昭和57年

年次世界経済報告

回復への道を求める世界経済 

昭和57年12月24日

経済企画庁


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第2章 長期化する欧米先進国経済の調整過程

第3節 イギリス,アメリカ,フランスにおける新政策の展開

先進国のスタグフレーション体質を改善し,その経済を再活性化することを目指した中長期的な政策がとられているのも,今回の政策対応の特色の一つである。その内容は国別にかなり異なっているが(とくに81年以降のフランス),①公共部門縮小のための支出削減,合理化,公営企業の民営化,②競争を強化し,民間部門の活力を引き出すための公的規制,介入の緩和,市場価格メカニズムの作動する領域の拡大策,③貯蓄,設備投資,労働供給を高め,生産性を上昇させるための企業・個人減税,④インフレ抑制を図るためマネー・サプライの安定的供給管理を行う。⑤賃金決定についても,所得政策などをとらずに市場決定にまかせるなどの措置が講じられた。

こうした新しい政策パッケージは,以下に示すようにイギリス,アメリカを中心に推進され,また,これらの民間市場調整機能を重視するものとは逆に,政府イニシアティブを重視し,中味も異なるが,フランスでも独自の政策が展開されている。

1. イギリスの経済政策

イギリスでは,79年5月以来,サッチャー政権によって経済再生のための新政策パッケージがほぼ一貫して実施されている。景気面では回復の遅れがみられ,失業の増加が続いているものの,インフレ率や賃金上昇率は明確に鈍化するなど,短期的な目標はすでに達成されつつあるとみられている。

(政策の概要と展開)

サッチャー政権の経済政策は,民間経済の活力回復をテコにイギリス経済を長期停滞から脱却させることをそのねらいとしている。これを実現するために,①手取所得分の増加による労働インセンティヴの強化,②国家介入の縮小,③公共部門赤字幅の削減,④労使双方による責任ある賃金交渉の4つを基本方針として,当面はインフレ抑制を,中長期的には供給面の強化をはかろうとするものである。こうした政策は,考え方においても,アプローチの方法においても従来の政策とは全く異なった新しいパッケージであった。

この新政策は,79年度予算案(79年6月発表)ではじめて具体化され,その後の3回の予算案で若干手直しを加えながらも,基本的には当初の計画が堅持されている。当初計画の主内容とその後の展開については,第2-3-1表の通りである。

過去4年にわたる政策展開の中で,当初計画はこのように徐々に変貌を遂げているが,それは主として,経済の実状にあわせて計画を弾力化したものであり,基本的な考え方や方向の修正を意味しないとされている。

政策展開のうち特徴的な点をあげると,第1は,当面の最優先課題とされたインフレ抑制についても,80年度以降は,「中期財政金融戦略」という新方式によって,単年度ではなく3~4年にわたる中期的計画として提示されるようになったことである。この「中期財政金融戦略」は従来,1年毎にきめられたマネー・サプライの伸びの目標値を,数年にわたって漸次低下させる方式に変えると同時に,これと整合的な公共部門借入れ所要額(PSBR)の削減目標を示すものである。そうしてこの目標値は,経済の実状と実績を考慮して年々改訂されており,たとえば82年度のマネー・サプライ目標値は前年度計画の5~9%から8~12%へ上方改訂され,PSBRの対GDP比も3 1 / 4 %から3 1 / 2 %に正されている。

第2の特徴は,インフレ抑制を当初はマネー・サプライ(ポンド建てM3)の伸びの抑制を中心として実施してきたが,しだいにその他の指標についても考慮することとされ,82年度からは従来のポンド建てM3に加えて,より狭義の指標であるM2および最も広義の指標PSL2を中間目標とすることになった(注)。これは当初政府が前提としていたマネー・サプライ(ポンド建てM3)とインフレ率の間の直接的関係は,短期的には必ずしも成立せず,したがって,マネー・サプライの指標と名目所得の関係はその他多くの要因(たとえば,為替レートのうごき,金利の水準と構造,貯蓄行動の変化,金利と財政政策間のバランス,その他制度的要因)によって影響されると考えられるようになったことを反映したものである。

(新政策の実績)

サッチャー政権の新政策は,すでに3年以上にわたって実施されており,ある程度の成果も出はじめている。

その第1は,インフレの鎮静化である。80年春に再び20%台にのせた消費者物価上昇率(前年同月比)は,その後鈍化傾向に転じ,82年10月現在6.8%まで低下した。これは現政権発足時の水準10.1%をはるかに下回っているばかりでなく,10年来の低水準であり,OECD平均をも下回っている。

この消費者物価上昇率の鈍化は,81年夏頃までは,主として,①付加価値税引上げの影響の一巡,②ポンド相場の上昇や一次産品価格の低落による輸入物価,原燃料卸売物価の落着きによるものであった。その後さらに景気後退が深刻化する中で,③値下げ,マージン幅の縮小,④賃金上昇率の鈍化がすすみ,ぞうして82年に入ってからは,①生産性低下が下げどまり,若干の回復がみられるようになったこと,②住宅ローン金利がさらに低下し,また,③好天などによる季節性食品の大幅値下りなどから一段と鎮静化がすすみ,政府見通しを上回る改善となった。政府の消費者物価上昇率見通しは82年10~12月期について当初の9%から6%に下方修正され,さらに83年4~6月期には5%に低下するとしている。

政府が光初インフ抑制手段の中心としたマネー・サプライの伸びは,制度面の改正(いわゆるコルセット制の撤廃,80年6月)や公務員ストによる徴税の遅れなど不規則要因もあって,政府目標を大幅に上回った時期が長く,目標内におさまるようになったのは,ようやく82年に入ってからのことであった(第2-3-1図)。また,公共部門借入れ所要額の削減についても,景気悪化により歳出の抑制が予定どおりにすすまず,歳入も,とくに81年4~9月には公務員ストの後遺症による徴税のおくれなどもあって大幅赤字(100.5億ポンド)となった。しかし,その後は赤字幅縮小が急速にすすみ,81年度全体の赤字幅は87.5億ポンドと計画(105.7億ポンド)を下回った。

このよう(こマネー・サプライの管理,公共部門赤字削減については当初の計画どおりとはいえないが,政府の引締めスタンスの堅持は,海外高金利とも相まって,金利の相対的高水準の下で不況を長びかせたという見方もあり,とくに利潤率や賃金の上昇を抑制した。これはまた,金利を高水準に維持してポンド相場の低下を防ぎ輸入価格の上昇をおさえたほか,インフレ期待の高まりを防止するなど,間接的ながらインフレ鎮静化の大きな要因となった。

第2は,賃金上昇率の鈍化である。平均賃金収入の伸び(前年同期比上昇率)は,80年秋には26%強と消費者物価上昇率を上回る大幅なものとなったが,その後は鈍化傾向に転じており,82年8月現在7.8%となった。80年秋までの急上昇は,主として,公共部門におげる官民賃金格差是正のための大幅賃上げによるものであり,民間部門でば景気悪化と失業増を反映して賃上げ率はすでに急速に小幅化していた。その後は,公共部門でも人件費総額について支払上限をより厳しくし(いわゆるキャッシュ・リミット,81年度6%,82年度4%)ており,このため81,82年とも公務員ストが春から夏にかけて続発した。しかし,最終的にはそれぞれ平均7.5%および約7%の上昇となり,人員削減によってほぼ上の限度に近いところにおさまっているとみられる。

供給サイドの改善についても第2-3-1表にみられるような,多面的な措置が着々と実施されている。これらは,もともと中長期的な課題であり,その効果も短期間には現われにくい性格のものであるが,部分的には改善のきざしもいくらか芽ばえている。第1は,経済活動における政府部門ウエイトが部分的ながら縮小を示していることである。たとえば,政府支出の対GNP比は,景気悪化を反映してむしろかなりの上昇を示しているが,固定投資に占める政府比率は明白に低下している(第2-3-2表)。第2は,労働インセンティブの回復の一環としての個人減税が,81年度には見送られたが,82年度は物価上昇率を上回る調整が実施された。ただし,実際には賃上げ率が小幅化したことなどから,実質可処分所得は81年2.3%減,82年1~3月期2.4%減(前年同期比)と低下傾向を続げている。第3は,雇用者数の減少を主として反映したものであるが,生産性の改善が過去1年以上つづいており,これが最近の利潤の回復にもつながっていることである(82年上期の実質利益率は4%,北海関連企業を除く。前年は同3%)。

こうした成果の反面,実質GDPは80~81年の2年連続して低下し,鉱工業生産の落ち込みも大きかった。また,倒産件数も81年以降急増し,失業率は戦後最高を記録するなど(第2-3-2表),イギリス経済は第1次石油危機後を上回る不況を経験した。このように不況が深刻化したのは,相対的な高金利の持続や財政面で積極的な景気支持がなされなかったためであるという見方もあり,このため,産業界,労組等から財政支出拡大による景気対策の要望がなされてきた。しかし,政府は現在の失業増は国際競争力の弱さに起因するとして,産業コストの低減を重視した政策を引続きとることとしている。

(今後の見通し)

物価,賃金面ですでに目に見える改善をもたらしていることは,サッチャー政権の経済政策に対する評価をかなり高めており,政府もその経済運営に自信を深めている。たしかに,インフレ率の鈍化は経済の正常化のうえで好影響をもたらしているといえよう。

しかし,このインフレ鎮静化も,労組側の賃上げ要求の高まりなどをみると必ずしも定着したとはいえない面もあり,とくに現在の高失業に対処する要請も強い。また,供給サイドの改善についてはまだ緒についたばかりで今後の動向が注目されている。

2. アメリカの経済政策

(レーガン経済政策の概要と展開)

レーガン政権は,1981年2月に経済政策の大幅な転換を内容とした「経済再生計画」を発表し,その後若干の修正が行なわれたが,ほぼ計画に沿って政策が展開されている(第2-3-3表)。

計画の重要な柱は,①歳出の伸びの大幅抑制,②多年度にわたる大規模減税,③政府規制の緩和,④安定的な金融政策の4つから成っている。これらの政策は,生産性を高め,インフレ率を低下させることを目的としたもので,次のような特徴をもっている。

その第1は,金融引締政策に供給重視の財政政策を組み合わせた諸政策のパッケージとなっていることである。通貨供給管理重視の金融政策によって,名目需要の伸びを抑制し,インフレ期待の鎮静化を図ると同時に,減税,歳出抑制からなる財政政策と政府規制緩和によって,労働供給,貯蓄,投資を刺激し,生産性の向上を図るというものである。

第2の特徴は,長期的視点に立った安定的政策になっていることである。

裁量的な需要調整により景気安定化を図るというこれまでの総需要管理政策に代えて,長期的視点に立って,安定的かつ抑制的に通貨供給を管理するとともに,多年度にわたる減税計画を実施するというものである。

つぎに,当初計画とその後の具体的な政策展開とを対比してみると,以下のように整理できよう。

(1)歳出の伸びの大幅抑制

計画では,歳出の伸びをこれまでの平均16%(79~81年度)の半分以下に抑え,歳出のGNPに占める比率も81年度の23.0%から84年度19.3%に引下げることとしていた。このため国防費(実質9%程度の伸び)以外の支出を大幅に削減し,84年度に財政均衡を達成することを見込んでいた(第2-3-4表)。

その後の歳出削減の具体的な進展をみると,①81年8月に成立した「1981年一括調整法」によって,国防費以外の支出が82~84年度の3年間で計1,306億ドル削減された。②82年2月に発表された83年度政府予算案では,これまでの方向と同様に国防費以外の支出が抑制され,行政費など裁量的経費やエンタイトルメントを含め,83~85年度で計1,797億ドル削減が提案された。

③これまでのところ82年8月に成立した「83年度予算に関する一括調整法」によって農産物価格補助の削減を中心とした83~85年度137億ドルが削減されたほか,同月「財政節度に関する法」によって,保健福祉関係のエンタイトルメント支出が83~85年度計175億ドル削減された。

しかし,財政支出の前提となる失業率,金利見通しが低目であったこともあって,歳出の伸びを大幅に抑制できなかった。歳出のGNPに占める比率は,82年度24.0%へと上昇し,計画の21.8%を大きく上回った。また,財政赤字も81年度579億ドルから82年度1,107億ドルへと拡大し,84年度均衡という当初見通しの達成が不可能になった(第2-3-4表)。

(2)多年度にわたる大幅減税

個人減税と企業減税については,若干の修正が加えられたが,大筋は当初計画の考え方が「1981年経済再生租税法」として成立した。

個人減税の主体は,限界所得税率の一律引き下げで,81年10月に5%,82年7月に更に10%,83年7月に更に10%引き下げ,加えて85年以降は物価スライドによる自動的な調整を実施することが決定された。当初計画では,一律10%減税を3年連続(いずれも7月実施)で計30%の減税を予定しており,減税幅,実施時期の点で減税規模が若干修正されたことになる。一部にはこの減税規模の縮小が今回の景気後退の原因であるとする見方がある。

一方,企業減税は,減価償却の加速化,簡素化及び投資税額控除の適用拡大(いずれも81年1月遡及実施)等の投資促進策が主体となっている。

これらの減税幅は82~84年度で,個人減税が2,229億ドル,企業減税が581億ドル,合計2,810億ドルに上る大規模なもので,歳出削減規模を大幅に上回っている。

しかし,急速に拡大しつつある財政赤字に対処するため,利子配当所得の10%源泉課税,たばこ消費税の倍増,電話利用税の3倍増等を内容とした「82年税負担の公正に関する法」が82年8月成立した。これにより83~85年度983億ドルの増税になるが,その8割が不公正税制の是正に伴うものとされており,レーガン経済政策の基本である個人所得減税は変更されなかった。

(3)政府規制の緩和

すべての行政機関における規制活動を再検討する方策が打ち出され,政権発足後1年間で2,893件の規制条項が監査対象になった。これまで実施された主な規制緩和措置は次の通りであるが,なかでも重要かつ効果をもったのが国産原油価格統制の即時撤廃で,これにより,この10年間で初めて国産原油生産が増加したほか,世界的な需給緩和の進展に支えられて石油,ガソリン価格が低下した。

    ① 国産原油価格規制の即時完全撤廃

    ② 賃金・物価ガイドラインの廃止

    ③ 自動車関係環境・安全規制の緩和

    ④ 鉄鋼業の大気汚染規制緩和

    ⑤ 少額貯蓄証券(2.5年,4年物)の金利自由化

    ⑥ 放送事業の認可等に関する規制の緩和

    ⑦ 商業銀行,貯蓄金融機関の業務拡大(金利自由化預金の認可等)

(4)安定的な金融政策

政府は,通貨供給量の伸びを抑制的,安定的に調節する連邦準備制度理事会の金融政策を支持し,計画では1986年までに通貨供給量の伸び率を1980年(M1,6.7%)に比べ半減させることを期待していた。

連銀はマネー・サプライM1lの目標値を81年3.5~6.0%,82年2.5~5.5%と設定し,その実績値は81年2.3%,82年も基調的には目標の上限値近辺を推移した。しかし,83年の暫定目標値は82年と同じもので,計画の考え方よりも僅か過大気味になっている。

(計画のシナリオと実績の比較)

レーガン政策は持続的成長とインフレ抑制を同時に達成することを狙いとし,計画の長期シナリオでは,82年以降4~5%の経済成長率と86年の消費者物価上昇率4.2%を見込んでいた。しかし,81年央から始まった景気後退が長びき,82年の実質GNP,失業率が計画よりも大幅に悪化したのに対し,インフレ率は予想以上に改善した(第2-3-5表)。

このように計画のシナリオと実績値がかい離した要因として,次のような点が指摘されよう。

その第1は,金利が計画の想定したように低下しなかったことである。計画では短期金利(財務省証券3か月物)が81年11.1%,82年8.9%へ低下するとみていたが,連銀のマネー・サプライ重視の政策の下で,短期金利は81年14.1%,82年前半12.6%と高水準で推移し,8月以降になって8%前後へと低下した。加えて,予想財政赤字の拡大から実質の長期金利が高水準(Aaa社債利回り実質6~8%)で推移した。これが乗用車販売,住宅着工の回復テンポを遅らせ,民間投資の不振を長びかせた最大の原因となった。この高水準の実質長期金利をもたらした予想財政赤字拡大の要因は,①景気後退,インフレ率低下による財政収支見通しの悪化(82年度の財政赤字は1,107億ドルヘ倍増),②加えて多年度にわたる大幅減税が成立したこと,③軍備増強の長期的方針を堅持していること,④歳出削減規模が減税規模よりも小さいことに加えて,毎年の予算審議によって歳出削減額が左右され,将来の歳出削減を実現する上で,不確実性が残ること等である。

その第2は,供給重視の考え方である減税→貯蓄増加→設備投資促進→生産性向上→経済の再活性化の兆しが現われていないことである。この効果は元来長期的なもので,これを評価するには時期尚早とみられるが,個人貯蓄率が減税前の6.5%(81年7~9月期)に比べ,第2回目の個人減税が実施された82年7~9月期に7.0%へと僅かの上昇にとどまったほか,高金利,低稼働率の状況下で,設備投資が減少を続けている。

一方,インフレ率が計画のシナリオを下回り,急速に低下した。当初計画では,消費者物価上昇率が81年11.1%,82年8.3%を見込んでいたが,実績値は81年10.3%,82年前半7.2%,さらに10月には5.1%へと低下した。これは,石油価格,食料価格の安定に加え,景気後退の影響から第2次石油危機後10%も上昇していた基調的インフレ率(食料,エネルギー,金利を除いたもの)が82年央に6%程度へ低下したことによる。特に基調的インフレ率を左右する賃金上昇率が低下しており,82年上半期の賃金改訂が過去のインフレ率を下回る7%前後で妥結したことが注目される点である。

(今後の課題)

レーガン経済政策は,景気後退の進行,失業の増加,ドル高による海外経済に対する悪影響など多くのマイナス面を伴ったが,最優先課題であったインフレ抑制の面で最大の成果を収めたといえる。

今後アメリカ経済が自律的に回復するためには,高金利の一層の是正が必要であり,特に実質の長期金利の動向がそのカギを握っている。この実質長期金利の動向を左右している最大の要因が将来の予想財政赤字の増加である。82年度の財政赤字は景気後退の影響をうけて拡大したという循環的要素が大きかったが,今後は大規模減税などに伴う構造的な要素が加わるため,財政赤字が拡大する懸念があることである。このため,財政赤字をいかに縮小できるかが,従来以上に大きな課題となっている。

財政赤字が今後も大幅であれば,高金利是正が進まず民間設備投資が抑制される懸念が大きくなる。今後の財政赤字の動向がレーガン経済政策の供給重視の考え方である貯蓄増加,設備投資促進,生産性向上によるアメリカ経済の再活性化の成否を左右するとみられており,今後における政府の歳出削減に対する取組みや議会における審議動向が注目されている。

なお,増大する当面の失業にどう対応していくか,また,81年にさらに拡大したという貧困層等社会的弱者にどう対応していくか今後の課題として残されている。

3. フランスの経済政策

(経済政策の概要とその展開)

81年5月に成立したミッテラン政権は,公共部門の拡大,権限の分散化,企業運営の民主化等により,フランスに存する所得偏在等の不平等を是正し,国民的連帯を強化することを通して経済社会の構造改革を行なうことをめざしている。

ミッテラン政権は経済政策運営においては,次の3つを最重視してきたといえよう。第1に悪化の一途をたどっている失業の増加を抑制すること,第2に企業の革新的投資を促進し,フランスの産業による国内市場の奪回と国際競争力の強化をはかること,第3に税制改革や地方分権化により社会的不平等を是正し国民の連帯を強化することである。これらの目標を達成するために社会党政権は矢継早に新しい政策を打ち出している。まず第1の失業問題に対処するため,金融財政両面から大規模な景気刺激策がとられた。金融面では直接貸出規制枠の拡大,マネー・サプライ伸び率目標値の引上げ(81年10%,82年12.5~13.5%)等の量的緩和を図ったほか,財政面では積極的大型予算(82年度歳出の伸びは前年比27.7%増)を組み,公務員の増員,公共投資の拡大,社会保障給付の引上げ等を実施した。また労働政策面からは週労働時間の短縮,有給休暇の拡大,退職年令の引下げ等のワークシェアリング政策を公約通り実施した。

産業政策面でとられた措置のうち最も重要なものは企業,銀行の国有化である。82年の国有化の実施によりフランスの製造業売上げに占める国有企業のシェアは18%から32%へ上昇し,国有銀行の預金シェアもほぼ90%となった。

社会政策面では税制の改革(富裕税の導入など),地分分権化の推進,労働者の職場における権利と役割の引上げ等による社会的不平等の是正等の措置がとられた(第2-3-6表)。

(新経済政策の影響)

こうした政策はOECD諸国の中で最も所得間格差が著しいといわれるフランスの分配構造の是正には役立ったとみられるが,国内的にはインフレの高進,財政赤字の拡大,対外的には貿易赤字の急増,フラン切下げなど経済情勢の悪化を招く結果となった(第2-3-7表)。社会党政権成立後経済情勢が大幅に悪化した要因としては,世界経済全体がほぼ同時停滞の状態にあることも一因であるが,政府がフランスの経済体質を過信し,雇用の拡大を急ぐあまり,急激な社会改革を実現しようとした面が大きいとみられる。政府は失業の増加を食い止めるには雇用の増加が82~83年で40~50万人程度必要であり,これを達成するには同期間の経済成長率として3%以上を想定していた。景気は81年央以降,社会保障給付の大幅増額,最低賃金の引上げ等により個人消費主導型で上昇に転じたものの,その後設備投資,輸出の低迷から景気の回復力はきわめて弱い(81年の経済成長率は0.3%,82~83年にかけても1~2%前後の低成長が見込まれている)。個人消費の増加は設備投資を誘発するとの政権の当初の想定はくずれ,逆に貿易収支赤字の拡大とインフレの加速をもたらすこととなった。すなわち自動車,家電製品を中心に耐久消費財は国際競争力が弱く消費拡大が輸入の増大に結びつき,為替相場の下落とも相まって貿易収支の赤字が急増した。貿易収支赤字は82年1~10月期で793億フランに達し81年同期比2倍以上となっている(81年同期は330億フラン)。一方インフレ高騰の背景には消費需要拡大措置,減産,為替相場の下落および労働時間短縮等に伴なう企業コストの上昇などがあった。

(軌道修正された経済政策)

経済情勢の悪化や度重なるフラン危機の発生などから,政府は82年に入り,次第に積極的なリフレ政策からインフレ,国際収支重視型の政策へ軌道修正をはじめた。3月にミッテラン大統領が83年の財政赤字を名目GDPの3%以内に抑制する方針を表明するなど,政策転換が漸進的に行なわれてきた。特に2度目のフラン切下げの付随措置として,6月に賃金物価凍結措置を中心とする一連の経済緊縮プログラムを発表し,政府の経済政策の修正を明確に示した。さらに83年度予算案の歳出の前年比伸び率を11.8%と82年度の27.7%から大幅に鈍化させ,財政赤字の拡大に歯止めをかけたことにみられるように財政面でも一層の緊縮策を打ち出している。

一連の緊縮策の実施後,インフレ率は10月には一桁へ低下するなど一部には明るい兆しもみえている。しかし貿易収支の悪化,フラン相場の下落,外貨準備の急減等が続き,フラン防衛のための対外直接借入や緊急貿易収支赤字縮小対策などが発表されるなど,フランスの経済政策運営は依然厳しい状況が続いている。また,貿易収支改善のためにとられた緊急措置は保護主義的色彩のきわめて強いものであり,国際的にも大きな問題をひき起こしている。

(今後の問題点)

フランスの新しい経済政策運営は,大きな試練を迎えている。とりわけ賃金物価凍結解除後,政府のガイドライン方式により労組,産業界双方の賃上げ,及び物価引上げをいかに緩やかなものに抑制できるかが当面の最大の課題となろう。今後ミッテラン政権が,①支持基盤である労働組合のコンセンサスを得ること,②斉合性のある政策を継続して左翼政権の経済政策に対する産業界の不安を払拭すること,③財政赤字の抑制,大幅賃上げの抑制等によりフランスのインフレ体質を改善することに成功し,新規設備投資による生産性の向上が図られれば,フランスの新政策が中期的には安定成長につながると,期待されている。