昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


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第2章 揺れ動く国際通貨体制

3. 国際収支不均衡と平価調整

(1) 卸売物価上昇率格差と貿易収支不均衡

前節ではアメリカよりの大量ドル流出と,これに伴なうドルの信認低下をみた。今年5月の通貨危機は,いわばそれを顕在的に示したものといえよう。この危機について,IMF専務理事は,直接的には景気循環および通貨政策の相違と投機筋の圧力とをあげているが,より基本的には「国際収支の状況それ自体が明らかに不満足なものであった」ことを指摘している。 第2-7図 にみるように,最近における主要国の基礎収支動向には顕著な差違がうかがわれる。つまり「持続的なアメリカの基礎収支赤字と,それに対応して他の主要国の間にかなり広範にわたって分散している黒字」 (IMF専務理事)である。

1969年に31億ドルの赤字を記録したアメリカは,景気停滞にあった70年にも赤字幅は余り縮小していない(第2-7図)。これは,長期資本の48億ドルに達する流出があったためであるが,71年に入ると経常収支の悪化が加わり,第1四半期のみで13億ドルの赤字を計上している。逆に,日本およびカナダは67年以降かなりの黒字を記録しており,69年の日本,70年のカナダはいずれも20億ドルの基礎収支黒字を記録している。また,イギリスも69年以降基礎収支の改善には著しいものがある。

このような主要国の基礎収支動向は,経常収支,それも主として貿易収支の動きを反映したものであった。とくにアメリカは,66年以降,70年を例外として一貫して貿易収支の黒字幅を縮小し,71年には年間を通じての赤字化が予想されるまでに悪化している。逆に,日本は,年々貿易収支黒字幅を拡大させ,景気が下降局面に入った70年にはそれは40億ドルを越したし,カナダも同様に70年には多額の貿易黒字を出している。基礎収支で赤字を出している西ドイツは69年以後貿易外および移転収支の赤字増大により経常収支黒字は小幅化しているものの,貿易収支はいぜん大幅な黒字を続けている。これは,平価調整に敏感な貿易外移転収支がマルク切上げにより急速に赤字を増大させたほか,長期資本の流出促進策があったためで,西ドイツの国際競争力はなお強いからである。

それでは,このような国際収支格差,とりわけ貿易収支格差が生ずるのは何故であろうか。これには種々の原因が考えられる。各国間の産業調整速度の差,技術進歩の格差,景気局面の相違あるいは各国の貿易政策の差等々である。しかしここでは,60年代においてかなりウエイトの大きい要因と思われる世界貿易構造の変化と各国間のすう勢的な物価上昇率格差に焦点をあててみよう。

戦後,主要先進国は相互に依存度を高めながら高い経済成長を実現した。所得水準の向上とともに,個人消費はそのパターンを多様化させ,また総需要の大きな部分を占めるようになった。このことは世界の貿易構造に変化をもたらし,世界貿易に占める水平貿易の比重を増大させ,また技術,資本の自由移動が促進された。この結果,わずかな経済構造の変化が貿易構造に強い影響を与えるようになっている。一商品についてみる限り,昨日の輸入国が今日は輸出国といった事態さえ考えられるようになった。つまり,類似した商品を各国が競って生産しているために僅かの技術の差,僅かの価格の差が貿易に影響を及ぼすようになってきている。これを今,貿易の価格弾性値でみてみよう。もとより,価格弾性値はその推計式,説明変数,データ期間等によって異なった結果を示すものであり,これにのみ頼るには限界がある。しかしこの限界を念頭において最近の計測をみてみると,主要先進国向貿易の価格弾性値は高いものが推計されている。 (注) これは50年前後に弾力性ペシミズムとして価格弾性値に対する不信が議論された当時とは明らかな対照を示していよう。

こうした世界貿易構造変化の中では,当然に各国の国内コスト価格水準と国際水準との間の格差が重要な要素となる。 第2-8表 は主要国について卸売物価の変化をみたものである。1963~71年第2四半期までの7年半で最も卸売物価の安定していたのは日本,西ドイツであり,ついでイタリアの順となる。逆に,イギリスは最も卸売物価上昇が激しく,フランスがこれについている。しかし,この両国はそれぞれ67年,69年に平価切下げを行っており,他と比較するには,平価切下げによるインフレ効果を割引く必要があろう。もっともイギリスの場合には,67年までの間にすでにもっとも高い上昇を示しており,ポンド切下げを考慮に入れてもなお物価上昇は基調的に高かったものと思われる。この結果,63年以降現在までの卸売物価上昇率格差は,日本とイギリスの間で25.4ポイント西ドイツとイギリスの間で25.3ポイントとなっている。また,日本,西ドイツとアメリカとの格差はそれぞれ8.6ポイント,8.5ポイントとなっている。

卸売物価指数と輸出価格指数とはその構成が異なるが,長期的には両者は同じ動向を示している。この関係を自国輸出価格指数でみると,ここでも最も゛安定していたのは西ドイツであり,ついで日本,イタリアの順となる( 第2-9表 )。そして上昇の激しかったのはイギリス,フランスであるが,ここでもやはり平価切下げのインフレ効果を割引かねばならない。この中で,アメリカが,こうした要因のないにかかわらず価格上昇の著しいことが目立つ。そこでこれを世界市場での価格競争を示すドル建て輸出価格をとり,アメリカと関係の深い日本,西ドイツ,イギリス,カナダについてアメリカとの相対価格をみてみよう( 第2-8図 )。

これによれば,カナダを除いて三ヶ国はいずれもアメリカより優位な価格競争力を示している。69年に平価切上げを行ない,71年5月以降変動相場舗をとっている西ドイツでさえなおアメリカより優位である。これは次章で遁ベるように近年におけるアメリカのインフレ高進によるところが大きい。そこで日本と西ドイツについて,アメリカとの輸出相対価格と貿易収支との関係をみてみよう。 第2-9図 は縦軸に日本と西ドイツの対米貿易黒字を,横軸にアメリカの輸出価格を1とする両国の輸出の相対価格をとったものである。したがってここでは貿易に与える所得効果を除外してあるが,両国が相対価格を優位にしていくにつれ(いい換えればアメリカの相対価格が悪化していくにつれ)対米貿易黒字を増大させている関係がうかがえよう。

こうした各国間の輸出価格上昇率格差は,基本的には各国の志向する政策目標の相違や,賃金,価格構造の差異に求められるし,平価調整がどの程度の効果をあらわすかにもよる。詳しくは次章に譲るが,一つには完全雇用,物価安定,高度成長など諸々の政策目標に対して各国の与える政策優先度の違いが,このような長期的な価格格差を生ぜしめるものである。

さらに,より重要なことであるが,国によって賃金,価格構造に差異のあることがあげられる。一般に失業率と物価上昇率の間には,一定のトレードオフ関係が存在することが知られている。ところが国によってこの曲線が異なるところから,同一の雇用水準を維持するにも異なる物価上昇を許容せざるをえない。労働組合や賃金構造等,社会構造の差異によるものである。とくに最近のアメリカのように,この曲線のシフトが指摘され賃金コストの面からの圧力が高まっている国にあっては,構造的な貿易収支悪化要因として作用する可能性を持っている。

このような各国間の卸売物価上昇率格差は,すでにみたように価格弾性値の高い先進国間貿易において,ただちに貿易収支を変化させる。しかも,賃金,物価が下方硬直的であることが赤字国に関する限り,一方的に赤字増大要因として作用する。したがって,各国の為替相場が均衡的に調整されるよう期待されるのであるが,現行の平価調整制度は必ずしも円滑に運用されなかった。

(2) 調整可能な固定相場制度の問題点

1)基礎的不均衡の概念

IMF協定は,為替相場について次のように規定している。

    ① 加盟国は「金または1944年7月1日現在の量目および純分を有する合衆国ドル」によって,平価を設定する。加盟国通貨間の為替相場は,直物為替取引の場合,平価の上下1%以内に維持する。

    ② 加盟国は「基礎的不均衡を是正しようとする場合」にのみ,平価変更を提議することができ,IMFと協議の上で変更を行なうことができる。

このような現行平価制度は調整可能な固定相場制度(アジヤスタブル・ペッグ制度)と呼ばれる。①が固定相場の原則であり,②が調整可能性の表明である。調整可能な固定相場制度(アジヤスタブル・ペッグ制度)は,為替相場の安定と秩序維持のための枠組みを提供するものとして構成され,運営されてきた。

しかし,この制度の基本的な概念である「基礎的不均衡」については,協定中で定義されてはいない。このことは原案となったホワイト案でも同様である。IMF協定作成の際,客観的な定義づけへの努力が繰り返されたが,ついに結論を出すにはいたらなかった。IMFの現実の運営の中でしだいに明かになるものとされた。したがって,IMFもこれまで積極的に定義づけようとしたことはない。ただ,この点で一つの参考になるのは,1946年のイギリス政府の質問に対してなされたIMFの回答である。すなわちイギリス政府が「国際収支の圧迫から慢性的ないし持続的性質の失業が発生し,その国が自国経済を保護する立場から措置をとる場合」について質問したのに対し,IMF当局は基礎的不均衡とみなす旨の決定をしている。このように基礎的不均衡の概念は,単に国際収支の明白な不均衡の発生ということにとどまらず,国内経済の運営,政策等とも密接に絡み合ったものとして理解されている。しかし,一つの基準となる国際収支の不均衡についても,それを総合収支尻でみるのか,または基礎収支か,経常収支かということさえ決定していない。赤字国の場合には,外賃準備への圧迫という観点から,あるいは聡合収支が尺度となりうるかもしれない。67年のイギリス,68,69年のフランスなどは,こうした見方をすることもできよう。

黒字国の場合は,この問題はいっそう困難になる。すなわち本来一時的なものである短期資本の流入をどう評価するか,長期資本は政策的に流出促進策をとりうるが,これが行なわれている場合にどう評価するのか,経常収支黒字幅でみる場合には,海外援助や直接投資等の必要性をどう見込むのか等である。また,70年のカナダのように,景気後退局面にあって黒字が累積している場合,循環的要因と基礎的要因をどう区別するかという問題もある。そこで切上げ国の例として,61年3月および69年10月と2回の平価調整を行ない,71年5月にも実質切上げに相当する変動相場制を採用した西ドイツをとってみよう。 第2-10図 でみるように,この3回の平価調整時に示される諸指標は,かなりまちまちな動きをしており,ここから明確な統一基準を探ることは困難である。わずかにいえることは,短期資本収支の大幅黒字とこれに伴なう外貨準備の急増,そして物価の上昇である。だが,71年5月の対策について検討したEC閣僚理事会は,「平価変更を正当化する情況にない」との結論を出している。そこで71年5月の指標から逆に推してゆくと,短期資本収支や貿易収支,外貨準備等は前二回とも赤字であるから,西ドイツの場合,基礎的不均衡の対外面については経常収支によって判断したのではないかと推測される。しかし経常収支でみるにしても,69年の調整の場合はすでに前年から大幅な黒字となっており,なお莫然としている点に変りはない。

以上のような調整可能な固定相場制度(アジアスタブル・ペッグ制度)が,すでに述べたように,1930年代との比較において,相対的に為替相場の安定に寄与してきたことは事実であった。

しかし,反面,そのメカニズムが十分に機能しえず,種々の問題を生み出してきたことも,歴史の示すところである。以下ではその問題点を固定相場の原則に由来するものと,調整可能性に由来するものとに分けて述べてみよう。もとよりこの二つを厳密に区分することは困難であるが,ここでは,議論の展開上,分けて考えることとする。

2)固定相場に由来する問題点

固定相場の原則に由来する問題点は,上述の基礎的不均衡の概念の不明確さと関連している。国際収支不均衡も種々の態様がある。景気循環的な要因によるもの,季節的要因によるもの,あるいは大規模なストライキ等一時的な要因によるものなどであり,さらに長期構造的要因によるものがある。I MF体制では,前者の短期的要因による国際収支不均衡については,外貨準備のとり崩しやIMFの資金利用といったいわゆるファイナンスによって対処することとされている。しかし本来短期的要因と長期的要因とを判別することは,とくに両者が併存していると思われる場合には,困難となる。したがって国際収支不均衡が発生した場合には,まず第一次的にファイナンスによることになる。そしてその間に需要管理政策によって総需要の適切な方向づけを行ない,国内不均衡の発生を未然に防止することが期待されたのである。こうした状況で,基礎的不均衡の概念があいまいであって,しかも平価調整は他の可能な政策手段をすべて費した後の最後の手段とされた。このため政策担当者は政治的威信や国内産業に対する配慮,つまり平価調整のデフレ効果,インフレ効果を配慮して,平価調整の必要な時にも先へ伸ばす傾向があった。したがって,時としてはIMF協定が回避しようとしていた金本位制の弊害,すなわち赤字国に引締めによる過度の低成長を強いる結果にも,なりかねなかった。

端的な例はイギリスである。イギリスの国際収支構造は, 第2-10表 にみるように,貿易収支は基調的に赤字であり,これをロンドン金融市場をバックとする銀行手数料や,保険料,海運賃などの貿易外収支で埋めるという形をとっていた。したがって経常収支が黒字のときは,長期資本収支の赤字をある程度まで補うことができた。だが,いったん経常収支が赤字化すると,長期資本の赤字も加わり,基礎収支の赤字幅は拡大した。これがポンド不安を招き,短資の流出を誘うことになる。このため,政府は引締め策を採用し,金利を引上げて経常収支の改善と短資の流入を企図する。その一方,IMFや主要先進国の中央銀行から借款を受け,外貨準備の減少を埋め合せた。そして国際収支が好転すると,逆に景気刺激措置をとった。これがストップ・アンド・ゴー政策であり,戦後のイギリス経済はこの繰り返しであった。しかも,イギリスは早くから賃金コスト圧力の強い国であった。生産性を上回る賃金コストの上昇は企業の投資意欲を低下させた。ストップ・アンド・ゴー政策がこれに拍車をかけた。この結果,経済は徐々に活力を喪失し賀易収支赤字の増大と貿易外収支黒字の縮小を招いて,国際収支構造をいっそう悪化させることになった。67年のポンド切下げは,海外諸機関によるポンド防衛も限界となり,国内的にもいっそう厳しい引締め政策の採用は困難であるという状況の下で行なわれたものであった。

このように基礎的不均衡の不明確さは,平価調整の決断を先に引き伸ばす傾向を生み,それだけ,不均衡を一層拡大する。時機の遅れた平価調整1よ,それだけ大幅な調整を必要とすることになり,国内経済,国際経済により大きな混乱を招きかねない。西ドイツの69年10月の切上げについても,同様に,時期を失したとの批判がみられるのである。

さらに,平価調整のタイミングに関し重要なことは,1969年IMF年次報告でも指摘しているとおり,為替相場が不当に硬直的であると,「経常取引に対する制限,資本統制の導入ないし強化,および開発援助の停滞を含めて,固定為替相場制度が回避しようとしていた事態が生ずるおそれも出てくる」のである。すでにイギリスは64年10月,国際収支の悪化に直面して,輸入課徴金を導入した。これは工業品および半製品に対して15%の課徴金を賦課するもので,多くの国から反対を受けた。しかし,65年に賦課率の引下げがあったものの,課徴金.は,66年11月まで2年にわたって存続された。こうした平価調整を避けるための措置は,結果として,IMFの究極目標たる世界貿易の拡大と明らかに矛盾するものだったのである。

また,アメリカは国際収支赤字の解消をねらって,63年以来金利平衡税を導入し,以後長期資本の流出に対して漸次規制を強化してきた。このような資本移動に対する制限措置は,資本移動を通じる適正な資源配分をゆがめる性格をもつものであるが,IMF協定はこれを禁止していない。これはIM F協定が,国際貿易の拡大というもっぱら経常取引にのみ関心を示していることと対応している。しかし,資本移動に対する制限措置はアメリカの例を待つまでもなく,時とともにいっそう精緻なものへと強化されざるを得ない傾向を持っている。しかも現実に行なわれている取引を,資本取引と経常取引に峻別するのは実際上容易なことではない。したがって,資本取引に対する為替制限の強化は,いきおい経常取引まで阻害してしまう可能性がある。

70年に発表されたIMFの「国際収支調整過程における為替相場の役割」と題する報告の中でも「資本移動に対してこのように規制を行なうことは,経常取引や有益な資本移動をある程度阻害することとなるおそれがあり,また,このような規制を有効に行なうことが難しい場合もあるということは,一般に合意がみられているようである」としている。

固定平価原則の問題点としては,さらに,現実に平価変更を行なうべく決意しても,新平価設定に際しての客観的な判断基準がないということがあげられる。このことは,平価変更が上述のようにギリギリの最後の手段とされてきたという事実の故に重要である。いったん平価調整を行なってしまえば,近い将来再び調整を行なうことは原則としてあり得ない。したがって,いっそう適正な新平価の設定が要求される一方,時間の経過によって不均衡は逆に拡大されているからである。しかも,平価切上げは国内経済に与えるデフレ効果が大きく産業界の反撥を招きやすい。平価切下げは,インフレ効果をもたらし,また政治的には政治的威信の失墜をもたらすことになる。こうしたことから,いきおい切上げの場合には小幅に,切下げの場合には大幅になる傾向がある。イギリスの67年のポンド切下げは一般に予想ざれたより大幅であった。このようなことから,平価変更に際して一時的に変動相場制をとり,新たな平価水準を模索するという手段もとられるようになってきている。69年10月のドイツ・マルク切上げに先がけて,約1ヶ月変動相場制を採用したのがこれである。

固定相場原則にもとづく問題点としては今一つ,インフレの輸出入ということが考えられるが,これは次章で検討することにする。

3)調整可能性に由来する問題点

次に,現行制度の調整可能性に由来する問題点をみてみよう。これは最近になって特に大規模化してきている国際通貨投機の問題である。ユーロ・ダラー市場はここ数年の間に著しく拡大した。このようにいずれの国際機関,中央銀行の管理にも服さない自由な一大国際金融市場の出現はいくつかの利益をもたらした。しかし,これが投機的な動きをする場合には,一時に大量の資金が移動するため,しばしば均衡破壊的に作用する。

すでに述べたように,主要国間のすう勢的な卸売物価上昇率格差は,基調的な国際収支黒字国,赤字国を作り出した。したがってその間の円滑な国際収支調整が期待されるのであるが,ここに平価変更時の利益を狙って投機的短期資金が介入することになる。赤字国から流出し,黒字国に流入する。しかも平価調整は他の可能な政策手段を全て投入した上での最後の手段とされるから,平価変更の可能性はかなり明瞭に発生することになる。このような情況では,当然に変更の方向,は明らかである切上げ思惑で流入した資金が,逆に切下げにあって大損を蒙るということはあまり考えられない。つまりほとんど損することのない一方的な賭けなのである。ために,平価変更の予想される場合には一時に大量の短期賃金が移動する。固定相場制度の下では,投機的な短期資金やリーズを中心とする思惑的な貿易資金の流入があったときにも,中央銀行は為替市場に介入し,自国平価維持のために買支えをしなければならない。これは国内流動性を増加させ,内在するインフレ要因に加重されて,国内均衡破壊的に作用する。この勢いを多少でも弱めるためには金利引下げを要請されるが,インフレ抑制の面ではそれは反対の効果をもたらすことになる。とくに財政政策,中でも財政による引締め政策が政治的抵抗に遭いやすく,弾力的発動が困難であるという状況下では,金融政策に依存せざるをえない。そこで当局は一層金融政策を強化して,国内流動性を適当な水準に抑えるべく流入資金不胎化の努力をする。伝統的な金融政策に加えて,貸出制限,先物市場操作,特別準備率制度,付利禁止措置などの選択的手段が動員された。しかし,西ドイツの例は不胎化政策も大規模な流入の前には限界のあることを示している。

このような不胎化政策の限界性は,一つには資金流出国と流入国との経済規模の相異にもよる。たとえば20億ドルの資金流出は,アメリカにとっては全通貨供給量のわずか1%にすぎないが,西ドイツに流入した場合には約10%もの通貨供給量増加要因となる。したがってこれに対する金融措置も西ドイツの方がはるかに困難性を増すことになろう。

(3) ドルの調整の遅れ

国際収支は各国間の受け払いを示すものであるから,世界全体をとってみれば必ず均衡するものである。逆にいえば,ある,国が黒字を出していれば,どこかの国は赤字を出しているということになる。したがって,国際収支不均衡の調整は黒字国がこれを行なってもよいしまた赤字国が行なってもよい。調整の結果が収支均衡をもたらすようなものであれば,その効果はいずれの側にもたらされるからである。

ここで次の問題が発生する。つまり平価調整の負担をいかに配分するかという問題で,ある,赤字国が切下げの負担を負うのか,黒字国が切上げの負担を負うのかということである。ところが1968年のアメリカのドル防衛白書も云うように,「事実としては,すべての国がいつでも黒字であること,つまり準備の増大することを国際収支対策の目標としている。」しかも,前に述べたように基礎的不均衡の概念が明確でない。また,平価変更は自らがIM Fに提議して初めて現実性を帯びるものであって,外から迫られるような性質のものとはされていない。したがって,黒字国の平価調整はいきおい先に伸ばされる可能性が,ある。これまでの四半世紀をみても,70年末までに切上げを行なった国は西ドイツが2度とオランダが1度である。これにカナダの2度の変動相場制を加えても,切上げは僅か5回しか行なわれなかったのである。これに反し,切下げはかなりの数に上っている。

このように,これまでの事実によれば,IMF体制のもとでは,主に赤字国が平価調整を行なってきた。しかし,最近のようにアメリカの国際収支赤字とその他の主要国の黒字というパターンの下では事情は複雑になる。赤字国であるアメリカが基軸通貨国だったからである。もとよりドルの切下げといえど可能であり,その考えられる態様と効果は 第2-11表 に示すとおりである。この内,①はすべての通貨の金に対する一括切下げであり,ここで問題としているドルと他通貨の相対価格体系に変化をもたらさない。したがって,ドルの金に対する切下げである②またはその他通貨の金に対する切上げである③あるいは両者の折衷である④の中の選択となる。②の場合は,いい換えれば金価格の引上げであり,国際流動性総量を増すという資産効果を伴うことになる。現在のようにすでに過剰流動性の存在が認識されている場合には,大幅な変更は困難である。逆に流動性の量を変更しない程度に小幅であれば,ドルの過大評価を充分に是正できるかどうか疑問が残る。また③につにても,各国の思惑が複雑に絡み合い,容易でないことは明らかであるし,何よりも過大評価されているドルを調整しないのは,その他の通貨に責任を転稼するものとの批判を受けよう。こうしたことから④の折衷案が出てきたのであり,現在の主要国平価の多角的調整にも,かなりの国からこれによるべきであるとの主張がなされているのである。

アメリカは,長年の間,ドルの切下げはアメリカの国家的威信にかかわると考えていたし,共産主義国(この場合ソ連)を益してはならないと考えていた。しかもドルが広く準備通貨として保有されているために,ドル切下げはフローとしての国際収支に影響をおよぼすだけでなく資産価値にも影響することになる。したがって上記の分類でいうと,③の他通貨による調整を主張している。

71年の大統領経済諮問委員会報告書はいう。「アメリカの国際収支ポジションは,アメリカの国内経済情勢や民間政府の経済的ビヘイビアばかりでなく,為替相場の決定を含む他国の経済実績や政策に依存することになる。」さらに,「主要貿易相手国の大半が為替相場を固定し,SDR割当を上回る黒字がでるような国際収支対策を続けるならば,アメリカは国際収支の赤字を解消することはできないだろう。」と。

このように,ドルと他の通貨との間の平価調整の遅れたことが,アメリカを主要国で唯一の赤字国へと追い込んだのである。この結果,ドルよりの逃避が生じた。

すでに70年央から,金利裁定資金が西ドイツヘ大量に流入していたが,71年にはいるとこの傾向はいっそう顕著となった。西ドイツは引続く物価上昇に苦慮していたから,この輸入されたインフレ圧力には抵抗が強く,ついに5月10日平価維持義務を放棄して,ドル買支えのための為替市場介入を停止した。変動相場制への移行である。オランダ,ベルギー,スイス,オーストリアなども,西ドイツの次に自国が対象とされることを恐れ,それぞれ独自の通貨措置を採用した。これらの国は西ドイツよりもはるかに経済規模が小さいため,わずかの資金流入でも国内経済に多大の影響を受けるからである。

その後,これらの投機資金はイギリス,フランスに,ついで日本にも向った。スターリング・ポンドやフランス・フランのように,現在ヨーロッパの中でもとくに強いとはされていない通貨にまで投機家の手が伸びたのは,ドルの弱さにあった。これに対し,イギリス,フランスは為替管理の強化で対拠した。8月15日ドルの信認は決定的に揺らいだ。金との交換性が崩れたからである。8月23日にヨーロッパの主要為替市場が再開されたときには,いずれもなんらかの為替相場制度弾力化の措置が採用されていた。8月28日には日本も平価維持義務の放棄を決定した。10月末の時点での主要国の為替相場制に関する対策は, 第2-12表 に示すとおりである。

(4) 国際通貨体制の再建

1)多角的平価調整と為替相場制の弾力化

上記のような主要国の変動相場制移行は,必ずしも完全な自由変動相場ではない。シュバイツァーIMF専務理事もいうように,多くは「課徴金や当局の介入為替管理等により人為的に影響を受けている」為替相場である。

しかし,このような管理された変動相場制であっても,四半世紀もの間固定相場制度に慣れてきた各国経済界は,とまどいを隠し切れないでいる。日本では,輸出成約の著しい減少が報告されている。西ドイツでもブンデス・バンク月報は,「輸出成約の減少から,工業界では資本財部門への投資意欲が急減している」と報じている。さらに,IMF専務理事も,為替市場の不安から貿易,支払両面で制限や差別が増えてきているとしており,とくに発展途上国が,輸出産品の価格不安定をもたらす為替相場の不安から,貿易および経済計画上の困難に直面していると警告している。

こうしたことから,9月末のIMF総会でも多くの代表から固定平価原則への復帰を前提に各国平価体系の早期是正の必要が叫ばれている。アメリカの輸入課徴金に対して,貿易制限による対抗という世界貿易縮小方向での解決策をとらずに,これまで進めてきた拡大路線の延長で解決をはかっていこうとする国際的コンセンサスの成立は高く評価さるべきであろう。イタリアのアグラジ蔵相が指摘しているように,今回の危機の前向きの側面は,「今やだれもが基礎的不均衡の存在を認めることを恐れなくなったこと」である。つまり,アメリカを除く主要先進国がともかく平価の多角的再調整に参加して国際的な平価体系を建て直す意向を示したことである。

当面の多角的再調整とならんで,長期的には,為替相場制度弾力化の問題が残っている。すでにみたように,今回の通貨危機が現行制度の硬直的運用性を一つの背景としている以上,その弾力化が望まれたわけである。すでにIMFは1970年に「国際収支調整における為替相場の役割」と題する報告をまとめており,その後もこの問題につき引続き検討を重ねることとされてきた。その報告で検討に値するとされたものは,①適当な場合における平価の迅速な調整,②変動幅の小幅拡大,③平価順守義務からの一時的離脱であった。その後,短期資金の激しい移動が問題となるにつれ,弾力化論議は変動幅の小幅拡大を中心に進められてきたようである。IMF総会でも,専務理事の開会演説をはじめ,主要先進国の代表演説はほとんどこの問題にふれていた。

上記70年のIMF報告によれば,変動幅の小幅拡大は次の三つの利点があるとされる。

    ① 為替相場の変動の余地を拡大することによって,相異なる各国の国内金融市場の状況に対して短期資本移動が敏感に反応する度合を若干少なくすることとなろうし,またその結果国内金融政策の独立性を若干拡大することとなろう。

    ② 民間資金の思惑的な移動を安定的な方向に誘導して,公的準備に対する圧力を減少させることがあるかもしれない。

    ③ 起こりうべき平価変更に;対する投機の見込収益を幾分減らし,また,一つの平価から,別の平価への移行を円滑化するのに若干役立ちえよう。

こうした利点に;対し生じうる欠点としては,

    ① 貿易その他の経常取引には好ましくない影響を与えるおそれがあるが,これも変動幅の拡大が比較的小幅なものにとどめられる場合には,さして大きなものとはならないだろう。

    ② 変動幅拡大を採用した国と採用しない国との間で不公平が生ずるおそれがある。

    ③ 一次産品産出国に不利な影響をおよぼすかもしれない。

    の3点が挙げられている。

そして変動幅の大きさはせいぜい2%ないし3%とされた。このような変動幅拡大は,金利裁定的なものにせよ,投機的なものにせよ,短期資金の移動をある程度まで減じ,国内金融政策のフリー・ハンドを得やすくする可能性がある。これによって各国の需要管理政策が適切に行なわれるなら,各国経済の成長に伴って貿易も拡大し,この面からも懸念される貿易阻害効果を打ち消すことになるかもしれない。変動幅拡大の論議は今後も進展していくことが予想されるのである。

しかし,前項でみたように,アジヤスタブル・ペッグ制度には二つの問題点が生じていた。その固定相場の原則に由来するものと,調整可能性に由来するもめである。変動幅拡大は短資の攪乱的移動という後者の問題に主として対応するものである。固定平価の硬直性と各国間物価上昇率のすう勢的格差から生ずる問題点の解決にはならない。この問題については現行IMF協定の枠内でも,その弾力的運用がはかられるならあるいは解決可能であるかもしれない。先にあげた適当な場合における平価の迅速な調整は,このような見地から考えられたものであった。

71年アメリカ大統領経済諮問委員会報告も,「平価の小幅かつ頻繁な変更は,必ずしも現行IMF協定の修正を要しない。ただ加盟国が一般的に従ってきた慣行を変えるだけでよい」としている。しかし,これまでみてきたように,過去の「慣行」こそが現在の制度を硬直化させている最大の原因であった。この「慣行」を変えて,平価を小幅かつ頻繁に変更することができるであろうか。もし適切に変えることができるとすれば,これまでの二大問題点であった平価変更のタイミングと調整幅の問題をかなりの程度にまで解決することが可能となろう。

いずれにせよ,各国間に卸売物価上昇率のすう勢的な格差が存在する以上,固定相場制度をとるかぎり長期的には必ず平面調整が必要となることを考えれば,平価調整制度そのものを現在よりも弾力化することは要求されてこよう。

2)国際準備資産の将来

さらに,もう一つの長期的な問題として,アメリカの金,ドル交換の停止に対応し,金,ドル,SDR等,今後の世界の準備資産の位置づけの問題がある。もとより,金とドルの交換が停止されたといっても,ドルは現在もなお主要な流通通貨であることに変りはない。その世界的なサービス網に支えられた広範な市場性は,いぜん他通貨とは較べものにならない程大きい。したがって,貿易等経常的な取引の決済には,ドルはやはり主要な役割を担い続けるであろう。また,ドルの変動相場制移行に伴なって,各国は平価維持義務を放棄しており,この限りドルの介入通貨としての機能は一時停止されているが,多角的平価調整が済み,各国が再び固定相場制に復帰した場合には,ドルは介入通貨としての機能を再びとり戻すであろう。

しかし,長期的にみた場合には,やはりドルの国際通貨体制に占める役割は漸減してゆくものと思われる。9月27日から10月1日までワシントンで開かれた第26回IMF総会でも,多くの代表から一国の通貨に依存しない新たな国際通貨体制創設の必要性が説かれている。

金の役割については,IMF総会では積極的な定義づけはあまりみられなかったが,フランスは金の役割は将来にわたって不変である旨主張している。金価格の引上げについてはシュバイツァーIMF専務理事や,オランダはじめ一部の国から提案されたが,コナリー米財務長官は「金価格の変更は無意味であり,新通貨体制においては金の役割を排除しないまでも縮小しようとするわれわれの目的に照らしてみれば,明らかに後ろ向きの手段であろう」と反対意向を表明した。

SDRについてはアメリカ,日本,イギリス,イタリア,スエーデン,ベルギーなど賛成意見が多く,とくにこれまで金の役割を重視したフランスはSDRのような「客観的流動性」の役割増大にふれつつ,あえて反対意見を表明せず,注目をひいた。SDRとはいっても各国の構想には多少食い違いもあり,また70年1月から配分されたSDRと必ずしも同じものを意味するものではないようである。具体的にSDR構想を明らかにしたのはバーバー英蔵相演説であった。

バーバー蔵相は一国の通貨を準備資産として使用するのを回避する手段としてSDRを使用するよう提案し,従来のSDRとは違った構想を明らかにした。その骨子はつぎの通りである。

    ① 新しいSDRは通貨の価値尺度(Numeraire)となり,各国の平価はS DRをもって表現し,またSDRに対して平価を切上げまたは切り下げる。

    ② SDRは各国の主要準備資産とされる。従来各国の準備は金,外貨,S DRで構成され,多くの場合外貨が主要構成要素となっていたが,今後はしだいにSDRの比率をふやして外貨は運転資金に限定する。

    ③ とはいえSDRの創出は過大であってはいけないので,適当額にとどめる取決めが必要である。

バーバー蔵相の意図する一つのねらいは現在主要国に保有されている外貨とくにドルの整理であろう。同蔵相は一つの可能な方法として,「IMFに新しい口座を設け,これに対して特別にSDRを発行する」。その金額は主としてドルをSDRに交換するために必要な額とする。「こうすれば準備通貨国がその通貨の特定残高をSDRに交換するよう要求されたとき,IMFの口座からSDRを引き出して,かわりに自国通貨を預託」できる。この操作により,準備通貨保有国はSDRを受け取り,準備通貨はIMFに保有されることになる。つまり過剰ドルはアメリカで金と交換される代わりにIM Fへ肩代わりされるのである。しかし,このIMFに集中される過剰ドルがアメリカによっていかに整理されるのかは明らかでない。いずれにせよ,金の産出量が限られており,また一国通貨に依存すれば必らずその矛盾が現われる以上,今後の準備資産としてはSDRを中心に据えようとする考え方は,現在ではかなり広範な合意が得られているようである。

このほかIMFの抱える大きな問題としては低開発国に対する国際流動性の特別供与がある。マクナマラ世界銀行総裁とシュバイツァ-IMF専務理事は70年のコペンハーゲンIMF総会でSDRを低開発国援助に結び付ける方法の検討を約束したが,今回の通貨危機を契機に発展途上国側は再びこの問題を持ち出して来ている。