昭和55年
年次世界経済報告
石油危機への対応と1980年代の課題
昭和55年12月9日
経済企画庁
第1章 1980年の世界経済
79年から80年にかけて世界経済は再び石油ショックに見舞われた。78年まで供給過剰気味に推移した世界の石油市場は,イラン革命によるイラン原油の生産・輸出の急減をきっかけに一変した。石油の公式販売価格は,78年12月のOPECアブダビ総会から80年6月のアルジェ総会後までの間の期間に段階的に,計約2.4倍(平均バーレル当り12.92ドル→同31.47ドル)に引き上げられた。(これに対して前回の石油ショック時の引上げ率は72年12月から74年3月の間に2.48ドルから11.65ドルヘ約4.7倍となっている。)(第1-1-1図)
(値上げの経緯)
78年12月のアブダビ総会において,OPECは世界景気回復による石油需要の増大等から1年半ぶりに四段階方式による値上げを決定したが,イラン情勢に伴う石油需給のひっ迫化を反映して79年3月のジュネーブ総会では,その繰り上げ実施が決められたほか,各国の判断によるプレミアムの付加が認められ,それまでの統一的な価格体系は崩壊した。
こうした中でスポット価格が公式販売価格を上回る勢いで高騰し出したが,それに追随する形で,公式販売価格の上昇テンポが早まった。79年6月のジュネーブ総会では上限価格を設定したものの,歯止めとはならなかった。また,油種によって原油価格は大きく相違するようになり,同一の性状の原油でも産出国により数ドル以上の価格差を示した。スポット価格も更に高騰を続け79年11~12月にはアラビアン・ライト同等原油で一時的に40ドルを越える高値を記録した。
OPEC内では穏健な水準での価格再統一を目指すサウジアラビアが一層の価格引上げを主張する強硬派と対立し,79年12月のカラカス総会は決定を下せないまま終了した。
80年に入り,石油需給はしだいに緩和しはじめたが,サウジアラビアが価格再統一を目指して値上げを行うごとに(1月,24→26ドル,4月,26→28ドル),他国が追随するという形で原油価格は上昇を続けた。
80年6月のアルジェ総会では,サウジアラビア等穏健派がこうして乱れた価格体系の再統一を図ろうとしたが強硬派の反対で果たせず,基準原油価格の上限を32ドル,油種間格差をその上限から5ドル以内とする等の妥協がなされた。しかし,9月の臨時総会では,他国の原油価格を凍結したまま,サウジアラビアが2ドル値上げを行うことを決定し,これにもとづきサウジアラビアは9月21日同国産原油の価格の一律2ドル引上げを8月1日に遡及して実施することを通告した(第1-1-1表)。
また,アブダビは10月16日,同領産原油の価格を9月1日に遡及して一律2ドル引上げることを通告した。
(値上げの背景)
以上のように,原油価格は79年,80年初頭と段階的に引き上げられたが,原油の生産をみると(第1-1-2図),79年は,イランの大幅減産があったにもかかわらず,世界全体では前年比3.7%の増産となった。これはサウジアラビアやイラクの増産等によりOPECの生産も2.7%の増加となったのに加え,イギリス,メキシコを中心に非OPEC地域の生産も増大したためである。また,消費量も横ばいにとどまった。
それにもかかわらず価格が79年から80年初頭にかけてこのように高騰したのは,次のような理由によるものとみられる。すなわち,①産油国の自国資源に対する支配力の強化に伴い,販売量に占めるメジャーズのシェアが減少し原油の国際的な供給構造が不安定化していたのを背景に,②OPEC内の強硬派がスポット価格を指標として総会によらない値上げを繰り返す中で先行き一層の価格上昇不安が高まり,③78年頃から79年にかけて景気回復に伴う需要の回復,厳冬による消費増等から低水準にあった在庫の積み増しに消費国が向ったためである。
なお,メジャーズの販売シェアは,73年の92.1%から79年には57.8%へ低下したが,とくに原油をイランから入手していたメジャーズ等では供給不足感が助長されたとみられる(第1-1-2表)
こうして石油価格が引き上げられていく中で,80年に入ると世界の石油需給は緩和の方向に大きく変化した。すなわち,まず需要は,①アメリカの景気が急下降に転ずるなど先進国経済が景気後退に向かい出したこと。②省エネルギー努力や,石油価格上昇のため節約が進んだこと,③79年~80年の冬が欧米を中心に暖冬であったこと等により減少した(第1-1-3図,第1-1-4図)。
一方,供給面では,①79年中に石油の在庫が積みあがったまま80年に持ち越されたのに加えて,②メキシコ,北海油田の増産が続いた。さらに③サウジアラビアが価格の再統一を目指して,OPEC内の強硬派の非難にもかかわらず,80年8月現在日量950万バーレルと公式生産水準より100万バーレル多い増産体制をとった。
こうした事態に対処して,サウジアラビア以外の一部の産油国は生産を削減し,OPEC全体として生産量は大幅に減少した。すなわち80年上期のO PEC原油生産量は日量約2,850万バーレル,前年同期比5.5%減,また,6月のそれは約2,750万バーレル11.2%減となった。
それにもかかわらず,消費国の需要減少が大きいためにスポット価格は80年に入って軟化に転じた。なかでもアメリカの消費減少が大きいため,ガソリン留分が多くアメリカ市場の需要構造に適している北アフリカ産等の軽質油は,スポット価格が暴落し,夏には政府公式販売価格を下回った。他の油種においてもスポット価格と公式販売価格の差は縮小し,8月末にはアラビアン・ライトも30ドルに近づくに至った。また,公式販売価格も6月のアルジェ総会の決定どおりには引上げられず,値上げを行った国は半数程にとどまった。
こうして80年夏の段階では石油市場は供給過剰状態にあった。しかし,イラン・イラク紛争が9月末に勃発し,それによって両国の石油関連施設が破壊され,日量約400万バーレルに上る両国の石油輸出が停止すると,供給過剰感は消失した。
現在石油消費国は大量の在庫を保有しており,また消費節約も進展しているので,石油の供給攪乱に対する抵抗力は強まっている。また一部産油国での増産の動きもあって世界の石油情勢はイラン・イラク紛争のこう着化にもかかわらず平穏に推移している。
しかし,今後中長期的な石油供給をみると,いくつかの不確実性要因がある。すなわち,その第1は今回のイラン・イラク紛争の例にもみられるように,中東の産油地域は政治的に不安定であり常に武力紛争の危険を内包していることである。第2には産油国の資源温存志向が挙げられる。幸い今回のイラン・イラク紛争に際しては中東穏健派諸国の増産の動きがみられたが,今後資源が一層枯渇の方向へ向うに従い,需給ひっ迫時にも増産が行われない可能性もなしとしない。第3に,石油市場の構造変化が一層進展し流通。
販売面で産油国の影響力が増大するに従い,メジャーズの流通・緩衝在庫機能が弱められ,各石油企業単位での供給の不安定性が増大するおそれがある。最後に,現在,石油純輸出国となっているソ連についても一部に純輸入国へ転落するとみるものもあるなど,ソ連の原油生産の今後についても楽観はできない。需要面でもOPEC自身の国内需要を含めて中進国等発展途上国の需要が今後とも増大するものと見込まれる。
以上のような不確実性の下に,石油の需給については中長期的にはひっ迫へと向うものとみられる。石油消費国は省エネルギー,代替エネルギー開発に努め,一刻も早く石油依存体質を改善していくとが必要である。