昭和50年
年次世界経済報告
インフレなき繁栄を求めて
昭和50年12月23日
経済企画庁
第3章 世界経済の中期的成長を取りまく諸問題
1949年10月に新中国が成立して以後,1974年までに約25年を経過したが,中国経済はこの25年間に着実に成長し,74年には実質GNPで2,230億ドルとなり,アメリカ,ソ連,日本,西ドイツ,フランスに次いで世界第6位の規模となった(第3-23表)。年率5.6%の成長である。しかし1人当りGNPで243ドルと依然後発発展途上国並みの水準に止まっている。
着実な経済成長は主として工業生産の伸びに支えられて実現したが,一方,政府当局の人口抑制政策と農業重視政策のもとで,農業生産(とくに,食糧)と人口増はFAO(国連食糧農業機構)資料によると,1970~73年においてほぼ平行して伸びている。
ところで1949年以後の経済発展の全過程は大きく2つの段階に分けることができる。第1段階は1949年から第1次5ヵ年計画が終了した57年までであり,この期間は第2次大戦とそれにつづく内戦によってもたらされたインフレが収束した後,国民経済の工業化と社会主義改造が促進された段階である。
当時の中国は,もっぱらソ連の経済,技術援助に一方的に依存し,ソ連の重工業優先,大規模企業重視の建設方式を踏襲してきた。また生産管理,企業管理方式についても,ソ連の管理制度をそのまま受け入れ,物質的刺激を強化する,政策が取り入れられてきた。
第2段階は第2次5ヵ年計画が発足した58年から現在までで,この期間はさらに第2次5ヵ年計画期(58~60年),経済調整期(61~65年),第3次5率ヵ年計画期(66~70年),第4次5ヵ年計画期(71~75年)に段階区分することができる。第2段階の全期間にわたって共通する政策的特徴は,中ソの政治的対立を反映して,経済建設の面でも,これまでの過度のソ連依存に対する反省から,中国独自の経済建設方式が模索されていることである。
中国独自の経済建設方式の方向づけを,58年5月の中国共産党第8期全国代表大会第2回会議提出の「社会主義建設の総路線」により要約すると,労働力は豊富だが資本と技術が欠乏する後進的農業国の現実に立脚して,①大衆を政治的に教育して,消費を一定水準に据えおき,国家目的に奉仕させる。②外国援助に頼らず,自国の力で立ちあがり,また中央政府に過度に依存せず,地方の創意工夫を発揮させる。③農業を重視し,大規模企業と同時に全国各地の人的物的資源を動員して,地方小規模企業を振興するというもである。
第1段階と第2段階の2つの時期を比べると,経済発展の上できわめて対照的な変化が示されている(第3-24図)。第1段階の経済発展の推移はきわめて安定的であり,1953年から57年にかけての第1次5ヵ年計画期には,実質GNPの成長率は年率7.0%,工業生産15.8%,農業生産3.8%が実現された(第3-23表)。これに対し第2段階には,政治的にも大躍進,文化大革命,批林批孔など激動と混乱が繰り返され,経済政策や経済発展の上でも複雑な変動と曲折が繰り返されてきた。58年以後の経済発展の推移をみると,大躍進の挫折とその調整期(59~62年),文化大革命期(66~69年),批林批孔期(73~74年)の3つの時期において,大幅な経済後退がもたらされた。これらに共通の後退要因としては,政治側面を過度に重視した急進的な主張による混乱が経済発展にマイナスの影響を与えたことがあげられる。このほか59~62年期には農業災害とソ連の経済援助の停止が,また66~67年期には農業災害が経済後退を深化させた。
このような複雑な過程によって,第2段階(58~74年)の成長率(よ第1段階に比べて鈍化した(第3-23表)。しかし3つの経済後退期を対比してみると,変動幅は次第に小幅化し後退期間も縮小してきた。
① 農業生産基盤の強化
第2段階に入って経済政策の重点は農業増産におかれ,とくに食糧増産が重視されている。
中国の耕地面積は127百万ヘクタール(1971年)で,1957年当時からみてほとんど増加はみられない。農家1人当たり耕地面積は全国平均で0.242ヘクタール(1971)年にすぎず,世界各国と比較しても最小のグループに入る。
耕地面積の拡大は避地開発を伴なうので巨額の投資資金を必要とする。中国は政策的に既耕地の近代化によって,耕地面積当たりの生産量を高めるという方向をとりつつあるようにみえる。
中国農業はこれまでもかなり労働集約化されているので,灌漑,化学肥料,品種改良などにより土地生産性を高める方向に向ってゆくであろう。具体的な方法としては,多毛作化と単位収量の大きい稲作への転換が進められている。稲作面積の拡大には,とくに水と化学肥料の増投を必要とする。1960年代後半以降,農業増産に対する寄与率が高かったものに化学肥料の増投がある。62~70年間に1,510万トン(窒素分)の肥料投入によって5,700万トン,70~74年間には900万トン(窒素分)の肥料投入によってl,900万トンの穀物増産が達成された。さらに72~75年に輸入契約された窒素肥料プラントが稼働すれば,,79年までに年産350万トン(窒素分)の化学肥料の増産が期待される。しかし1980年までは化学肥料の供給はいぜん不足し,とくに加里肥料の不足は深刻である。
水利建設について注目されるのは,揚水ポンプによる地下水利用の普及である。揚水灌漑は華北の年間雨量350mm以下の乾燥地帯で普及し,これによって730万ヘクタールの耕地の灌漑が可能となった。しかし黄河,准河,海河など河川利用による灌漑の本格化によって,水不足が基本的に解決するにはさらに20年間を必要とするといわれている。
品種改良については,華北地域で普及している短茎,高収量のジャポニカ(稲)品種が,華南地域のインディカ品種に取ってかわりつつある。フィリピンのIRRI(International Rice Research Institute)で研究開発されたミラクル・ライスも導入されたが,中国農業に適合しないということで,導入された品種の改良が進められている。
農業機械化も原油増産と小型水力発電所増設によるエネルギー供給増および農業機械の増産などを背景に徐々に進行しており,第5次5ヵ年計画(76~80年)期間にさらに促進されようとしている。
以上のような農業近代化の進展によって,食糧および経済作物も目にみえて増産となり,食糧生産は60年の160百万トンから74年には255百万トンに増大した。急速な人口増と備蓄増のため,61年以降毎年500万トン前後の食糧輸入が続けられているが,73年,74年には不作の影響もあって700万トン以上に増大した。75年には生産の好転とともに440万トン程度に減少する見込みである。
② 成長産業とネック産業
第2段階に入ってからの工業生産の長期成長率は年率9.0%であるが,軽工業品の輸出増強と消費生活の段階的改善を反映して,消費財生産も重視されるようになった。重工業優先政策のもとで,第1段階では生産財と消費財の成長率格差が,年率21%対11%と開いていたが,第2段階には10.5%対7.5%と縮小した。
生産財のなかでとくに成長の著しい業種は石油,機械,化学(とくに化学肥料)である。これに対し石炭,鉄鋼など基礎産業の伸びは相対的に緩やかでネック産業となっている。
鉄鋼の増勢鈍化は主として原料炭,鉄鉱石など原材料供給不足によるものといわれ,石炭の増勢鈍化は大規模炭砿の新規投資の遅れのためといわれている。これは限られた資源配分のうえで,石油および農業関連産業が優先されてきたのが原因の一つであろう。
石油の増産,石炭の増勢鈍化によって,従来石炭に過度に依存してきた中国のエネルギー生産構成は最近著しく変わり,57年当時約95%を占めていた石炭の比重は,74年には約63%に低下し,57年当時1%強にすぎなかった石油と天然ガスの占める比重は,それぞれ17%を占めるようになった(第3-25表)。石油生産の比重増大は,農業機械化,輸送力の増強,石油化学工業の振興等に大いに寄与している。なおエネルギー生産構成に占める石油の比重は,今後ますます高まる傾向にあるが,アメリカ推計(米議会合同経済委員会報告書,第3-23表の出所参照)によると1980年に予測されている2億トンの生産目標達成のためには,今後投資総額の10~15%(現状の倍増)に近い160億元(約80億ドル)の資金調達を必要とするとみられている。
③ 技術およびプラント輸入
経済的にきわめて遅れた後進的段階から工業化に着手した中国は,経済成長を促進し先進国との技術格差を縮小するために,先進国からの技術およびプラント輸入を積極的に進めている。
第1段階では主としてソ連を中心とする共産圏諸国からの援助によって,技術およびプラントが輸入された。輸入されたプラントは業種的にみて電力,鉄鋼,石炭,非鉄金属など基礎産業および農業機械,輸送機器部門が中心であった。第3-26図にみられるように,プラント輸入は1950年代後半にピークに達したが,ソ連の経済技術援助の停止ならびに大躍進の挫折による経済後退が原因となって,プラント輸入は停止された。ふたたびプラント輸入が再開されたのは,63年の日本からのビニロンプラントの導入以後である。63~67年に輸入された技術およびプラントは,主として合成繊維,化学肥料および鉄鋼プラント等で,もっぱら日本および西欧先進国から延払い決済によって輸入された。しかし文化大革命によって国内投資活動は停滞し,プラント輸入も再度停止された。
文革の収束と第4次5ヵ年計画の発足によって,技術およびプラント輸入も再開された。72年1月~75年3月までのプラント輸入成約高は,総額26億3000万ドルという多額なものとなり,72年に米中間の直接貿易が再開されたこともあって,輸入相手国としては日本および西欧先進国のほか,新たにアメリカが有力なプラント輸入相手国となった(第3-27表)。業種別にみると鉄鋼,発電,化学肥料のほか石油探査および石油化学プラントが始めて導入されたことが今回の特色である。
中国が重視している石油開発に関しては,渤海湾における海底油田の開発が本格化するにつれ,エクソン,カルテックスなど米系メジャーや日本の石油業界との交流も強化されるようになった。今後の技術交流の動向が注目されている。
ところで72~74年に契約されたプラント輸入量の増加によって,延払い返済額も増大し,アメリカ推計(前掲,米議会報告書)によると,75年の返済額は農産品の延払い返済額もふくめて,輸出総額の20%を上回る15億ドル前後に達する見込みで,76年以降も毎年ほぼ同額の返済を行なわなければならないとみられている(第3-28表)。こうした輸入増に加えて,世界的な不況による輸出停滞,交易条件の悪化などの諸要因が重なって,中国は貿易収支の大幅赤字化に陥り,74年央より事実上新規プラントの輸入契約は中断されたが,75年10月頃より,第5次5ヵ年計画に備えて小規模プラントの引合いが徐々に始まった。
外貨不足に悩む中国は,外貨流入対策を促進するほか(第1章第1節(6)中国の項参照),伝統的輸出商品の増強と平行して,新たな輸出商品として石油の増産と輸出強化に努めている。本格的に石油輸出が始まったのは73年からで,75年には約8億ドル(約1050万トン)の石油輸出が予定されている。
アメリカ推計によると80年には約5,000万トンの石油輸出が見込まれ,外貨獲得の増大も期待されている。
しかし輸入国側にとってみれば,中国産原油は品質と価格の面で中東産原油に対比して問題があるといわれている(低硫黄だが,凝固点が高く重質原油であること。今回のOPEC原油価格引上げ前には,中東原油に比べ1バーレルFOB価格1.6ドル高,OPEC原油価格引上げ後0.79ドル高),今回のOPEC原油価格引上げについては,中国は側面的にこれを支持しており,中国原油の値上げ動向が注目されていたが,10月末インドネシアのミナス原油の改定と同じく,1バーレル当たり0.2ドル(新価格12.3ドル)の値上げを行なった。石油輸出については,長期協定による安定供給が保障されるまでにはなお一定の期間を必要としよう。
現在のところ中国は,プラントおよび技術導入にともなう先進国からの輸入クレジット(延払い)は受け入れるが,政府借款の受け入れはいぜんとして否定している。
1975年1月の全国人民代表大会で経済発展の長期展望が明らかにされた。それによると第1段階として,1966年から80年にいたる第3次,第4次,第5次の3つの5ヵ年計画期間内に,独立した比較的整った工業体系と経済体系をうち立てる。さらに第2段階として2000年までに農業,工業,,国防,科学技術の近代化を実現して,中国の国民経済を世界の最前列に並ばせるというものである。
この野心的な目標を達成するために,76年より実施予定の第5次5カ年計画(76~80年)において,80年を目標とした農業機械化の実現と,石炭も石油とともに重要なエネルギー源として,向う10年間に石炭生産の機械化を基本的に実現することが計画されている。そのためには「自力更生を主とし,外国援助を補助とする」という原則のもとに,外国からの技術およびプラント導入も積極的に進めることが明らかにされた。
こうした長期展望に対して,前掲のアメリカ議会報告書では,「中国は2,000年までに大部分の先発発展途上国の経済水準を凌駕することは間違いないが,日本および欧米先進国との間の経済ギャップを埋めることはほとんど不可能に近い。また過去において経済後退をもたらした政治的混乱が再発しないという保障もなく直線的な経済発展は期待できない」としている。また同報告によれば農業生産については,1980年までは人口増もあって食糧輸入が継続するが,80年の食糧生産は74年水準を30%程度上回って3億トン前後に達し,食糧輸入を必要としなくなる。工業生産については,農業支援型の工業化政策が続けられるが,工業の成長率を維持するために石炭,鉄鋼,その他の基礎産業部門に新しくかなりの投資を行う必要がある。対外貿易については,貿易規模は大幅に拡大するが,増大する原油生産と急騰する国際石油価格のおかげで,貿易収支の赤字補填を行なうことができるとしている。
問題は政治的激変を別として,国民経済の近代化実現のための前提条件,つまり,人口調節計画,消費の一定水準の抑制,目的に沿った投資計画,技術,プラント輸入のための外貨調達等がすべて円滑に運営されるか否かにかかっているといえよう。
ソ連,東欧はコメコンの「経済統合」を進めながら,75年に各国ともそれぞれ国民生活の向上をうたった5ヵ年計画を完了しようとしている。対外師では西側諸国のインフレーションと不況のなかでの東西貿易の著しい拡大に次いで伸びの鈍化という環境の変化から,5ヵ年計画の遂行にも多かれ少かれ影響を受けている。現在,ソ連の5ヵ年計画は未達成におわることが明らかであるのに対して,ほとんどの東欧諸国では計画が超過達成されることがほぼ確実となっている。西側との関係ではいずれも貿易赤字を抱えながらも,資源保有国,産金国としてのソ連の立場と非保有国としての東欧の立場とで明暗が分れている。
(ソ連は5ヵ年計画未達成)
ソ連の第9次5ヵ年計画は,技術進歩と労働生産性の向上に基づいて,経済を拡大,効率化し,国民の消費水準を引上げることを,基本目標としたが,その実績見込は次のとおりである(第3-29表)。
① 国民所得,工業および農業生産などの主要な総合指標はほとんどが5ヵ年の目標に達しない。
② 工業では消費財の計画遂行率が低く,5ヵ年計画史上はじめての消費財の「優先的発展」は実現されない。
③ 農業生産は75年の作柄からすれば,90%前後にとどまるかも知れない。
④ 消費および民生関連指標の実質個人所得,小売売上高,住宅建設などが目標をかなり下回り,消費財工業,農業の不振とともに,第9次5カ年計画の特色を失なわしめる要因となっている。
⑤ 投資はほぼ計画が達成され,結果的には従来同様投資優先型となったが,設備の利用状況が悪く,投資の生産力化が遅れ,投資効率は予定に達しなかった。
⑥ 雇用者数は年間2.6%と計画のペースを上回ったのに対し,この5ヵ年計画の特色である生産性の大幅な向上計画は著しい未達成となった。
このような5ヵ年計画の達成状況をもたらした要因は以下のようなものと考えられる。
まず促進的要因としては,貿易が計画をはるかに上回る伸びを示したことがあげられる。特に71~74年に輸出入総額がルーブル建金額で79%,数量で53%増加したのに対し,対西側貿易は金額で167%,数量で79%も伸びた。
西側からの輸入穀物は家畜頭数の,維持,増加を可能にし,畜産の5ヵ年計画を達成させた。また資本財の輸入は,特に5ヵ年計画の後半に資本の新規稼働を著しく促進した。
次に制約要因として考えられるものには,
① 農業が好調な年は5年間に記録的豊作となった73年だけで,他は横ばいないし後退が続き,軽工業,食品工業の不振の一因ともなったこと。
② 国際緊張の緩和にもかかわらず,巨額の国防費負担が軽減されず,国民需用の生産と建設に悪影響を与えていると考えられること。
③ 環境や資源の問題が強調され(71~73の汚染防除投資は60~70年比65%増),投資効率悪化の要因となったこと,などがある。
(東欧はほぼ好調)
ソ連の場合とは対照的に,東欧コメコン諸国の5ヵ年計画は概して順調に達成されようとしている。しかしその半面,対外的には貿易赤字が急激に増大しつつある。
まず5ヵ年計画の遂行状況をみると(第3-30表),国民所得成長率,工業生産とも計画の達成が見込まれ,農業生産も75年は不作が予想されるが,74年までは予定を上回るテンポで増加してきた(工農業ともブルガリアは未達成)。
生産の動きに対応して個人消費の動きを示す小売売上高はほとんどの国で計画以上の伸びとなるものと予想される。
東欧では,ソ連の場合と異なり,計画遂行の過程で農業生産の変動がそれほど大きくなかったことが特徴的である。74年までに生産が前年を下回ったのは,ブルガリアにみられるだけである。
もう一つの外的要因としての貿易は,各国とも5ヵ年計画を多かれ少なかれ上回るペースで拡大してきた。71~74年に各国とも輸出入総額が2倍前後,なかでも先進国からの輸入が2~3倍となった。このような貿易,特に西側からの資本財輸入の拡大が,5ヵ年計画の遂行にとって有利な要因であったことはいうまでもない。
しかしその反面,先進国との貿易の拡大は輸入インフレと貿易赤字の増大という問題を残した。(注)
以上にみてきたソ連,東欧の5ヵ年計画の実施は,いかなる成長条件のもとに行われたか,またその条件はどのように変化するであろうか。
ソ連,東欧とも60年代の半ばころから,西側でいう「利潤導入」すなわぢ集権的計画方式の緩和,個別企業の自主性の向上,物的刺激の強化を通じで経済の効率化をはかることが,経済政策の中心課題となってきた。さらに最近では,企業連合の形成によって中間管理機関の機動的運営が意図されている。
これらの経済の効率化のための措置は,次のような成長制約条件に対応しようとするものである。すなわち①先進的な諸国,急速に工業化しつつある諸国における労働力の需給が次第に窮迫化していること,②新規産業導入の初期における非能率的運営や国民福祉の向上のための公共投資の増大などによって,資本効率が低下しつつあること,③主要な資源供給国であるソ連で,ヨーロッパ・ロシアの原燃料の採掘条件が悪化しているため,東部および北部諸地域の資源開発が必要となり,これには多額の投資と輸送の遠隔化をともなうこと,などがそれである。
まず労働力についてみると,ソ連,東欧全域における生産年令人口の年間増加率は60年代には1.3%とすでに先進国のそれにかなり近く,70~80年には1.2%に低下するとされている(国連推計)。さらに中期的にはソ連の就業人口の増加率は66~70年の2.2%から71~73年の1.04%に低下し,70年代後半にはさらにこの傾向が強まる見込みである。また東欧では71~75年計画で,ポーランドの1.8%を除くと,各国とも0.8%を下回り,76~80年にはポーランド(1.4%)ルーマニア(0.8%が1.1%に上昇)のほかは,ハンガリーがマイナス0.05%,ブルガリア0.3%,チェコ0.5%に低下するものと推定されている(ソ連誌「経済の諸問題」74年第1号)。
このような労働力の増加率の低下という制約要因は,就業構造の変化,主として農業から非農率への労働力の移動によって減殺される。これらの諸国ではいわゆる「非生産」部門の雇用の比重が増大する一方「物的生産」部門内部で農業から非農業へ,特に工業への労働力の移動がみられる(第3-31表)。この傾向は農業の比重の大きい諸国で特に著しい。
しかし,農業からの移動を進めるには,農業における技術進歩とそのための投資が必要であり,いわゆる「農業の工業生産化」を効果的に進めなければ,農業人口の比率がかなり大きい国でも労働力の相対的不足が起り,農業自体においても労働力不足が重要な問題となる(ソ連,ブルガリア)。
さらに労働力の不足に対処するためには,労働生産性の向上が緊要である。しかるに各国の工業生産の増大に対する労働生産性向上の寄与率は60年代の実績と5ヵ年計画の目標のいずれに比べても低下気味である(第3-32表)。
つぎに成長条件として資本の面をみよう。各国の国民所得に占める投資の比率は70年代にはかなり高まっている。他方,個人消費の急速な向上が労働生産性の向上のためにも必要であるとすれば,現在の投資の比率をさらに高めることは困難である。そこで資本の効率化が必要となるが,それは60年代前半にはかなり改善されたものの,その後半には必ずしも十分満足すべき成果がみられない(第3-33表)。
以上にみてきた制約条件のもとで76年から始まるソ連の第10次5ヵ年計画の「基本方向」をみると,①技術進歩の加速化,生産の「集約化」,労働生産性の向上,効率の改善に基く国民経済のプロポーションのとれた発展,②既存企業の拡張,改造を中心に投資効率を高め,生産能力の稼働開始と活用を加速化すること,③農業の「物的,技術的基盤」の強化,④消費財の増産,サービスの拡大,品質の改善,⑤金属,化学,電機各工業を主とする設備の供給の確保,そのための金属の増産と厳しい節約,⑥燃料,エネルギーを可能なかぎり増産し,あらゆる方法で節約をはかること,などとされている。
もう一つの問題は資源制約に対応してコメコンのいわゆる「経済の統合」を通じてエネルギー,鉱産資源の供給をいかに保障するかということである。ソ連は東欧に対する主要な資源供給国であり,東欧にとってソ連の供給は数量,価格(5年間据置きの原則),決済(コメコン域内の振替決済)の点で比較的安定的であった。しかるにいまや新たな問題をはらんでいる。第1にソ連のエネルギー,鉱産資源の生産は限界に来ており,資源開発には東欧側の協力と経済的負担が要求されている。(例えばソ連内オレンブルグから東欧諸国へのガス・パイプラインの建設)。第2には,従来の原則を破って,75年からソ連の供給価格が引上げられ,今後は毎年改定されることになったことである。
以上のような諸条件のもとで,各国の新5ヵ年計画で予定される成長率は,71~75年より低下するとみられる。ソ連については未発表であるが,現在までに判明したものでも,年率で東ドイツ4%,チェコ約5%,ハンガリー5.5%,ルーマニア9-10%と従来の成長率を下回っている。
さらに76年からの5ヵ年計画と平行して,各国とも1990年までの長期計画を作成しているが,この15ヵ年についても一部では成長率の鈍化を予想している。ソ連,東欧全体としての国民所得成長率は1966~70年の7.6%,71~75年(計画)の6.7~6.8%に対し,国連ヨーロッパ経済委員会発表(75年8月22日)では76~90年が5.8~6.5%と推計されている。
では,新5カ年計画期の東西関係はいかに進展ずるであろうか。すでに述べたように,新5カ年計画の実施に当っては,「生産の集約化」,特に技術進歩と資源開発が重要な条件となっている。そのいずれについても西側の協力にまたなければならない点が多い。
第1章で述べたように,ソ連,東欧とも西側の技術,設備に依存するところが少くない。現在,コメコン諸国の貿易構造は著しく「高度化」し,機械の輸出入の比率は工業化が遅れた国でも高い(例えばブルガリアの輸出の39%輸入の44%は機械)。これは,コメコン域内の分業体制と各国経済の平準化に基づいている。しかしそれと同時に西側からの機械輸入も多く,西側からの総輸入のうちで,ソ連(32%),その他工業化しつつある国はもちろん東ドイツ(34%),チェコ(32%)でも高い比率を占めている。しかも西側からの輸入は先端技術の導入という点から質的にも重要である。このことは,ソ連の第9次5カ年計画で西側からの輸入著増によって設備の新規稼働が促進されたこと,特に西側の設備,技術により乗用車の量産体制を確立したこと,西側からの輸入が目立って大きかったポーランド,ルーマニアなどで資本効率が大幅に向上したことからも明らかである。
また,エネルギー,資源開発についても西側から一体化した設備,技術,資金の提供を求めなければならない。これは西側としても,輸出市場の開拓,見退りの生産物輸入による資源供給源の分散化という意味をもっている。日本とソ連の間でも,シベリア開発プロジェクトが漸次成立するにともなって,最近日本の対ソ輸出は著増している。この東西の貿易および経済協力において,最近特に注目されるのは,西側の信用供与である。すでに西側諸国はソ連に対し,この2年間に約200億ドルの借款を与えたといわれる(ソ連当局者の言明)。
このようにして,ソ連,東欧諸国は西側に対し新5ヵ年計画実施のため,設備,技術,資金を求めている。さきにあげた国連ヨーロッパ経済委員会の発表は,貿易構造を不変として,1990年まで年率で,コメコン域内貿易が18%,東西貿易が5.8%の伸びとなると推計している。しかしソ連,東欧諸国の経済体制はつねに供給力の限界の許す限りの経済成長を達成すること,それに対応して需要要因をコントロールすることを,その基本的性格としている。そのことは,西側に対しても設備,技術,資金を可能なかぎり求めることを意味しよう。とすれば,西側としては各国協調のもとにソ連,東欧との経済関係を「秩序ある,そして実りのある方向で進める」(ランブイエ宣言)ことが望まれるのである。