昭和53年度
年次世界経済報告
石油ショック後の調整進む世界経済
昭和53年12月15日
経済企画庁
第1章 1978年の世界経済
1973年秋のOPEC(石油輸出国機構)による原油価格の大幅引上げ以来,世界の経常収支構造は,産油国が大幅の黒字を示す一方,石油輸入国は先進国も発展途上国も赤字になる,というパターンに変化した。しかし,それから5年を経過した78年になると,このパターンにもかなり大きな変化が生じつつある。(第I-2-1表)。
その一つは,産油国の黒字が漸減していることである。産油国の経常収支黒字(公的移転収支を除く)は,石油ショック直後の74年には680億ドルにのぼり,同年の世界輸出額(共産圏を除く)の8.8%に相当した。しかし,その後産油国の経済開発が進むにつれて産油国の輸入が急テンポC増加する一方,世界経済の成長鈍化や高価格にともなう石油消費の伸び悩みなどから,産油国の黒字は次第に縮小する傾向をみせ,75~77年の黒字幅は年350~410億ドルとなった。この傾向は78年に入って一段と顕著になり,IMFの推定によれば,78年中の産油国黒字は200億ドルに縮小すると見込まれている。これは74年の1/3以下であり78年の世界輸出額の2%未満である。
77年から78年にかけて,産油国の黒字が大きく縮小した原因は4つある。
第一は,世界の石油消費の伸びが依然として緩慢なことである。共産圏を除く世界の石油消費量は,76年に73年の水準にようやく回復したが,77年の消費は前年比2.5%増,さらに78年上半期も,前年同期比2.4%の伸びにとどまった。これは先進国の景気回復テンポが全体として緩慢であるうえに石油価格の高騰やエネルギー節約の努力によって,石油需要が抑えられたためとみられる。
第二は,北海,アラスカ,メキシコを中心とする非OPEC原油の生産が著しく増大したことである。北海石油の生産が77年春から本格化したうえに,アラスカ・パイプラインも77年秋に送油を開始するに至り,またメキシコの石油生産も近年急速に増大している。この結果,上記3地域の原油生産は,78年上半期には360万バーレル/日(B/D)に達し,前年同期にくらべて146万B/D,68%の増加となった。これに,78年前半にアメリカの石油在庫が減少したことも加わって,78年上半期のOPEC諸国の原油生産は2,860万B/Dと前年同期を8.8%下回った。
第三に,OPECの原油輸出価格が77年7月以来1年以上にわたって据置かれていることである。
最後に,OPEC諸国の輸入は次第に減速しているものの,なおかなりのテンポで増加をつづけている。ドル表示の輸入額は77年に36%増加し,さらに78年1~3月期にも,前年同期を20%上回っている。
(非産油発展途上国の赤字幅拡大)
世界の経常収支構成にみられる第二の変化は,非産油途上国の経常収支赤字が,再び拡大しはじめたことである。非産油途上国の経常収支は,石油価格の高騰に先進国の不況による輸出の減少が重なり,75年には380億ドルという大幅な赤字となった。しかし,その後は先進国景気の回復にともなう輸出増加,輸入の抑制などの結果,かなり改善され,77年の赤字幅は220億ドルに縮小した。これを同年における非産油途上国の輸出額にくらべると16.2%に相当するが,この比率は70~72年の平均18.3%を下回るものであり,必ずしも著しく大きいとはいえない。しかし,77年後半から,輸出の増勢が鈍る一方,輸入抑制策の緩和にともなって輸入の伸びが高まっている。その結果,非産油途上国の貿易収支(通関ベース)赤字は77年後半以後拡大しはじめ,77年4~6月の59億ドルから,78年1~3月には104億ドルに拡大している。IMEによれば,78年の経常収支赤字は300億ドル(輸出額の約25%)に拡大すると見込まれている。
(先進国経常収支の改善)
これに対して,先進国全体としての経常収支は77年後半以来かなり改善される方向にあり,IMEの推計によれば,77年には120億ドルの赤字であったものが,78年には30億ドルの黒字になるとみられている。
これは,前述のような石油事情を反映して,OPEC諸国からの輸入がほぼ横ばいにとどまるのに対して,OPEC向け輸出は増加をつづけていること,また,非産油途上国との間でも,輸出の増加が輸入の伸びを上回るとみられることによる。
先進国の経常収支をみると,77年はじめ以来,アメリカの大幅な赤字,日本の大幅黒字,西ドイツ,スイス,オランダなどの黒字,西ヨーロッパ小国の大幅な赤字,と少なからぬ不均衡がみられ,これを反映して,国際通貨市場は77年夏以来,ドルの低落,円,マルク,スイス・フランの急騰など,大きな動揺がつづいている。
しかし,最近では,前節で述べたように,昨年末ごろから西ヨーロッパ主要国や日本の景気情勢が改善され,アメリカとの間にみられた景気上昇テンポの格差がかなり縮小されつつあるうえに,77年夏以来の為替レート変化の効果も加わって,経常収支の不均衝も改善される兆しをみせている。
第一に,アメリカの経常収支赤字が78年春ごろから縮小傾向をみせはじめている。第I-2-1図にみられるように,アメリカの経常収支は,景気上昇による輸入増,石油輸入の急増,海外諸国の景気停滞を反映した輸出の伸び悩みから77年はじめ以来急速に赤字幅を拡大し,77年の赤字は153億ドルに達した。しかし,77年10~12月期の年率279億ドルをビークに赤字幅は縮小しはじめ,78年4~6月には年率130億ドルに減少した。
第二に,拡大をつづけていた日本の経常収支黒字も,縮小に転ずる気配をみせている。わが国の経常収支は76年から黒字となり,77年の黒字幅は109億ドルにのぼった。しかし,77年中の円レートの急騰などから輸出数量の伸びは鈍り,78年4~6月以後は前年同期を下回るようになっている。しかし,ドル建て価格の上昇もあってドル表示の経常収支黒字幅は拡大をつづけ,78年1~3月には年率220億ドルに達した。しかし,その後は輸出数量の一層の減少,製品輸入の増大などにともなって,ドル表示の黒字幅も縮小に転じており,7~9月には年率179億ドルとなっている。
第三に,76年に大幅な赤字となった英仏伊では,緊縮政策や76年中の為替レート下落によって,77年には改善に向かい,この傾向は現在もつづいている(第I-2-1図)。
第四に,75年以来大幅な赤字をつづけていた西ヨーロッパ小国(スイス,オランダを除く)の経常収支も,78年に入って改善されつつある。たとえば北欧4国(デンマーク,スウェーデン,ノルウェー,フィンランド)の貿易収支(FOB-CIF)をみると,76,77年には年65億ドルと,GNPの3.5%に達する赤字をつづけていたが,78年1~6月には年率18億ドルへと急速に縮小している。
ただ,西ドイツめ場合は,マルク相場の大幅上昇にもかかわらず,かなりの黒字がつづいており,縮小の傾向はみられない。たとえば,貿易収支をみても,78年4~6月は年率200億ドルの黒字(FOB-CIF)であり,77年10~12月(同193億ドル)をむしろ上回っている。マルク高の影響で輸出は若干伸び悩みの状態にあったが,年初から初夏にかけて景気が停滞していたために,輸入も伸びが鈍っていたことによるものと思われる。
以上のように,主要国間の経常収支の不均衝は78年春ごろからやや改善される方向を示しているが,とくに問題なのは依然として巨額な赤字を出しているアメリカと,大幅な黒字がつづいているわが国の貿易収支の動向である。以下では最近のアメリカの貿易収支についてみよう。
75年には110億ドルの黒字を記録したアメリカの貿易収支(FASベース)は,順調な景気回復による輸入の増加を中心に次第に悪化し,76年はじめからは赤字となった。しかし,赤字幅が急速に拡大したのは77年になってからであった(第I-2-2図)。これは,西ヨーロッパなどの景気回復の鈍化を反映して,アメリカの輸出が76年秋から横ばい状態に陥る一方,アメリカの引き続く景気上昇によって原材料,工業品の輸入がふえ続け,これに77年に入って石油輸入の急増が加わったためである(第I-2-2表)。
すなわち,76年7~9月から77年10~12月までの間についてみると,輸出は1.3%の増加とほとんど横ばい状態を示したのに対して,輸入は20.8%もの増大となった。輸入では石油の増加(18%)も大幅であったが,原材料や工業品の伸びも高かった。
しかし,78年に入ってからは,輸入の増加は続いているものの,輸出の増勢はこれを上回るものがあり,貿易収支の赤字幅も1~3月の年率387億ドルをピークに減少に向かい,7~9月には年率252億ドルまで改善されている。78年7~8月の輸出額を77年10~12月とくらべると,半年間に21.9%もふえており,それまでの1年余の停滞にくらべてきわ立っている。これにはソ連,中国向けの穀物輸出の激増など特殊な事情もあるが,工業品が19.8%も伸びていることなどから考えると,海外主要国の景気情勢の好転や,ドルの下落による価格競争力の強化が大きな要因になっていると思われる。
輸入については,工業品の増加テンポはむしろ高まっているが,燃料の輸入額は77年秋をピークにやや減少している。これはアラスカ石油の増産に加えて,民間の石油在庫が削減されたことによるところが少なくない。
したがって,下期以後石油の輸入は再び増大に向かうとみられるが,西ヨーロッパ,日本の景気上昇にともなって輸出も拡大をつづけるとみられ,またドル安の影響も今後むしろ本格化してくると思われるので,貿易収支改善の基調は続くものと考えられる。
上述のような主要国間における国際収支の不均衡や,アメリカと日・独などの間にみられる物価上昇率の相違,さらにはこれらを反映した投機活動などが重なって,国際通貨市場は77年夏以来大きな変動に見舞われている。
とくに77年9月以降は,①米ドルがほとんどすべての主要国通貨に対して下落傾向をつづける一方,②円,マルク,スイス・フランなど,経常収支の黒字がつづき,物価も鎮静化している3国の通貨はほぼ一貫して上昇をつづけ,③ポンド,フランス・フラン,リラなども米ドルに対してはかなりの上昇を示している(第I-2-3表)。
米ドルは77年はじめ以来,円に対してはかなりの下落を示したが,その他の主要通貨に対してはわずかの低下にとどまり,ロイター・カレンシー・インデックス(対米貿易額で加重平均した主要11か国通貨の対ドル上昇率)でみても,76年末から77年9月末までの低下は4.1%にとどまっていた。しかし,アメリカの経常収支赤字幅が期を追って拡大をつづけたうえ,米国通貨当局者が円,マルクなど黒字国通貨の上昇を促すような発言をくり返したこともあって,9月以後,円,マルク,スイス・フランに対してはもとより,ポンド,フランス・フランなどに対しても下落し,9月末から年末までにロイター・カレンシー・インデックスでみて9.1%も低下し,ドル全面安の様相を呈した。
こうした情勢に対処して,米当局は78年1月,財務省と西ドイツ連銀との新スワップ協定締結などの市場介入方針を発表,ついで公定歩合を引上げた。その後も,米独連銀間のスワップ拡大(3月),インフレ対策発表(4月),保有金売却計画の発表(4月),公定歩合の再引上げ(5月)などのドル防衛策を実施した。
経常収支の大幅赤字の継続,年初来のインフレ加速などを背景に,2月以後も,多少の起伏をみせながらも,米ドルの軟化傾向はつづき,とくに7月から8月はじめにかけては,再び大きく軟化し,1ドル=200円,2マルクの大台を割り込んだ。このため,米当局は,公定歩合の引上げ,保有金売却量の増加措置発表などの措置をとった。
しかし,その後も米ドルの軟化はつづき,10月中旬のエネルギー法案の成立,下旬の新インフレ対策発表もほとんど効果がなく,むしろ対策が出尽したという見方からドルは全面安となり,1ドル=180円,1.8マルクを割込み,他の主要通貨に対しても大きく下落した。
このように,77年9月以来,ドル防衛措置の発表によって,その都度多少持直しをみせるものの,大勢として米ドルは一貫して下落傾向を続けた。この結果,77年9月末から78年10月末までの間に,カナダ・ドルを除くすべての主要通貨に対して大幅に下落した。ロイター・カレンシー・インデックスによるこの間の下げ幅は26.8%に達している。
一方,円は,わが国経常収支が大幅な黒字をつづけていることを背景に,77年はじめ以来急速な上昇をつづけ,対ドル・レートは76年末の292.80円から,77年末の240円へ,22.0%も上昇,さらに78年に入ってからも上昇傾向をつづけ,10月末には179円へとさらに36.4%もの円高となった。
このようなドルの低落傾向に対処して,アメリカ当局は11月1日,公定歩合の大幅引上げ(8.5%9.5%),預金準備率の引上げを決定するとともに,300億ドル相当の外国為替市場への介入資金を調達することとした。資金調達の手段は,①30億ドル相当のIMFリザーブ・トランシュの引き出し,②20億ドル相当のSDRの売却,③日本,西独,スイスの中央銀行との間のスワップを現行の74億ドルから150億ドルヘ拡大,④100億ドル相当の外国通貨建て証券の発行である。このほか金の売却量も,従来の月75万オンスから12月以降月々少くとも150万オンスヘ拡大される予定である。これを受けて主要通貨に対しドルはかなり持ち直した。
こうしたなかで,78年に入り欧州では,為替相場安定を求める動きが急速に高まり,7月上旬ブレーメンで開催きれたEC首脳会議において,79年1月発足を目標に新欧州通貨制度(EMS)創設の基本方針が採択された。新欧州通貨制度に関するブレーメン合意の概要は以下の通りである。
(1) 欧州通貨単位(ECU)を同制度の中心に置き,特に通貨当局相互間の決済手段として用いる(ECUは現行欧州計算単位(EUA)と同様に定義)。ECUの最初の供給は,各加盟国が金と米ドル(例えば,加盟各国の外貨準備高の20%)及びこれと同額の自国通貨を預託することを見合におこなわれる。
(2) EMSにおける為替レート管理は,少くとも現行EC共同フロート制(変動幅上下2.25%以内)と同程度の厳格さをもつものとする。但し,現行EC共同フロート不参加国には,過渡的措置として若干広い変動幅が認められることもある。
(3) ECと密接な経済関係にある非加盟国も本制度への参加が認められる。
(4) 中心レートの変更には,加盟国相互の同意が必要とされる。
(5) EMSの中核となる機構として欧州通貨基金(EMF)を設立する。
(6) 現行スネークは,そのまま存続する。
新欧州通貨制度構想は,9月の独仏首脳会議(アーヘン),その後のEC蔵相理事会などを経て徐々に細目が詰められている。一方,こうした動きを背景に,同制度の発足には現行共同フロート通貨の再調整は必至との思惑などから9月以後マルクに対する買い投機が一段と高まり,このため10月中旬にEC共同フロートの介入点調整が行なわれ,マルクはデンマークおよびノルウェー両クローネに対し4%,ベネルックス通貨に対して2%切上げられた。
なお,ドルの低落傾向を反映して,77年以後自由金価格(ロンドン市場)は大幅に上昇し,78年7月下旬には史上初めて1オンス=200ドルの大台に乗せた(従来の最高値は値決め価格ベースで74年12月末の195.25ドル)。金価格はその後も高値更新を続け,10月末には240ドルを突破したが,アメリカの強力なドル防衛措置の発表などにより,11月初にかなり低落した。
このように,主要国通貨の為替レートはこの2年近くの間に大幅に変化した。いま,主要国の通貨がフロート制に移行した直後の73年4~6月を基準として,主要国通貨の対ドル・レートの変化率と,各国の工業品卸売物価の上昇率から,ドル表示の工業品卸売物価の動きを試算してみると第I-2-4表のようになる。これでみると,77年末におけるレート調整後の各国卸売物価の水準は,73年4~6月にくらべてほぼ60%の上昇となっており,価格面での競争力の相対関係は73年4~6月の状態にもどったとみることができる。しかし,その後,米ドルがさらに下落し,円,マルクなどの上昇が続いた結果,78年9月現在では,日本や西ドイツの工業品卸売物価は,73年4~6月にくらべるとアメリカに対して割高になっている。もとより,為替レートの適正水準を一義的に判断することは理論的にも,実際問題としても極めてむずかしい。しかし,このような試算結果に照してみても,最近における米ドルの為替レートが実勢にくらべて下り過ぎ,円,マルクのそれが高くなりすぎていることはまず間違いないところである。
第I-2-4表 工業品卸売物価(対ドル・レート調整後)の推移
後にもみるとおり(第2章第1節参照),物価差を調整した「実質実効レート」でみても,78年に入ってドルは大きく低下,円は大幅に上昇している。この影響もあって,米,日の経常収支の不均衡は78年春ごろから改善される方向に向かっている。
なお,各国の為替レートが大幅に変動する理由や,レート変化が経常収支不均衡をどの程度調整する効果をもっているか,という点については,次章で検討することにする。