昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第4章 変貌する世界貿易
1971年7月下旬,第25回コメコン総会は,「協力のいっそうの深化と改善および社会主義経済統合の発展の総合プログラム」を採択し,今後15~20年にわたって,段階的に実現してゆくことを宣言した。ここにコメコンは,49年1月結成以来20年余で新たな統合へ大きく前進することになった。
コメコンの経済統合プログラムの作成は,68年以来の懸案であって,ソ連を中心として経済的にも,政治的にもコメコンの結束を強化しようとする志向を反映するものである。これに対し東欧コメコン諸国はさまざまな反応を示してきたが,今回いちおうの合意が成立したわけである。他方,ソ連自身もそうであるが,東欧諸国は貿易や経済・技術提携の面でしだいに西側との交流を深めてきている。これが一つには,ソ連が東欧諸国を東側の体制に強く結束させておこうとしている理由でもある。こうして,コメコンの統合強化への動向と東西交流の進展とは複雑にからみ合いながら進展している。
現在,コメコン(経済相互援助会議Council for Mutual EconomicAssitsanceの略称,CMEAとも略す。ロシア語略称はセフ)の加盟国はブルガリア,ハンガリー,東ドイツ,モンゴル(62年加盟)ポーランド,ルーマニア,ソ連,チェコの8ヵ国( 第4-25表 )である。ユーゴは64年以来協定に基づいて準加盟国としてコメコンの諸活動に参加し,総会および各種の委員会にオブザーバーを派遣している(コメコンの組織構成については 第4-23図 参照)。そのほか,北ベトナム,北朝鮮,キューバはオブザーバーの資格で,関心ある問題に限って一部のコメコン機関の活動に参加している。なお,アルバニアはコメコン結成直後に加盟したが,ソ連と国家的対立関係にある現在,いかなる活動にも参加していない。中国もオブザーバーの資格を与えられているが,同様に代表を派遣していない。
このように,コメコンは中国,アルバニアを除く社会主義諸国の加盟ないし活動参加による経済協力機関であるが,社会主義体制というその政治,経済的特性は別として,構成国の経済規模や水準の点でECとは著しく異なる。すなわち第1に構成国のうちソ連が人口,天然資源,GNPの点で極端に大きく,貿易依存度が低いこと,第2に東欧諸国は経済規模は小さく,対外依存度はかなり高いこと,そして第3には構成国の間の経済水準がまちまちで,とくにコメコン結成当時の工業化の水準には著しい格差があったことなどである( 第4-26表 )。
こういった特徴からコメコンの活動のさまざまな様相が生まれてくる。ソ連の政治・経済的影響力の巨大なことはもちろん,①各国の域内,域外を含めた貿易問題や国内経済と貿易との関係に対する考え方が異なること,②各国とくに遅れた国の適正な工業化の方式とテンポが,コメコン構成国の経済力や工業化水準の平準化のために必要なことなどがそれである。そしてこのことが,コメコン結成,以来こんにちまで,コメコンのまえに幾多の難問を投げかけてきたのである。
もともと,コメコンは東西対立の所産である。アメリカの援助によるヨーロッパ復興計画「マーシャル・プラン」に対して,当時チェコ,ポーランドなど一部の東欧諸国は参加の意向を懐いていた。ところがソ連の強力な働きかけもあって,結局参加をとりやめることになったが,そのさいの理由としては,マーシャル・プランは内政干渉のおそれがあるということであっ,た。他方,そのころから東西の対立は激化の一途をたどり,アメリカの輸出許可制,ココムの設置など,西側諸国は東側への輸出に制限を加え始めた。
こうした動きに対応して,ソ連の主導のもとにコメコンが結成された。現在,コメコンの目的は「加盟国の努力の結集と調整によって各国の国民経済の計画的発展,経済および技術的進歩の加速化,工業の未発展な国の工業水準の引上げ,加盟国の労働生産性の向上と国民の福祉の増大促進」(コメコン定款第1条第1項)とうたわれ,また,目的達成の手段としては各国の国民経済計画の調整,生産の専門化と協業化,物資の相互供給,科学技術上の協力などがあげられている。しかし,コメコン結成当初は,西側の輸出制限のもとで各国の工業化のための資本財を確保しなければならなかったので,域内でこれらを調達するための貿易拡大と技術協力がコメコンの中心課題となった。
しかし,1950年代前半の東欧諸国のいわゆる「社会主義的工業化」はソ連の強い影響力のもとに推進され,それが東欧圏全体に多くの問題をひき起こした。工業化の遅れていた諸国でも一様にソ連型の重工業優先の全面的工業化が行なわれたし,比較的工業化の進んだ国では戦前の西側との経済的結びつきを断って東側の結束を図るための産業転換を含んだ重工業優先政策がとられた。このような各国の平行的な全面的工業化は一種のアウタルキー傾向を生み,投資の重複やコストの上昇など好ましからざる結果となって現われた。
このようにして工業化の「平行主義」(パラレリズム)はコメコン域内質易とくに東欧諸国相互間の貿易を停滞させた。これに反し,ソ連と東欧諸国との貿易はソ連による各国への原料,エネルギーの供給,遅れた国への資本財の輸出によって維持された。この結果ソ連を中心とする放射線状の貿易取引網がコメコン地域内で強化されることになったのである。
工業化の各国「平行主義」から生じた困難と奇形的な貿易関係を改めるため,50年代半ばにコメコンはいわゆる「社会主義的国際分業」体制に転換することになった。このコメコン国際分業は,工業化がある段階に達した後進的な国を含めて,工業国あるいは工業化の進みつつある国の間の水平分業む志向したものといえる。
だが,当時は直面するコメコン諸国の困難に対処するために,①原燃料の確保と共同開発および②機械,設備の重複生産の是正と各国の生産機種の削減という方策が決定された。この二つの方策はその後もコメコン域内の燃料の長期バランスの作成,天然資源の共同開発とか機械工業の専門化という形態でコメコンの主たる活動分野の一部となったのであるが,実際は,ソ連が東欧諸国に対して原燃料の供給を行なう一方,東欧諸国から機械の輸入を増すことになった。このソ連と東欧諸国との間の貿易パターンはそのまま定着し,て現在にいたっている。
ところで,62年6月に発表された「社会主義的国際分業の基本原則」もうたっているように,この国際分業は「各国の計画の調整」や「生産の専門化と協業化」を通じて実現される。このことは自由市場機構とは異なる機構をもつ社会主義圏では当然のことであろう。
経済計画の調整は50年代後半以来若干の進歩をみたようである。しかし,66~70年の5ヵ年計画の場合もいぜんとして,各国間の双務的協議と5カ年の貿易協定の締結が中心で,多角的な努力は燃料,エネルギー,一部の金属,機械の域内需給バランスの作成に限られた。最近行なわれた71~75年の5ヵ年計画の調整では各国の工業関係各省や重要経済機関が作業に参加し,企業段階まで合理的な生産分野を決定する条件ができたといわれる。今後,計画調整の形態と方法を改善し,調整の分野を投資,建設事業,科学研究などにまで拡大することがうたわれている。
コメコンが域内の国際分業を進める一つの重要な手段は生産の専門化と協業化である。この専門化はコメコンの各国に対する勧告により主として工業部門,しかも工業部門の内部での製品の型や品種について行なわれ,これによって規模の利益と技術水準の向上を図ることができる。
現在コメコン域内の生産の専門化はいわば工業化の先端部門である鉄鋼,機械,化学の各工業に集中しているが,専門化によって割当てられた生産の全生産に占める比率は低く,機械の場合で6~7%にすぎない。しかも専門化の勧告をめぐって各国の利害の対立はまぬがれないところで,専門化製品の生産は必ずしも勧告どおり行なわれない。そのほか規格化が不十分なこと,生産と貿易の結びつきが不完全なこと,事前の価格協定がないことなどの欠陥が指摘されている。
以上のように,国際分業の推進については手段ないし方法に欠陥があるばかりでなく,根本的な点にも大きな困難がある。それは,①コメコンの諸活動と各国の主権の保持,②域内貿易の多角化,③価格と通貨などの諸問題である。
まず,第1の主権の保持の問題については,コメコンは形式的には関係加盟国に強制力のない勧告を出すのであるが,現実にはさきに述べた計画の調整にしろ専門化の取決めにしろ,発言力ないし交渉力の強い国の主導下におかれがちであろう。さらに,かつてソ連の提唱した加盟国の共同計画の構想に対して,ルーマニアから,コメコンの超国家機関化という批判が出されたが,現在,このような超国家機関化は公式的には否定されているものの,その危惧は去らないであろう。
第2の問題は,コメコン域内の貿易を多角決済によって発展させるということである。もともと域内では,二国間協定,二国間決済で貿易が行なわれ,貿易の拡大が妨げられていた。コメコン銀行は振替ルーブルによる多角決済を行なうことによって貿易の多角的拡大をはかろうとしたのであるが,その多角決済はまだ十分普及していないといわれる。これは,各国間の貿易がいぜんとして双務協定に厳格にしばられていること,さらに,根本的には,経済計画の多角的調整や生産の専門化と協業化が不十分にしか行なわれていないことによる。
第3は価格や通貨の問題である。社会主義諸国間の貿易は現在まで資本主義世界市場価格を基準とした価格(ルーブル建,コメコン域内では振替ルーブル建)によっている。この域内貿易価格は,各国が恣意的に決定する国内価格とは全く切離されている。東西貿易が拡大し,経済改革によって生産と貿易の主体が中央機関から企業や企業連合に移りつつある現在,一部の諸国では,国内価格を国際価格に近づけるという問題が提起されている。
価格と関連して論じられるのは各国通貨の交換レート,とくに振替ルーブルとの交換レートが実勢から遊離しているという問題である。これは貿易の収益性や生産の専門化の基準を決定するためには,ぜひとも解決しなければならない問題であろう。さらに,振替ルーブルの交換性の問題がある。コメコン銀行における振替ルーブルの残高の一部を,金ないし交換可能通貨と交換できるようにすべきだとの提案がすでに早くからポーランド,ハンガリーなどから出されているように,部分的な交換性を賦与することによって振替ルーブル残高を東西貿易の決済にあてるべきかどうかが問題となっている。
いまや,コメコンは統合の「総合プログラム」を掲げて,以上のような諸問題を解決しつつソ連の主導のもとに結束を強化しようとしている。では,そのプログラムの内容はどうか。
まず,プログラムは統合の必要となった理由として,コメコン諸国が高度の発展水準に達したことや生産と消費の構造が著しく変化し,科学,技術の革新が急務となったことなどをあげる。そして統合化は社会主義圏の経済力を増大させるとともに,個々の国の経済を強化するものであるとして,社会主義圏全体と各国の利害の一致を目的としていることを示唆する。また,統合化は社会主義圏の統一と「資本主義に対する優越性」を強め,「社会主義と資本主義の間の競争」で勝利を確保する重要な要因であると述べて,自らの陣営の結束と西側との競争をうたっている。
プログラムによれば,経済統合は,各国の共産党と政府によって意識的,計画的に調整される社会主義的国際分業の過程であり,また各国経済の経済発展水準を接近,平準化させるとともに,主要な経済,科学,技術各部門の強い結びつきをはかり,コメコン諸国の国際市場を拡大する過程でもある。
そして,これによって,各国の資源を効果的に利用し,科学・技術革命を広く展開する条件が作られる。
だが,プログラムは経済統合がソ連の主導下のブロックの強化ではないことを示唆するような三つの限定を行なう。それは,①国家主権,独立,国益の尊重,内政不干渉,完全な平等,互恵,友好的援助をうたって統合が完全な任意性に基づくもので,超国家機関を創設しないこと,および各国内部の計画化や財政問題に介入しないこと,②社会主義的国際分業は全世界的国際分業を考慮に入れて進められること,および発展途上国との協力を拡大すること,③コメコン諸国に対する経済および科学,技術の分野における国際機関の差別の撤廃を求めることを特にことわっている。
つぎに,経済統合の目的をみると,プログラムは前述した統合の理念に沿った諸項目をあげている。そして,主としてコメコン諸国の生産と資源の合理的利用によって長期にわたり各種の物財の必要を充足すること,「社会主義世界市場」の規模を拡大し,安定化を図ること,「資本主義との競争」においてコメコンの地位を高めること,各国の国防力を強化すること,などを列挙してやや閉鎖的なブロック強化をにおわせる点もみられる。
このように,経済統合の理念と目的には,さまざまな,ときには互いに矛盾するような側面がみられるが,このことは各国間のかなり長期にわたる交渉によってようやく合意が成立したことを示すものであろう。
では,これらの理念や目的を実現する手段はなにか。それには,次のような諸項目があげられている。すなわち,①経済政策の主要問題に関する多角的,双務的協議,②長期予測,5カ年計画,重要経済部門および生産物の長期見通し,関係国による一部工業の共同計画,経済の計画・管理制度の改善についての経験の交換など,計画活動の分野での多角的,双務的協力,③貿易の計画的な拡大と効率の向上,貿易の組織形態の改善,通貨・金融関係の改善と貿易価格制度の改善による貿易の発展,④各国の省庁その他経済,科学技術関係機関の直接連絡の拡大,⑤利害関係諸国による国際経済組織の新設,拡張,⑥協力の法的基礎の改善,とくに相互の義務の不履行に対する物的責任の強化などである。
このうち,一般に注目されているのは通貨の改革である。プログラムはコメコンの「共通通貨」(振替ルーブル)の役割を高め,コメコンの「社会主義国際通貨」としての主要な機能を完全に発揮させるとして改革の時間割を定めている。すなわち,①1973年末までに共通通貨の「レートと金含有量」を現実的なものにする条件を研究する。②71~73年に共通通貨による多角決済を拡大する措置を策定実施し,74年にその作業の総括をする。③各国通貨と共通通貨および各国通貨相互間の合理的なレートの実施については,71年にその方式,条件を決定,72~74年にそれらの通貨の関係を規定する。④76~79年に各国通貨の単一レート実施の提案を作り,80年中にその導入およびその期日を決定すること,となっている。
以上に述べたコメコンの経済統合のプログラムは今後15~20年にわたって実現されるものとされているが,こうしたプログラムが作られた背景を次に述べよう。
その第一は,コメコンの強化に対するソ連の志向である。ソ連のコメコン地域に対する志向が国際政治的にみても,経済的にみてもきわめて強いことはいうまでもない。ワルシャワ条約機構と,東欧諸国のソ連からの離反を阻止するといういわゆるブレジネフ・ドクトリンによって,東欧諸国は掌握されている。また経済的には,ソ連にとって東欧諸国は重要な貿易相手地域であり,主として資本財と消費財などの工業製品の供給源として,その確保の必要性は大きい。すなわち, 第4-24図 に示すように50年代から60年代にかけてソ連貿易に占める東欧コメコン諸国のシェアは増大傾向をたどり,60年代後半にやや後退したものの,なお50%を超えている。とくに「社会主義的国際分業」の軸である機械のソ連・東欧間の輸出入をみると, 第4-27表 に示すように,ソ連側の輸入が輸出を上回っている。60年代を通じて,先進国の東ドイツや中進国のポーランドとの貿易では,輸出の増加テンポが輸入のそれより大幅で,輸出の輸入に対する比率は高まっているが,後発国のブルガリアとの貿易では逆の関係がみられるなど域内の分業の進展を物語っている。しかし全体として,東欧先進国からの機械輸入はなお多額にのぼり,輸出の約2倍となっている。
こうしたソ連と東欧との結びつきは幾度となく揺がされてきた。すでに述べたように,ルーマニアはコメコンにおけるソ連の指導的地位に対して批判的である。68年のチェコ事件もソ連の地位動揺を象徴するものである。そして,68年の春以来目立ってきた,ソ連の「コメコン強化」への志向はチェコ事件以後決定的となったようである。コメコンの統合化の第2の要因は,東欧諸国が経済的に大きくソ連に依存していることである。すなわち,東欧は原料,エネルギーの供給源としての,また製品の輸出市場としてのソ連に依存している。 第4-25図 にみるように,全体としての東欧の輸出入において,ソ連のシェアは40%に近く,とくに東ドイツとブルガリアではそれが大きい。近年はおしなべで西欧との貿易の比率が上昇しているが,なおソ連のシェアは全体の3分の1を超えている。ただ,例外はルーマニアで,ソ連と西欧との地位が逆転していることが注目される。そこで,東欧側の輸入のうちで原燃料をみると( 第4-28表 ),産油国であるルーマニアを除いて各国とも原油の輸入の圧倒的部分をソ連に仰いでいるし,鉄鉱石についてもほぼ同様である。また製品輸出のうち,東欧側の機械輸出がソ連からの輸入よりはるかに多いことはすでにみたとおりであるが,各国とも輸出の大宗を占める機械の大きな部分はソ連向けであり,また多くの機種にわたってコメコン域内の分業関係によってソ連に結びつけられている( 第4-29表 , 第4-30表 )。こうしたソ連への依存性は「コメコンの強化」に対するソ連の発言権の強さを裏付けるものであろう。
経済統合の第3の要因は,コメコン域内の国際分業がそれ自体としては合理的な面をもっていることである。すでにみたように,コメコンの国際分業は東欧諸国の平行的な工業化政策の結果生じた困難から脱出するためのものであった。問題は,それがソ連の影響力のもとにソ連を中心に形成されるところにある。ハンガリー,チェコ,ポーランドなどの諸国は,ソ連の一方的なコントロールによらない限り,コメコンの枠内での合理的な国際分業を認める態度のようである。通貨問題について,ハンガリーやチェコは交換可能の共通通貨を,ポーランドは「社会主義的」な共通通貨の創設を積極的に主張しているが,これらの国々はこうした通貨制度のもとで経済合理性のあるコメコン域内国際分業を発展させようとしているとみられる。
以上に述べたコメコン統合の諸要因は相互に矛盾する面があり,それに各国の利害がからみ合っているが,それらをどう調和してゆくかがコメコンの経済統合の成否を決するであろう。
コメコンがソ連の主導のもとで経済統合への道に進もうとしている一方,ソ連,東欧とも西側への傾斜を強め,東西の対立が緩和されるにしたがって経済交流は増大している。従来,ソ連・東欧と西側との貿易は域内貿易より急速なテンポで拡大してきた。すなわち1960~69年の10ヵカ年平均で域内貿易の伸びが8.4%であったのに対して,西側先進国との貿易はソ連・東欧の輸出が11%,輸入が12%,また発展途上国との貿易は,輸出が16%,輸入が11%と比較的大幅な伸びを示した。その結果,東西貿易の比重は増大したのであるが,域内貿易はなお総額の60%余を占めている。西側との貿易の重要さは貿易量よりもその品目内容にある。とくにソ連・東欧地域全体の貿易の約23%を占める先進国との貿易は,原燃料,食料を中心とする東側の輸出と西側からの工業製品,とくに機械の輸入という垂直分業のパターンをとっている。
この西側先進国との貿易はコメコン域内分業の進展と並んで拡大している。 第4-26図 にみるように,ソ連・東欧の域内貿易では機械の伸びが相対的に大幅で,域内水平分業の進展を物語っているが,他方,ソ連・東欧と西側先進国との貿易も60年代後半には機械,化学品の比重が急増している。OECDのソ連・東欧向け輸出をみても機械のシェアが増大傾向にあって,近年ではそれが全体の30~40%を占めている( 第4-31表 )。このことは技術先端的工業製品においてソ連・東欧が西側への依存を強めていることを示すもので,技術進歩の必要性から今後ますます顕著になろう。
さらに最近は貿易のみならず,産業および技術上の東西提携が進んでいる。たとえばソ連ではボルガ自動車工場(イタリアと提携),天然ガスの開発と西欧へのガス・パイプラインの敷設(フランス,イタリア,西ドイツ),ガス工業の発展(オーストリアと提携),フランスの製鉄施設の建設へのソ連の参加,極東の港湾建設(日本と提携)などがそれである。また東欧では,ポーランドの鉱山開発(フランスとの提携),同国の西欧諸国への機械部品などの供給,チェコへの工作機械製造ライセンスの供与(アメリカ)第三国での工場建設や機械,設備供給に関する協力(ハンガリーとオーストリア,ポーランドとイギリス,ブルガリアとイタリア)などがある。
他方,機械輸出の増加,産業提携の進展とともに,西側の東側に対する信用供与も増加傾向にある。決済資金の不足がちなソ連・東欧にとって,この信用供与は西側からの機械,技術の輸入の支柱となっている。
このような貿易,技術,さらに信用供与など多面的な東西の交流,提携は,コメコン域内の経済統合と平行して発展している。では,今後コメコンの統合プログラムの実現は東西交流にどのような影響を与えるか。すでにみたように,統合プログラムは15~20年にわたる長期的,総合的なものである。しかもコメコンは解決すべき複雑な問題を抱えていて,統合プログラムの実現は容易なことではない。したがって,当面はそれが東西交流に直ちに影響することはありえない。
また,統合は東側の経済的結束を強化することを意図しているとはいえ,域内アウタルキーを志向するものではない。プログラムもうたっているように,統合は東西を含めた世界的規模での国際分業を考慮に入れるものとされている。事実,アウタルキーの強化は統合の目的である経済効率と技術水準の向上を遅らせるであろう。
コメコンの統合がプログラムどおり進めば,ソ連・東欧の工業化水準の向上は西側からの先端技術導入の必要性を高め,むしろ東西交流を刺激する。
このようにして,コメコン域内の協力と東西交流は相互に補完しながら進展するものとみてよいであろう。