昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第5章 主要国の経済動向
70年春以降みられた景気鎮静化の過程は71年はじめに一時的な要因で中断したが,5月の変動相場制移行,8月のニクソン・ショックなどの影響もあって再び鎮静化の基調にもどり,さらに最近は景気後退の懸念すら出はじめている。物価は生産者段階や卸売段階で落付きのきざしがみられるものの,肝心の消費者物価の騰勢は衰えていない。
69年10月末のマルク切上げとその後における一連の金融,財政上の引締め措置により,さしもの過熱景気も70年春をピークにその後次第に鎮静化の方向へ向い,製造業受注,鉱工業生産,操業度,労働需給など諸指標にそれがはっきりと現われてきた。そのため政府は71年はじめの年次経済報告書のなかで,「71年においては,単に物価安定ばかりでなく,適度の成長と高度の雇用水準とりわけ十分な投資意欲の維持のために配慮すべきである」とし,前年比12%増の大型予算の完全執行,1月1日からの投資税引下げ(6%から4%へ)2月1日からの定率償却制の復活,7月1日からの10%所得税付加金の撤廃という景気刺激的効果をもつ財政措置を予定どおり実施する方針を明かにしていた。
だがその後まもなく,消費者物価の上昇率がむしろ加速化するなかで,景気鎮静化過程の一時中断を示すような諸指標が出てきたため,政策運営の重点も再び引締めの方向へ変った。
鎮静化過程の中断は,鉱工業生産と製造業受注にみられ,いずれも71年第1四半期にそれまでの頭打ち傾向から再上昇へ転じた。こうした景気再上昇の兆候は,(1)前記の税制変更(投資税や定率償却制)により,投資需要が70年末から71年はじめに繰延べられた。(2)71年はじめの天候が異常に良く,そのため建設活動と関連産業の生産が刺激された等の理由による。(71年1~2月間の建築生産は前年同期比45%増)。
このような理由から,71年はじめの生産の上昇は当初から一時的なものとみる向きが多かったが,5月の変動相場制移行の影響もあって,5月以降生産と受注が再び低下傾向を示しはじめ,とくに8月には大幅に低下した。生産の停滞を反映して,製造業稼動率は,71年4月の88.5%から7月の87%,10月の85%へ低下した(70年7月は90%)。また製造業受注残も70年春以来の減少傾向をつづけた。(売上高に換算した受注残は70年6月4.2ヵ月分,71年3月3.5ヵ月分,9月2.9ヵ月分)。
労働需給の緩和も徐々にすすみ,失業の増加と未充足求人数の減少がつづいており,失業数に対する求人数の倍率は70年4月の6.5,同12月の5.1から,71年3月4.3,同9月2.7となった。失業率(季調ずみ)も70年春頃0.6%,同年末の0.7%から71年10月までに1,1%へ上昇した。
こうした景気鎮静化をもたらした要因を需要面からみると,企業の投資意欲の減退と輸出需要の鈍化があげられる。IFO研究所の調査によると,製造業の投資は69年の38%増,70年の22%増に対して,71年はわずか5%増(70年11月調査)とされていたのが,71年6月調査ではさらに3%増へと下向きに修正された。さらに10月下旬発表の調査結果によると,72年の工業投資は名目4%,実質7%減が予想されている。また先行指標である資本財の国内受注は69年35%増,70年7%増のあと,71年1~8月間には前年同期比0.4%減となった(実質では6~7%減)。こうした投資意欲の減退は,賃金の大幅上昇による利幅の縮少,景気見通しの悪化,操業度の低下などの要因による。在庫投資も依然マイナス要因となっており,その中心である鉄鋼業では1~10月の粗鋼生産量が前年同期を9.8%下回った。
輸出需要の鈍化を最もよく示すものは製造業の輸出受注である。これは69年に22%増のあと,70年はわずか1%増にすぎなくなり,マルク切上げの影響を端的に反映した。71年にはいると,アメリカ向け輸出の好調などもあって一時増加したが,5月の変動相場制以後は再び減少気味となりとくにニクソン・ショック後は大幅に落込み,7~8月の平均は1~4月比7.1%減となった。実際の輸出額は70年頃まで多額の受注残を抱えていたこともあって,それほど鈍化していないが,それでも1~4月の前年同期比12.7%増から5~8月の9.4%増へと鈍化した。
他方,住宅建築はインフレ心理の浸透や住宅建築補助金の増額を反映して好調であるし,また個人消費も相変らず景気の主柱となっている。小売売上高は70年の11.4%増のあと,71年1~6月も前年同期比11.9%増であった。
ただし5月以降はやや増勢の鈍化がめだっており,最近の消費者調査でも消費者の購入意欲とくに耐久消費財の購入意欲が衰えはじめている。これは所得の伸びの鈍化のほか,変動相場制移行や景気悪化などにも影響されたものとみられる。
69年秋以来の「賃金爆発」は70年中も加速化して,コストインフレ的様相をつよめてきたが,71年にはいると賃金上昇率にやや鈍化のきざしがみえはじめた。ただし生産性の上昇率を大幅に上回っていることに変りはなく,賃金コスト圧力は依然つづいている。いま鉱工業の賃金収入の伸び率(前年同期比)をみると70年第4四半期の17.9%がピークで,71年第1四半期には15.4%となり,さらに第2四半期には11%へ鈍化した。これは契約賃金率の上昇テンポがやや鈍化したのと超勤の減少などの要因による。
賃金協約の更新状況をみると,たとえば7月はじめ妥結の化学労組(70万人)の7.5%アップのように,政府の誘導指標(7~8%)の枠内におさまるものも出はじめている。だが秋の賃金戦線のやま場である金属労組の賃上げ要求は約11%と依然として大幅で,賃金交渉は難航しており,賃金問題の成行きはまだ楽観を許さない。
物価も,5月の変動相場制移行後は輸出入価格の安定化,工業製品生産者価格の上昇鈍化など部分的にやや落つきがみられるようになった。しかし消費者物価の上昇率はむしろ加速化し,70年の平均3.8%に対して,71年第1四半期4.2%(前年同期比),第2四半期4.9%,第3四半期5.5%となった。
国際収支面では,70年中縮小しつつあった経常収支黒字が71年上期中に消滅し,むしろ若干ながら赤字に変ったことと,短資の大量流入がつづいて国内の流動性を膨張させたために変動相場制へ移行をよぎなくされたことが71年の特徴である。
経常収支は3月を除いて毎月赤字であり,1~9月の累計では2.6億マルクの赤字となった。(前年同期は4.1億マルク黒字)。その原因は主として,観光支出増による貿易外赤字の増加,外国人労働者の本国送金増による移転収支赤字の増加にあった。
他方資本取引の流れは,5月の変動相場制移行を境として大きく変り,それまでの大量流入が大量流出へと変った。年初から5月はじめまでは内外金利差や通貨投機(4月以後)から資本とりわけ短期資本の大量流入があったが(誤差脱漏を含めた短期資本の流入額は200億マルクに達した。)6月以降はブンデスバンクの短資追出し策もあって流出に変り6~8月間に約86億マルクの短資が流出した。その結果ブンデスバンクの金外貨準備は1~5月間に196.2億マルク増のあと6~9月間に58.4億マルク減となり,9月末現在で628億マルク(公定レート換算で172億ドル)となった。
前述のように,年初にはまだ物価安定と同時に成長にも配慮する政策姿勢をとっていたが,その後,物価上昇のテンポの加速化と生産や受注の再上昇傾向などから再び安定化一本へ切り換え,財政,金融上の引締め措置が強化された。財政措置としては,4月に自然増収を支出せずに国債減額へ回す方針が打出されたあと5月には連邦,州政府の支出削減,発注繰延べ,自然増収の景気調整基金への繰入れ,政府借入れ制限等の措置がとられた。金融面でも4月に短資流入阻止の見地から公定歩合が引下げられたが,同時に銀行再割枠が削減され,6月には預金準備率が引上げられた。こうした財政,金融上の引締め政策と並んで5月に変動相場制がいわば切札的安定化対策として実施された。変動相場制は直接的には投機的な短資流入を阻止すると同時に,その実質切上げ効果を通じて輸出抑制,輸入促進,輸入価格低下等の安定化効果を狙い,さらに心理的効果として企業の価格引上,労組の賃上げ要求にブレーキをかけようとするものであった。この変動相場制によるマルクの実質切上げ幅は,7月までは6%未満であったが,8月中には8%をこえ,さらに9月下旬以降は9~10%という大幅なものとなった。そのデフレ効果が次第に出はじめたことは,前述したとおりである。なおこのほか71年中に採用された短資流入抑制策としては,非居住者預金利付禁止,非居住者債券取得禁止(5月)およぴ企業の対外借入預託制度(7月発表,12月成立)などがある。
なお,ニクソン「新経済政策」の影響については最初のうち政府はそれがむしろ安定化政策を助けるとして,直ちに刺激的政策をとる必要なしとの見解をとっていた。
だが,その後景気悪化とともに金融緩和を望む声が民間研究所や産業界に高まり,ついにブンデスバンクは10月13日に公定歩合引下げ(5%から4.5%へ),債券担保貸付利率引下げ(6.5%から5.5%へ),居住者預金準備率の10%引下げ(11月1日発効)などの金融緩和措置を発表した。
財政面では9月10日に閣議決定をみた72年度予算案は,政府の安定化目標にそった「地固め予算」とされ,その支出規模は前年比8.4%増(71年は12%増)の1065.7億マルクで,名目GNPの予想成長率7%にほぼ見合ったものとなっている。また,歳入面でも,石油税,酒税,煙草税の引上げが予定されている。この本予算のほかに,交通,教育,住宅,農業等の諸分野に対する支出を含んだ緊急予算(25億マルク)が編成されており,これは景気情勢いかんで実施されるものであって,72年度予算に弾力性を付与するものといえよう。このほか,所得税付加金の積立分(58億マルク)があり,これは政府の裁量でいつでも返還できるので,やはり弾力的な景気対策として活用できる。すでに11月中旬にシラー経済財政相は,72年上期中に緊急予算の発動と景気付加金の還付開始を言明している。
72年の景気見通しについては,一般的に悲観的な見方が多く,10月発表の民間経済研究所合同報告でも72年の実質成長率をわずか1%(71年3%)としている。