昭和47年
年次世界経済報告
福祉志向強まる世界経済
昭和47年12月5日
経済企画庁
第1部 通貨調整後の世界経済
第1章 適正な為替レート水準を求めて
短期資金の移動を封ずるための管理措置が各国でつぎつぎにとられるのをみて,ヨーロッパの銀行家たちは,1931年の再来と懸念している。とくに,これまで自由を標傍してきた西ドイツがスイスとともに為替管理の実施,強化にふみ出したことは,戦後の資本自由化が一つの壁につきあたって逆もどりを始めた観がある。戦後の経済思想すなわち市場競争原理を信頼する思想によれば,資本の自由な移動は世界的な資源の最適配分をもたらすとされている。この経済思想をもっとも鼓吹したのはアメリカであるが,そのアメリカからのドル流出で,強い通貨の国は変動相場制をとるか,固定相場制を守るために短資抑制にのり出さざるをえなくなったのは皮肉である。一方,弱い通貨の国もホットマネーの攪乱を防止するために,逆の方向から規制を強化している。
西ドイツを例にしてみよう。10年以上にわたるその伝統的な短資対策は金融機関における非居住者預金の準備率を上下させることであったが,70年後半以降大企業は直接,ユーロ資金を借入れるようになった。
金融筋のみならず,低利の外国資金を取入れることのできない中小企業からもこれに対して批判が出てきたため,政府は71年7月,現金預託制度すなわち非金融機関の対外債務に関する最低準備制度の導入を決定,立法手続きを経て,72年3月から実施になった。この骨子は,長短外資の流入により通貨政策,金融政策の運営が妨げられる場合には,居住者の対外債務の一定割合を中央銀行に無利子で預託させるものである。預託率は当初40%であった。
しかし,これもドル流入の歯止めにならないことが明らかとなって,6月29日現金預託率を50%に引上げるとともに非居住者に対する確定利付内国証券売却を許可制とした。これは,外国企業が通貨ヘッジのためにする債券購入が目立ってふえてきたことのほか,ユーロ資金の道をせばめられた企業が銀行借入れに向い,銀行は利付債を発行,これを外国人が買うといった抜け穴が大きくなってきたからである。
西ドイツの為替管理は,国内的には「統制は統制をよぶ」形で拡がったが,国際的にみても強い通貨の隣国スイスが為替管理をとったため,矛先を転じてくる資金移動を防ぐため,壁を高くせざるをえなかった。そのスイスでは6月27日,外国資本がスイスの証券,スイス・フランス建て外国証券あるいはスイスの抵当債に投資するさい,銀行がこの仲介にあたることおよび外国資本がスイス不動産を購入することを禁止し,さらに7月4日,ドルの流入を阻止するため,6月30日の残高を超える増加分につき銀行は四半期ごとに2%の手数料を徴収すべき旨の命令が出された。つまり逆金利にしたのである。
フランスは71年8月,為替市場を二つに分けるというやり方で資本の流入を阻止しようとした,これは1955年からベルギーが実施しているやり方である。ベルギーでは経常取引に伴う為替売買は公定市場で固定相場制が維持され,資本取引については自由市場にまかされる。フランスは当初,公定市場の対象を貿易取引に限定していたが,72年5月その範囲を経常取引の大部分にまで拡げた。資本取引についていえば,規制がないかわりに,たとえばユーロ資金の持込みには割高のレートが適用され,自動的に調整されることになる。両国とも経常取引はほどバランスしているため,こういった制度をとりうるわけである。
カナダは為替管理を行なわないかわりに全取引を変動相場制にまかせている。
弱い通貨の国では,逆に投機的資金の流出を抑制する措置に向った。イギリスはポンド・フロートとともにスターリング圏に対する資本流出規制を行なったし,またイタリアはリラ紙幣の交換を制限した。これまで,イタリアから主としてスイスに持ち出されていたイタリア銀行券はイタリア銀行のチェックを受けた後,外国リラ勘定に貸方記入することができたが,今後はこの措置によって外国にあるイタリアの銀行券は交換性を失なうことになった。
大きく分けて,①固定相場制と為替管理,②変動相場制と自由為替の二つの組合せができ,固定相場制と自由為替という戦後追求されてきた理想図は,現状では実現困難になってきた。西ドイツは71年には後者を選択したが,72年は前者を選択した。西ドイツとしては,人気にまかせてマルクが上がる結果になるようなこれ以上のレート上昇にはとても耐えられないし,もし人気のままに投機にあらわれて平価水準を変えると,こんどは逆の材料が出た場合に,英ポンドの二の舞いとなる。
アメリカにとってはドルが各国の準備通貨として無制限に受入れられている限り,固定相場制と自由為替は両立しえた。しかし,貿易収支(通関べース)が1888年以来(国際収支ベースでは1935年以来)はじめて赤字に転落するにおよんで,ドルの交換性停止にふみきり,変動相場制を招来した。スミソニアン合意による各国の積極的な買支えによって再び固定相場制にもどっているが,アメリカ自身は7月以降若干の相場維持を試みたにすぎない。
大勢としては,短資抑制の方向にむかっている。しかし,国際取引は形式上分類しえても,実際には入りくんでいて,短期資本を管理すれば長期資本をも管理せざるをえなくなるし,資本取引を管理すれば経常取引にまでそれが影響するおそれがある。
だからこそ,この4半世紀にわたり貿易取引の自由化のみならず,資本取引をも極力自由化しようとする努力が先進国グループで推し進められてきたのである。現在の為替管理強化は緊急避難と考えるべきであるが,もとの姿にもどるまでには過剰ドルの処理が一つの前提になろう。