昭和52年
年次世界経済報告
停滞の克服と新しい国際分業を目指して
昭和52年11月29日
経済企画庁
第4章 発展途上国と共産圏の経済動向
OPEC諸国の原油生産は1976年10~12月期まで4期増加を続けて,12月には史上最高の34百万バレル/日となったが,77年に入って減少に転じ,1~6月の伸びは前年同期比9.5%増と鈍化した(第IV-8表)。生産が76年後半に大きく伸び,77年前半におちこんだのは,77年1月からの原油価格値上げを見込んだ先買いが行なわれたことによるものである。
75年10月の10%値上げ以降凍結されていた原油価格は,事実,引上げられることになったが,その内容は77年1月以降,①サウジアラビアとアラブ首長国連邦の2か国は5%引上げる(標準原油について1バレル当たり11.51ドル→12.09ドル)が,②他の11か国は10.3%値上げし(11.51ドル→12.70ドル),さらに7月1日以降4.7%の値上げ(12.70ドル→13.30ドル)を行なうというものであり, OPEC原油の二重価格という異例の事態が出現した。しかしその後,77年7月1日以降は,サウジアラビアとアラブ首長国連邦は5%値上げする(12.09ドル→12.70ドル)かわりに他の11か国は7月に予定していた値上げを撤回するという合意に到達し,二重価格制は半年間で解決した。この期間原油生産の伸びは低率値上げ2か国計で前年同期比15.6%増,高率値上げ11か国合計で同6.2%増と大きな差が生じることになった。なかでもサウジアラビア原油との競合関係の強い中東4か国(イラン,イラク,クウェート,カタル)の落ち込みが大きい(第IV-1図)。ただこれにはイラン等4か国が値上げ見越しの先買い需要に積極的に応じた(76年9~12月)ことの反動という面が含まれていると思われる。生産能力に対する生産実績の比率をみると,4か国では76年10月以降年末まで9割を越えており,目いっぱいの生産を実行したことがわかる。
次期OPEC総会は,12月20日からヴェネズエラで開催され,78年1月以降の原油価格が決定されよう。原油需給の引きゆるみ,二重価格制再現を避けたいという各国の意向,中東和平の行方,9月末以降のドルの軟化といった諸要素をふまえての事前の打ち合せが進みつつあるとみられる。
ここでは,原油価格決定に際して無視しえない要因のひとつであると思ゎれる先進国工業品の輸出価格の動きをみておこう。第IV-2図は73年1~3月期以降のOPEC輸出価格と工業品輸出価格の推移を示している。70年を100とする指数でみるかぎり, OPEC輸出価格は,先進国の工業品輸出価格を大きく上回る水準にある。また77年4~6月期の水準を77年1月からの原油値上げ直後の第1四半期と比較すると, OPEC輸出価格は0.8%高,工業品輸出価格は1.O%高であり,両者の関係はほとんど変っていない。
産油国の輸出は,原油生産と同じ傾向を示し,1975年に前年比7.5%減少のあと,76年には20.9%の増加となったものの,先進国の景気上昇鈍化から77年には伸びが鈍って, 1~6月で前年同期比14.3%増にとどまっている。輸入については,76年は,74,75年の前年比各63.8%,65.O%増を大きく下回ったものの,なお23.8%増とかなりの伸びを示した。貿易収支の黒字幅は約100億ドル増加して660億ドル程度となった。この結果,経常収支についても75年実績を50~80億ドル上回ることになったものとの推計が多い(第IV-9表)。
他方,国内では根強い物価上昇がみられ,たとえば,イランではほぼ3割高,最近騰勢が鈍っているインドネシアやナイジェリアでもなお二桁インフレ続行,という状況にある。こうしたところから,多くの国で金融引締めや物価統制の措置がとられており,最近年度の歳出予算も伸び率が低下しているケースが多い。たとえば76年度のイラン,イラク,クウェートの歳出予算の伸びがそれぞれ11%,100%,54%,69%であったのに対し,77年度では同10%,26%,5%,という具合である。