昭和47年

年次世界経済報告

福祉志向強まる世界経済

昭和47年12月5日

経済企画庁


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第1部 通貨調整後の世界経済

第2章 遅れる通貨調整の効果

6. 西ドイツにおける切上げの効果

71年12月にきまった通貨の調整幅について,ヨーロッパの各国政府はいずれも妥当なものとの見解を示したが,民間での評価はまちまちであった。とくに産業界は,自国通貨の切上げ幅が他に比べて大きすぎたのではないかという懸念を抱いた。結局,国際競争力の変化といった点からみるにしても,評価は次の要素のいずれに重点を置くかによって異ってくる。

① いつの時点と比較するか

1971年4月までと比べるのか,5月のマルク変動相場移行以後と比べるか,あるいは8月15日以前か以後か,さらにスミソニアン会議直前と比べるか。

② いずれの通貨と比較するか

イギリスのようにアメリカとの貿易取引が多い国と,EC諸国のように域内取引が多い国とでは,どの通貨と比較したらよいのか。イギリスはドルに対する切上げ幅を重視するし,フランスは対マルクとの関係,西ドイツは対フランとの関係を重視する。

③ 国際競争力の最近の動向をどうみるか

非価格競争力,貿易構造,受注残高,貿易相手国の景気などをどう判断するか。

こういった上述の諸要素を考え,今回ヨーロッパで一番大きな切上げを行なった西ドイツについてみてみよう。

西ドイツは5月10日変動相場制を採用,以後マルク相場は上昇して,平価を基準としたマルクの上げ幅は7月には5%近くに達し,さらに8月には7%,9月9%,10月10%に上昇した。12月18日の多角的通貨調整によって,マルクのセントラル・レートは1ドル3.2225マルクにきめられた。

これは旧平価にくらべて13.58%の切上げに相当する。だが,そのさい他の主要通貨の対ドル・レートも多かれ少かれ切上げられたため,マルクの対世界実質切上げ幅は,ブンデスバンクの計算によると,通貨調整直前の7.5%から通貨調整後の6.5%と逆に縮小した。これを対ECでみると6.0から3.5%へ対10ヵ国グループでみると,6.3%から4.8%へというように,かなり大幅に縮小している。換言すれば,マルクは,通貨調整により,それ以前の実勢にくらべて,むしろ切下げられたことになり,その意味では西ドイツの対外競争力は通貨調整によって相対的に有利化したものといえる。

ただしこれは,あくまで通貨調整直前の状態にくらべた場合の話であって,それまでがむしろ過大切上げなのだと解すれば,それが是正されたにすぎないとみることもできる。いずれにせよ,変動相場制移行前の5月はじめの状態に比べれば,マルクが実質的に6.5%切上げられたことに変わりはない。

今回の効果をみるために,前回(69年)の切上げのさいの効果と対照してみよう。前回切上げせざるをえなくなったのは,67,68年に経常収支の大幅黒字が続き,これがマルク切上げの思惑をよんで,しばしば,投機的短資の大量流入に見舞われたためである。西ドイツ政府は68年11月22日,いわゆる国境税調整措置として商品輸出について4%の輸出税を賦課する半面,輸入については付加価値税の減税措置(4%)を講じた(ただし,EC農業市場規則の適用をうける品目を除く)。しかしこの措置はあまり効果をみせなかったため69年9月末から約1ヵ月間の変動相場制を経て10月24日にマルクの正式切上げに踏み切った。切上げ幅は9.3%であったが,4%の国境税調整措置が廃止されたので実質的上げ幅は大きくなかった。

このようにみてくると,前回は国境税調整の実施をかぞえれば,小きざみな調整を2度にわたって行なったことになる。今回もまた早くから変動相場制に移り,やはり小きざみに調整を行なったといえる。

(1) 短資の流出おくれる

前回……1969年1-9月間における短資(誤差脱漏を含む)の流入額は172億マルクであったが,切上げの後の流出額は予想外に大きく年末までの約2ヵ月間に155億マルクに達し,銀行流動性は過大に削減された。

今回……1971年1-5月間の短資流入額は176億マルクに達した。6-12月間に72億マルクが流出したあと,72年当初再流入,その後現金預託制の発表や,公定歩合の引下げ(2月未)などの効果があって短資の流出をみたが,流出額は1~5月間に20億マルクにとどまった。

(2) 貿易収支の黒字幅変わらず

(3) 貿易外収支と移転収支の悪化で経常収支は均衡へ

(4) 物価上昇テンポは鈍らず


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