昭和57年
年次世界経済報告
回復への道を求める世界経済
昭和57年12月24日
経済企画庁
第2章 長期化する欧米先進国経済の調整過程
第1次石油危機後の政策展開をみると,初期には総じてインフレ抑制の観点から財政金融政策は引締められた。しかし,その後先進国の景気後退は予想以上に厳しいものとなり生産低下と失業増加が急テンポで進行し始めた74年秋頃から金融面での緩和,同年末から75年春にかけては西ドイツ,アメリカなどを中心に減税・公共投資計画等の財政刺激策がとられるなど国によって程度の差こそあれ政策は景気刺激型に大きく転換した。こうした政策の転換が戦後最大の不況からの脱出に大きく貢献した。
これに対し,第2次石油危機後の先進諸国の経済政策運営は前回のものとは大きく相違しており,景気が長期間にわたって停滞しているにもかかわらず,総じて引締め気味の政策がとられている(第2-2-1表)。こうした背景には,先進諸国が戦後一貫して採用してきた需要重視型の経済政策は短期的には不況からの脱出に貢献しえても,中期的にはスタグフレーション体質を根付かせる結果を招来したとの反省が強まっていることにある。したがって,アメリカ,イギリスを中心に当面の景気後退に対してもケインズ型の需要刺激策をとらずスタグフレーション体質からの脱却という中長期的課題を優先するようになっている。すなわち,アメリカでは81年以来レーガン政権によって歳出の削減及び供給面改善のための減税等の財政政策と通貨供給量抑制を中心とする厳しい金融引締め政策が続けられており,イギリスでも79年5月のサッチャー政権の成立以来民間市場機能を重視する金融財政の引締め政策が中期的目標に沿って実施されている。また,西ドイツをはじめとするその他先進諸国でも拡大の一途をたどる財政赤字を中期的に縮小させる政策をとっている上に,金融政策でもアメリカのポリシー・ミックスがもたらした高金利から大幅な緩和策がとれない状況が続いている。
以下,金融政策,財政政策について主要国での展開を述べるとともに,政策の背景,影響,問題点について検討しよう。
第2次石油危機後の主要先進国の金融政策はインフレを抑制し,持続的な経済成長を実現する前提を構築するとの観点から,マネー・サプライ抑制を重視する姿勢が強まっている。とりわけアメリカではマネー・サプライ抑制による金融引締政策が続けられていることから高金利が発生し,世界経済に大きな影響を及ぼしている。こうした動きは74~75年の世界的不況に際してとられた金融政策とは大きく異なっている。不況が深刻化し始めた74年末から75年にかけて,アメリカ,西ドイツなどの先進諸国は公定歩合を相次いで引き下げるなど積極的に金融緩和を進め,マネー・サプライを増加させた。しかし第2次石油危機後はアメリカ,イギリスを中心にマネー・サプライを厳しく抑制する政策が続げられ,マネー・サプライの増加目標値は79年から82年にかけて多くの国で前年並ないしはこれを若干下回る目標値が設定された(第2-2-2表)。
このようにマネー・サプライの管理がより重視されるようになった背景には,政策の効果はそもそも予め完全に予見することはできないにもかかわらず従来の裁量的微調整政策をとる場合,逆に景気の振幅を大きくしかねないとの考え方が強まったことがある。従来はマネー・サプライを増加させることは利子率を低下させると考えられてきたが,近年ではマネー・サプライの増加→期待物価上昇率の上昇→名目利子率の上昇という過程を通じて,利子率引下げをめざすマネー・サプライの増加はインフレ期待の変化を媒介として結局は利子率を上昇させてしまうとの主張が有力となっている。そしてマネー・サプライの増加率を一定に保つ政策運営が経済安定化のためには望ましいとする考えが一般的になっている。以下アメリカ,イギリスを中心に今回の金融政策の中心的手段となった各国のマネー・サプライ抑制政策をみてみよう。
アメリカでは従来のフェデラル・ファンド金利(以下FF金利と略す)を操作変数とするマネー・サプライ管理政策は,①インフレ高進期には適正な名目金利水準の設定が困難であること,②FF金利の目標圏の変更に対しては政治的圧力がかかることが多く連銀が適切な変更ができなかったこと等から,マネー・サプライの目標値を超過しがちであった。このため連銀は79年10月,日々の公開市場操作は,銀行準備の供給管理により重点を置くとともにFFレートの短期的な変動防止については従来ほどには重視しない新しい金融調節方式を発表し,マネー・サプライを一層厳しく抑制する政策を打ち出した。新政策の実施後金融市場では週毎に発表されるマネー・サプライ統計が従来以上に注目を集めるようになり,マネー・サプライが目標圏を突破して増大すれば,連銀の引締めが行なわれるとの予想が強まり金利の先高感を強めることとなった。
連銀のスタンスをみると80年4~6月期に一時的に緩和の姿勢がみられた他は引締め基調が続いている。連銀ぱカーター政権下の80年3月の信用規制実施を契機として発生した急速な景気後退に対し一時的に銀行準備を大量に供給し,金融緩和をはかった。因みに自由準備(非借入準備から法定準備を引いたもの)は80年4~6月期には1~3月期比25億ドル急増した(第2-2-1図)。
しかしこうした準備の大量供給による金融緩和はその後の80年後半にマネー・サプライの目標超過をもたらしたとの反省もあって,連銀は81年にかけて再び引締め姿勢を強め,新たな景気後退に入った81年7月以降も引締め基調が堅持された。このため81年のM1Bの伸び率は2.3%と連銀の設定した目標圏(3.5~6%)をかなり下回ることとなった。
82年に入って連銀は実際の政策運営に際しては景気動向等にも配慮した弾力的な運用の含みをもたせる向きがみられる。すなわち連銀は2月のマネー・サプライ目標値発表時にM1の目標値を一時的に上回ることを容認する一般的姿勢を示した。さらに現実の政策運営でも82年5月以降中小銀行,証券会社の倒産,メキシコの対外債務返済問題が発生し,しかもこれが一部大手商業銀行に不良債権増加という形で波及する事態などを背景に連銀は十分な準備供給を行なったほか(第2-2-1図),秋口以降のマネー・サプライの急増によってMlが目標圏の上限を突破しても,特殊的要因(注)によるとしてこれを容認する姿勢がみられる。
イギリスでは79年5月以降サッチャー政権の下でマネー・サプライ抑制を中心とする金融引締め策が一貫してとられている。サッチャー政権は最大の課題であるインフレ対策としてマネー・サプライ抑制を基本として,これを実現するために最低貸出金利(MLR)の大幅引上げ,公共部門借入れ所要額(PSBR)の縮小などをはかった。しかし,80年春頃から徐々にマネー・サプライを唯一の指標と考えず,ポンド相場,国内経済情勢などをにらみながら金融政策を弾力的に行なうようになっている。また81年8月には,公開市場操作への重点移行,最低貸出金利(MLR)の公表停止等の新しい金融市場調節方式を発表し,金利の弾力化の確保によりマネー・サプライをより効果的に抑制しようとしている。また82年度については名目GNPの伸び率見通し等を考慮して目標値が現実的水準に引上げられ(81年度6~10%→82年度8~12%),またマネー・サプライ指標として従来のポンド建M3にM1,PSL2(民間部門流動性)を加えた総合的判断が行なわれるようになっている。
西ドイツでは79年以降中央銀行通貨量の目標値を引き下げるなど,金融政策は基本的にはマネー・サプライを重視したインフレ抑制を指向してきた。
しかし西ドイツ連銀は厳格なマネー・サプライ管理をとらず,諸経済指標を総合的に判断して政策運営を行なってきた。82年に入ってからは,景気の長期停滞を考慮して債券の売戻条件付買いオペの実施や預金準備率の引下げなどにより,マネー・サプライを目標圏の上限近くで推移させる政策をとっている。
フランスではこれまで並べたアメリカ,イギリスとは異なった政策がとられている。すなわち81年5月に成立したミッテラン政権下では,前ジスカール政権下で重視されたマネー・サプライの抑制方針が後退し,むしろ景気,雇用対策を重視する観点からマネー・サプライ目標値を引上げるなど(81年10%→82年12.5~13.5%),金融政策は量的には緩和気味に運営されてきた。
以上のような今回の金融引締め政策の中で特徴的なのは,金利の急上昇をみたことである。
1980年代に入って景気停滞が長期化する中でアメリカを中心とする主要先進諸国の金利が急上昇した(第2-2-2図)。アメリカの名目金利をみると,短期金利は80年末から81年初にかけて及び81年央に急騰し,プライム・レートは最高時には21.5%(80年12月)に達した。また長期金利も81年央から82年初にかけて,30年物国債金利で14%台,最優良社債金利(Aaa)で15%台まで上昇した。
今回の金利高騰の大きな特微は実質金利(ここでは名目金利マイナス当期のインフレ率)が大幅なプラスとなっていることである(第2-2-3表)。70年代はインフレの加速に名目金利の上昇が遅れ実質金利はむしろマイナスとなることが多かった。しかし,80年代にはたとえばアメリカの長期の実質金利をAaa社債利回り(消費者物価前年同月比上昇率でデフレート)でみると80年末以降プラスに転じ,82年に入ってからは7~8%前後で推移している。アメリカの長期実質金利が5%を超す高水準となったのは戦後では,1949年に一時的にみられる(49年7月から10月にかけて5.2~5.6%)だけである。他の先進諸国をみても,インフレの高騰が続くイタリアでマイナスとなっているのを除けば,長期実質金利は2~3%台に高まっている。
こうした市中金利の上昇を反映して各国の公定歩合を中心とする政策金利も当然のことながら高水準で推移した。第1次石油危機後の不況期には公定歩合はアメリカ,西ドイツは,それぞれ5.5%,3.5%まで引下げられたのに対し,今回の場合は,ピーク時より下がったとはいえ82年11月現在で9.0%6.0%と景気後退下の水準としては歴史的にみて異常に高くなっている。
主要先進諸国で以上のような高金利が生じたのはどのような要因によるのであろうか。まずアメリカの場合は以下の要因が補完的に組み合わさることから生じたとみられる。第1は,連銀が厳しいマネー・サプライ抑制政策を続けていることである。また新金融調節方式へ移行して以来,金利の変動幅が拡大しそれが金利の先行きに関する不確実性を高め,リスクプレミアムを増大させたとみられる。
第2は,連邦政府の予想財政赤字が拡大したことである。金融市場関係者の多くはレーガン政権や議会の財政赤字抑制能力について不信を抱いており,景気回復が予想される83年以降も財政赤字は大幅なものになると予想している。すなわち83年度の連邦政府財政赤字は政府の公式見通しの,1,150億ドルにはおさまらず,政策の変更がない限り最低でも1,500億ドルに達し,84年度以降も巨額の赤字は続くとずる見方が多い。こうした赤字は後に詳しく述べるように減税や軍事費拡大による積極的な赤字(完全雇用赤字の拡大)によるところも大きい。したがって将来の財政赤字による資金需要の高まりが民間資金調達を困難化するとの予想が強まり金利水準を高めることになった。
第3は,金融市場の構造的変化に帰因するものである。その一つはアメリカの企業がインフレの高進,株価の低迷が顕著となった60年代後半以降資金調達を内部資金から外部資金ヘシフトさせており,しかも資金調達が短期化する傾向を強めたため企業の財務構成が悪化したことである。このため企業は長期金利に低下の兆しがみえると長期債を発行しようとするため長期金利は大幅に下がりにくくなっている。
もう一つはアメリカでは現在レギュレーションQなどの金利規制の撤廃が行なわれている結果,信用の割当て効果によって得られていた金融の引締め効果が従来以上に金利水準を押し上げることになったこどである。
一方,欧州諸国では第2次石油危機直後の79~80年を中心とした国内インフレ圧力の高まり,大幅財政赤字の継続などの国内要因を主因に金融引締めが行なわれ,その結果高金利が生じた。
しかし,81年以降も高水準の金利が続いているのはむしろ外的要因によるところが大きいとみられる。すなわち,後で述べる通り,アメリカの長期実質金利の上昇によりドル高欧州通貨安が生じ,一層の為替相場の下落を防止するために金融緩和策がとれずに,金利は高水準にとどまっている。加えてインフレは鈍化しているため実質金利が一層高まったとみられる。
アメリカの厳しい金融引締めと減税を柱とする供給面重視の財政政策が生む財政赤字がもたらした高金利は,世界経済に大きな影響を及ぼしている。
アメリカの高金利の影響を実体経済面,為替相場を中心とする国際金融面からみてみよう。
高水準の実質金利は,個人消費,設備,住宅投資を直接圧迫している他,間接的にも高金利がちたらしたドル高によって輸出を減少させるなど,アメリカ経済を景気後退に陥らせ,景気回復を遅らせている。従来のアメリカの景気循環パターンでは景気後退の末期になると金利が大幅に低下し,金利に敏感な自動車を中心とする耐久財の消費や住宅投資が増加し,景気回復の原動力となった。たとえば,住宅投資についてみると,金利の上昇が大きな影響を与えている(第2-2-4図)。73年から80年までの実質金利の平均値をとり,他の条件を同一にしてこれが81年以降も維持されたと仮定すると住宅投資は実績値よりもかなり高まる。こうした推計を耐久財消費についても試み,住宅投資と合算すると,82年4~6月期で実質GNPは467億ドル(72年価格)上乗せされ,その結果実質GNP成長率は5.1%(実績2.1%)へ高まる。このことからわかるように81年以降の高金利が耐久財消費,住宅投資を減少させた大きな要因であったとみられる。
また高金利は企業の財務体質を弱め企業倒産を80年中項から急増させている。アメリカの企業倒産件数を一万社当りでみると,82年は大恐慌時のピーク(1932年の154件)には遠く及ばないものの,33年の100件に次ぐ高水準に達するのは確実視されている( 第2-2-5図 )。
アメリカの実質金利高は他の諸国にも波及してデフレ圧力を及ぼしており,これに国内的要因も加わって先進諸国の景気は長期にわたって停滞し,失業,倒産が急増している。とりわけ西ドイツではアメリカの高金利に引きずられて生じた高金利が設備投資,住宅投資,個人消費等に影響を与え,景気は再び後退している。西ドイツの住宅投資は住宅抵当金利の高騰につれて持ち込みが顕著となった(第2-2-6図)。
さらに先進国経済に依存している発展途上国も先進国経済の長期停滞により,大きな苦境に立たされており,その意味ではアメリカの高金利は,間接的にしろ発展途上国の実体経済にも少なからぬ影響を及ぼしている。
ドルは第2-2-7図が示すように貿易量加重平均による実効為替レートでみると80年代に入り70年代の落込分を解消してなお余りある程の急上昇をし,80年7~9月期から82年7~9月期の上昇率は約40%に達した。こうしたドルの高騰の要因は,アメリカの高金利,経常収支黒字基調の持続,強固なインフレ抑制政策及び81年央以降の現実のインフレの鎮静化,さらに国際的な政治,軍事,経済情勢が不安定化する中でのアメリカの相対的安定性など多くの要因が介在したとみられる。
しかし基本的にはアメリカの実質長期金利高が最近のドル高の大きな要因となったとの見方もある。為替レートと長期金利差の関係を80年以降のドイツマルクの対ドルレートについてみると特に実質長期金利差と高い相関がみられる( 第2-2-8図 )。実質長期金利差は購買力平価説を前提とすれば,長期の金融資産の収益率差と考えられ,これが為替レートの決定に影響を及ぼしているとみられる。長期金利差と長期資本収支との相関はこれより弱く,長期金利差は実際の長期資本移動を通ずるほかに,為替レートの先行ぎに関する予想を変化させることによって為替レートを変化させているとみることができる。
ドルの高騰はアメリカの貿易収支を悪化させているだけではなく実体経済にもデフレ圧力を及ぼしている。ドル高はアメリカの輸入増,輸出減の両面から貿易収支を悪化させた。アメリカの場合は以下の理由により貿易収支悪化に与える影響は輸出の減少の方が輸入の増加より大きい。ドル高は輸入面では輸入数量を増大させる一方で輸入価格も低下させるため,輸入金額の増加ばそれ程大きくならない。しかし輸出面ではドル高により通常,数量減,価格低下を伴うので輸出金額の減少幅は大きくなる。連銀の分析によると,10%のドル高は輸入数量を9.6%増加させ,輸入価格を6%低下させるため(石油を除く)輸入金額は約3%の増加にとどまる。一方輸出は10%のドル高で数量5.2%減,価格6%低下となり(農産物を除く)輸出金額は約11%の減少となる。この結果80年7~9月期以降のドル高(試算は82年4~6月期まで)により,輸入は100億ドル以上増,輸出は350億ドル以上減となり貿易収支は450億ドル以上悪化するとみられている(1980年7~9月期から1983年末までの累積効果)。また輸出数量の減少,輸入数量の増加は当然のことながら実体経済にも影響を及ぼし,83年末までに80年7~9月期の実質GN Pの水準を1~1.5%程度押し下げるとみられる。
まず第1に,今回石油価格引上げ後のインフレ抑制ないし70年代から中期的かつ徐々た高まってきたインフレのすう勢を抑制するという観点からすれば,本章第5節でみるようにそのスピードは早くないとしても金融引締政策は一定の成果を収めつつあるといえよう。しかし,アメリカ,イギリスを中心にした,マネー・サプライ抑制重視の金融政策には,次のような問題点が指摘されている。
第1は,マネー・サプライというときの「マネー」をどう定義し,どの定義のマネーを供給管理の対象とするかである。これは,金融革命の進行する中では,絶えず生じてくる問題であり,アメリカのM1AはなくなりM1BがM1〔現金,当座預金(利付のものを含む)]として改称されたほか,イギリスでかつてのM3からポンド建M3に対象マネーが変更された後,さらに82年からは,これに加えて,PSL2,M1(三つの定義については,本章第3節脚註参照)が同時に目標とされることとなったこと等に示されるものである。これは,中長期的に同一マネーを基準とする安定性に欠け,この点からの政策に対する信頼性の低下する可能性がある。
第2ぱ,マネー・サプライ管理の実績をみると,アメリカでは中期的には目標内に収まったが,短期的には大幅な変動がみられたことである。80年以降のアメリカのM1の月次あるいは四半期毎の動きが大きく変動した。さらに,イギリスのポンド建M3の動きは短期的な変動に加え,80年,81年水準の目標を大幅に超過した(後出第2-3-1図参照)。この点に関連して,マネー・サプライの目標伸び率が,実質GNP成長率やインフレ見通し,通貨の回転率と十分に整合しているかどうか等その設定の方法等に対する批判,さらにはアメリカでのデータ通信技術の発達により準備預金制度が絶えず対象範囲を広げざるを得ないという問題もある。
そして徹底した管理ができないために,金利が変動し,リスクプレミアムが高まるという指摘がある。
第3に,アメリカでは1974年頃まで,通貨需要が安定していたが,その後通貨流通速度が早まりかつその短期的変動が大きくなっている。特に最近の81,82年の変化は大きい(第2-2-9図)。このため通貨需要が不安定化しているといわれる。
これらの批判に対して,イギリスでは,マネー・サプライだけでなく,その他の指標も総合的にモニターして政策運営を行なうようになっており,また西ドイツは,もともと,そのような運用を行なってきている。
アメリカでは,連邦準備銀行(FRB)が,管理の精度をあげるため,準備預金の同時積立方式を採用し,84年2月から実施することを決定している。しかし,操作目標の非借入準備から総準備への移行,公定歩合の変動金利制移行等は見送っている。
以上のように貨幣の定義の困難が増大し,しかも通貨需要が不安定となっている金融革命の下で,単に機械的なマネー・サプライ抑制を実施することは,様々の問題を生じさせる。
このためアメリカでは82年に入って特殊的要因によるマネー・サプライの目標を上回ることを是認しているのは,評価すべきであるとみられている。
最初に述べたように,インフレ抑制の観点からは,一応の成果をみつつあるにしても,今回の金融政策運営は,既にみたように,アメリカをはじめとする高金利を生み,先進国のみならず,世界経済の停滞の長期化の主な要因となった。今後の金融政策は,マネー・サプライ管理中心でいくとすれば,上にみたような様々の問題を克服する必要があるし,また何よりも財政政策とのバランスをとる必要がある。この点については,アメリカの政策に向けて,「財政を締めて,金融を緩めに」という指摘もあった。そして,インフレ抑制策として考えるとき,金融,財政以外の他の政策も現実には実施されていることも考慮すべきであろう。
第2次石油危機後の財政政策のスタンスは概ね財政赤字を中期的に縮小することが基本になっている。これは財政赤字の縮小はインフレ期待の鎮静化とともに持続的な景気回復の前提条件となるとの認識が強まってきているためである。
この背景には政府規模の拡大(その結果としての財政赤字の拡大)は,それに伴う租税負担率の高まり等により,貯蓄・投資意欲を阻害し経済の活力を低下させてきたとの考え方が有力になったことが挙げられる。特にアメリカやイギリスではこうした考えに基づいて経済政策が実施されたほか,その他の国でも,多くの財政諸問題をかかえ,多かれ少なかれ財政赤字の縮減を重視した。
各国の財政状況をみると,景気停滞に伴う税収の伸び悩みや財政支出の硬直化などのため財政赤字は縮小せず,むしろ拡大する国が多くなっている。現実の財政赤字の実績をみると,80~82年にかけてかなり大幅であるためその意味においては景気支持的に働いたとみられるが,財政赤字幅の一層の拡大による財政刺激策はかなり限定されたものとなった。特に第1次石油危機後の75~76年の財政赤字と比較するとその差は顕著である。第2-2-4表は各国の財政収支尻の増減を名目GNP比でみたものである。各国とも75年の場合,減税の実施や公共投資の大幅増加から歳出の伸びは名目GNPの伸びを大きく上回ったためこの比率は大幅に上昇したが今回の場合は逆に小さくなっている。たどえば,アメリカの比率は82年(上期,年率)で2.0%で,75年の3.7%を大きく下回っている。75年の3.7%は過去の不況期から回復期にあたる58年(2.8%),70年(2.1%)よりも大きく75年の財政刺激策がきわめて大規模であったことを示している。また景気循環要因を除去してみた場合でもOECDやIMF等で試算がなされているように概して各国とも財政は今回の方が緊縮的とみられる(第2-2-5表)。そうした傾向はイギリスが最も顕著であり,景気循環要因調整後の財政収支尻変化幅(対GDP比率)は80年1.0%,81年3.5%,82年1.1%(見通し)と緊縮化がみられる。
また,アメリカでも81年に登場したレーガン政権は歳出の抑制,多年度にわたる大規模減税を柱に財政赤字を年々縮小し,84年度には財政を均衡させる計画を打ち出すなど(第2-3-4表)財政緊縮化を目ざした。しかし,現実には大規模減税,軍事支出拡大がほぼ当初の計画通り実施された一方,経済の停滞,高金利の継続等の経済的要因による影響があり,また歳出削減が十分行なわれなかったため財政赤字は大幅に拡大した。景気循環要因調整後の連邦財政収支の動きを商務省試算の完全雇用予算(完全雇用水準における財政収支,完全雇用失業率は5.1%と想定されている)でみると,81年初より7~9月期までは黒字で推移したものの(81年1~3月期から7~9月期まで年率128億ドルの黒字),81年10~12月期以降は大幅赤字に転じており(81年10~12月期から82年4~6月期まで年率153億ドルの赤字),赤字幅は83年にかけてさらに拡大する見込みである。こうした拡張気味の財政政策はインフレ抑制政策を余りにも金融政策に偏重させる結果となり,後に述べるように高金利の大きな要因の一つとなった。
また,フランスでは81年央に成立した社会党政権は景気雇用重視の財政政策をとり財政赤字を拡大させた。しかし,この政策もインフレの高進,貿易収支の大幅悪化,フラン相場の急落などから82年央には緊縮型の財政に大きく軌道修正することとなった。
以上みてきたように財政は総じて,第2次石油危機後の景気対策としてもまた中長期的観点からみても,緊縮型を指向してきているが,ぞうした背後にある各国の財政赤字の悪化の現状,要因等についてやや長期的観点からみてみよう。
まず主要国の財政収支をみると60年代は均衡ないしは比較的小幅の赤字にとどまっていたが,70年代に入って以降赤字幅は拡大基調にある(第2-2-6表)。さらに,ここ数年間は赤字幅は急速に拡大し,中央政府の財政赤字は82~83年度にアメリカ,フランス,カナダ等の諸国で記録的水準に達することが確実視されている。財政赤字は単に絶対値だけではなく国民経済規模との比較でみても次第に拡大している(第2-2-10図)。例えば,アメリカの財政赤字のGNP比率は1950年代0.4%,60年代0.8%,70~74年1.2%,75~79年2.6%,80~84年2.8%(7月の年央経済見通しにより算出)となっている。もっとも赤字のGNP比率は増加基調にあるとはいえ,多くの国では75~76年度の最高値を下回っている。
財政赤字の拡大傾向は,地方政府を含めた公共部門全体についてもあてはまる。西ドイツ-,イギリス等では地方政府部門も赤字幅が大きいため,公共部門全体の赤字額は巨額に達する。なお,アメリカでは地方政府収支が黒字であるため,公共部門全体では赤字幅は中央政府に比べ縮小するものの,基調的には赤字幅は拡大傾向である。
こうした財政赤字の拡大は,第1次石油危機以降顕著となったが,これは,硬直的な支出の増大,及び景気の低迷による税収の伸び悩み等による。
歳出膨張の大きな要因となったのは社会保障関連支出である。社会保障関連支出について同一のベースで各国比較を行なうことは,各国の経費の区分法,予算への計上方法等が異なるため困難である。しかしながら,あえて各国中央政府の社会保障関連支出について極めて大まかな把え方をした上でその推移をみてみると,各国とも社会保障関連支出は70年前後から歳出の伸びを大幅に上回るようになり,70年代後半には増勢が強まった。
このため,近年では歳出に占める社会保障関連支出の割合は各国とも上昇してきており,また社会保障関連支出の対歳出増加与寄率も40~50%前後に達している(第2-2-7表)。こうした傾向は,アメリカの予算に最も端的に現われている。アメリカの社会保障関連支出は65年以降年率15%(歳出は年率11%)以上のテンポで増加し,歳出に占めるシェアも65年度の29.8%から81年度には52.6%へ上昇した。アメリカの場合,社会保障関連支出は,受給資格が法律で決定されているいわゆるエンタイトルメント計画が中心である。エンタイトルメント計画支出は71~81年度の歳出増加の実に51%を占めている(商務省資料による)。こうしたエンタイトルメント支出の多くは物価スライド制(インデクセーション)が行なわれており,70年代高進したインフレの影響により歳出は当然に増大を続けた。インデクセーションは63年より実施されたが,とりわけエンタイトルメント支出のうち最大の項目である年金(いわゆるsocialsecuritypayment)が75年以降物価スライド制となったことが歳出の自動的増加に拍車をかけることとなった。
また西ドイツ等の国でも人口構成の高年令化,失業の増大等を背景に社会保障支払の受益水準の引上げだけでなく,受給資格要件が緩和されたため社会保障関連支出は増加の一途となった。このため,最近でば多くの国で後述するように社会保障支出抑制の気運が高まりつつある。
国債利払費の増大も財政支出の硬直化要因となっている。財政赤字のファイナンスは大幅な増税が困難なため,大量の国債発行で賄われており各国の国債残高は巨額にのぼっている。また79年以降の世界的高金利もあって,各国の国債利払費は大幅に増加し,歳出に占める利払費の割合は73年から81年にかけ,アメリカ9.3%→12.6%(83年見通し14.6%),西ドイツ2.7%→7.3%,イギリス3.4%→7.7%など大幅に上昇してきている。
この他,石油危機以降各国とも民間企業,国営企業等に対し各種の補助金を拡大させており,これも財政支出の硬直化要因の一つとなっている。
近年の財政赤字の拡大は景気循環的要因に基づくものだけではなく,構造的赤字によるところが大きいとみられている。アメリカや西ドイツでは,いくつかの大きな前提の下でこうした構造的赤字の試算がなされている。たとえば西ドイツでは,76~81年(年平均)の公共部門全体の赤字のうち約7割が構造的なものであるとみられている(IFO経済研究所の試算)。また,アメリカの完全雇用赤字も長期的には拡大基調にあり,50~60年代の黒字から,70年代前半の75億ドル程度の赤字,さらに70年代後半約170億ドルへと拡大した(第2-2-11図)。
財政赤字の拡大は財政の景気調整機能としての自由裁量度を著しくせばめている他,近年ではインフレ,金利面などに対し大きな影響を及ぼすことが懸念されている。
財政支出が収入を上回り,財政赤字が発生すれば必然的にインフレに結びつくわげではなく,財政赤字をマネー・サプライの増加によってファイナンスしようとする場合にのみインフレの危険が増大する。多くの欧米主要国においては国債の中央銀行引受けは,法律上禁止されているか(アメリカ,西ドイツなど)あるいは慣行上行なわれていない(イギリス,フランスなど)。
しかしながら多量国債の累積に対し,買いオペレーションにより,貨幣化しようとする圧力が増大し,いわゆる財政インフレが生じた場合があった。例えばアメリカの場合,70年代中ごろまで財政赤字は連銀を通じて通貨増発となり,財政赤字拡大-連銀の国債保有増-インフレ高進というパターンをとったといえる。連邦債務の増加率を上回って通貨の増発が行なわれ,連銀の保有国債増加率は,連邦債務増加率を上回った。
しかし70年代央以降こうした国債の貨幣化が行なわれるケースは少なくなってきている。主要国の中央銀行の国債の保有額のシェアは,概して低下傾向にある。これは石油危機以降インフレ抑制が重視され,その手段としてマネー・サプライの抑制に重点が置かれるようになったことの反映でもある。もっとも公共部門の資金調達比率が6割近くに達するイタリアでは,依然中央銀行による国債の貨幣化が行なわれ,政府向信用の増大がマネー・サプライ増加の大きな要因で,これが高インフレの原因となった(第2-2-12図)。しかし,19}81年7月イタリアでは,緊急インフレ対策の一環として,イタリア銀行(中央銀行)による国債の市中公募残額分の引受けの停止が決定され,マネー・サプライの適切な管理を図るうえでの大きな障害がとり除かれた。
このように財政赤字がインフレに及ぼす影響は直接的には中央銀行の金融節度如何にかかっており,政府の財政節度を高めるためにも,国債の貨幣化を行なわずに中央銀行の自律性が維持されることが重要である。
なお,財政支出の拡大は,需給が逼迫している時にはインフレにつながりやすい側面をもっていることも否定できない。現にアメリカでは60年代後半のべトナム戦争遂行による支出の増大がインフレ促進の大きな要因の一つとなったと指摘されている。
近年大幅な財政赤字は,クラウディングアウトを引きおこし金利を上昇させるとの懸念が多くの諸国で強まっている。すなわち政府の財政赤字が拡大する中で,景気が回復に向かい民間資金需要が強まれば,特に民間の信用力の低い借り手は,金利上昇により市場から締め出されるとの考え方が金融市場で強まった。たとえばアメリカでは,国防費の大幅増額,大規模減税等から,将来の景気回復期に巨額の財務省借入れがほぼ必然的に見込まれるようになり,金融市場で金利先高感を強めたとみられる。また,西ドイツ,フランス,カナダ,イタリア等の国においても財政赤字が予算の見込みを超えて急速に拡大し,財政資金調達の巨大化が金融市場を圧迫して金利の上昇要因となることが懸念されている。
海外からの資本流入を考慮しなければ,財政赤字の拡大が民間資金をクラウドアウトするか否かは,民間貯蓄の大きさに左右される。貯蓄率の高い国では,低い国に比べて公共部門の借入需要をより容易に充足し,さらに民間の資金需要をみたすことが可能である。各国の中央政府の財政赤字を民間純貯蓄(民間総貯蓄から固定資本減耗を控除したもの)との関係でみると,財政赤字/民間純貯蓄の比率は上昇傾向にあり,クラウディンダアウトが起こりやすい状況になりつつあることを示している(第2-2-8表)。これは①多くの国で財政赤字の名目GNP比が増加していること(第2-2-5表),②民間純貯蓄の名目GNP比率が低下傾向にあること(イギリス,イタリアを除く)が影響している。特に個人貯蓄率の低いアメリカでは82年上期をとってみると,民間純貯蓄の70%弱が財政赤字に吸収される状況となっている。黒字である地方政府を含めた公共部門全体でみても,アメリカの場合は他の国と比較して,民間部門が利用しうる資金量は少ない。
たとえば民間純貯蓄から公共部門赤字を控除した額(1980年ベースの比較)の名目GNP比は,日本では9%であるのに対しアメリカでは4.2%である。
このようにアメリカでは民間資金需要を満たすべき資金が国民経済規模からみて非常に少ないことを示している。
こうした環境下では民間資金需要が強まれば,クラウドアウトが生じるとの懸念が金融市場で強まるのも当然といえより。アメリカでは75~76年にもクラウディングアウト発生の懸念が強まったが,当時は民間資金需要が弱く,民間資金は主に長期債市場で,政府資金は短期債市場で調達が行なわれたため大きな問題とならなかった。因みに75年の民間企業(除く金融機関)の金融市場での資金調達額は短期の銀行借入れが大幅に減少したため,前年比4.7%も減少し,調達額の名目GNP比も3.3%と前年の6.8%から大幅に低下した。しかし81~82年にかけては景気後退が深刻化し通常の場合は資金需要が鈍化する時期においても銀行からの商工業貸付やコマーシャルペーパー(CP)の発行など短期借入れが増加を続けるなど資金需要はそれ程衰えなかった(81年の資金調達額の名目GNP比は4.7%)。これは流動比率(流動資産/流動負債)長短負債比率(長期負債/短期負債)等の企業財務指標が戦後最悪の状況に落ち込み,企業倒産防止のための救済融資等の後向き資金需要が根強いためである。さらに企業は悪化してきた財務構成を立て直すために,長期金利が下落すれば長期債を積極的に発行しようとするため長期金利は低下しにくくなっている。
82年央以降になって景気回復が予想以上に遅れたことから資金需要がやや鈍化したこと,などから市場でのクラウドアウト懸念は弱まり金利低下の一因となった。加えて82年央以降国際的信用不安の高まりにより,外国の資本が安全性流動性のきわめて高いアメリカの国債購入に向かったとみられ,債券市場の需給は緩和された。しかしながらレーガン政権の減税政策が当初意図した通り貯蓄率を高めると同時に,財政赤字が景気回復に伴って縮小しない限り,大幅な財政資金需要が民間純貯蓄の大半を吸収するため,クラウドアウトの懸念が完全には払しよくできないとみられる。
以上のように先進主要国の財政はきわめて厳しい状況下に置かれている。巨額に上る累積赤字,財政支出の硬直化,国債の消化難等多くの問題をかかえている。こうした厳しい状況は何らかの財政再建の具体策がとられなければ景気が回復に転じても容易には解決しえないものである。このため,最近では各国とも積極的に財政再建にとり組んでいる(第2-2-9表)。再建策の内容をみると歳入面では付加価値税を中心とした間接税の引上げ(アメリカ,西ドイツ,フランス,イギリス,イタリア)等が行なわれている。
一方歳出面では,①一般行政経費は当然のこと,②財政支出硬直化の大きな要因となっている社会保障関係費や各種補助金支出の抑制等にも乗り出している。とりわけ10月に成立した西ドイツの保守・中道政権は,前政権の予算よりも一層補助金及び諸給付,公務員給与を削減抑制する方針を打ち出している。またフランスでも政府公約である財政赤字をGDP比3%に抑えるべく,82年予算に計上された歳出の一部を取消している他緊縮的な83年度予算案が作成されている。
一方アメリカでは8月に増税,予算調整法案が成立したものの今回の増税法案によっても大幅財政赤字から完全に脱脚できるメドは立っていない。財政赤字を本格的に縮小させるには,各種のエンタイトルメント計画のインフレ調整の廃止,83年度以降の減税の撤回,軍事費の抑制等が不可欠であるとの見方が多い。なお,アメリカではより根本的な税制の改革についても議論が行なわれており現在の複雑な累進課税を見直し単一税制を導入すべきとの考え方も出ている。