昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第4章 変貌する世界貿易
1970年9月リビアに端を発した原油公示価格および所得税率の引上げは石油輸出国機構(OPEC)に加盟する諸産油国の間に連鎖反応的に拡がった。
そして最後に,71年6月のイラク政府とイラクペトロリアム・グループとの問およびサウジ・アラビアとアラムコとの間の協定成立で,産油国政府と国際石油資本との間の劇的な折衝も一応の決着をみた。
OPEC諸国を石油輸出の積出地からみて次の3つのグループに分けることができる。①リビア,アルジェリア,イラク,サウジ・アラビアの地中海諸国②アブダビ,イラン,イラク,クウエート,カタール,サウジ・アラビアのペルシャ湾諸国そして,③その他のベネズエラ,インドネシアである。
このうち,早くから値上げの必要性を説いていたのはベネズエラであるが,国際資本の壁を第1に突破したのは地中海諸国の中のリビアである。リビアにこのような強硬態度をとらせた要因は次のとおりである。
① 石油輸送の主力になっているタンカー船腹が不足をきたしたこと。
② 西欧諸国の景気が69年~70年にかけて一様に好況であったため,重油にたいする需要が急増したこと。
③ 石油収入に裏打されて財政力が非常に強力で,財政留保金を持っており, ( 第4-19表 )このため産油制限という強行策をとりえたこと。中東紛争の結果67年6月6日以降スエズ運河が閉鎖された。この結果,従来スエズ運河を航行していた船舶は南アフリカのケープタウンを迂回しなければならなくなった。航行距離はロンドン~ペルシャ湾の場合でみると,ケープ・タウン経由はスエズ運河経由に比べ80%弱増加する。タンカー船腹は不足気味になったところへ69年5月アラブゲリラがサウジ・アラビアと地中海岸を結ぶパイプライン(TAPライン)も爆破するという事件があった。その結果タンカーの短期契約運賃レートは70年央以降,,69年5月の4倍強になった ( 第4-20図 )。このため,西欧諸国の旺盛な重油需要を背景に,地中海岸原油はペルシャ湾岸原油にたいして相対的に優位になった。当時,ペルシャ湾岸原油に比べ価格は低く抑えられていた。これを調整しようと69年末に樹立されたリビア革命政権は,まず70年1月米国系独立産油業者オキシデンタル・ペトロリウム社に対して公示価格引上げを命令した。続いて,70年5月,産油制限命令を出した。
TAPラインの爆破とこのリビアの産油制限命令とによって,地中海石油の供給は年間ベースで5,000万klも減小した。ペルシャ湾からこの分を全量輸送するとすれば世界のタンカーの船腹量が即座に1割弱増えなければならない。それが不可能ならば,ヨーロッパにたいする石油供給が危機に陥る。
オキシデンタル,ペトロリウム社はリビア以外にほとんど油田を持っていなかったため,産油制限という圧力に耐えきれず,70年9月に,公示価格の引上げと所得税率の引上げに同意した。これを契機として,リビアで操業する他のメジャーも同月中にオキシデンタル・ペトロリウム社と同一の条件を承認せざるをえなかった。この引上げは,公示価格を30セント引上げて2.53ドル/バーレル(さらに75年まで毎年2セントづつ引上げて2.63ドル/バーレル)とし,所得税率を5~8%引上げて55~58%とするというものであった。リビア政府の価格交渉の成功は,イラン原油とクウェート原油の9セント/バーレルの値上げおよび税率の50%から55%への引上げという形で波及した。
このような状況の中で12月,ベネズエラのカラカスでOPEC閣僚会議が招集された。ここでは加盟各国の公示価格の統一的全面引上げを達成することなどの当面の要求を関連石油会社にぶつけることのほかに,主要工業国の平価変動が加盟各国の石油収入のもつ購買力に悪影響を与える場合,公示価格を調整することなども決議された。
71年1月12日イランの首都テヘランにおいて,OPEC加盟ペルシャ湾岸の6ヵ国と石油企業15社(最終的には23社)との間で石油値上げに関する交渉が開始された。
数回会談が重ねられた後に,カラカス会議の決議内容がほぼ全面的に認められ,2月15日「石油値上げに関する新5ヵ年協定(テヘラン協定)」が成立した。発展途上国が自国の利益擁護に,これほど団結して先進国に当たり,これを貫徹したことは初めてのことである。その主な内容をみると,次のとおりである。
① 公示価格を一律33セント/バーレル引き上げる(たとえばイラニアン・ヘビーの場合,2,553→2,883ドル/バーレル)
② 運賃上の不均衡是正のため,公示価格を2セント/バーレル引上げる。
③ インフレーションの調整として協定発行日の翌日(2月16日)の公示価格に2.5%上乗せしたものを71年6月1日の公示価格とする。さらに,モラトリアムインクリーズとして公示価格を,5セント/パーレル引上げる。
④ 73年1月1日から75年1月1日まで,毎年各前年末の公示価格の2.5%それに5セント/バーレルを上乗せしたものを当該年の公示価格とする。
⑤ 所得税率は5%引上げて55%に統一する。
⑥ 協定の有効期間中は石油の安定供給を保証する。
ペルシャ湾岸諸国の成功は再び地中海岸諸国にはねかえった。これら諸国と関連石油会社との間でリビアのトリポリで3月1日から会談が開かれ,4月2日にトリポリ協定が結ばれた。その骨子は次のとおりである。
① 所得税率を5%引上げ一律に55%とする。ただしオキシデンタル・ペトロリウム社だけは60%とする。
② 公示価格を89.7セント/バーレル引上げて3.447ドル/バーレルとする。
ただしこの中には,スエズ運河閉鎖によるプレミアムl2セント/バーレル,タンカーレート高騰にともなうプレミアム3セント/パーレルが一時的な値上げ分として含まれている。
③ 今後毎年2セント/バーレルの値上げを行なう。
また73年~75年の間1月1日付けで恒久的値上げ分64.7セント/バーレルを加算した価格の2.5%プラス5セント/バーレルの値上げを行なう。
④ 再投資義務として,エッソ,オキシデンタル等の石油会社6社は5年間の協定期間中各1基,合計6基の探鉱探索措置を維持する。
その後イラクは,イラク,ペトロリアム,グループと,サウジ・アラビアはアラムコと恒久的値上げ分に含まれている低硫黄プレミアム10セント/バーレルの帰趨について折衝を重ねてきたが,6月にこのプレミアムは認めないということで妥協が成立した。
他方,ベネズエラの動きをみると,70年12月所得税法の改正を行ない,石油課税率を上限52%のスライド制から60%一率制に引上げ,これを70年1月に遡って実施することをきめた。これと同時に,政府に原油および製品の販売にたいする課税基準価格を一方的に決定する権限が与えられた。
さらに71年7月,石油資産復帰法が成立した。これは,各社にたいし利権協定の期限が切れ始める83年には無補償で全ての残留資産を引渡すこと,および利権地域内で3年間未開発のまま放置された部分は全て即時返還しなければならないこと等を骨子としている。これらの動きと平行して,インドネシアは2月末に公示価格を引上げている。
(1)値上げ問題を惹起した要因
今回の値上げ問題をひきおこした要因として次のようなことが考えられる。
第1に,工業品価格が持続的に上昇しているため,産油国の石油収入の実質価値が低落していることである。( 第4-21図 )・産油国経済における石油収入の比重を主要産油国についてみると, 第4-20表 のようになる。
このように,いずれの産油国も,膨大な石油収入をもとにして先進諸国から工業製品を購入して産業の開発,公共施設の建設を強力に推し進め,国民生活の向上に努力している。換言すれば,石油収入が産油国の経済発展の鍵を握っている。それだけに,最近の工業製品価格と原油公示価格のはさみ状のかい離は産油国として放置しておくことはできないのである。
第2には産油国諸国の民族意識の高揚があげられる。
51年にイランは石油部門国有化に失敗したが,その原因は,国際石油資本(メジャー)が技術者を引揚げたため石油産業の経営が困難になったというように,産油国の石油産業に対する知識が不足していたことにあった。ところが,イラン,サウジ・アラビア,イラク等の産油国において,徐々に,米国などに派遣していた研修生が帰国して石油行政にたずさわるようになった。他方,石油資源には限りがあるから,それが枯渇しないうちに,石油産業からの国家収入を極大化して,経済の発展を強力に推し進めなくてはならないという認識が広まった。そこで,国際石油資本との間の利権協定を改訂して利益配分率を高めたり,利権鉱区の返還を迫ったりした。後者の場合はさらに,返還された鉱区に沖合の未開放鉱区を加えて,メジャー以外の石油会社に利権を与え,その利権鉱区を合弁形式で開発する政策をとった。これに応じて,50年代後半に,アメリカ系の独立石油会社や,西欧,日本の国策会社が積極的に進出した。
60年8月,中東の原油公示価格が引き下げられるとこれに対抗して,9月にサウジ・アラビア,クウェート,イラン,イラクおよびベネズエラの5カ国は,OPECを設立した。OPECの第1回の決議案をみると,①石油会゜社に対して共同の政策を策定する必要があること②引き下げられた原油公示価格の回復に全力をあげること,③将来原油公示価格の変更には,産油国政府との事前交渉が必要であること,④国際的産油,輸出割当の確立が必要であることを訴えている。このようにして民族意識はしだいに高まってきたわけであるが,最近にいたってこれが一挙に爆発した。これは,リビアのガタフィ革命議会議長の「革命政府は石油会社が一文たりとも人民から盗むことを許さない。」という言葉や「政府は帝国主義と外国基地の挑戦に堂々と立ち向ってきた。革命政府は石油会社に対しても立ち向かい,彼らの独占を許すことはしない」という演説に,はっきりとみることができる。
(2)値上げを成功させた要因
OPECは設立当初から60年以前の原油公示価格を回復することを目標としていた。しかし圧倒的な市場支配力を誇っていた国際石油資本に対しては,原油公示価格の再々引下げがもはや不可能であるということを認識させる力しかもたなかった。
今回,値上げに成功したのは,OPEC諸国が今回一致団結して最後まで足並を乱さずに国際石油資本に対する交渉力をもちえたことによるが,これを支えた要因としては,次のようなことがあげられる。
第1には,石油の需給が短期的に逼迫したことである。確認埋蔵量としては,70年の産油量ベースで35年分あるし,また原油回収率も徐々に改善されて現在約30%になっているが,さらに改善される可能性も強いので需給関係の基調としては,供給過剰気味といえよう。しかし短期的にみると,重油需要の急速な伸長,輸送面のネック,環境保全問題から確認・推定埋蔵量の31%を占めるにすぎない低硫黄原油(硫黄含有率1%以下)の需要の増加,加えて,石油の代替エネルギーである天然ガスや原子力の開発の遅れなどにより,需給がタイトになっている。
第2には,石油資源の賦存状態が地理的に偏存していることである。69年の確認埋蔵量の70%強が,中東およびアフリカに賦存している( 第4-21表 )。
しかもこれら地域の原油は低コストである( 第4-22表 )。
石油資源の賦存の偏在と関連させて,石油貿易についてみると,石油の需要は,先進工業国に集中している。このため,石油の取引の売り手をみると中東,アフリカ,カリブで供給の86.5%を握っているのに対し,買い手は先進工業国が主であって,アメリカ,日本,西欧で81.2%を占めている( 第4-23表 )。したがって,石油貿易は,南側の一部と北側との取引が主流をなしているのである。石油需要が集中している先進工業国には,アメリカ以外にみるべき石油資源が賦存しない。しかも先進工業国における石油の需要はその鉱工業生産に対して弾性値1.6という勢いで伸びてきたので,石油貿易は,過去15年間で年率9.3%と,世界貿易の伸び率7.4%を大きく上回り,その他の第1次産品貿易が伸び率4.9%で停滞していたのと対照をなしている。
(1)原油の市場実勢価格の引上げ
原油公示価格は,50年以降,原油の市場価格を示すものではなく,単に産油国と石油会社の利益配分基準にすぎなくなっている。
したがって,今回の原油公示価格の引上げは,それ自体としては,単に産油国の力が国際石油資本の力を凌駕したことを示すにすぎないが,それが市場の実勢価格に反映したことによって,広範な影響を及ぼすこととなった。
市場実勢価格は,何故引上げられたのであろうか。これをみるには,石油市場の組織にまず触れなければならない。すなわち,メジャーと称される大国際石油資本(ニュージャージー,スタンダート社,ロイヤル,ダッチ,シェル,グループ,ブリティシュ,ペトロリアム社,ガルフ社,テキサコ社,カルフォルニア,スタンダード社,モービル石油社)がこれまでの石油市場を事実上支配してきた。これらの国際石油資本は原油の生産から製品の販売まで完全を垂直統合しているので国際的に取引される原油の大半も,単に同一企業内を移動するにすぎない。メジャーの支配力は漸次減少してはいるが,それでも69年に世界の原油生産の52%を占め,また原油処理量の57%を占めて,いぜんとして大きな市場支配力を発揮しうる。
一方,国際石油資本の収益率が60年代を通じ実勢価格の低落によって,徐々に悪化してきている。メジャーの収益率でみると,バーレル当たりの利益率は,60年に56.5セントあったが,70年には35.4セントと大きく落ちこんでいる。50年代末以降石油市場に新規参入した会社の多くが,販路をもたないこと,イラン石油業国有化紛争,スエズ動乱等の緊急事態に対処するためにアメリカ,ベネズエラなどで増産体制が取られたこと,加えて,50年代中頃にソ連石油の輸出が一時的に増加したことなどにより,スエズ動乱後石油市場は供給過剰収態になった。しかも,原油の生産費が市場価格に比べて安く超過利潤が存在するため,石油開発が非常に魅力的であり,需給の不均衡はなかなか解消しなかった。このために,公示価格は61~69年の間据え置かれたものの,市場の実勢価格は年々低下することとなった( 第4-22図 )。
今後の石油需要は,oil CTos Journa1社の予測によると70年の46.6百万バーレル/日から80年に83.2百万バーレル/日になるものと推定されている。
このため投資額は,10年間に産油部門だけで最低500億ドルによるものと予想される。そこで投資資金確保ということもあり,テヘラン・トリーポリ両会談を通じて,OPEC諸国が消費国に対して鋭い矛先をむけたのを背景に,石油会社は消費国に対して値上げを行なったのである。
このように,石油市場に圧倒的な市場支配力が存在し,消費国に対し,一方的に価格を押しつけるメカニズムが存在することは,日本のように石油供給をほとんど全て海外に依存する消費国にとっては,特に甚大な影響が及ぼされる。
(3)石油実勢価格引上げのもたらす影響
①石油需要に与える影響
60年代の石油需要は,石炭から石油への転換といういわゆる「エネルギー革命」を通じて急増してきた。今回の石油実勢価格の値上げは,この趨勢に対してどのような影響を与えるだろうか。これには当然,石油価格がいぜんとして他の燃料価格よりも割安のまま推移するか否かといった点が第1のポイントになるが,産油制限という切り札を産油国が持つ限り,エネルギー源を多様化することによって安定供給を確保しようという政策的配慮も加わるであろう。代替エネルギーとしては,原子力,天然ガス・オイル・シェイル,ガス化石炭および石炭が考えられる。しかし原子力はここ2~3年開発が遅れているし,またオイル・シェイルおよびガス化石炭は今からすぐに開発にかかっても実用化までに10年位かかるということである。また,石炭との競争については,石油の価格が不明であるので,はっきりつかめないが,ECの報告によると石油の最近の値上がりで,石炭の競争力は,若干改善されたが,ECの石炭はいぜんとして,石油より相当割高であるという。したがって天然ガスの需要の増加は予想されるものの石油需要の増加は,当分,鈍化しないだろう。
②石油供給に与える影響
今回の値上げにより,少なくとも新規地域においては探査活動はいっそう括発化するだろう。たとえば,条件のきわめて悪い北海の石油についても,バーレル当たり平均1ドルの純益が見込まれるようになったことにより開発が進もう。従って,石油供給が増大し,石油価格を安くする力が働こうがしかし,今後探査を行なうとすれば,海上でも内陸部でも諸条件の厳しいところになり,それだけ開発コストがかさみ,原油コストが引き上げられるので,その力は減殺されよう。また,消費者価格にはさらに公害対策としての脱流装置にたいする投資償却が加わることになろう。
③インフレに対する影響
現代の産業にとっては,石油は鉄とともに基礎的な原材料であって,石油の値上げは単に石油製品の値上げにとどまらず,広く他製品の値上げに結びつく,アメリカは国防上の見地から国産石油の保護政策をとっていて,国内の石油価格を相対的に高く設定しているので,今回の値上げが直接影響することはないが,西欧先進諸国および日本にとってはインフレを加速化させる要因となろう。西欧先進国の値上り幅を重質燃料油でみると 下表 のようになる。
原油の積出地の違いによって値上げの影響は異なるので,西欧先進諸国における値上げ幅はまちまちであるが,結局において,それは消費者に転嫁される。たしかにOPEC諸国もいっているように,石油消費税率を引下げれば消費者に転嫁しなくても済むわけであるが,石油消費税については各国とも道路用財源などの特殊目的をもった税制であることが多く,廃止を行なラ考えはないようである。
④非産油国の発展途上国に与える影響
発展途上国は,多くの国が工業化を中心に経済発展を目指している。非産油国の今後の経済発展に石油価格の値上げは,どのような影響を与えるだろうか。
石油をもたない発展途上国のほとんどは外貨不足に悩んでいるが,石油の値上がりが外貨事情をさらに圧迫し経済成長を鈍化させる懸念がある。といって原子力や水力にエネルギー源の代替を求めるには膨大な資本が必要で,実際上不可能である。この辺の事情を100億ドルに近い借款の累積赤字をかかえるインドに例をとってみると,石油消費量の60%を中東石油に依存し,その大部分はイラン軽質原油である。このイラン軽質原油の公示価格は約50セントバ/レル値上りし約2.3ドル/バーレルになっている。今回の値上げにより5ヵ年間に外貨が4億ドル流出すると推定されるが,これは年率にすると1969年のインドの国際収支赤字額の23%に相当する。
OPECは設立以来10年間,公示価格の引上げ,利権料の経費化,所得税率の引き上げ,生産調整の実現,事業参加などを掲げ,産油国の利益を守るために活動してきた。今回のテヘラン・トリポリ両協定によって,OPECがかちえたものは,10年来の要求のまだ一部にすぎない。今回は公示価格の値上げと所得税率の引上げの達成に止まったが,71年9月22日に開かれたOJEC第25臨時総会で産油の国際石油会社への資本参加とドル価値低下にともなう原油価格調整の2点を決議した,資本参加については,すでに68年の第16回O PEC総会で,決議されており,今回の決議はそれを具体的に推し進めようというものである。産油国の中には,石油産業に進出する際にまず利権保有会社の下流部門(石油運搬,石油精制部門)の事業に参加しようという考えを打ち出す国もあったが,今回の資本参加には,そのような考えは出ていない。
OPEC11ヵ国(71年6月にナイジェリアが加盟した)のうち,ベネズエラでは既利権の終焉を予想させる法律が成立しているし,アルジェリアでは既存権利の一部または全部の接収がはじまっている。一方インドネシアでは利権方式が行なわれていない。したがって,これら3国では資本参加の要求を出す必要はなくなっている。資本参加の要求を出してくるのは今回の値上げと同様に,イランを中心としたペルシャ湾6ヵ国にリビア,ナイジェリアを加えた8カ国になろう。資本参加比率の最終目標は,経営支配権を握るため51%にあることは明らかであるが,その目標達成のタイム・スケジュールおよび手段をめぐって産油国の間で見解が分れている。ペルシャ湾岸諸国は20%前後の資本参加を目標に漸次参加の度合を高めようとしているのに対し,リビアは51%参加の即時達成を主張している。ナイジェリアは35%を当初の目標にしていると伝えられるがジャパン・ペトロリアム,ナイジェリアに対しては,すでに51%の参加を決定している。これに対し国際石油資本も10月以降対策の協議を始めたようである。
また,ドル価値低下にともなう調整についてはIMF総会のようすを見てから動き出すことであったが,平価調整の結論が出なかったため,持ち越された。
石油貿易は石油のエネルギーに占めるウェイトからして,今後も増勢を維持しよう。今回の原油公示価格の値上げによって,OPECの原油公示価格の値上げによってOPEC諸国の政府収入は,5年間に360億ドル程度増加するという。他方,石油を持たない国では輸入石油価格の上昇は当然に外貨流出要因によるが,外貨準備の少ない発展途上国にとってはこれは成長阻害の方向に作用するかもしれない。
一般的にいって,貿易伸長の面でも経済発展の面でも,産油国と非産油国との間では大きな不衡が生じているのは明らかである。しかし,これは一方て非産油国における石油探査を刺激している。したがって非産油国の石油開発が進み長期的には石油貿易の地図が変わり,発展の不均衡は是正されるかもしれない。
一大消費国でありながら国内に石油資源を持たないわが国としては,現在の産油および潜在力を秘めた非産油国の主体性を尊重しつつ,その開発計画に積極的な貢献をなしうる地位にある。
原油貿易の世界貿易に占める割合は,6%弱(68年)であり,一商品の貿易としては世界貿易に対して重要な地位を占めている。したがって,OPE C諸国の動きは世界経済に今後とも大きな波紋を投げかけるであろう。