昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第3章 根強い先進国のインフレ
すべての先進国が根強い物価上昇に挑戦しているが,現在のところ,インフレ抑制に成功した国は少ない。これは第1に,インフレ解決のコスト(失業増大ないし成長のスローダウン)との比較考量の結果思いきった政策をとりえないこと,第2に,インフレが国際的に波及し従来の国内対策の枠内では処理しきれなくなったことによる。ここでは,各国における最近のインフレ対策を概観することにする。
1)アメリカ
アメリカのインフレはベトナム戦争による財政赤字の拡大によって1965年以降急速に加速化し,66年,67年民間部門が停滞したときにやや鈍化の気配をみせたものの,その後の景気拡大により,再び騰勢を強めた。当局はこのような情勢に対処するため,68年初には金融引締めを,また68年央には増税,財政支出削減を行ない総需要の抑制に努めた。ニクソン大統領はインフレ対策として,ケネディ,ジョンソン時代のガイドポスト政策によらず,総需要管理に重点を置くことを言明し,69年に入っても金融,・財政両面からの引締めを続けた。69年後半以降,景気は,鎮静局面に入り,70年には失業率が急速な上昇をみせるようになった。しかし,実体経済の停滞にもかかわらず,物価の上昇はいぜん根強く,景気停滞と物価上昇の並存,いわゆるスタグフレーションに悩むこととなった。ニクソン政権は物価上昇の持続を過去長期間にわたるインフレの惰性とみて,財政金融政策を慎重に緩和し,失業率の低下をはかった。
一方,当初は所得政策を採用しないという方針であったが,しだいにその修正をせまられるようになった。すなわち,70年8月の第1回インフレ警報70年12月の第2回インフレ警報,71年2月のデービス・ベーコン法(政府の建設計画に従事する労働者にその地方で支配的な賃金を与えなければならないとする法律)の適用停止,3月の建設業安定委員会設立,4月の第3回インフレ警報と徐々に物価,賃金に介入の度合を強め71年8月ついに,新経済政策の一環として90日間の物価賃金の凍結を行なった。さらに10月7日,90日間の凍結後のいわゆる第2段階の賃金,物価対策を発表した。この第2段階は,インフレを人為的でかつ異常な抑制策によらずに安定をさせることを目的とし,これを経済組織に深く組みこまれたインフレ心理を除去するまで続けることとしている。当面,物価上昇を1972年末までに凍結前の半分すなわち2~3%に引下げることを目標にしている。抑制の対象は,価格,家賃,賃金のみにならず,配当,金利,不当な利潤にも及ぶことにした。このため,大統領は10月19日,価格,家賃,賃金の凍結権限を与えている1970年経済安定法の期限延長(1972年4月30日から1973年4月30日へ)と,金利,配当の凍結権限の付加を議会に要請した。
第2段階を実施する機構は 第1章第1-5図 のとおりであるが,全体の中心は8月15日に設立された生計費委員会で,引続き全体の政策のガイドラインを設定する。
この下に第2段階の成否を握る労働,企業,公益代表各5名よりなる賃金評議会,公益委員7名による物価委員会が設けられ,賃金,価格の上昇の一般的な基準の設定,個々のケースの審査を行なうことになっている。また,生計費委員会を支援する機関として,既設の生産性委員会を拡充し,利子,配当の抑制を目的とする利子配当委員会,医療費の高騰を防ぐための保健サービス産業委員会,コスト,価格決定の大きな要素となっている地方,州政府による税および利用者負担料金の合理化をはかるための州,地方サービス委員会を設立した。
また,ニクソン大統領は,インフレの主要な原因を経済の基幹部門にあるとして,抑制の主眼をここにおいている。すなわち,実際の運営にさいしては,経済部門を3つの分野に分ける。第1の分野すなわちインフレの抑制に重大な鍵となる大企業(売上げ1億ドル以上の企業,1,300社),大労組(5,000人以上の労組,500労組),については,価格,賃金の変更は,事前に,物価委員会,賃金評議会の許可を必要とするものとする。第2の分野すなわち中規模の経済単位(売上げ5,000万~1億ドル未満の企業,1,100社,1,000人~5,000人未満の労組4,000労組)については,価格,コスト,利益,賃金の変化を事後報告するよう義務づけている。第3の分野すなわちその他の小規模企業,労組については,随時検査を受けることとしている。
凍結期限ぎれ直前に具体的なガイド・ラインと,して物価2.5%,賃金5.5%,配当4%の誘導指標が発表されたが,問題はこの第2段階の所得政策が成功するか否かである。過去の所得政策の歴史をふり返ってみると成功した国はほとんどない。これは所得政策の実施に欠かすことのできない労組側の協力が得られなかったことによる。当初,賃金のみの凍結は不公平で,平等でないと反対していた労組指導者も,第2段階の基本方向がかれらの要求を大部分とり入れていることから,協力の意向を表明し,賃金評議会の労働代表として大物を送りこんでいる。しかし,賃金評議会の決定した賃上げのガイド・ライン5.5%は労組側代表の強い反対を押し切って決定され,さらに凍結期間中に失なわれた賃上げは一部を除きさかのぼって支給しないことになったことから,労組側は強い不満を表明している。今後の労組の出方が第2段階の将来を左右することになろう。
2)イギリス
67年のポンド切下げと同時に,財政金融面からの厳しい引締め措置がとられたが,個人消費支出を中心に内需はなかなか衰えず,国際収支もはかばかしい改善を示さなかった。68年に入っても,購入税,法人税の引上げ,選択的雇用税の引上げ,レギュレーターによる間接税の引上げ,銀行貸出規制等引締め政策の強化が行なわれた。この間物価は,ポンド切下げの影響による輸入価格の上昇,間接税の引上げによる消費者物価の上昇などの特殊要因もあって引締め措置にもかかわらず上昇を続けた。69年中も法人税引上げ,公定歩合引上げ等引締めが続けられ,超過需要は68年をピークにしだいに縮小し,さらに70年~71年と国内経済は停滞し,生産は不振を続けた。国際収支は改善したが,生産性の伸び悩みと,賃金の高騰から,賃金コストは急上昇し,物価はいぜん高水準にある。
イギリス政府は,1962年所得政策を導入し68年7月には,68年物価所得決を制定,ポンド切下げ後の物価安定を目ざしたが,労働者の協力を得ることができず,賃金上昇はガイド・ラインとされた3.5%を超え,所得政策は結果からみると失敗に終った。69年12月の70年物価所得法も,労働党の選挙思惑もあって功を奏さなかった。70年7月政権の座についた保守党は,インフレ対策として総需要抑制策を重視し,賃金,物価の法的規制は行なわず,労組,企業に自主的抑制を求め,自らは,公企業部門における賃金引上げを抑制することを基本方針としている。一方,イギリス産業連盟(CBI)は,賃金,物価の自主的抑制を求める政府の呼びかけに応え,71年7月,大幅な物価上昇を抑制するため,加盟企業による価格引上げ自粛の方向を打出した。これとは別に,69年以降のインフレは,山猫ストの頻発等,従来放任されていた労使交渉制度による面もあるとして,これを秩序だったものにするため,69年労働党によって一度取り下げられた労使関係法を70年12月保守党が再び提案し,71年8月成立した。
3)西ドイツ
西ドイツでは,67年の景気停滞からの立直りで,68年は順調に拡大を続けたが,69年には輸出需要,投資需要の盛上りを中心に過熱状態に入った。政府は,68年11月,国境税を設けて輸出面からの需要圧力の削減をはかり,69年に入ってからも,金融財政両面から引締めを行ったが,国内景気過熱と貿易収支黒字増大に衰えがみられず,69年10月,9.29%のマルク切上げで輸入インフレに対処しようとした。しかし,マルク切上げ直前に賃金の爆発的よ昇がおこり,消費需要を盛りあげると同時に,賃金コスト圧力を強めたこと,また期待された輸入価格が,外国のインフレ傾向持続のために予想ほど低下しなかったこと,農産物の生産者価格の低落が消費者段階まで反映しなかったことなどにより,期待された程の成果をあげることができなかった。その後70年に入っても厳しい総需要抑制措置がとられたこともあって,輸出需要の落着きに加えて,設備投資に衰えがみえはじめたが69年9月の炭鉱業における山猫ストの勃発が契機となって賃金が大幅に上昇し,しだいにコスト圧力が強まってきた。71年に入っても物価上昇が続いたため,投機的短資流入の阻止をもねらって,5月,変動相場制へ移行した。
西ドイツでは66年以来政府,学識経験者,労使による協調ある行動による懇談会が開催されている。これは政府が経済分野の予測数値(賃金,物価の予測値を含む)を示し,安定成長の条件を政府が労使に明らかにし,労使交渉の参考に資するという目的のもので一種の所得政策的な政策といえる。
しかし,67年の景気回復と上昇の過程で賃金の上昇率は実質経済成長を大幅に下回ったことから,労組側に協調方式に対する不信感を与えることになり,69年の誘導指標賃金の伸び5.5%~6.5%についてはついに合意に達することができなかった。69年秋以降の労働市場の逼迫化に伴い,上述したように,山猫ストが契機となり,その後の賃金急上昇を招くことになった。
4)カナダ
65年以降の景気上昇とともに,物価が上昇をはじめたが,69年にはとくに顕著な上昇をみせた。当局は68年末に金融面から,さらに69年6月に財政面から,それぞれ引締めを行うなど,総需要抑制策を行なうとともに,69年5月には,物価所得調査委員会を設立,コスト面からの物価上昇にも対処しようとした。69年以降物価は落着きをみせ始め,70年6月にとられた変動相場制移行は,輸入価格の低落を通してさらに物価の安定に寄与した。このようにカナダでは,総需要抑制により物価上昇を抑えることには成功したが,実体経済の急速な鎮静化を反映して,失業率が急上昇した。このため,70年6月変動相場制移行と同時に積極的な拡大策に転じたが,生産の回復力は弱く,高水準の失業は重大な内政問題となっている。
賃金(製造業)の動きをみると,66年以降上げ幅を強め,68年7.5%,69年8.1%,70年7.9%と高水準に推移し,法人所得の伸びが68年9.8%,69年5.5%,70年には6.3%減と景気停滞を反映して減少しているのと対称をなしている。この間の生産性の上昇は3.3%(66年~70年平均,製造業)で,賃金コストの上昇は需要軟化の折から,法人所得の減少にしわ寄せされたとみることができる。
賃金コスト増大の圧力を抑えるため,カナダでは69年5月物価所得調査委員会が設立され,自主的な物価,賃金抑制がはかられたが,労組の協力が得られなかったこと,経営者は70年2月,価格の上昇を賃金コストの上昇範囲内に押えることに同意したが,その後の利益低下と労働者側の非協力を理由に,71年以降の協力を拒否したため,70年12月にはガイドラインを廃止せざるを得なくなった。しかし上述したように,インフレの鈍化は需要停滞によるもので,賃金コストの圧力はむしろ強まっている。71年に入ってからの景気回復にともない,賃金コストは価格に転嫁されて物価は再上昇の気配をみせている。このため,一度挫折した所得政策を再検討する気運が芽生えている。
5)フランス
65年以来比較的安定的に景気上昇をとげたフランス経済は68年5~6月の政治,社会上の危機により一変した。労働組合,経営者団体,政府の間に結ばれた鉄工業部門のグルネル協定,農業部門のバレンヌ協定により大幅な賃金上昇が実現した。賃上げによるコスト増,購買力の増大による物価上昇に対処するため,金融面からの引締め,個別物価対策の強化をはかるとともに,一方で賃金コスト上昇を吸収するため企業の投資促進措置を採用した。
こういった状況のなかで,個人消費,設備投資を中心に需要が急速に増大し,物価上昇,国際収支悪化の傾向が強まった。68年末以降財政,金融面からの引締めが強化されたが,効を奏せず,69年8月フラン切下げを断行した。その後,貿易収支は急速に好転し,輸出需要,投資需要を中心に順調な拡大を続けているが,物価はフラン切下げによる輸入価格上昇,賃金コスト増大,需要圧力といった要因で上昇を続けている。
このため,71年に入り,1月に食料品の付加価値税率の引下げ,5月に公定歩合の引上げ,6月に計画契約制度の適用厳格化と物価抑制策を実施した。さらに9月には物価抑制契約と称する新しい抑制策を採用したが,この政策は政府が6ヶ月間電気,ガス,水道,国鉄運賃,電信電話など公共料金を一切引上ず,また税負担をふやさないことを約束する一方,企業も工業製品価格については1971年9月から1972年3月までの6カ月間に上昇率を1.5%に抑える,商業マージンについては一定の幅以上に引上げないという契約を結ぶものである。そしてこの契約を締結しない製造企業に対しては価格引上げの都度,物価局の許可をとりつけることが義務づけられ,商業の場合はマージンを現状で凍結することになる。この政策により1971年9月現在,年率約6%で上昇している消費者物価を4%にとどめることを目標にしている。
フランスでは以上のように,明示的な所得政策を行なっていない。しかし,国有部門のウエイトが高いフランス経済にあっては,そこでの賃金決定が民間産業に対して大きな影響力をもっている。この賃金決定の例として1969年12月,電気,ガスの管理局と労働組合の間に結ばれた前進契約がある。これは,国内総生産と企業の生産性の伸びに即応して賃金を引上げ,組合は賃上げに関する限リストはしないというものである。また,70年,71年に国鉄,石炭公社との労働組合の間に結ばれた契約では,実質賃金の伸びを2%とし,消費者物価の上昇分を上乗せするという方式をとっている。
最近の急激な物価上昇に対して,各国はこれまで主に総需要抑制策によりインフレ抑制をはかってきた。その結果1970~71年と引締め政策が浸透し,各国とも景気の鈍化がみられるが,物価上昇はいぜん根強いものがあり,いわゆるスタグフレーション的状況が主要先進国の多くの国に拡がっている。
この景気停滞とインフレの並存は,従来のフイリップス・リプシー曲線をはずれる動きに現われている。 第3-27図 は主要先進国の失業率と賃金上昇率(製造業)の関係を1960年と1971年上期についてみたものである。各国における失業率と賃金上昇率の関係は71年上期になると,いづれの国においてもかなり上方にシフトしていることがわかる。
このような状況下にあっては,物価抑制をはかるために単純な景気引締め策で対処しようとすれば,従来以上に大幅な失業は避けられない。したがって経済政策の中で完全雇用に第一義的優位性が与えられている現在,インフレ対策としての総需要抑制策は大きな制約を受けざるをえない。これに加えて最近のインフレ問題を分析するさいには,海外要因を無視することができない。すなわち,輸出需要の増大が固定相場制度を通してインフレと国際収支の黒字という内外均衡の矛盾を拡大させ,結局総需要管理政策の運営を困難にする。他方,輸入価格の上昇は国内物価にはね返り,これを抑制することはほとんど困難である。以上のような状況に対処するため,各国とも従来の総需要管理政策に加えて,①財政,金融政策の組合せによるティンバーゲン・マンデル流のポリシーミックス(イギリス,西ドイッ)②所得政策(アメリカ,カナダ,イギリス,フランス)③平価調整(西ドイツ)等に重点を置くようになってきた。
これらの対策の有効性を原因別に整理すると 第3-24表 のようになる。それぞれの有効性,限界,実現可能性を検討すれば次のようになる。
1)ポリシー・ミックス
ユーロダラー市場にみられるように,国際金融市場の発達の結果,総需要管理政策としての金融政策の運営は困難になってきている。たとえば,金融引締めにより,国内金利をあげて国内流動性を抑えても,高金利を求める短資の流入によって国内の流動性がふえ金融引締めの尻抜けとなる。
このため,伝統的な金融政策手段のほかに,イギリス,フランスでは銀行貸出の直接規制に乗り出した。また,イギリス,フランス,西ドイツでは短資流入規制を行ない,さらに,財政政策を加えたティンバーゲン・マンデル流のポリシー・ミックスをとるようになった。70年7月西ドイツは,財政引締めを行なうと同時に海外金利の低落に呼応して,公定歩合を引下げて,短資流入の抑制をはかった,イギリスも70年3, 4月財政の引締め基調を続けながら,公定歩合を下げたが,これも短資流入抑制をねらいとするものであった。
このように財政政策が有効需要の調節手段として重視されるようになったわけであるが,財政が硬直的になっていること,増税には政治問題がからみやすいことなど財政政策は機動性に乏しい。そこで最近,国によっては政府が自由裁量権をもって自主的,機動的に財政措置をとりうるようになってきた。たとえばイギリスでは,1961年間接税を上下10%以内で変更しうる権限(いわゆるレギュレーター)が政府に与えられた。西ドイツでは1967年,経済安定成長促進法による連邦および州政府に対する財政の景気対策的運用の原則的義務づけが行なわれた(①所得税および法人税を上下10%の範囲内で一時的に変更する権限②投資税の税額控除の導入権限③景気調整基金の設置等)。フランスでは1969年,景気過熱に対して財政面からの抑制を迅速かつ効果的に行なうために新たに景気調整基金が設けられた。
2)平価切上げ
平価切上げは海外要因からくるインフレ対策としては抜本的なものである。
内外経済均衡の矛盾,すなわち国際収支黒字と国内インフレ,または,国際収支赤字と国内デフレの組合わせの場合,前者については,有効需要抑制のための財政支出削減と短資流出促進策としての金利引下げ,後者の場合は,有効需要拡大のための財政支出拡大と短資流入促進策としての金利引下げの組合せによる均衡の回復が考えられるが,財政政策,金融政策の経済に与える影響が同一でないところから,長期にわたると資源配分に片よりが生じ,この政策はあくまで短期的なものである。
この場合,国際収支黒字と国内インフレには平価切上げ,国際収支赤字と国内デフレには平価切下げを行なうことにより,内外均衡の矛盾を是正できれば,財政政策,金融政策はより均衡のとれた国内政策の実施に向けることができる。西ドイツの69年のマルク切上げおよび71年の変動相場制移行はインフレ克服を大き目標の一つとするものであった。71年5月のスイス,オーストリアの平価切上げ,オランダの変動相場制移行も,西ドイツの変動相場制移行によって自国通貨が実質的に切下げられ,それによって発生する輸入インフレ症状を未然に防ごうとするものであった。
しかし,平価調整はスムーズに行われない欠点をもっており,さらに自国通貨切上げによって輸入価格の低落をはかっても流通機構が複雑なために切上げ効果が十分最終需要家まで行きわたらないケースがある。また69年の西ドイツの例では,国内需要が強かったために意図されたほど輸入価格は低落しなかった。このように平価調整は単独では万能薬ではなく,他の政策手段との適切な組み合わせをはかることが必要である。
3)所得政策
OECDは1962年「物価安定のための諸政策」と題する報告書を発表しその中で,所得政策を定義している。それによると,「政府は経済的諸目標,わけても物価安定と矛盾しない各種の所得の増進はどのようなものであるかについての見解をもつべきこと,各種の所得の成長のガイドとなるべき原理について公衆の合意を促進する途を求めるべきこと,そうして人々が自発的にこのガイダンスに従うように誘導するための努力をなすべきこと」とされている。所得政策は労使双方の利害に深刻にかかわる問題だけに,過去のイギリス,カナダの場合にみられるように,全体の合意を得ることがむずかしいこと,基準となるべきガイドラインの設定がむづかしいこと,経済が超過需要にある場合はガイド・ラインを守ることがむづかしいこと等の制約がある。しかし,総需要抑制策の運営に障害が生じている現在,所得政策が成功すれば,コスト圧力の軽減にかなりの効果をもつものとみられる。
アメリカについてみると,11月14日以降のいわゆる第2段階はまさにOE CDのいう所得政策である。カナダは根強い賃金コスト圧力の増大が再び物価上昇につながるのを懸念して1970年に挫折した所得政策を再検討しようとしている。
また上述の定義からは完全な意味での所得政策とはいえないが,イギリスでは経営者団体による自主的な方式により,また,フランスでは政府との契約による方式により,それぞれ価格引上げ抑制がはかられている。
4)輸入自由化,関税引下げ
関税引下げ,輸入自由化の促進は物価対策を主眼としたものではないが,貿易の拡大は安い外国品の供給を通じて,輸入競争産業の生産性,価格政策に影響を与え,かつ長期的には産業調整を通して物価安定に資するところが大きい。しかしガット体制の中心的役割を果たし,戦後の貿易拡大を推進してきたアメリカが,68年の鉄鋼輸出国の自主規制要求,69年繊維交渉70年通商拡大法案の審議,さらに71年8月には輸入課徴金等の措置など保護主義的傾向を強め,アメリカの措置に対してECが報復の権利を留保すると表明するなど,戦後のアメリカのリーダーシップによる輸入自由化,関税引下げを通じる世界貿易の拡大という国際協力体制は行詰っている。アメリカの保護主義的傾向の原因は,一つには繊維,鉄鋼等比較優位を失った産業を維持しようとすることにある。その意味で,国際間の産業調整をはかりながら,今後さらに自由化,関税引下げを進めなければならない。
5)競争促進策
68年以降の世界的なインフレを説明する要因とはならないが,企業集中に伴う価格支配力,政府による価格支持制度が物価の下方硬直性という現象を生みだし,現代先進国のインフレの基本的要因として働らいていることは本章世界インフレの原因で指摘したとおりである。その意味でこのような下方硬直性を打破する対策こそ,インフレ対策として正統的であるといえる。各国とも独占ないし寡占による管理価格発生の防止をねらいとした独占禁止政策に力を入れている。
またイギリスでは賃金コストインフレの背景に,労働組合の交渉力に問題点があるとして,団体交渉制度や制限的慣行の改革を企だてた労使関係法が成立した。
6)生産性向上
賃金コスト圧力の増大による,コストプッシュインフレの場合,生産性を上昇させることによってコストの上昇を吸収し,価格への転嫁を防ぐことが考えられ長期的なインフレ対策として重要である。
フランスでは,1968年の社会的政治的危機の後,爆発的な賃金上昇が起こり,需要,コスト両面からインフレ圧力が強まった時,金融面からの引締め,個別物価対策の強化をはかるとともに,一方で,賃金コスト上昇を吸収するために企業の投資促進措置が採用された。
アメリカやイギリスなどの先進国ではGNPの中で政府購入のウェイトが高く,これが設備投資を圧迫し,そのためもあって生産性の上昇率が低くなっている。このため大幅な賃金上昇が起きると,これを吸収できず賃金コストの上昇は,価格に転嫁されている。アメリカでは,生産性の向上をはかるため1970年「生産性委員会」が設立され,新経済政策の中で投資減税が復活,投資促進措置がとられた。
また1960年代を通じて完全雇用政策が追求されてきた結果,元来労働力不足傾向の強い欧米諸国では,これがボトルネットとなって景気拡大局面で物価上昇要因として働らくようになった。そこで労働力の確保は景気拡大政策上も物価対策上も重要視されている。
国際的に労働力の移動を促進しているのは西ドイツ,スイス,オーストリア等であるが,フランスの国家雇用基金制度,米国の人材開発訓練法も,労働力の流動化をはかろうとするものである。またイギリスの選択的雇用税も労働力の流動化をその一つの目的としたものであった。
前項では,賃金コストの上昇と輸入インフレから伝統的な需要管理政策の限界がいよいよ明らかとなり,各国とも新たな政策の方向を模索しつつあることをみてきた。ここでは前項までの分析結果を踏まえて,今後のインフレ対策の方向を考えてみることにしよう。
1)財政政策の一層の活用
総需要管理政策に限界が生じたということは総需要管理政策がインフレ対策として役に立たなくなったということではない。全体として需要超過も供給超過も生じないように総需要管理政策を適切に運用することは,完全雇用,成長政策の観点から重要であるばかりでなく,インフレ抑制の点からも諸般のインフレ対策が有効性を発揮する基盤となる。そしてなお主要国の総需要管理の手段自体が十分に整っているとはいいがたい。とくに財政政策の活用が不十分であり,たとえばアメリカでは増税法案の成立が遅れたことが,需要超過とインフレを深刻化させた。西ドイツにおいても70年の7月に所得税,法人税の一時的な10%増税,特別償却制の一時停止などの財政措置が決定され,その結果,ようやく短資流入を抑えるべく公定歩合の引下げが可能となったが,これも財政措置がもう少し早くとられていれば,金融政策の負担は軽くなっていたと思われる。このように財政政策は機動性あるいは強度の点において十分ではなく,前項でみたように,最近ヨーロッパ諸国でレギュレーター制や景気調整基金の採用などの工夫がみられるが,今後とも財政政策の手段の多様化と整備が続けられなければならない。
2)所得政策と構造政策
アメリカ,イギリスなどスタグフレーションが深刻な国では,賃金コストの上昇と管理価格的な価格決定が重大な問題である。賃金コスト上昇の原因は,賃金決定において組合の賃金交渉力が強く働いたり,物価上昇が強く反映されるメカニズムがあって賃金が需給動向にかかわりなく上昇すること,そして公共支出のウエイトが大きいこともあって民間設備投資が沈滞しており生産性の上昇率が低いことである。このような国では所得政策的な措置により,賃金物価の上昇を適切に誘導しなければならない。その意味で,アメリカの新経済政策の第2段階の所得政策,イギリスの山猫ストの禁止を内容とする労使関係法,イギリス産業連盟による価格引上げの抑制などの措置がいかなる効果を持つかその成否が注目される。それと同時に重要なのは,60年代後半から沈滞している投資が再び盛り上るかどうかということである。
これは,生産性の上昇を通じて賃金コストの上昇を抑える観点から重要であり,一層の投資刺激措置が望まれる。
このようなスタグフレーション的傾向は相対的に生産性上昇率の高いヨーロッパ,日本ではイギリス,アメリカに比べれば軽微であるが,これらの国においても近年一様に賃金上昇が加速化しており,景気停滞とともに投資の伸びが落ちてきている。したがって,今後賃金上昇が景気停滞にラグを持ちながらも鈍化するかどうか,そして景気回復とともに投資が再び活発化するかどうかが注目される。さらに長期的な観点からみても西ドイツなどでは,アメリ力と同様物価上昇が賃金上昇に反映されるメカニズムが強いことは注意を要する。西ドイツの“協調ある行動″やフランスの賃金決定における“購買力保証方式”,物価の“計画契約制度の強化”“物価抑制契約”などの所得政策的な試みがなされ文いるのもいわゆるコストプッシュ的なメカニズムが強まっているという認識を反映したものとみられる。日本は,長期的にみた場合,現在までのところ欧米に比べれば,生産性上昇率がきわめて高く,賃金・物価も需給動向を強く反映して動くメカニズムが強く,その意味でコストプッシュの恐れは弱い。しかしながら日本の消費者物価については,いわゆる生産性上昇率格差に基づく構造的な物価上昇がみられ,需給動向にかかわりなく上昇する関係がみられる。
コストプッシュ要因の強まりに対しては,所得政策的な試みがなされる一方で,自由化,競争促進,労働力の流動化などいわゆる構造政策を通じる生産性向上が重要な対策である。このような構造政策はいずれも価格メカニズムの働きを回復させるものであり,その導きに応じて産業構造をスムーズに転換させることを目的としているが,このような政策は所得政策と同様各業界団体の利害に深刻にがかわるものだけに,なかなか円滑に実施されない場合が多い。しがしながら,このような産業構造の転換は国際的にも要請される事態が生じてきている。すなわち主要国間の平価調整なり,貿易制限の撤廃や関税引下げなど貿易面での国際協力は,当然に国際的なレベルでの産業構造の転換,いわゆる産業調整を要求しているのである。したがって,このような産業調整ができる限リスムーズに行なわれるような政策措置が講じら,れなければならない。
3)需要管理政策の国際的調整
他方,今回の世界インフレの背景として輸出の大幅増や短資流入そして輸入価格の上昇などの海外要因がインフレの原因となったことにみられるように,インフレ波及という要因が無視できないものであった。そしてこのインフレ波及を助長したのが,アメリカにみられた失業と国際収支赤字の矛盾,および西ドイツや日本でみられたインフレと過大黒字の矛盾という対内,対外両均衡の矛盾である。すなわち,アメリカでは,失業の解消を目指せば赤字幅はますます拡大しインフレ輸出を促進するところとなり,他方西ドイツ,日本では輸入インフレ要因に悩まされたのみでなく,インフレを抑えようとすれば過大な黒字が累積するという矛盾がみられたのである。
このような固定レート制に伴なうインフレの国際波及を抑えるためには,まず基軸通貨国であり世界貿易において大きなシエアをしめ,今回の世界インフレにおいても主たるインフレ輸出国であったアメリカがインフレを起さないように政策運営をとることが要請されることはいうまでも,ない。しかしながら,現在のようにアメリカ自身が高水準の失業と国際収支悪化という内外均衡の矛盾に悩むとき,その努力には限界があるとみなければならない。
そこで,国際協力による内外均衡の矛盾の緩和ないし解消ということが重要な問題となってくる。その第一が主要国間の需要管理政策の調整である。
内外均衡の矛盾があるとき,それが景気のズレから深刻化しないように赤字国と黒字国の間で需要管理政策が調整されなければならない。すなわち赤字国は金利引上げを中心とする抑制的な経済運営を行なう一方,黒字国では金利を引下げて国際収支の不均衡を緩和しなければならない。このような金融政策の面でのハーモニゼーションが成立することによってはじめて赤字国では拡大的な財政政策をとることによって失業の解消を目指し,黒字国では引締め的な財政政策によりインフレの制圧を目指するという,いわゆる財政・金融政策のポリシー・ミックスが可能となるわけである。OECDの経済政策委員会,IMFの条件付準備貸出しに伴う国内政策への介入は正にその具体的な努力にほかならない。
4)平価調整システムの改善
しかしながら,各国間のインフレ速度の差から長期的に価格競争力の差が累積拡大し,それが内外均衡の矛盾をもたらすメカニズムがあるとき,このような構造的な矛盾を最終的に解消する方策としては平価調整によるほかないことは,第2章第3節(国際収支不均衡ど平価調整)でみた通りである。
ところが現在のアジャスタブルペッグ制は平価変更がスムーズに行なわれにくいという欠陥がある。そこで,国際的に意見の調整をはかることによって,価格競争力の差から内外均衡の矛盾が生じる事態に立ちいたったとき,平価調整がスムーズに行なわれるような平価調整システムを確立する必要がある。
5)貿易の自由化,関税の引下げ
さらに,国際協力により貿易の自由化,関税の引下げが一層促進されなければならない。これは過大な黒字とインフレに悩む国では輸入の拡大をもたらし,輸入価格の低下と産業構造の改善の促進を通じてインフレに好ましい効果を与える。他方,赤字と失業に悩む国では,貿易の制限を通じて国際収支の改善と失業の解消をはかろうとする動きが生じやすいが,これが世界貿易の発展を害することはいうまでもなく,このような動きをチェックする意味でも国際協力の重要性が問われている。
6)短資対策
また,ユーロダラー市場のような大規模な国際金融市場の出現により,各国の金融政策の効果が害されたり,平価調整を予想する大幅な短資流出入が生じ国際収支の不均衡を拡大させ,黒字国ではインフレを刺激するところともなった。このような攪乱的な短資移動を何らかの形で抑制する方途が現在模索されているところである。