昭和47年
年次世界経済報告
福祉志向強まる世界経済
昭和47年12月5日
経済企画庁
第1部 通貨調整後の世界経済
第1章 適正な為替レート水準を求めて
スミソニアン会議からちょうど6ヵ月目に英ポンドに投機の波が押寄せた。6月22日,イギリス政府は,公定歩合を引上げたが,売り圧力は衰えず,翌238,変動相場制への移行を発表し,為替市場を閉鎖した。
ポンド投機の直接的契機は,6月16日から始まった港湾ストと野党要人による切下げ必至との発言であるといわれているが,より基本的には,前々から次のような切下げ予想が流布されていて,いわば,油がまかれているところに火がつけられた形になったのである。
① ここ3年つづいたはげしいインフレでポンド切下げ(67年末)の効果がほとんど失なわれたのに加えて,景気回復に伴う輸入増加から貿易収支が年初来赤字に転じ,他方,炭坑,鉄道等の大幅な賃上げからイギリス経済の先行きに不安がもたれていたこと。
② 金融筋には,そもそも昨年12月のポンド切上げが過大評価であるとの見方があって,EC加盟(73年1月1日)前の小幅切下げが予想されていたこと。
③ バーバー蔵相が3月の予算演説で,非現実的な為替相場を維持するために国内均衡を犠牲にすることは望ましくないと述べたこと。
ロンドン市場が閉鎖になった23日は朝からヨーロッパ諸国に大量のドル売りが殺到したため,ヨーロッパの各市場も閉鎖を余儀なくされ,日本も翌24日これに追随した。市場では,イタリア・リラが次の番であるかの如き風評が立っていた。EC諸国は事態収拾のため,26日ルクセンブルグにおいて蔵相会議を開いた,このときに決定された方針は次のとおりである。
① ポンドは当分の間変動相場制をつづける。
② EC6ヵ国はスミソニアン体制を堅持すると同時に域内変動幅縮小を締続する。
③ 弱い通貨とみられるイタリア・リラについては,さしあたり3ヵ月間,他のメンバー国がリラを買入れた場合,イタリアはその決済にドルのみを使用してよく,またイタリア自身もドルによる介入が認められた(この特別扱いはその後,年末まで延長された)。
イタリアの外貨準備構成をみると,(IMF準備ポジションを除いた場合),その半分は金である。したがって,変動幅縮小取決めにしたがえば,他のメンバー国がリラの買支えを行なうと,その買戻し額の半分は金で支払うことになるが,この暫定措置で金の流出を避けうることになった。外貨準備の構成比率で決済するというルールは,究極的に諸国の外貨準備構成を均一にするねらいもあったが,発足早々例外が認められることになった。
ルクセンブルグ会議の結果,変動幅縮小取決めに参加していた国々は,次の3様の対応策をとることになった。
① EC諸国およびノルウエー 域内通貨間の変動幅縮小を維持しつつ,対ドル固定相場を守る。
② イギリスおよびアイルランド EC通貨に対しても,またドルに対してもフロートする。
③ デンマーク 対ドル固定相場は維持するが,対域内通貨相場については,その変動幅を±2.25%におさえることをやめ,スミソニアン合意の裁定レート変動幅±4.5%にもどす。(10月11日,デンマークはEC変動幅縮小措置に復帰)
すでに共同市場を形成している6ヵ国には,スクラムを崩すまいとする強い意向がみられる。他の3ヵ国の一時離脱については,EC加盟前であるため,農業など実体的な問題はないわけである。
このように各国政府によってスミソニアン会議できまった相場を守ろうとする強い決意が示されたあと,ロンドンは27日,欧州は28日にそれぞれ為替市場を再開した。ヨーロッパ市場では一時ドルの大量売りに見舞われたが,各国中央銀行がこれに積極的に買い向うとともに,短資抑制策を強化したこともあって,その後の国際通貨情勢は一時ドル売りがみられたあと比較的平静に推移している。これは①6月末以来主要諸国で為替管理措置が導入ないし強化された②アメリカの短期金利が上昇傾向をつづけている③米連銀の市場介入が行なわれた④アメリカの国際収支が最悪期を脱したとみられたなどの理由によるものとみられている。その結果,西ドイツ等からアメリカへの短資還流が進んでいる。