昭和52年

年次世界経済報告

停滞の克服と新しい国際分業を目指して

昭和52年11月29日

経済企画庁


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第1章 1976~77年の先進国経済

第1節 先進国の景気動向とその特徴

1977年は,世界経済にとって,不十分な景気回復の年であった。

1975年のなかばに,戦後最大の不況から立ち直った先進諸国の経済は,76年春ごろまで急速な回復を示したが,その後全体として回復テンポは鈍り,77年に入ってからは,アメリカ経済がほぼ順調な上昇をつづけたほかは,予想以上に停滞的となった。とくに西ヨーロッパでは,回復第3年目を迎えながら,失業者数が増加するという,戦後としては前例のない事態が生じた。

また,わが国でも国内需要の回復はゆるやかなものにとどまり,雇用状態の改善もはかばかしく進んでいない。

このように主要国の回復が遅れているため,世界貿易も77年に入って増勢が弱まっている。とくに注目されるのは,アメリカとその他主要国との間にみられる景気情勢の相違を反映して,英・仏・伊の経常収支赤字幅は目立って縮小したものの,アメリカの経常収支が石油輸入の急増もあり年初来巨額の赤字となっていることである。他方,西ドイツは黒字をつづけ,わが国の経常収支黒字も大幅に増大した。

この結果,わが国やドイツに対して,国内需要の一層の拡大と,円,マルクの為替レート上昇を要求する声が強まる一方,高い失業率を背景に,保護主義的傾向が強まっている。

先進工業国の景気動向を振り返ってみると,多くの国では,75年なかばごろから景気回復過程に入り,76年にはOECD (経済協力開発機構)加盟国全体として実質5.2%の成長を達成することができた。それに伴い世界貿易量も75年の2.2%減から76年の10.6%増へと顕著な回復をみせた。

しかし,景気上昇が直線的に進行したわけではなく,また国別にも大きな格差がみられた。

76年春頃までは急速な景気回復がみられ,主要国の実質GNPは後退前ピーク水準を回復した。この時点では先進国の景気回復がようやく軌道にのりはじめたと考えられていた。同年6月のサンファン主要国首脳会議でも,景気回復に対する自信の表明と,景気刺激よりはむしろ同時的ブームの回避とインフレ再燃の防止に重点をおいた慎重な政策をとる必要性が強調された。

しかし,実態経済面では76年春以降ほとんどすべての国で景気上昇テンポが急速に鈍化し,秋頃までいわゆる中だるみ現象が続いた。それまでの急速な回復を支えてきた在庫積増しが一巡したことと,75年中に各国でとられた景気対策の刺激効果が次第に減衰する一方,民間設備投資が予想ほどには盛上がらなかったためである。

しかもこの間に英・伊・仏などでは一時好転していた経常収支が景気回復に伴い再び悪化して赤字幅が拡大し,物価上昇率も再び高まってきた。そのため,これら諸国では為替レートが大幅に低落し,春から秋にかけて各種の引締め政策の採用をよぎなくされた。

その後同年暮までにアメリカ,西ドイツなどを中心に景気上昇テンポが一時的に持直したものの,アメリカを除くといずれも長つづきせず,77年に入ってからは再び景気の伸び悩みと停滞色が濃くなって失業の増加がめだってきた。EC諸国全体の77年の成長率についてのEC委員会の予測も76年10月の4%から,77年6月3.5%,10月2.5%へ次第に下方修正された。なかでも引締め下にある英・仏・伊の停滞色がめだったが,それまでに比較的好調だった西ドイツでも77年春以後停滞状態に陥っている。

他方,アメリカの景気は年初の異常寒波にも拘らず順調な上昇テンポを維持し,77年1~6月の実質経済成長率は年率6~7%にのぼり,失業率もかなりの低下を示した。

いま,75年央以来の景気回復局面にみられる特徴を要約すると次のとおりである。

これを要するに,石油ショックと二桁インフレ,戦後最大の不況などの後遺症がなお残っており,それが景気,雇用,物価,国際収支や経済政策に大きな影響を及ぼしてきたといえよう。

以下では,77年を中心に,先進国経済にみられる特徴的な動きを検討してみよう。

1. 先進国景気の緩慢な回復

まず先進国の景気動向を鉱工業生産の動きでみると,第I-1表のとおりである。1976年春までの急速な回復と,その後の一時的な伸び悩み,さらに同年秋または年末からの持直しまでは,米・欧・日ともほぼ似たようなパターンを示していた。しかし,77年にはいってからは米・欧・日の足並みがみだれ,アメリカの鉱工業生産が1~3月期1.6%増,4~6月期2.4%増と急速な上昇をつづけたのに対して,西欧の鉱工業生産は1~3月期に1.7%増と減速したあと,4~6月期には前期比2.5%の減少となった。

第I-1図 アメリカ,ヨーロッパ,日本の鉱工業生産の推移

また実質GNPの動きでみても(第I-2表),ほぼ同様な傾向がみられる。76年上期の急速な上昇から下期の減速までは米・欧とも同じであったが(アメリカ64 5→3.7%,欧州主要4か国6.5→3.2%,いずれも年率),77年上期になるとアメリカの成長テンポが高まった(3.7→5%%)のに対して,西欧主要4か国ではさらに減速している(3.2→2%%)。

米欧間にこのような格差がみられるばかりでなく,西ヨーロッパ内部でも国別の差が大きい。77年4~6月期の水準を景気の谷及び後退前ピークと比較してみると(第I-3表),西ドイツ,フランス,イタリア,オランダ,ベルギー オーストリアなどでは谷からの回復率も高く,後退前ピークを2~3%上回っているのに対して,イギリス,スイス,スウエーデンなどは回復率も低く,後退前ピークを取戻していない。

つぎに,今回の景気回復を過去の景気回復期と比較してみよう。第I-4表から明らかなように,OECD全体としてみた場合,生産回復がはじまってから9四半期目までについてみると,今回の上昇テンポは前2回の上昇期とくらべて明らかに緩慢である。景気の谷から77年第4~6月期(9四半期)までの生産上昇はOECD全体で14.8%であったが,前2回の上昇期には同じく谷から9四半期までに17~18%の上昇をみせた。今回の回復が大幅な生産低下(10.0%)からの回復であったことを考えると,回復テンポの緩慢さが一層きわだってくる。その結果,前2回の上昇期には9四半期目に後退前ピークを17~18%上回っていたのに対して,今回はわずかに3.3%上回るにすぎない。こうした生産回復の緩慢さの原因はもっぱら最近におけるヨーロッパの停滞にあり,アメリカの上昇テンポは前2回とくらべて遜色がなかった。

また,各国政府やOECDが完全雇用を中期的,漸進的に回復するためにたてた成長目標からみても,上昇テンポは緩慢すぎるといわねばならない。

76年の成長率5.2%なまずまずとしても,77年の予想成長率4%(OECD予測)は76年6月OECD閣僚理事会で採択された中期成長目標(年平均5.5%)を明らかに下まわっており,完全雇用へ向かっての前進どころか,ほとんどの国で失業者数が増大しているのが現実である。

2. 世界貿易の伸びも鈍化

世界的な景気回復に伴い,世界貿易(除共産圏,輸出,数量)も1975年秋頃から回復に向い,76年には実質で10.6%も増加した(75年は5.1%減)。後退前ピークの74年にくらべても5.O%増となる。

こうした世界貿易の回復は,地域別にみると,先進工業国の輸入回復(前年比14.4%増)によるところが大きい。産油国の輸入数量は75年の54.2%増から76年には17.2%増へと減速したものの,依然大幅な増加を示した。一方,非産油発展途上国の輸入数量は,5.3%の伸び(前年は1.5%減)にとどまった。

他方,輸出の動きを地域別にみると,先進工業国の輸出は76年に実質で10.O%増と大きく伸びた。これはもちろん工業国の景気回復により工業国相互間の貿易が大幅に拡大したためであり,それがまた工業国の景気回復を促進したことになる。石油産出国の輸出も前年の13.2%減から76年には14.0%増となった。また,75年に先進国不況の影響で2.2%減少した非産油発展途上国の輸出も14.2%と大幅に増加した。発展途上国の輸出増ばいうまでもなく,工業国向けの増加によるものであり,これをOECD統計でみるとOE CDの輸入(名目)は76年に域内11.3%増に対して域外は19.1%も増加した。

このように76年の世界貿易は大きく拡大して,工業国,途上国双方の景気回復に大きく寄与したが,これを年間の推移としてみた場合,下期には増勢がかなり鈍化した。四半期別に輸出数量の前期比増加率をみると,  1~3月期の4,8%から10~12月期の1.9%まで次第に鈍化し,さらに77年1~3月期には前期比0.1%減とほぼ横ばいとなった。

76年下期以降世界貿易の増勢が鈍化した主因は,いうまでもなく先進工業国の成長鈍化によるものである。先進工業国の輸入数量は76年1~3月期の前期比6.3%増から76年10~12月期の2.4%増へ次第に鈍化した。とくに,77年に入ってからは,1~3月期の1.6%増のあと,4~6月期には0.3%とわずかながら減少している。また非産油発展途上国の輸出の伸びも76年1~3月期は前期比5.6%増と大幅に伸びたが,その後鈍化し,77年1~3月期には1.5%の減少となった。

こうしたところから,77年の世界貿易の伸びは年初には約7~8%と予想されていたが,最近は6%程度の伸びしか予想されていない(9月発表のガット報告)。過去の景気上昇期である72~73年と68~69年に,世界貿易量が2年つづけて10%を上回る伸びをみせたのと比べて,今回の上昇期は貿易面でも活力が乏しいといえよう。

第I-2図 世界貿易(1)の動向

3. 小康状態のインフレ

(1)先進国の物価

先進国の物価は1976年春頃までは,石油ショック直後の狂乱物価からの鎮静化をつづけていたが,その後は概して足踏み状態となり,さらに同年秋以降は夏のかんばつ,商品相場の再高騰,77年はじめのアメリカの異常寒波,一部諸国における間接税,公共料金引上げなどから,物価上昇率が再び高まった。このほかイギリスやイタリアでは76年秋頃まで続いた為替相場の下落も,物価上昇の重要な要因となった。

しかしながら他方では,賃金上昇率が概して小幅化してきたこと,需給ギャップが依然として大きく,一部の国では最近再び拡大しつつあることや,世界的な穀物豊作など,基本的な物価環境は76~77年を通じてむしろ改善されてきている。そのため前記の一時的な諸要因の影響が出つくした77年央以降は,国際商品相場が春頃から急落したこともあって,次第に物価鎮静化のきざしがみえはじめた。

とはいえ, OECD平均の消費者物価上昇率は今日なお前年比約9%もの高さにあり,物価情勢が依然としてきびしいことに変りはなく,インフレ抑制はなお重要な政策課題となっている。

第I-5表 先進諸国の消費者物価上昇率

しかも国別にみた物価格差は依然として大きく,むしろ昨年より拡犬している(第I-5表)。スイスや西ドイツなどの物価が比較的落ちついた動きを示しているのに対して,イタリア,イギリス,スウェーデンが二桁上昇をつづけているほか,最近ではデンマーク,フランスの消費者物価も二桁またはこれに近い上昇となっている。

つぎに賃金の動きをみると,大量失業の定着と一部諸国の賃金抑制策にょり,多くの先進国の賃金上昇率は,76年以来次第に鈍化してきた(第I-6表)。他方,景気上昇に伴う生産性の急上昇があり,その結果単位あたり賃金コストは76年央頃までおおむね安定的に推移し,西ドイツなどではむしろ低下した(第I-7表)。

77年に入ってからも賃金上昇率は多くの国で鈍化しているが,西ドイツとアメリカではやや上昇率が高まり,イタリアでは大幅に上昇している。

ただ,イタリアの場合は,最近賃上げ抑制のため賃金スライド制の部分的修正が実施されており,今後の賃金上昇率が小幅化するものと期待されている。またイギリスでは,過去2年間実施されてきた社会契約による賃金自主規制が8月以降消滅したが,その後の動きをみると懸念されたような賃金の大幅上昇は避けられる模様である。

(2)軟化した一次産品価格

一次産品(石油を除く)価格については,エコノミスト(ドル建て)指数によると,1975年6月を底として上昇に転じたあと,需要の回復や英ポンドの大幅下落などにより,76年夏ごろまで上昇をつづけ,同年秋に一時反落したが,76年末から再び急テンポの上昇をみせた。その結果,77年4月のエコノミスト指数は75年6月にくらべて75.6%も上昇した。しかし,その後8月までに22.4%低下し,夏以後はほぼ下げ止まりの状態となっている(第I-3図)。

いま,77年9月の水準を75年6月頃の底値と比較してみると,総合指数では36.3%上昇している。しかし,これは主としてコーヒー ココアの暴騰,油脂の高値によるもので,工業原材料価格はこの間14%上昇したにとどまり,なかでも金属は3%しか上っていない。この間,世界の工業品輸出価格(ドル建て,国連指数)は11%の上昇を示していることを考えると,工業原材料価格は相対的にはごくわずか上昇したにとどまる。

このように,一次産品価格が77年春以後大幅に下落し,現在比較的低い水準になっているのは,主として以下の3つの事情によるものである。

第一は,先進工業国の生産回復テンポが鈍く,工業原材料,とくに非鉄金属の需給が緩和していることである。たとえば,銅についてみると,年初から春にかけては,アメリカ産銅メーカーのスト予想などからかなり上昇したものの,大量の在庫が存在するうえに,ストが短期間で解決されたために,急反落し,9月の水準は,75年6月の底値(ポンド調整ずみ)近くまで下っている。ただ,需給がひっ迫している錫は例外で,春以後も史上最高値を更新しつづけている。

第二は,穀物,綿花など農産物の豊作が予想され,在庫の増大がつづくとみられていることである。たとえば,大豆は,76年末から77年春にかけて,飼料需要の拡大による大豆粕需要増大の予想や76年産大豆の不作による米国大豆在庫の減少予想から急騰したが,その後急落に転じた。また,アメリカ農務省の見通し(10月発表分)によると,本年度の世界穀物収穫高(コメを除く)は1,085百万トンと見積もられ,史上最高を記録した76年の1,150百万トンに次ぐ豊作が予想されている。その結果,世界の穀物在庫も77/78年度末には177百万トンと記録的水準にのぼると予想され,小麦は72年後半の,とうもろこしは73年なかばの水準に下がった。

第I-8表 一次産品相場の推移

第三に,75年のブラジルの大霜害などから暴騰をっづけてぃたコーヒーガーナ,ナイジェリアの不作から急騰していたココアが,いずれも高値による需要減退などから,77年春以後反落したことである。たとえば,コーヒー(ニューヨーク相場)は4月の最高埴から9月末までに50%も下った(75年春にくらべるとなお2.5倍近い高水準にある)。

4. 地域別国際収支の変化と通貨調整

(1)世界の地域別国際収支

石油ショック以来,産油国の経常収支が大幅な黒字を示し,石油輸入国が赤字というパターンが続いている。こうした基本的構造の中で,各地域の国際収支は景気循環を反映して年々かなりの変化を示している。1976年には世界景気の回復を背景に2つの大きな変化がみられた。1つは,景気回復に伴う石油輸入の増大を主因に,先進工業国の経常収支が75年の大幅黒字(190億ドル)から76年には10漉ドルの赤字へと大きく悪化したことであり,もう1つは産油国の黒字が75年の350億ドルから76年には410億ドルへと再び拡大したことである。一方,非産油発展途上国では先進国向け輸出の増大に加えて,対外累積債務問題を抱えて輸入を極力抑えたため,経常収支の赤字幅は75年の380億ドルから76年には260億ドルへとかなり縮小した。つまり,先進工業国の経常収支は200億ドル悪化したが,その7割は非産油発展途上国の赤字幅縮小へ,3割が産油国の黒字幅拡大へと向ったことになる。

77年については,上記のような地域分類による経常収支の姿は,76年にくらべて大きくは変化しないとみられている(第I-9表)。先進工業国では,成長テンポの鈍化,在庫投資の減少,北海石油の増産などから,輸入の伸びが鈍る一方,緩慢な景気回復を背景に輸出も増勢が鈍化するとみられるため,経常収支は全体として前年並みの小幅な赤字になると見込まれている。

また,産油国の黒字は先進工業国の景気回復テンポの緩慢化などからやや縮小し,その分だけ先進非工業国と非産油発展途上国の赤字が輸入需要の抑制効果もあって僅かずつ減少することになりそうである。

しかしながら,先進地域の内部をみると,77年に入って,国際収支情勢は大きく変化している。すなわち,イギリス,イタリア,フランスの3国では,昨年中の通貨の大幅下落や緊縮政策の結果,経常収支の赤字幅は目立って縮小している。一方,景気回復がひとり順調に進んでいるアメリカでは,石油輸入の急増もあり,77年に入って経常収支は巨額の赤字を示している。

また,西ドイツ,オランダ,スイスの黒字傾向がつづき,わが国の黒字幅が一段と拡大する反面,その他の西欧小国では依然として大幅な赤字がつづいている。

このような各国の国際収支情勢を反映して,国際為替市場では,76年中大幅に低落したポンド,リラ,フランス・フランが77年年初来安定化するとともに,円,マルク,スイス・フランの上昇傾向がつづいている。一方,米ドルは6~7月および9月末以後,軟化をみせ,また,北欧,南欧諸国の中には通貨の切下げを余儀なくされる国が続出した。

以下,このように大きな変化が生じた原囚を検討してみよう。

(2)アメリカの経常収支赤字の原因

1976年半ばから赤字に転じたアメリカの貿易収支(F.A.S.ベース)は77年に入り急速に赤字幅を増大させ,1~9月累計で193億ドルと76年全体の赤字額58.8億ドルを大きく上回るに至った。このため,サービス収支が好調であったにもかかわらず,経常収支も76年後半から赤宇に転じ,77年上半期で87.6億ドルの大幅赤字となった。

以下,貿易収支悪化の要因についてみるとともに,それのもつ世界経済への影響もあわせて考えよう。

第I-10表 経常収支の推移

第I-11表 貿易収支(F.A.S.ベース)の動き

(a)貿易収支悪化の要因

貿易収支赤字が76年後半から急速に拡大したのは,①76年6月頃から輸出がほとんど停滞気味となったことに加え,②景気の回復とともに75年半ばから増加基調をつづけていた輸入が76年末から77年年初にかけて石油を中心に急増を示したことによる(第I-4図)。

① 輸出の停滞

輸出は76年7~9月期までの1年間に9.4%の増加を示したあと,停滞気昧となり,77年4~6月期までの増加は3.4%にすぎなかった(前掲第I-4図)。品目別にみても,食料が75年以降,世界的な豊作を反映して停滞しているほか,製造業製品でも化学製品,機械輸送設備などわずかな伸びにとどまった。

このように輸出が低い伸びにとどまった理由としては,76年春先から77年にかけて主要国の回復テンポが鈍化したことがあげられる。事実,76年から77年にかけてのアメリカの地域別輸出の動きをみると,アジア向けは76年の前年比5.3%増から77年1~5月で前年同期比10.1%増と増勢をたかめたが,3割強と最も高いシェアを占めるヨーロッパ向けは76年の前年比9.7%増から77年1~5月で前年同期比8.2%増へと低下を示した。またカナダ向けも増勢がやや鈍化を示した。

第I-5図 主要な輸入項目の推移

② 増大する石油輸入

一方,輸入は75年春に景気が回復に転じたのに対応して,同年7~9月期以降,一貫して急テンポの増加をつづけ,77年4~6月期までの1年間で28.2%も増加している。品目別には鉱物性燃料を中心に機械輸送設備,食料などほとんどの品目で一貫して増加傾向がみられた(第I-5図)。76年4~6月期から77年4~6月期までの主要な品目別の増加寄与率をみると最も高いのは鉱物性燃料の41.6%,次いで機械輸送設備の16.2%,食料12.7%となっている。

このように最近の輸入増加に石油輸入の増加が果した役割はいちじるしく大きかった。石油輸入はアメリカ国内の石油,天然ガスの生産低下から74年以降,基調的に増加しているという構造的要因がみられたが,これに加えて76年末の石油値上げを見越したかけ込み輸入,77年年初の異常寒波による輪入の急増という一時的要囚が重なったためとみられる。ちなみに75年1~3月期から76年4~6月期までの石油輸入(名目)四半期平均増加率は3.8%であるのに対し,76年4~6月期から77年4~6月期までの四半期平均増加率は実に9.8%へと急増を示した。石油輸入の増加については異常寒波の影響の終息,アラスカ原油の本格稼働など年後半にかけそれを削減するいくつかの好材料はあるものの,基本的には現在審議中のエネルギー政策の帰すう如何によるところが大きく,その解決にはなお時間を要する問題といえよう。

石油以外の輸入も経済活動の活発化にともなって増加している。しかし,それが今回の回復期について異常に大きいというほどのものではなかった。たとえば,過去の回復局面について実質GNPに対する輸入需要(石油を除く)の弾性値を計測してみると,前々回2.19,前回3.51に対し今回は2.80となっており,前2回の平均的な大きさである。

ただ,この中で,発展途上国からの工業製品輸入が大幅に増加していることが注目される。たとえば,76年の工業品輸入総額は27%増加したが,中南米・アジア(除日本)からの輸入は47%も増加した。

(b)貿易赤字の影響

以上みたように最近のアメリカの大幅な貿易赤字の背景には,輸入面の構造的要囚も含まれており,短期間に解消に向かうとは考えられない。アメリ力政府筋では77年全体の貿易赤字額は250~300億ドルに達すると見込んでいる。このような貿易赤字は世界経済にとってどのように評価できるであろうか。

第一は,世界景気への影響である。アメリカの貿易赤字の拡大が,他国の赤字を軽減することによって,世界景気の上昇に貢献していることである。とくにアメリカの発展途上国との貿易黒字が76年に大幅に縮小し,77年には赤字に転化していることは,これら諸国に好影響を及ぼしたと考えられる。しかし,半面,アメリカの貿易収支赤字の大半がOPEC諸国に対するものであることも事実である。77年1~6月のアメリカの貿易収支(F.A.S.ベース)は118億ドルの赤字で前年同期に比べて120億ドル悪化している。このうち約49億ドルはOPEC諸国に対する赤字の拡大であり,その他諸国との収支悪化は72億ドルであった(第I-12表)。

一方,石油輸入の著増にともない,対OPEC赤字は,前年同期の2倍近くになっている。OPECに対する赤字の増大は,他の国の国際収支にとって直接的にはプラスにならない。もし,こうした傾向がつづくなら,世界的な石油需給のひっ迫化をもたらし, OPEC諸国の原油価格引き上げを容易にする条件をつくることにもなる。さらに,石油消費国全体としてのOPE C依存度が上昇するためにOPECの石油戦略に左右される度合がたかまるという面ももっている。

第二は,国際通貨情勢に対する影響である。アメリカの経常収支赤字拡大を背景に,ドルは77年6~7月と9月末以後,他の主要国通貨に対して軟化した。現状では,経常収支の赤字はOPECその他からの資本の流入でカバーされていることや,アメリカ経済がひとり好調な拡大をつづけていること,物価も比較的安定していること,ヨーロッパにくらべて政情が安定していること,などを考慮すると,アメリカは投資先として,十分の魅力をそなえているとみられ,このような資本流入は今後もつづくと思われる。しかしアメリカの経常収支赤字がさらに拡大し,長期にわたって続くような場合にはドルへの信認の低下, OPECによる原油価格の引上げなど好ましくない事態が生ずることも懸念される。

(3)西ドイツ,日本の黒字つづく

一方,1976年に経常収支が黒字であった日本,西ドイツ,オランダ,スイスなどでは,77年に入っても黒字傾向をつづけており,わが国では黒字幅拡大が続いている。

西ドイツの経常収支は,石油危機以後も黒字をつづけているが,黒字の規模は74年の251億マルクから,75年93.8億マルク,76年には84.6億マルクと縮小している。77年についても, 1~8月の累計は19.8億マルクで,前年同期(23.2億マルク)を下回っている。もつとも,77年に入ってからの黒字の減少は主として貿易外収支の赤字幅の増大傾向がつづいたためで,貿易収支の黒字幅は拡大している(77年1~8月期226億マルク,前年同期200億マルク)。

第I-13表 西ドイツの地域別貿易収支

このように,西ドイツの場合,経常収支の黒字幅はやや縮小する方向にあり,また地域別の貿易収支をみても,第I-13表のように,77年の貿易黒字の拡大は,対OPEC収支の改善によるところが少なくない。すなわち,OPEC諸国との貿易収支は76年1~8月には31億マルクの輸入超過であったが,77年1~8月には約3億マルクの輸出超過となっている。これは,この間に,  OPECからの輸入が1%の増加にとどまったのに対して,輸出が28%もふえたためであり,アメリカの対OPEC収支が大きく悪化したのとは著しく対照的である。

しかし,問題なのは,76年末ごろから西ドイツの輸入が停滞していることである。輸入額は,75年1~3月期から,76年7~9月期にかけては年率22%で伸びていたが,その後鈍化し,とくに77年に入ってからは弱含みとなっている。

これに対して,75年には6.8億ドルの赤宇であったわが国の経常収支は,76年には36.8億ドルの黒字に転じ,77年に入ってからは黒字幅はさらに拡大し,1~9月の累計は64億ドルにのぼっている。

75年末以来,わが国の輸出は若干の起伏はみせながらもほぼ一貫して年率20%近い増加をつづけた。一方,国内需要の回復がゆるやかであったうえに,輸入原材料を多量に消費する鉄鋼,非鉄,セメントなどの生産の上昇が相対的に低く,さらに原材料の在庫水準も高かったため,輸入の増加テンポは比較的緩慢であった。これを76年7~9月から77年7~9月までについてみると,輸出は18%ふえたのに対して,輸入の伸ぴは5%にとどまった。その結果,貿易収支の黒字は,この間に月平均6.6億ドルから16.3億ドルへと増加している。

また,地域別貿易収支(通関ベース)をみても,第I-14表のように,77年1~8月を前年同期と比較すると,中近東やカナダ,オーストラリアなど,石油や原材料輸入先との間の赤字がほぼ不変であったほか,共産圏を除きすべての地域に対して黒字幅が拡大している。

(4)改善著しい英・仏・伊の貿易収支

イギリス,イタリア,フランスの三国では,1976年の貿易収支は大幅な赤字となり,年間の推移をみても,概して,期を追って赤字幅が拡大した。これは,国内需要の水準が他の主要国にくらべて高く,またインフレの鎮静化も著しく遅れたことによるところが大きい(後述第3章第1節参照),その結果,76年10~12月期の貿易収支(通関ベース)の赤字は,年率,イギリス107億ドル,イタリア79億ドル,フランス123億ドルにのぼり,三国を合計すると309億ドルという巨額に達した。

このような情勢を反映して,これら三国の通貨は76年はじめから秋にかけて大幅な低落をっづけた。75年末と76年末をくらべると,米ドルに対する下落率は,フランス・フランが9.9%,ポンドが15.9%,リラに至っては21.9%にものぼった。

このため,これら三国では,通貨の防衛,国際収支の改善,インフレ抑制の必要に迫られ,76年春から秋にかけて,相ついで財政・金融面からの緊縮政策をとらざるをえなくなった。

しかし,77年に入ると,これら三国の貿易収支は改善に向かい,  4~6月期の赤字幅は,年率,イギリス88億ドル,イクリア26億ドル,フランス71億ドルに縮小した。つまり,三国合計の赤字幅は185億ドルと,76年10~12月期にくらべて約4割減少したことになる。

このように,これら三国の貿易収支が著しく改善された主な原因は二つ考えられる。その一つは,厳しい需要抑制策がとられた結果,生産活動が停滞的となり,輸入が鈍化したことである。たとえば,77年4~6月期の鉱工業生産水準を,76年10~12月期とくらべると,フランスは0.8の上昇にとどまり,イギリスでは1.1,イタリアでは2.4と,いずれも減少を示している。

いま一つの理由は,76年中に為替レートが大幅に低落した結果,高い物価上昇がつづいたにも拘らず,価格競争力が強化されたことである。第I-15表は,75年10~12月期を100として,その後の工業品輸出価格(ドル建て)の推移を示したものである。これでみると,76年10~12月期の指数は,アメリカ,西ドイツ,日本では108~111に達しているのに対して,イギリス,フランス,イタリアは98~101であり,10%近く割安になっている。このような事情から,77年上半期の英,仏,伊3国の輸出総額は,前期比12.1%増となり,米・独の同じ期間の伸び3.6%を大きく上回った。ただ,その後イギリスの輸出価格は急速に上昇し,77年4~6月期には6か国平均並みの水準になってしまっている点は注目される。

このほか,イギリスの場合,北海油田の増産も,貿易収支改善に大きく貢献している。北海石油の生産は76年10~12月期の年率約2,100万トンから77年7~9月期には同約4,100万トンとほぼ倍増し,その結果,石油の純輸入額はこの間に10億ポンドから6億ポンドヘ4億ポンド減少したが,これはこの間の貿易収支改善額(9.8億ポンド)の約4割に相当する。

(5)欧州小国の国際収支悪化

欧州小国の国際収支は1976年秋に赤字幅急増のあと,77年に入っても大幅赤字が続いている。このため欧州小国では本格的な緊縮政策への転換を余儀なくされた国が多く,これが最近の欧州景気停滞の一つの要因となっている。

一口に欧州の赤字小国といっても,福祉国家を指向し,所得水準の高い北欧諸国と先進一次産品国である南欧諸国とでは著しく性格を異にしている。

そこで,以下では,欧州小国を北欧その他小国(ノルウェー スウェーデン,デンマーク,フィンランド,ベルギー オーストリア,アイルランドの7か国)と南欧小国(スペイン,ポルトガル,ギリシャ,トルコの4か国)の二つのグループに分けて検討することとする(76年におけるこの11か国のGN Pおよび輸入の規模は英仏伊合計のそれぞれ5割および8割に相当する)。

まず,欧州小国の経常収支をみると,石油ショック以降悪化を続け,赤字幅は75年の140億ドルから76年には202億ドルと急増し,とりわけ,北欧その他小国の悪化が目立っている。ちなみに,経常収支赤字額の対名目GNP比率(1974~76年平均)は,北欧その他小国の2.9%,南欧小国の4.3%といずれも英仏伊の1.9%を大きく上回っており,その国民経済に与える影響が極めて大きいことがうかがえる。

こうした差異は,北欧諸国では社会福祉重点の観点から,また,南欧諸国では高率インフレ・高失業下での政府の緊縮政策に対する国民の強い反発からいずれも積極的措置をとったことによるところが大きい。このことは75年の実質GDP成長率が赤字大国ではマイナス1.8%と大幅な低下を示しているのに対して,南欧小国では2.8%増,北欧その他小国ではほぼ横ばいと相対的に高くなっていることにもあらわれている(第1-16表)。

次に,貿易収支悪化の実態を輸出・輸入の動向からみてみると,76年には主要先進工業国の景気回復を背景に輸出の伸びは前年比で北欧その他小国10.3%増(75年6.8%増),南欧小国12.3%増(同3.2%増)といずれのグループでも著増した。しかし輸入も増加して北欧その他小国では12.2%増(75年8.1%増)と輸出の伸びを上回ったのに対して,南欧小国では8.9%増(同7.4%増)と増勢はやや高まったものの輸出の伸びを下回っている。その結果,貿易収支赤字幅の拡大は南欧(9.7億ドル増)に比べ北欧小国では約3.0倍の28.9億ドル増となった。

さらに,76~77年の貿易の推移をみると,北欧その他小国では76年秋ごろから輸出の増勢が鈍化し,77年4~6月期には減少に転じている。南欧小国では秋に伸びがかなり低下ないし減少したあと77年に入ってやや回復しているものの伸び悩み傾向にある。一方,輸入は北欧・南欧とも76年を通じて高い伸びを続けていたが,77年にはいって減少に転じている(北欧10~12月期10.6%増→4~6月期2.5%減,南欧7~9月期14.1%増→1~3月期10.7%減)。こうした秋から年末にかけての輸出・輸入の基調変化を反映して,秋ごろまで拡大を続けていた貿易収支の赤字幅は縮小に転じた(第I-6図)。

このような貿易収支の推移は,工業生産の動向とかなりの対応がみられる。第I-7図は6か国について工業生産と貿易収支との関係を示したものであるが,これによると,若干のタイム・ラグを考えると,工業生産の伸びが高いほど貿易収支の赤字幅が拡大し,その伸びが低いか減少に転ずると赤字幅が縮小するという傾向がみられる。

前述のように,77年に入って貿易収支の赤字幅がやや縮小し,表面上は改善されたかにみえるが,これはもっぱら引締めによる輸入の減少からもたらされたものであって,輸出が極度に停滞しているという現状を考慮するとむしろ悪化傾向にあるとみるべきであろう。貿易収支悪化の要因としては,①北欧・南欧とも失業増大阻止のため,石油危機後も主要工業国に比べて内需抑制への転換が十分に行なわれず,本格的な引締めに踏切ったのはようやく77年に入ってからである。このため物価上昇を通じて国際競争力が低下したこと。②北欧諸国ではEC共同フロートの制約下にあったため,為替レート調整幅は小幅ないし小きざみにとどまり,国内の高率インフレを十分に修正できなかったことである。

こうした貿易収支の悪化に対処して,欧州小国では多くの国で77年に入って公定歩合引上げや増税など本格的引締めの措置のほか通貨切下げを相次いで実施した。対ドル・レート変動率をみると,1973年末~76年末では北欧その他小国はアイルランドを除くすべての国でフロート・アップとなっており,とりわけ,オーストリア(16.8%),ベルギー(14.8%),スウェーデン(11.2%)の通貨ばかなり実力以上に評価されていた。しかし76年末~77年8月末ではスウェーデンの14.9%を最高に4か国で下落しており,南欧小国では両期間とも下落を続けている。

(6)円,マルクの上昇とドルの軟化

1976年の国際為替市場は国際収支や物価動向の国別格差が主因となってポンド,フランス・フラン,リラの大幅下落,マルクの切上げなど西欧通貨の動揺がくり返された。しかし,10月の共同フロート通貨の介入点調整およびIMFにおけるポンド救済措置の具体化などを契機に,年末以後西欧通貨はようやく安定を回復した。

77年に入ってからの国際為替市場の動きは,上述のような各国の経常収支動向を反映して,①円,マルク,スイス・フランの上胃,②ポンド,フランス・フラン,リラの安定化,③ドルの軟化,④西欧小国通貨の切下げ,という傾向を示している。

円とマルクは年初来,わが国と西ドイツの経常収支黒字を反映して堅調をつづけている。とくに,年央以後,アメリカの経常収支が年初の予想を上回る大幅な赤字をつづける一方,日本の黒字幅が拡大するにつれ,円とマルクの対米ドル・レートは急テンポで上昇した。マルクの対米ドル・レートは7月後半に戦後の最高(1ドル2.2473マルク)を記録し,円も1ドル263.90円と,76年末にくらべて約11%上昇した。その後はやや鎮静していたが,9月以後,IMF総会などで,わが国の黒字に対する各国の批判が強く表明されたことを契機に,投機も加わって円が大幅に上昇,10月末には,1ドル250円台を割り,従来の最高であった73年7月の254.00円を大きく上回った。年初来10月末までの上げ幅は16.8%にのぼる。これにつれて,マルクも上伸し,11月初には1ドル=2.2385マルクと7月の高値をさらに上回った。

第I-17表 欧州小国の通貨変動と物価上昇

第I-18表 主要通貨の変動率

一方,76年の通貨波乱の主役を演じたポンド,フランス・フラン,リラは総じて堅調に推移している。これは,前述のように77年に入って貿易収支の改善傾向が続いていることのほか,イギリスではIMF,BISおよびユー口市場からの借款合意(77年1月)や外貨準備の急増(対外借入れ増や市場介入等により76年末の42.3億ドルから77年10月末には202.1億ドルヘ),フランスではバール・プランの一応の成功,イタリアでは対外支払い預託金制度や外貨購入税などの一連のリラ防衛策,さらにその撤廃後はIMFにおける金融支援措置や観光収入の急増(外貨購入税は2月18日,対外支払い預託金制度は4月15田こ撤廃)などによるものである。

とくに,ポンドは年初来ほぼ一貫して堅調に推移し,為替市場への介入政策(ポンド相場の上昇抑制が狙い)を変更した10月末には急騰し,1年6か月ぶりの高水準となった。

76年には堅調であったドルは,経常収支の大幅赤字を背景に,77年央に軟化したあと,一時,持直していたが,9月末以後は上述のように,ほとんどの主要通貨に対して軟化した。

このような動きの結果,77年10月末の主要国通貨の対ドル・レートを76年末と比較すると第I-18表のとおりで,円が16.8%上昇したのをはじめ,ポンドが8.2%,マルク,フランス・フランも3~4%の上昇となっている。

一方,こうした西欧主要通貨の堅調と対照的に77年には西欧小国の通貨切下げが相ついで行なわれた。共同フロートに参加し,マルクに追随してきた北欧三国は,ドイツとのインフレ格差などを主因に国際収支が悪化したため,77年に入り4月と8月の2度にわたって介入点切下げを実施した。4月にはスウェーデン・クローナの6%,ノルウェー デンマーク両国クローネの各3%切下げであったが,8月の調整では,スウェーデン・クローナが共同フロートを離脱するとともに10%切下げ,これに対応してノルウェー デンマーク両クローネが5%切下げというさらに大幅なものとなった。

第I-8図 ポンド相場の動き

第I-9図 主要国の為替市況

同時に,南欧通貨の切下げも目立った。まず2月にポルトガルがエスクードを15%切下げ,3月にはトルコがトルコ・リラを小幅切下げ(約6%),そして7月にはスペインが昨年に続いて2度目のペセタの大幅切下げ(約20%)を実施した。さらに8月にはポルトガルが変動相場制へ移行,エスクードの実質切下げが行なわれたほか9月にはトルコが再びトルコ・リラの10%切下げを実施している。これは76年に大幅な為替レート調整を行なったイギリス,イタリア,フランスからの輸出攻勢と途上国からの追い上げから国際収支難に陥った西欧小国が,対外競争力の回復を図ったためとみられる。