昭和55年
年次世界経済報告
石油危機への対応と1980年代の課題
昭和55年12月9日
経済企画庁
第2章 石油危機と経済変動
石油ショックがもたらすインフレ効果に対しての今回の石油消費国の反応は,まずインフレを前回のように悪化させるのを防止するのに成功した。それは何よりも,輸入インフレをホーム・メイド化させないようにしたからにほかならない。
それでは,石油ショックのもう一つの側面,デフレ効果については,どう対処したであろうか。
石油ショックのもたらすデフレ効果は,さまざまな経路で経済主体に影響を及ぼしてゆく。その第1は,石油価格の引上げによる石油消費国側の交易条件の悪化を通じての実質所得の移転である。第2は,インフレ抑制のためにとられる引締め的経済政策によるデフレ効果である。この2つの要因はお互いにからみ合って経済主体に影響を与えてゆくことになる。
ここでは,最初に,各経済主体(家計,企業,政府,海外)の貯蓄・投資バランスの推移をみることにより,石油ショック後の経済全体のバランスがどのように変化したかを分析する。
そして,今後の景気の先行きを占うために,家計,企業の支出行動,とくに前回と今回とでも,また,国ごとに異なる消費と投資の行動を分析してみよう。
各部門の貯蓄・投資バランスは,それぞれの経済主体の行動の結果を示しており,各部門の総貯蓄と総投資との差で表わされる。一国経済を家計部門・企業部門・政府部門・海外部門の4つの部門に大別すると,ある部門での投資超過は必ずどこかの部門の貯蓄超過により賄われているはずであるから,4部門の貯蓄・投資バランスは合計すると統計上の誤差を除いてゼロとなっている。第2-4-1図は主要6か国について,これら4部門の貯蓄・投資のバランスの変化を70年以降についてみたものである(79年,80年はOECDによる推計値)。
(貯蓄・投資バランスの部門別性格)
まず貯蓄・投資バランスの部門別性格をみると,家計部門は常に資金の純供給者であり,他方,企業部門は常に資金の純需要者であった。1960年代と70年代初期を通じて,家計部門の黒字と企業部門の赤字は高水準を維持ないし上昇傾向を示していた。すなわち,家計部門の豊かな貯蓄超過分を,企業部門が借入れ,この資金をもとに活発な設備投資を行った。この家計と企業の行動パターンこそが70年初までの高度成長を可能にした大きな要因の一つであった。また先進工業国の海外部門は総じて投資超過(先進工業国の輸出超過)となっており,国内の貯蓄超過でそれを賄っていた。
ところが第1次石油ショックを境にこうした従来からの部門間の貯蓄・投資バランスは大きな変化を示すこととなった。海外部門が(西ドイツを除いて)貯蓄超過へ転じたのである。経済を構成する1部門での急激な変化は他部門への必然的に影響を及ぼす。国内部門は貯蓄超過から貯蓄不足へつき落されることとなったのである。
しかし国内部門の貯蓄・投資バランス悪化が,需要にどのような影響を及ぼすかは,経済主体がその貯蓄・投資バランスを改善するため,投資が減少するか,または支出水準を維持するため貯蓄が減少するかによって異なってくる。前者の場合には需要が減少するが,後者の場合には需要水準は変わらない。後者の場合とは具体的には①家計部門が貯蓄を削りつつ消費,住宅投資を維持するか,②企業部門が内部留保を削りつつ投資を維持するか,③政府部門が財政赤字を拡大しつつ政府支出を維持するかのいずれかである。
①,②が実現するか否かは,家計・企業部門の貯蓄・内部留保にどれだけの余裕があるか,及び実質賃金がどう動いて石油ショックによるデフレ効果を家計と企業がどう分担するか,さらにはインフレ,失業の動向等によって家計,企業の将来に対する信頼感がどう変るかによって規定される。また③については,景気後退に伴う財政の自動安定作用の外,裁量的な景気支持等がとられるか否かによって決まる。
(企業側の負担が大きかった前回の場合)
さて前回の場合,国内部門の貯蓄・投資バランス変化の最大の特徴は企業部門の赤字拡大から急激な縮小への変化と家計部門の黒字拡大,これに伴う民間部門の貯蓄超過への転換である。
企業部門の貯蓄・投資バランスはすでに石油ショックの起る前の73年から,投資ブームのために悪化していたが,74年に入ると,企業部門の赤字はさらに拡大した。これは,石油価格の上昇がコストを押し上げたことに加え,労働コストも大幅に上昇し,企業収益が減少したのが主因である。企業はこうした貯蓄・投資バランスの悪化に堪え切れず75年には設備投資,在庫投資の大幅削減によってその貯蓄・投資バランスの改善を図ったが,これはいうまでもなく景気に対しては大きなマイナスとなった(第2-4-2図)。
家計部門ではそれとは対照的に74年にも黒字が増大した。これは実質可処分所得は伸び悩んだものの,経済の先行きに対する不安からそれ以上に実質消費や住宅投資を削減し,貯蓄を増大させるという防衛的行動がとられたためである。家計のこうした行動もまた景気を引き下げる要因として働いた。
この間政府部門は自動安定化機能と裁量的景気政策で赤字をふやしつつ景気の下支えを図った。またOPEC諸国に対する輸出増から海外部門の黒字も縮小に向かった。にもかかわらず,景気後退は75年までつづいた。これは70年以初頭までの高投資の反動に加え,企業への負担のしわ寄せがあって起った設備投資,在庫投資の急激かつ大幅な減少が主因であった。前回の不況は,消費,住宅投資も減少したもののどちらかと云えば「企業不況」の性格が強かったと言えよう。
(負担が中立的に推移している今回の場合)
75年から77年にかけては75年の不況で打ちくだかれた信頼が回復せず,国内民間部門の貯蓄超過が続き自律的な景気回復力は弱かった。その裏側として政府部門は投資超過=財政赤字を余儀なくされていた。ただしアメリカは例外で実質賃金ギャップが75年以降しばらくマイナスとなったため企業部門の収益環境が急速に改善し,76年以降設備投資が回復に向かい,それにつれて個人消費も回復したため民間部門の貯蓄超過は急速に解消に向かった。
78年に入ると多くの国の経済がこのような調整過程を終了し,民間部門でのコンフィデンスが回復するとともに設備投資の復活による企業部門での資金需要の増大,個人部門での消費性向の高まりにより,民間部門の貯蓄・投資ギャップは縮小に向っていた。今回の石油ショックはこの中で発生した。
前回とくらべると,今回はOPEC諸国の輸入増加ははるかに少いにもかかわらず,石油危機によるデフレ効果の現出がおくれた。これはまず第1にインフレ抑制に比較的成功した等により家計の信頼が崩れず(もっとも一部には逆にインフレ心理の買い急ぎという現象もあったが)貯蓄率を低下させて消費支出を維持したことによる。また第2は今回は多くの国で実質賃金ギャップが拡大しなかったために企業部門の負担が過重にならず,設備投資が堅調を維持しているためである。
それぞれの部門の貯蓄・投資バランスで見れば,家計の黒字は貯蓄性向が高まったイギリスを除いて前回とは逆に縮小しており,企業の貯蓄・投資バランスの赤字拡大は企業収益が圧迫されていないことから前回程ではない(アメリカは赤字縮小)。また政府部門も総じて引締め気味に財政を運営しており,景気後退の到来が遅れたためもあってその赤字は拡大していない。
80年春になると,貯蓄率の下げが止りないし反騰から個人消費が伸び悩みないし減少に転じているが,不況が深刻化したアメリカ,カナダ,イギリスを除き設備投資の基調的強さはなお維持されそれが景気後退の谷を浅いものにとどめている。
ただより長期的に考えると,産油国の経常黒字が持続してそれが国内部門にデフレ効果を与えつづけるおそれがある。
個人消費は従来の景気循環局面では需要項目中最も安定した項目であり,イギリスやアメリカを除いて,大幅な減少を示すことはほとんどなかった。
しかし石油危機下ではデフレ・ショックが大きいため,ほとんどすべての先進諸国で個人消費もかなりの落込みを示すことどなっている。
第1次石油危機前後の主要国の消費動向をみると,アメリカでは石油危機発生直前の73年7~9月をピークに,74年10~12月に底を打った後も75年4~6月までピーク水準を回復せず,1年半以上の長期にわたって停滞した。
その他74年から75年にかけてイギリス,イタリア等で大幅なマイナスを記録したほか,西ドイツも74年に小幅の減少を見せた。-また戦後の高度成長期において個人消費の減少を経験したことのなかった日本も74年1~3月には前期のパニック買いの反動もあって大幅減少となった。
今回もイギリスの個人消費がつとに79年7~9月にマイナスに転じた外,80年4~6月にはアメリカ,カナダ,西ドイツ,フランスと軒並みマイナスとなり日本でも伸びを著しく鈍化させた。
(前回と今回との相異)
しかし,前回と今回とでは,個人消費をめぐる条件と消費者の反応が異なっており,今回の個人消費動向は前回とは異なった特徴をもっている。これを見るために各国の個人消費変化を所得と消費性向の再面から捉えたのが第2-4-1表である。今回の個人消費の落込みは多くの国でなお進行中であり,前回との完全な比較はできないが,それは次の2点に整理されよう。
その第1は,消費支出をめぐる条件として個人可処分所得の動向である。
前回に石油ショック後1年間の初期においてはアメリカを除き実質可処分所得がすう勢的にマイナスになることはなかった。これは実質賃金ギャップがプラスとなって労働分配率が上昇したために就業者1人当たり実質賃金・給与所得の増加が大きく寄与した結果であった。
これに対し今回は,実質賃金ギャップが拡大せず労働分配率も比較的安定的に推移していることから,就業者1人当たり実質賃金・給与所得の可処分所得全体の伸びに対する寄与率は石油ショック発生から1年間で比較して相対的に前回より低くなっている。しかし実質可処分所得全体は,景気循環局面の違いもあって80年初まで雇用が拡大したことが寄与して(イギリスは除く)伸びをつづけた(第2-4-3図)。しかしながらその後80年4~6月期には雇用の悪化ないし伸び率鈍化をともないながら実質可処分所得の減少が顕在化してきている。
第2に,消費性向に表われる消費者行動にもかなりの変化が見られる。前回は石油危機の初期にはアメリカとイタリアを例外として貯蓄率が上昇し,個人消費をその分だけ弱めることとなったが,今回は逆にむしろ初期(80年初まで)には貯蓄率は低下し,個人消費の落込みないし停滞を和げる働きを示した。たとえば西ドイツの貯蓄率が下げに転じたのは,前回は石油ショック発生後1年半後の75年4~6月以降だったが,今回は79年1~3月の14.4%から80年1~3月の13.4%までなだらかに低下した後同4~6月に16.0%へ上昇した。イギリスでも前回は75年1~3月まで上昇した後はじめて下げに転じた。今回は,付加価値税実施前の先買いの反動に減税もあって79年下期に異常に高まったが,80年1~3月の水準は1年前とほぼ同水準であり,その後4~6月に上昇している。
こうした消費者行動の変化は前回は景気悪化が急速だったため将来に対する不安が増大して消費者が防衛的行動に出たほか,物価も上昇したがそれに伴い賃金等の名目所得も大幅に上昇したため,一時的に消費性向が低下した面もあるものと思われる。これに対して今回は,景気が比較的いつまでも根強く,また前回のような名目所得の一時的な大幅増もなかった。
なお前回貯蓄率が石油ショックの初期に逆に低下したアメリカとイタリアは,他の諸国に比べ74年の実質可処分所得の伸びがマイナスないし低かったため消費の習慣効果の方が勝ったためと考えられる(第2-4-4図)。
こうして今回の石油危機の初期段階における個人消費は特に貯蓄率の低下によって堅調な伸びを続けた。しかしながら,このような貯蓄率の低下は80年4~6月期に入ると,実質賃金ギャップが拡大しないこと等による実質可処分所得の減少ないし伸び悩みを背景に,調整段階に入ったとみられ,多くの国で貯蓄率が底を打ち,あるいは反騰して,いわゆる「消費者不況」をもたらしている。
(異常だったアメリカの場合)
アメリカの場合はそれが異常に拡大された形となって現われた。
アメリカの個人貯蓄率は50年代6.2%,60年代5.9%とほぼ6%内外で安定的に推移していたが,70年代に入ると,労働分配率の高まりから7%を上回る水準に上昇したあと,第1次石油危機からの回復過程で傾向的に低下してきた。すなわち70年代前半(70~75年)の平均7.4%に対し,76~79年の4年間の平均は5.1%になっている。
これには,労働分配率の低下もひびいていようが,それよりも構造的な要因の影響が大きい。その第1は,戦後のベビーブーム期に生れた層が世帯形成期に達したため,ライフサイクル面で本来的に貯蓄率の低い人口層の比率が高まったことである。その第2は女性の労働力比率が高まり共稼ぎが増えたことである。共稼ぎは世帯の所得を増大させる反面,,家事サービスの外部化を必要とし,結果としてアメリカでは貯蓄率を低下させる要因となっている。その第3は消費者信用の一層の普及である。アメリカでは70年代半ばから銀行が積極的に消費者信用の普及に乗り出した。消費者信用残高の伸びは70~75年の年平均9.3%増から,76~79年には同15.9%と飛躍的に高まっている。その個人可処分所得に対する割合も75年末の15.1%から79年末には18.5%に上昇した。
しかし,問題なのは79年(または80年1~3月まで)の貯蓄率の低下は,こうした構造的要因から想定されるトレンドをはるかに越えて進行したことである。すなわち78年に4.9%であった貯蓄率は79年中1~3月の5.0%から10~12月には3.5%にまで落ち込み,80年1~3月でも3.7%となっている。
景気後退期に実質可処分所得が減少する中で貯蓄率が下るのは,消費は所得が減ってもなかなか減らせない性質があるからであるが(事実前回の場合はそうだった),今回の貯蓄率の低下は,実質可処分所得が0.5%増(78年10~12月期から79年10~12月期まで)とわずかながら増加する中で起っている。
こうした貯蓄率の異常な低下は,結局この間のインフレの根強い高進に対する消費者のヘツジ行動の結果と見なければならない。インフレが穏やかかつ短期の場合には,消費者は金融資産の目減りを補填するために貯蓄率引上げで対応しようとするであろうが,それが高率かつ長期にわたると,金融資産の減価を避けるため,住宅,耐久財等実物資産への投資,さらには娯楽,旅行等サービスの享受へ支出行動をシフトさせることになる。79年中は景気が根強く雇用面での悪化が起らなかったこともこういう行動を可能ならしめた。
貯蓄率の大幅な低下によって引き延ばされていただけにそれが限度に達した時の個人消費の落込みは大きくならざるを得なかった。80年4~6月期には貯蓄率は4.9%へ反騰し,実質可処分所得の急減(年率6.0%減)と相まって個人消費の落込み幅は年率10.5%とこれまでの戦後記録74年10~12月の7.0%を大幅に上回ったのである。
(消費者不況の特徴)
以上のようにアメリカでは79年中のインフレ心理による買い急ぎの反動に加え,3月の消費者信用規制等の実施もあって個人消費が急角度に落込んだ。またその他諸国でも程度の差はあるものの「消費者不況」と云われる状況が現出している。
実際,設備投資との相対関係でみると,前回は個人消費も落込んだが設備投資の落込みの方が激しかった。第1次石油ショック発生時の73年10~12月から景気の谷までの個人消費と設備投資の落込み幅を見ると,アメリカが0.6%減と10.6%減,西ドイツが3.3%増と8.0%減,またフランスが1.4%増と10.7%減といずれも設備投資の落込み幅が極めて大きくなっている。これに対して今回は景気局面の違いはあるものの,家計部門と企業部門の落込み方の格差が相対的に小さい。すなわち第2次石油ショック発生時の79年1~3月期からデータ利用可能な80年4~6月期までの間で同様に見ると,アメリカが1.2%減と1.3%減,西ドイツが1.2%増と6.5%増,フランスが2.3%増ど9.2%増となっており,両者の格差が縮小ないし逆転している(第2-4-5図)。今回相対的に個人消費の方が弱くなっているというこの基本的特徴は今後も変わらないと思われる。
しかし,この特徴は石油ショックのデフレ効果の負担が企業部門と家計部門のどちらにも片寄らず中立的だったことのあらわれである。実質賃金ギャップが拡大しないことは,インフレ・デフレ両面において前回と異なった良好な結果をもたらしている。今回はインフレ悪化の度合が前回ほどではなく,消費者コンフィデンスも前回ほど悪化しておらず,そのことが総体としてデフレ効果を和らげるとみられる。これが今回の景気後退が前回よりも軽度とみられる主な理由に外ならない。
先進諸国の需要項目の中で第1次石油ショックで最も大きい影響を受けたのは,民間設備投資であった。
民間設備投資の動向をみると(第2-4-6図),第1次石油ショック後,各国で大幅な落ち込みをみせただけでなく,その後の回復過程でも,民間設備投資の回復は極めて緩慢なものとなった。エネルギー開発投資などの寄与が高かったカナダ・イギリスを除き,比較的順調な回復を遂げたアメリカでさえそのGNP比率が70年代の平均水準を越えたのは78年に入ってからであり,多くの国で79年になっても平均水準に達しなかった。
これに対し,今回は一部の国を除き,民間設備投資は比較的堅調を維持している。これは,循環的要因以外に,石油ショックに対する企業家などの対応が変化してきているためとみられる。以下では,前回の経験を踏まえながら,企業家行動がどのように変ってきたかを見てみることにしよう。
(石油ショックの企業家行動に及ぼす影響)
石油ショックは企業の設備投資行動に大別して2つのルートを通じて影響をもたらす。第1は,企業収益の圧縮であり,第2は投資需要の変化である。
まず,企業収益は次のような2つのルートを通じて圧縮される。石油などの投入素材価格の上昇は製品価格に転稼しないかぎり,その分企業収益を減少させる。一方,価格転稼がなされたとしても,それが誘発する生計費上昇に対応して賃金が上昇すると,その分企業収益は圧縮されることになる。すなわち,企業収益が圧縮される程度は,価格転嫁と労働コストの上昇の程度によるわけであるが,交易条件の悪化に伴う実質所得の移転がつづくかぎり,それがない場合と比べて実質企業収益が低下することはまぬがれられない。すなわち,石油価格上昇分の100%の価格転嫁がなされ,実質賃金の上昇が中立的実質賃金上昇率の範囲内におさまったとしても(このため分配率は一定),価格上昇によって実質企業収益は減少せざるを得ないからである。
投資需要の変化にも2つの要素が考えられる。まず第1は,デフレ効果の現出などによる景気の悪化から能力拡大投資への需要が弱まることである。
第2は石油価格上昇に対応して,省エネルギー投資や代替エネルギー開発投資の必要性が高まることである。このように石油ショックの投資需要に及ぼす影響にはそれを減らす要因とともに増やす要因もあり,総体での投資需要の動向,その落込み幅や回復力は,設備の操業度,企業収益,企業家のコンフィデンス,政策当局の対応等様々な要因で変わってくる。
以下ではこうした観点から主にアメリカ,西ドイツ,フランスの3か国の民間設備投資の動向を前回と今回とを比較しながらみてゆくことにしよう。
(対照的な企業収益の動向)
3か国の70年以降の民間設備投資の動向をみると(第2-4-7図,第2-4-8図,第2-4-9図)。いずれの国でも,前回の石油ショック後,民間設備投資は大幅な落ち込みを示した。しかし,その後の回復過程は極めて対照的なものとなった。すなわち,アメリカは76年4~6月期以降,比較的順調な回復を示したのに対し西ドイツ,フランスは順調とはいいがたく,中でもフランスでの民間設備投資の回復は遅れ,回復のきざしがあらわれたのは78年以降となった。
このように,フランスをはじめ多くの国で,民間設備投資が長期間低迷した理由は,①70年初までの高投資の反動及びその調整過程が長びいたこと,②その後に続いたスタグフレーションの経験や不確実性の高まりによる企業家コンフィデンスの喪失などの要因のほか,③労働分配率の高まりによる企業収益の縮小によるものが大きかったとみることができる。第3節でみたように,アメリカを除き,多くの国で第1次石油ショック後も実質賃金が中立的実質賃金上昇率を上回って上昇したため,労働分配率が高まり,企業収益を大幅に縮小させた。それは国内インフレを助長したばかりでなく,石油ショックのデフレ効果を企業側により多く負担させることとなった。
もっとも西ドイツの場合は,やや異なった様相を示した。すなわち,実質賃金ギャップではアメリカと同じように当初は良好なパフォーマンスを示したにもかかわらず,設備投資の基調は弱かった。これはインフレ抑制を重視した経済政策の影響やマルク相場の上昇による影響に起因している。西ドイツでは物価安定を最優先の政策課題としていたことから73年に景気安定付加税の徴収,企業設備の定率償却の停止等の設備投資抑制策がとられた。またマルク相場の上昇もインフレ抑制には寄与したものの輸出関連産業の設備投資に悪影響を与えた。さらに77年には大幅賃上げが行なわれた。政策面からの投資抑制策は第1石油危機の勃発とともに廃止されていったが,これらの諸要因が設備投資の基調を弱めたものと思われる。
このような前回の経験と対象的に,今回は企業収益は安定している国が多い。イギリスでは強い金融引締めによる高金利とポンド高から北海石油関連以外の産業,とくに製造業で企業収益が減少に転じ,またアメリカでは景気後退の深化から80年4~6月期に入って,企業収益は悪化しているが,西ドイツ・フランスでは比較的安定している。これは実質賃金の上昇が緩やかであったことの反映としてみることができよう。また前回とは異なりエネルギーコストの上昇分が比較的自然に産出価格に反映されていることも企業収益の圧縮を防ぐ要因となっている。
これと関連して,重要なことは,前回の経験をへて企業の自己資金が厚みを増してきているところである。設備投資と自己資金の比率をみると,第1次石油ショック以降アメリカでも西ドイツでもその比較は高まり,100%に近いところにある。自己金融能力(=金融資産額/設備投資額)でみても,フランス,西ドイツでは石油ショック前の約1から約1.5と高まっており,コストの上昇や銀行借入の減少があっても資金面から企業の設備投資計画への悪影響は少ないことを示唆している。
(投資パターンの変化)
第1次石油ショックの調整過程で,民間設備投資はいくつかの構造変化を示した。その中で最も注目されるのは,設備投資の内容が能力拡張投資中心から,合理化投資,更新投資あるいは省エネルギー投資中心にシフトしてきたことである。
この傾向は,アメリカ,西ドイツ,フランスで共通してみられる。アメリカでは従来能力拡張投資が約50%を占めていたが,石油ショック後景気は順調な拡大をつづけたにもかかわらず,その比率は40%強に低下した。西ドイツでも,70年初には50%を上回っていたが,石油ショック後20%台まで低下し,その後徐々に増加してきているものの,80年の見通しでもなお40%を下回るとみられている。
このような投資パターンの変化は,石油ショックに伴う投資環境の変化から生じている。第1は,能力拡張投資が先行投資型から需要後追い型へ変化してきたことである。成長期待が比較的高くかつ安定的だった時期には景気の回復期に設備不足に陥ることを恐れて積極的な能力拡大投資を行っていたのに対し,石油ショック後はむしろ景気後退期における過剰設備を最小化するように努めるようになった。
第2は,相対価格の変化に伴い,省エネルギー投資,合理化投資などの必要性が高まっていることである。とくに今田よ石油の実質価格の上昇持続が確実なこととして覚悟されているだけに(不確実性の確実化),省エネルギー投資,代替エネルギー開発投資の腰がすわっている。たとえば,アメリカでは石油掘さく活動が79年には戦後最高に達し,80年も活発に行われており,また石炭の液化・ガス化の推進のための石炭開発プロジェクトも政策面から促進されている。また,西ドイツのIFO経済研究所のアンケート調査(80年7月)によると省エネルギー投資や競争力強化のための合理化・技術革新投資需要が増加している。
(今後の動向)
以上のように,民間設備投資は,多くの国で,前回の過剰設備の調整を終えて新しい上昇局面に入っているのに加えて,企業収益の圧縮が少ないこと,省エネルギー,合理化投資需要が根強いことなどから,これまでのところ基調の強さをなお維持している。
今後景気後退が進展する中で,操業度の低下や企業収益の悪化が起って来るのは避けられないと見られている。その結果今後民間設備投資が停滞ないし減少に向うことは避けられないが,その度合いは今回は前回より軽度なもので済みそうである。