昭和55年

年次世界経済報告

石油危機への対応と1980年代の課題

昭和55年12月9日

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第1章 1980年の世界経済

第3節 停帯する先進国経済

第2次石油危機の発生にもかかわらず多くの国が景気上昇局面にあったこともあって,先進国経済は79年中はかなりの成長を維持した。OECDの成長率は78年の3.9%の後,79年は3.4%となった。この成長鈍化は,主にアメ

リカの成長率が4.4%から2.3%へ落ちたためで,アメリカを除くと79年にはOECDの成長テンポはむしろ高まった(78年3.6%→79年3.9%)(第1-3-1表)。

しかし,80年に入ると,石油ショックのデフレ効果と引締め政策の影響が現われ始め,まずアメリカが急角度の景気後退へ突入し,ついで,西ヨーロッパも春には後退に向った。日本の景気も春以降かげりの中にある。アメリカの景気は夏以降持ち直しているが鉱工業生産等経済活動の水準は低く,80年秋の先進国経済は総じて停滞状態にある(第1-3-1図)。

1. 急降下後持ち直したアメリカ景気

79年中インフレが悪化し,引締め政策が強化され,実質所得が伸び悩んだにもかかわらず景気後退に陥らないでいたアメリカ経済も,80年に入ると1月をピークとして急角度の下降局面に突入した。

すなわち, 1~3月の成長率は前期比年率1.2%と辛うじてプラスとなったものの,4~6月には一挙に同9.6%減と四半期としては前回不況時を上回る戦後最大の落込み幅を記録した(第1-3-2表)。1月から7月までの半年間に鉱工業生産は8.1%減,失業率は6.2%から7.8%へ1.6%ポイント増,また,就業者は1月から6月までの5か月間に127万人減となった。

(急下降の原因)

こうしてアメリカ景気が急下降したのは,まず基本的要因として,需要の大宗である個人消費を支えるべき要因が,79年中に実質的に相当悪化していたことを挙げなければならない。つまり実質可処分所得はほとんど頭打ち状態であったにもかかわらず,インフレ悪化から消費者は消費者ローン借入れを増大させ貯蓄率を引き下げつつ消費水準を維持して来た。実質可処分所得の79年中の伸びはわずか0.5%だったにもかかわらず実質個人消費は1.6%伸び,その間貯蓄率は1~3月の5.0%から10~12月の3.5%へ低下している。消費者信用残高も79年中に12.9%増大し,その個人可処分所得に対する比率は79年10~12月には17.9%と史上最高になった。

個人消費は80年に入るとついに息切れし,1~3月年率の0.5%増とほぼ頭打ちとなった後4~6月には同10.5%減と急減した。これは景気急落による実質可処分所得の急減(同6.0%減)に加え,インフレの一層の悪化,引締の強化から金利が急騰し,消費者信用に対する規制措置の導入の影響もあって,消費者信用が急減するなど,消費者のコンフィデンスが大きく崩れたためである。そのため貯蓄率は4~6月には4.9%に高まった。

景気急下降の第2の原因は住宅投資の減少テンポが早まったことである。

住宅投資はすでに78年4~6月をピークとして減少に転じていたが,80年1~3月に年率26.3%減となった後,4~6月には同61.6%の大幅減少となった。これは実質所得の減少に加えて,住宅抵当金利と住宅価格がともに高騰したためである。

第3に,79年の景気を下支えした設備投資も4~6月より減少(14.7%減)に転じた。これは稼働率の急落,企業利潤の減少等による。

これに対して4~6月の需要の減少が余りにも急激だったため生産調整が間に合わず意図せざる在庫投資が急増した。また,輸出も減少したが輸入の減少幅が石油等を中心に大幅で純輸出もGNPにはプラスに働いた。

主要需要項目の減少には石油ショックのデフレの効果と合わせて,前述のインフレ対策のための引締め政策が影響しているのはいうまでもない。とくに,80年3月の引締めはすでに下降に転じていた経済を一層深い後退へ突き落す結果となった。

(持ち直したアメリカ景気)

急角度に下降して来たアメリカの景気も7~8月を底に持ち直している。

各種指標も小売販売,乗用車販売,住宅着工,就業者等が6月から,耐久財新規受注,鉱工業生産が7月から回復している。GNPベースでも7~9月は前期比年率0.9%のプラスとなった。

こうしてアメリカ景気が予想外に早く持ち直したのは,景気の急下降の中で異常な水準に達したインフレがなお高水準ながら鈍化に向い,それに伴って金利が急落し,3月に導入された信用規制措置も7月には撤廃されたためである。アメリカ経済では,消費者信用の普及や消費者信用依存の高い若・壮年層世帯の比重の増大等構造的変化に加え,MMC(財務省証券金利に連動する定期預金)の導入等最近の制度面での変更もあって,自動車,住宅はもとよりその他の商品,サービスに対する需要の金利感応度が高まっているとみられる。そのため金利高騰期の需要減少が急速な反面,金利低下期の需要の回復も早くなっているものと思われる。

(極めて弱い今後の回復)

しかしながら,景気持ち直しのきっかけを生み出した金利の低落も6月半ばには終り,その後金利は再び反騰に転じている。これは景気の持ち直しに伴い資金需要が復活したことに加え,インフレが,その上昇率では,逓減したとはいえなお高水準にあるほか,先行きの鎮静化も見込めずインフレ期待が低下しないため,連銀が引締め政策をとったことによる。この結果7月末まで3回にわたって引き下げられた公定歩合も9月末には早くも引き上げられ(10%→11%),さらに11月も引き上げられた(11%→12%及び2%罰則適用)。

こうしたことから,今後自動車,住宅等金利感応度の高い需要が腰折れになる可能性も排除できず,また,なお当分設備投資,在庫投資の調整が続くと思われることから,今後の回復力は弱く,場合によっては二段底の可能性もあるものと思われる。

2. 後退局面に入った西ヨーロッパ経済

西ヨーロッパ主要国の景気は,イギリスがつとに79年下期に後退に入ったものの,その他の国では80年春まで拡大を続けた。しかし,80年春には独,仏,伊と大陸諸国の景気も相次いで頭を打ち,80年夏には西ヨーロッパ経済も後退局面に入った。アメリカの景気後退入りに遅れることわずか数か月である(第1-3-3表)。

こうして西ヨーロッパ経済が景気後退に入ったのは,第1に第2次石油ショックによる実質所得の減退から個人消費が減少に転じたこと,第2にインフレ対策のための引締め政策の影響(とくに住宅投資),第3に在庫投資の減少が主因である。そのほか,OPEC向け輸出の好調等に支えられていた輸出も頭打ちとなった。こうした中で設備投資はなお総じて堅調で景気下支え要因となっている。

(一足早く後退に入ったイギリス経済)

これを国別にみると,まずイギリスの経済は79年下期に前期比年率マイナス0.5%と下降に転じ,80年に入っても1~3月同マイナス1.6%,4~6月マイナス9.2%と下降テンポを早めた(第1-3-4表)。景気下降の引金は個人消費の減少によって引かれた。個人消費の減少は新保守党政権による付加価値税の引上げもあって,インフレが加速し,実質所得が減退したためである。79年4~6月に始まった在庫削減の動きも景気の足を引っ張った。80年1~3月には在庫投資が鉄鋼ストの影響で一段と減少し,固定投資も減少に転じた。個人消費は1~3月には,インフレの一層の悪化から実質所得が減少したにもかかわらず,貯蓄率を下げて増大したが,4~6月にはこれも大幅な減少となった。

こうして他の主要国に先がけてイギリスが景気後退に突入したのは,設備投資が山を越すなど自律的にも景気の上昇力が弱まっていたところへ,賃金高騰,石油価格上昇によるインフレ悪化に対処するとともに経済体質の改革のためサッチャー政府が厳しい金融引締めを実行したためである。賃金高騰,高金利にポンド高が加わって製造業の国際競争力が弱められたことも設備投資,在庫投資の減少にひびいている。国際競争力の弱まりから個人消費等の需要が伸びた場合でも,それが輸入増に食われてしまうのもイギリスの景気の基調を弱くしている。

景気後退は夏から秋にかけてさらに深化し,生産の大幅低下,失業者数の急増が続いた。それを背景に,政府は公定歩合の段階的引下げ(7月17→16%,11月16→14%)を実施した。

(80年春まで拡大を維持した大陸ヨーロッパ)

これに対して大陸の主要国では,79年中順調な拡大をとげた後,80年に入っても暫らくその勢いを維持した。西ドイツ,フランス,イタリアの79年及び80年1~3月の成長率は前期比年率でそれぞれ4.4%対8.8%,3.2%対1.6%,5.0%対6.1%となっている(第1-3-5表,第1-3-6表)。

こうしてこれら諸国の経済が80年に入っても拡大を維持したのは,まず第1に,個人消費がひきつづく実質所得の増大や貯蓄率の低下によって堅調な伸びを維持したことが挙げられる。とくに,79年末から80年初にかけてはどの国でも個人消費が大きな伸びを示したが,これには暖冬,バーゲンセール等に加え,国際政治不安やインフレ高進不安からの買い急ぎなど特殊要因も働いたものとみられる。第2の原因は旺盛な在庫積増しである。これは生産・受注の増大や先行きの価格上昇期待等に基くものであったが,79年末から80年初にかけては,同じく国際政治不安やインフレ高進不安も働いた。79年末の在庫水準は独,仏ではかなりの高水準になった。

第3の原因は固定投資が好調を持続したことである。稼働率や利潤の上昇など環境条件の好転に加えて,省エネルギー等技術革新投資需要も強かったためである。その他輸出もかなりの伸びを示したが,輸入が輸出を上回る大幅増となったため純輸出は景気に対してはマイナスに働いた。もっとも西ドイツでは80年1~3月では輸出がOPEC向けを中心に大幅に増大したため,純輸出も景気にかなりの寄与を示した。

(大陸諸国も後退へ)

こうして石油ショックの最中にもかかわらず,80年春まで拡大を続けた大陸主要国の経済も,春以降は下降に転じることとなった。80年4~6月の成長率は前期比年率で西ドイツがマイナス7.5%,フランスがマイナス1.2%となっている(もっとも西ドイツの場合は,労働日数の差異から1~3月の成長率が過大に出,その分4~6月が過小に出ている。)大陸諸国が80年春から景気後退に入ったのは,第1に個人消費が減少に転じたためである。実質可処分所得が伸び悩み(独)ないし減少(仏)し,貯蓄率が上昇(独)ないし下げ止まり(仏)に転じたことが個人消費を低下させた。もっともイタリアでは,高インフレにもかかわらず実質所得の伸びがなお高く,また乗用車需要も他の国より遅れてブーム化したこともあって個人消費は他の国よりも遅くまで堅調を維持した。第2の要因は在庫投資が急激な積み増しの反動と先行き不安から減少に転じたことである。アメリカと異なり79年中の在庫投資が大幅だっただけ,今後の在庫調整は長びくおそれもある。第3に輸出が主要貿易相手国の景気後退から頭打ちになったことである。もっとも同時に輸入の伸びも落ちているが西ドイツでは純輸出は4~6月にはマイナス要因に転じた。

これに対して設備投資は,受注水準がなお高いことなどから,その基調の強さはなお維持されている。

(悪化した雇用情勢)

こうして景気が下降に転じる中で,雇用情勢の悪化が目立ち始めた。西ヨーロッパの雇用情勢は79年半ばから就業者の伸びの鈍化,失業の下げ止まり等改善が止まっていたが,80年に入るとほとんどの国で失業者と失業率が増大に転じた(第1-3-2図)。

雇用情勢の悪化が最も著しいのはイギリスで,その失業者数は79年9月の126万人を底に急増に転じ,80年10月には189万人に達した。失業率はこの間5.2%から7.8%へ上昇している。フランスでも求職者数は79年10月の135万人を底として増大し,80年5月には147万人となった。西ドイツの失業者数は79年12月には82万人にまで減少したが80年9月には93万人となった。79年秋以降80年春までほぼ3.6%の水準で一定していた失業率も5月以降上昇に転じ80年9月には4.0%となっている。EC全体でみると失業者は79年6月の568万人を底に増大し,80年9月には709万人となっている。

(今後の見通し)

西ヨーロッパの景気は個人消費の減退,在庫調整に輸出の頭打ちが加わって目下後退局面にある。アメリカの景気が底入れしたとはいえ回復力が弱く,インフレも山を越したとはいえなお高水準で,金融引締めが続いている状態では景気の低迷はなおしばらく続くものと思われる。もっとも大陸諸国では設備投資が比較的堅調を維持しているため,景気の落込みは浅く,80年の成長率もECで1.3%と年全体としてはプラスを維持するものと見込まれている(EC委員会)。前回の石油危機時の75年にはECの成長率はマイナス1.4%となったことを考えると今回の西ヨーロッパの景気後退は比較的軽度だといえよう。ただ,その後の回復力は西ヨーロッパの場合も極めて弱く,81年の成長率をEC委員会はわずか0.6%と予測している。