昭和52年

年次世界経済報告

停滞の克服と新しい国際分業を目指して

昭和52年11月29日

経済企画庁


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第1章 1976~77年の先進国経済

第2節 明暗わかれる米・欧の経済

1977年に入ってからの先進国の景気動向にみられる一つの特徴は,西ヨーロッパ主要国が著しく停滞気味になったのに対して,アメリカ経済が比較的好調な上昇傾向を示したことである。以下では,どうしてこのような差が生じたかを検討しよう。

1. 停滞気味の西ヨーロッパ経済

(1)ゆるやかな生産回復

西ヨーロッパ諸国の鉱工業生産の推移は,1975年央以来の景気回復が,二つの意味で不十分なことを示している。第一に, OECD加盟西欧諸国の鉱工業生産指数をみると,75年7~9月期を底として,77年4~6月期までに10%とかなり上昇しているが,不況期の落込みが激しかったため,前回のピークである74年1~3月期の水準にもどったにすぎない。

第二に問題なのは,この生産上昇の大部分は76年春までに生じたもので,その後の上昇はごく小幅にとどまっていることである。すなわち,76年4~6月期から77年4~6月期までの生産増加は1.7%にすぎず,とくに77年に入ってからはむしろ弱含み状態となっている。

このように,不況の谷が深がったにも拘らず回復が遅く,最近になって一層停滞的になった理由を,主として需要項目別に検討してみよう。

(2)民間設備投資の不振

第I-19表 前回ピークとくらべた各国の需要水準

第I-19表は,最近時点の実質GNPとその主要項目の水準を,不況前の時点と比較してどれだけ上回っているかを示したものである。これでみると,個人消費支出は比較的順調にふえている。たとえば,西ドイツの1977年4~6月期の実質GNPは73年7~9月期にくらべて5.6%ふえているが,個人消費はこの間に9.5%も増加している。ただイギリスでは賃金自主規制によって所得の伸びが抑えられる一方,消費者物価の上昇が著しいため,最近では実質所得が減少していることもあって,個人消費の水準は73年当時を3.5%下回っている。

これに対して,固定資本形成の水準は未だ低く,フランスで74年のピークをわずかに上回っているほかは,前回ピーク水準をかなり下回っている国が多い。たとえば,西ドイツでは5.3%,イギリスでは12.6%,イタリアでは22.3%も下回っている。

景気が回復に向かった75年上半期以後の動きを示した第I-20表でみても,西ヨーロッパの民間設備投資の回復テンポは,西ドイツ以外では著しく鈍い。このように設備投資が出遅れている理由については後述(第3草)するが,最大の理由は,操業度の回復が進んでいないことにあると思われる。たとえば,76年末の製造業操業度をみても,景気回復後1年以上経過しているにも拘らず,西ヨーロッパ主要国では,前回不況(71年)の谷の操業度を下回っている(後出第III-9表参照)。

この点は西ドイツも同様である。それにも拘らず西ドイツの設備投資が76年央にかけてかなりのテンポで回復したのは,第一に,73年春に投資税が導入されたことなどの結果,他国にさきがけて投資が減少に向かったこと,第二に,74年末には逆に投資補助金が76年央までという期限つきで導入されたため,75年後半から76年前半にかけて投資が大幅にふえたことがひびいている。したがって,その後投資補助金が期限切れとなり,景気回復テンポもスロー・ダウンするにつれて,西ドイツの設備投資も77年に入って再び低迷している。

(3)住宅建設の低迷

住宅建設が低迷していることも,西ヨーロッパ諸国の景気回復力を弱めている。

住宅着工数ないし許可容積によって,近年の住宅建設の動きをみると,74年から75年にかけては,金利の上昇,金融のひっ迫,資材の高騰,さらに不況の影響も加わって,各国の住宅建設ば大きく減退した。とくに,西ドイツとイタリアでは,73年から75年までの2年間に住宅建築許可容積は,それぞれ37%,32%も減少した。ただイギリスでは,公共住宅建設の大幅拡大にともなって,75年にはかなりの増加をみた。

第I-10図 主要国の住宅建設の推移

76年以降においても,アメリカで住宅建設が激増をっづけているのとは対照的に,西ヨーロッパでは概して停滞的である。たとえば,西ドイツの77年上半期の許可容積は,75年の水準を3%上回る程度であり,イギリスでは75年を2割も下回った。

このように,西ヨーロッパ諸国で住宅建設が不振に陥っている理由としては,つぎの二点が挙げられる。

第一は,年齢別人口の動きを反映して,近年新世帯形成数が減少ないし伸び悩んでいるため,住宅需要があまり大きくないことである。第I-21表に示すように,西ドイツでは60年代後半以来,20~34歳人口は減少しており,これを反映して年間結婚数も大きく減少している。また,75~80年についても20~45歳人口の伸びは5年間で2.4%にとどまると予測されている。イギリスではこれほど極端でないが,70年代に入ってから結婚数はほとんどふえていない。

第二に,西ドイツやフランスでは70年代初期の住宅建設ブームの結果,住宅供給は著しく増大しているとみられる。西ドイツについて,結婚数に対する住宅完成戸数の比率をみると,60年代にはほぼ1~1.1程度であったのに対して,70~74年ではこの比率は1.4にはね上っている。フランスでも,70~74年の住宅完成戸数は,その前5か年を18%も上回った。

このほか,西ヨーロッパ諸国,とくに英・仏・伊では金融引締めが行なわれ,長期金利水準が高いことも,住宅建設の回復に悪影響を与えているとみられる。

(4)国際波及効果

最後に,1976年末から77年にかけての西ヨーロッパ主要国の景気停滞は,一部の国の停滞が,他の国々の輸出の伸びを鈍らせ,それがそれらの国の景気上昇を阻害するという,連鎮反応による面も少なくない。

まず,76年には春から秋にかけて,イギリス,フランス,イタリアが相ついで緊縮政策を採用したため,この3国の輸入量の伸びは次第に鈍り,77年1~3月期には前期比2.5%減少,  4~6月期はほぼ横ばいとなった。また,西欧小国でも,国際収支の大幅赤字がつづいたため,76年末から77年にかけて引締め政策をとる国が多く,その輸入額をみても,77年には減少に転じている(前出第I-6図)。さらに,ソ連・東欧諸国や中国でも,対西側貿易収支の赤字を抑えるため,76年以来輸入抑制策をとったため,共産圏諸国の西側諸国からの輸入も減少しはじめ,77年1~5月のOECDN国からの輸入額は中国では前年同期比38%の激減,ソ連でも同じく4.5%の減少となった。

このような,英・仏・伊,西欧小国,共産圏諸国の輸入の鈍化・減少は,輸出依存度の高い西ヨーロッパ諸国にとって大きな影響を及ぼしている。

そのひとつの例として,西ドイツの場合をとり上げてみよう。西ドイツの輸出額(通関ベース,季節調整値)は,75年10~12月期の574億マルクから76年7~9月期の663億マルクヘ,15.4%も増加した。この増加額は,75年10~12月期の西ドイツのGNPの3.3%に相当する。ところが,その後77年4~6月期にかけては,輸出の増加は1.9%と,ほとんど横ばいになってしまった。地域別にみると,アメリカ向けはこの間に21%も増加を示したが,英・仏・伊の景気低迷を反映して, EC諸国向けは2%の増加にとどまり,さらに, EC,アメリカ以外の先進国(主として西欧小国)への輸出は2%の減少に転じている。また,共産圏向けも,この間に12%も減少した(第I-22表)。

このような輸出の停滞は,輸出依存度が20%をこえる西ドイツ経済にとって大きな打撃であり,最近における景気停滞,投資低迷の大きな原因となっている。たとえば,76年7~9月期から77年4~6月期にかけての共産圏・西欧小国向け輸出の減少は73億マルク(四半期率)であったが,これだけで,西ドイツのGNPの0.3%に相当するものであった。

その結果,西ドイツの輸入も77年初以来横ばい状態となり,それがさらに対独依存度の高い西ヨーロッパ諸国の景気に悪影響を与えている。

(5)景気対策一抑制型予算から刺激策へ

1976年から77年にかけては,インフレと国際収支赤字克服のために抑制的な政策を採用したイギリス,イタリア,フランスはもとより,西ドイツでも慎重な財政金融政策が実施された。しかし,77年春以後景気停滞色が強まり,失業が増大する一方,英・仏・伊も国際収支が顕著な改善を示したため,夏以後主要国は相ついで引締めの緩和ないし景気刺激策の採用に踏み切るに至った。

76年秋に緊縮政策を打ち出したイギリス,フランス,イタリアでは,当然のことながら,77年度の予算は景気抑制的なものとなった。まずフランスでは,76年秋に打出された緊縮政策-バール・プランーのもとで,77年度(1~12月)の予算は,前年度実績見込みに対し,  6~7%の増大にとどめられた。物価上昇を考慮すると,実質的にはゼロ成長予算といえる。また,金融面でも,77年の通貨供給量は,予想される名目経済成長率(13.2%)より低い12.5%増に抑える方針が決められた。

イタリアの77年度(1~12月)予算も,歳出規模は前年度比23.5%増とされ,消費者物価が20%近い上昇を示していることを考えると控え目なものであり,同時に付加価値税等の増税も行なわれた。

また,イギリスの77年度(4~3月)予算も,所得税減税(約23億ポンド,うち9.6億ポンドは賃金自主規制の延長が条件)を含むも"のの,歳出は前年度比10.4%増と,名目成長率以下に抑制し,赤字幅を縮小させるなど,かなり景気抑制的なものとなった。

一方,「機関車国」のひとつと目されていた西ドイツでも,政府は大幅な財政的刺激がなくても77年の実質成長率5%程度は達成できるとの立場をとり,インフレ抑制をさらに推進することに重点をおいた政策を採用した。すなわち,77年度(1~12月)連邦予算案では,歳出規模は前年度実績見込比6%強にとどめられる一方,マネー・サプライの増加率は,予想される名目GNP成長率9%を下回る8%に抑える方針が打出された。その後77年春には,4年間160億マルク(77年分は発注ベースで35億マルク)の公共投資特別計画が決定されたが,このうち連邦政府分を含めても6月に成立した予算では,77年度の支出は前年度比6%増にとどまっている。

このような慎重な政策態度を反映してフランス以外の西欧主要国では,政府支出(政府の財貨サービス購入)の伸びはゆるやかで,成長鈍化の一因とさへなっている。75年上半期から77年上半期までの動きをみると(前出第I-20表),フランスでは政府消費(実質,以下同じ)は年率4%,政府投資は年率6%の増加を示しており, GDPの成長率(3.8%)をやや上回る増大を示している。しかし,イギリスと西ドイツでは,政府消費は年率2~3%の伸びを示したものの,政府投資は西ドイツでは年3.5%,イギリスでは年5.5%のテンポで減少し,景気回復の足を引っ張ることになった。

しかし,77年に入ってから,西ヨーロッパ4か国の景気が予想外に停滞的となったため,各国では春ごろから失業対策を中心とする小出しのテコ入れ策を実施することになった。

フランスでは鉄鋼,造船など不況産業への融資(2月),若年労働者の雇用促進策と外人労働者の出国奨励策(4月),老齢者への社会保障給付条件の緩和等(4月)が実施された。また,西ドイツでも5月に,中高年層,婦人,若年失業者を対象とした失業対策の拡充,社会住宅計画への3万戸の追加などの対策が講じられた。つまり,インフレや国際収支(西ドイツを除く)問題への配慮から,全面的需要刺激策には踏み切れなかったために,とくに不振な産業へのテコ入れや,失業減少のための選択的政策がとられたのであった。

しかし,景気の停滞,失業の増大はその後も一向に改善されず,むしろ悪化する傾向がみられた。このため,8月から10月にかけて,西ヨーロッパ主要国では相ついでマクロ的な景気刺激策が打出されるに至った。

フランスでは,8月末,1年振りに公定歩合が引下げられる(10.5%→9.5%)とともに,学童手当の増額,景気調整基金の発動など,総額55億フラン(GDPの0.3%)の財政支出増額が決定された。また,9月に閣議決定された78年度予算案は,歳出規模が前年度補正後予算比12.5%増と,過去2年(同じベースで76年度4.6%増,77年度6~7%増)より大幅な伸びが見込まれており,財政収支尻(総合)も, 69年以来はじめて,当初から89億フランの赤字を見込んでいる(77年度は政府案では2.5億フランの黒字,実績見込みは160~170億フランの赤字)。しかし,78年の名目GDP成長率は12.6%と予想されており,この点からみると,「中立型」の予算だといえよう。

西ドイツでも,8月末に預金準備率の10%引下げなど,金融面からの緩和が発表されたのにつづいて,9月には財政面から,次のような景気刺激策が閣議決定された。(1)減税一所得税減税と減価償却率引上げ等で,その規模は政府案では73億マルクだったが,議会審議の過程で109億マルク(GNPの約1%)へ増額された,(2)財政支出増-78年度連邦予算の規模を前年比10.1%増(77年度は6.2%増)とし,州・地方自治体にも同様の支出増加を要請する(合計約30億マルク)。

イタリアでは,国際収支の改善を背景に,公定歩合が6月,8月と2回にわたり,15%から11.5%に引下げられた。しかし秋に発表された78年度予算案(現金ベース)では,支出規模はIMFの厳しい枠内におさめるために前年度比約7%増となっており,物価上昇率見通し(12%)を考えると低く抑えられている。

イギリスでは,国際収支の改善,国内金利の低下にともない,最低貸出し金利は77年に入ってからも逐次引下げられていたが,8月から10月にかけては3.O%も大幅に引下げられた(5.O%へ)。財政面でも,7月には,賃上げ自粛を促すため,所得税減税の追加(総額9.6億ポンド)および物価・失業対策(2.8億ポンド),児童手当引上げ(3億ポンド,78年度より)など一連の財政措置をとり,不況対策を強化した。さらに,9月初のTUC(労働組合会議)大会で政府の賃上げ間隔についての12か月ルールが合意されたことなどを背景に,10月末,補正予算による追加的景気刺激策を発表した。主な内容は,(1)所得税減税(77年度9.4億ポンド,78年度12億ポンド),(2)年金受給者にたいするクリスマス・ボーナスの支給(予備費より約1億ポンド),(3)公共支出の増額(78年度約10億ポンド)などであり,77年度10億ポンド強(76年GDPの0.9%),78年度約20mポンドの財政負担増となる。

2. 比較的順調なアメリカ経済

(1) 比較的順調な回復

1974~75年不況後におけるアメリカの景気回復は,西ヨーロッパ諸国にくらべてはるかに順調である。景気の谷から77年4~6月期までの鉱工業生産の増加率をみても,西ヨーロッパの10%に対してアメリカでは21%にのぼっており,前回ピークの73年10~12月にくらべても,7%近く上回っている。

とくに,77年に入ってからも好調な拡大をつづけていることは前述の通りである。もちろん,アメリカの場合も,74~75年の不況が深刻であっただけに,現在の経済活動水準は決して高いとはいえないし,その結果,失業率も7%と,過去の不況期より高い水準にあるなど,多くの問題をかかえている。しかし,他の先進諸国にくらべて,著しく好調なことは否定できない。以下では,その原因を,主として前節で述べた西ヨーロッパ諸国の状況と対比しながら検討してみよう。

(2) 堅調な民間設備投資

アメリカでも民間設備投資の回復が出遅れ,盛上がりに欠けているという点では西ヨーロッパ諸国と共通している。しかし,景気の谷に2四半期おくれて,1975年7~9月期に底入れしてからは,民間設備投資も実質,年率8~9%のテンポで堅実な増加をつづけている。また,77年についても,他の主要国の民間設備投資(実質)の伸びが,せいぜい3~4%と予想しているのに対して,アメリカでは8~9%の増大が見込まれるなど,他の国にくらべれば格段に良好である。

これは,74~75年における財政面からの刺激が他の諸国より大規模であったことや,住宅建設の激増などにより,76年末にかけての総需要のふえ方が西ヨーロッパ諸国より大幅であったことによるところが大きい。たとえば,76年のアメリカの実質成長率は6.0%で,日本(6.3%),西ドイツ(5.7%),フランス(5.2%),イタリア(5.6%)と大差がなかった。しかし,1960年代の平均成長率にくらべると,日本では大きく下回り,西欧諸国ではほぼ等しい程度であったのにくらべ,アメリカでは60年代の平均3.9%をかなり上回っていたことを見落してはならない。つまり,長期的な平均成長率を大きく上回ったのは,アメリカだけであった。

この結果,製造業の操業度も,不況のボトムに当る75年1~3月期の70.9%から76年末には80.6%へ,10ポイントも上昇し,77年7~9月期にはさらに83.O%へと上昇をつづけている。これは,西ドイツの操業度が,不況の谷から75年末までに6ポイントの上昇にとどまり,その後77年6月までに逆に1ポイント低下しているのにくらべて,著しい相違である。

(3)激増した住宅建設

つぎに,1975年1~3月期を底として,住宅建築投資が激増し,その後,最近まで,年率20%をこえる増加テンポを維持していることも,好調な回復を支える重要な要因となっている。住宅建築着工数でみても,75年の116万戸から,76年には154万戸へ,さらに77年上期には年率183万戸へと激増している。

このように,住宅建設が著増しているのは,西ヨーロッパとは全く対照的な事情によるものである。すなわち,第一に,60年代後半から,20~34歳人口が急速にふえはじめており,これを反映して結婚数も急増している。またこの傾向は80年までつづくと予測されており,住宅需要は大きい(第I-21表)。しかも,アメリカでは,南部,西部へ向かっての人口移動が激しいことも考えると,住宅需要はこの表の数字にあらわれている以上に強いものがあると考えられる。

ところが第二に,住宅着工の推移をみると,60年代は概して低調であり,とくに高金利のつづいた60年代後半の着工数は,60年代前半を下回った。この結果,それまで0.9程度を示していた結婚一組当りの住宅新築数も,60年代後半には0.7に低下した。

このような事情から,71~73年には住宅建設は大幅にふえたが,それでも結婚数に対する比率は0.8にとどまった。その後74,75年には,高金利や不況により,住宅建設も大きく落ち込んでいた。しかし,潜在需要が旺盛であったために,金融の緩和,景気の好転とともに,住宅建設が爆発的に増大することになったとみられる。

(4)低い対外依存度

アメリカ経済は,西欧諸国にくらべて輸出依存度が低く,海外諸国の景気低迷の影響を余り大きく受けなかったことも見逃せない点であろう。アメリカの輸出依存度(商品輸出額のGNPに対する比率)は,1960年代はじめの約4%から次第に上昇し,75年には7.1%に達した。しかし,西欧主要国の輸出依存度が20%内外にのぼるのと比較すると,著しく低い。

もとより,76年なかば以後,アメリカの輸出が伸び悩んでいること,とくに西欧諸国における設備投資の不振から,アメリカの輸出の主柱である資本財輸出が停滞していることは,機械産業の回復を遅らせるなど,好ましくない影響を与えている。しかし,その程度は,西欧諸国にくらべれば比較にならないほど小さいといえる。

このほか,エネルギーの自給度が高く,石油価格が他の先進国より低く抑えられていることも,企業活動にとっての障害や不確実性を他の国にくらべて小さいものにしていると考えられよう。71年をピークとしてアメリカ国内の原油生産は減少気味であり,このrこめ石油の輸入依存度は70年の23.8%から76年には42.9%へと著増し,最近における貿易収支赤字の大きな原因となっている。しかし,イギリス以外の西欧諸国や日本が,石油のほとんどを輸入に頼っているのにくらべれば,不安感もそれだけ緩和されていると思われる。また,政府が国内産原油価格を国際価格より低く抑えている結果,アメリカの原油価格ば77年3月現在で平均1バレル11.90ドルで,輸入原油に全面的に依存する諸国(たとえば日本では13.40ドル)にくらべてかなり低い。

この点は,エネルギー節約という観点からは問題であるが,エネルギー多消費産業の生産コストを低め,自動車需要への悪影響を緩和するなど,当面の経済活動にとっては,他の国にくらべてプラスになっているとみられる。

(5)景気対策一刺激策から金融引締めヘ

アメリカでも景気回復過程における政府購入(実質)の伸びは小幅にとどまった。とくに1975年下半期から77年はじめにかけて,政府支出はほぼ横ばいであった。

しかし,76年末から77年はじめにかけて,公定歩合が引下げられ,またカーター新大統領によって,財政上の刺激策が提案されるなど,景気上昇を維持するために,当局が西欧諸国にくらべて積極的な姿勢を示したことも,企業のコンフィデンスを強めるのに役立ったと考えられる。

すなわち,11月に選挙されたカーター新大統領は,77年1月末,2年間にわたり312億ドルにのぼる財政面からの景気刺激策を提案した。このうち,77年度分は155億ドルで,その中心は114億ドルの個人所得税の還付等を77年初夏に行ない,景気刺激の速効をねらったものであった。

ところが,景気情勢は76年末ごろから好転し,  1~3月期の成長率は年率7.5にも達し,失業率も順調に低下しはじめた。これに政治的事情も加わり,カーター大統領は4月に個人所得税等の払戻し案を撤回するに至った。

その結果,77年9月に終る77年度の連邦財政は,歳出11.1増,歳入19.9増となり,財政赤字も前年度を184億ドル下回る481億ドルと見込まれ(7月の年央見通し),結果的にはやや抑制的効果をもったと推定される。ただ,78年度予算については,歳出が77年度比12.8増と増大するのに対し,歳人は10.8の伸びにとどまり,赤字幅も613億ドルに拡大する見込みであり(9月央の両院協議会可決),かなりの景気拡大効果をもつものとみられる。

一方,金融政策をみると,77年4月ごろからマネー・サプライが急増したため,連邦準備制度理事会はむしろ引締め気味の政策運営を行なっている。

その結果,短期金利は4月以後かなり急テンポで上昇し,8月には公定歩合が引上げられた(5.25→5.75)。その後も短期金利の上昇はつづいており,プライム・レートも,4月の6.25から,10月下旬には7.75に順次引上げられている。さらに,10月下旬には公定歩合が再び引上げられた(5.75%→6.O%)。


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