昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第4章 変貌する世界貿易
イギリスのEC(the European Communities,欧州共同体-ECSC,EEC,EURATOM)加盟交渉は71年6月23日ようやく実質的な妥結をみた。イギリスが61年にはじめて加盟申請を行なってから10年ぶりのことである。デンマーク,アイルランド,ノルウェーも同時に加盟が予定されていてECの発言力はいちだんと重みを加えることになった。このあと,加盟条約の作成,批准を経て73年1月1日から拡大ECは正式に発足することになるが,通貨間題の処理など重要案件については,すでに現在,EC6ヵ国とイギリスとは協調的な動きをしている。
拡大ECの人口は70年現在,2億5,300万人,GNPは6,000億ドルでアメリカのほぼ60%,コメコンに匹敵する。その貿易規模は世界貿易の1/3にちかく(アメリカのそれは14%),世界の金・外貨準備の38%を保有する。拡大ECの実力はこれだけに止まらない。
イギリスなどのEC加盟によって,EFTAは実質上解消することになるが,残る6ヵ国と拡大ECは自由貿易地域を形成することについて,正式に交渉をはじめる予定である。これは従来,工業品について自由貿易地域を形成していたEFTA諸国が,EC加盟国と非加盟国に分解することによって,両グループ間に再び関税障壁がきずかれ,これらの間の貿易がマイナスの影響を受けるのを回避することを目的としたものとされる。この交渉が予定通りにすすめば拡大ECが発足する73年1月1日から,非加盟EFTA6カ国との自由貿易地域も同時に発足することとなる。ECは現在すでにアフリカ18ヵ国(ヤウンデ協定),東アフリカ三国(アルーシャ協定),マルタ,トルコ,ギリシャ,チュニジアおよびモロッコとは連合協定を結んでおり,スペイン,イスラエル,ユーゴスラビアなどと貿易協定を結んでいる。イギリスの加盟によって英連邦特恵は廃止されるが,英連邦発展途上諸国は何らかの形で拡大ECと特別の関係を結ぶと予想される。したがってECの経済圏はヨーロッパをコメコンと二分するのみならず,地中海諸国,アフリカ諸国を含む広大なものである。
こうした巨大な経済圏の形成は,EC自体の統合過程にとって大きな条件変化であるばかりでなく,ECと直接,間接に結びつきをもつ国に対して少なからぬ影響を与える。
本節では,今回妥結をみたイギリスとの加盟交渉を中心に,その経緯と背景を明らかにし,合意された加盟条件を要約するとともに,拡大ECの形成が域内外経済におよぼす主な影響について述べる。
第2次大戦後のヨーロッパには,一貫して統一欧州ないしはヨーロッパ連邦の形成に対する共通の強い志向がみられる。1958年のEEC(the Euro-pean Economic Community,欧州経済共同体)の発足とその後の発展はこうした動きの一環であるし,今回のイギリスのEC加盟交渉の妥結もこの基本的な流れのなかで理解することができる。さかのぼってみると,西ヨーロッパ諸国はアメリカの援助を受けて戦後復興を進める一方,ヨーロッパの防衛と相互間の戦争回避のため,一連の独自の協力機関を設立した。OEEC(the Organization for European Econornic Co-Operation,欧州経済協力機構,1948年4月)などがこれである。とくに,利害関係がいっそう密接な現行EC6ヵ国は,経済資源をプールしてより効率的に利用する方向を歩んだ。1951年のECSC(the European Coal and Steel Community,欧州石炭鉄鋼共同体)発足についで,EECおよびEURATOM(the European Atomic Energy Community,欧州原子力共同体)が1958年に設立された。
これに対して,イギリスは全OEECをメンバーとするより広範な経済協カ体制を確立するために「欧州自由貿易地域」の設立を提唱していた。当初,この案は関係国の支持をえて,EECと同時に発足することを目標に交渉が行なわれたが,フランス政府の強硬な反対によって挫折した。このため,イギリスはEEC以外の西ヨーロッパ7ヵ国に呼びかけてEFTA(the European Free Trade Association,欧州自由貿易連合)を結成したのである(60年5月)。EFTAは当初より域内工業品貿易の自由化のみならず,E ECを含むその他のOEEC諸国との関税障壁の撤去,経済協力の緊密化などを目的としており,また,そのメンバーがEECに加盟すること,あるいは貿易協定を結ぶことを容認していた。
EECは58年1月の発足後,域内関税の引下げを予定どおり実施したのをはじめ,その他の分野でも共通政策を決定するなど着々と統合化をすすめた。その結果,60年代初にははやくも域内貿易の促進,経済拡大の持続など目を見張る実績をあげた。これに対して,EFTAの域内貿易の伸びはEE Cのそれをはるかに下回るものであった。これに加えて,英連邦諸国との貿易のウエイトが低下していたイギリスでは,EEC加盟によって経済の体質を改善しようとする動きが政府,民間に強まった。
こうして,イギリスは61年8月,正式にEC加盟申請を行ない,その後の交渉過程で加盟条件についてかなりの合意がえられたにもかかわらず,63年初めドゴール仏大統領の強硬発言を契機に局面は一転して交渉は無期限に中断された。67年5月の労働党内閣による第2回の加盟申請も,フランスの拒否権発動によって,正式交渉が開始されるまえに再び中断されることになった。
イギリスにとって第3回目である今次加盟交渉は保守党ヒース政権によって70年6月30日正式に開始され,その後,約1年にわたって集中的な交渉が行なわれた。この間,主要な問題点については閣僚級交渉が8回開催された。このほかに,4月の英独首脳会談,5月の英仏首脳会談においてイギリス加盟に対する基本的な合意がえられたが,とくに後者は,交渉妥結を決定的にしたとみられる。
今回の加盟交渉が成功した背景としては,主としてつぎのような点が有利に作用したとみられている。
第1に,EC「拡大」に対する内外環境が前2回の交渉時に比較して好転していたことである。ECにとって拡大問題は発足当初から予定されていた課題であり,ローマ条約も「いかなる欧州の国も共同体への加盟を申請することができる。」(237条)と明示している。しかし,過渡期の統合過程においては,どちらかというと「拡大」よりも統合の「完成」に重点がおかれてきた。ECの統合が十分すすまない時期に「拡大」を行なうこと身よ統合の完成をおくらせる懸念があったためである。したがって,過渡期が終了したこの時期にEC拡大が具体化することになったのは決して偶然ではない。とくに,69年12月のハーグ・コミュニケは,本格的な経済統合への前進を確認し,イギリスなどの加盟をECの拡大,強化のために前向きに取りあげようという基本的な合意を示している。このため,今次交渉を成立させようとする協調的な雰囲気が強かった。従来,イギリス加盟に対して英連邦特恵,EFTAとの特別の結びつきなどを理由に批判的であったフランスも,今回の交渉では,ポンド問題をイギリス側の提案にしたがって処理することを受け入れたのをはじめとして,ニュージーランドからのバター輸入問題,共同体財政負担などについても大幅に譲歩した。こうしたフランスの態度の変化は,①ドゴール大統領の退陣に加えて,②英仏首脳会談におけるヒース英首相の「欧州の一員として生きる」という政治的発言によって,従来,フランスがしばしば問題にしていたECの異質化やアングロサクソンの利益優先に対する懸念がうすらいだこと,③西ドイツが経済力の拡大を背景としてEC内で地位を高めていることに対抗するために,イギリスをパートナーとみなすようになったことなどを主として反映していよう。一方,イギリス側でもECから隔離されたままでいることは,政治的にも経済的にもECの発展か,らとり残されるおそれがあるというあせりの色が強くみられた。それに今回の交渉が第一次交渉で実績のある保守党の手にゆだねられたことも,技術的な面で妥結を容易にしたとみられる。
経済的な面でも,イギリスは前2回の交渉時にいずれもポンド危機という困難な問題をかかえていたのに対してこの1,2年経常収支は黒字基調にあり,ポンドも堅調を保っている。このことはEC側にイギリスを受け入れやすくし,一方で,イギリス側においては,加盟のコストが容易に負担できるという好条件となっている。
今回の交渉過程において合意された加盟条件の大要を述べてみる。
1)代表権および議決権
EC諸機関において,イギリスは当初よりフランス,西ドイツ,イタリアと同一の地位を占める,主要なEC共通政策の実質的決定機関である閣僚理事会には加盟10ヵ国からそれぞれ1名ずつの閣僚が出席する。理事会決定多くはEC委員会の提案にもとずいて行なわれる。理事会の議決方式は全会一致,単純多数決,特定多数決の3種である。加盟国の国益に関する問題については全会一致によることがローマ条約できめられている。特定多数決の場合の各国の議決権はつぎのとおり。
西ドイツ 10 フランス 10
イタリア 10 イギリス 10
ベルギー 5 オランダ 5
ルクセンブルグ 2 デンマーク 5
アイルランド 3 ノルウェー 3
計 61
ここで,委員会の提案によらない場合の特定多数決は少なくとも6ヵ国による賛成43票が必要とされる。
欧州投資銀行においても,イギリスはフランス,西ドイツ,イタリアと同等の代表権をもつ。
2)工業関税
第1に,イギリスおよび6ヵ国間貿易についての関税はすべて撤廃される。この措置は加盟の3ヵ月後から5年間に毎年年初に実施される(第4-10表)。第2に,12工業原料についての特別措置を除いて,あらゆる域外国に対してEC共通対外関税(the Common External Tariff,CET)が適用される。一般に,EC共通対外関税はイギリスの関税水準より低いので,現在,特恵待遇を受けていない国の調整は小幅でよい。しかし,イギリスへの輸出が無関税である特恵国は,EC共通対外関税を徐々に適用しなければならないためかなりの影響があるとみられている。
EC共通対外関税への接近は,加盟の1年後から,4段階にわけて行なわれる。イギリスのEC加盟が73年1月1日に実現するとした場合の工業関税同盟接近のスケジュールは第4-10表のとおりである。
この措置によるイギリスの利益は,第1に,加盟後の3ヵ年でEC市場に無関税にちかい接近ができることである。すなわち,EC共通対外関税は一般に低水準であるが,部門別にみるとイギリスの輸出にとって重要な部門の関税率がかなり高く,これまでイギリスのEC向け輸出を阻害していた。第2に,EC共通対外関税への第1次接近が加盟の1年後に行なわれることは,英連邦諸国の調整期間をそれだけひき延すことになる点である。
3)農業政策の転換
EC共通農業政策は,主要農産物価格を主として,つぎの2方式によって支持している。第1に,輸入価格は可変輸入課徴金によって,境界価格に引上げられる。第2に,域内市場は,境界価格より若干下に決められた介入価格によって支持されており,域内の市場価格がこの価格水準を下回る場合は,介入機関がその農産物をこの価格によって買上げる。この買上げ,保管などに要する経費は農業指導保証基金によって支出される。農業指導保証基金は第3国向け農産物輸出についても,輸出価格が共通価格を下回る場合には,その下回る額に相当する輸出払戻金を輸出業者に支払う。イギリスは加盟当初からこの共通農業支持方式を受入れ,過渡期間である5年間に段階的にこのような共通価格への接近を行なう予定である。
4)共同体財政の負担
現行の共同体財政の負担方式は,69年12月のハーグ・コミュニケにもとずいて70年初から実施されたものである。イギリスはこの基本原則を受け入れるが,イギリス経済に対する財政負担が過大にならないように過渡期を通じて共通財政制度に徐々に接近する方式が交渉された。
5)英連邦諸国の処遇
EC加盟交渉において,英連邦問題は政府の主要関心事の一つであった。
第1に,ニュージーランド酪農品の輸出保証について,ニュージーランド政府の承認をえてつぎのような合意をみた。バターについては,現行の輸入保証数量を過渡期に毎年4%ずつ引下げ,5年目には少くとも現在の80%が保証されるようにするが,その後の保証については,一定期間後に検討することとする。チーズについては,4年間に,年々20%ずつ引下げを行ない,5年目までに現行輸入保証数量の20%とするが,その後については保証しない。マトンについては,過渡期に20%のEC共通対外関税に接近する。
第2に,英連邦砂糖協定(the Commonwealth Sugar Agreement,CSA)に入っている砂糖生産を主とする発展途上国は,,拡大EC市場において公正な条件で輸出を続けうることが確認された。すなわち,イギリスのCSA諸国(オーストラリアを含む)からの輸入義務契約数量は,現行協定が有効な74年末まで継続される。75年からは,発展途上国からの砂糖輸入は拡大ECとの連合協定ないし貿易協定によって処理される(ただし,インドについては例外措置がとられる)。
第3に,イギリスの従属国(香港,ジブラルタルを除く)および英連邦発展途上独立濁(アジア地域を除く)については,拡大ECと連合協定ないし貿易協定を締結する機会を与えることが合意されている。現在,ECと発展途上国の間には,ヤウンデ協定(YaoundLe Convention),アルーシア協定(Arusha Convention),その他個別の貿易協定などが締結されているが,どのようなタイプの関係を結ぶかは各国の選択にまかされている。香港については,E Cの一般特恵制度を発足時から適用する。
第4に,インド,パキスタン,セイロン,マレーシャ,シンガギールについては,拡大ECはこれらの国との現行貿易関係が拡大強化されることを意図しており,イギリスの加盟後,一般特恵制度との関連で貿易問題が検討される。インドおよびセイロンなどからの茶の輸入については,共通関税はひきつづき停止されることが合意されている。
6)ポンド問題
ポンドの処遇については,加盟交渉の取引き案件とはせず,交渉過程において討議の対象とすることとし,さらに具体的な統合化の方式については加盟後に検討することでECとの間に合意がみられた。イギリス政府は,①加盟後,ポンド残高を秩序をもって漸減させ,②EC経済通貨同盟への進展の中で,ポンドを段階的にその他域内通貨と同一の対外的性質と慣行に接近させるための適切な措置をとり,③EC通貨同盟の形成にポンドが積極的に貢献するように対処することを確約している。そのため,政府は,④ポンド残高を安定化するように,長期的目的と矛盾しない政策をとる。しかし,これらを具体化するためにどのような手段とタイミングをとるかについては,イギリス政府はまだ何ら約束しておらず,すべては加盟後の検討に残されている。EC側もイギリスのこうした意図に合意し,ポンド問題を交換文書として加盟条約に付けることを提案している。
7)資本移動
ローマ条約は資本移動に関する加盟国間の規則を徐々に廃止することをきめており,これまで数次の自由化指令が資本取引の大部分について適用されてきた。しかし,若干の規制はひきつづき残されている。現在,イギリスは非スターリング地域との資本取引について,為替管理を適用しているが,これを段階的にECの資本規制方式に接近するよう,5年間の過渡期終了時までに調整を行なう。このため,まず直接投資に関する規則の変更が行なわれ,ついで証券投資にこれが拡張されよう。
8)欧州投資銀行
加盟後,イギリスの開発事業のために欧州投資銀行からの借款が可能となる。この銀行の資金は加盟国の拠出と資本市場からの調達に依存している。
イギリスの拠出分はフランス,西ドイツと同額の1億8,750万ポンド(うち3,750万ポンドが払込み)とされる。拠出はすべてポンドで行なわれ,加盟後の2年半に分割払すればよい。
1)域内に対する影響
EC拡大がその加盟国に与えるメリットは,すでに6ヵ国間に成立している商品,サービス,資本取引の自由化による競争の促進,生産特化,大規模生産,資源の効率的配分,水平分業の進展などの広域経済の利益が,イギリスなど4ヵ国を加えて,さらに一まわり拡大された規模において享受できることである。振返ってみると,EC貿易は関税同盟の段階的形成による域内貿易の急増を中心に著しい伸びを示し,貿易規模は60年代に約3倍に拡大した。とくに域内貿易は過渡期(1958年初~69年末)に年率16.4%増となり,輸出総額の伸び11.6%増をはるかに上回った。これはECが発足する前の6ヵ国間輸出の伸び(年率11.3%,1953~58年)をかなり上回っており,EC設立が域内貿易の拡大に良い刺戟を与えたことを示している( 第4-12表 )。このEC設立の貿易促進効果は,当然のことながら発足当初の方がはるかに大きく,輸出増加率は過渡期の前半(58~63年)が年率18.3%の増加であったのに対して,後半(64~69年)は14.7%に鈍化している。
EC設立による貿易促進効果を過去のトレンドからの乖離と定義すると,63年の輸出の26.6%,輸入の26.1%がEC設立によって増加したものとみなされる( 第4-12表 )。しかし,このEC効果も,69年には輸出の14.1%,輸入の14.9%へと減少している。国別にみると,EC効果の最も大きいのはフランスで,63年には域内輸出の44.1%,域内輸入の27.6%,69年には同じく25.5%,20.1%となっている。西ドイツ,イタリアについては前半じ輸出が大きく拡大し,それぞれ21.4%,30.5%であったが,後半には著しく低下して,9%,7.3%となっている。
こうして,EC貿易に占める域内比重は急速に高まっている。輸出については,EC発足当初に約30%であったのが過渡期の終了時には48%強へ,輸入については32.8%から50.4%へと増加した。一方,ECの域外輸入は60年代に141.5%増加し,50年代の111.4%増を上回っているが,ECを除く先進国の輸入が60年代に150.1%増であったものに比べると低い。
これは,EC加盟6ヵカ国の経済発展段階や経済構造が基本的に同質であるために,貿易創出効果が相対的に大きく,貿易転換効果を上回っていたためであろう。すなわち,前者は,域内関税の撤廃によって(国際的にみて)相対的に生産性の低い部門に対する保護がはずされ,域内の相対的に生産性の高い国から輸入が行なわれるようになり,その結果,域内の生産特化が促進されることを意味している。EC加盟国の経済構造はこうした生産,消費構造のシフトの条件を備えていること,すなわち,生産物が相互に代替的であることがこのようなメカニズムの作用する背景になったといえよう。とくに,工業品については生産特化がすすめやすく,EC域内貿易の比重は化学,機械,輸送機器,その他機械などで著しく高まっている( 第4-13表 )。
一方,農産物についてみると,貿易転換効果が働いているように思われる。従来域外から輸入されていたものが,域内関税が撤廃される一方で対外共通関税が設定されるため,域内からの輸入に転換され,国際的にみて生産性の低い部門が温存される。農産物貿易の域内比重が高まっている背景には,こうした貿易転換効果も作用しているとみられる。
イギリスなどのEC加盟は,これらの国の経済構造が,現在のEC諸国と代替関係にあることから,貿易創出効果をいっそう促進しよう。さらに現在交渉がすすめられようとしている残るEFTA6カ国との通商上の特別取きめが実現する場合には,この効果はより大きなものとなろう。
関税引下げによる域内貿易の促進は,域内企業の利潤増大→投資刺戟→生産性の向上という好ましい循環を生み,その結果,加盟国の経済成長が促進されるというダイナミックな効果をもたらすと期待される。このことは,E EC発足後における加盟国の経済成長が,60年代を通じて着実に持続され,平均5%程度の伸びを維持したことからも明らかであろう。これに対して,貿易面でのゆるい結合であるEFTA諸国の成長率は同期間に3.5%にとどまり,とくに,イギリスの成長率は2.7%にすぎなかった。このような成長率格差は,こうした統合化が行なわれない場合でも,それぞれの発展段階や経済構造のちがいを反映してある程度は生じたとみられるが,統合方式の差が成長率格差をさらに拡大した(ないしは格差の縮小をチェックした)と考えられる。
この効果は,経済成長をリードする技術先端産業においてとくに顕著にあらわれると期待されている。広域市場の形成は,これらの先端産業における技術開発投資を刺戟し,資金源と同時に需要の確保を容易にするからである。なかでも,航空機,エレクトロニクス,原子力,化学などイギリスの技術水準が高い部門において,このダイナミックな効果はとくに大きいと予想される。
こうした広域経済の形成は,その巨大な経済力を背景に対外発言力をとみに強化することになろう。イギリスが今次の加盟交渉において,とくに重視したのは,こうした政治的側面における交渉力の強化であったとみられる。
一方,拡大ECの形成によるECとしてのデメリットは,新加盟国を加えて域内メンバーが増加するにともなって域内経済の多角化がすすみ,ますます共同歩調がとりにくくなる可能性のある点である。すなわち,これまでの統合過程においても,6ヵ国は必ずしも一致した歩調をとってきたゎけではなく,重要な間鳳たとえば第2段階における共通農産物市場の設立などではECの前進が阻害されるような対立がみられた。このため,域内の結束をよりむずかしくする可能性のある拡大問題に対する域内の態度には,消極的な面もあった。
69年12月のハーグ・コミユニケを基点として拡大問題が急速に具体化したことは,すでに述べたとおりである。イギリスとの加盟交渉妥結はそのはじめての実績であるが,これによってECの結束がみだされずに,真に統合の強化をもたらすかどうかは,今後の域内協調のすすみ方にかかっている。
次に,イギリス経済にとってのEC加盟の功罪をみよう。この問題について,イギリス政府は70年2月および71年7月の2度にわたって,EC加盟白書を発表し国民の理解を深めることに努めた。民間でも,CBl(イギリス産業連盟)をはじめとして多くの検討が行なわれている。ここでは,71年7月の政府白書を中心に,EC加盟のコストと利益の主なものをあげることにする。
イギリス経済にとってEC加盟のメリットの最大のものは,これまで6ヵ国がEC結成からうけてきたと同様の経済成長促進というダイナミックな効果が期待できる点である。すなわち,高度工業化社会であるイギリスの経済構造は,多くの面で,現加盟国のそれと類似していて,原料の自給度が低く,工業品貿易に対する依存度が高いのが特徴である。したがって,EC加盟は60年代に6ヵ国に与えたと同様な良い刺激をイギリスに与え,加盟によるイギリス企業の効率と生産性の向上が,投資率を高め,実質賃金の上昇率を高めると予想されている。イギリス産業の効率の向上は,拡大EC内における競争力を強化させるばかりでなく,世界市場においてもその競争上の地位を有利にするとみられる。こうした効率ゆ向上と競争力の強化によって成長率が0.5%上昇すれば,加盟のためのコストは償われると政府筋は計算している。
一方,EC加盟のためにイギリスが支払わなければならない主なコストは,①EC財政の分担金(73年1億ポンド,77年2億ポンド,80年3億ポンド),②EC共通農業政策の受入れにともなう,食料品価格の上昇(5年間の過渡期に10~15%,年率1.5~2.0%),生計費の上昇(年率0.5%),③英連邦特恵関税の撤廃による輸出の減少(125-2275百万ポンド),④イギリス資本のEC流出などである。この結果,全体として国際収支にかかる負担は最高で年間5億ポンド程度となると政府筋はみている。この額は最近のイギリスの国際収支が大幅の黒字を計上している(69年7.4億ポンド,70年14.2億ポンド,71年上期17.3億ポンド)ことを考慮するとさしあたって大きな負担とはならないとされる。
10月末のイギリス議会による票決の結果,大差をもってEC加盟を決定した。このことは経済面での利害得失を考慮し,さらに,政治的判断を加えた場合に,EC加盟がイギリスにとって有利であるとする見方が国内で強まっていることを反映したものであろう。
2)域外に対する影響
つぎに,拡大ECの形成にともなう域外経済への影響をみていこう。
第1は,これまで英連邦特恵関税によってイギリスと結びつけられていた英連邦諸国への影響である。イギリスのEC加盟によって,英連邦特恵関税制度は廃止されることになり,国際通貨危機のさなか,1933年のオタワ会議で誕生したこの仕組は40年で幕を閉じることになった。それは本国と植民地という政治的主従関係を基盤に,英本国とインド,英本国と香港,英本国とオーストラリアといった放射線状の特恵のやりとりで,EC特恵が復線的であり,相互に競争的であるのとは対照的である。
英連邦諸国とイギリスとの貿易面での結びつきは,戦後急速に弱まっており,イギリスにとっても,また,他の英連邦諸国側にとっても,その重要性は著しく低下している。すなわち,イギリスの英連邦向け輸出シェアは1958年から70年までの間に,37.3%から21%に低下しているし,同様にスターリング地域各国のイギリス向輸出入のシェアも大幅に低下している (第4-14表)。
英連邦特恵は,戦後ガットの締結に際して,特恵の新設,拡大を行なわないという前提のもとに容認された例外的なケースであった。したがって,その特恵マージンは固定化ないしは縮小化の方向にあり,とくに,ケネディ・ラウンドによる関税率の一括引下げは英連邦特恵マージンを小幅化させた。
前述のように,拡大ECと英連邦の発展途上国とは,今後,連合協定または貿易協定を締結することが予定されている。その他の英連邦諸国のうち,オーストラリア,カナダなどはこれまで以上に日本と緊密な関係になるものと思われる。
第2に,アメリカに対する影響である。もともとアメリカは,ECの設立をヨーロッパの政治力強化の観点から強力に推進したのであったが,ECが順調に統合化をすすめ,さらに拡大問題が具体化するにおよんで経済的側面における利害関係の対立を強く意識するようになっている。たとえば,ウイリアムズ委員会報告書は,拡大ECの形成によるダイナミックな効果の分け前が,アメリカの輸出業者,投資家,企業などに期待できるとしながらも,E C拡大によって,アメリカの西ヨーロッパ向け輸出は工業品については年当り5~6億ドルの純減,農産物については大幅減少となるとみている。すなわち,工業品については,イギリスの関税が,平均2ポイント低いEC共通関税に統合されるために,アメリカ工業品のイギリス市場における競争力は改善されるが,無税となる大陸EC工業品とくらべて,明らかに不利となるまた,大陸EC市場においては,イギリスの工業品と比較した場合,競争力が低下する。こういった現象は,とくに化学,電機,輸送用機器などの部門で著しいとみられる。農産物については,ECは過渡期を通じて高度の保護主義的政策を適用してきたが,この傾向はEC農業構造改革案などにおいてもあまり改善される見込みはなく,今後,この面での双方の妥協が問題解決のかぎとされている。
第3に,発展途上国に対する影響である。これまでの貿易実績をみると,連合関係国の対EC輸出の伸びは他の発展途上国のそれより低い(第4-15表)。しかし,ECが拡大するとともに,それと特別の結びつきを有する発展途上国とその他の発展途上国との間の貿易取引上の差別は実質的に拡大されることになる。
第4に,ガット上の問題である。世界的な自由貿易体制確立へのかけ橋として誕生したはずのECは,それ自身巨大化するにつれて,自然に域外への差別を強化し,自由な貿易を阻害するおそれが出てくる。世界貿易全体としてみれば拡大していても,そのうちわけとして,一部の地域に属する国のみがうるおっているというのでは,世界経済の均衡ある発展というブレトンウッズ体制の理念からははずれることになる。ブロックの規模が大きくなるということは,市場が大きくなり,また,賦存する生産資源が豊富になるということであり,自己完結的な経済運営に走り,域外との協調をおろそかにする危険をもっている。ECがみずから差別的な地域主義を避けるよう努力することがなによりも先決であるが,多角的な解決策のひとつとして,共通関税の壁をガットにおける関税交渉などによって低くし,ブロック化の本性である差別性を軽減させることも考えられよう。