昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


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第3章 根強い先進国のインフレ

2. 世界インフレの原因

前節でみたように,先進国では1968年以降一斉にインフレの加速化がみられ1970年以降先進国の景気後退から全面的に需要圧力が低下したにもかかわらず,根強いインフレ傾向が続いている。このような世界的なインフレーションがもたらされた背景としてはその経済規模において先進国全体の約半分に達するアメリカが1960年代半ばから6年余にわたってインフレ的拡大を続けたことが大きい。

すなわち65年以降,加速化したアメリカのインフレはとくにヨーロッパが不況を脱した68年頃から,貿易,短資移動などを通じて各国に波及し,68年以降の世界インフレの端緒を創り出した。他方,各国はアメリカからの輸入インフレ要因を起点として68年末から70年前半にかけて需要超過状態に突入しさらに輸入原材料価格の上昇の影響もあってインフレを加速化させた。その過程で徐々に賃金上昇も強まり,各国では70年後半から賃金コストの上昇がみられるようになったが,賃金コスト圧力の増大を決定的にさせたのは70年央から主要国が景気停滞の局面に入ったことである。景気停滞で生産性の上昇率は鈍化する反面,消費者物価の上昇期待や組合の交渉力などの要因が強く働いて賃金は容易に鈍化しないからである。さらに景気停滞の局面では企業のカルテルや様々の制度慣行の硬直性などの価格を下支えする力もとくに強く働いて物価の下方硬直的な現象が強まることも無視できない。その結果各国では,景気停滞とインフレの併存という現象がもたらされたのである。

この節では,まず,主たるインフレ輸出国であるアメリカのインフレの原因を検討し,次に基軸通貨国であるアメリカから各国ヘインフレが波及するメカニズムを探り,最後にインフレ輸入国であるその他先進国のインフレ要因の変化を考えることにする。

(1) アメリカのインフレ

1)ベトナム戦争に伴うインフレ

1965年に本格化したアメリカのベトナムへの介入は年を追って拡大し ( 第3-11図 ),それにつれて国防支出も65年の501億ドルから66年607億ドル,167年724億ドル,68年783億ドル(国民所得ベース,暦年)と急増していった。増大するベトナム軍事支出と設備投資が,景気を過熱に導びき,以後,現在にいたるまでの根強いインフレの端緒をつくりだした。

66年初めの景気は65年の投資ブームのあとを受け活況を呈し,需給ギャップは65年第4四半期にはマイナスとなり需要超過に転じ失業率も完全雇用水準とされる4%を割った (第3-12図)。 連邦準備理事会は,65年後半インフレ圧力の増大を懸念して,ゆるやかな引締め政策をとり65年12月には公定歩合を4%から4.5%に引き上げたが,政府はベトナム戦費支出を過小評価していた。すなわち,国防支出はインフレ的要素でないとし67年度予算では貧乏退治の国内戦争とベトナム戦争の二正面作戦を課税なしに同時に達成できると考えた。そこで財政面からの引締めは66年1月の社会保障税の引上げ,9月の連邦財政支出削減措置などにとどまり,一般増税には踏みきらなかった。しかし67年度(66年7月~67年6月)のベトナム戦費は当初の見積り103億ドルに対して実際の支出はほぼ2倍の201億ドル(いずれも行政予算ベース)にのぼった。このため,当初18億ドルの赤字とほぼ均衡を予定されていた連邦財政収支は99億ドルの赤字となり (第3-4表), 66年には設備投資と並び景気過熱の原因となったし,66年後半から,67年にかけての建築投資の停滞,在庫調整によるミニリセッションの時期には,景気の下支えをすることになった。68年度の財政も軍事支出,社会保障支払を中心に歳出は増加する一方,一般増税の方は支出削減を優先すべしとする議会の反対にあい,68年6月にやっと成立したがすでに時期を失し68年度の連邦財政赤字は284億ドルの巨額に達し67年のミニセッションから立直った旺盛な民間需要に加えて大きな超過需要をもたらした。このような需要超過の続くなかで,60~65年にかけて上昇率1.4%と安定していた物価(GNPデフレータ)も65年1.9%,66年2.8%,67年3.2%,68年4.0%と騰勢を強めていった。

ここで財政面での手遅れとベトナム戦費支出が重なることなく超過需要が発生しなかったとしたら,インフレはどの程度で治まっていたかを,つぎのような仮定に基づいて推定してみよう。 第3-13図 は実質GNPの中でベトナム戦費の占めるウエイトを推定したものである。国防支出のうち,ベトナム戦費の占める額は 第3-5表 のように67年以降30%前後にのぼっているが,その乗数については両院合同委員会でミシガン大学教授ダニエル・スーツが証言した1.85を用い,しかもその効果はただちに現われると仮定した。ベトナム戦費およびそれに誘発された生産を除けば,67年以降かなりのデフレギャップが生じたことになる。しかし実際には完全雇用を維持するため拡大政策がとられたであろうが,この場合でも,大幅な需要超過への移行は避けられたであろう。また経済が需給均衡点で完全雇用状態を維持したと仮定した時,失業率と物価(GNPデフレータ)との間にある従来の関係(P=0.0821+48.21/U 2 ):GNPデフレータ上昇率,U:失業率)から物価の動きをみたのが第3-14図である。この場合,物価上昇率は67年の実際の上昇率3.2%をやや上回る3.4%程度に止まったと推定される。

第3-14図 アメリカのGNPに占める国防支出の割合とGNPデフレータの推移

2)定着したインフレ

イ)賃金コスト圧力の増大

60年代前半において安定的に推移したアメリカの物価,賃金は65年下期,ベトナム軍事増強が始まるとともに,急激な上昇をみせた。ベトナム戦介入が拡大した結果,工業製品の需要が増大し,また,サービス産業では人手不足となって,消費者サービス価格は加速度的に上昇し,食料品価格の上昇とともに消費者物価を押し上げた( 第3-15図 , 第3-16図 )。生計費の上昇と労働力需要の逼迫から,賃金は大幅に上昇し,そのはね返りで,賃金コストが上昇したが超過需要の下で,企業はこれを価格に転嫁することができた。66年末から67年初にかけて,経済の拡大速度が鈍化し,消費者物価の上昇速度はゆるやかになり卸売物価は下落した。しかし,賃金コスト上昇は65年,66年と続いた。67年に景気は停滞したが,生産性上昇が鈍化したため,賃金コストはかえって上昇した。経済成長と物価との関連を上記の3年間についてみる限りでは,経済成長率が鈍化すれば,物価は需要動向に反応して低下している。68年以降も超過需要圧力が生じなかったならぱ,賃金の上昇も,企業収益の悪化という壁にぶつかり,ゆるやかなものにならざるをえなかったであろう。しかし,67年後半に景気が回復し,企業はコスト上昇を価格に転嫁することが可能となり,賃金,物価の相互循環的上昇が再び始まった。この相互循環的上昇は68年の好況を通じて,アメリカ経済に深く組みこまれた。

68年央の増税,財政支出削減,金融引締めと,インフレ抑制のために総需要抑制策がとられたことから,需給ギャップは69年の第2四半期に均衡点にもどった。その後,経済停滞からインフレより失業の増大が懸念されるようになり,ニクソン政権はゆるやかな拡大政策に切換えたが,景気は落込んで需給ギャップ率は,70年第4四半期に7%を越え,失業率も急速に悪化して6%の水準に達した。それにもかかわらず,物価上昇の速度は衰えをみせず,ついに71年8月の賃金,物価凍結措置に追い込まれたのである。

以上のように,アメリカにおいては,成長を犠性にすれば,物価上昇を抑えることができるという従来のトレード・オフ関係をはずれるような動きがでてきた。これはアメリカのフィリップス・カーブが70年から71年にかけて従来のトレンドからかい離していることに現われている( 第3-17図 )。

それでは,このいわゆるスタグフレーションと呼ばれるインフレの執拗さの原因は何であろうか。

ロ)根強いインフレの原因

インフレの根強さの原因を検討してみると,第1には,アメリカの大統領経済諮問委員会の71年の経済報告においても指摘されているように1965年央にはじまる長いインフレによってつくりだされた惰性つまりインフレ心理の定着があげられる。物価の上昇が長く続くと,組合の賃金要求は実質賃金の減少を防ぐために,将来予想される生計費上昇分を含めたものになる。一方,インフレ持続の予想が浸透している場合には雇主側は,将来価格への転嫁を見越して,この賃金要求を安易に認めることになる。最近の団体交渉で決定された賃金の動きをみたのが, 第3-6表 である。年々上昇率が高くなっており,さらに将来の物価上昇を見越して初年度の上昇率が高い。

また,金融市場においては,資金の供給者は,インフレによる減価に備えたいという気持があるし,また利用者の側でも実質負担が変らないかまたは減価するのを見越して高金利を甘受するので,金融コストは上昇する。

第2には生産性上昇率の低さがあげられる。賃金コストの上昇率はおおむね賃金の上昇率から生産性の上昇率を引いたもので示すことができるが最近のアメリカの賃金コスト上昇は 第3-18図 にもあきらかなように,賃金の上昇も高水準ながら,生産性上昇率の低さが,賃金の上昇をカバーできないところにある。この賃金コストの上昇は一部利潤の減少となって吸収され,残りは価格に転嫁されて物価の上昇をもたらしている。低生産性の原因の一つとして固定資本形成のウエイトの低さをあげることができる。事実,固定資本形成(非住宅)の国民総生産に占める割合を60年代についてみると,アメリカ12%,イギリス13%,フランス17%,西ドイツ19%,日本25%である。このため,60年代のアメリカ製造業の生産性上昇率は平均3.3%で,これはイギリスの3.6%,西ドイツの5.4%,フランスの6.2%,イタリアの7.5%,日本の10.5%と比べ主要国中最低である( 第3-19図 )。しかも,60~64年までの4.1%から65~70年の2.7%へと一段と低くなって賃金上昇を吸収する余地が小さくなっている。アメリカの場合,固定投資を圧迫し,コスト圧力を強める一方,需要を創り出すことによって,コスト圧力の価格への転嫁を容易ならしめているものとして,GNPの20%を越える政府購入の存在があげられる。アメリカにおける政府購入の割合は60年代前半の20%から67年以降はベトナム軍事支出,社会保障支払の増大により,22%台に上っている。国防支出のウエイトが大きいがこれは供給能力の増加を伴わないため,長期的にはさらにインフレ圧力を生みだすことになる。

第3に,現在の持続的インフレの原因としてアメリカ経済の構造的変化,すなわち,大企業や大組合への力の集中が市場メカニズムの機能を弱めていることがあげられる。

1968年のデータを基礎にした調査は賃金格差を組合の存在,企業規模,産業の集中度,地域,技能,資本装備率の6つの要因にわけて説明している。これによると組合のある企業の賃金水準は組合のない企業の水準を22%上回っており,組合の存在が企業規模(従業員1,000人以上の大企業の賃金水準は50人以下の企業の水準を24%上回っている),技能と並び賃金格差の大きな要因であり,組合の賃金交渉力がかなり大きなものであることを示している。さらに62年以後の組合のない企業の賃上げ率と,組合のある企業の賃上げ率との差をみると,( 第3-7表 )前者は70年に労働需給の緩和を反映して低下しているのに対し後者は加速化している。そこに,組合の市場支配力の存在がうかがわれる。

第3-8表 が示すように,大企業への力の集中が50年代半ばまで顕著であったため,50年代後半にクリーピング,インフレーション論が登場した,ニクソン政権の所得政策も大企業,大組合への力の集中を前提として考え,かかる分野への統制を通じて賃金,物価の相互循環を断ち切ろうとするものである。市場支配力の集中が価格機構の働きを弱めているような経済では,ガイド・ポスト的コントロールは必要性が出てこよう。

(2) 基軸通貨国のインフレ輸出

前節でみたようにアメリカのインフレは65年を境に急上昇に転じ,しかもその騰勢は,65年から68年平均3.1%の上昇,69判.7%,70年5.3%と年々加速化し,71年に入ってもその勢いは衰えていない。

このようなアメリカのインフレは,当然国際的相互依存関係を通じて,他の先進国のインフレに重大な影響を及ぼした。第1のルートは,先進国のいわゆる水平貿易を通じるものである。アメリカの大幅な輸入増加は,他の先進国の輸出を拡大させ,これらの国の国内需給にひっ迫基調をもたらした。 第3-20図 は,主要国のGNPのトレンドからのかい離幅を図示したものである。アメリカは,65年以降69年までトレンドを大幅に上回る拡大を示し,需要超過状態にあったとみられる。アメリカを除く主要7ヵ国のGNPも69年以降需要超過の傾向を示している。これにはとくに68年以降のアメリカ向け輸出の急増,さらに貿易収支の大幅黒字に伴う通貨増発という要因が大きく作用していることは,昨年度の年次世界経済報告で分析した通りである。(45年度年次世界経済報告第2部2章参照)

第2のルートは短資移動を通ずるものである。60年代後半のアメリカの国際収支大幅赤字の継続は,ドルの大量流出を招き,ユーロダラー市場のような大規模な国際金融市場を出現させた。このため,各国がインフレ抑制のために引締め政策をとっても短資が流入してその効果が阻害されるという事態が起るようになった。この結果,各国の通貨当局が通貨量をコントロールしにくくなり,その結果世界全体としても通貨供給量をコントロールする力が弱まっている。以上のようなルートを通じてアメリカは68年以降諸外国にインフレを輸出し,今回の世界インフレの端緒を作り出した。

このようなルートを通じるアメリカのインフレ輸出(あるいは各国のインフレ輸入)というメカニズムは,以下のように整理できる。アメリカが国内均衡(失業率を一定水準以下におさえること)を対外均衡に優先させる政策を追求すると,とくに65年以降アメリカのインフレ速度がヨーロッパ,日本に比べて高いことから価格競争力が相対的に弱化しているため,国際収支は恒常的に赤字傾向を示す。他方,これと見返りに他の価格競争力の強い国々(西ドイツ,日本,イタリア等)は黒字傾向を示す。これらの黒字国が固定平価を守ろうとする限りインフレ傾向が生ずる。すなわち,固定レート制で結び付けられている先進諸国は,一つの通貨地域を形成しているわけであり,世界の中央銀行的な役割を果しているアメリカが国際通貨たるドルを増発すれば各国が完全な不胎化政策を行なわない限り,各国の通貨増発につながるシステムがあるのである。

したがって,これら先進国のインフレを問題とする場合,世界の通貨量と物価の関係にも注意する必要がある。 第3-21図 は,主要7大国のGNPデフレーター,通貨量,外貨準備のそれぞれ前年比変化率を示したものである。GNPデフレーターとマネーサプライの動きをみると,68年まではGNPデフレーターはマネーサプライに対して,1年のラグをもって動いておりかなり密接な相関関係が読み取れる。ところがその後69年,70年と相関関係は崩れている。これは,主要先進国とくにアメリカにおいて69年以降強力な引締め措置がとられ,景気後退がもたらされたにもかかわらず,インフレは続進したという,いわゆるスタグフレーション的状況を反映している。一方,外貨準備とマネー・サプライの関係をみると,変化幅は大きくくい違っているが,その変化率の動き自体は67年を除けば全期間を通じて一致している。このことは各国の外貨準備増による通貨増発は準備率引上げや預金への付利禁止などの措置によって抑える努力がなざれたが,完全には不胎化されておらず,世界全体として外貨準備が増えればマネー・サプライが増大する傾向があることを示している。ここで注意を要するのは70年以降の外貨準備の動きである。外貨準備は最近のアメリカの赤字の大幅化から急増している。70年の20.1%増の後,71年にはいってから6月までで20.8%増(年率41.6%)と急激な伸びを示している。これに対して70年のマネーサプライが9%の伸びにとどまっているのは,各国が懸命に不胎化政策を行なった結果である。ただ,不胎化にも限度がある。変動相場制移行の一つの原因がここにある。

以上要するに68年以来の世界インフレは,アメリカのインフレに端を発したこと,そして基軸通貨国のインフレが固定レートによって結びつけられた他の先進国に輸出されるメカニズムがあることとみてきたが,インフレ輸出を行なったのはアメリカのみではない。とくに,69年以降主要国が一様にインフレ局面に入ると,相互にインフレ的な対外環境に助けられて国内の価格上昇を輸出価格に転嫁しやすい状況が創り出され,各国が互いにインフレを輸出し合うというインフレの国際波及がかつてないほどの高まりをみせたのである。(45年年次世界経済報告第2章も参照されたい)以下ではこのようなインフレの国際波及を輸出されるインフレの受け手(インフレ輸入国)の面からみてみよう。

(3) アメリカ以外の先進国(非基軸通貨国)のインフレ

インフレ要因を海外要因と国内要因に分けると( 第3-9表 )海外要因としては3つのルートが考えられる。第1は,輸出需要の拡大が国内需給をひっ迫させてインフレを加速化させる場合である。第2は,国際収支の過大な黒字が続く結果,通貨増発を通じてインフレを刺激する場合である。第3は,輸入価格の上昇が国内物価を押し上げる場合である。前二者は,需要面からの輸入インフレともいうべきものであり,国内需給のひっ迫の度を強める結果生ずるものであり,国内が需給ひっ迫状態にない場合は生じにくい。最後の輸入価格の上昇は,国内の需給にあまり関わりなく生じる。68年から70年前半の世界インフレにおいてこれらの海外要因が大きな影響を与えたことは,先に指摘した通りである。しかしながら,その後の70年央から71年にかけては,先進国は全体として景気停滞がみられ,国によってはイギリス,イタリア,カナダなどのように景気後退的な様相をみせる国もみられた。したがってこの期間の世界インフレについては少なくとも需要面からの輸入インフレ要因だけで説明しがたいわけであり,別の要因で説明されなければならない。上記のようにインフレ要因を分類すれば,(4)~(7)のような国内的なインフレ要因が強まっていたことがその背景にあると考えられる。

ここでは,まず各国ごとに海外要因がどの程度のものであったかを把握し,次に国内要因はどの程度強まってきているかをつかむことにする。

1)海外要因によるインフレー需要面の輸入インフレからコスト面の輸入インフレヘ

イ)需要面からの輸入インフレ

アメリカを除く主要6ヵ国の1968年以降の景気局面をみると,全般的に需要圧力の強かった西ドイツ,日本,フランスと,需給均衡ないしむしろ供給超過気味であったイタリア,イギリス,カナダとに分けられる( 第3-22 , 24図 )。

需要超過の状態にあった前者のグループの国の輸出入の動きを調べてみると,ドイツと日本は,68年以降輸出がトレンドをはるかに上回る急激な伸びを示したため貿易収支は大幅な黒字を続け,これが国内需給をひっ迫させ輸入インフレの重要なルートとなったとみられる。

第3-23図 は,西ドイツ,日本の貿易収支動向を示しているが,68年からトレンドを上回る輸出の伸びがみられ,貿易収支黒字幅も60年代の平均を大幅に上回っている。一方,このような西ドイツ,日本の輸出の大幅増がアメリカにおいて65年以降,超過需要とインフレから輸入が高い伸びを示したことに影響されていることはいうまでもない。アメリカ連邦準備理事会のスタッフの試算によれば65年から69年上期にかけてアメリカの超過需要とインフレがなかったとしたら;貿易収支は年率で10~30億ドル程度改善していたとみられる( 第3-10表 )。さらに,この期間の黒字国における景気停滞-たとえば65年の日本の不況,67年の西ドイツの不況がなかったという仮定を加えて西ドイツ,日本等の黒字国の貿易収支がどれだけ悪化したかを試算している。これによると西ドイツでは10~25億ドル,日本は10~15億ドル程度悪化したとみられ,逆にいえば,この分が黒字国の景気停滞がなかったという仮定を置いているので厳密ではないがほぼアメリカのインフレによってもたらされた貿易収支黒字幅の増加分を示している。

他方,このような輸出の大幅増は国内需給をひっ迫させた。国民総支出に対する輸出の増加寄与率をみると,西ドイツは,68年30%,69年28.0%,70年22.0%と大きなウエイトを占めており,日本でも,同じ期間に13.2%,15.1%,13.9%となっている。71年に入ってからも両国の輸出は好調な伸びを続けているが,西ドイツの需要圧力はなお高水準とみられるのに対し,日本は70年末から景気停滞の局面に入ったため,輸出需要はむしろ景気の下支え要因として働いているとみるべきであり,その意味で需要面の輸入インフレはなくなったとみてよいであろう。

第3-11表 西ドイツと日本のマネーサブライ

(注)

また,このような国際収支の大幅黒字は通貨増発の要因となり,このルートを通じてもインフレを刺激したとみられる。とくに西ドイツの場合,マルク投機と内外金利差という要因から68年以降大幅な短資流入がみられこれが通貨増発要因となったことも見逃せない。日本の通貨供給量の増加をもらした要因のうち対外資産の寄与率は,68年以降高まってきている。西ドイツでは69年10月にマルク切上げが行なわれたためその直後大量の資本流出があり,この影響から69年の対外資産の通貨増に対する寄与率はマイナスとなっているが,70年以降は再び増加している。この結果,日本の通貨量の伸び率は60年代の平均17.8%に対し,69年20.6,70年16.8,71年上期25.2%と高い伸びを示し,西ドイツでも準備率引上げを中心とする不胎化政策がとられたにもかかわらず,60年代平均の7.8%に対し,69年第1~3四半期前年同期比で8.3%増,70年8.8%,71年上期11.8%とトレンドを上回る高い伸びを示している。このように71年に入ってからも両国とも国際収支黒字による大幅通貨増が続いているが,需要圧力が下っているからむしろ景気の下支え要因とみるべきであろう。フランスでは,68年の5月の危機以降69年にかけてインフレが加速化したため貿易収支はむしろ悪化している。69年8月の切下げは同時にとられた引締め措置と相まって貿易収支の著しい改善をもたらしたがその黒字幅は,60年代の平均に達していない。したがって70年以降についても,この面からの輸入インフレは,ほとんどなかったとみてよいであろう。

他方,後者のグループでは,68~71年の期間において国内需給はそもそもそれほどひっ迫しておらず,需要面からの輸入インフレは,ほとんどなかったと考えられる。イギリスでは,68年はアメリカ向け輸出の急増から需給ギャップは縮小した(68年第4四半期マイナス0.4%)が財政,金融面からの引締めにより69年以降拡大し,71年第1四半期には,7.6%に達している。

カナダも,68年はトレンドを上回る大幅な輸出増がみられたが69年以降需給ギャップは拡大している。70年は貿易収支の黒字幅が急速に拡大し,短資の流入もあって変動相場制への移行を余義なくされたが,これは主に景気停滞による輸入の激減のためである。イタリアでは,68年は輸出の増大と輸入の減少から貿易収支は黒字幅を拡大したが,69,70年とむしろ悪化してきている。需給ギャップ率をみると近年一貫して供給超過の傾向を続けている。

(70年はやや需要超過傾向がみられたが,これはストによって生産が妨げられたためである。)

第3-25図 需給均衡ないし供給超過の国の貿易収支

以上要するに需要面からの輸入インフレのみられた国は,主として西ドイツ,日本であり,カナダ,イギリス,イタリア,フランスについては,時期によっては輸出の増大が国内需給をひっ迫させたり,景気の下支えをしたりした局面はみられたが,それは輸入インフレとして特筆するほど大きなものではなかったとみられる。そして日本については70年後半から景気鈍化が始まっており,西ドイツも最近鎮静化の動きがあり,この面からの輸入インフレは弱まってきているとみられる。

ロ)コスト面からの輸入インフレ

前述の如く,先進国では,全般的な需要圧力の低下とともに需要面からの輸入インフレは弱まる傾向にあるが,コスト面からの輸入インフレは71年に入って再び強まっているとみられる。 第3-12表 は,卸売物価の上昇期と下降期を分けて,それぞれ上昇分(ポイント差),下降分のうちのおおよそ何割が輸入価格の動きで説明されるかをみたものである。これらの動きは,平価の変更に影響されている面がかなりあるが (注1) ,概して各国に共通にみられるのは,68年末から70年第1四半期にかけて卸売物価の上昇に対する輸入価格の上昇の影響が大きかったということである。これは第1節でみたように,68年後半から70年初にかけて一次産品価が激しく上昇し,それがマルク切上げの影譬とともに各国の輸入価格の上昇をもたらし,原材料価格を中心に卸売物価を押し上げという事実を物語っているものとみられる (注2) 。逆に70年後半において輸入価格インフレが一時的におさまっているのは,一次産品価格の落着きを反映している。しかしながら,ここで注目すべきは,71年に入って再び輸入価格インフレが強まっているとみられる点である。 第3-12表 でみると6カ国全部についてその傾向が読み取れる。これは,主要国の工業品輸出価格が相変らず根強い騰勢を続けていることから,各国の輸入物価が再び騰勢を強める兆しがあるためである。

また,この輸入価格上昇の加速化は71年2月以降の石油価格引上げの影響もかなり大きいとみられる。OECDでは,1971年の加盟国の石油輸入価格の上昇は,15%~20%程度になりその輸入物価全体べの影響は,1%を上回ろうと予測している。

さらにコスト面からの輸入インフレを刺激したとみられる要因は,5月の西ドイツの変動相場制移行に伴なう実質的な切上げ効果である。これはドル建の世界貿易価格を大幅に上昇させ,その結果,各国の輸入価格の上昇をもたらした。

さらに,8月の主要国の変動相場制移行に伴なう実質的な切上げについても,変動相場制に移行しなかった国と実質的切上げ幅が相対的に小さい国では輸入価格が上昇し,コスト面からインフレを刺激するとみられる。一方,切上げ幅が相対的に大きい国では輸入価格は下落するから,インフレを沈静させる効果をもつとみられる。その結果,競争力の弱い国のインフレが高進する一方,競争力の強い国のインフレが落着くことになれば,価格競争力の格差はますます拡大し,平価調整の効果がその面から阻害されるおそれがある。

以上要すれば,国内で卸売物価の落着きがみられるにもかかわらず工業品貿易価格が根強い騰勢を続けており,さらに,石油価格の引上げや,西ドイツの変動相場制移行という特殊要因も加わって,各国の輸入価格の上昇はこのところむしろ加速化している。その結果コスト面からの輸入インフレは71年上期において強まっている( 第3-12表 )。

以上の海外要因によるインフレを整理すれば 第3-13表 のようになる。

2)国内要因によるインフレ

イ)国内需要の超過から賃金コスト圧力の増大へ

第3-9表 にかえって国内のインフレ要因をふり返ってみると,デイマンドプル要因として消費,投資,政府支出等の国内需要の超過があり,コストプッシュ要因として賃金コスドプッシュ,価格メカニズムの硬直性,部門間の生産性上昇率格差などが考えられる。前項でみたように,68年以降の先進国のインフレについては,アメリカかちの需要面の輸入インフレを端緒として始まり,輸出需要の拡大が68年,69年と国内需給のひっ迫基調をもたらし,それが今回のインフレの基本的な背景をなしでいたことは疑いをいれないところである。とくに西ドイツは70年いっぱい需給ひっ迫の基調を続けた。その意味で68年,69年先の先進国のインフレについては,国内需要の超過というデイマンドプル要因が大きかったとみることができよう。ところが,70年,71年と主要先進国は景気後退ないし鈍化の局面に入り,概して需要圧力は低下したとみられる。 第3-26図 は主要国の需給ギャップ率を図示したものであるが,イギリス,アメリカ,カナダ,日本は,70年から71年にかけてギャップ率が拡大しているのが読み取れる。しイタリアもストのため生産が停滞し,最近では,景気後退が深刻化している。西ドイツも需要圧力の水準自体はまだかなり高いが,70年央から景気鎮静化が続いている。(フランスはやや例外で,70年央から生産の鈍化,失業の増大がみられたが71年に入ってからいち早く拡大に転じている。)

他方,コストプッシュ要因のうち,価格メカニズムの硬直性,部門間の生産性上昇率格差などの要因については,現代のクリーピングインフレをもたらす基本的な原因として無視できないことはいうまでもないが,68年以降の今回の世界的なインフレの加速化を説明する要因とはならないように思われる。すなわち,企業集中に伴なう価格支配力,政府による様々の価格支持制度,あるいは完全雇用政策によって生み出されたインフレ期待などの要因が需要圧力が低下しても価格を下げさせない力となり,物価の下方硬直性という現象をもたらしていることはしばしば指摘されてきた点である。このような価格支配力や価格支持制度による非競争的な価格決定メカニズムの強い経済では,部門間で成長に伴う需要のシフトや生産性上昇率の格差が生じると,大幅な需要の増大がみられたり,生産性の上昇しにくい部門では,価格は容易に上昇するが,需要の減退や生産性の大幅上昇がみられる部門では,価格は下がらないという非対称性が生じ全体の物価水準はジリジリと上昇せざるをえない。

現代の先進国のクリーピングインフレをもたらす基本的な背景の1つとしてこのような力が常に働いているのは確かであるとしても,そのような価格メカニズムの硬直性や,部門間の生産性上昇率格差などの構造的な要因が68年を境に急激に強まったとみられる証拠はない。したがって68年以降先進国で一斉にみられたインフレの加速化を説明する要因とはみられないが,とくに70年後半からの先進国にみられるような景気停滞局面では不況カルテルや政府の価格介入などにより価格を下支えする非競争的な価格決定メカニズムが強まる傾向があることは注意しておかなければならない。

コスト面で注目しなければならないのは賃金コストの動きである。アメりカ以外の主要国の産出単位当りの賃金コストの動向をみるとインフレの始まった68年は安定的で西ドイツ,イタリアでは低下をみせているが,69年以降は,やや上昇率が高まり,とくに70年,71年は大幅な上昇をみせている。イギリスは,69年対前年比5.2%上昇の後,70年10.7%,71年第1四半期10.1%と大幅な上昇を示している。西ドイツも同様に5.0%上昇の後8.5%,10.8%の大幅上昇となっている。カナダでも4.5%の後,6.0%,3.3%の上昇となっている。これらの国では賃金が一貫して騰勢を強める一方,景気後退から生産性の伸びが停滞しているためである。イタリアでは69年の“熱い秋”以降労働功勢の激化もあって賃金は70年は前年比22.8%と爆発的な上昇を示したが,71年になって第1四半期の前年同期比上昇率11.4%とやや収まった。しかしながら,生産性上昇率は71年になって低下しているため依然賃金コストの上昇率は高い。日本も賃金コストの上昇率は69年以降,1.2%,3.3%,8.5%と加速化しているが,これは賃金上昇率の加速化ではなく景気後退によって生産性上昇率が鈍化したためである。フランスは,やや例外で5月危機が起こり,その収拾のため大幅な賃金上昇が認められた68年はさすがに賃金コストの上昇は大きかったが,69年,70年とむしろ安定的な動きを示し,71年になってやや上昇率が高まっている。

第3-15表 主要国の賃金,生産性の上昇率

以上要するに68年以降の主要先進国のインフレ加速化をもたらした国内要因としては国内需要の超過と賃金コスト圧力の増大の2つであり,国内需要の超過という要因は西ドイツでは70年においても続いたとみられるが,その他の国では主に68年から69年にかけて強く働いたとみられ,70年以降71年にかけては,景気後退とともに背景にしりぞいている。これに対して,賃金コスト圧力の増大は,69年後半から強まり,70年,71年と加速化している。

このような需要要因からコスト要因への移行はハロットのインフレ指標によっても確められる。ハロッドはコストインフレの指標として,個人所得の増加率マイナス実質国民総生産の増加率をとり,需要インフレの指標として法人所得(配当を除く)の増加率マイナス名目国民総生産の増加率をとっている。このインフレ指標の意味するところは,生産物1単位当りの賃金,利子,配当などの個人所得をコストとしてとらえ,それが高まればコストインフレが進行していると考えられ,他方,名目国民所得にしめる法人所得のシエアが高まれば,価格上昇と賃金ラグから,需要インフレが進行しているということである。 第3-16表 をみると各国とも69年以降コストインフレ指標が強まり,デイマンドインフレ指標は弱まっているが,70年に入ってこの傾向はいっそう明瞭になっている。

以上の結果から,国内需要の超過と賃金コスト圧力の増大という2要因を各国毎に整理すれば 第3-17表 のようになる。この表から68年以降の世界インフレにおいて概して需要超過要因が目立った西ドイツ,フランス,日本どむしろ賃金コストの増大という要因が目立ったイギリス,イタリア,アメリカ,カナダに分けられるようである。しかしながら,需要要因の目立っていた西ドイツ,フランス,日本についても70年以降は賃金コスト圧力の増大という要因のほうが目立つようになってきている。このような賃金コストの増大はいかにしてもたらされたのであろうか。次にその原因をみてみよう。

ロ)賃金コスト圧力増大の原因

前項でみたように各国に共通して明瞭な賃金コストの増大がみられるところから,70~71年のインフレについては,ほとんどすべていわゆるコストプッシュで説明されるかのように思われる。しかしながら,単に賃金上昇率が生産性上昇率を上回っているという形の賃金コストの上昇だけからコストプッシュインフレであると決めつけるのは危険である。なぜなら,賃金上昇が先か,物価上昇が先かは不明であり,賃金は生産性上昇にある程度のラグを持って上昇するのが普通だからである。逆に,70~71年のような景気後退の局面では生産性の上昇率は急速に低下するが,賃金上昇率の低下は遅れるから,賃金コストの上昇は景気後退の局面では普通にみられる現象である。

もっともイギリスのように,賃金コストがほとんど恒常的に上昇している場合にはコストプッシュインフレが進行しているとみてよいである。

第3-26図 にみるようにイギリスの需給ギャップは69年,70年,71年上期と拡大する傾向にあるにもかかわらず,賃金上昇率は69年7.9%,70年13.9%,71年第1四半期14.7%とむしろ加速化している。このような賃金の加速化はラグでは説明しがたい。この点,日本の賃金上昇率が70年後半からの需要鈍化の影響を受けて,70年17.6%の後,71年第1四半期には17.0%と高水準ながらもやや鈍化を示しているのと顕著な対照をなしている( 第3-15表 )。

他方,すでにみたように,景気動向すなわち需給動向が卸売物価に及ぼす影響についてもイギリスと日本の間では顕著な差異がみられる。すなわち,69年から71年上期にかけての卸売物価の動向をみると,日本の卸売物価は,70年央から景気鈍化とほぼ歩調を合せて落着きをみせている。この卸売物価の騰勢鈍化は国際商品価格動向の影響を強くうけた原材料価格の動きにも影響されているが,半製品の価格でみても,70年第3四半期の前年同期比4.8%上昇の後,第4四半期2.3%上昇,71年第1四半期1.8%下落,第2四半期3.4下落と景気動向を敏感に反映している( 第3-1表 )。これに対しイギリスの卸売物価は69年以降,景気停滞が明瞭になった70年から71年上期においても,需給動向にかかわりなく,一貫して加速化を示しており,71年第2四半期は前年同期比で実に8.4%高に達している。

このようなイギリスと日本との間の賃金,物価が需給動向を敏感に反映するか,しないかという違いは,両国の間で賃金,物価の上昇の原因が異なるのではないかということを示唆している。すなわち,日本の場合,69年から71年上期の賃金コストの上昇は,賃金上昇の鈍化が,生産性上昇率の低下に違れているために生じている面が強いのに対し,イギリスの賃金コストの上昇は,賃金が需給動向以外の要因に強く規定され押し上げられているために生じているのではないかということである。具体的に問題になるのは組合の賃金交渉力である。

第3-18表 は,主要国の賃金関数を推計したものである。上段のW 1 式は,各国とも,賃金上昇率を失業率,消費者物価上昇率,労組組織率,生産性上昇率の4つの説明変数で説明する同じ形式にしてある。この賃金関数の各説明変数の有意性と係数の大きさを各国間で比較したとき以下の点が注目される。

    (1)イギリスでは,組合の賃金交渉力を表わすとみられる労組組織率が有意にきいているが,その他の国では有意でない。

    (2)消費者物価は,いずれの国においても有意であるが,とくにアメリカと西ドイツではその係数値が大きい。

    (3)日本とイギリスでは生産性が有意であり,とくに日本では,その係数値が大きい。アメリカ,西ドイツでは有意でない。

    (4)イギリスと西ドイツでは定数項が大きく,賃金関数の4つの説明要因にかかわりなく上昇する分が6~7%に達している。

第1点については,イギリスの賃金コストの上昇がラグによるものだけではなく,組合の賃金交渉力が賃金を押し上げるメカニズムがあることをある程度裏付けている。組織率の係数から,組織率の1%の上昇が賃金を数パーセント押し上げる関係がみられる。ちなみにイギリスでは,67年から69年にかけて組織率は1.8%上昇しているから,組合の賃金交渉力が強まったことにより,かなりの幅の賃金上昇がもたらされたことになる。他方,その他の国で組織率が有意にきいていないことから,ただちに賃金交渉力が働いていないと判断することはできない。その他の国では,組織率が組合の賃金交渉力の代理変数として適切でないかもしれないからである。

(注)

逆にイギリス以外の国,とくにアメリカと西ドイツで消費者物価の係数が大きいのは他の変数が組合の交渉力を適切にとらえていないために大きくなっているという面があるかもしれない。あるいはむしろインフレ心理が労使相方に強く定着しているためかもしれない()。しかしながら,いずれにせよ,アメリカと西ドイツにおいても消費者物価の上昇が賃金引上げに強く反映されるメカニズムがあることは注目すべき事実である。

これに対し,日本では,組織率も有意にきかないし,消費者物価の係数もアメリカ,西ドイツに比べれば小さい。さらに定数項も比較的低い,これらの事実はいずれも日本ではコストプッシュ要因が小さいことを示している。

他方W

3

式にみるように日本では,労働需給と生産性の説明力が非常に高い。

したがって,日本の賃金コストの上昇はむしろ賃金の鈍化が労働需給の緩和,そして生産性上昇率の低下に遅れることによって生じている面が強いと判断してよいであろう。なお,日本で生産性の説明力が高いのは,企業別組合という形が支配的であるため,生産性が上ったときは賃金上げ幅を増し,逆に低下すれば,賃上げ幅を下げやすいという関係があることによるのではないかとみられる。逆にアメリカやヨーロッパのように職業別組合が支配的なところでは組合は,各企業の損益動向にかかわりなく賃金要求を通すという面が強いため生産性が有意にきかないのではないかとみられる。

以上要するに70年から71年のスタグフレーションの背景をなしていたのは各国共通にみられた賃金コスト上昇とみてさしつかえないが,賃金コスト上昇の原因は,国によって異なる。すなわち,イギリスのように賃金上昇に対して組合の交渉力が強く働いているとみられるいわゆるコストプッシュによる賃金コストの上昇と,日本の如く,賃金上昇はむしろ労働需給によって決定され,賃金コストの上昇は主としてラグによって説明される場合とに分けられる。

以上2節では68年以降の世界のインフレの原因を検討してきたがこれを整理すると以下のようになる。

    (1)コスト要因の目立っているアメリカのインフレは,その端緒は65年以降のベトナム支出の増大と需要管理政策の失敗という需要面の要因から始まっている。

    (2)68年以降のアメリカ向け輸出の急増からアメリカからその他の主要先進国ヘインフレの波及がみられた。それはその他の先進国からみれば需要面からの輸入インフレにあたる。

    (3)69年から70年年初にかけて,先進国の輸入需要の増大から 一次産品等の原材料を中心とする貿易価格が高騰し,先進国の輸入価格を上昇させ,コスト面からインフレを刺激した。これは,コスト面からの輸入インフレにあたる。

    (4)70年いっぱいは一次産品価格の下落から輸入価格は落着いた動きをみせていたが,71年に入って上期においては再びコスト面からの輸入インフレが強まっている。これは,工業品の世界貿易価格が根強い騰勢を続けているほか,石油価格の引上げや,主要国の変動相場制移行という特殊要因の影響もあるとみられる。

    (5)他面,需要面からの輸入インフレは,70年後半から71年上期にかけて先進国の景気後退がみられたためほとんど消滅したとみられる。

    (6)国内でも需要要因からコスト要因という動きがみられる。とくに70年以降各国に共通して賃金コスト圧力の増大という要因が目立っており,これが先進国のスタグフレーション的な現象をもたらしているとみられる。概して需要要因の目立っていた西ドイツ,フランス,日本においても賃金コストの上昇が目立っている。

    (7)このように各国共通にみられる賃金コストの上昇という現象も,純粋にコストプッシュで説明される国ど,むしろ賃金上昇のラグによって説明される国に分けられるようである。