して減少を続けた国が多い。これに対し,今回は貯蓄率が低下した時もあったが,イギリス(80,81年)を除いて,アメリカ,西ドイツ,カナダ等上昇に転じており,総じてみれば今回は上昇傾向を維持している。さらに③前回は,景気が早期に回復に向い,雇用も再び拡大するなど,将来に対する家計の信頼感が改善されていったとみられる。今回は,79年中に,総じて欧米主要国の景気は,なお良好な情勢にあり,雇用も悪化していなかったが,80年後半以降は景気の長期停滞化による雇用調整の急激な進行,賃上げの小幅化,将来不安の増大等が,大きく消費行動に影響を与えているためとみられる。
第2-4-4図 第1次,第2次石油危機後の主要国の実質住宅投資の動き
さらに家計の住宅投資の動きについてみると,消費支出の動き以上に,今回は,不振を続けた。特にアメリカ,イギリス等が著しい(第2-4-4図)。これは,本章第2節でみたように,住宅抵当金利の高騰の他,住宅価格の上昇,実質所得の伸び悩み,若年世帯住宅保有の一巡等によるものである。
すでにみたように,今回石油危機においては,前回よりも企業の負担は小さかったことや循環的な上昇局面にあったこと等が,79年の投資等の落ち込みを防いだ原因とされた。しかし80年以降の投資行動は,基本的に家計と同様に,消極的であったといえよう。
設備投資の動きをみると( 第2-4-5図 ),前回は74,75年に急速に減少した後,総じて大幅な増加がみられたのに対し,今回は,アメリカで80年から81年にかけやや盛り返したものの,総じて大幅な減少が続いた。
設備投資の長期的な推移についてみれば,後出の第3-3-2表が示すように,各国とも総じて,60年代,70年代と伸びが鈍化した。70年代の鈍化は特に第1次石油危機発生時に大幅に鈍化したためである。76年頃からアメリカ,西ドイツ,フランス,イギリス等で稼働率の上昇,利潤率の再上昇に伴い,再び増加し,80年初め頃までその勢が続いた(第2-4-6図)。このため第1次石油危機後の企業サイドの調整は西ヨーロッパ主要国も78,79年には終了したとみられていた。
この間の設備投資の内容をみると,アメリカは,79年まで,能力拡大投資が伸びたのに対し,更新投資のウェイトが低下したが,その後80年,81年と再びウェイトが増加している。西ドイツも,80年頃まで能力拡大投資が増加し,合理化,更新投資が減少した。しかし81年には再び合理化投資が増加している。フランスもほぼ同様な傾向を示している。
以上のように今回の石油価格上昇後も拡大を続げて設備投資は,80年春以降は減少し,その後は前回と異なってその不振が長期化した。この間に雇用調整も本格化し,稼働率も急速に低下してきた,しかし,82年に入る頃から,各国総じて,企業収益の改善がわずかながら進行している。もっともその水準は,前回設備投資拡張期の水準に比較してなお依然として低い。今後設備投資が回復,増加するかどうかは,需要面の回復,引締政策の行方,実質高金利の是正等にかかるとみられるが,利益や稼働率の水準等からのみみれば,いま一層の調整過程を要するものとみられる。
以上第2次石油危機発生後の,欧米主要国の家計,企業の対応をみてきた。以下では,この対応の結果を含めて,石油価格の引上げが主要先進国のマクロ的生産能力の伸び率をどのように変化させたかをみることとする。
最初に,第1次石油危機後石油関係価格が,各国内でどのように推移したかを整理すれば次のようになる。①原油及びガソリン等石油製品の卸売価格は,各国とも74年,80年,81年と相当大幅主昇をみたが,主昇率は74年の方が高かった(第2-4-7図)。しかし前回は75年から78年にかけては,ガソリン価格の上昇率が卸売物価総平均の上昇率よりも低下した国もあった(西ドイツ,イギリスが低下しており,大幅上昇を続けた筆頭はカナダで,小幅上昇を続けたのはフランスである)。②ガソリン等の消費者物価の動きについても総じて同様のことがいえるが,上昇率は,前回,今回とも卸売物価のそれらよりも低く,しかも前回と今回がほぼ同じ上昇率となっている。
このような第1次石油危機後の各国エネルギー相対価格の上昇は,各国価格体系の変化を通して,すでにみたように家計,企業行動を変化させ,その結果,各国全体のエネルギー消費,投入構造をも変化させた(消費構造については後出第2-5-1図参照)。そこで資本,労働に加えエネルギーが各国の生産能力の伸び率に与えた影響を,実現された投資等をベースにした生産関数を推計してみてみると(第2-4-1表),いずれの国も,74~80年の生産能力の伸び率が62~73年に比べ0.5%~2%ポイント程度低下した。
この推計は一つの試みでしかないが,各国で推計されているものとほぼ同じ数字がえられている。
各国の現実の成長率を要素寄与別に分解してみると次のようなことが分る(第2-4-8図)。①アメリカでは,70年代,第1次石油危機発生前後を通じて,労働力が成長率を高めた度合が他国に比較してかなり大きいが,また,技術進歩,産業構造の変化等の全要素生産性の寄与度,資本の寄与度は他国に比較して大きくないといえよう。また,エネルギー価格の上昇は,先にみた国内石油関係価格の変化を反映して特に第2次石油危機後から,毎年成長率を引下げる大きな要素となっている。②西ドイツは,第1次石油危機後資本の寄与度が大きく,また全要素生産性の寄与も大きい。そして,エネルギーは,ほぼ75年から78年までプラス要因であったが,79年以降マイナス要因となった。これは西ドイツの省エネルギー努力の必要性が第2次石油危機後本格的に認識されるようになったことと符合するものである。③フランスも資本の寄与が大きく,また全要素生産性の寄与が,西ドイツ,イギリスとともに大きい。④イギリスは,第1次石油危機後,資本,労働ともに寄与度が小さくなっている。⑤カナダは,労働と資本の寄与度が大きいが,エネルギーは73年以降ほぼ毎年大きなマイナス要因となっている。
これら各国の今後の生産能力の行方は,すでに述べたように,当然ながらこれからの石油をはじめとするエネルギー価格の動向,資本ストックの伸び,労働力供給の伸び等にかかっている。しかもこれは,一国経済の成長能力の生産ないし供給サイドからみた場合の要因であり,需要サイドの適切,十分な対応があって初めて,現実的可能性が与えられるものである。