昭和55年
年次世界経済報告
石油危機への対応と1980年代の課題
昭和55年12月9日
経済企画庁
第1章 1980年の世界経済
79年から80年にかけて世界のインフレは再び悪化した。78年には7.7%へ鈍化していたOECD諸国の消費者物価は,79年には9.4%へ,さらに80年1~3月には11.9%(前年同期比)へ高まった。これを主要国についてみると,日,独の物価が78年にひきつづいて79年も安定を維持したのに対して,米,英,伊の悪化が著しかった。仏,加は79年中は高水準ながら上昇テンポの加速はみられなかった。しかし,80年に入ると,日,独を含めて各国ともじりじりと上昇率を高め,80年4~6月の消費者物価上昇率(前年同期比)は英が21.5%,伊が20.9%,米が14.4%,仏が13.7%,加が9.6%,日が8.3%,独が5.9%,7大国平均で12.8%となっている(7大国のピークは4~6月)(第1-2-1表)。
こうしたインフレ悪化の原因を調べるため,消費者物価を輸入物価及びGNPデフレーターと比較してみると,イギリスを除いて各国とも79年に入ってこの3者の間のかい離が拡大したのがみられる。すなわち,輸入物価の騰勢が一段と強まるにつれて,消費者物価の上昇率も高まっているが,国産インフレの指標としてのGNPデフレーターは落着いている国が多い。これは消費者物価の79年以降の加速が主に輸入物価の高騰という外的要因によるもので,国内的要因の影響は相対的に少なかったことを示している(第1-2-1図)。
輸入物価の高騰は主に石油と一次産品価格の上昇による。こうした主要な外的要因を前回の石油危機時のそれと比較すると,石油については前述のように価格上昇率は前回の約半分であったが,石油依存度(金額ベース)が高まっているため,その消費者物価への影響は7大国平均で2%強と,ほぼ同じとなっている。これに対して食料等一次産品の影響は前回の同4%に対して今回は2%と半分になっている。これは価格上昇率が前回の1/4程度にとどまったほか,そのシェアも大幅な変化はしていないためである。
輸入物価の動きを国別にみると,日本での急騰と,英,加の相対的安定が目立つ。これは,円の実効レートは79年中大幅に低下したのに対して,ポンドは上昇したこと,カナダは石油輸入依存度が低いことによる。
さて,GNPデフレーターが最近消費者物価を下回っているのは,カナダを例外として各国共通であるが,その動きには国ごとに大きな差がみられる。すなわち,日独のそれが低水準,しかも低下ないし安定という形になっているのに対して,英,伊のそれは高水準かつかなりのテンポで上昇率を高めてきた。米,仏,加は上昇率が中水準にある。
こうして国ごとにGNPデフレーターの動きに差が出るのは,国ごとに需給逼迫度やコスト圧力が異なるためである。とくに重要なのは賃金コストである。賃金上昇率が生産性上昇率に比べて控え目な日独(日本は下回る)では,外部要因で消費者物価が上昇してもGNPデフレーターは安定ないし鎮静化に向い,賃金の物価感応度が高い英,伊では輸入インフレが直ちにGNPデフレーターの高騰という国産インフレをひき起しやすいのである。
78年央より上昇に転じた一次産品価格は,ほぼ一本調子に上げた後,80年初には急騰し,80年2月11日にはロイター商品相場指数は1,866.3と史上最高値を記録した。
このように一次産品価格が高騰したのは,北米経済のひきつづく拡大の上に,欧,日の景気上昇が重なって先進工業国の需要が増大したのが主因であるが,一部諸国の天候不順による農業不振,石油価格の高騰,インフレの悪化,金価格の急騰等,供給不足,コスト増,投機等の原因も働いていた。また80年初の急騰には,米・イラン関係の悪化,アフガニスタン問題の発生等政治的緊張が影響した。
もっとも今回の高騰は,第1次石油危機時のそれと比較すると穏やかなものにとどまっている。すなわち,前回の上昇局面ではロイター指数はボトム(71年10月)からピーク(74年2月)までに約2.9倍になったが,今回はボトム(78年2月)からピーク(80年2月)まで約3割高にとどまっている。
平均的な上昇テンポも前回の年率56.6%に対して今回は同13.9%となっている。
こうして今回の上昇が比較的穏やかなものにとどまったのは,先進国経済の拡大も前回のような同時過熱には至らなかったこと,農産物については78年までの豊作で在庫が潤沢だったこと等による。為替相場変動の影響を除外するためSDR建てに換算したロイター指数によって,変動要因の分析をしてみると,第1-2-2図のように以上のことが確認できる。
最近の動向をみると,80年2月にピークをつけたあと先進国景気の後退入りとともに反落した。しかし,エネルギー・コストの上昇等の構造的要因に加え,熱波・干ばつ等の天候不順,米産銅ストや景気の早期回復期待等から6月以降反騰に転じた。秋にはソ連の2年続きの不作予想等も加わって農作物を中心にさらに上昇している。
こうした世界的なインフレ悪化の中で金価格が急騰した。78年末には,1オンス226ドルにすぎなかった金価格は79年10月には400ドルの大台に乗せ,さらに,79年末から80年初にかけてはアフガニスタン問題もあって一挙に急騰して80年1月21日には850ドルの高値をつけた。
こうした金価格の急騰は,79年には金の供給がアメリカ,IMF等の公的保有金の放出によって78年より増加したにもかかわらず起った(第1-2-2表)。しかもドルが強くなっていく中で,また,金利が上昇する中で,すべての通貨に対して値を上げた(第1-2-3図)。これは,この間の金価格の急騰が,イラン,アフガニスタン問題により生じた国際政治不安による金への資本逃避の影響も大きかったものの,基本的には原油価格の高騰をふくむインフレ不安を反映したものであったことを示している。
80年1月以降取引規制や各国金利の一段高もあって反落したが,4月3日の486ドルを底にその後再びじり高となっている。これは,公的保有金の売却量が減少(米,IMF及びソ連)したほか,イラン・イラク紛争等政治不安も発生したためとみられる。
こうした中で主要国ではすみやかにインフレ対策が強化された。これは第1次石油危機の経験から,石油ショックに対処するためには輸入インフレを波打際で阻止することが肝要という認識が一般化したためである。とくに,通貨供給管理を中心とする金融政策の役割が重視された。ほとんどの国が石油価格引上げによる物価上昇分だけ通貨供給量の増大を許容しようとはせず,インフレ悪化に直面しても通貨供給量の目標を維持し,さらには引き下げた(第1-2-3表)。
インフレ対策への転換及びその強化は,インフレ悪化が早い時期に起り,しかもその度合が著しいアメリカで典型的にみられる。すなわち,アメリカでは今回の石油ショックが起る以前の78年中に労働需給が逼迫して労働コストが上昇するなど国内的要因からインフレが悪化していたが,それに対処して78年10月,11月に本格的なインフレ対策,ドル防衛策が打ち出された。その後も79年10月には,公定歩合の11%から12%への引上げ,8%の増加額準備率の設定及び公開市場操作方式の変更(フェデラル・ファンド・レートをメドとするものから銀行準備をそれとするものへ)等より成る金融引締めの強化策を打ち出した。さらに80年3月には,インフレの一層の悪化に対応して,79年10月の対策を強化するため,自主的信用規制措置,一定の消費者信用増加額に対する15%の特別預金準備の導入,3%の公定歩合罰則上乗せ等の対策を打ち出した。
こうして金融面からのインフレ対策が一段と強化されると同時に,財政面でも79年度,80年度と,完全雇用予算黒字幅の拡大にみられるように,裁量的な引締めが強化された。
こうした相次ぐ引締め強化にもかかわらず,インフレ悪化を阻止することができなかったため,信用統制導入に対するパニック的反応も加わって,80年3月末にはプライム・レートが20%に達するなど異常な高金利が出現した。
アメリカ以外でも79年春すぎから主要国の公定歩合が次々に引き上げられた。すなわち,まず西ドイツが3月に公定歩合を3%から4%に引き上げ,
日本も4月には引き上げに転じた。またイギリスではサッチャー政権の登場とともに,中長期的な経済体質改革の意図もあって金融引締めが強化され,2度にわたって公定歩合が引き上げられて年末には17%という史上最高水準となった(第1-2-4図)。
80年に入ると,アメリカの高金利にひきづられて世界的に前回の石油危機時を上回る高金利状態となった。
こうした世界インフレも80年春から夏にかけて,その上昇率はおおむね山を越した。OECD諸国の消費者物価は80年4~6月には11.4%(前年同月比)となっている。
今回の世界インフレは,前回とほぼ同じ規模の石油ショックによって引金を引かれたにもかかわらず,米,英などを除いで前回程には悪化しなかった。これは,賃金上昇率が控え目に収まっていること,各国揃ってのインフレ対策の効果が出てきたこと,食料等エネルギー以外の一次産品の影響が比較的小さかったこと等による。また,80年春以降物価上昇率が鈍化して来たのには主要国経済が景気後退期に入って需要圧力が弱まってきたことが効いている。
しかしながら世界インフレの先行きについては決して楽観できない。すでに異常気象による不作から農産物価格が高騰し出した上,各国とも生産性上昇率が傾向的に低下しており,そのため労働コストの底が高くなっているからである。石油価格の先行きも懸念材料である。従って今後とも中長期的観点から生産性向上,供給力増強等の対策を推進することが要請されている。