昭和47年
年次世界経済報告
福祉志向強まる世界経済
昭和47年12月5日
経済企画庁
第1部 通貨調整後の世界経済
第1章 適正な為替レート水準を求めて
スミソニアン合意によって成り立っているシステムは,一面では各国通貨の新しい相場体系をさすが,これはポンド・フロートにより早くも変更を余儀なくされた。また他面では,従来と異なる柔軟性に富んだシステムを指している。この新しいシステムは,IMF制度本来の仕組み,すなわち1944年ブレトンウッズで合意された仕組みとは次の諸点で異なっている。
① 相場の基準となるドルは,1971年8月15日に金,SDRあるいは他国通貨との交換を停止したままである。したがって,
② 変動幅を拡大して,自動的な調整機能をある程度認めたが,
③ ドル価値を維持する力は基本的にはアメリカ以外の国がドルの将来を信頼し,その安定に積極的な協力をするといった国際協調の精神である。
このように,ドルは信認(取引当事者の間をつぎつぎと受領されていくに必要な信頼性)に対する裏付けとしての交換性が失なわれているため,国際金融市場では実需もさることながら国際収支の将来見通し,通貨当局の態度など心理的要因がきわめて強くなっている。
切上げ国通貨の対ドル・レートはまず変動幅の下限から出発したが,雇用拡大を急ぐアメリカが引続き金利低下を推進したため,予想されたドルの遣流がみられないばかりか,1月には早くも,アメリカの国際収支の立ち直りが遅いことをいやけしてドル売りが再び強まり,通貨調整後一時小康を得た為替市場は波瀾模様となった。2月以降,ほとんどの主要通貨が対ドル基準レートを上まわり,一部の通貨は変動幅の上限に達した。そこで,2月下旬から3月にかけてドルの流入を阻止するため,西欧諸国は相ついで金利の引下げをはかるとともに,為替管理を強めた。3月に入ってアメリカの金利が上昇に転じたことと,平価変更法案(ParValue Modification Act)が21日に政府案のまま下院を通過したこともあって,心理的不安は遠のき,ドル相場はやや持直した。これとは対照的に金相場は5月に1オンス50ドルを突破,ことある毎に水準をあげていった。供給面で新産金の伸びがにぶいのに対して,需要面では工芸用のほかに,工業用が急増して,商品相場の性格が強くなっているが,加えて投機的な動きがみられる。