昭和47年
年次世界経済報告
福祉志向強まる世界経済
昭和47年12月5日
経済企画庁
第1部 通貨調整後の世界経済
第1章 適正な為替レート水準を求めて
6月の国際金融市場の波瀾を通じて,ヨーロッパの通貨は強い通貨と弱い通貨に色分けされた,西ドイツ・マルク,オランダ・ギルダー,スイス・フランは強い方に,英ポンド,イタリア・リラは弱い方に位置づけされた。しかし,こういった市場関係者の見方は,今日の各国の国際収支状況をにらんでの話であるよりも,多分に過去における経験にもとづいたもので,一方の通貨群には強気材料を,他方の通貨群には弱気材料を強調するきらいがある。しかし,現実にそういった見方が広く存在する以上,在外資産を保有する国,企業,個人はリスク回避のため,つねに「弱い通貨」を「強い通貨」にのりかえようとする。
第1-5図 借金を返しつづける一方で外貨準備をふやしてきたイギリス
英ポンドの変動相場制移行については,6月の時点では不意打ちの感がないではなかった。すなわち,ポンドは15日以降1週間にわたり,かなり激しいプレッシャーを受けていたとはいえ,その程度は従来の通貨危機に比べて特に大きなものではなく,また,外貨準備および国際収支の状況は性急な措置を必要とするほど悪化してはいなかった。しかし,フロートが発表になると,イギリスの世論は外貨準備が大きな傷を負わないうちに断行したことを,こぞってタイミングの良い決断であると,高く評価した。なおI MF当局は,この措置に対して「留意する」という態度をとった。しかし,このポンド・フロートはIMF制度下における通貨調整の歴史において次の点できわめて特異なものである。
① 戦後,IMF制度が確立してから四半世紀,数多くの通貨調整が行なわれたが,対ドル相場が限界点に達する前にEC変動幅縮小取決めに従って固定相場制を離脱した。
② 貿易収支が赤字に転落してから,わずか数ヵ月をたつにすぎず,赤字幅もそれほど大きなものではなかった。
ちなみにイギリスの外貨準備はこの4月まで20ヵ月増加をつづけていた。
しかもこの間一時は80億ドルを超えるIMFおよび各国に対する中,短期債務(67年のポンド切下げ後の通貨協力により受けた債務)を完済しきっていたのである。
また,昨年の対ドル切上げもあリイギリスの輸出単価が他の国に比して大幅に上昇し,輸出競争力の低下が心配されたが,これまでの実積では交易条件の良くなった面があらわれて,手取り外貨が増加していた。イギリスの輸出商品の,ほとんどが有名ブランド製品であるため,長期的にはともかく,短期的には価格引上げが通っているのであろう。
イギリスの貿易収支(輸出入ともFOB)は年初来,赤字基調に転じたが,6,7月には黒字を計上,8月は港湾ストで輸出が急減した。だがイギリスの場合は,「成熟した債権国」として,過去の海外投資から毎年6~8億ドルを越す収益が入ってきている点に注目しなければならない。このほか,国際金融の中心地としての役割から,金融保険関係の収入がやはり10億ドルを越えている。この2つの貿易外収入が貿易収支赤字と政府関係赤字をまかなう形をとっている。したがって,重要なのは,経常収支総額であるが,イギリスの場合,経常収支が赤字になると,資本収支が赤字になって国際収支の悪化を増幅させる傾向のあることは注意しなくてはならない。
イタリア・リラも英ポンドと同じ状況にある。失業の増大と貿易収支の悪化は思惑をよぶには十分な材料である。しかし,イタリアの場合も,貿易収支の赤字は観光収入,移民送金などでうめあわせ,経常収支としてみれば,72年上期はわが国に次ぐ黒字である。
ポンド投機のすぐあと,リラ投機が発生した。6月22日「リラ切下げのうわさは完全に根拠を欠いたものであり,政府としては切下げの決定をしていないことはもちろん,切下げの意思も毛頭ない」旨のコミュニケがイタリア政府から発表された。
第1-6図 輸出単価が上昇しているのに輸出が伸びるイギリスとその反対のアメリカ